9話 共通点に潜む影
やわらかい風が髪を揺らした。
木漏れ日が差し込む。
神無月瑠璃は一人、校庭の大木の下で静かな時を過ごしていた。この木は樹齢千年にも及ぶらしく、古く威厳のある様子が気に入っていた。零が入学する前はいつもここでお昼を食べていたものだ。今では訪れることも少なくなったが、それでもお気に入りであることに変わりはない。
何より人がいない。
注目されるのを好まない瑠璃にとって、一人になれるこの場所は貴重な安らぎの場であった。校内にいると、どうしても周りの注目を集めてしまう。
目を閉じる。
風、臭い、音、熱。
全身で世界を感じる。
幼い頃はよくこうしていた。
家の庭で世界を感じていると、必ず父が頭を撫でてくれた。母は「変わった子ね」と笑いながら、よく昔話をしてくれた。
過去に思いを馳せながら、全身の力を抜く。
「なーにしてんの」
突然人の声が響く。
振り向くと、快活そうな顔に赤い髪の毛を後ろに束ねた少女が笑いながら立っていた。
「美少女がこんな所で寝転がってたら、襲って下さいって言ってるようなもんだよ?」
「ターナ、今帰るとこ?」
「そ。今日は顧問がいないから早めの終了~」
ターナと呼ばれた少女はサバサバした態度で答える。顔にはイタズラっぽい笑みが張り付いていた。
「ルリは? 放課後に残ってるなんて珍しいじゃん」
「ちょっとね。人を待ってるから」
「ふぅん? それって最近よく一緒にいるあの一年生君かな?」
瑠璃の体がピクッと動くのを見て、ターナは確信したようにニンマリて笑った。
「アマトだっけ? 有名だよね。学年1位で赤点でEクラス。珍しいよね。やたらルリと仲良さそうだけど関係は?」
「……え、えと相棒みたいな?」
他にいい言葉が見つからず、適当に思いついた言葉を口にする。
「相棒? それってルリの秘密のバイトとやらの仲間みたいな?」
「ま、まぁ、そんなとこ」
どうも歯切れが悪い。瑠璃が動揺しているのを見抜いたターナは、面白がってさらなる追い打ちをかけた。
「付き合ってんの?」
「ば、馬鹿! 違うって!」
「じゃあ好きなの?」
「い、いや別にそういうわけじゃ……」
瑠璃の顔がみるみる赤く染まっていく。普段も割と明るい彼女だが、照れた表情を見るのは初めてだった。非常に珍しい。この反応を見たら、彼女のファンがさらに増えるのではないだろうかとターナは思った。
「いやーかわいい! もう反則!」
「……ターナ、からかわないで」
「いやいやホントだって。でも彼……えっとアマト君? 競争率高いと思うよ、たぶん。前にも噂になってたし」
それを聞いて、瑠璃は何とも言えない心境になった。確かに、零が入学すると知った時から、予想はしていたことだった。本人は自覚がないが、彼は整った顔立ちをしている。人気が出てしまうのは仕方ない。でも、それは少なくとも校内模擬大会が終わってからだと思っていた。
「ま、大丈夫だって。さっきのルリのかわいさを見せつけりゃあ、1年のガキなんざイチコロさね!」
「……ターナ」
「いやいや、だって彼と話してる時だけ別人みたいに明るいじゃん。自分で気付いてる?」
「……そ、そうなの?」
瑠璃の顔がさらに赤くなる。そこでもうひと押しとばかりにもう一言。
「おろ? 否定しないってことは認めたってことでいいのかな?」
直後、ターナの体が宙を舞った。それは瑠璃の精一杯の抵抗だった。
◆◇◆◇◆◇◆
何故こんなことになった?
