第二十章 苦しい決断
三国志演義に於ける、序盤の一大決戦、「反董卓連合」。
だがそれは、悪逆董卓が居るからこそ起きる事であり、この世界の心優しい董卓が居る限りは、そうした事は起きないと彼は思っていた。
だが、現実はそう優しくないのかも知れないと、彼は痛感している。
今まさに、その「反董卓連合」が結成されようとしているのだから。
2018年1月15日更新開始[ハーメルン]
2018年12月28日最終更新[小説家になろう]
涼たちは風と星の帰還を一日千秋の思いで待ち焦がれた。現代に生まれ育った涼は、この時ほど携帯電話やメールが使えない事をもどかしく思った事はなかったかも知れない。
やがて、二人は徐州へと戻ってきた。洛陽への旅立ちを見送ってから早くも一ヶ月近くが経過していた。
荷物を自室に置いてから、風と共に報告の為に州牧執務室にやってきた星は、並んで拝礼すると早速という様に口を開いた。
「大変な事になっていましたぞ、主殿。……その顔は、既に聞き及んでいるのですかな。」
開口一番に星がそう言った事で、事態はやはり深刻なのだという感じに涼たちは受け取った。
だが、続く風の言葉で彼等は混乱する事になる。
「洛陽はやっぱり凄いですね~。人も物も比べ物になりません。」
凄い? 洛陽は圧政によって雰囲気が沈んでいるんじゃないのか? と、思いつつも、涼たちは風たちの話を詳しく聞いていった。
「陛下への謁見の際、董卓殿と久々にお会いしたが、ほとんど面識の無かった我々の事も覚えておいででしたぞ。」
「今はお兄さん達と一緒に徐州で働いていると言ったら、驚いていましたねえ。」
風も星も、知り合いに久々に会った喜びを表情と声音に表していた。そこに嘘偽りは無い様に感じられる。これは一体どういう事なのだろうか。
涼たちは困惑しつつも、二人が不在の間に袁紹の使者が来た事を伝え、洛陽が董卓による圧政で悲惨な事になっていると聞いた事を説明した。が、自分達が見聞きした事と違い過ぎるらしく、二人も涼たちの様に困惑した。
「……圧政、ですか? そんな事が行われている風には見えませんでしたね~。」
「陛下への謁見後も洛陽にはしばらく居たが、街も人々も活気があって素晴らしかったな。」
風も星も、見たもの聞いたものをそのまま言っているのだという事は、涼たちも分かった。とはいえ、このままでは埒が空かないので、涼たちは袁紹からの手紙を二人に見せる事にした。
手紙を受け取った二人は真面目な表情になり、ジッと読んでいく。そんな二人を涼たちは固唾を飲んで見守っている。
やがて、手紙を読み終えた風が顔を上げる。手紙そのものは星に預けると、彼女自身の考えを述べ始めた。
「これを読む限りでは、確かに董卓さんは物凄い悪者に感じられますが、直接会った印象と都の活気はこれとは違いすぎます。……恐らく、この手紙は袁紹さんの私怨による言いがかりの様なものでしょう。」
風はそう憶測を述べた。
私怨。確かに、相国という重要な官職に就いたという董卓に対して嫉妬やなんやを向ける者が出るという事はあり得るだろう。特に袁紹は四代に渡って三公(司徒、司空、太尉)を輩出した名門、汝南袁氏である。
彼女は気ぐらいが高いが、それは彼女自身の生まれが、そうした優れた人物を沢山生み出してきたという歴史があるからである。勿論、袁紹自身も優れていると思ってはいる様だが。
袁紹もいずれは三公に、と自分の青写真を描いていただろう。実際に選ばれるかどうかはともかくとして、彼女の家柄を考えるとそう思っていたとしても不思議ではない。
ところが、である。そんな彼女の前に「相国」となった董卓が現れた。袁紹は驚き、焦り、怒っただろう。相国は三公より上の官職である。三公を目指していた彼女にとって、自分の遥か上をいく董卓の異例の出世は嫉妬の炎を燃やすのに充分だった筈だ。
その結果、この様な手紙を寄越してきたのだろうか。だとしたら袁紹に義は無く、涼たちが董卓と戦う必然性も無い。そう考えた桃香と涼は安堵の表情を浮かべた。
「じゃあ、袁紹さんへの返事は“一緒に戦わない”、で良いよね?」
「そうだな。」
二人は笑みを浮かべながらそう話し合う。それは、真名を預けあっている友人と戦わなくて済むと思ったからこその笑顔だった。
だが、そんな二人を常のジト目で見据えている風は、いたって冷静に、かつ呆れながら言葉を紡いだ。
「お二人とも何を言っているんですか。ここは“一緒に戦う”という返事をしておいてください。」
「え……。」
「ど、どうして!?」
あわてふためく桃香と涼。そんな主君と上司に対し、風はあくまで冷静に自身の考えを述べ始めた。
