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真・恋姫†無双 ~天命之外史~  作者: 夢月葵
第五部・青州動乱編
22/30

第十七章 青州解放戦・中編

青州と兗州にて、二つの戦いが続いていた。

どの様な決着になるか。それによってどの様な運命が待ち受けているのか。


それは誰にも分からない。

そんな兗州にて、曹操と袁紹が激突しようとしていた。


2016年3月9日更新開始

2016年4月21日最終更新

 青州(せいしゅう)の激闘から、再び時は遡る。

 (りょう)曹操(そうそう)こと華琳(かりん)との会談を終えて帰路についていた頃、冀州(きしゅう)の主である麗羽(れいは)こと袁紹(えんしょう)は、十万の兵を率いて(ぎょう)を進発し徐州(じょしゅう)へと向かっていた。

 十万という大軍の為にその進軍速度は遅かったが、大将である袁紹は余り気にしてはいなかった。本来は気にするべきなのだが。

 今、袁紹軍が居るのは業より東南東に在る東武陽(とうぶよう)。徐州まではまだまだ先は長い。現代と違って輸送機などは無いので、大軍を動かすにはどうしても時間がかかる。

 その為、少しでも時間を短縮する為に徐州までの直線距離を進んでいた。山や川などが無ければ、確かにこれが一番速い行軍の仕方であろう。

 袁紹軍はこの時代の漢に於いて最大の兵力を持っていた。今回は十万という大軍を動かしているが、袁紹軍全体で言えばその数倍の兵力を有している。

 だが、袁紹軍はその将兵が特に強いという事では、実は無い。財力に物を言わせて兵を、武器を、兵糧を多く有しているだけである。(もっと)も、兵法においては敵より多くの兵を用意し、武器も優れた物を、兵糧(ひょうりょう)は切らしてはならない、と言うので、袁紹のやり方は決して間違ってはいない。

 また、兵の数が多いという事は、それなりに優れた者も居るという事でもある。

 袁家の二枚看板と言われる顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)は言うに及ばず、武官には張郃(ちょうこう)朱霊(しゅれい)審配(しんぱい)高覧(こうらん))などが、文官には許攸(きょゆう)陳琳(ちんりん)沮授(そじゅ)田豊(でんほう)などが居る。尤も、今回最後の二人は帯同していないが。

 その二枚看板、顔良と文醜は袁紹の本軍を守る様な位置で並んで行軍していた。


「ねえ、猪々子(いいしぇ)ちゃん。やっぱりこの戦いは止めた方が良いと思うんだよね。」

「それはあたいも同じだけどさ。……斗詩(とし)は麗羽様が今更軍を戻すと思うか?」

「思わないから困ってるんだよう。」


 猪々子こと文醜に斗詩と呼ばれた顔良は、涙目になりながらそう答える。これだけを見ると、とても二枚看板の一角には見えない。


「バカなあたいでも、アニキ達と戦うのがマズイってのは、流石に分かるぜ。麗羽様も、冷静に考えれば分かるはずなんだけどなあ……。」


 その冷静さが、今の袁紹には無いのだから困ったものだ、というのが二人の一致する意見であった。

 二人は知る由も無いが、この時代より二百年ほど昔の西洋の軍人、ユリウス・カエサルが言ったとされる「賽は投げられた」という言葉の意味と、今が似た状況だと知ったら、果たしてどんな反応を示すだろうか。

 だが、本当なら二人が主張する様に戻るべきである。カエサルはルビコン川を渡って成功したが、今回の場合、成功する確率はカエサルのそれより低いと思われた。

 兵数十万という数は決して少なくはなく、むしろ多いのだが、徐州軍も兵を増強しているという情報は既知の事である。しかも袁紹軍は遠征軍だが、徐州軍は本拠地という地の利がある。そう考えると十万という数が少なく見えてしまうのも、事実だった。

 大義名分の無さも問題だった。いくら「黄巾党(こうきんとう)を引き入れるかも知れない」という理由を作っても、その黄巾党を攻め滅ぼそうとしているのが現時点での事実であり、大義名分としては弱い。只でさえ「漢王室の縁者」やら「天の御使(みつか)い」という民心を掴む人物が居るのだから、ちょっとやそっとの理由では話にならないのである。


「何をぶつくさ言っていますの。袁家の二枚看板がそんな暗い顔では士気に係わりますわ。もっとしゃんとなさいなさい。」


 馬上、ではなく馬車の中からそう言ったのは他ならぬ袁紹である。短距離の行軍なら袁紹自ら馬に乗っているが、今回の様に長距離の行軍では馬車を使う事が多い。

 何故なら、馬車の中ならば突然の降雨も苦にしないし、寒さもしのげるからである。あと、自分で馬を操縦する必要も無い。彼女は袁家の代表である為、もちろん馬術も出来るのだが、立場がある者はそうした事をしなくても良いという考えがあるので、こうした行動に出ている。


「あの(むしろ)売りの小娘が帰ってくるまでに徐州を攻め落とすのですから、貴女たちには期待してますのよ。」


 期待されて嬉しくない訳はないが、今回は事情が事情なだけに、二人は複雑な表情をもって応えるしかなかった。

 そんな感じで数日が過ぎた。

 袁紹軍は、東武陽から東南に位置する(はん)という場所まで来ている。

 やはり徐州まではまだまだ距離がある。一度どこかで大休止をとるべきだと、袁紹の家臣は皆口を揃えた。だが、袁紹は「一戦もしていないのに、休む必要があるのかしら?」と言って進言を却下した。袁紹自身は馬車に乗っているのだから疲れないだろうが、他の者はそうでないという事に、彼女は気づいていないのだ。

 更に悪い事に、ここは既に冀州では無く、兗州(えんしゅう)であるという事実を、袁紹は気づいていなかった。もしくは、重要視していなかった。それが袁紹の大きな判断ミスとなった。

 物見から火急の報せが届いたのは、大休止の進言を却下した翌日の事だった。


「華琳さんの軍が展開しているですって!?」


 優雅に朝食をとっていた袁紹の(もと)に、息をきらせて走ってきた斗詩から聞かされた報せ。それは華琳こと曹操がすぐ近くまで進軍してきているという事だった。

 しかもその数は推定四万と決して少なくない。十万の袁紹軍と比べれば少ないが、相手を考えれば油断は出来ない数である。


「ここ、范は曹操さんの治める兗州内に在ります。恐らく、曹操さんは私達が領土侵犯をしていると判断して軍を動かしているのだと思われます。」


 斗詩は一度呼吸を整えてから自らの考えを述べた。彼女は武官ではあるが、比較的頭が良いので、こうした意見を述べる機会を度々もらっている。

 そして、斗詩の見解は当たっているのだろう、というのが袁紹軍の結論だった。

 現代でもそうだが、今回の様に他者の領土を通る場合、(あらかじ)め許可を貰う必要がある。だが、袁紹はここ兗州を治めるのが旧知の仲である華琳の為、それを怠ってしまっていたのだ。


「だ、大丈夫ですよ麗羽様。曹操殿にはきちんと事情を話せば分かっていただけます。何しろ麗羽様と曹操殿は幼い頃からの御学友なのですから。」


 冷や汗を流しながらそう言ったのは郭図(かくと)。今回の遠征には筆頭軍師として帯同している。

 袁紹と華琳は幼少の頃に知り合い、勉学に励んだ仲である。家柄では袁紹が上だが、成績では華琳が常に上だった。それが袁紹のプライドを少なからず傷つけたが、それでも袁紹が華琳を嫌う事は無かった。そういう意味では袁紹も大物と言えなくはない。

 気に入った侍女を取り合ったという逸話もあるし、華琳も事情はあるだろうが袁紹との付き合いを続けている事から、何だかんだで仲が良いのだろう。

 そうした理由もあって袁紹が楽観視した結果、今の事態になってしまっているのだが、どうやらこの事態の解決を簡単に出来ると思っている様だ。


「そうですわね。……顔良さん、今から華琳さんに手紙を書きますから、届けてきてくださいな。」

「わ、私がですかっ!?」

「貴女は華琳さんと顔見知りですし、誤解を解く使者としては適任だと思いますわ。少なくとも、落ち着きのない文醜さんよりは。」


 苦笑しながら言う袁紹に対し、斗詩も苦笑で答えるしかなかった。この場に居ない猪々子はとばっちりである。

 それから半刻後、袁紹の手紙を持って、斗詩は曹操軍の陣地へと向かった。道中の彼女の心境が如何ほどのものであったかは、想像に難くない。


「麗羽の使者が来ているの?」

「はい。恐らくは、今回の軍勢と領土侵犯についての釈明でしょうが……いかがなされますか?」

「会わない訳にもいかないでしょう。今は麗羽の方が官位は上だし、一応話を聞く必要があるし。」


 血縁者で信頼できる部下の夏侯淵(かこう・えん)こと秋蘭(しゅうらん)から報告を受けた華琳は、部隊の配置について修正した指示を出してから、秋蘭を伴って歩き始めた。


「ですが華琳様、あの袁紹が素直にこちらの話を聞くとは思えないのですが。」

「そんな事、私も思っていないわよ。けど、無駄に血を流す必要もないでしょう?」


 それは勿論です、と頷く秋蘭。


「麗羽が領土侵犯をしているのは確かなのだから、私がその非を責めて業へ帰る様に言うのは当然の事だし、それで終わればこれ程楽な事は無いわ。」

「まったくです。……それにしても、まさか徐州との同盟の話から直ぐにこの様な事態になるとは、流石に驚きました。」

「あら、聡明な貴女にしては珍しいわね。」

「申し訳ありません。ですが、まさか徐州が青州の救援をしている中で、あの袁紹が空き巣狙いをするとは思えなかったので。」

「仕方ないわね。麗羽の行動は私にも読めないのだから。」


 苦笑しながら歩く二人は、やがて謁見の場に着いた。とは言っても、陣内に在る幕で囲まれたちょっとした広場だが。


「あら、誰かと思えば顔良じゃない。貴女が麗羽の使者なのね。」

「はい。御無沙汰しております、曹操様。」


 平伏している斗詩に対し、華琳は多少フランクな口調になった。常に袁紹の傍に仕える顔良と文醜とは顔見知りであり、彼女の態度は自然な事である。

 とは言え、外交の場ではそんな事は関係ない。椅子に座った華琳は毅然とした態度で顔良に接した。


「それで? 要件は何なのかしら?」


 瞬時に冷徹な口調に変わった事で、顔良は半ば諦めの境地になったが、しっかりと使者としての役目は果たそうとして、袁紹から預かった手紙を取り出した。


「我が主君、袁本初から曹操様への手紙を預かってきました。是非お受け取りください。」


 斗詩がそう言うと、華琳の侍女が手紙を受け取り、それを秋蘭に渡し、それから華琳に手渡した。華琳は手紙を読んだ。所々で渋面を作ったが、一体何が書かれていたのだろうか。