零は自分の行動を振り返る。
ついさっき学校があることを思い出し、サボろうかとも思ったが、さすがに無断欠席はマズイと思ってわざわざやってきたのだ。なにしろ赤点の補習がある。人数も全体で四人しかいないので、サボったら確実にバレる。それだけは避けた方が無難だと判断してのことだった。そして真面目に(補正掛かかり気味)補習を受け、帰ろうと思っていた所だったのだが……
「……で、何でしょうか先生」
現在地、職員室。生徒曰く「化物達の巣窟」。ひとりひとりが驚異的な才能や実力を持っているカルディナ校教師が集まる場所。その教師たちの視線が集まっていた。
「いやいや、遅刻した理由くらい聞こうかと思ってな」
片山徹が楽しそうに言う。その目には純粋な興味の色が宿っていた。どうやら叱るために呼んだのではないらしいが、零としては勘弁してほしかった。
「やっぱり言わないと駄目ですかね?」
「五限目に『お早うございます』って入って来て、理由を話さないってのは流石にないだろ? 全然お早くねーんだよ」
至極真っ当なことを言われ、口を噤む。正しいことを言われると反論ができないのは当然のこと。どうやら何か言わないといけないようだ。
しかしアカリのことをどう話そうか。正直に、夜遅くに女の子が訪ねてきてその対応に迫られていました――などと言えるわけがない。口が裂けても言えない。どんな対応かと問われ、誤解を受けるに違いない。それに、彼女の今後もどうするか悩みどころだった。逃げてきた少女を長いこと一人で留守番はさせられない。
……取り敢えず聞いてみるか。
「先生、この学校今すぐ生徒を転入させることって出来ますか? 幸いまだ学校始まってから二週間ちょっとしか経ってませんし」
「……転入ってことか? まぁ、書類と面接と試験が通れば可能だが」
零が言い出したことが意外なことだったのだろう。片山先生は少し驚いた表情をした。
明は、研究者たちの『普通の人を作る』というコンセプトに従い、普通の教育を受けていた。そのため学力の面は全く問題なさそうだった。むしろかなり賢いといっていい。おまけに「治癒」の能力者となれば、Aクラスになるかもしれない。
「お前が遅刻したのも、そのことが関係してるのか?」
「はい。ちょっと親の面倒なつながりで、俺が面倒を見ることになりまして」
「天戸、お前……親御さんは?」
「いません」
「……そうか。スマンな」
片山先生が複雑そうな顔をして俯く。どうやら零の両親は死んだと思っているようだ。零には最初から親が存在しないので、別に死んだわけではないのだが、それを説明するつもりはないので、片山先生の解釈を訂正することもしない。そちらの方が何かと都合も良い。
今の時代、【神々の黄昏《ラグナレク》】によって親を亡くした子供は珍しくない。そのため、対応にも慣れているのだろう。あまり深く追求してこなかった。今の零にとっては有難いことだ。
その後、書類を貰ってから、巣窟をあとにした。
◆◇◆◇◆◇◆
(この生徒が……)
浅沼幸平は、たった今出て行った男子生徒について考えた。すでに授業は始まっているため、Eクラスに行く機会も何度かあったが、注意深く見るのはこれが初めてだ。
赤点で1位。本人はこの認識を嫌がっているそうだが、彼を説明するには最適な表現だ。それほどまでに珍しい。事実、自分が教員になってからも、ここまで学力が偏った生徒は見たことがなかった。
「先生方、今の生徒が天戸零です」
片山徹が大きめの声で説明する。わざわざ彼を職員室までつれてきたのは遅刻の理由を問うためではなく、実はこのためだった。Eクラスの人間から最高得点者が出たということは、今後のクラス編成についても考え直さなければならないかもしれない。そういう面もあり、一度その生徒を他の教師にも見せておこうと思ったのだ。
「見たところ普通の生徒ですよね。特別な何かは感じません」
「私もそう思います。浅沼先生はどうですか?」
周りの教師が次々に言葉を発する。その中のひとりが幸平に話を振った。
「私も同意見です。ただ……今回の錬金学のテストは、平均点こそ低くはないが、満点は難しいな内容にしたはずです。時間的にもレベル的にも。しかし彼は別に時間が足りなかった様子もなく、マニアックな魔方陣の問題までアッサリと解いていました」
幸平の言葉に、再び沈黙が降りる。
「ふむ、やはり神無月瑠璃のケースに酷似していますね」
眼鏡をかけた男性がその沈黙を破った。ケビン・フロル。この学校の教頭である。ケビンは椅子から立ち上がると言葉を続けた。
「今度の校内模擬大会で彼の成績が優秀だった場合、彼のクラス昇進を行いましょう」
教頭の異例の決断に、職員室にざわめきが起こる。かつて年の最中にクラス昇進が行われたことはない。それ故の反応だった。
「こう立て続けに下位のクラスから優秀な人材が出てきては、我が校の分析能力の信頼を損ないます。外部からは既に、疑いの声が上がり始めていますので」
幸平は、それも仕方のないことだろうと思う。国立カルディナ学校は国を代表する学校だ。その学校が生徒の力量を測り間違えるということはあってはならない。実際、二年前は何件かクレームが来た。今回のケースはその時と似ている。
似ている点といえばもうひとつあった。
神無月瑠璃と天戸零には、過去の経歴というものがまるでない。だからこそ、実力を測り損ねている部分があるのだが、親の名前、生まれた場所、全てが不明というのはあまりにも異質だった。調べても見つからない。わかるのは名前と性別と年齢だけ。
まるで誰かが……
そこまで考えて、思考を振り払った。考えてわかることではない。そもそもそんなことをする人がいると思えないし、する理由もわからない。だが……
二人の書類を眺める。他の生徒と違って明らかに空欄が多い書類。
それを見て、何かが背筋を這い上がってくるような感覚を覚えていた。
2013/09/16改訂