「考えてみてください。袁紹さんがこの手紙をうちだけに寄越していると思いますか? 話を聞くと、顔良さん達は他にも行く所がある、と言っていたのでしょう? ならばそこにもこれと同じ手紙を寄越していると考えるのが自然です。」
「で、でも、本当は違うかも知れないし、他の人も袁紹さんと一緒に戦うとは限らないと思うけど……。」
風の発言は理にかなっていた。この場に居る者の殆どが頷いている事から、風に同意する者は多いとみられる。そんな光景を見て青ざめた桃香は、それでも反論するかの様に意見を述べた。
だが、それに対して風はやはり冷静に言葉を紡いでいく。
「確かに、その可能性もあります。ですが、袁家はこの漢に於ける名門貴族にして大軍団。そんな袁家に対し、真っ正面から断れる人はそう居ません。この前の戦いで曹操軍が決戦に挑めたのは、徐州軍と孫軍が居たからだった筈です。」
「それは……。」
その通りだと、桃香は胸中で頷いた。
先の戦いは、徐州軍、孫軍、曹操軍の三つの勢力が同盟関係にあったからこそ成し得た戦いであり、勝利だった。大軍を擁する袁紹軍に対し、それぞれがバラバラに戦っていては勝てなかっただろう。
袁紹軍は兵の質は思ったより無いが、将の質と数は思ったより有ると言えなくない。そんな相手に先の戦いで勝てたのは、三つの軍が力を合わせて戦った事と、袁紹軍の重鎮が内部対立により参戦していなかった事、家臣の進言を袁紹が聞き入れなかった事などが重なったからである。
まともに戦っていては、今の徐州軍では袁紹軍にまず勝てない。勝てても甚大な被害を出すだろう。勿論それは、曹操軍も孫軍も同じと思われる。
「……もし、徐州が袁紹さんと共に戦わない、と返事をした場合、袁紹さんはまずこの徐州を攻めるでしょうね。」
「そんな! なんで!?」
「簡単な事です。共に戦わない、という事は董卓と通じている、と判断出来るからですよ~。」
「……中立、って判断はしてくれないのかな。」
「してくれないでしょうね~。この様な誘いの返事を保留する相手を中立だと楽観視する事は、まずあり得ません。特に袁紹軍にとって徐州軍は、つい最近戦ったばかりの相手です。そんな相手が返事を保留したとなれば……お兄さん、後はお分かりですね?」
現代で義務教育を受けてきて、様々な歴史小説や史実、果ては兵法書について学んできた涼は、風が言いたい事がよく分かった。いや、例えそんな勉強をしていなくても、この状況では風の考えを理解する事くらい容易だったかも知れない。
自分達がどう思っていようと、相手が敵と認定したら敵なのだ。兄の源頼朝を信頼していてた源義経が結局その兄に討たれた様に、豊臣家の為に働いていた石田三成が同じ豊臣恩顧の黒田長政たちによって命を落とした様に、一度もつれた糸はそう簡単にほどけない。袁紹が敵と認定したら、例え何の野心も無くても董卓は敵だし、旗を鮮明にしない徐州軍も敵になるのである。
「けど、私達は月ちゃんと戦う理由は無いのに……。」
「……ならば今回は、桃香様ご自身の意思で返事をしたためても構いません。」
風がそう言うと、桃香は一瞬明るい表情を見せた。だがそれは、風の次の言葉によって一変する。
「その代わり、徐州に住む人々が虐殺される覚悟をしてくださいね。」
「……っ‼」
その残酷な光景を想像してしまったのだろう、桃香はより一層表情を青ざめると、力なく床に両膝を着いてしまっていた。慌てて涼や愛紗たちが駆け寄るが、桃香の反応は鈍かった。そんな余裕は無いのだろう。
既に何度も触れているが、徐州は孫軍と曹操軍と同盟を結んでいる。もし、袁紹と戦う事になってもある程度は戦えるだろう。
だが、風の考えを聞く限り、今回の敵は袁紹だけではないかも知れない。袁紹の従妹である袁術はまず敵になるだろう。先の戦いでは袁紹軍の後方を撹乱してくれた公孫賛こと白蓮も、ひょっとしたら敵に回る可能性が無いとはいえない。
他にも、涼が知る、恐らくこの世界にも居るであろう英傑達も敵になる可能性が高い。そうなると、涼たちはこの漢の殆どを敵に回して戦う事になってしまうかも知れない。果たして、その様な状況になっても勝てるだろうか。
無理だ。戦いは基本的に兵数が多い方が勝つと兵法でも言っている。仮に徐州軍、孫軍、曹操軍、それに董卓軍を、ついでに公孫賛軍も加えて残り全部と戦ったとしよう。
なるほど、確かに武将は関羽、張飛、趙雲、甘寧、周泰、夏侯惇、夏侯淵、呂布、張遼、公孫範などの勇将・猛将が綺羅星の如く居るし、軍師も諸葛亮、鳳統、徐庶、程昱、周瑜、陸遜、呂蒙、荀彧、戯志才、賈駆、陳宮などと人材は揃っている。
だが兵数差が大きい以上、いつかは圧し潰される。いくら愛紗たちが一騎当千の強者とはいえ、長く戦えば疲れはするし武器も壊れる。動けなければ、武器が使えなければ、例え天下無双の呂布でさえ負けるだろう。
