36話 不可解な敵
活動報告で「早めに投稿できる」と言っておきながら、結果的に普通のスピードでした。なんともお恥ずかしい……
タンッと乾いた足音。
同時に、今まで無風だった空間に突風が吹き荒れた。
飄々とした足取りで不規則なリズムを刻むのは、白と呼ばれた男だ。その影は次の瞬間には消えて数メートル離れた地点へ移動し、また次の瞬間には消える。そんな奇妙な移動を数回繰り返し、最終的には木の上で停止した。
物理的に見て白の体重を支えるには、あまりにも細すぎる枝。しかし、枝は折れるどころか、しなることすらなかった。ただ狂ったように吹く風に、葉を震わせるだけだった。
不意にピ――ッっという機械音が流れる。音は白の手に握られる無線機から流れていた。
別段驚いた様子もなく、白は無線機を耳に当てた。
『白さん、たった今到着しました』
「おーし、じゃあ早く済ませろ。誰かに見つからないとも限らねーからな。手筈は事前に説明した通りだ」
大雑把な独特の口調。
これは、彼を知る者にとってはごく普通のことだ。
『え……もしかして自分ひとりですか? 基本的に単独任務は禁止のはずでは……』
「あー、そのことか。喜べ。そいつならもう配置に付いてる。お前の行動も文字通り筒抜けだろうなぁ」
白の言葉の意味を図りかねたのか。反応が返ってくるまで、少々の間があった。
しかし、思い当たる節があったようで、すぐに若干興奮した声が返ってきた。
『まさか……素羅さんですか!?』
同時に、動揺も無線機越しに伝わってくる。
白は、そうだ、とだけ答えて話を戻した。
「まぁ念のためだ。今回の任務は当日の核になる。失敗するわけにはいかねーんだよ。気を引き締めろ」
素羅が一緒だと聞いて緩んだように見えた気を、もう一度緊張状態に引き戻す。
『わ、分かりました』
「万が一に備えて俺も待機してる。じゃーな。頑張れよ」
それだけ伝えると、やや乱暴に会話を切った。
飄々とした態度の彼に似合わず、虚空を見つめる目だけが、焦点が定まっていないように空っぽだった。
◆◇◆◇◆◇
「……分かりましたか?」
一瞬の間を置いて、零が無感情な瞳を向ける。
「うん、校舎裏の方だね。誰かが遅刻でもしたのかな?」
対するマリアは、あくまでいつもの口調。しかし、それが冗談であることは、纏う空気の冷たさが証明していた。
「様子を見てきます」
「どうするつもり?」
カルディナ学校は警備が厳重だ。勿論、今日という日も例外ではない。それは、この学校が国にとって重要な機関であることを示している。しかし気配は学校の敷地内から、つまり何者かが警備の目を掻い潜ったということになる。
真っ当な目的だと考えるには無理があった。
「取りあえず拘束して目的を聞き出します」
「じゃあボクは一応教室の窓を全部閉めるよう指示を出しておくね」
「助かります」
最後に視線をを交わすと、それを合図に、ほぼ同時に反対方向に向かって走り出した。マリアは校舎内、零は気配のした窓ガラスの方へ。
半分だけ空いていた窓をやや強引に開け、一瞬の迷いもなく四階から飛び降りる。
限界まで伸ばした膝を、着地と同時に今度は限界まで曲げ、落下の勢いのほとんどを殺す。殺せなかった分の勢いは、前転することで表面積を広げ、最小限に緩和する。
気配を感じてから一分にも満たない間に、零は校舎裏へ辿り着いた。
人気のない校舎裏。
しかし人気がないからこそ、その場から怪しい人物を見つけ出すことは容易い。
すぐに黒い大き目のローブを纏った、明らかに学校関係者ではない男に目が止まる。