 華琳は一通り読み終わると手紙を仕舞い、そのまま斗詩へ質問した。


「顔良、これには兗州を通過する許可願いと、私達にも徐州を攻めろと書いてあるのだけど?」

「はい……え、ええっ!?」


 一旦肯定しかけた斗詩だったが、思いもしない事を言われて驚き戸惑う。


「どうやら、貴女も知らない事だった様ね。」


 華琳は一つ溜息を吐くと、斗詩の為に手紙を読み上げた。

 そこに書かれた内容は、要約すると、


『無断で領土に入ってしまってごめんなさいませ、華琳さん。けどまあ、貴女なら許してくださるわよね? 私と貴女の仲ですもの。それと、私は徐州の劉備さんや清宮さんを懲らしめに行く途中ですの。華琳さんも私と一緒に戦ってくださいますわよね?』


という事になる。勿論、文章はしっかりしたもので書かれているのだが、付き合いが長い華琳は手紙を読むだけで文章が袁紹の言葉に自動変換され、脳内にあの耳障りな声が響き渡るのである。


「どうせ、麗羽の思い付きで追加したのでしょう。麗羽がしそうな事だわ。」


 心底呆れ返っている様な声でそう言った華琳に対し、斗詩は何も言い返せなかった。

 領土侵犯に関する謝罪と通行許可を得るだけでも難しい状況なのに、何故こんな事を書かれたのか、と斗詩は心中で袁紹に訊ね続けた。勿論、答えは返ってこない。


「顔良。麗羽への返書は直ぐに書くわ。けどその前に、今言っておきたい事があるの。」


 変わらずの冷たい口調で華琳がそう言うと、斗詩はビクッとしつつも返事をし、華琳の言葉を待った。


「まず、通行許可は出せない。正当な理由があるならまだしも、徐州を攻めて無用な争いを起こそうとしている麗羽を助ける事は出来ない。また、同じ理由で麗羽と共に徐州と戦うつもりもない。一週間以内に兗州から出なければ、私は貴女を敵と見做す。以上よ。」

「わ、分かりました……!」


 静かに、だが力強く断言した華琳の言葉に、斗詩はただひたすら頭を下げ続けるしか出来なかった。事態が最悪の方向に向かっているという事実が、斗詩の胸中を支配していく。それを伝えて、果たして麗羽様はどう判断なさるのか、という心配事が、重く重くのしかかっている。

 その姿を見て、華琳も秋蘭も、他の武官文官も何も言えなかった。華琳は楽にしていなさい、と言ったが、とても楽には出来ないと斗詩は思っていた。

 半刻と経たずに、華琳は返書を書き上げた。内容は先程斗詩に語った事だが、それをきちんと文章で、かつ精緻(せいち)な書き方で書き起こしている。流石は曹操と言うべきだろう。

 斗詩は華琳から袁紹への返書を受け取ると、深々と頭を下げて逃げる様に退出していった。

 華琳から袁紹への手紙を届けた斗詩は、当の袁紹がどんな反応をするか心配だった。そして、こういう心配事は往々にして悪い方に当たってしまうものだという事を、改めて思い知る事になる。


「な……何ですのこれは!? ちょっと顔良さん、華琳さんは本当に私に対してこんな事を言ったのかしら!?」


 怒りの余り、返書を破り捨てそうになりながら、何とか踏みとどまっている袁紹は、使者として遣わした斗詩に確認をした。


「は……はい。曹操さんは、今回の領土侵犯に大層お怒りで、そこに書かれている事を予め私にお伝えになりました……。」

「では、共に徐州と戦う事を拒否するというこの文章も……?」

「残念ながら、そこに書かれてある通りです……。」


 袁紹は返書を破り捨てる代わりに、床に叩きつけた。「どうしてですの!?」と喚いた。こうなると、周りの武官文官はどうする事も出来ない。

 既に触れた事だが、袁紹は華琳を嫌ってはいない。むしろ信頼し、親友と思っていた。

 その華琳から拒絶されたのだ。少なくとも袁紹はそう感じた。その袁紹のショックの大きさは斗詩が考えるより、遥かに大きいものだった。そしてそれだけに、「裏切られた」との思いが強かった。

 勿論、華琳は袁紹を裏切ってなどいない。常と同じ様に仕事をしただけであり、それは誰からも非難されるものではない。仕事をしない方が非難されるのだから。

 だが、今の袁紹にそんな理屈は通用しない。今の彼女にある感情は、憎しみしかない。

 今回の遠征の目的である徐州への侵攻。その目的に対する感情は嫉妬だった。名門の自分よりも民衆から、有力武将から、そして漢王朝から頼りにされている劉備や清宮が羨ましかった。けど勿論、誇り高い袁紹がそんな事言える訳が無い。

 だが、旧知の仲である華琳に対して生じた憎しみは、信頼していたからこそ一気に反転して生まれたものだ。そしてそれは、誇り高いが故に容易に表情、言葉、行動に現れる。


「華琳さんを倒します! 皆さん、(いくさ)の準備をしてくださいな‼」


 袁紹はその場に居る武官、文官だけでなく、外で待機している将兵達にも聞こえる程の大きな声でそう宣言した。

 驚いたのは斗詩たちである。まさか曹操と本気で戦うとは思ってもいなかったし、今回非があるのはこちらなのだから、普通は華琳の言う通りにするべきなのだ。

 繰り返すが、今の袁紹にそんな道理は通用しない。だからこそ斗詩たちは困っているのだが。

 とは言え、ここで曹操軍と戦う事は出来ないと袁紹軍は理解しているので、何とか回避しようと動く。

 まず動いたのは斗詩である。


「麗羽様! 曹操さんはただ自身の仕事をしただけです! それに対して怒ってはなりません‼」

「仕事ですって!?」

「そうです! 領土侵犯をしたのは私達ですから、それに対する法的処置を曹操さんはしているだけです! これで怒ってしまっては、名門袁家の名が泣きます!」

「ぐっ……!」


 「名門袁家」、この言葉に袁紹は弱い。

 プライドが高いからこそ、袁紹の様な人物は他人に良く思われたいという気持ちが強い。名門がこんな事で、と思われるのを極端に嫌うのである。

 斗詩はそうした袁紹の性格を知り尽くしている。だからこそ最初に事実を述べ、それから袁紹のプライドに揺さぶりをかけた。これで袁紹の感情は一気に落ち着くものと思われ、事実そうなった。


「で、では、徐州軍へのお仕置きにも参加しないのはどういう訳ですの!?」


 若干トーンが落ちた口調で訊ねる袁紹。それに答えたのは許攸だった。


「麗羽。曹操は、徐州と戦っても意味は無いわ。彼女は黄巾党の乱の時に劉備や清宮たちと共に戦っていて、友好関係を築いていると聞いている。また、揚州の孫家も同じく徐州と友好関係にあり、その関係は曹操のそれより緊密との噂もある。そんな状況で曹操が徐州と戦ったら、恐らく揚州の孫家は徐州に味方するでしょう。そうなると……。」


 許攸は袁紹を呼び捨てにし、尚且つ冷静に言葉を紡いでいった。だが、袁紹はその慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度に何故か怒る事無く、話の先を促した。


「そうなると……なんですの?」

「曹操は徐州と揚州、二つの勢力から狙われる事になる。曹操軍にも優秀な武官文官は居るけど、それはこの二つの軍も同じ。一対二では不利になる。麗羽は、不利になると分かっていて進んで戦う?」

「戦う訳がありませんでしょう? わざわざ苦戦する必要はありませんわ。」

「そう。今の曹操は、まさにそんな状況なの。だから麗羽と一緒に戦わないと決めたのよ。」


 な、なるほどですわ、と納得したのは袁紹。客観的には理解出来ない事でも、自分に置き換えられると理解出来る様だ。

 袁紹が納得したところで、尚も許攸は続ける。


「麗羽。ここは一旦兗州から出るのを優先するべきよ。徐州に行くなら、遠回りになるけど山沿いに進んで、臨邑(りんゆう)から祝阿(しゅくあ)(たい)へと進む。つまりは青州に向かうしかないわね。」

「それでは、徐州と黄巾党の戦いに巻き込まれてしまうかも知れませんわ。」


 袁紹は尤もな疑問を口にする。だが許攸は、それで良いのよ、と答え、驚く袁紹に向かって説明を始めた。


「麗羽が徐州と戦いたい気持ちは分かるわ。けどね、ここで徐州と戦うより、徐州と共に黄巾党を根絶やしにする方が何倍も袁家にとって益になるのよ。」


 許攸は、徐州との戦いで得られるものは、徐州との共闘で得られるものより少なく、また、戦う事で損をするという事を懇切丁寧に伝えた。袁紹はその度に反論するものの、口の達者さでは文官である許攸に勝てる筈もない。

 遂には袁紹を丸め込……もとい、説得する事に成功した。筈だった。


「わ……分かりましたわ。では、まずは臨邑を目指し……。」

「お待ちください、麗羽様!」


 そこで声を上げたのは郭図である。その瞬間、他の者は皆嫌な予感がした。


「確かに兗州を出る必要はあるでしょう。ですが、今から北周りで青州に向かっても、既に戦いは終わっているかも知れません。そうなると、この遠征は徒労に終わってしまいます。」


