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真・恋姫†無双 ~天命之外史~  作者: 夢月葵
第五部・青州動乱編
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第十五章 再会と決意

黄巾党の残党が居るのは青州だけではない。

解ってはいたが、その事実に涼はどう向き合うのか。


そして、仲間との再会、新たな人物との出会いはこの世界に何をもたらすのか。



2013年9月25日更新開始。

2014年2月5日最終更新。

 揚州(ようしゅう)建業(けんぎょう)での会談により、徐揚同盟(じょよう・どうめい)、またの名を清孫同盟(せいそん・どうめい)は無事締結され、(りょう)は肩の荷が一つ降りた気がしていた。

 (もっと)も、その同盟締結の為にきったカードの代償について、帰ったら色々言われるだろうなあと、少なからず不安になっていたりもするのだが。

 それは兎も角として、涼に課せられた二つの同盟締結という使命の内の一つが成せたのは確かであり、このまま曹軍(そう・ぐん)との同盟も無事結べたら良いなと思っている様だ。

 現在、涼達徐州(じょしゅう)軍の外交部隊約三千五百は、曹操(そうそう)こと華琳(かりん)が居る兗州(えんしゅう)陳留(ちんりゅう)を目指して進軍していた。

 そのルートは建業から長江(ちょうこう)(揚子江(ようすこう))を渡って豫州(よしゅう)合肥(がっぴ)寿春(じゅしゅん)を通り、そこからまた船に乗って北西の(ちん)に到り、そこから更に北上して陽夏(ようか)扶楽(ふらく)を抜けて兗州・扶溝(ふこう)に、そして北北東に在る雍丘(ようきゅう)、最後に北北西に進んで(ようや)く陳留へと到る。

 この部隊の総数は当初は約四千だった。

 居なくなった約五百の兵は、先日締結した孫軍との同盟文書を徐州に逸早(いちはや)く届ける為に、簡雍(かんよう)こと(しずく)と共に徐州への帰還の途についている。

 孫軍との同盟締結が徐州に伝われば、少なくとも南方へ注意を向ける必要は無くなる。

 主力がごっそり居なくなっている今の徐州を狙う輩が居ないとは限らない以上、戦力の分散は出来るだけ避けたい。その為に少しでも早く同盟の成否を伝え、防備を整えなくてはならないのだ。

 そうした理由から部隊を再編した涼達は、既に建業を経ってから十日が経過しており、今朝早くには雍丘を経っている。どんなに遅くとも明日には陳留に着くだろう。

 現在、部隊は小さな山間を進んでおり、間もなく平原に出るという位置に居る。


「このまま何事も無ければ、いよいよ明日は曹操殿との会談です。……清宮(きよみや)様、お覚悟を。」


 行軍中の馬上で隣に居る涼に対してそう言ったのは、孫乾(そんかん)こと霧雨(きりゅう)。雫が居なくなったので、この外交部隊の文官は彼女一人だけである。


「お、脅かすなよ。」

「脅かしてなどいませんよ。曹操殿は、雪蓮(しぇれん)殿達と比べれば清宮様とそれ程友好的ではありませんから。」

「そうかなあ? 黄巾党(こうきんとう)の乱や十常侍(じゅうじょうじ)誅殺(ちゅうさつ)で一緒に戦ったし、そんなに変わらない気がするけど。」

「……それはそうかも知れませんが、婚約する程仲は宜しいですか?」

「た、確かにそこ迄じゃ無いけど。」


 ニヤニヤしながら霧雨がそう言うと、涼はたじろぎながら答え、それを見た霧雨は更にニヤニヤした。

 雪蓮とは宛城(えんじょう)での一件以来、何かと好意を持たれ、遂には先日正式に婚約した程の仲だが、華琳とはそうした仲になっていない。

 かといって仲が悪い訳では決して無く、良いか悪いで言えば間違いなく良い。

 そんな両者との関係の差を考えると、長い時間を共に過ごしたかどうかの差でしか無いと推察出来る。

 例えば、両者と共に戦った事がある黄巾党の乱の時は、雪蓮とは数ヶ月間を共に過ごしたが、華琳とは戦後を合わせても数日しか一緒ではなかった。

 当然ながら、たった数日で親密な仲になるのは難しく、長い時間を共に過ごせば誰でも少なからず好意を持つのもまた当然であり、そうした事を考えると、やはり共に過ごした時間の差が両者との親密さの違いなのだろう。