何かの魔法陣が施された機械、それを設置し終えたところのようだった。
男は零を見ると、目を大きく見開いた。
「なっ!?」
男の動揺が、その場の空気を媒体に伝わってくる。それは見つかってしまったことの驚きというよりは、迷いなく向けられた殺気に怯んだと言った方が正しかった。
しかし零は走ることを止めない。
筋肉のバネを最大限に利用した助走は、たった数歩でスピードを零の最高速度まで引き上げる。
それはさらなる動揺を呼び、二重の動揺に縛られた男は、硬直したまま自分に向かってくる少年を眺める形になった。
心の隙を生み出し利用する絶好のタイミング。
計算されつくした零の頭脳はそれらを意図的に作りだし、数十メートルの距離をいとも簡単に詰めた。
そのまま男の腹部にスピードを乗せた拳打を叩き込もうとしたところで……
「っ!」
前の地面を蹴り、急ブレーキを掛けた。
それと同時に、空気を裂きながら金切声を上げる弾丸が、零と男を隔てる地面にめり込んだ。
◆◇◆◇◆◇
国立カルディナ学校から2000メートル以上離れた建物の一室。
そこに、髪をショートに切り揃えた少女―――素羅はいた。
その表情に余裕はない。
たった今起こった出来事に目を疑っていたからだ。
(かわされた……?)
自らの腕に絶対の自信を持つ少女は、スコープを覗き込み、無傷の少年を見て驚愕する。
別に殺すために撃ったのではない。こちらの用件は既に済んでいる。あとは男が学校から逃げるための時間さえ稼げれば良かった。そのため、少年の左ひざを軽く削ぎ、機動力を奪うよう狙いを定めた。そう、本来なら少年はその場にうずくまる予定だったのだ。
(タイミングは完璧だった筈……)
しかし命中する一歩手前で、少年は弾かれたように足を止めた。いや、気づいたのだ、弾丸が迫っていることに。
果たしてそんなことが可能なのか?
素羅は今まで生きてきて、訓練以外で狙いを外したことはない。これが初めてだ。その事実は絶対の自信にヒビを入れる。
再びスコープを覘く。
それと無線機が鳴り響くのは、ほぼ同時だった。
『どーした? 何かあったのか?』
白の声だ。
思いがけない通信に、熱くなりかけた頭が冷える。
「……学校の生徒に気づかれました。現在交戦中です」
頭を整理し、状況を簡単に説明する。しかし、白は納得がいかないように『ん?』と聞き返した。
『随分早く感付かれたな。でもガキだろ? お前らの相手じゃねーはずだが…… 何人だ?』
「ひとりです」
『ひとりぃ?』
一段と大きな声をが響く。
『だったらサッサと片付けてサッサと帰還しろ』
「ええ、そうしたいんですけど……何かが違うんです」
『違う?』
「つい先ほどですが……私の弾丸がかわされました」
息を呑む音が伝わってくる。
素羅の腕前を知っている白だからこそ、それはにわかに信じ難い事実だった。
しかし、素羅はこんな時に冗談を言う人間でないことくらい、彼自身良く知っている。
白は何か考え込むように押し黙った。
『……以前、「学校で骨のありそうな奴」の話をしたことがあったな。お前はその時、二人ほどいると言った。まさかそいつか?』
「……そうかも知れません。顔は良く分かりませんが……」
『分かった。取りあえずお前は援護を続けろ。俺も向かう』
「了解」
素羅の切り替えは早い。
通信を切ると即座にスコープの倍率を調節し、照準を合わせ直した。
◆◇◆◇◆◇
(あの辺か……)
零はめり込んだ弾丸の向きや角度からおおよその射撃地点を割り出し、虚空を睨んだ。
(38口径…… まさかブレーザーR93タクティカルか?)
