プロローグ
――あの男達を殺せ。
白衣を着た男はそう告げた。
年は五十代半ばだろうか。所々に見え隠れする白髪が、彼が若くないことを表していた。
その顔は歪んだ好奇心――狂気で彩られている。
――なに、いつものことをやればいい。
男はそう付け加えると、目の前のまだ五歳程の少年に、ニヤニヤと纏わりつくような笑みを向けた。
笑みを向けられたのは、黒目、黒髪という、東国においては別に珍しくもない少年。病院で着るような薄手の服に身を包み、そこから伸びる手足は、握ったら折れてしまいそうなほど細く小さい。ただ、その眼だけは、歳に似合わない異彩を放っていた。
およそ感情と言うものが見受けられない。あまりにも純粋で、冷たくて、そして哀しい。
少年は理解したように小さく頷くと、渡された刀を持って、引きずるように歩いていった。その様は、糸を切られたら動きを止める操り人形を想起させるものだった。
扉を開けると、鉄の錆びた臭いとほこりの臭いが強く鼻をついた。真っ暗な中、外から光の筋が数本漏れる。少年は立ち止まると、無音の空間に全身の神経を傾けた。
音を聞き取るのではなく、感じ取ることでのみ捉えられる囁きに身を委ね、空気と言う媒体を介して生物の「呼吸」そのものを感知する。
誰に教わったわけでもない本能的な少年の行動は、結果として無音の暗闇に潜む存在を正確に捉えた。
その時だった。
狂ったような叫びと共に長身の男が刃物を振り回してきた。正気の沙汰とは思えない行動。その証拠に、男の目の焦点は合っていない。
「ああぁあぁああ!」
定まらない足取りの中でも、刃物の狙いは明らかだった。少年の首だ。
まだ五歳程の子供に対して非情とも言えるその行動を、少年は別に驚いた様子もなく、後ろに下がってあっさりと躱す。さらに少年は、ピンと張り詰めた空気に微かな違和感を感じ、暗闇の先を見据えた。
まだ瞳孔が開き切っていないためか。網膜には何も映らない。ただ何者かの存在を「確信」した少年は、刃物を持つ男と自分の体、そして姿の見えない相手を一直線上に並べ、次の瞬間に弾かれたように体を捻った。
大気を震わす銃声が轟いたのは、その直後。
少年を狙ったであろうその弾丸は、予想外の動きのため命中することは叶わず、その先の刃物を持つ男の胸を貫いた。
臓器が潰れる歪な音と共に、赤い液体が飛び散る。
男の目の前にいた少年は、その生暖かい液体を頭から被る形になった。
一方の銃弾を放った男は、目の前の自分より遥かに年下の少年に、今まで感じたことのない恐怖を抱いた。
少年の持ち物は刀一本。
それに対して男の持ち物は二丁の銃。
状況を見れば明らかに男が有利であり、誰もが少年の身を案じただろう。それでも男は圧倒的な力の差を感じ、恐怖は暗闇に身を縛り付けた。
そして男は見た。
少年が、ゆっくりとこちらを振り向くのを。
そのキョトンとした表情が、返り血で赤く染まっているのを。
「あああ……」
その瞬間、男の中で何かが切れた。
「うわああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
男はパニックに陥って、銃を連射する。しかし少年は僅かに体をひねると、それだけで銃弾を躱した。どの弾も少年に当たるか当たらないかの所を通過していく。それは男の恐怖心をさらに煽った。
次の瞬間に起こったことを、男は理解できなかった。
――?
少年の姿が見当たらない。確認しようとしても体が動かない。否、体がなかった。寝ているわけでもないのに床が驚くほど近くにある。
――どこだ、俺……の体は……
遠くに首のない自分の体が見えた。その瞬間、体は電池を抜かれたように床に崩れ落ちた。
やや遅れて血が噴出す。
生臭い鉄の匂いを一面に撒き散らし、空間を鮮やかな赤に染め上げていく。
少年はその様子をボーッとしたように見つめた。降り注ぐ赤い血が目の中に入り込む。しかし、それすら興味がないようだった。
「大成功だ!」
歓喜の声が沸き起こった。
白衣を着た男達が次々と飛び出してくる。お互いに手を取り合って喜びを分かち合う者、自分の才能に酔いしれる者、未だ信じられず、何度も画面を見返す者。
皆、嬉々として大騒ぎしていた。
少年はやはり、キョトンとした表情でその光景を眺めていた。
ゆっくり更新していきます。
2011/07/11 改訂
ちょっとホラーチックになっちゃったかも……