そうして一人、また一人と失っていき、最期は涼や桃香もやられてしまう。仮に勝てたとしても、沢山の兵が、そして将が失われるのは間違いない。そんな結末は、桃香も涼も望んでいない。
「……風、最後にいくつか確認しておきたい。」
「なんでしょうか~?」
涼はようやく立ち上がった桃香を横目に見ながら、風に質問をしていった。
「徐州軍が中立を選んだ場合、袁紹は必ず徐州を攻めると思うか?」
「思いますね~。」
「他の諸侯が袁紹と対立する可能性は低いか?」
「限りなく低いです。」
「……月と袁紹の戦いを止める手だては、何か無いのか?」
「……この手紙の内容からの想像でしかありませんが、恐らく既に袁紹さんは戦の準備をしているのでしょう。そして、その為の根回しの手紙を諸侯に送っている……。だとすれば残念ながら、止める事はできません。例えこれが言いがかりであっても、です。」
「…………そう、か。」
風の答えを聞いた涼は返す言葉を失い、力無く俯いた。
そもそも、確認するまでもなかったのかも知れない。恐らく、涼は解っていた筈だ。それでも風なら、正史では曹操軍の軍師として名を馳せた程昱ならば何とかしてくれるんじゃないかと、一縷の望みを託したかったのかも知れない。
だが、望みは断たれた。この場には他に、諸葛亮や鳳統も居る。が、恐らくは誰に訊いても同じ答えが返ってくるだろうとは容易に想像できる。それならば涼は、これ以上辛い思いをしたくなかった。
「涼義兄さん……。」
悔やむ様に、諦めたかの様に顔を上げる涼。それでも何かにすがる様に中空を見つめる涼は、しばらくの間なにも発しなかった。そんな彼が次に発する言葉を、桃香たちはじっと待ち続ける。
やがて、意を決したかの様に、でもとても苦しそうに俯くと、絞り出す様に言葉を紡いだ。勿論それは涼の本心とは違う言葉だった。
「…………朱里、全軍に通達。徐州軍は袁紹軍に合流する。」
「……御意です。」
長くも短くも感じられた沈黙の末、断腸の思いでくだした結論に対し、朱里は拝礼しつつ深々と頭を下げて応え、自身が今しなくてはいけない事をする為に退室していった。
こうして軍の方針が決まったので、他の者も出陣の為にそれぞれの仕事をしに動く。勿論、彼女達の心境も複雑なものだっただろう。
そうして残されたのは、一度命令をくだしてしまえばしばらくはする事がない、涼と桃香の二人だけだった。
涼は力無く椅子に座ると、そのまま机に突っ伏してしまった。その為に桃香は涼の表情を窺う事が出来なかったが、それで良かったのかも知れない。
(何で……何でこうなるんだよ……!? 月たちは何も悪い事をしていないのに戦を仕掛けられそうになっていて、そんな彼女達を俺達は助ける事が出来ないなんて……!)
今の涼は、何も出来ない自分の無力感に苛まれており、その為に怒りと悲しみに満ち溢れた、如何ともし難い表情になっていたからだ。
やがて、涼の感情は悲しみより怒りが増していった。その怒りは理不尽な事をする袁紹に対してであり、無力な自分自身に対してであった。
(何が“天の御遣い”だよ! 友達の一人二人も助けられないのに、こんな……!)
こんな意味の無い肩書きは要らないと、ぶつけようのない怒りを、思いを乗せ、力任せに机を叩いた。突然の大きな音に桃香は驚きつつ、義兄の怒りと悲しみを知った。
「涼、義兄さん……。」
桃香はそんな涼に何か言おうとした。が、今の自分にはかける言葉が見つからないと気づき、口を閉じた。
それと同時に思っていた。
ひょっとしたら義兄は、涼は、月の事を異性として大切に思っているのではないか、だからこんなに苦しんでいるのではないか、と。
「反董卓連合軍編」、そのプロローグです。
プロローグですが長いです。まだ現時点で続きが書けてません。正確には全部が書けてないだけなので、八割九割は書けてるんですが。
何はともあれ、やっと反董卓連合の話になりました。ここは青州編より長くなる予定です。
元々書いていた部分が無くなったり、矛盾が出てくる様になったのでいくつか書き直しもしないといけませんし、当初は徐州に来る予定が無かった小蓮の事もあるので、その部分もどうするか考え中です。ここまでお付き合いくださっている読者様には申し訳ないですが、今回も気長にお待ちください。
取り敢えず、年内に続きを少しアップ出来ればと思いますが、どうなる事か。小説を書き上げている作家さん達は本当に凄いです。
予定ではプロローグは次かその次で終わって反董卓連合軍の合流になると思います。そこから先はゲームと同じ事もあれば違う事もあります。一応、誰と誰がどんな風に戦うかは決まってますが。
そんな訳で、これからも宜しくお願いします。
2018年12月28日更新。