真っ先に思いついたライフルの名前。それは南国製のストレート・プル・アクション・ライフルだった。素早く連射が可能で精度も高いが、扱いがひどく難しいライフル。零の予想が正しければ、狙撃手は相当の手練れということになる。
何よりも発砲されたタイミングが絶妙だった。
結果的に零の攻撃は中断され、男が体勢を整える暇を与えてしまった。
姿の見えない敵。
この状況下では、非常に厄介な相手だ。
一方、目の前の男は、ハッとしたように魔力を練り始める。
魔法陣が展開され、魔力が男の掌一点に凝縮していくのが分かった。
(炎術か)
判断すると同時に行動を起こす。
男の術式展開速度は決して遅くはない。寧ろ一般人から見たら驚くほど早い。
ただ、相手が悪過ぎた。
零の展開速度は、男のそれを圧倒的に上回る。
≪理魔法:氷:氷針雨≫
視認すら難しい速度で創り上げられた魔法陣から、いくつもの透明なつららが降り注ぐ。
それは男の魔法陣を容赦なく押し潰し、貫いた。
何が起こったのか理解できなかったのだろう。男は言葉を失い、呆然としかける。
「ここで何をしていた?」
しかし、零のゆっくりとした歩みは、呆然とする暇すら与えない。
人間と思えないほど冷え切った二つの眼。
男の本能が、あれに関わるなと緊急ブザーを鳴らす。
男は今までに、いくつもの死線を潜り抜けてきたが、これほどまでに濃い殺気には出会ったことがなかった。
恐怖が全身を塗り潰す。
「何をしていた?」
その最後の一押しは、男の緊張の糸を分断した。否、させられた。
ホルダーから小型のサブマシンガンを構えたのは、経験と言うよりは純粋な恐怖から。
しかし、零は男が動くよりも早く行動を起こしていた。
零の踵が、サブマシンガンを構える腕を捉える。
「がぁっ!」
トリガーを引くことすら許さず、そのまま叩き折った。
悲鳴をあげて床に転がる男を拘束しようと、零は歩みを進める。しかし、男が持つ無線機から『逃げて下さい』という少女の声が流れたのを聞き、反射的に上半身を仰け反らせた。
弾丸が鼻先を掠める。
先ほどの威嚇射撃と異なった、明らかに殺意を乗せた射撃。それは一発に留まらず、今度は複数放たれた。
針の穴に糸を通すかのような、という表現がこの上なく当てはまる精密な射撃。
安定して避けるには(そもそも避けられる代物ではないのだが)、零ですら神経を集中させる必要がある。
零が銃弾の雨をかわしている間に、男は≪身体強化≫を施して逃げの体勢を整えた。
それを黙って見過ごすほど、零は甘くも愚かでもない。
魔力を練る。
空気を振動させることによって生じる風魔法の派生属性―――音波。
≪理魔法:風:空鳴振動波≫
キィィィという黒板を引っ掻いたような音。
大気が震え、鼓膜を劈く。
方向感覚を致命的なまでに狂わせるその波動は、逃げようとしていた男の両耳を塞がせ、さらに足を止める威力を持っていた。
さらに続けて魔力を練る。
それは一般的な理魔法とは基本構造からして異なる種類の魔法。
大陸中を探しても、数えるくらいしか使い手が存在しない魔法。
≪光魔法:屈折歪曲≫
光の軌道を無理やり捻じ曲げ、照準をずらす。
今の零の姿は、可変倍率スコープで遠距離から覘くと、二重にも三重にもなっている筈だった。
案の定、正確無比な精度に綻びが生じ始める。
遠距離からの射撃を不可にするだけで、今は十分。
そう判断し、未だ耳を塞いだままの男へ向かって走り出した。
その時だった。
何の前触れもなく、静かだった空気が震え、次の瞬間には呼吸もままならないほどの突風が一帯に吹き荒れた。
木々が大きくしなり、葉が舞い、鳥が悲鳴を上げる。
(なんだ?)
いままでと違う種の空気に、零が初めて警戒する。
その直後、空から灰色の髪の男が舞い降りた。
次回は少し遅くなります。テスト前ですので~
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