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真・恋姫†無双 ~天命之外史~  作者: 夢月葵
第六部・反董卓連合軍編
27/30

第二十一章 それぞれの決意

少年は悩んでいた。当然であった。彼はここでは「天の御遣い」と呼ばれているが、本来は普通の高校生なのだから。


少女は悩んでいた。当然であった。彼女はここで初めて自分の気持ちを知ったのだから。


少女は悲しんでいた。当然であった。彼女は大切な親友の今の姿を見ていられないのだから。



2019年2月8日更新開始。

2019年3月28日最終更新。

2019年12月4日掲載(小説家になろう)

 徐州(じょしゅう)軍が袁紹(えんしょう)の提案を飲み、行動を共にすると決める少し前、既に曹操(そうそう)こと華琳(かりん)孫堅(そんけん)こと海蓮(かいれん)も同じ返答を袁紹に寄越していた。その思惑、真意は涼たちと全く同じでは無かったが、現状では袁紹と戦うのは得策ではないと判断したのは同じだった。

 先の戦いでは勝ったとはいえ、彼我(ひが)の戦力差は大きい。しかも今回は、恐らく袁紹の嘘ではあろうが(みかど)の為に董卓(とうたく)を討つという大義名分を掲げている。もしこれに呼応しない場合、漢王朝に敵対する意思ありとみなされて攻撃される危険性が高い。

 袁紹だけなら、先の戦いの様に三者で連合すれば何とか勝てるかも知れない。だが、そこに他の諸侯が加わったら勝率は限りなく零になる。しかも漢王朝を敵に回しては、例えかつての威光は無いとはいえ帝に刃を向ける事になるので、それを口実に攻め滅ぼされるのは必定。その様な危ない橋を渡る事は無い。

 彼女達はそれぞれの思いを抱えつつ、着々と軍備を整えていた。その様な内容の手紙が両者から来たのは、奇しくも徐州が袁紹と共に戦うと決めた日の夕刻だった。


「……以上が、曹操さんと孫堅さん、それぞれの手紙の内容です。」


 そう言ったのは諸葛亮(しょかつりょう)こと朱里(しゅり)。今回の遠征では筆頭軍師として従軍する事が既に決まっている。

 徐州軍の筆頭軍師は義勇軍時代からの流れもあって徐庶(じょしょ)こと雪里(しぇり)が務めていたが、その雪里の推薦もあり、今回の抜擢となった。実績も、先の青州遠征があるので反対する者は居なかった。

 その彼女が華琳と海蓮という、同盟を結んでいる両者の手紙を読み上げている中、徐州の州牧という地位にいる劉備(りゅうび)こと桃香(とうか)の表情は常の明るいものではなく、大いに陰を含んだものだった。


「……やっぱり、華琳さんも海蓮さんも袁紹さんと共に戦うんですね……(ゆえ)ちゃん達を倒す為に。」


 予想していたとはいえ、現実を知った桃香は大きく落ち込んでいる。両者の事情は解る。そもそも自分達も彼女達と同じ決断をしているのだから、文句を言う資格は無い。

 それでも、もし両者が、せめてどちらかが董卓に味方する、と言っていたら、桃香も涼の決断を翻意に出来たかも知れないと思わずにはいられなかった。自分勝手で他人任せなのも理解しつつ、そう思っていた。

 そんな桃香の思いを知ってか知らずかは判らないが、趙雲(ちょううん)こと(せい)が口を開いた。


「まあ、それは我々も同じですがな。」

「星!」


 星は事実を口にしただけである。その彼女を咎める様に真名(まな)で呼んだ関羽(かんう)こと愛紗(あいしゃ)もまた、当然ながら現状は正しく把握している。把握はしているが、義姉(あね)の事を思うとそれを口に出来なかった。


「良いんだよ、愛紗ちゃん。本当の事だもの。」

「桃香様……。」


 桃香は自身を気遣う義妹(いもうと)を優しく見つめ、星の言動を不問にした。それを受けて、星は静かに拝礼する。


「それに、今一番辛いのはその決断を下した涼義兄(にい)さんだよ。」


 そう言って、誰も座っていない椅子に目をやる桃香。星も愛紗も、この場に居る他の者も皆、同じ様に見つめる。

 やがて、愛紗は桃香を見ながら訊ねた。


「……義兄上(あにうえ)はまだ部屋に?」

「うん……さっき夕食だよって呼んだんだけど、要らない、って……。」

「やれやれ、主殿(あるじどの)も仕方ない御仁ですな。」

「……星。」

「愛紗よ、だってそうであろう? 主殿には小蓮(しゃおれん)殿という婚約者が居るというのに、その主殿ときたら他の女性の事で頭を悩ませているではないか。」


 小蓮とは海蓮の末の娘、孫尚香(そん・しょうこう)の事であり、政略結婚によって今は徐州に滞在している。尤も、まだ正式に結婚はしていない。

 確かに、客観的に見たら涼はひどい奴かも知れない。一応、涼の事をフォローするならば、今の彼には月に対する恋愛感情は無い。そもそも、いくら楽天的な性格とはいえ、二股三股どうしよう? 別に良いんじゃない? 等と考える様な性格ではないのだが。


「星、言い方が人聞き悪いわよ。」

「ふむ……地香(ちか)は主殿に興味はないか。ならば代わりに私が主殿に迫ってみるとしようか。少しは元気になられるやもしれぬのでな。」

「誰もそんな事言ってないでしょ!?」


 星のからかい口調に過剰な反応をする地香。からかっていると分かっていてもこんな反応をしてしまうのは、彼女の性格や他の理由によるものだろう。

 そんな二人を微笑ましくも苦笑しつつ見ながら、桃香はふとした事に気づく。


「そう言えば、その小蓮ちゃんは?」


 年下ながらも将来の義姉になるかも知れない少女を、顔を動かして探すが、この部屋には居ないのか姿が見えない。どこに居るのかと思い始めた桃香に対し、朱里が言葉を紡ぐ。


「孫軍からの手紙に小蓮ちゃん宛の手紙もあったので、今頃それを読んでいらっしゃる筈です。さっき部屋に戻るとおっしゃってましたから。」


 その説明を受けた桃香は納得した。孫軍、つまり孫家は小蓮の実家である。家族や友人からの手紙も来るだろう。だから今はゆっくりさせようと彼女は思い、意識をこれからの事に切り替えた。

 この辺りは桃香の、ひいては徐州軍の甘さと言える。いくら同盟関係にあるとはいえ、義兄の婚約者の実家とはいえ、こうしたプライベートの手紙を調べもしないのは危機感がないと言わざるをえない。

 もっとも、これが徐州軍の良いところでもあるのだが。






 自室で一人、母や姉たちの手紙を読んでいる少女が居る。


「……みんな、元気にしてるみたい。良かった。」


 その少女は手紙を読む度に、嬉しそうに呟く。


「それにしても母様ったら……早く孫を見せろって気が早いわよ。」


 時には母親の無茶振りに苦笑し、


「……今はそんな雰囲気じゃないよ。分かってるでしょ。」


時には真面目な表情で反論する。


「まあ、だからこそ敢えて書いたのかもね。シャオを元気づける為に。」


 そう言って手紙を抱き締め、感謝を述べる。


「ありがと。シャオは元気になったよ。……だから。」


 次いで瞑目し、手紙を引き出しに仕舞いながら言った。


「次は私が涼を元気にさせる番ね!」


 その少女、シャオこと小蓮は内心と違って元気よく決意をすると、部屋を出て目的地へ向かって走り出した。






「涼ー、起きてるー?」

「寝てる。」


 小蓮が扉をノックしながら声をかけると、そんな答えが返ってきた。


「起きてるじゃない。……入るよ。」


 苦笑と共に呆れつつ、小蓮は扉を開けた。鍵はかかっていなかった。

 部屋に入った小蓮の視界に入ってきたのは、薄暗い室内と盛り上がった布団がある寝台。カーテンは閉めたままだし、間もなく夜だというのに燭台に灯りも点けていない。ひょっとしたら、「あの決断」をした時からずっとこうなのだろうか。


「いつまでそうしてるの。」


 小蓮は寝台に向かって声をかけた。返事は無い。


「涼がそうやってても、何も変わらないよ。」


 冷静に、かつ冷酷な言葉を投げつける。僅かに布団が揺れた。


「そうやって嫌な事から逃げて、何かが変わるなら誰も苦労しないよ。」


 尤もな事を述べる十代前半の少女である。その少女の耳には、布団から何か聞こえた様な気がした。

 少し間を空け、次の言葉を紡ぐ為に唇を湿らせる。


「今の涼はカッコワルイ。何かを変えられるのに、変えようとしない。“天の御遣(みつか)い”が聞いて呆れるよ。」

「俺は元々、そんな大層な人間じゃない。」


 小蓮が放った偽らざる言葉に反応したのか、布団は大きく動き、中に居た人物の姿が現れる。


「いつの間にかこの世界に来て、なんやかんやで“天の御遣い”に祭り上げられた、ただの男だ。」


 そう言いきった人物--清宮涼(きよみや・りょう)は瞳を潤ませていた。

 それを見た小蓮は今すぐ抱きしめたくなった。だが、利き手をグッと握りしめながら心に、自分に言い聞かせ、言うべきと思っている事を告げる。


「けど、涼は“天の御遣い”だよ。」

「だから、俺はっ。」

「涼がどう思ってるかは関係ないの! みんなが涼を“天の御遣い”と思ったら、涼が違うと言っても涼は“天の御遣い”なんだから!」

「……っ!」


 小蓮の瞳も涼と同じ様に潤んでいた。涼はそんな小蓮を見つめる事しかできないでいる。

 袁紹が董卓を「悪逆非道」を決めつけた様に、人々は涼を「天の御遣い」と認識している。どちらも、本人の意思とは関係なく、勝手にそう言っている。


「母様や姉様がシャオに涼のお嫁さんになれって言ったのは、その風評があるからだよ。そうじゃなかったら、涼が普通の人だったらシャオとの縁談は無かったよ。」

「……まあ、そうだよなあ。」


 武に優れている訳でも、兵法に通じている訳でもない自分に娘を預けるなんて、普通はしないよなあ、と思いつつ、なら自分に何が出来るか考えた。

 情けない事だが、何も思いつかなかった。漢文は何となく読めるが、そんなものは日本人が日本語を読めるのと同じ様に、識字率の差はあるものの漢に住む人にとっては普通の事だ。