 許攸は、また余計な事を、と思い口を挟もうとしたが、それより早く郭図が話すのが早かった。


「それよりも、兗州から出ると見せかけて北上した後、再び東南に向かって(ごう)南武陽(なんぶよう)を通り、徐州へ向かうのが袁家の誇りを保つ賢明な方法です!」

「それのどこが賢明なのよ‼」


 曹操にそんな見せかけの北上が通じる訳がない、曹操とて人間だから失敗はある筈、と、許攸と郭図の意見は真っ向から対立した。

 許攸が、普通に考えれば兗州を出るまで監視がつく筈だと反対しても、郭図は、兵を動かすのもタダじゃないのだから、ある程度進めば兵を退かせる筈、と譲らない。そんな楽観的な策を述べる軍師が居ますか! と言われても郭図は自分が今回の筆頭軍師だ、と言ってあくまで強気に出る。

 二人とも、袁紹軍では屈指の文官である。舌戦ではそう簡単に決着がつかない。そしてこういう場合、鶴の一声によって決着するのである。


「二人ともお止めなさい! 味方同士で五月蠅い罵り合いは禁止ですわ!」

「けど麗羽!」


 許攸が更に言おうとするも、袁紹はそれを制して言葉を紡いだ。


「ごめんなさい明亜(めいあ)。今回は郭図さんの意見を採ります。」

「麗羽‼」

「ここまで来た兵達を思えば、ここで後戻りは出来ないわ。それに、やはり徐州にお仕置きをしなければ、袁家の誇りは保たれないと思いますの。」

「麗羽……貴女……!」

「……これ以上は、何も言わないでください。いくら親友の貴女でも、拘束しなければならなくなりますわ。」


 袁紹は悲しげな目で許攸を見ながらそう言った。許攸はそれでも何かを言いそうだったが、斗詩たちに止められる。

 許攸、真名を明亜と言うが、彼女と袁紹は昔からの親友である。どれくらい親友かと言うと、心を許しあい、危難に駆けつける仲間と呼ばれる、「奔走(ほんそう)の友」という間柄だった。なお、この間柄の人物はもう一人居るが、今回は関係ないので省略する。

 そんな関係だからこそ、許攸はどうしても袁紹を止めたかった。だが、聡明な彼女は、最早袁紹を止める事が出来ないと気付いている。だからこそ、俯いたままその場に居続けた。


「……安心してくださいな。先程貴女は“一対二では不利”と仰いましたが、この袁本初がついているのですから、二対二ですわ。もう一度手紙を出してそれを説明すれば、きっと華琳さんも分かってくださいますわ。」


 袁紹のその言葉は、常の楽観的かつ理由不明な謎の自信によるものではなく、どこか言い聞かせようとしている様に聞こえた。袁紹自身に対しても、許攸に対しても。

 だが、当然ながら許攸はそんな言葉で納得する様な性格ではない。

 そもそも、もう一度手紙を出したからといって、あの曹操が納得する筈がない。それは許攸だけでなく斗詩たちも分かっていた。それでも、これ以上は何も言えなかった。全ては郭図の進言の所為である。

 許攸は郭図を睨んだ。郭図は丁度後ろを向いているので気づかないが、それで良かったのかも知れない。この時の許攸の顔は、斗詩や猪々子といった武官でさえも恐れ(おのの)く程の怖い表情だったのだから。

 この日、袁紹軍は曹操軍に謝罪と撤退の書簡を送った後、進路を変えて北上した。予想通り、曹操軍の一部が監視として来たので、数日間は約束通り北上していった。

 ある日、袁紹軍の視界から曹操軍の監視部隊の姿が消えた。間もなく兗州を離れる州境の場所であった為、安心して帰ったのだろうとは、郭図の意見だった。

 それを受けて、袁紹は再び進路を南東に向け、徐州侵攻を再開した。業を進発して、既に二十日が経過していた事もあって、焦りもあっただろう。早くしなければ徐州軍が青州を平定して戻ってしまうのではないか、と。だからこそ、兗州内の行軍を急いだ。

 だが、曹操軍は袁紹が思う程甘い相手では、当然ながらなかった。

 “もう一つの監視部隊”から『袁紹軍が南下を始めた』との報告を受けた華琳は、一つ深い溜息を吐くと、傍に居る秋蘭に向けて愚痴を(こぼ)した。


「折角、昔からのよしみで見逃してあげたも同然なのに、あの馬鹿は……。」

「袁紹ですから、仕方ありません。」


 曹操軍の陣地の中の一ヶ所、武官文官を集めて軍議をする天幕の中で、まさに軍議を進めていた所だった。即席の卓を中心に椅子を並べ、集まった将兵は夏候惇(かこう・とん)、夏候淵、荀彧(じゅんいく)許緒(きょちょ)典韋(てんい)など、新旧家臣が揃い踏みという豪華なメンバーである。

 華琳は家臣達を正面左右に見ながら、左側最前列に座っている荀彧に訊ねる。


「仕方ないわね。……桂花(けいふぁ)、袁紹軍の戦いに対し、どの様な案があるか言ってごらんなさい。」


 荀彧、真名を桂花と言う小柄な少女だが、彼女はこう見えて曹操軍の筆頭軍師を務める程の実力の持ち主である。

 元は身内や同郷の者が居る事もあって袁紹軍に居たのだが、その袁紹は荀彧の理想とする人間ではなかった事もあり、理由をつけて袁紹軍を離れ、曹操軍に入った。

 先の黄巾党の乱では、兵糧の数を華琳が決めていた数より少なくし、その兵糧が無くなる前に賊を討ち果たすという才を見せつけ、軍師としての地位を確実なものとした。

 その後も華琳の右腕としての献策を続け、今回も筆頭軍師として帯同している。


「敵は“あの”袁紹です。十回や百回戦っても、曹軍が負ける事はないでしょう。」


 桂花は初めにそう断言した。それ自体はこの場に居る者全員が思っていた事でもある。


「ですが、敵は十万。対して私達は四万です。兵法に基づけば、まず勝てない状況なのも事実です。」


 兵法、例えば孫氏の兵法では「戦争をするなら相手より多く兵を集めるべし。出来ないなら戦うな」とあるので、桂花のこの見解は正しいものである。


「とは言え、ここで戦わないという選択肢はありません。もし戦わなければ、“曹孟徳(そう・もうとく)は袁本初に屈した”と世間に喧伝(けんでん)する事になるからです。」


 華琳様が袁紹などに屈するはずがあるか! とは夏侯惇。そんなの当たり前でしょ! でも、世間はそう思わないのよ‼ と桂花。

 二人共落ち着きなさい、と華琳が言うと、二人は慌てて落ち着こうとする。

 暫くして桂花は咳払いを一つし、話を再開した。


「よって、曹軍は寡兵で袁紹軍と戦い、勝たなくてはなりません。それも、可能な限り兵の損耗を抑えつつ、です。」

「そんな事が可能なのですか?」

「可能よ、流琉(るる)。」


 桂花は流琉に向かって断言した。流琉とは典韋の真名である。


「戦は、必ずしも敵を全滅させる必要は無いわ。勝利条件なんてものは、その時々によって変わるものよ。流琉、今回の勝利条件は何だと思う?」

「えーっと……袁紹軍を、兗州から追い出す、ですか?」

「その通りよ。」


 自軍の倍以上の数である敵軍を全滅させるのは、かなり難しい。倍どころか何十倍もの数の敵に勝った光武帝(こうぶてい)の例はあるが、あの様な賭けをする必要は今回、全く無い。

 桂花は軍師であり、理想と現実の見極めは出来ている。理想は曹操軍が袁紹軍を全滅させる事だが、現実的にそれは無理だと理解している。その上で華琳に勝利をもたらすにはどうすれば良いか、と考えれば、この答えに行きつくのである。


「その為の布石は……残念ながら私の手柄じゃないけど、既に打ってあります。ですが、その前に曹軍がする事は、“こちらが袁紹軍を敵視している”という事を相手に分からせる必要があります。」


 桂花がそう言うと、再び流琉が声を出した。


「それって、攻撃を仕掛ける、って事ですか?」

「そうよ。既に警告をしているのだから、約を破ったらどうなるか、思い知らせる必要があるわ。……相変わらず、袁紹は華琳様を味方だと思っている様だし。」


 桂花はそう言うと華琳を見つめた。先日、その華琳から見せられた袁紹からの手紙。そこには華琳に対して徐州を共に討とうという説得文が書かれていた。ハッキリと断ったのに、まだ望みがあると思っている様だと知ると、一応元主君である袁紹を哀れに思ってしまった。


「だから、袁紹軍にはここで敵味方の認識をハッキリさせる必要があるの。そうする事で、後で起きる事に大きな影響を与える事が出来るわ。」


 後で起こる事とは何だ? と夏侯惇。アンタが知る必要は無いわよ、と桂花。当然また口喧嘩になった。そして華琳が収めた。

 華琳はそこで桂花を座らせた。彼女の役割はここまで、という意味だ。

 続いて指名したのは、最近曹操軍に入った文官だった。


(りん)、袁紹軍に対して、どの様に戦えば損害を少なく出来るか、貴女の意見を聞かせてほしいわ。」

「はっ。」


 稟と呼ばれた短めの濃い茶髪の少女は、起立しながら眼鏡を合わせ、華琳や諸将に向かって自身の見解を述べ始めた。


「桂花殿も仰られましたが、袁紹軍は曹軍の倍以上です。普通に戦っては被害が大きくなります。ですが……。」

「ですが、何だ?」


 夏侯惇が訊くと、稟は視線を彼女に向けて説明する。桂花の様に口喧嘩をする関係ではないらしい。


「戦いは天、地、人、三つが揃って勝つと言います。つまり天の時、地の利、そして人の和、です。今回はその中で地の利を生かしたいと思っています。」


 稟の説明を聞いた夏侯惇は頭に「?」マークを浮かべているかの様な表情だったが、稟は構わず話し続けた。


「平地で戦えば、質では勝っていても数で劣る曹軍は苦戦を免れないでしょう。損害も多くなります。ですから……。」


 稟はそう言って、卓上に広げてある地図の数ヶ所を指さす。その場所は南武陽、合城、南平陽といった、どこも山沿いの地域である。


「私達は袁紹軍の進路を“それとなく”誘導し、この三ヶ所のいずれかで迎え撃ちます。」

「成程、高地での優位性を生かす、という事ね。」

「はい。そして、この中で一番良い場所は南武陽と思われます。」


 南武陽は南北を山に囲まれた場所に在り、この中では一番平地が少ない。行軍には少々骨が折れると思われる。その為、行軍の進路としては選ばれないと思われるのだが。


「普通は、そうでしょう。ですが、他の場所に曹軍を配置しておけば、それも大々的に部隊を展開させておけば、袁紹軍はそれらの道を通る事はしないでしょう。」

「私に対する負い目が有れば、そうなるでしょうね。けど、無かったらどうするの?」

「その場合は、兗州から出る様に警告を出します。それで大人しく戻ったり誘導できればそれで良し、もし逆上して攻撃してきたのなら、退却を優先して、可能ならこのいずれかに誘導します。」

