19話 一緒にいる理由
おや、アカリが……
一人の男が国立カルディナ学校の門をくぐった。
年齢は30代半ばくらいだろうか。白いスーツに白い帽子、それにキザったらしい仕草が周囲の人々の目を引いた。
そんな視線などお構いなしに、男はポケットに手を入れたまま電光掲示板に目を向ける。
『準決勝戦 月下結衣vs天戸零』
男はそれを見ると、さも愉快そうに、ヒュ~と口笛を吹いた。
「明日……明日だったか」
男はそう呟くと、相変わらずキザったらしい仕草で帽子をかぶり直し、くるっと回転してその場を後にした。
だが不思議なことに、男が去ったその場所にいた人々は、誰もそのことを覚えていなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
結衣が動いた。
風と一体化したような速度で、射程内に入った零に向かって駆け出す。その時間は1秒にも満たない。
零はギリギリまで結衣の右手に注目した。
≪強化≫の密度を、目:腕=8:2 に調節し、耳を澄まし、空気を読み、結衣の動きの解析に全力を注ぐ。
結衣の刀が鞘を走る。
どれほどの速さかは見当がつかない。おそらく一瞬というよりはゼロタイムに等しい。
零は動かない。
空間を一筋の光が流れた。
まだ動かない。
刀が迫る。
まだ動かない。
刀が届く。
そこで、ようやく動いた。
キィィィンと、甲高い音が木霊して空間を震わせた。目を見張る大衆。その視線の先には、軽い笑顔を浮かべる両者の姿。
「……さすが」
「ギリギリだったけどね」
結衣の刀は、零の小刀の柄で防がれていた。あまりの速さゆえ、刃を返している時間などなかった。限界まで意識を集中していたため、咄嗟に取ることができた行動だ。
何かが焦げた臭いが鼻をつく。超速により、結衣の靴は擦り切れて、少し溶けていた。
零は予め組み上げておいた術式を展開させる。
≪理魔法:氷:氷壁拘束檻≫
その瞬間、氷が結衣の四肢を氷漬けにし、動きを封じた。結衣自身、負けを認めていたためか、躱そうとする意志すら見えなかった。
一撃必殺の抜刀術。だが、それを防がれれば隙も大きい。零がそれを逃すわけがない。
『し、勝負あり!!』
大歓声の中、審判の声が響いた。零は術式を解除すると、結衣に肩を貸した。お疲れ様、という意志も込めて。
結衣は嬉しそうに零に寄りかかってきた。
こんな気持ちになったのも、久しぶりかも知れない。
◆◇◆◇◆◇◆
「おかえりなさい~」
「ただいま……って、またそれ着てるんですか」
いつの間に着替えたのやら、鏡花はまたカルディナ校の制服を着ていた。相も変わらず似合っている。
結衣達と並べば、10人中9人は姉妹だと勘違いすると断言できるほどに。
「それにしても姉さん、惜しかったわね」
「あはは~ やっぱり零君は強いよ」
「でも最後は本当に危なかった。随分と腕を上げたと思う」
これは嘘偽りのない本音だ。
彼女は四年前とは比べ物にならないくらい強くなっている。かつて零が指摘した一振り目の後の隙も、完全になくなっていた。
「当たり前だ。お前が出ていった後、こいつらはお前に追いつこうと必死で稽古してきたんだ。それこそ血の滲むような稽古をな」
「へぇ……」
重夫の言葉に感心して二人を見た。ということは、芽衣も相当強くなっているということだろう。余計にあの「古池」が憎たらしかった。大体あいつの戦い方は卑怯だと思う。確かに魔法の使い方、威力はなかなかのものだったが、しっかりと地上で戦えば、芽衣が勝てないはずもない。
「クソッ…… 今度会ったら顔面パンチでも食らわ」
「誰にですか?」
「おお」
顔を上げると、古池淳が目の前にいた。すぐにその顔面に左ストレート。パーンという爽快な音と共に、古池淳は弧を描いて勢いよく吹っ飛んでいった。
「おし目標達成」
「な、何をするんですか!」
「いや、まさかわざわざ殴られに来るとは思わなかった。大したマゾっぷりだ。見直した」
抗議の声を上げる淳に対し、零は晴れやかな笑顔を返した。その様子を、芽衣が唖然とした表情で見つめている。零に対する驚きも勿論だが、淳の蘇生能力も驚きに値するものだった。
「あ、天戸零! あなたは僕に……」
「あれ、そう言えばアカリは?」
「聞きなさい!」
……煩い奴だ。
横でキャンキャンうるさいので、仕方なく聞いてやることにする。
「天戸零、あなたは僕に勝った男です」
「あー」
「明日、優勝しなければ僕が許しません!」
「あーあー」
「……聞いているのですか」
「ん、誰お前?」
「聞いてないじゃないですか!」
本当に煩い奴だった。最初に会った時から、零は淳が気に入らなかった。本来ならば今話しているのだって正直お断りしたいほどなのだ。これ以上話していたら耳が腐ってしまうかも知れない。
「零く~ん、そちらはどなたかしら~?」
「ああ、鏡花さん。気にしないで下さい。俺に負けたただの敗残兵です」
「くそっ! くそぉぉぉぉ!!」