 武や兵法は、愛紗や雪里たちに鍛えられているので普通の人間と比べたらアドバンテージはあるだろう。だが、当然ながら愛紗や鈴々たちと打ち合ったら確実に負けるし、雪里たちとこの世界の将棋を指してもまず勝てない。そもそも勝とうだなんておこがましい事は考えた事も無い。

 涼が昔から読んできた三国志の英雄達と同じ名を持つ少女達は、その名に恥じない実力を持っている。そんな彼女達と張り合おうなんて、まず考えない。ゲームとかで関羽や張飛(ちょうひ)を動かして呂布(りょふ)と戦うなんて事は何度もやったが、自分が関羽たちの様に戦えるとは思ってない。そんな事が出来たらマンガだ。

 他にも、政治や計算などいろんな事で秀でているものがないか考えてみた。やっぱり無かった。ただの学生だった自分に政治の事が、それも三国志の時代の政治が分かる筈もなく。計算も基本的な事は出来るが、電卓やスマホなどの機械に頼ってきたので秀でているとは言い難く。要するに、涼は自分でも理解している様に普通の人間なのである。

 そんな普通の人間でも人々が望む以上、自分は「天の御遣い」だと小蓮は言う。涼は今更だが、何とも脆く儚い立場だと思う。


「……シャオは俺が何をするべきだと思うんだ?」


 涼は困惑した瞳のまま訊ねる。


「そんなの、シャオには分からないよ。」

「おいおい。」


 だが、返ってきた言葉は思わず力が抜けるものであり、反射的に涼はツッコミをいれていた。

 そんな涼を見た小蓮は僅かに笑み、すぐに表情を戻して言葉を紡ぎ始めた。


「けど、一つだけ言いたい事はあるよ。」


 なんだ? と涼が訊ねる。小蓮の瞳はもう潤んでいなかった。


「涼が後悔しない様に生きてほしい。」


 それは婚約者としての、いや、一人の少女としての小蓮が涼に望む、嘘偽らざる事だった。


「何度も言うけど、涼は“天の御遣い”なんだよ。今までその名の許に沢山の人が集まってきて、涼の為に戦ってきた。だから今、涼はこの地位に居るんだよ。」


 小蓮は最近この徐州に来た。なので過去の事は伝聞でしか知らない筈だ。

 それでも、涼が桃香たちに信頼されている事は理解していた。短い期間に見知った事を整理し、到った答えは、涼が涼だからこそ今の徐州軍が形作られたのだろうという事。

 だからこそ、涼が涼でなければ徐州軍は変質し、やがて壊れてしまう。徐州の州牧は桃香だが、その桃香も涼が涼だからこそ安心して州牧をやっていると小蓮は判断した。

 涼が涼らしく、後悔しないでいられれば、徐州は安泰だろう。何より、涼が苦しむ姿は誰も見たくないだろう。小蓮もそうだ。

 そう思ったからこそ、小蓮は言葉を紡ぎ続ける。時々胸がチクリと痛んでも。


「そんな涼が、どう生きたいかを示したら、きっとみんな力を貸してくれるよ。」

「けど、そしたら皆に迷惑が……。」

「……涼、今まで何回戦ったの?」

「え? それは黄巾党(こうきんとう)征伐の頃からだから……数えきれないよ。」

「じゃあ、今まで一人も死なせずにここまで来た?」

「それは……。」


 当然ながら、一人も死なせずになんて無理だ。義勇軍立ち上げの頃から戦ってきた将兵も、何人かは戦死した。参加して一日で死んだ者も多い。それが戦争だから。


「だったら、涼が無茶を言ったって今更な事だよ。」

「けど、今回は今までとは……!」


 事情が違う、と涼は言おうとした。だが、その言葉は発する事が出来なかった。

 いつまでも煮えきらない態度の涼に、流石の小蓮もしびれをきらしたのである。


「ほんっとうに涼らしくない! もっといつもの涼みたいに前向きにいけないの!」

「そう言われても……。」

「……助けたいんでしょ。董卓を。」

「…………。」


 急に元の表情に戻った小蓮が確認する様に訊ねるが、涼は俯いて何も答えない。だが、沈黙は肯定を意味すると昔から決まっている。

 俯いたままの涼を見ながら、小蓮は思ったままの言葉を紡いでいく。


「シャオは董卓と会った事がないから、どんな人なのかは知らないよ。でもね、涼や桃香たちの反応を見てたら分かるよ。きっと良い人なんだろうなって。」


 史実の董卓とは全く違う、優しい性格の、この世界の董卓こと月。

 小蓮も会ったらきっと仲良く出来るんじゃないかなと思いつつ、涼はその小蓮の言葉を聞き続けるしか出来ないでいる。


「だから辛いんでしょ。そうじゃなかったらこんなに苦しまないだろうから。」


 小蓮の言葉に、涼は僅かに頷いた。それを見た小蓮は一瞬表情を変え、また戻してから涼の手を自身の両手で包み、同じ目線になって言った。


「……だったら助けようよ。それがきっと一番なんだよ。」

「そう言ったって……董卓軍に味方する訳にはいかないし……かといって、このままだとシャオの言う通りキツいし……。」


 どうしろって言うんだよ、と小さく苦しく呻く様に呟く。

 その苦しそうな表情と声を見聞きした小蓮の胸に、今日一番の痛みが。


「ねえ涼。涼の前には今誰が居る?」

「誰って……。」


 涼は当然ながらシャオが居る、と答えた。

 それを聞いた小蓮は、頷きながら次の言葉を紡ぐ。


「じゃあ、この徐州の城には誰が居る?」

「それは…………っ!」


 答えを言おうとして涼は気づいた。小蓮が何を言いたいのかを。

 いろいろあるだろうが、要は一人で悩むな、という事だと涼は認識した。

 確かに決断して以来、涼は苦しんでいた。何でこんな決断をしたんだ、けどこうしないと徐州の人々が、などと何度も何度も悩みながら、同時に何か月たちを助ける手は無いか考えていた。

 だが、ちょっとだけ兵法を知っている普通の高校生がそう簡単に妙案を出せる筈も無く、一人でただ悶々と時間を浪費してきただけだった。そんな事では、いつまで経っても妙案は出てこないだろう。


「……朱里たちに頼ってみろ、って事か。」

「そっ♪」


 涼が出した答えに満足したのか、小蓮は満面の笑みを見せた。

 確かに、一人より二人、二人より三人で考えれば上手くいくかも知れない。「三人よれば文殊の知恵」ということわざもある。しかも、この徐州には今、諸葛亮、鳳統(ほうとう)、徐庶、程昱(ていいく)といった名軍師たちが揃っている。彼女達に助けを求めれば、何か良い考えが返ってくるかも知れない。

 でも、と涼は思う。もし彼女達にも良い考えが出せなかったら、本当に終わりじゃないかと。心の中でそう思っていたからこそ、今まで彼女達に相談しようとしなかったのではないかと。

 だが、今はもうその選択肢を思いついてしまった。思いついた以上、その選択肢を無視する事は出来ない。無視して他の選択肢を選んで、最悪の結果になった場合、後悔の度合いはより大きいだろう。


「それなら、やってみる価値はある、か。」


 やらずに後悔するより、やって後悔する。涼はその選択肢を選ぶ事にした。例え無駄だったとしても、ひょっとしたら万に一つの可能性を手にする事が出来るかも知れない。どんな結果も、行動しなければやってこない。そんな当たり前の事に涼は気づかなかった。それだけショックだったのだろう。