「そう簡単に出来るかしら?」

「それぞれに伏兵を置き、その際にこちらの兵を多く見せる偽装をすれば、余程の馬鹿でない限りは引き返すでしょう。」

「麗羽は多分、余程の馬鹿よ。」


 華琳は言い切った。誰も異論を挟まないという事は、曹操軍での袁紹の評価はその通りという事になる。まあ、恐らくそれは正しいのだろう。


「袁紹自身はそうでも、彼女の周りにも文官は居ます。伏兵を見れば危険性を察知し、袁紹に進言するでしょう。華琳様から聞いた袁紹の性格ならば、その様な場面になった場合に撤退すると私は思っています。」


 それは、確信に近い言葉だった。稟自身は袁紹と会った事は無い。会った事の無い相手の行動を考えるのは難しいが、それもまた軍師の仕事であり、稟にとっては普通の事だった。

 華琳は暫し考える。彼女の手には二通の手紙が握られている。一通は北から、もう一通は南東から来たものである。

 既に中身は読んでおり、それがこれからの戦いについて書かれたものだという事は確認している。それらを踏まえて熟考した結果、華琳は指示を出した。


「稟の策を採用しましょう。伏兵を率いる将には……春蘭が良いわね、稟?」

「ええ。夏侯惇将軍以外にこの役は無理かと。」

「ありがとうございます、華琳様‼」


 伏兵部隊の指揮官に指名された春蘭こと夏侯惇は、感激の涙を流しながら、早速部隊編成に向かいます! と言って天幕を出て行った。

 春蘭が指名されたのは、もちろん彼女の実力を買っての事だが、それだけではない。夏侯惇という武将の名声も考慮しての事だ。

 今の華琳には、まだまだ人材が少ない。正史では陣営に加わる筈だった(ふう)こと程昱(ていいく)は、この世界では徐州軍に居る。「人材コレクター」などと渾名される、正史中盤から後半における豊富な人材は、今の曹操軍には居ないのである。

 そんな中で、名のある武将は夏候惇、夏侯淵の姉妹と荀彧くらいだった。他のメンバーも、正史や演義においては名だたる武将、文官ではあるが、この世界ではその殆どが駆け出しだったりで、世間に知られていない。

 となると、伏兵部隊の指揮官はこの三人の中から選ばざるを得ない。

 文官の荀彧も部隊指揮は出来なくもないが、彼女の本領は軍略にある。よって除外される。

 結果、残る夏侯姉妹の内のどちらかとなるが、ここで重要なのは、指揮する部隊が「伏兵」、それも袁紹軍を混乱させる為の部隊という事である。

 通常の伏兵部隊ならば、九分九厘の確率で夏侯淵になっただろう。彼女は武官の中では冷静沈着で思慮深く、いつ部隊を動かせばより効果的かを熟知している。

 だが、今回の伏兵部隊の役割を考えると、夏侯惇が適任である。彼女の武勇は夏侯淵以上に世に知られており、その名前を聞いただけで敵は驚き竦みあがる程である。これ程今回の伏兵部隊の指揮官に最適な者は、今の曹操軍には居ない。華琳と稟はそうした事を考え、春蘭を指揮官に任じたのである。

 そうして、曹操軍は動いた。

 再び現れた曹操軍に対し、袁紹軍は当初、大人しく進路変更をしていた。

 だが、暫くするとやはり進路変更をし、兗州を通過して徐州へ向かおうとした。その度に曹操軍が牽制し、進路変更を促す。

 それが幾度が続いた後、とうとう袁紹軍が攻撃を仕掛けてきた。

 これで袁紹軍は曹操軍と真っ向から対立する事になったのだが、当の袁紹はやはり心のどこかで華琳なら許してくれるだろうと思っていた。そんな筈は無いのに、である。

 大軍で攻める袁紹軍に対し、曹操軍の牽制部隊は寡兵であり、まともに戦う事は無かった。ひたすらに逃げ、それを袁紹軍は追い続けた。

 結果的に、隊列は伸びきった。十万の大軍とはいえ、その隊列がきちんとしていなければ、実力を発揮できないのは自明の理である。そしてこれは、曹操軍の狙い通りだった。


ジャーンジャーンジャーン。


 どこからか聞こえてきた銅鑼の音と共に、一つの部隊が現れ、猛然と袁紹軍に襲い掛かった。

 その部隊に翻る旗の字は「夏侯」。この時代を生きる者で少しでも戦に通じているなら、曹操軍の夏侯と言えばそれだけで恐れ戦く。これが夏侯惇か夏侯淵かで若干の違いはあるものの、どちらが相手でも恐怖なのは間違いない。剣による死か矢による死かという違いが出るだけである。

 そして、袁紹軍は今襲い掛かってきたのが夏侯惇率いる部隊だと知ると、曹操軍の想像以上の混乱を見せた。お陰で思ったより楽に袁紹軍を切り裂き、多大な出血を強いらせる事が出来た。

 曹操軍襲来の報せを聞いた袁紹は、移動しながら優雅に飲んでいたお茶を落っことすという反応を見せた。

 ガチャン、という音と共に湯呑は割れ、残っていたお茶は馬車の床を湿らせた。誰も拭こうとはしない。ここが戦場になった今、そんな事をしている場合ではないので当然ではあるが、袁紹はそんな事を考える余裕すらなかった。

 根拠は分からないが、何だかんだで許してくれると思っていた華琳が、刃を向けたという事実が袁紹の心を大きく動揺させていた。

 普通に考えれば当然の報いなのだが、袁紹にはそれが理解出来ていない。理解できていればこんな遠征は起こしていないし、今回無駄に将兵を失う事も無かっただろう。

 袁紹は指示を出す事すら出来なかった。周りに居た武官、文官が慌てて指示を出し、撤退を始めた頃、ようやく袁紹は現状認識が出来るくらいに落ち着きを取り戻した。


「な、何をしていますの!? あれくらいの敵、ただちに反撃なさい!」

「麗羽、伏兵があれだけとは限らないわ。もしあのままあの場で戦っていたら、被害が大きくなるばかりよ。」


 袁紹のヒステリックな言動を明亜こと許攸が諭し、今は兎に角逃げるのを優先するべきと言いくるめた。

 結局この戦いで、袁紹軍は約八百の兵を失った。

 その後も同じ様な戦いが続いた。損害は毎回数百人程度で済んでいるが、塵も積もれば何とやらで、ここまでで約三千七百の兵を無為に失っていた。まだ徐州に着いてもいないのに、被害を出してしまっているのだ。

 そうこうしている内に、袁紹軍は南武陽に続く山道に辿り着いていた。若干行軍には向かないが、ここからでも徐州には行けるので、袁紹はそのまま行軍を指示した。

 だが、流石に軍師たちはこの状況に違和感を感じていた。


 何故、自分たちはここに居るのか。

 何故、伏兵しか出てこなかったのか。

 何故、曹操軍はあれから出てきていないのか。


 そうしたいくつもの「何故」に気づき、一つの答えに行きついた軍師たちは慌てて袁紹に危機を知らせようとした。

 だが、この時の袁紹軍は業を進発してひと月近く経っていた。これ以上遅れては徐州軍が戻ってきてしまうかも知れないと焦っていた袁紹は、軍師たちの意見を採りあげなかった。

 これが、袁紹と袁紹軍のターニングポイントとなった。

 それ程高くはないとはいえ、山の中の行軍はやはり疲労の度合いが違っている。馬車に乗っている袁紹はそれに気づかないが、斗詩や猪々子などはきちんと考慮し、適度に休憩を挟みながら進んでいた。

 山道は、基本的に大きくない。現代ならば舗装、整備されているが、この時代はそうではない。劉邦が蜀の山道でした様にやろうと思えば出来なくはないが、それには大勢の作業員とお金が必要になる。よく使われる道なら兎も角、人通りが少ない山道を整備する余裕は無い。

 そしてそれは、袁紹軍が進んでいる山道も同じだった。

 道幅が大きくないので大軍が展開出来ず、どうしても隊列は細く長く伸びきってしまう。約十万もの大軍ともなれば、その姿は長蛇という字の如く長い蛇の様である。


「さて、この大蛇を今から仕留める訳だけど。」


 眼下の袁紹軍を見下ろしながらそう言ったのは、曹操こと華琳。彼女は今、袁紹軍が進む山道の脇の崖、その遥か上に居る。もちろん、大軍を率いて。

 華琳は隣に侍る従姉妹で部下に視線を送り、どうするか訊ねた。

 その従姉妹で部下の一人、夏侯淵こと秋蘭が一歩前に出て、恭しく意見を述べる。


「この地の利を生かす以上、他には特に策は必要ないかと思います。」

「そうね。それに仕留めると言っても、それは“私達の仕事じゃない”しね。」


 華琳はそう言うと、年齢の割に幼いその外見からは似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべる。

 華琳たちの役目は、あくまで“兗州に不法侵入してきた袁紹軍を追い出す”事であり、袁紹軍を倒す事ではない。そもそも、今の曹操軍では将兵の質が違うので勝てなくは無いが、それは多大な損害の上での勝利になってしまうので、積極的に戦うつもりはないのである。