 涼もまたそう結論付け、話を戻した。


「婚約する様な仲じゃなくても、普通に話せる仲だし問題無い気がするけど。」

「それもそうですが、曹軍も清宮様との婚約を同盟の条件にしてきたらどうするおつもりですか?」

「うっ……。」


 霧雨の指摘に涼は返す言葉を持たなかった。

 そう、可能性は低いがこの指摘は全く有り得ない話ではない。

 孫軍が雪蓮との婚約を暗に求めていたのは、孫家に天の御遣(みつか)いの血を入れるという事とその威光を手にしたいからである。

 黄巾党の乱、十常侍誅殺で活躍した「天の御遣い・清宮涼(きよみや・りょう)」の名は、この漢大陸の隅々に迄知れ渡っている。

 何せ、少帝(しょうてい)(劉弁(りゅうべん))の勅命(ちょくめい)を受けた涼達が徐州に本拠を移して以来、その徐州から遠く西方の涼州(りょうしゅう)、または南西の益州(えきしゅう)から使者がやってきて貢物や美辞麗句を並べ立てたり、はたまた涼に縁談を持ち込んだりと様々あった程だ。

 尤も、縁談に関しては雪里(しぇり)達が「清宮様は今は誰とも結婚する気が無い」とか、「既に席が埋まっている」とか言って断っている。

 (ちな)みにこの事は長く涼の耳に入る事は無かったが、涼がそうした事実を知ってからも縁談に関しては雪里達に任せている。

 そうした事情もあった為、先の雪蓮との婚約は涼が使えるカードとしては最大級のものだった。そう何回も使っていいカードではない。

 だがもし、華琳がそのカードをきる事を要求してきたら?

 涼はその問いに暫し考えこみ、苦笑しながら答えた。


「……そうなったらその時に考えるよ。」


 その答えに、霧雨はわざとらしく溜息を吐いて返す。

 丁度その時、山を下り終えて平原に出る所だった涼は霧雨に何か言おうとしたが、その涼の耳に鈴々(りんりん)の声が届いた。何やら驚いている様だ。

 声につられて鈴々を見て、次いで彼女が指差す方向を見ると、涼は瞬時にその表情を険しくした。

 前方約十里(古代中国の一里は約四百メートル)先に在る小さな集落から、黒い煙が上がっているのが見えた。しかもその数や大きさは尋常ではない。

 涼は思わず息を飲んでから、隣に居る霧雨に問いかける。


「霧雨、あれって……!」

「……十中八九、賊の襲撃を受けていますね。しかもこの煙の大きさから察するに、ひょっとしたら既に……。」


 霧雨は最後まで口にしなかったが、彼女が何を言いたいのかは言わなくても解った。

 だから涼は直ぐ様、鈴々に対して適切と思われる指示を出す。


「鈴々、部隊を率いてあの集落に向かってくれ! 俺達も直ぐに行くから!」

「わかったのだ! 張飛(ちょうひ)隊のみんな、悪いやつをやっつけに行くから、全速力でついてきて‼」


 鈴々がそう叫ぶと、張飛隊の兵士達は気合が入った声で返事をし、既に駈け出している鈴々を追って馬を走らせていった。

 涼はその様子を見ながら部隊を整え、指示を飛ばし、部隊と共に集落へ向けて駆けて行った。霧雨の孫乾隊は輜重(しちょう)隊も兼ねている為、それ以外の兵を集めてから集落へと向かった。