「ありがとうシャオ。俺、もう少しあがいてみるよ。」

「うん。そうやって頑張ってる方がシャオの旦那さんらしくて良いよ。」

「未来の、ね。あはは……。」


 苦笑しつつも、涼は小蓮に感謝しつつ部屋を出て目的の場所へと走っていった。

 そんな涼の後ろ姿を見ながら、小蓮は呟く。


「……これで良かったんだよね。」


 心なしか、その声は震えていた。


「例え、これで涼が“好きな人”を助けられて、シャオの事を見なくなっても。」


 先程、涼に見せた笑顔と同じ表情をしながら。


「涼が喜んでくれるなら、きっとこれで、良かったんだよね……。」


 主が居なくなった部屋で一人、小蓮は静かに言い聞かせる様に呟いていった。






「朱里、雛里(ひなり)、雪里、(ふう)、居るか!?」


 涼は目的の場所、軍師用の詰め所に来ると勢い良く扉を開け、四人の軍師を真名で呼んだ。

 その四人は確かにその場所に居た。ただし、着替え中だったらしく皆“下着姿”だった。汗でもかいたのだろうか。


「!?」

「ふぇ!?」

「……清宮殿、部屋に入る際は“のっく”をするのが天の国の礼儀なのではないのですか?」

「まあ、お兄さんも男の人ですから仕方ないですね~。」


 驚いて涙目だったり、ジト目を向けたりと三者三様ならぬ四者四様の反応を見せる軍師達。共通しているのは皆、腕や持っていた衣服で体を隠している事か。

 また、軍師たち同様、突然の事に思考も行動も停止していた涼は、しばらくその光景に魅入ってしまっていた。まあ、年頃の少年なら半裸の少女に目を奪われても仕方がないだろう。


「あ……ご、ごめん。」

「謝る前に早く出ていって扉を閉めてください。」


 冷静且つ冷たく言い放った雪里の迫力に負けた涼は、言われた通りにして廊下へと戻った。

 しばらくして朱里たちの着替えが終わり、涼が呼ばれたのたが、涼を含めた全員が頬を朱に染めていたのも、年頃の少年少女だから仕方がないだろう。

 そんな事があったので、涼は勿論、朱里たちからもなかなか話を切り出せなかった。が、その空気を変えたのはこの中で一番の新入りにあたる風だった。


「それで、お兄さんは風たちの着替えを覗きに来たのですか?」

「違うよ!?」


 良いものが見れたとちょっとは思ったが、勿論それを口にはしなかった。

 もし言ったら、どんな反応をされるだろうか。考えただけで涼は心の中で震えた。

 涼は、風たちにここに来た理由を説明をした。自分がこれからしたい事を、それが果たして実現可能な事なのか、等をハッキリと伝えた。

 話を聞いた四人の軍師は、皆一様に難しい表情をしている。当然だろう、それ程難しい事なのだから。

 しばらくの間、部屋を静寂が包み、最初に言葉を紡いだのはまたも風だった。


「……なるほど、つまりお兄さんは風たちだけでなく、董卓さん達の下着姿も覗きたいという訳ですねえ~。」

「だから違うよ!?」


 お笑いの専門用語で「天丼」というやり取りをしている風と涼。何か大切な話をする筈だったのだが、何だかそんな空気は作られそうもない。

 そんな二人のやり取りを見ていた雪里は、苦笑と共にふうと息を吐くと言葉を紡ぎ始めた。


「風の怒りは取り敢えず置いておいて、清宮殿。」


 しっかりと涼の顔を見据え、尋ねる。


「ご自身が何を仰っているのか、きちんとご理解なさっていての発言ですよね?」


 それは大切な、必要な確認。

 それをしなければこれから先の献策など無意味な、涼にとっても軍師達にとっても大事な確認をした。


「ああ。俺が言っている事は、下手したら徐州の人々を巻き込むかも知れないって事は、重々承知しているよ。」

「……そうでしたか。それならば、私からは何も申し上げる事はありません。」


 迷い無く、ハッキリとした涼の答えに満足した雪里は、瞑目しつつ内心で安堵し、同時に大変な事になるかも知れないと困っていた。

 そんな雪里の心中を察した軍師の一人、雛里もまた涼に尋ねた。


「……清宮様にとって、董卓さん達はご自身の名誉や命をかけてでも守りたい人達なのですか?」


 それは雛里にとって当然の疑問だった。

 雛里が朱里と共に涼や桃香の麾下(きか)に入ったのは、十常侍(じゅうじょうじ)誅殺(ちゅうさつ)の功績によって桃香が徐州牧に任ぜられた後である。よって、当然ながら董卓こと月たちがどんな人物かは知らない。自分が知らない人物を助けようとしている主の姿が正しいかどうか、不安になるのも当然であった。

 だが、そんな不安を抱いているとは判らない涼は、あっけらかんと自身の考えを述べる。


「うーん……元々、名誉とかはどうでも良いしなあ。勿論、死にたくはないけど。」

「ふぇえっ!? 名誉、要らないんでしゅか? あう……。」


 それは雛里にとって全く予想外な事であり、思わず噛んでしまった。

 普通の武将、文官であれば、(いくさ)(まつりごと)での活躍によって得られる名誉を誰よりも重んじるだろう。または、その名誉によって得られるものの為に名誉を守りたいと思う筈である。

 だが、涼はそんな世界ではなく現代で生きてきた少年なので、余り名誉を気にする事はなかった。これがもう少し社会経験がある大人であったら、こうはいかなかったかも知れない。

 そんな涼に対して雛里だけでなく朱里と風も同じ様に驚いているが、義勇軍旗揚げ時から行動を共にしてきた雪里だけは冷静な反応を示していた。


「雛里、清宮殿はこういう方よ。早く慣れた方が良いわ。」

「う、うん……。」


 雪里に言われてもまだ戸惑いを隠せない雛里。慣れるにはしばらく掛かりそうである。


「そんな訳で、月たちを助ける方法を考えてほしいんだ。……無茶を言っているのは解っている。けどそれでも、俺は諦めたくない。諦めたらきっと、一生後悔すると思うから。」


 もしそうなったら、まだ若い涼にとっては長く辛い人生になるだろう。今でさえ、沢山の兵の最期を見てきたのだ。普通の学生だった涼にとってとてつもなく苦しい事の筈だ。

 だからこそ、その数を少しでも減らす為に雪蓮(しぇれん)たちと同盟を結んだりしてきた。今回の事も、涼にとっては同じ事なのだろう。

 朱里はそんな決意を瞳に宿した涼を見据え、真面目なトーンで訊ねる。


「清宮様。諦めなかったからといっても、望む結果を得られるとは限りません。それでも尚、危険を承知でその道を進むおつもりですか?」

「確かに、朱里の言う通りだと思う。けどさっきも言った様に、俺は諦めたくない。後悔したくないんだ。」


 後になって、「あの時こうすれば助けられたのかも」なんて思ったら、悔やんでも悔やみきれないからと思いながら涼はハッキリと答えた。

 その答えに納得したのか、朱里は瞑目してから改めて涼を見据え、やはり真面目なトーンで、だが今度は柔らかさを含んだ声で言った。


「分かりました。それでは微力ながらお力になりましょう。」


 朱里のその言葉に涼は心からの感謝を述べた。雪里たちもそれぞれ苦笑したり嘆息したりしながらも、朱里と同じ様に協力する事を誓った。そんな彼女達にも涼は心からの感謝を述べるのだった。

 そうして涼が感謝し終えると、朱里は改めて問いかけてきた。


「まず、助けたい人数は董卓さんを含めて何人でしょうか?」

「理想は董卓軍全員だけど……それは絶対に無理なのは分かってる。だから、月……董卓と近しい武将や軍師を何人か助けたい。……最悪でも、董卓と(えい)……賈駆(かく)だけは助けたい。」


 全員を助けたいという気持ちはあるが、それは現実的に不可能な事を涼はよく解っている。だから、せめて二人だけでも助けたいと正直に話した。


「それなら、まだ可能性は出てきます。董卓軍全軍とか仰られなくて良かったです。」


 朱里の言葉に頷く雪里たち。もし涼がそう言っていたら彼女達も流石に匙を投げたのだろうか。


「とは言え、それでも可能性は低いと言わざるをえません。私達は董卓軍と連絡をとれませんから。」


 現代なら携帯電話などで連絡はとれるが、ここは後漢末に似た世界。西暦でいうと紀元百九十年辺りの世界には当然ながら携帯電話は無く、連絡手段は手紙などである。そしてそれすらも今回は使えない。


「清宮様のお望みを叶える為には、董卓軍と一切連絡をとらずにいて、助けるべき人物を戦いで自軍はもちろん諸侯軍も殺さず、数多く集まるであろう諸侯より先にその人物と接触し、そこから説得して仲間にし、尚且つ諸侯の誰にも気づかれずにここ徐州まで連れてくる、という手順を踏む必要があります。」

「……改めて聞くと、難易度高いなあ。」


 朱里が述べた「勝利条件」を達成する事がいかに難しいかを理解する涼。もともと解っていた筈だが改めて突きつけられると思わず天を仰ぐ。

 そんな涼に対し、クールな口調で雪里が言う。


「それが嫌なら、董卓軍の中心人物を助けるという無茶な事は諦めるべきですね。」

「ご忠告ありがとう、雪里。けど諦める事はしないって決めたんだ。」


 ついさっきまで(ふさ)ぎ込んでいたとは思えないほど、涼はハッキリと答える。だが、その様子を見た雪里の口の端が僅かに上がった事には気づかなかった。


「やれやれー、どうやら風は大変な主に仕えた様ですー。」

「まったくだぜ。」

「風も宝譿(ほうけい)も済まないと思ってるよ。けど、今回はどうか我慢してくれ。この借りはちゃんと返すから。」


 風と宝譿に申し訳ないと思いつつも、これからの事に風の、いや二人の力が必要と思っている涼は改めて協力を申し出る。

 風と宝譿は、仕方ないですねえ、といった感じの表情と声音を返した。

 そんなやり取りを見ていた雛里は、まだ若干の戸惑いを抱きつつも涼の願いを叶える為に考え、考えを述べ始めた。


「……問題点はさっき朱里ちゃんが挙げた通りですが、特に難点なのは連絡出来ない事ですね。董卓軍はこちらの意図を知らない訳ですから、遠慮なく攻撃してきます。同様に、私たちも董卓軍に遠慮する事は出来ません。」