 それでも、“予定通り”に部隊を動かし、先回りしてこの場所に布陣するなど、しっかりと仕事はしている辺り、華琳の性格がよく分かる。

 華琳は袁紹軍を見下ろしながら暫し考え、それから静かに左手を挙げた。

 同時に、弓矢を持った部隊が崖の前方に陣取り、構える。あとは放つだけである。

 この時、袁紹軍の一般兵が何気なく空を見上げた。本当に何の意図もなく、ただぶらりと首をあげたのである。

 必然的に、その視界に崖の上に布陣している曹操軍の姿が映り、それが何なのか認識した時には表情が一変し、体温が下がり、あとは大声を上げるだけだった。

 だが、その兵士が声を上げる事は無かった。

 一斉に放たれた矢が、その兵士はもちろん、袁紹軍の将兵の命を次々に奪っていったからである。

 突然の事に、袁紹軍の誰もが対応出来ないでいる。

 先頭の部隊を任されていた張郃は降ってくる矢を自身の得物で打ち落とし、防ぎながら兵士達を落ち着かせようとしたが、徒労に終わった。

 他の部隊を任されていた武官、文官も同じだった。中には兵達と運命を共にした者も居た。袁紹軍の損害は、既に四桁を超えている。

 後方に居た袁紹に曹操軍奇襲の報せが届いたのは、そんな中だった。


「な…………っ!?」


 流石の袁紹も、今回ばかりは絶句していた。

 今までの様な寡兵による伏兵ではなく、恐らく全軍での待ち伏せ、奇襲。そしてそれによる自軍の大損害。夢であるならば覚めてほしいと思わずにはいられない現状なのだから。


「麗羽、すぐに後退を! このままでは全滅してしまうわ!」


 異変を察知し、後方から一人やってきた明亜こと許攸が進言する。これには袁紹も二つ返事で了承するしかなかった。

 ただ一人、郭図だけはこのまま全力で前進して徐州に向かうべきと主張したが、自軍の兵士の死体で埋まっている山道を全速力で進める筈がない事、もたもたしている内に全滅する危険性が高い事などから、却下されている。

 とはいえ、狭い山道を約十万の将兵が進んでいたのである。そこを急に方向転換など出来る筈もなく、袁紹軍は大混乱に陥った。ここで追撃されれば、被害は更に大きくなるだろう。

 だが、袁紹軍が必要以上の追撃を受ける事はなかった。

 それは、既に触れた様に曹操軍の目的が袁紹軍を倒すのではなく追い出す事、という理由があるが、それともう一つ、仮に今の華琳が袁紹軍を倒そうとしても、絶対に無理だという状況にある。

 矢が圧倒的に不足しているのである。

 先日より続けてきた伏兵による誘導でも多くの矢を消費し、今回は崖の上からの一方的な攻撃という事もあって、矢の消費が激しかった。

 崖の上という地の利を生かしつつ約十万の袁紹軍を倒すとすれば、どうしても十万以上の矢が無いと難しいのである。

 岩を落とすなどの方法もあるにはあるが、前述の曹操軍の理由と、華琳自身が昔のよしみでそこまでする必要はないと判断しているのもあって、これ以上の攻撃はしなかった。


「華琳様、袁紹軍が退却を始めました。」

「そう。では、袁紹軍が南下しない様に気を付けつつ、范まで誘導する様に、春蘭と凪たちに伝えて。」


 はっ! と応える秋蘭は一礼してから部隊を率い、姉達が居る場所へと向かう。

 それを確認してから、華琳は傍に居る小さな武官、文官達に声を掛ける。


「それじゃあ、私達も行くわよ。皆が待ってるわ。」

「「「はっ‼」」」


 三つの声が同じ答えを発し、華琳と共に崖の上の陣を後にした。






 さて、一方の袁紹軍は、流石にこの状況で南下する事は無く、北へと向かっていた。

 袁紹軍は、出発時の一割にあたる一万に近い損害を出した事もあり、このまま徐州へ向かうという雰囲気ではなくなっている。

 しかもここは“敵地”である兗州。またいつ、どこからか敵襲があるかも知れないと考えるのも無理からぬ事。一刻も早く冀州へ帰りたいと将兵達が思うのも、脱走兵が出るのも、仕方が無い事であった。

 また、悪い報せというものは得てして続くものであり、この時袁紹にもたらされた報せは、彼女にとっては華琳に“裏切られた”事に次ぐ驚愕の報せだった。


「業が……公孫賛軍に攻められた、ですって…………!?」


 所々傷を負った兵士が語った事は、突如現れた公孫賛軍によって業は混乱した事、敵はそれ程多くなかったものの、混乱していた為に少なからず損害があった事、投獄されていた田豊と沮授に助けを求めるも、その時には既に公孫賛軍はどこかに消えていた事、などであった。

 話を聞く限り、業が盗られたという訳では無い。

 だがそれでも、袁紹の本拠地が襲われたという事実は、袁紹自身が思うよりも大きかった。

 既に触れているが、袁紹はこの漢における名門一族の出である。

 三公というこの国で上位の役職に何人も就いた事があるというのは、実際の所、凄いという一言で言い表せない程の実績である。名門と呼ばれるのは伊達ではないだろう。

 だからこそ袁家にたてつく者は今まで居なかった訳で、それだけに今回、公孫賛が袁家に攻撃を仕掛けた事がどれだけ衝撃的な事か。将兵たちの動揺はなかなか治まらなかった。

 だがここで一つの疑問が生じる。何故公孫賛は業を攻めたのか、だ。

 袁紹軍が曹操軍の攻撃を受けたのは、兗州に無断で入り、警告を受けても一向に出ず、それどころか通過して徐州に向かおうとしたからである。厳密にはそこに華琳と涼とが結んだ同盟も加わるが、袁紹たちはそれを正しく把握していないので割愛する。

 一方、袁紹は公孫賛と敵対していた訳ではない。むしろ真名を預け合っている程、相手を認めている。下に見ているのは間違いないが、それは決して差別的なものではない。

 そうした状況で、何故公孫賛が攻めてきたのか。袁紹は全く理由を見つけられなかった。

 ただ一人、軍師の許攸こと明亜は、憶測でしかないが、と前置きしてから話した。


「恐らく、曹操はこういった事態に備えて、あらかじめ公孫賛と手を組んでいたのでしょう。」

「こういった事態って何だ?」


 文醜こと猪々子が訊ねると、明亜は簡潔に答えた。


「袁紹軍が兗州、もしくは徐州に攻め込もうとした時、つまり今よ。」


 そこまで簡潔に言われれば、いくらお馬鹿な猪々子でも解る。曹操も公孫賛も、袁紹軍が暴走した際にどうするかという手を打っていたのだと。

 相手が強大な袁紹軍とは言え、兗州を我が物顔で通過されては曹操の面目が立たない。が、今の曹操軍の戦力では袁紹軍と正面から戦うのは難しい。ならばどうするか。その答えが他の諸侯との同盟だ。

 一対一で戦うのが無理なら、二対一、三対一に持ち込めば良い。敵より多く味方を集めよという兵法とも合致する。至極当然の方法だ。

 曹操のメリットは分かった。では、公孫賛にメリットは何かあるのか。勿論ある。

 一つは名声。兗州の危機、ひいては徐州の危機をあの袁紹から救ったとなれば、公孫賛の名声は鰻登りに上がるであろう。

 しかも公孫賛は、無理に袁紹軍と戦う必要はこの際、全く無いのである。

 袁紹が留守にしている業をそれなりに攻めるだけで良い。そうすれば、袁紹は業に戻るしか選択肢が無くなるからだ。

 本拠地が攻められたのに何もしなかったら、袁紹という人間の器、性格、その他諸々が疑われてしまう。よって、この場合に袁紹が採るべき道は、「徐州遠征を中止して業に戻り、急ぎ復興に尽力する」事しかない。

 もし、このまま徐州遠征を続けたり、曹操と戦ってしまっては、将兵達の心は離れてしまうだろう。殆どの将兵達の家族は業に居る訳で、その業が攻められたと聞いた今、彼等は居ても経ってもいられない心境なのだろうから。

 袁紹もそれは理解していたので、このまま帰還する様に命令する筈だった。だがここで、またも郭図が余計な事を言ってしまった。


「業に戻られるのは致し方ないでしょう。ですがこのまま何もしないで帰っては、袁紹様の沽券に関わります。」


 郭図は続いて、「せめて曹操と一戦し、ある程度の仕置きをしてから帰るべき」と述べた。当然ながら周りから異論が噴出した。当然である。ここで戦うなど、愚の骨頂でしかないのだから。

 だが、郭図が一旦袁紹のプライドを刺激した以上、一戦交えなければならなくなったのは、これまでの経緯を見れば明らかであり、結果的にそうなってしまった。

 許攸たちは思った。


『無事に帰れたら、郭図は殺す』


 全く持って、邪魔でしかない存在。袁紹軍の名立たる将兵達は皆、郭図に対してその様に思い、憎悪を向けていた。それに全く気付かない郭図はある意味大物なのかも知れない。

 袁紹は部隊を再編し、追撃してくるだろう曹操軍を迎え撃つ為に移動を始めた。この間にも逃亡兵は増えており、兵の数は日に日に減っていった。

 南武陽の敗走から五日、袁紹軍は曹操軍を捉えた。正面十里先、小高い丘に展開している曹操軍は、約三万と見られた。脱走兵が居るとはいえ、九万以上の袁紹軍が普通に戦えば、本来は楽に勝てる兵数差である。

 袁紹もそれを分かっており、将兵達に進軍を命じた。大軍という数に任せた、戦法と言えるか微妙な戦い方だが、「華麗に前進」というのが袁紹の基本戦法である為、間違ってはいない。そして、前述の通り、普通ならこの兵数差で負ける事はまず有り得ない。

 だが、兵数差が違ったらどうなるだろうか?