 集落に近付くにつれ、被害の大きさが目の当たりとなってきた。

 既に触れたが、古代中国の街は基本的に城塞都市である。

 それはどんな小さな集落でもそうであり、そうでない集落は少ない。これは、外敵から生命、財産を守る為の方法として導き出された答えであり、広大な土地を持ち、隣町迄の距離が長い古代中国ならではの知恵である。

 眼前に迫った集落もやはり城塞都市の様だが、出入り口となる門は無残な姿を露呈し、その近くには門番らしき男性の死体が二つ転がっていた。

 涼はその二つの遺体に哀悼の意を表しながら、集落の中へ駆けて行った。

 そこには破壊と死しか無かった。

 建物は壊され、人は斬られて息をしておらず、炎は燃え盛り、人も物も焼き尽くさんばかりに広がっていた。

 凄惨な現場を目の当たりにし、吐き気を催す涼。この世界に来る前の涼ならば、間違いなく嘔吐するか失神しているだろう。

 幸か不幸か、今の涼はこうした場面に慣れている。吐き気はしても、実際に吐く事は殆ど無い。

 だからと言って、この惨状を見て何とも思わない程感情が無い訳では当然ない。

 涼は腰に提げている二振りの刀の内、青い(つば)の「蒼穹(そうきゅう)」を抜刀し、自分の部隊に向かって号令を発した。


「あの声を聞く限り、張飛隊は右側に展開している。なら俺達は左側に居ると思われる要救助者の捜索、そして賊の掃討をする。……全員、気を抜かずに進め‼」


 清宮隊は「応!」と応え、集落の左側に向かった。

 その集落の左側の最奥に在る建物の中に、数十名の村人が隠れていた。

 (ほとん)どが女、子供や老人であり、若い男性は数える程しか居ない。その男性達も、体の何処かに傷を負っており、健康な者は一人も居なかった。

 そんな集団の中で、数人の少女が武装していた。どうやら、ここに居る人々の護衛をしている様だ。

 その中の一人、銀髪の少女の(もと)に、栗色の髪を右側でサイドテールっぽい三つ編みにしている少女がやってきた。


沙和(さわ)、怪我をした人達の様子はどうだ?」

「殆どの人は命に別状は無いけど、一人だけ早くちゃんとした治療をしないと危ない人が居るの。」


「沙和」と呼ばれた三つ編みの少女は、そう言うとちらりと後ろを振り返り、奥に寝かされている兵士らしき男性に目をやる。

 銀髪の少女もそちらを見て、険しい表情を更に険しくした。

 視線の先に居る男性は、頬や腹部から出血しており、傷口を覆う包帯は真っ赤に染まっている。

 頬の出血は兎も角、腹部の出血は早めに治療しなければ死に至る。この世界は外科治療が未発達であり、医師であってもそれがきちんと出来る者は数少ない。

 そもそも、この時代において医師というのは社会的地位が低い。それが医師の少なさと優れた医師が少ない事に関係している。

 だが、今そんな事を言っても医師が増える訳では無く、現実に出来る事をするしかない。


「沙和、兎に角止血を最優先でやってくれ。このままでは失血死してしまう。」

「それは解っているけど、傷口が深いから縫わないと止血出来ないと思うの。」

「沙和は縫えるか?」

「そんなの無理に決まってるの。(なぎ)ちゃんは?」

「私も出来ない。仮にやってみても、素人の自分がやっては、却って悪化させてしまうかも知れない。……どれくらい保ちそうだ?」

「このままじゃ、多分一刻くらいだと思うの。」