「内通を疑われるからだね。」

「はい。更に言えば、清宮様の真意を知る者は徐州軍の中でも限られた人だけ、特に信用出来る人だけでなければなりません。」

「そういった意味では、風たちはお兄さんに信用されているのでしょうねー。旗揚げの頃から居る雪里ちゃんはともかく、入ったばかりの風たちにもこうして話してくれるのですから。」


 雛里、そして風がそう言うと、涼もまた微笑みながら言った。


「そりゃ信用してるさ。一緒に居る時間に差はあるけど、みんな大切な仲間なんだから。」


 あまりにも普通に、かつサラリと紡がれた言葉を聞いた一同は呆気にとられ、暫しの間沈黙した。だがそれは空気が重くなったからではなく、どこか生暖かい雰囲気によるものだった。

 誰かがコホンと咳払いをした。見ると雪里だった。心なしか頬に紅が差している様に見えるが、涼の位置からは灯りの関係でよく分からなかった。


「そのお気持ちは嬉しいですが、だからといって全員に真意を打ち明ける訳にはいきませんよ。お解りですね?」

「解ってるって。……で、打ち明けるメンバー……つまりは人員だけど、桃香たちは当然として、他は誰が良いかな?」


 雪里の念押しに苦笑しつつ答えた涼は、瞬時に真面目な表情になって訊ねた。それに対し、雪里もまた瞬時に答える。


「はい。昔から徐州軍に居る、もしくは居た人。即ち、羽稀(うき)陳珪(ちんけい))殿や山茶花(さざんか)糜竺(びじく))殿などが候補になりますね。何せ、これから清宮殿がやろうとしているのは下手をすれば徐州の人々への裏切りに繋がりますから。」

「裏切り……。」


 その言葉を反芻するかの様に呟き、瞑目する涼。

 その通りだと理解はしていた。だが、いざ耳にすると、口にすると体が震える。

 これを直感的に理解していたからこそ、今まで誰にも相談出来なかったのだろうと、今ようやく理解する。

 そして、それを理解した上で涼は行動していくと決めた。


「……そうならない様に慎重に動かないとね。まずは打ち明ける人員を決めよう。」

「はい。」


 そうして、涼と軍師達はメンバーを決めていった。

 結果的に言えば、涼たちは先の二人に加えて椿(つばき)糜芳(びほう))や霧雨(きりゅう)孫乾(そんかん))などを選んだ。また、遠征の留守居は陶謙(とうけん)たちに任せる事と、彼等には真意を伝えない事も同時に決まった。


「陶謙さん達に内緒ってのも心苦しいけど。」

「彼等からすれば私達は所詮、余所者です。いくら勅命(ちょくめい)で州牧の地位を譲ったとはいえ、敵との内通を疑われる事をすると知られれば、彼等に州牧の地位を取り戻す大義名分を与えてしまいます。」


 雪里の言に他の軍師三人も大きく頷く。

 陶謙自身は勅命以前から州牧を辞めて跡継ぎを誰にするか模索していたのだが、勅命が無ければ恐らく陶謙の子供の中から新しい州牧を選んでいただろう。例え自分の意とは違っていても。

 その為、もし涼たちが州牧に相応しくないと親・陶謙派が判断すれば、とっくの昔に反乱が起きていただろう。今の平穏は、帝の勅命によって桃香が州牧になったという事実があるからだ。これを無視する事は帝に弓引く事と同義であり、漢王朝の忠臣である陶謙は勿論、その臣下もそんな事は出来ない。

 此度の戦いの大義名分は「悪逆董卓から帝を助け出す」である。その大義名分の許に連合に参加する涼たちが、実は董卓と繋がっているかも知れないと疑われる様な動きを見せる事は出来ない。よって、陶謙たちには知らせる事が出来ないのだ。


「月殿たちを本当に助けたいならば、心苦しくてもここは我慢してください。」


 雪里にそう言われては頷くしか出来ない涼であった。


「けど、羽稀さん達には伝えるんだよね? 彼女達から陶謙さん達に伝わる事は無いの?」


 涼は疑問であり不安を口にした。

 既に触れた様に、羽稀たちは元々徐州軍に居た。いろいろあって皆一度は離れていたりしたが、桃香が州牧になって徐州軍が再編される過程で再び加入したという経緯がある。

 つまり、彼女達はまだ陶謙への忠誠心が残っている可能性がある。少なくとも慕ってはいるだろう。

 そんな彼女達が涼の真意を知ればどうするか、という懸念を涼は持っていた。

 それに対しても、雪里はすぐに答えた。


「全く無いとは言えませんが、まず大丈夫でしょう。」

「どうして?」

「理由は二つ。一つは、彼女達は今の徐州軍の一員という事。ここで陶謙殿に密告すれば、間違いなく徐州は二つに割れます。そうなると無用の血が流れます。兵にも、民にも。昔からの徐州軍人であり、桃香殿の治世によって発展した徐州を見てきた彼女達がそれを望むとは考えにくい。」

「なるほど。あと一つは?」


 雪里の説明に納得しつつ、涼は先を促す。


「先程述べた事と似ていますが、清宮殿や桃香殿の人となりを知っている彼女達はこう考える筈です。“あのお二人がそうまでして助けたいのならば、董卓は悪い人間ではないのでは?”と。」

「そう考えるとどうなるの?」

「人間という生き物は、自分が正しいと思う事には迷いなく行動出来ます。“悪逆董卓を討つ”なんていう分かりやすい正義に対しては特に。」


 確かに、「正義の味方」なんて称号や名誉で呼ばれる者は気分が良いし動き易いだろう。少なくとも「悪の味方」と呼ばれるよりは。


「ですが、“董卓は実は良い人で、倒すのは間違っているのでは?”と一度認識すれば、その分かりやすい正義を行えなくなります。そう認識した時点で、“分かりやすい正義”は“分かりやすい悪”に変わるからです。」

「そっか、みんな悪人より善人でいたいもんな。」

「はい。例えば史記に名がある趙高(ちょうこう)は悪人とされていますし、その通りなのですが、恐らく本人はそんな認識はしていなかったでしょう。“秦の為、自分の為に自分のやっている事は正しい”と思っていたのではないでしょうか。これは(いん)紂王(ちゅうおう)なども同じだったと推察されます。」


 趙高は秦王朝の宦官(かんがん)であり、始皇帝の遺言を捏造して彼の嫡男である扶蘇(ふそ)を自害せしめ、自身が傅役(もりやく)を務めた始皇帝の末子である胡亥(こがい)を二世皇帝とした一人。これが秦王朝の崩壊の序曲となったが、肝心の趙高、そして胡亥はそれに全く気づかず、どちらも愚かな最期を迎えた。

 紂王は殷(商)の最後の王であり、帝辛(ていしん)とも言う。最初は賢王として名をはせていたものの、妲己(だっき)という愛妾を得た頃、もしくはその前から暴君になり、人心が離れていった。その後、殷打倒を掲げた姫発(きはつ)(武王)とその側近である呂尚(りょしょう)(太公望)率いる周軍によって殷は滅んだ。


「そして、そう認識したら陶謙殿に密告など出来なくなります。もし密告すれば、“陶謙殿を悪に引きずり込んでしまう”危険性が生じるからです。陶謙殿への忠誠心が残っているなら尚更。」

「忠誠心がこちらに移っているならそもそも心配する必要は無い、か。」

「その通りです。」


 そう言って恭しく頭を下げる雪里。涼はその彼女を見、次いで他の三人に目をやる。

 三人は皆その視線に気づいた。その中の風が口を開く。


「風はここに来て日が浅いですが、風も雪里ちゃんと同意見ですね~。」


 常ののんびりとした口調であったが、その端々には真面目なトーンが含まれており、それは軍師達は勿論、涼にも分かる程だった。


「それに加えてですが、人間は誰しも自分がかわいいのです。他人は二の次です。忠誠心というのは言い換えれば思い込みに過ぎません。ですから、陶謙さんへの密告は無いでしょう。下手をすれば、“お前も同じ意見だったのではないか?”と思われかねません。」

「なるほど。けど、陶謙さんじゃなくて袁紹たちに密告される危険性はないのかな?」


 涼のその懸念は尤もだった。先に雪里が「徐州への裏切りになりかねない」と言ったが、それはつまり反董卓連合軍への裏切りにもなりかねないからだ。いや、そもそも董卓を排除しようとしている袁紹からすれば明らかな裏切り行為であり、更に言えば先日交戦した相手でもあるので裏切りというより最初から敵だとも言えるだろう。

 袁紹の勢力は諸侯の中で最大であり、影響力も馬鹿にできない。そんな袁紹を恐れた徐州軍の中から袁紹、または他の連合軍諸侯に密告される危険性はないのだろうかというのが涼の懸念である。