 最初に異変に気付いたのは、南武陽の時と同じく先鋒を務めていた張郃だった。曹操軍の左側に、明らかに曹操軍とは軍装が違う一団が現れたのだ。

 黒を基調とした曹操軍と違い、蒼や緑を基調としたその一団は、「劉」と「清宮」、二つの牙門旗を掲げていた。

 この二つの旗が意味する事を、張郃は正しく受け取った。すなわち、徐州軍が曹操軍の援軍として現れた、という事である。

 しかも、曹操軍の援軍はこれだけではなかった。徐州軍の左側から、今度は紅を基調とした一団が現れた。牙門旗の文字は「孫」。それは揚州(ようしゅう)軍を意味していた。

 この事態に、張郃は慌てて袁紹の許へと駆けた。敵の援軍が現れたというだけでなく、その“兵の総数が自分達と変わらないかも知れない”という憶測を伝える為に。


「な、なんですってえぇっ‼」


 袁紹は驚愕し、暫し言葉を失った。

 徐州軍が来るかも知れないというのは、流石の袁紹でも予想出来た。名目は兗州から追い出すと言っても、曹操軍の動きが袁紹軍の徐州侵攻を妨害していたのは明らかであり、両者が秘密裏に手を結んでいるのではないかと考えるのは容易だった。

 だが、揚州軍まで来るとは袁紹は予想していなかった。徐州が兗州や揚州と同盟関係にあるのを知らないのだから無理はない。尤も、郭図以外の軍師たちはこの状況をある程度予測していた。

 前述の通りに兗州と徐州が手を結んでいるのなら、徐州が揚州と手を結んでいる可能性は充分にあった。元々、徐州の清宮と揚州の孫家の蜜月振りは噂になっていたし、そんな関係の清宮率いる徐州が、兗州と手を結んで揚州と手を結ばないという事の方が、有り得ない事だった。

 軍師達はこの可能性について献策すべきだったが、曹操軍の奇襲や、公孫賛軍に業が攻められた事などが重なって、伝える機会が無かった。袁紹軍にとって不運としか言いようが無い。

 袁紹軍は動きを止めた。兵の数による優位性を瞬く間に無くした事により、袁紹軍の将兵の動揺は大きくなった。しかも相手が曹操、孫策(そんさく)、そして劉備(りゅうび)と清宮という、現時点の有力諸侯が集まっているのだから、その度合いは何倍にも膨れ上がっていた。

 そんな袁紹軍を丘の上から見下ろす曹操こと華琳。彼女は遥か先に見える袁紹の牙門旗を見つめながら、憐みとも悲しみともとれる表情を浮かべている。


「なーに湿気た顔してるのよ。それが曹孟徳のする顔なの?」

「……別に良いでしょ、伯符。」

雪蓮(しぇれん)で良いわよー。これから一緒に戦うんだし。」

「……真名の扱いって、こんなに軽くて良いのか?」


 それぞれの部隊から徒歩で華琳の許にやってきたのは揚州軍の総大将である孫策こと雪蓮と、徐州軍の副将である清宮涼。二人共、軍師を連れている。徐庶(じょしょ)こと雪里(しぇり)と、周瑜(しゅうゆ)こと冥琳(めいりん)だ。


「まあ、人によっては軽い扱いの人も居るでしょう。鈴々(りんりん)とか、一人称が真名ですし。」

「ああ見えて、雪蓮も考えて真名を許しているのだから、深く考えなくて良いぞ、清宮。」


 苦笑しながらそう言う雪里と冥琳。当の雪蓮は何か文句を言いたそうだが、一応戦闘前なので自重した。そんな雪蓮たちを見ながら、華琳も苦笑しつつ、言葉を紡ぐ。


「まあ良いわ。雪蓮だけでなく、周瑜も華琳と呼んでちょうだい。」


 そうして真名の交換が終わると、それまでとは一気に雰囲気と周りの空気が変わり、袁紹軍と戦うについてどうするか話し合う。


「貴女達が来てくれたお陰で、数的不利は解消されたわ。このまま戦っても勝てるでしょうけど……。」

「それでは被害が大きくなるばかりね。」

「うむ。損害を少なくしなければ、兗州まで来た意味が無いからな。」

「袁紹はともかく、周りの武将にはこの状況を不利と見る者も多いんじゃないか? 撤退を進言してくれたら良いんだが……。」

「清宮殿、そう思うのは仕方ありませんが、戦法を考える際はその様な楽観的な考えは捨てるべきです。常に最悪の状況を想定し、策を練る事が最善に繋がるのです。」


 涼が雪里に説教されそうになり、慌てて自分の非を認める。いくらこの世界に来て一年以上が経ち、徐州の州牧補佐をしているとはいえ、元々は現代に住む高校生なのだから、考えが甘いのは仕方が無い。しかも、周りに居るのが曹操、孫策、周瑜、徐庶という、三国志に名を残す人物なのだから相手が悪いとしか言い様がないだろう。


「まあ、麗羽がどう動くかはともかく、一応手は打ってるから、その結果によってはもう少し兵数が減るかも知れないわね。」

「なら、大丈夫かな。」


 華琳の策がどんなものか分からないのに、涼は安心している。それは、彼女が曹操であるからという、涼自身が持つ知識によっている訳である。

 そうして各々の意見を出し合ってから、涼たちはそれぞれの場所に戻っていく。袁紹軍に対してどう動くか決まったらしい。

 間もなく、決戦が始まる様だが、ここで徐州軍と揚州軍がここ兗州に来た経緯を説明しよう。

 涼が華琳との会談を終え、徐州に帰り着いたのは、華琳が袁紹軍に対して軍を動かし始めた頃だった。留守居の雪里たちに会談の結果を伝え、色々な感想その他を言われた翌日、下丕(かひ)に雪蓮達揚州軍が到着した。

 尤も、その揚州軍を率いる雪蓮の第一声は緊張感の無いものだった。


「はーい、涼。来ちゃった♪」

「何万も兵を連れて来ているのにそんな軽い言葉て、どうなんだ?」


 涼は呆れながらそう言った。後ろに居る徐州軍諸将も同じ様な表情をしている。

 とはいえ、雪蓮が連れてきた揚州軍の面々を見れば、その表情も引き締まっていく。

 揚州軍の牙門旗は勿論「孫」。雪蓮たち孫家を表す旗であり、普段は雪蓮の母である孫堅(そんけん)こと海蓮(かいれん)が使う旗であるが、今回の揚州軍には海蓮は居ないので、代わりに雪蓮が使っている。

 海蓮は揚州に残っている。山越(さんえつ)袁術(えんじゅつ)に睨みを効かせなければならない為、孫堅と、黄蓋(こうがい)以外の四天王は揚州に残る事になった。

 そうして今回遠征軍に選ばれたのは、孫策、孫権(そんけん)孫尚香(そん・しょうこう)、周瑜、黄蓋、陸遜(りくそん)甘寧(かんねい)凌統(りょうとう)周泰(しゅうたい)蒋欽(しょうきん)呂蒙(りょもう)諸葛謹(しょかつ・きん)といった、三国志を知る者にとってはほぼ孫呉オールスターと言えるメンバーである。


「細かい事は良いじゃない。それより、涼たちはいつ出撃するの?」

「細かくはないが……まあ良いか。出撃に関してはまだ決めてないよ。」


 涼は雪蓮の問いに答えながら、彼女達を予め決めていた場所へと誘導した。なお、兵達の誘導は孫乾(そんかん)こと霧雨(きりゅう)がしている。

 下丕城のとある一室、城の中央部に在る為に外への窓が無いその部屋は、今回の軍議用としてあてがわれた部屋である。従来の軍議で使っている部屋はこことは大きく違う場所に在る。同じ部屋を使わないのは、機密保護の観点からである。

 この部屋を用意する際、涼はその辺に気が付かなかったらしく、やはり雪里に怒られていた。

 この部屋には、青州に遠征中の武将を除いた徐州軍の全武将と、揚州軍の諸将が集まっている。議題はこれからどう動くか、である。

 最初に口を開いたのは涼だった。


「この間話した通り、俺達徐州軍は現在、約十万の兵を青州遠征に割いている。最新の報告によれば、青州軍と共に各地の黄巾党を駆逐し、このままなら間もなく臨淄に向かえるという事だった。」


 涼のその報告に、揚州軍諸将からどよめきが起こる。揚州軍が事前に集めた情報がどうだったかは分からないが、この間の会談などから、黄巾党の数が物凄く多いという事くらいは知っていただろう。それだけに時間がかかると思っていた様だが、予想以上に早い展開に驚いているのかも知れない。

 尤も、揚州軍の筆頭軍師を務める冥琳はこれも想定内だったらしく、然程驚いていない。


「では、青州への増援は必要無いと見て良い様だな。」


 冥琳の言葉に涼は頷いて答える。

 実際、青州兵と合流した徐州軍は当初の倍以上の兵数を擁しており、将兵の質を考えればこのままでも黄巾党を倒せるだろうというのが、雪里や鳳統こと雛里の判断だった。


「ならば、我々の採るべき策はそう多くない。外敵が現れた場合にこの徐州で迎え撃つか、徐州から出て先制攻撃を仕掛けるか、くらいだな。」

「その外敵だけど、冥琳達は誰を想定している?」

「愚問だな。」


 涼の問いに短くそう答えた冥琳は、軍議前に出されていた、目の前のお茶を一口飲み、それから涼や雪蓮を見ながら言葉を紡ぐ。


「ここ徐州は北に青州、西には兗州と豫州、南には揚州、東には東海と四方を囲まれている。が、それらの州はどこも徐州の味方だ。なら、敵はそれ以外の所から、になるが……。」

「桃香の親友が治めている幽州はまず敵にならないし、荊州や益州などはここから遠い。なら、比較的近くて尚且つ徐州と敵対しそうなのは……冀州の袁紹しか居ないわ。」


 冥琳の言葉を雪蓮が補足する様に紡ぐ。同じ考えだったらしく、冥琳は雪蓮を見て頷くと、更に続けた。


「袁紹はその立場上、本来はここを攻める必要は無い。徐州が急成長しているとはいえ、いまだその勢力はこの国における諸侯の中で群を抜いているし、何より大義名分が無いからな。」