「一刻か……。この村の医師が生きていれば……。」

「……けど、そんな事を言っても仕方ないの。」

「……そうだな。」


 沙和から「凪」と呼ばれた銀髪の少女は、沈痛の表情をしながらそう呟いた。

 賊がこの村に侵入してから、既に沢山の人が殺された。男女も老若も職業も関係なく殺され、その中には医師も居た。

 小さなこの村には医師が一人しか居らず、だが小さいからこそ一人だけで充分だった。

 しかし今は、医師が一人しか居なかった為に、救えるかも知れない命が救えないかも知れないという状況に陥っている。

 どうすれば良いのか悩む凪達の許に、部屋の奥から一人の小さな少女がやってきた。

 その少女は腰は疎か膝近く迄あるウェーブ状の金髪を靡かせ、何故か頭に小さな人形らしき物を乗せていた。


文謙(ぶんけん)ちゃん、少し冷静になった方が良いのですよ~。」

仲徳(ちゅうとく)殿。しかし、このままでは……。」

「あの声が聞こえませんか?」

「あの声?」


 凪が「仲徳」と呼んだ少女からそう言われ、「文謙」こと凪と沙和は耳を澄ました。

 相変わらず戦闘は起きているが、さっき迄とは何かが違っていた。


「……賊が混乱している?」

真桜(まおう)ちゃん達が上手くやったのかな?」


 沙和がそう言うと、凪は一瞬納得しかけたが、現実的に考えてそれは恐らく難しいだろうと結論付けた。

 因みに沙和が口にした「真桜ちゃん」とは、二人の仲間の事である。


「それもあるでしょうが、どうやら援軍が来たみたいですねえ。」

「援軍、ですか?」

「それって、陳留から曹操様の軍が来たって事なのかな?」

「かも知れないな。…………仲徳殿。」

「何でしょうか~?」


 凪は表情を引き締めて仲徳に向き直り、言葉を紡いだ。


「ここは“お二人”にお任せしても宜しいでしょうか?」

「構いませんよ~。うって出るんですね?」

「はい。誰かは判りませんが、賊が混乱しているのならば、この機を逃す事はありません。」

「体力は戻りましたか?」

「七割程は。これならまた戦えます。……沙和はどうだ?」

「沙和は六割くらいなの~。けど、真桜ちゃんもそろそろ限界だろうから、弱音吐いてなんていられないのっ。」


 沙和はそう言うと、腰に有る二つの鞘から剣を二振り抜いて両手に構え、心身共に戦闘態勢に入る。どうやら彼女は双剣使いの様だ。

 一方の凪は、武器らしい武器は何も持っていない。胸当てや手甲等は身に着けているが、剣を収める鞘も、矢を撃つ為の弓も無い。どうやって戦うのだろうか。

 先程の会話から察するに、武装している二人がこの建物に居る理由は、避難民を守る為と、先程迄戦闘に参加していたので、その疲労回復の為に休んでいたという事だろう。

 その二人がこの建物を出るという事は、ここを守る人が居なくなるという事であり、凪の確認はそれでも良いかという意味でもある。


「大丈夫ですよ、少しくらいなら持ち堪えられます。」


 そう言ったのは仲徳ではなく、部屋の奥、つまりは先程仲徳が出て来た場所と同じ所からやって来た少女だった。


戯志才(ぎ・しさい)殿。」


 凪はその少女を見ながら「戯志才」と呼んだ。

 戯志才は仲徳より背が高く、スタイルもそれなりに良い。近視なのか眼鏡を掛けており、その所為かどこか知的に見える。茶色の髪は比較的短く見えるが、後ろで編み込んでいる部分があるので意外と長いかも知れない。