 だが、それに対して風はやはりのんびりとした口調ながらも、真面目なトーンを含んだ声でさらりと答えた。


「他の諸侯にはともかく、袁紹さんに密告しようとする無謀な人は居ないでしょうね~。」

「何でそう言い切れるんだ?」

「だって、“あの”袁紹さんですよ?」


 その答えを聞いた涼は勿論、軍師達も何故か納得してしまっていた。

 袁紹は確かに名門袁家の当主である。三公を何度も輩出し、後漢王朝の歴史に名を残している袁家の当主である。

 だが、その袁紹自身はまだ三公ではないし、何よりその難儀な性格によって人気は無かった。

 彼女の周りに居るのは、心から主と思い仕えている変わり者か、その権力や財力に引き寄せられている愚か者ばかりで、何とか袁家をもり立てようとしている良識人は残念ながら少数派だ。

 そんな中に自ら飛び込む人間が居るだろうか。居ないとは言えないが、なかなかのチャレンジャーと言える。そもそも、仮に密告して涼たちを排除したとしても、その功を袁紹が認めるかどうか。何しろ、徐州軍と袁紹軍はつい先日交戦したのだから。

 風は袁紹と会った事は無いが、彼女についての情報は得ている。涼たちからも聞いている。そうした理由から、袁紹への密告は無いと判断した。

 他の諸侯への密告の危険性は無くはないが、その諸侯だけでどうこうできる案件では無いし、最終的には袁紹なり袁術なりに伝えなくてはならなくなり、厄介事になりかねない。諸侯からしたらそんな事はしたくないだろう。

 よって、風たちは危険性は残るが無視して良いと結論づけた。

 その説明を聞いた涼は思った事をそのまま言った。


「それって、賭けじゃないかな。」

「お兄さん、そもそも今回の事は成功率が低いのです。その成功率を少しでも上げるには賭けも必要なのですよ。」


 風がそう言うと、涼は確認する様に他の軍師達にも目を向けた。どの軍師も頷いた。

 軍師達によると、今から涼がする事は風が言う様に成功率が低い。よってある程度は賭けになるが、それも仕方ないと思って行動しなくては成功に繋がらないというのである。

 それに気づいた涼は納得し、話を進めていった。

 そうして話を続け、終わったのは現代で言えば日付が替わる直前だった。この世界では夜更かしどころではない深夜である。

 こんな時間に起きてるのは見張り以外では夜盗か、伽の最中の恋人たちくらいであろう。涼たちはそんな関係ではないのでそのまま部屋に戻り、就寝となったが。






 翌日、涼は朝議の前に軍師たちを伴って桃香が居る州牧執務室に向かい、そこに愛紗、鈴々(りんりん)、地香、星を呼び出すと、昨夜決めた事を告げた。

 桃香たちは涼が元気になった事を喜んだが、彼が話す内容を聞いていく内に神妙な顔になっていった。

 そんな時にまず口を開くのは大体決まって愛紗であり、やはり今回もそうだった。


「義兄上、月殿を助けたいお気持ちは解りますし私達も同じ気持ちです。ですが、失敗すれば徐州と民を失う事になります。それはお解りなのですか?」


 前日の雪里たちと同じ様な確認をする愛紗。涼はもちろん同じ様に答え、それを聞いた愛紗は納得した様な、誇らしい様な表情を浮かべて頷いた。また、桃香たちも愛紗と同じく頷いていた。

 はっきり言って、涼の判断や思いは施政者としては間違っているだろう。地位や命を危険に晒し、治めるべき領民をも巻き込みかねないのだから。

 だが、長く涼と共に過ごし、その性格を知り抜いている桃香たちからすれば、ここで月たちを見捨てるという判断をくだしていたら、その判断が施政者としては正しいと解っていても涼を見損なっていたかも知れない。

 涼との付き合いが短い星でさえ涼のこの判断を好ましく思っているのだが、彼女は何故そう思ったのか。それは星自身にしか分からないが、ひょっとしたらそういった人物を主君として求めていたのかも知れない。勿論、正確に言えば徐州の施政者は涼ではなく桃香であり、それも星は解っているが。

 そうして一同が同じ気持ちになった事に涼が気づいているかどうかは判らないが、そんな桃香たちを見据えながら涼は言葉を紡いだ。


「それに関係してシャオについてなんだけど……しばらく揚州に戻した方が良いかなって思うんだが、どうかな?」


 だが、その言には桃香たちも同じ気持ちにはなれなかった。驚いたり同意したり、はたまた意味を解っていなかったりと様々だった。

 涼はそんな桃香たちを見ながら説明をする。


「知っての通り徐州は揚州と、個人単位で言えば俺と孫家は同盟を結んでいる。同盟に関しては華琳とも結んでいるけど、孫家と華琳とでは大きく違う事がある。」

「主殿と婚約しているかどうか、ですな。」


 星がからかう様な表情で答えた。一部の者が様々な反応をし、それを星は面白そうに見る。


「星の言う通りだ。現に今、ここ徐州には孫家の末娘のシャオが来ている。表向きは婚約したから、って事だけど、そこには恐らく“人質”の意味も含まれていると思う。」

「義兄上の仰る通りかと。同盟は場合によっては簡単に崩れ去るものですから。」


 涼の言葉に愛紗が同意、補足する。

 日本にしろ世界にしろ、最初から最後まで続いた同盟、または主従関係は多くない。例えば、反秦を掲げて共に戦った項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)は秦滅亡後に対立し、楚漢戦争(そかん・せんそう)に繋がった。その楚漢戦争中も項羽陣営だった韓信(かんしん)英布(えいふ)陳平(ちんぺい)などが劉邦陣営に鞍替えしている。

 日本においても、関ヶ原合戦では徳川方(東軍)だった大野治長(おおの・はるなが)が大坂の陣では豊臣方(大坂方)だったり、黒田長政(くろだ・ながまさ)の家臣だった後藤又兵衛(ごとう・またべえ)(後藤基次(ごとう・もとつぐ))が大坂の陣では黒田家と戦うなどしている。

 忠臣だらけのイメージがある徳川家康(とくがわ・いえやす)の家臣団でさえ、本多正信(ほんだ・まさのぶ)石川数正(いしかわ・かずまさ)の様に家康から離れた者も多い。尤も、家康の場合は一度敵にまわった者でも許し、家臣に戻すという例も多い。先に上げた正信や、渡辺守綱(わたなべ・もりつな)などが該当する。

 最後まで同盟・主従関係が続いたのは、その家康が織田信長(おだ・のぶなが)と結んでいた清洲同盟、古代中国で言えば劉邦と張良(ちょうりょう)などが有名だろう。


「雪蓮たちとの同盟は、別に人質なんて無くても続けるつもりなんだけどね。」

「義兄上はそう仰られても、孫家は違うかも知れませんし、仮に孫家も同じであっても揚州軍全体もそうとは限りませんから。」


 同盟とは、利害が一致していなければ成り立たない。片方だけの条件が良かったらそもそも成り立たないし、無理に成立しても早期に破綻するのは必然。

 徐揚同盟が成立しているのは、隣り合う州で争わないで済む事が双方に先ず有り、揚州側には「天の御遣い」の威光を得られる事も有る。

 徐州側には余り旨味が無い様に見えなくもないが、徐州の位置関係からすれば四方のどこかと友好関係を結んでいるだけでも充分だ。それはこの同盟が「青州遠征」によって出来たという成立過程を見れば明らかである。敵を増やさず味方を増やす。それも施政者に必要な事だ。

 では、何故揚州側が「人質」を寄越しているのか。理由はいくつかあるが、その一つは孫家が「山越(さんえつ)」と争っているからだ。少なくとも山越と決着がつくまでは敵を増やしたくないだろう。尤も、そんな理由より単純に「涼を気に入っているから」という理由も大きいかも知れない。

 涼は男である。そして孫家には女しか居ない。ならば女をあてがえば籠絡出来るかも知れない、と考えた可能性もある。

 だが、孫家の後継者である孫策(そんさく)こと雪蓮は立場上嫁に出る事が難しく、次女の孫権(そんけん)こと蓮華(れんふぁ)はその雪蓮に何かあった時には代わりに後継者になると考えられる。よって、消去法で末妹の小蓮が選ばれたのであろう、というのが徐州軍の見解であり、恐らくそれは正しいだろう。

 ならば、もし小蓮に万一の事があったらこの同盟がどうなるかは想像に難くない。

 いくら三姉妹全員と婚約しているとはいえ、前述の理由により姉二人とは今すぐ結婚出来ない。それに、大切な妹や娘を喪ったら孫家が今まで通り接してくるとは思えない。

 それらの危険を回避する為にも、これから大戦(おおいくさ)に向かう涼たちと小蓮を同行させる訳にはいかないし、徐州に留守番させるのも万一を考えると避けたい。よって、こちらも消去法で「揚州に一時的に帰す」という選択肢が選ばれる。

