33話 ツグナイ
今回は珍しくターナ視点です。
六月とは思えないほど、ギラギラと輝く太陽。
無遠慮に巻き散らかされる日差し、熱。
うっすらと滲む汗を手で拭い、熱線の源をギロリと睨んだターナは、網膜を焼く光に顔をしかめ、内心で己は馬鹿かと罵った。
「ありがとうございました!」
にこやかな笑顔で頭を下げる花屋の女性に、同じくにこやかな笑顔を返してから、手元の花束を眺め、バスの時刻表を眺め、最後に腕時計を眺めた。
今日は土曜日。
平日ですら一時間に一本しかない北カルディナ総合病院経由のバスは、土休日ということで、さらに本数が少なくなっていた。
つい十分ほど前にバスが出てしまったこともあり、次のバスまで二時間近くある。
「あー どうしよっかなー」
独り言を呟いてみても、なにか解決策を教えてくれるわけではない。
時間という絶対的な存在を前にターナができることと言えば、ただ待つことだけだった。
緊張しているのだろうか。
何年もの間、心の奥底に抑え込んできた感情が、再び暴走することを恐れているのだろうか。
ふと自分の内情を客観的に分析したターナはしかし、一秒後には首を横に振っていた。
理解しているつもりだ。そんなに甘くはないと。
希望はやがて苦痛に変わり、自信を傷つける。
淡い期待は己の無力感だけをはぐくみ、精神を蝕む。
「例外」はあると言うが、自分がその「例外」になる可能性など一%にも満たない。
そんな理不尽な世の中で、人々は自分になんとか折り合いをつけて生きていくのだ。
そう、分かっている。
しかし、どうしても希望を捨てきれない自分がいることを知っていて。
その度、ターナは友人――神無月瑠璃の顔を思い出す。
彼女の強さが知りたかった。自分よりずっと悲惨な過去を持ちながらも、心から笑うことができる彼女の強さが。
仲が良くなる度に感じる、否、感じてしまう。
自分は、九年前のあの日から、全く成長していないことに。
すれ違う人々に問いかける。
アナタノ世界ニ、私ハイマスカ?
「こんにちは、カレーニナ先輩」
「うっひゃあ!!」
突然声を掛けられたターナは、奇声と共に肩をビクンと震わせ、持っていた花束を落としそうになる。「そうになる」というのは、落ちる直前に、声の主が間一髪で拾い上げたからだ。
「……大丈夫ですか」
「へ? あ、ああ、アマト君?」
声の主は、現在いろいろな意味で有名な天戸零だった。
零は未だテンパったままのターナを見て、困ったように半笑いを浮かべる。
「すみません。そんなに驚きました?」
半笑いを苦笑いに変え、謝りながらキャッチした花束を差し出す。
一方のターナは、しゃがみこんだ零から花束を差し出されるというシチュエーションに動揺し、思わず周囲の目線を気にした。
「あ、ううん。こっちこそゴメンよー!」
「いえいえ、それにしても、道のど真ん中でボーっとしてると危ないですよ」
「へぃ?」
零に指摘され、いつの間にか白黒になっていた世界が、再び色を取り戻す。
大勢の人。騒がしい街の音。
どうやら、無意識のうちに外へ出て、ずっと突っ立っていたようだ。
傍から見れば、非常に残念な少女だったことだろう。
その事実を認識し、目の前の後輩が苦笑している事実を認めたターナは、一瞬にして全身が熱くなるのを感じた。
この年で夢遊病はマズイ。
「暑さにやられましたか?」
悪戯っぽく笑われ、「うあ~」と声を出しながら頭を抱える。
「まあ、先輩は日光に弱い体質……」
「そ、それよりもさ!」
いつまでもこんな恥ずかしい話題を続けられることをよしとしないターナは、零の言葉を半ば強引に遮った。
「アカリちゃんの体調はどうなのさ!」
そう、それが、今学校でも、一番ホットな話題。