 戯志才はそのまま仲徳の隣に立つ。お陰で二人の身長差、スタイルの違いがよく解るが、勿論今はそんな事は重要ではない。


「しかし、貴女方は軍師(ぐんし)志望の筈。戦闘に関しては本当に大丈夫なのですか?」

「ご心配なく。(せい)殿……子龍(しりゅう)殿と別れてからここ迄は(ふう)と二人で旅を続けてきたのです。身の守り方は幾つかありますよ。」

「そうまで仰られるのなら……。」


 凪はそれ以上言わずに沙和と共に出入り口へと向かう。


「私達が出たら直ぐに扉を閉めて下さい。あと、真桜が戻って来たらお願いします。」

「解りました。……ご武運を。」


 戯志才の言葉に頷いて応える凪と沙和。

 それから一拍程間が空いてから、ほぼ同時に二人は飛び出し、戦いへと戻っていった。

 二人が瓦礫の向こうに消えて行ったのを確認してから、戯志才は扉を閉め、念の為に支え棒を立て掛けた。例え賊がやってきても、これで少しは時間を稼げる筈だ。


(りん)ちゃんは嘘を吐くのが上手いですねえ。」

「いきなり何よ。」


 仲徳に「稟ちゃん」と呼ばれた戯志才は、先程「風」と呼んだ仲徳を見下ろしながら応えた。


「風達が戦えるなんて言うからですよ。剣すら握った事が無いのに。」

「……ああでも言わなければ、あの二人は中途半端な気持ちのまま戦場に行かなければなりませんでした。それでは、賊相手でも不覚をとってしまうかも知れません。」

「それはそうなんですけどねえ。もし、その賊さんがこちらに来たらどうするんです?」

「建物を利用して、援軍が来るまで上手く守ります。……火を使われたらどうしようもありませんが。」

「随分と運頼みの軍師志望さんですねえ。」

「軍師を志す者として、こんな策しか使えないのは情けないと思っているわよ。けど、今の状況で他に何か策があるの?」

「無いですねえ。人員も籠城する場所も問題ありありですから。」

「なら文句言わないで。……それより風、貴女は援軍が誰か判る?」


 稟は表情を引き締めながらそう訊ねた。

 一方の風は変わらずにのんびりした口調で答える。


「先ず、曹操軍では無いでしょうね。こちらが送った救援の使者は今陳留に着いた頃でしょうし。」

「運良くこの近くに来ていた、なんて事が無い限りはそうでしょうね。」

「なら、考えられるのは……思いつきませんねえ。」


 風はそう言うと小首を傾げる。何故か頭上の人形も同じ様なポーズをとっている。(しば)し考えを巡らせるが、やはり答えは出てこない。

 だが、不意に妙案が浮かんだのか両手をポンと叩き、近くの窓へと向かった。


「ちょっと外を見てみましょうか。」

「風!?」


 稟は驚いて止めようとする。ここの窓は中が見えない様に板等で塞いでいる。だが、一足早く風はその板を取って外を見た。


「……成程、そういう事でしたか。」


 風は外を見ると瞬時に現状を理解し、自然と笑みを浮かべていた。

 稟はそんな風を訝しげに見ていたが、風に手招きされて窓の外を見ると、彼女も風が笑った理由が解った。


「あれは“清宮”の旗……援軍の正体は徐州軍でしたか。」

「その様ですねえ。……おや、あれに見えるはお兄さんじゃないですか。」

「……相変わらず、総大将自ら前線に立っているのですね。」

「十常侍誅殺でもそうだった様ですし、意外とお兄さんは武将に向いているのかも知れませんねえ。」

()項羽(こうう)みたいな事をしなくても良いでしょうに……。」


 楽しげに見る風と違い、稟は溜息混じりに外を見ている。

 稟が発した「楚の項羽」とは、この時代から約四百年程昔に活躍した武将の事であり、「反秦戦争(はんしん・せんそう)」では後に漢王朝の初代皇帝となる劉邦(りゅうほう)と共に(しん)を倒し、その劉邦と天下を争った「楚漢戦争(そかん・せんそう)」では約五年もの間戦い続けた楚の覇王である。

 この時代は総大将自ら前線で戦う事が基本であり、項羽もその様に戦った。それでも稟が項羽を例えに出したのは、項羽の武力が桁外れだったからであり、総大将の一騎駆けの代名詞に使われているからである。