 涼はそうした理由を述べ、仲間の意見を聞いた。同盟の維持と小蓮の安全、両方を考えればそうするのが一番であり、皆も頷いた。

 だが、一人だけこれに賛同しない者が居た。


「シャオの居ない所で勝手にシャオの事を決めないでよ、涼!」


 ほかでもない小蓮本人が真っ向から反対したのである。






「シャオ!? いつの間に入ってきたの!?」

「そんな事はどうでも良いの! それより、シャオを置いて行くってどういう事!?」


 突然の乱入者に驚き戸惑う涼。だがそんな彼の心情を無視して小蓮は言葉を矢継ぎ早に紡いでいく。


「シャオだって戦えるわ! そりゃ、愛紗たちみたいにはいかないけど、雑魚くらいなら倒せると思うし、戦い以外でも何か手伝える事がある筈よ!」


 涼は小蓮の言葉を聞きながら、「そりゃまあ、シャオは弓腰姫(きゅうようき)と呼ばれた孫夫人と同じ名前だし、ある程度は強いんだろうなあ」等と考えていた。まだ混乱している様だ。


「小蓮殿、義兄上を困らせるものではない。貴女が義兄上の婚約者だと言うのであれば尚更です。」

「愛紗は黙ってて!」


 涼を助けようとした愛紗であったが、小蓮の迫力に圧されて二の句が継げなかった。既に弓腰姫の片鱗を見せているかの様である。

 小蓮は涼に向き直ると、今度は幼い子を諭す様に穏やかな口調で話し始めた。


「涼がシャオの事、同盟の事を考えてそう決めようとしているのは理解してる。けどね、もし本当にシャオを揚州に戻したら、却って同盟関係は危うくなるからね。」

「ど、どういう事?」


 ようやく落ち着いてきた涼が聞き返す。愛紗たちも同じだったらしく、静かに二人の会話を見守っている。


「揚州は豪族の集まりなの。それも結構めんどうなくらいの実力主義かつ縁故主義で、それでいていつ他の豪族に足を引っ張られるか分からない。」


 一度息を継いで、小蓮は続ける。


「その中でも特に影響力が強いのは、“呉の四姓”と呼ばれる人達。(りく)()(しゅ)(ちょう)の四つの一族。涼は(のん)とは会った事あるわよね? 穏もこの四姓の一族の一人よ。」


 穏とは陸遜(りくそん)の真名であり、涼は同盟締結時に会っている。穏は揚州人には珍しく? 肌が白く、揚州人らしく? 胸が大きい軍師だ。

 小蓮の説明を聞いている涼は、「ああ、陸康(りくこう)の件とかいろいろあったし、呉の四姓に関しては優秀な人材も多かったけど面倒な事も沢山あったよなあ」なんて思っていた。陸康とは陸遜の従祖父(じゅうそふ)であり、史実では孫策といろいろあった人物だ。この世界ではどうなのだろうか。


「母様が揚州をまとめられたのは、母様自身の実力ももちろんだけど、呉の四姓の協力を得られたのが大きいの。だから母様は彼等を重用してるし、それは姉様たちも同じ。もちろんシャオもね。」


 小蓮の口調から、彼女達が呉の四姓をめんどくさいと思いつつも信頼している事がうかがえる。 

 ちなみに呉の四姓とは、孫呉の四姓という意味ではなく、「揚州呉郡の四姓」という意味だ。この揚州呉郡は優秀な人材を多く輩出しており、陸遜の他にも、孫呉の二代目丞相(じょうしょう)となった顧雍(こよう)、寡兵で曹魏(そうぎ)曹仁(そうじん)を撃退した朱桓(しゅかん)孫登(そんとう)(孫権の長男)の教育係や蜀漢への使者を務めた張温(ちょうおん)など名だたる人物が出ており、孫呉を支えていった。

 涼は小蓮の話を聞きながら自分達が徐州に来てからの事を思いだし、呟いた。


「確かに、地元の人達の協力なくして領土運営は難しいよな。」

「その通りです。ちなみに徐州だと糜家や陳家などが呉の四姓に該当すると思われます。」


 愛紗がそう言うと、桃香たちも頷いた。余所者である涼たちは徐州に来てから細心の注意を払って豪族達と接してきた。

 「天の御遣い」や「漢王朝の縁戚」というネームバリューもあったとはいえ、地元の豪族達の協力を得られなかったら今頃どうなっていたか。少なくとも、青州に救援に行くという余裕は無かっただろう。


「涼たちも豪族達の苦労を経験しているなら分かるでしょ? 孫家は豪族に弱味を見せる訳にいかないの。もし見せたら内乱になってもおかしくないんだから。」

「? シャオを孫家に一時的とはいえ戻したら、それは孫家の弱味になるのか?」

「とーぜんでしょ! 例え実際には“孫家の姫の安全の為”、って理由でも、それを“徐州と関係が悪化した為に送り返された”、なんて曲解して批難するバカも出てくるかも知れないわ!」

「な、なるほど。なら、そんな豪族の目的はそれを口実に孫家の影響力を下げる、もしくは……。」

「孫家を追放、または滅ぼして実権を奪うのが目的でしょうか。」


 涼の言葉を補完したのは朱里だった。見れば、他の軍師達も頷いていた。

 朱里は続ける。


「小蓮ちゃんの言葉通りだとすると、揚州は一枚岩ではありません。ならば徐揚同盟に反感を持っている豪族も当然居るでしょう。その理由は単に同盟に反対している、同盟による孫家の影響力の増大を懸念、などいろいろ考えられますが、いずれにしても危うい状況になりかねないと推測できます。」

「海蓮さんや雪蓮たちが居ても、やっぱり?」

「恐らくは。勿論、もし孫家が豪族と戦闘する事になっても、まず負けはしないでしょう。ですが、戦では何が起こるか分かりません。裏切り、事故、他所からの介入といった不慮の事態が起こりえます。そうなると、例え孫家が勝っても被害は甚大ですし、その結果揚州を維持出来るか分かりません。」


 そうなったら、確かにとても同盟どころではないかも知れない。孫家を保護する事も考えられるが、それはつまり揚州の火種をそっくりそのまま抱えるという事でもある。涼の心情的にはそうしたくても、徐州の事を考えると難しいだろう。只でさえ月たちを助けようとしているのだから。


「だから、シャオを揚州に戻しちゃダメなの。分かった?」

「分かったけど、それならここで留守番をするってのは……。」

「シャオの安全を考えて揚州に返そうとしたのに、留守番させちゃ本末転倒でしょ?」

「おっしゃる通りです、はい。」


 涼は苦笑しつつそう答えた。小蓮はどこか満足そうにその言葉を聞いた。

 結局、小蓮も反董卓連合遠征のメンバーに入れる事になった。戦に巻き込む危険はあるが、目の届かない所に居られるよりも近くに居た方が守る事が出来ると判断した結果だった。

 小蓮は「戦える」と言ったものの、部隊戦闘の訓練をしていない、確認もしていない状況で前線に出す訳にいかないので、基本的には本陣、つまり涼の側に居る様に厳命した。尤も、言われるまでもないといった感じだったが。

 そんなどこか満足げな小蓮を見ながら、涼は思った事を口にする。


「ところでシャオ。」

「なーに?」

「そんなに揚州の内情を言ってしまって、後で海蓮さん達に怒られない?」

「あ。」


 どうしよー! と叫ぶ小蓮であった。






 (ぎょう)。袁紹が治める領土に在る都市の一つであり、春秋時代に斉の桓公(かんこう)が城塞都市を建設したのが始まりとされる歴史ある街である。

 その鄴で今、袁紹は顔良(がんりょう)こと斗詩(とし)文醜(ぶんしゅう)こと猪々子(いいしぇ)と共に反董卓連合に向けての支度をしていた。

 具体的には袁紹が不在時に留守居の部下達にやってもらう仕事を考えているのだが、基本的に斗詩が考え、それを袁紹が承認していく、という流れになっている。猪々子は何しに来ているんだ。一応荷物運びとかはやっている様である。

 そんな中、袁紹は心から意外という口調で言葉を紡いだ。


「それにしても、あの董卓さんが陛下を意のままに操っているだなんて……今でも信じられませんわ。」


 斗詩と猪々子は暫し仕事の手を休め、斗詩は袁紹に確認するかの様に話し掛ける。


「あれ、麗羽様って董卓さんの事そんなに知ってましたっけ?」

「董卓さんが黄巾党征伐の報奨で陛下から前将軍に任命されました際に、私も報奨も戴く為にその場に居ましたし、十常侍誅殺の後始末でも一緒でしたから、短い間でしたけど共に仕事をしましたわ。」


 だからそれなりに董卓さんの事は知っていますわ、と袁紹は続けた。斗詩は更に質問をした。


「そういえば麗羽様、董卓さんを相国(そうこく)に推挙されたのも陛下なのですか?」


 「相国」という、漢王朝にとって不可侵ともいうべき重要な役職に就いた董卓に対し、斗詩は多少なりとも興味を持っていた。本当に悪い事をしているかはともかく、相国に就いた経緯は知りたいと思った。例えこれから戦う相手だとしても。

 なので、特に深い考えがあった訳では無い。だが、返ってきた答えは彼女が思っていた事には無かったものだった。


「いえ、確か……張譲(ちょうじょう)でしたわね。」


 それを聞いた斗詩は絶句し、暫し動けなかった。一方、斗詩と共に居た猪々子はといえば、斗詩が何故そうなっているかを理解出来ていないのか、ボケーッとして彼女を見ている。