我ながら不自然過ぎる話の持って行き方だとは思ったが、うまく話題を転換することができたように感じた。もっとも、彼がターナの意図を理解し、話を合わせたように見えなくもなかったが。
「アカリですか? 今は熱も下がったんで、月曜からは復帰できると思います」
「そうかそうか~ アマト君が看病してあげたのかな?」
「ええ、まあ」
「仲睦まじいじゃないかー」
茶化すように言ってみる。
「どうでしょうね、本人は嫌がってましたが」
「……え、えと、それは単なる照れ隠しじゃ……」
しかし目の前の後輩には全く効かず、それどころかまるで見当違いな返答を返された。
相手を間違えたかと、ターナは一瞬軽い後悔に襲われる。
「それにしても、よく知ってますね?」
「ん?」
「アカリが体調を崩したことです」
一瞬キョトンとするターナ。
それを見て、零もキョトンとする。
「……いや、そりゃあ知ってるよ」
「……ああ、アカリは有名人ですもんね」
ひとり納得する零に、よほど「あんたもだよ」とツッコんでやりたくなったが、意味のないことのように思えて、言うのをやめた。瑠璃から、彼の性格についてはよく聞かされているし、今もそれを目の当たりにしたばかりだ。
「アマト君はなぜここに?」
いろいろ諦めたターナは、取りあえず当たり障りのない話題を持ち出した。
「買い物です。アカリは念のため、まだ出歩かないほうがいいでしょうから俺ひとりで」
「なるほどー 前にも買い物中に会ったことあったよねー」
「そうですね。あの時はアカリもいましたが」
そこまで口にして、零は突然口を「あ」の形にして立ち止まった。
「先輩、これからお時間ありますか?」
「……へ?」
「せっかくですから、どこかへ行きましょう」
「……へ?」
二回も続けて拍子抜けた声を出すターナの赤髪を、風が揺らす。
「俺が奢りますよ」
◆◇◆◇◆◇
ケビン・フロルは、いつまで経っても現れない人物を、辛抱強く待ち続けた。
時計の長針は、待ち合わせの時間から既に三周をまわり切り、四周目に入ろうとしていた。
最初の頃の緊張は、最早綺麗さっぱり消え失せている。
時間などの約束事をキチンと守る性格のケビンにとって、待ち合わせの時間に遅れるなど、正直信じられないことであった。プライベートであれば、問答無用で帰宅していたであろう。それはつまり、ケビンは今、プライベートで人を待っているわけではないということを表している。
それから三十分ほどだろうか。
ようやく目当ての人物が姿を現した。
長い金髪。遠くからでも目を引く美貌。
南国出身の女性――マリア・フェレだ。
時間にして、約三時間半の遅れである。
それにも関わらず、別段急いだ様子もなくのんびり歩いてくる彼女に、冷静なケビンも思わず怒りを爆発させそうになったが、自分と相手の立場を確認し、そして相手も忙しい身であることを考え、怒りを胸の中に沈めた。(罪悪感を全く感じていなさそうな彼女の笑顔に脱力したこともあるが)
「マリア・フェレ様、ようこそカルディナ王国へ」
「ヘロ~~ ケビン。遅れちゃってごめんね」
流暢な東国語。
この国に来たのが、これで三回目だとは到底思えなかったが、彼女の頭脳を考えればむしろ当然のことであると、ケビンは考えを改めた。
「モネットでの長旅、さぞお疲れでしょう。さっそくホテルに……」
「あー ボクさ、そういう堅苦しい挨拶嫌いなんだよね。もっと気楽にして欲しいかもー」
相手を散々待たせ、それでいていろいろ注文が多い彼女は、普通に考えればかなり失礼な輩であろう。
しかし、そんな天真爛漫な態度が彼女にはとても似合っていて、ケビンも怒りを感じる気すら失せてしまう。
「では手短に言いましょう」
当初よりだいぶやわらかい口調で。
「【知の権化《ミネルウァ》】改め、マリア・フェレ様、これからよろしくお願い致します」