「まあ、お兄さんの性格を考えたらこうなるのは当然だとは思いますけどね。」

「確かに。」


 風の一言に稟も同調し、クスリと笑った。

 ほんの僅かな期間ではあるが、二人は涼と行動を共にした事がある。その時に互いに自己紹介をし、その人となりを知った。

 「天の御遣い」という胡散臭い肩書きを持つ者だから、当初は二人もそれなりに警戒していたのだが、実際に会って話してみると何のことはない、普通の少年だった。

 数日を共に過ごした後、二人は涼達と別れ、それ迄と同じ様に子龍こと趙雲(ちょううん)と共に旅を再開した。その趙雲とも豫州で別れ、以後は二人で旅を続け、ここ兗州に辿り着いた。

 そろそろ旅を終え、主を見つけてその人の為に自分達の力を振るいたい。そう思ってここ迄来た矢先、賊の襲撃に巻き込まれた。

 幸い、それなりに戦える人が何人か居た為、被害を最小限に抑えられている。

 それでも、賊の方が数が多い為、劣勢なのは変わらなかった。そこに現れたのが涼達徐州軍である。

 二人にとっては、いや、この村の人々にとってはこれ程頼もしいものはないだろう。事実、ここが正念場と判断した凪達は疲労が残る体を押して出撃している。


「これなら、何とかなりそうですね。」

「そうですねえ~。けど、気を抜いたらダメですよ、稟ちゃん。」

「解っているわよ。」


 相変わらずの間延びした口調と眠そうな表情で言う風に対し、稟は短く答えながら風を見た。


(見た目だと、貴女の方が気を抜いてる様に見えるわよ。)


 心中でそう苦笑しつつ、稟は視線を再び窓の外に向けた。見ると、以前は見なかった「孫」の旗を掲げる一団が涼に合流し、残敵の掃討に移っていた。


「“孫”……誰でしょうか? まさか揚州の孫家では無いでしょうし。」

「そうですけど、全く有り得ないという事もないでしょうねえ。何せ黄巾党の乱で共闘して以来、孫家はお兄さんと仲が良いという噂ですし。」

「……天の知識を得ようという所でしょうか。いえ、ひょっとしたらその血を……?」

「恐らくそうでしょうね。もしそうなったら、天の血筋と孫子の血筋が合わさりますねえ。」

「孫家のそれは自称でしょう。」

「それを言ったら、お兄さんのも自称なのです。」


 それもそうですね、と言いながら、稟は外の様子を注視する。

 涼は騎馬を巧みに操り、賊を一人、一人と斬り捨てていく。その近くには薄紅色の短髪を靡かせながら賊を倒す少女が居る。周りに居る兵士達とは格好が違うので、恐らく彼女が「孫」の旗を掲げる武将なのだろう。

 華奢な見かけと違い、その太刀筋は確かで鋭く、それを見た人は彼女が基本的には文官として働いているとは思いもしないだろう。


(……どうやら、あの孫家の人間ではない様ですね。)


 稟は少女の瞳を見てそう判断した。

 噂によると、孫家の人間は皆碧眼の持ち主だという。だが、今稟が見ている少女の瞳は碧眼には見えない。

 遠くだからハッキリとは判断できないが、それでも青系の色では無いのは判った。

 その見当は当たっている。その少女――孫乾こと霧雨の瞳の色は栗色である。

 因みに霧雨は、名前が似ているのでよく親類と間違われるが、瞳の色が違う事で揚州の孫家とは関係が無い事を証明してきたという逸話があるのだが、当然ながら稟達はその事を知らない。


「おや、いつの間にか文謙ちゃん達もお兄さんと共闘してますねえ。」


 風の声が聞こえた稟は、視線を霧雨から涼へと戻す。

 すると確かに、先程出て行った凪達が涼達と連携して戦っているのが見えた。

 凪達と入れ替わりに出ていたもう一人の少女、沙和が「真桜」と呼んでいた少女も居る。見たところ、大きな怪我はしていない様だ。

 そうこうしている内に、窓から見える範囲での戦闘は終わった。涼達が一方的に攻撃しているだけだったが、正規兵と農民崩れの賊が戦えばこうなるのは当然だろう。


「こちらに来る様ですね。」


 稟がそう呟いた様に、涼と霧雨は凪達に案内されてこの建物に向かっている。

 恐らく、怪我人を助けてほしいと頼んだのだろう。涼が一人の兵士に指示をすると、その兵士は来た方向へと戻っていき、残りの兵士達は周辺の捜索と涼達の護衛に割り振られた様だ。