 徐州、揚州、両方の諸将が同時に頷く。


「だが、袁紹は清宮や劉備に対して私怨を抱いている様に感じる。先の十常侍誅殺の際の事を雪蓮から聞いたが、どうやら袁紹は清宮を良く思っていない節がある。それと、玄徳殿の出自に関して複雑な様子だとの情報もある。」


 そう言われた涼は当時を思い出し苦笑する。もしこの場に桃香が居たら、同じ反応をしたか、キョトンとしたか。どちらにせよ困っていただろう。


「斗詩たちが俺に真名を預けた事を、すっかり忘れていたみたいだしなあ。けど、そんな事でわざわざ戦を仕掛けるんだろうか。」

「さっきも言ったが、確かに普通は攻める事は無いだろう。が、袁紹は自尊心の塊の様な人物だ。先の十常侍誅殺も、本来は良い所だけ取って自分の手柄にしたかったのではないか、と思っている。」


 冥琳の想像は恐らく当たっているのだろう。実際は涼が二人の皇子を救出するという一番手柄を立て、袁紹の欲した手柄や栄誉は手に入れられなかったのだが。


「迷惑な。こっちは平和に暮らせればそれで良いんだけどな。」


 涼は両腕と背筋を伸ばしながらそう呟く。それは現代に生まれ育った涼の偽りない言葉だ。

 だが、それを言葉通りに受け取った者がこの場に何人居ただろうか。少なくとも、冥琳は額面通りに受け取らなかった。口にはしなかったが。

 代わりに、平和に関する冥琳自身の考えを述べた。


「……平和というものは、そう簡単に手に入るものでもなければ、維持が簡単なものでもない。手に入れる為に力を得て、更にそれを維持し、内外に示さなければ人はすぐに侮り、そこから平和は崩れ去る。呆気無くな。」


 続けて、力の誇示の塩梅も難しいがな、と付け加えた。力を見せなければ統治出来ず、力を見せ過ぎれば人は反発し、分裂する。それは歴史が証明していると続けたが、それは涼も知っている。

 だからこそ、涼はやはり素直に心情を述べる。


「まあね。その為に俺達は試行錯誤している。どんな結果になるかは分からないけど、最善の為に動いているつもりだ。」

「ならば、今から我々がどう動くべきか分かっているのかな?」


 そんな涼に問いかける冥琳。涼は彼女が自分を真っ直ぐに見据えている事を確かめつつ、ゆっくり、ハッキリと言葉を紡ぐ。


「ここで敵が来るのを待たずに、こちらから打って出る、かな。」

「簡単に言うとそうなるな。」


 冥琳は涼の答えに満足したのか瞳を閉じ、口角を僅かに上げた。

 涼がそう考えた理由はいくつかある。一つは徐州に被害を出さない為だ。余所なら被害が出て良い訳ではないが、徐州に被害が出るよりは良いのは確かである。

 もう一つは先に揚州と結んだ盟約が原因だ。この盟約には、青州遠征時限定ではあるが、「揚州軍の兵糧や金子の六割を徐州が負担する」という一文がある。

 つまり、青州遠征時に徐州と揚州が共闘する事態になると、それが長引けば長引く程、徐州の負担が大きくなるという訳だ。いくら桃香が州牧になって以降の徐州が大きな発展を続けてきたとはいえ、当然ながら物もお金も限りがある。

 それでもこの様な約を交わしたのは、是が非でも揚州と同盟を結ばなければならないと考えていたからであり、必要経費と割り切ったからであるが、それでも支出を抑えたいのは当然だ。ならば、先に動いて早めに戦いを終わらせる方が賢明なのは、自明の理である。

 涼は隣に座っている雪里に訊ねた。


「雪里、今動かせる兵の数はどれくらい?」

「万が一に際する徐州の守りを考慮して……そうですね、四万程でしょう。尤も、周りが皆味方ですから万が一は無いでしょうが。」


 雪里がそう言うと、室内に居る諸将から笑いが起きた。

 尤も、雪里も心の底から言っている訳では無い。同盟など、利が合う者同士が結ぶものであり、利が合わなくなれば簡単に無くなるものだと、聡明な彼女は解っている。

 だがその考えをそのまま口にしては、徐揚同盟にヒビが入ってしまう。だからこそ雪里は代わりに「周りに敵は居ない。皆さんを信頼している」という意味合いの言葉を口にしたのである。

 そしてそれは揚州側も理解しているので、徐州側に合わせて笑ったのである。大人の対応とも言えなくもないが、これも必要な事であった。


「なら、その数で編成をしよう。武将は……。」


 涼のその言葉をきっかけとして、軍議は徐揚両軍の編成についての話し合いへと移っていった。軍議が終わった頃は皆、お腹が空いていた。

 その後、揚州軍の疲労回復や交友の宴などで数日を要し、翌日には出陣となった日、徐州側にちょっとした問題が起きた。

 それは、劉徳然こと地香と名乗っている、張宝こと地和によるものだった。


「何で私も一緒に行っちゃいけないの!?」

「だから、地香にはここを守っていてほしいんだ。」


 地香の自室にてかれこれ一刻の間、この様な涼と地香の会話が続いている。

 ここには他に、雪里、雛里、趙雲こと星、廖淳こと飛陽が居る。この中では、飛陽以外は皆、地香=地和という事を知っている。


「桃香が青州に行っていて、俺が明日から兗州に行く以上、地香には徐州に残ってもらって、俺達の帰る場所を守っていてほしいんだ。」

「それは解るけど……ち……私も皆の役に立ちたいのよ。」

「地香が徐州を守ってくれれば、充分に皆の役に立ってくれるよ。」


 涼がそう言って地香を宥めても、地香は納得しない。どうやら地香は、戦の役に立ちたいと思っている様だ。留守を守ると言うのも立派に戦の役に立つのだが、地香はそれを解っていない。いや、解りたくないのかも知れない。


「ここの守りは羽稀に任せれば良いじゃない。羽稀は遠征に行かないんでしょ?」

「それはそうだけど……。」


 地香が言う羽稀とは、徐州軍武将、陳珪の真名である。

 軍議の末、羽稀の娘の陳登は遠征組に加えているが、代わりに留守を羽稀に任せている。理由は地香と同じく、しっかりと徐州を守ってもらう為であり、元々徐州に居た羽稀にはうってつけであった。


「だったら、私が居なくても大丈夫じゃない。」

「いや、だからね。」


 地香は引き下がらず、涼も決して譲らない。既に触れたが、この様な会話がずっと続いているのである。

 その様子を雪里たちはそれぞれ呆れ、慌て、苦笑しつつ、見守っている。とは言え、このままでは埒が空かないので、雪里は折衷案を出す事にした。


「では地香様、こういうのはどうでしょう。間もなく青州から定期の報せが来ます。その報せの内容によっては、地香様に青州への援軍を率いてもらうというのは。」

「それは……。」


 雪里の提案に、地香は大いに心揺らいだ。

 彼女が出撃したいのは前述の通り、戦の役に立ちたいからである。ならばこの提案には乗っても良い筈だ。ただ、青州戦線が優勢に進んでいるという事は地香も知っているので、この提案に乗るという事は、恐らく出陣は出来ないという事でもある。

 それだけに地香は返答に困っている。これを受ければ出陣できる可能性はあるが、限りなく低い。だが、受けなければ絶対に出陣できない。実際は違うといえ、徐州牧の従姉妹として名が通っている地香が自ら軍律を破る訳にはいかない。

 しかも、涼たちは明日には兗州に向けて出陣しなければならない。その為の準備もまだ終わっていないかも知れないので、これ以上この話題で彼等を足留めさせる訳にもいかない事は、地香も解っている。

 その為、地香は暫し考えた後、雪里の提案を受け入れる事にした。雪里は極力、表情には出さなかったが、涼は彼女の内心が揺れている事を気づいていた。

 翌日、徐州軍は揚州軍と共に兗州への援軍として出陣して行った。

 総勢八万以上になる大軍を見送った地香は、前日と違って晴々とした表情をしている。

 それから程なくして、青州からの定期連絡が入った。内容は以前と然程変わらず、優勢に進めているとの事だった。これで、地香が出陣する事はないと、徐州居残り組は皆思った。

 だが、予想に反して地香は出陣を命じた。兵数は一万。筆頭武将には趙雲、筆頭軍師には鳳統が選ばれた。

 これには皆が異論を唱えたが、地香は一通の手紙を見せ、今回の出陣の正当性を説いた。


「確かに、桃香様からの手紙には援軍の要請は無かったわ。けど、ここで援軍を出せばそれだけ早く遠征は終わる。青州が落ち着けば、兗州遠征も早く終わるでしょう。良い事尽くめです。」

「あわわ。で、ですが、そうすると徐州の守りが薄くなります。」

「徐州の周りに敵は居ないわ。主だった将が羽稀殿一人でも、問題は無い筈よ。違う?」

「そ、それはそうですが……。」


 地香の言葉に雛里も言い返せない。地香の言う事は、先日雪里が言った事と同じだからだ。

 言い返したら、否定した事になる。否定しては、徐揚同盟に信頼は無いという事になってしまう。この場に揚州軍の将兵は居ないものの、「周りに敵が居る」とは、決して口にしてはいけない言葉である。

 その代わりに、星が別の理由を持ち出して反論とした。


「地香殿。青州遠征は以前の報告で既に総仕上げに入っていたのだ。もう賊を倒しているのではあるまいか?」

「そうだったらそれで構わないわ。けど、戦は必ずしも計画通りに行くとは限らないわ。敵の抵抗が激しかったら時間が掛かるし、天気が悪ければ進軍が遅くなる。だったら尚更援軍を出すべきだと思うのだけど。」


 地香はそんな星の反論に、彼女らしからぬ理路整然とした答えを返した。これには星も驚いたが、すぐに表情を戻し、地香たちの話を聞きながら密かに思案する。


(地和のこの落ち着きっぷり……清宮殿か雪里に何か含まれたか。)