 暫く後、頭の中が再起動した斗詩は何度か唾を飲み込みながら呼吸を整え、主君に聞き返した。


「ちょ、張譲!? あの十常侍のですか!?」

「ええ。その張譲ですわ。」

「……誰だっけ?」


 猪々子の呟きにも困惑する斗詩であったが、今はそれよりも先に確認しなければならない事が出来たので後回しにする事にした。


「姫、張譲は生死不明だったのでは!? いえ、そもそも張譲は討伐対象だった筈です!」


 斗詩が叫ぶ様にそう言うと、漸く猪々子は張譲が誰かを思い出したらしく、「ああ、十常侍の逃げた奴かあ」と呟いていた。


「斗詩さんが困惑するのも無理ありませんわね。私も陛下から話を聞いた時は耳を疑いましたもの。」


 そう言ってふう、と溜息を吐いた袁紹は彼女が聞いたという話をし始めた。

 それによると、張譲は密かに皇帝である劉弁(りゅうべん)の許を訪れ、土下座してかつての非礼を詫びると共に隠し持っていた財産を全て宮中に納め、それをもって助命嘆願を申し出たという。ちなみに、張譲が行方をくらます前に置いていった家財は既に全て宮中が差し押さえていた。

 幼いとはいえ、劉弁は兄弟もろとも命の危険にさらされた経緯もあり、当初は問答無用で斬首に処すつもりであったらしい。当然と言えば当然である。


「何でそれで張譲は助かったんです?」

「なんでも、その場に居た董卓さんが許しても良いのではと言ったそうですわ。」


 何故だ? と訊く劉弁に対し董卓は次の様に答えたという。


『十常侍は既に無く、今回差し出した財産も既に差し押さえていたものと併せて莫大なものになる。取り巻きも居ない。そんな人間がこれから何が出来るか。何も出来ません。』


 それを聞いた劉弁はそれもそうかと思い、張譲を許したという。

 ちなみにこれらは袁紹たちが十常侍の残党を倒しにいっていた間、時期としては桃香たちが荊州で三顧の礼をしていた頃の話である。


「それからの張譲は人が変わったかの様によく働いたそうですわ。私も一度会いましたが、確かにかつての陰鬱として、いかにも悪巧みしてますって表情ではなかったですわね。」

「……で、そうして真面目に働いていた張譲が董卓さんを相国に推挙した、と。」

「そうなりますわね。」

「張譲は董卓に命を救われたから、その礼ってやつなのかな?」

「かも知れませんわね。」


 袁紹と猪々子はそう結論付けると仕事を再開した。

 だが、斗詩は一人困惑しており、とても仕事を再開するどころではなかった。


(話が出来すぎてる……? いくら董卓さんがお人好しでも、陛下に刃を向けた人間を助け、しかも宮中で自由にさせるかな……。)


 その考えは尤もである。斗詩は董卓の事をよく知らないが、彼女とて黄巾党征伐などを経験してきた武将である。何をすべきで何をしてはいけないか、という常識を持ち合わせていない訳が無い。だからこそ董卓の行動に納得出来ない。


(そもそも、相国はお礼に推挙する様な軽いものじゃないし……。)


 既に触れた通り、相国は漢王朝にとって特別な意味を持つ官職である。それをかつての権力者が推挙したからといって陛下が承認するものだろうか。陛下がまだ幼いという事を加味しても不可解であった。


(董卓さんと張譲が裏で繋がっているって事は考えられるけど、あの人の良さそうな董卓さんがそんな事をするとは……いや、でも現に……。)


 斗詩は一人考え悩むが、証拠がない事もあって結局明確な答えは出なかった。

 なお、袁紹が張譲の事を二人に言ってなかったのは、単に言っていると勘違いしていたからであった。






「……月、今報告が来たわ。」


 洛陽(らくよう)のどこか、相国となった董卓こと月と、その補佐を務める賈駆こと詠の為に用意された屋敷の一室に、二人は居た。

 何かの報せを伝えに来た詠の表情は明るくなく、むしろ暗い。良い報せで無いという事を、月は理解した。

 詠もまた、上司であり親友である彼女がその事に気づいている事に気づいた。出来るなら知らせたくないと思うが、彼女の為、自分の為に意を決す。


「ボク達を倒す為の連合軍が組まれたそうよ、差し詰め、“反董卓連合”とでも言うのかしらね。」

「詠ちゃん……。」


 まるで呆れているかの様な口調で告げた詠の名を、月は寂しげな瞳を向けつつ呟く。

 月は自分の今の立場を身分不相応と思っている。そしてそれは間違いではないが、かといって全くの無能という訳でもない。もし無能だったらいくら詠でもこの場には居ないかも知れない。……居るかも知れない。

 自分に出来る範囲で動き、黄巾党討伐などの実績がある月は、詠が知らせた事の重大さを当然ながら理解している。

 だからこそ、彼女は詠に報告の続きを促す。


「詠ちゃん、連合にどんな人達が参加してるか、分かるかな?」

「……ええ。読むわね。」


 詠は月の心情を理解し、同時に沈痛な思いになりながらもそれを表情に出さず、ただ月の言う通りにした。手にしていた紙を広げ、常より少し声を凛々しくしてそこに書かれている名前を読み上げていく。


「袁紹、袁術(えんじゅつ)馬謄(ばとう)孔融(こうゆう)公孫賛(こうそんさん)劉表(りゅうひょう)劉焉(りゅうえん)………………孫堅、曹操、そして……劉備・清宮。」

「……っ! …………そう……なんだね…………良かった。」

「月……?」

「だって……これで皆さんは私と違って逆賊として殺されなくて済むから……ね。」

「月……っ!」


 詠はそこで初めて表情を崩した。我慢していた涙が止めどなく流れ落ち、自分の無力さとこの世の理不尽さを呪った。

 一体、月が何をしたというのだ。彼女はいつも自分より他人の為に動いてきたではないか。その彼女が何故、こんなにも苦しい立場にいて、こんなにも悲しげな表情をしなければならないのか。

 詠は床に膝をついた。手にしていた紙はぐしゃぐしゃになっている。床には涙が点々と落ちている。このままではその点が大きくなるのも時間の問題だろう。

 月は詠の、親友の姿を見てやはり自分の無力さを呪った。だが彼女は、この世を呪う事はしなかった。こんな状況になっても、彼女はいつも通りの少女で居続けている。だからこそ詠は苦しんで、悲しんでいるのだ。そしてそれも、月は理解していた。

 月は詠の肩に手を置き、小さく息を飲むとそのままの姿勢で言葉を紡いだ。


「……詠ちゃん、後の事はお願い。私は陛下の許に行ってくるね。」

「……うん。」


 詠の短くもハッキリとした返事を聞いた月は、心の中で謝りながら部屋を出ていった。

 一人になった詠は声をあげて泣いた。反董卓連合。その様なものが出来てしまった以上、董卓の名声は地に落ちたも同然となった。

 例えこの連合を倒したとしても、連合が帝を助ける為に結成されたという名目の為、「帝を意のままに操り続ける悪逆・董卓」という印象は拭えない。第二、第三の反董卓連合が組まれるかも知れないし、刺客を放って月の命を狙う者も出続けるだろう。連合に負ければもちろん、死しか待っていない。


「何で月がこんな目に遭わないといけないの……そうよ、あいつ等が来たから。……あいつ等の所為で……あいつ等の所為で月は……!」

「お呼びですか? 賈文和(か・ぶんわ)。」


 誰も居なかった筈の場所から聞こえてきた男性の声。その声を聞いた詠はそれまで以上に怒りを露にし、声の主を睨み付けながらその男性の名前を口にした。


于吉(うきつ)……!」

「そう恐い顔をしないでくれませんか。私は貴方達の味方ですよ?」

「どうだか。少なくともボクにはそう思えないけど?」

「残念ですねえ。私は貴方や董卓さんが幸せになれるお手伝いをしているだけですよ?」

「その結果がこれって訳?」


 詠は怒気をはらみながら、反董卓連合に名を連ねた諸侯の名前が列挙されている紙を、于吉に見せる様にヒラヒラと揺らした。だが、于吉はそれを一瞥するだけで特に反応はしない。


「ええ。この漢に於ける有力諸侯が一同に会する機会が来るのです。これは董卓さんにとって大きな機会だとは思いませんか?」

「大きな機会?」


 この男は一体何を言っているのだろうと、詠は思った。いや、正しくは「理解は出来るがしたくない」と言うべきかも知れない。彼女はそれだけ優秀なのだから。

 だからこそ、容赦なく言い放つ于吉の言葉に過剰に反応してしまう。


「ええ。有力諸侯を滅ぼし、この漢の皇帝になる機会ですよ。」

「な……っ!?」


 月ーー董卓が皇帝になる。それは凄い事ではあるが、月本人は絶対に望まない事だと詠は分かっている。そしてまた、于吉の言う事が実現可能だという事も。


「ここで四世三公の袁家を始めとした諸侯を滅ぼせば、後に残るのは力を失った漢王朝のみ。しかも現皇帝は幼く、政を行う事は事実上不可能。ならば……。」


 そこで于吉は一度言葉を切り、ジッと詠を見据えた。苦手な動物にでも見られている様な錯覚を詠は覚えた。


「相国となった董卓が皇帝になり、新たな王朝を建国する事が出来る! どうです? 貴方の大切な董卓さんが皇帝になれるんですよ?」

「そ……それは簒奪(さんだつ)じゃない!」

「そうですが何か?」

「そんな事、出来る訳ないじゃない!」


 簒奪。要は時の権力者を追放、もしくは弑する事でその座に座る事。成功はしなかったが、日本史で言えば本能寺の変が近いかも知れないし解り易いかも知れない。

 それを月が望まない事だと詠は知っている。だからこそ彼女は于吉の言を否定し拒絶したが、当の于吉はあっけらかんと、それでいて極めて冷徹に表情と声音を変えていく。


「これは可笑しな事を言うものですねえ。この国の歴史は簒奪によって作られているではありませんか。()に代わって天下を治めた子履(しり)も、殷に代わって天下を治めた姫発も、前の施政者を追放、または殺害して新たな施政者となっていますよ? これも立派な簒奪と言えるのでは?」