「うん、ボクからもよろしく~ あ、そうだ」
互いに握手を交わした後、マリアはほんわかした空気を、突然張りつめた空気に塗り替え、射抜くような瞳をケビンへ向けた。
「ボクはボクの夢のために動くから」
一歩、また一歩と詰め寄る。
「邪魔はさせない」
綺麗さっぱり消えたと思っていた緊張が再び蘇り、ケビンの体を内側からバクバクと叩き鳴らした。
太陽による熱気だけとは到底思えない量の汗が、全身から吹き出る。
「わかり……ました」
「うん、じゃあ月曜にまた」
辛うじて声を絞り出した時には、マリアの表情は普段通りになっていた。
◆◇◆◇◆◇
「アマト君は、さ……」
「?」
「絶対に叶わないと分かってても、願わずにはいられない夢があったら、どうする?」
喫茶店にて、ターナはコーヒーを含む零に問いかけた。
なぜそんな質問をしようと思ったのかは分からない。
ただなんとなく、年の割に達観している、天戸零という少年の意見が聞いてみたくなったのかもしれない。
「……難しいですね」
一瞬だけ目つきが鋭くなった後、ポツリとこぼした零の返答は、ひどくシンプルなものだった。
さっきまでしていた文化祭の話とは打って変わって、内容にも空気にも、冷たい気配が滲む。
「……ずっと願ってたい、かもしれません」
「……たい?」
語尾に置かれたアクセントに違和感を感じたターナは、釈然としない表情を零へ向けた。
零は笑いながら続ける。
「俺には無理ですから」
「どうして?」
「俺は弱虫なんで、願い続けるなんてそんな怖いこと出来ません。たぶん、すぐ諦めちゃうと思います」
弱いから、諦める。
額を弓矢で打ち抜かれたような衝撃が襲った。
「先輩は、希望を捨てられないことは弱いことだと思いますか?」
言葉が入り込む。
言葉が音になる。
「俺は、それはそれで、ひとつの強さだと思ってます」
音となった言葉は、錆びついた秒針を、止まった時を。
「諦めれば楽になりますからね」
強引に、けれど力強く。
「弱さゆえ、途中で諦めてしまう人も多いですが」
ゆっくり動かしていく。
「先輩はどうですか?」
少女のセカイは回りだす。
「……アマト君は、どうして今日誘ってくれたの?」
「……強いて言うならば償いです」
「ツグナイ?」
「はい、では先輩、俺はこれで失礼します」
「あ、ちょっと、もう少し……」
一緒にいて、と続けるつもりだったターナの言葉は、腕時計を指し示す零によって、喉の奥へ吸い込まれてしまう。
「バス、あと十分切ってますよ?」
「……あ」
二時間近くあったバスの待ち時間は、いつの間にか残すところ僅かになっていた。
これを逃したら、次は何時になるか分かったものではない。
ターナは、慌てて零の後を追って席を立った。
「え、えと、それじゃアマト君またねー 今日はアリガトー!」
「いえ、こちらこそ~」
店の外で慌ただしく別れを告げ、ターナはバス停に向かって歩き出す。
自分でも驚くほど軽快な足取り。
家を出た時の、泥水の中を這いずり回るような重い空気は、今は緑の中を散歩するような心地良い空気に変わっていた。
と、そこであることに気が付く。
「あれ? 私、アマト君にどこ行く予定なのか話したっけ?」
足を止め、今日の会話の内容を思い出す。
しかし、いくら探しても、「お見舞い」はおろか「病院」という単語すら口にした記憶はない。
当然、何時発のバスに乗るつもりなのかも伝えていない。
「まさか……知ってた?」
病院へ行く予定であることも、そのためのバスが何時間後に出るのかも。
そして、それまでどうやって時間を潰すか困っていたことも。
視線を下に落とす。
手元の花束は、購入したときよりも、色鮮やかになっていた。
喉がヤバイです。
声が出ない……
感想お待ちしております~