 星のその予想は当たっている。地香が手にしていた手紙は、昨夜の内に涼が雪里と相談の上に書き上げ、今朝の出立前に手渡した物である。

 内容は先程、地香が言った通りであり、手紙には青州へ援軍を出す正当性をいくつも書き連ねてあった。地香はそれを口にしているだけであった。

 そうして手紙の内容を知った諸将は、そこに二人の、主に涼の意図がある事を察した。その為、これ以上の異論は挟まず、地香の指示に従った。なお、留守居の責任者は当初の予定通り、陳珪が承る事になった。

 地香は一万の大軍を率いて青州に向かった。地香の傍らには、副官として廖淳こと飛陽が侍っている。彼女も気持ちは地香と同じである。

 徐州援軍は、桃香たちが青州の殆どを黄巾党から取り返しているお陰で、さしたる苦労もなく進軍していった。その為、桃香たちのそれとは進軍速度が大きく違った。

 途中、一、二度の大休止を挟んだものの、目的地へは予定より早く到着すると思われる。


「地香様、良い天気ですね。」

「そうね。このまま、最後まで持ってくれると良いのだけれど。」


 どこまでも澄み渡る蒼。そんな空を見上げながら、飛陽と地香は馬を進める。

 この空の様にのんびりとした日々はいつになるか、そんな事が地香の脳裏をかすめる。そののんびりした日々の為に、今の自分達が動いているんだと、言い聞かせて。


「進軍速度をやや速めるわ。後続に通達を。」

「はい!」


 地香の指示を受けた飛陽は、それを後続部隊に報せる為に馬を走らせ、地香は暫し飛陽を見つめていたのだった。

 場所と時間は戻って、再び兗州。曹操、孫策、清宮の連合軍は、侵入者である袁紹を追い出す為に戦端を開き、主導権を奪っていた。

 だがそれも仕方がない事であった。何せ、戦端を開いた時の将は張飛、夏侯惇、甘寧と、それぞれの部隊の猛将・勇将だったのだから。数ばかりでまともな将が少ない袁紹軍では、太刀打ちできないのも当然であろう。

 その、数少ないまともな将である張郃や審配などは、混乱する部隊をまとめて応戦、撤退を繰り返していた。緒戦で劣勢に立たされた事を悟った袁紹軍諸将は、袁紹を守りつつ事態の好転に務めていた。

 だが、兵数がほぼ同じ両軍が激突した場合、あとは将と兵法の質が結果に繋がる。袁紹軍のまともな諸将はそれを程なく理解し、早々と「敗戦」を覚悟した。

 覚悟しつつも、主である袁紹を守る為に逃げないのは立派な姿勢であろう。が、勿論全ての兵がそうであったのではなく、ただの兵士達の多くは逃げ出し始めていた。誰だって命は惜しい。客観的に見れば、彼等の行動を非難する事は出来ないだろう。

 何せ、鈴々が蛇矛を一振りするだけで人が紙の様に吹き飛び、次いで動かなくなっていった。春蘭がその大剣を振るう度に、兵の体は真っ二つになる。思春が曲刀を振れば、前者二人より派手さは無いものの、確実にその息の根を止めていくのである。その光景は、袁紹軍からすれば恐怖以外の何物でもない。

 しかも、開戦前に袁紹軍に更なる凶報が伝わっていたのだから、混乱に拍車がかかったのは仕方が無かった。


「南皮までも白蓮さんに攻撃されたなんて……一体どうなってますの!?」


 一応、後方で指揮を執る形の袁紹が、苦々しい表情をしながら声を荒げる。

 間もなく開戦という時に袁紹の許に届いた報せは、「南皮襲撃。被害甚大」という内容だった。

 南皮は、業から見て遥か北東に在り、青州に近い。……ここから青州に移動して黄巾党を討ちつつ徐州に攻め込んだ方が良かったのではなかろうか。

 その南皮は、袁紹が治める地域では業に次いで大きな街である。大きい街という事は人が多く、物が多く、豊かであるという事に繋がる。そんな南皮が攻められたとしたら、当然袁紹軍にとって大きな痛手となる。

 だが、冷静に考えれば南皮が攻められたという話は嘘だと分かる筈である。

 何故なら、南皮を攻めたという白蓮、つまり公孫賛は、それ以前に業を攻めている。これは業から来た袁紹軍兵士によって伝えられたので、事実である。

 繰り返すが、ここは現代ではない。三国志演義を元にした様な、移動に関しては徒歩か馬を使うくらいしか方法がない世界である。

 そんな世界でこの短期間に業と南皮を移動し、かつ甚大な被害を与える事など不可能に近い。順序が逆であったら多少は可能性があったかも知れないが、そうなると今度は業を攻める事が難しくなる。よって、南皮襲撃は嘘と分かる。

 許攸たちはその事に気付いたが、大軍が現れて混乱していた袁紹軍が、この偽報によって更に混乱したのである。その上、その機を見逃さなかった華琳達が攻撃を開始したので、更に混乱に拍車がかかった。こうなっては、いくら許攸たちでもどうしようもなかった。

 そうこうしている内に袁紹軍の前線は崩れ、曹操軍を先頭とした連合軍がその傷口を広げていった。大量の出血を強いられた袁紹軍は支離滅裂となり、バラバラになった部隊は各個撃破され、袁紹は顔良と文醜に引きずられる様にして後退していく事となる。

 更に連合軍は追撃を開始。その追撃は凄まじく、落伍する者、逃亡する者が多く出た。結局、追撃は袁紹軍全軍が兗州を出るまで休みなく続いた。

 勿論、連合軍にも被害は出たが、袁紹軍のそれとは比べ物にならないくらいに少なかった。激戦を覚悟していた涼は余りにも呆気なく決着した事に驚いていたが、将兵を余り損じずに済んだ事を内心喜んでいた。

 だが、雪蓮と冥琳はこの戦で将兵を鍛えるという目的を持っていたので、一方的になったこの戦に関して微妙な感情を抱いていた。


「冥琳、ちょーっと予想外の展開になっちゃったわね。」

「ああ。これでは兵達を余り鍛えられん。」

「とは言え、元々の目的は達せられそうだから、文句は言えないわよね。」

「そうだな。まあ、今回は若い将兵に経験を積ませる事が出来たとして、納得するしかないな。」

「冥琳、何だか年寄りくさいわよ。」


 うるさい、と苦笑する冥琳たちを遠目に見ていた涼は、これを一体どう捉えたのか。

 また、雪里も冥琳と同じ様に思っていたのだが、安堵する涼を見て、また、周りに居る雪蓮たちを警戒して、本心を言う事は無かった。

 一方、命からがら業へと帰還した袁紹は、残存兵数が五万をきっていたと知ると、落胆した後に激怒し、華琳達への怒りを露わにした。


「華琳さん、孫策、そして清宮! 覚えていなさい! いずれこの屈辱を万倍にして返してみせますわ‼」


 この怒りが、後に涼たちを翻弄する事になるが、それは別の話である。

 袁紹は軍の再編を命じた。袁紹が動かせる兵はまだ数十万もあったので、ここで再び出陣する事も、一応可能ではあった。

 だが、惨敗による士気の低下や、大義名分の無さなどを許攸たちに説かれ、出陣は取り止めた。

 また、許攸たちは同時に、今回の敗戦の戦犯だと主張した郭図の処分や、投獄されていた田豊、沮授たちの助命嘆願を願い出た。結果、田豊と沮授の助命嘆願は成ったが、郭図の処分は成らなかった。

 これには諸将から不平不満が出たが、「勝敗は兵家の常ですわ」という袁紹の言に反論は出来なかった。実は、郭図が事前に袁紹に「自分を処罰しては、命じた袁紹様の格が落ちてしまいます」と言い含めていた事が原因なのだが、それを許攸たちが知るのは青州の動乱が終わった後であった。

 さて、大勝した連合軍は、袁紹軍の完全撤退を確認した後に陳留(ちんりゅう)へと移動した。華琳は州境に兵を置き、袁紹軍の動きに目を光らせる事にした。

 陳留に着いた連合軍は戦勝の宴を開き、将兵を労った。主催者である華琳のセンスの良さもあり、出された食べ物はどれも旨く、戦でお腹を空かせた将兵の腹を大いに満たした。尤も、鈴々の食べる量には華琳も呆気にとられ、一時的に曹操軍の食糧事情が危なくなったのは言うまでもない。

 涼と雪蓮は宴の翌日、徐州へと戻る事にした。この時点では青州の結果が分かっておらず、不測の事態に備える必要があったからである。

 徐州へ戻る際、見送りに来た華琳が妖艶な笑みを浮かべながら涼に言った。


「私も徐州に行こうかしら?」

「ありがとう、華琳。けど、気持ちだけ受け取っておくよ。しばらくは袁紹の動向を監視しないといけないだろう?」


 涼がそう応えると、華琳は大いに、だが上品に笑った。

 勿論、華琳も本気で言ってはいないだろう。だが、ここでそう言ったという事実が彼女には必要なのである。現在はまだ勢力が大きくない曹操軍を維持し、発展させる為には「天の御使い」のネームバリューが必要なのだから。

 そうして兗州から徐州へ戻った涼たちは、将兵の疲れをとりつつ、揚州軍との友好を深め、青州に動きがあればすぐに動ける様に準備をしていった。

 こうして、兗州方面の戦いは終わったのである。

「青州解放戦・中編」、いかがでしたでしょうか?


本当はこの回で青州編を終える予定だったのですが、文字数が増えてきたので三部作になってしまいました。多分、次はちゃんと終わるでしょう。

今回は、桃香達が青州で戦っている時に余所で何があったのか、という話にしました。話の展開上、麗羽が割を喰ってしまいましたが、これで次の話に繋げられるんじゃないかと思います。あと、麗羽は嫌いじゃないので、後々活躍させる事が出来ると思います。

いつになるか分かりませんが←


さて、次の後編は「青州編」を書く際にどうしても書きたかった展開になります。

これを書きたいが為に青州編という、恋姫小説でもSSでも余り見ない、青州を舞台にした話を書いてきた訳です。

後編を書き終えるまで何日掛かるか分かりませんが、可能な限り更新していくので、これからもよろしくお願いします。



2016年4月21日更新

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