「そ、それは、本来国を治めるべき一族が徳を無くしたから、天が新たな施政者を選んでいるのよ。」

易姓革命(えきせいかくめい)、ですか。残念ながら私は、孟子について貴方と論戦する気は今のところありませんね。」


 そんな論戦は私の趣味ではない、とばかりに于吉は言いきった。詠はそんな于吉に対して次は何を言うべきか思案している。そんな彼女を見据えながら、于吉は言葉を並べていく。


「ですが、仮に孟子の言う通りなら、これからの戦いに勝利すればそのまま皇帝になる資格があると言う事になりますね。」

「そ、それは屁理屈よ!」

「そうでしょうかねえ。そもそも、この漢も成り立ちは()羋心(びしん)を葬った項羽を討った劉邦が皇帝になったから。その後、王莽(おうもう)の簒奪によって前漢が滅び(しん)が起った……ああ、これが一応、この国初めての簒奪でしたね。」


 尤も、その新はあっという間に滅ぶ事になる。


「その新も劉秀(りゅうしゅう)によって滅ぼされ、今の後漢に繋がる……と。こうしてこの国の歴史を見ても、結局は力のある者が簒奪してきたと言えるのではありませんかねえ。」


 不適な笑みを浮かべながら于吉はそう言い、次いで詠を見据えた。詠は何も言い返せなかった。聡明な彼女は解っているのだ。天が新たな施政者を選ぶなどと言い方を変えているだけで、結局は于吉の言う様に力ある者が天下を獲ってきたという事を。

 でも、詠はそれを認める訳にいかなかった。認めてしまえば、月が簒奪しても良いと、それは正しい事だと思ってしまう。もしそうなってしまえば、詠は月の心を裏切る事になると彼女は理解している。

 月は地位や名誉などを望んでいない。ただ、周りの人達が幸せになってほしいと、その為なら自分は頑張れると思い、ここまでやってきたのだ。決して、皇帝になろうとは思っていないのだ。

 だからこそ詠は悩んでいた。于吉が言っている事は認められない。だが、反董卓連合が組まれた以上、戦うしか道は無く、しかも負ける事は許されない。だが、想定数十万の兵を相手に勝てる確率は限りなく低い。董卓軍も数十万の兵を動員できるが、士気や質、将の実力と数を考えれば絶望的といえるだろう。

 そう考える詠を見据え、そして友好的な笑みを浮かべた于吉が、やはり友好的な声音で提案をする。


「そうそう。もし気になる事があるなら計画を少し変更しましょう。」

「変更……?」


 一体何を言うつもりだと、詠は身構えた。だが、それは結局無駄に終わる事になった。


「何、些細な事です。諸侯を滅ぼす際に“清宮涼だけは命を助ける”事にするのです。これなら、董卓さんも安心でしょう?」

「っ!?」


 于吉の提案に詠は心を揺さぶられた。

 月の懸案事項の一つは、紛れもなく清宮涼の事である。

 かつて共に戦い、真名を預けた男性。身内以外では唯一の真名を預けた男性である涼を、月は好ましく思っている。そしてそれに詠は気づいている。


「……そんな事をしても、月は喜ばないわ。きっと、清宮も。」

「そうですかねえ。……まあ、どうするかは貴方達で決めると良いでしょう。私はそのお手伝いをするだけですから。」


 于吉の言葉に詠は何も言わず、于吉もまた詠の言葉など待たず、部屋を出ていった。詠は于吉が居なくなったのを確認すると、大きく息を吐き、次いで頭を押さえて何度も首を振ったのだった。






 コツ、コツと足音が廊下に響く。夜だからか、場所が場所だからか、近くには誰も居ない。

 こんな時、普通は思わず鼻歌でも歌いそうになるかも知れないが、于吉にそんな趣味嗜好はなく、ただ静かに歩いていた。

 尤も、頭の中ではこれからの事を考えていて静かではなかったが。

 そんな于吉に声を掛ける者が居た。于吉と同じ様なデザインの導師服を着た短髪の男性である。


「相変わらず、えげつない事をするのだな、貴様は。」

「誉め言葉として受け取っておきますよ、左慈(さじ)。」


 音も無く後ろから現れたその男性を、于吉は左慈と呼んだ。顔だけ左慈に向けている于吉は心なしか嬉しそうに見えるが、当の左慈は何だか嫌そうな表情である。

 于吉はそんな左慈に向き直ると、自身の考えを述べていった。


「人の心、特に恋心というものは強く、そして脆いものです。それを利用しない手はありません。」

「理屈は分かるがな。」

「おや、ひょっとして左慈はあの二人に同情しているのですか?」

「寝言は寝て言え。何故俺が“人形”ごときに同情せねばならんのだ。」


 人形。それは詠たちの事だろうか。何故そんな風に言ってるかは解らないが、だとしたら酷い言い種だ。だが、左慈はその言を当然の様に言い放ち、罪悪感などはまったく無い様に見える。

 左慈は続けて、先程の于吉の問いに答えた。


「俺はただ、こういったまどろっこしいやり方が気に入らんだけだ。」

「成程。ですが左慈、今の私達はそう贅沢を言えません。」


 于吉は珍しく表情を暗くしている。左慈はというと常の仏頂面ではあるが、若干変化している様にも見える。


「“北郷一刀(ほんごう・かずと)”が外史に現れて以降、私達の仕事は一気に増えました。」

「ああ。いくつかの外史は潰したが、それより多くの外史が生まれ、俺達の望まぬ結末をいくつも迎えている。」


 「北郷一刀」に「外史」。聞き慣れない言葉を口にする二人。前者は恐らく日本人の名前だろうが、その様な人物は少なくとも日本史の中には出てこない。


「本来の私達の仕事も、あまりにも外史が増えすぎた為に人手不足ですからね。最近ではご老体たちも自ら出ていったりしてるとか。」

「ふっ、運動不足解消には良いのではないか。」


 左慈は良い気味だと言わんばかりの表情を浮かべながら言ったが、于吉はそれに同調せず、却って険しい表情を浮かべて口を開く。


「それだけ逼迫しているのですよ。……私たち“管理者”は。」


 その一言に、左慈もまた険しい表情になる。暫しの沈黙の後、于吉を見ながら尋ねた。


「……貴様も能力は戻ってないのか?」

「残念ながら。勿論ある程度は戻っていますが、初めて北郷一刀と戦った時の様には“傀儡”を出せませんね。」

「物量作戦は難しいか。ちっ……何故こんな事になっているのだ?」

「分かりません。分かっている事は、“能力に制限がある”事、“かつての様に人形達の心を操る事は出来ない”などですかね。」

「だからこそ、こんな回りくどいやり方をせねばならんのだがな。」

「ええ、お陰でかつての様に曹操を操ったりして戦わせるなどは出来ません。」

「俺も若干だが攻撃時の威力が落ちている。このままだと、五虎将(ごこしょう)などが相手の場合は苦戦するやも知れん。」

「幸いにもまだこの外史では、五虎将も揃っていませんし三国鼎立も起きていません。尤も、他の外史がそうである様にこの外史も展開がどうなるか分かりませんが。」

「いずれにしても、忌々しい事だな。」


 左慈はそう言うと踵を返し、今来た道を帰っていった。


「まったくです。」


 于吉はそんな左慈の後をついていき、そしていつの間にか二人とも居なくなっていた。

第二十一章「それぞれの決意」をお届けしました。


令和になって初めまして。久し振りの投稿になりました。

既に書き終えていたのですが、更新するのを忘れていたり体調が悪かったり疲れていたりで遅れました。本当に済みませんでした。


今回の話は、涼が立ち直って月達を助ける決意をするお話です。その過程でいろいろあった訳ですが、これらの伏線をきちんと活かせるのでしょうか。そもそもいつになるのか。

基本的な部分は入院していた2018年の1月に書いていたのですが、いろいろ確認したり話を追加したりしたらめっちゃ遅れたというのが今回の話。特に月と詠サイドの話は早めに出来たのですが、麗羽サイドの話は結構急に追加したので大変でした。ただ、どちらも無いとこれからに響くので頑張りました。あと、当初はシャオを連れていく予定では無かったのですが急遽連れていく事にしました。


そんなこんなで大変だった今回ですが、次回も結構大変でした。こっちも確認したら早めに更新します。今しばらくお待ちください。

ではでは。




2019年12月4日更新。

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