そのまま淳は泣きながら去っていった。
二度と関わりたくないものだと思った。
◆◇◆◇◆◇
「はい、これね」
「……ありがとう」
明は瑠璃から缶コーヒーを受け取った。分類はブラック。
明は普段コーヒーを飲む人間ではない。なぜ今飲んでみようかと思ったのかと言うと、少しでもあの無神経な少年が理解できるかも知れないと思ったからだ。
「どう?」
「…………苦い」
初めて飲んだブラックコーヒーは、それ以外に何の感想も持てないような、ひどく微妙な飲み物だった。好んで飲むようなものではない、というのが正直なところだ。
「ふふ。ま、そりゃあね。私が飲もうか?」
「……お願い」
瑠璃は笑うと明から缶コーヒーを受け取り、そのまま口をつけた。
「瑠璃は」
「うん?」
「よくコーヒー飲むの?」
「んー、結構飲むかもね。昔は全然飲めなかったけど」
「そう……」
明の問いに、瑠璃はコーヒーが飲めなかった頃の自分を思い出した。
確かあの頃、最初は砂糖を大量に入れていた。ブラックなんて夢のまた夢。今の明と同じく、こんなものを好んで飲むなんてどうかしているとすら思った。それでも飲み続けた。序々に砂糖の量を減らし、ブラックに近づけていった。我ながら健気な自分に苦笑する。
「……零が飲むから?」
「ぶっ! ごほっ! ごほっ!」
図星だった。明の鋭い一言に、盛大にむせる。
明の言う通り、コーヒーが飲めるようになりたかった理由は、零と一緒の飲み物を飲みたかったからだった。なんとも下らない理由だが、あの頃は幼いながらに必死だったのだ。
「…………単純」
「な、なに言ってんの明ちゃん! 違うって!」
瑠璃が真っ赤になって首を振る。
その台詞は、見ていて残念になるほど説得力がない。
明は溜息をついた。
自分にはない零との思い出を持っている彼女を、羨ましいとも感じた。
◆◇◆◇◆◇◆
明は零がいるであろう場所へと向かった。きっと彼は重夫達と一緒にいのるだろう。
月下家。零がかつて暮らしていた場所。天戸零という人間の根本を育んだ場所。
泊まってみて分かったことがある。零はあの家を愛している。そして、どうしても自分は場違いなような気がしてしまった。
皆が過去を持っていた。
神無月瑠璃も、月下結衣も、月下芽衣も。全員が零と思い出を共有していた。
……私にはない。
本当に、自分は零と一緒にいていいのか分からなくなってしまう気がして、途端に恐ろしくなった。
三人が、天戸零という人物を見る目は同じな気がする。その中で、零のことをどう思っているかわからない自分が、最も彼の近くにいていいのだろうか。
いきなり出てきて、同じ境遇だという理由だけで、零とずっと一緒にいたいなどと思ってしまうのはひどく贅沢なのではないだろうか。
他の女の子と一緒にいて欲しくないと感じる自分は、独占欲剥きだしの醜い人間なのではないだろうか。
考えれば考えるほどわからなくなる。時間が経てば経つほど、泥沼に嵌っていく。
そこで、見知った影が近づいてきた。
零だった。
「アカリ、どこに行ってた。どこにもいないから探し……ん?」
不審そうな顔で明の顔を覗き込んだ。しばらくして左手を顎にあて、考えるような仕草をする。
「……何があった?」
普段信じられないくらい鈍感なくせに、こういう時は鋭い。零の口調は、何かがあったと確信するものだった。
「何もない」
「嘘だな。そんな顔してるアカリは初めて見た」
有無を言わさぬ口調で詰め寄る。零は、明の無表情の下に隠された感情を、しっかり読みとっていた。
「零は」
「ん?」
「月下家には……戻らないの?」
明の問いに、零は意外そうな顔をした。まさかそんなことを明から聞かれるとは思っていなかったためか。すぐには答えることが出来なかった。
だが少ししてから、苦笑とともにはっきりと答えた。
「戻らないよ」
「……何故?」
零はあの家を愛しているはずだった。それは昨日のことで明白だ。住人の皆も零が戻ることを誰一人拒まないだろう。ならば戻らない理由はどこにもない。そうまでして戻らない理由とは何なのか。
「あの家には、これ以上迷惑はかけられない」
そう語る零の表情を見て、明は重夫の言葉を思い出した。
───俺じゃ駄目だった。
重夫が言っていたのはこのことだろうか。同時に、もうひとつ思い出した。
───アカリちゃんだけだ。
私だけ。
私だけが出来ること。
それなら……
「ん、どうした。もしかしてそれだけ?」
「そう。ありがとう」
「……あ、あぁ。それだけなら、それでいいや」
急に機嫌がよくなった明に、零は首を傾げる。そんな零の腕に、明はそっと腕を回した。
「何を……」
「零、早く行こう」
「はぁ、一体どうしたんだ?」
そのまま二人は歩きだした。
今は…一緒にいてもいいのかも知れない。
明は抱きつく腕に力を込めた。
評価して下さった方、ありがとう御座います。
これからも応援よろしくお願いします!
2012/05/25 改訂