 やがて、建物の前で下馬した涼と霧雨は凪に先導されてゆっくりと入っていった。


「こんにちはです、お兄さん。」

「お久し振りです、清宮殿。」

程立(ていりつ)? それに戯志才も。」


 涼は見知った二人に驚きながら挨拶を交わした。

 そんな涼の様子を見ていた霧雨が話し掛ける。


「お知り合いですか?」

「ああ、黄巾党の乱の時に知り合った程立と戯志才だ。二人とはあの時以来会ってなかったから、一年以上振りになるのかな?」

「そうなりますねえ。いやはや、その間に徐州のお偉いさんになるとは、流石は天の御遣いさんです。」

「俺は別に大した事してないけどな。というか、程立はその肩書きを丸っきり信用してなかっただろ。」

「清宮殿は、二人の皇子をお救いしたのも大した事じゃないとでも?」

「俺一人でしたなら大した事だろうけど、実際には愛紗(あいしゃ)達の活躍が大きいからなあ。」

「用兵に長ける事も総大将として大切な事だと思いますよ、清宮様。」


 昔話に花を咲かせる、という程昔の話をしている訳ではないが、やはり知り合いと会うとそれなりに話が弾むのだろう。(しばら)くの間、霧雨を交えた四人の会話が続いた。

 その会話は、凪が申し訳なさそうに会話に入ってくる迄続いた。


「そうだった。霧雨、頼む。」

(かしこ)まりました。」


 涼の命を受けた霧雨が、凪に案内されて怪我人の所に向かう。少し遅れて涼達も向かった。

 その部屋には怪我人が沢山居た。皆若い男性で、その中の一人は兵士らしき格好のまま寝かされ、包帯が赤く染まっていた。


「失礼します。」


 霧雨はそう言ってその男性の治療を始めた。と言っても、彼女は医師では無いので出来る事は凪達と大差無い。

 そんな中、建物の出入り口の方から一人の若い男性の大きな声が聞こえてきた。


「患者が居るのはここか!?」

「だ、誰な!?」


 男性の声に驚いた沙和が振り向きながら訊ねた。

 男性は近付きながら経緯を話し始めた。


「そう警戒しないでくれ、俺は旅の医者だ。たまたまこの村の近くを通った所、何やら大事が起きていると思い、門の近くに居た兵士に訊ねると賊に襲われたと言うではないか。なら怪我人が居るだろうと思い、微力ながら治療に来たという訳だ。」

「……よく、その兵士は貴殿を村に入れましたね。未だ戦闘は完全には終わっておらず、貴殿の身元も判らぬというのに。」


 稟が眼鏡の位置を直しながらその男性を見据え、当然の疑問を口にする。


「俺も思ったよりすんなりと入れたのは驚いたが、患者の命を救うには少しの時間も無駄に出来ないからお陰で助かった。一応、何人か兵士もここ迄一緒に来たしな。……それよりも、その男性が一番の重傷者の様だな。」

「ええ。」


 霧雨は短く答えると直ぐにその場から離れ、医者と名乗った男性に場所を譲った。

 男性は今迄霧雨が居た場所に腰を下ろすと患者の傷口や体温、脈拍等を診ていき、次いで腰に有る袋から更に小さな袋を取り出した。


「それは?」


 その袋を見た涼が何気なく疑問を口にする。

 すると、男性は患者を見たまま説明を始めた。


「これは“麻沸散(まふつさん)”という薬で、これを使えば患者は痛みを一切感じなくなる。この患者を救うには外科治療が必要なので、今からこれを患者に投与し、それから手術をするんだ。」

「成程、つまりそれは麻酔薬か。……って、“麻沸散”!? ……もしかして貴方は、名医と謳われる華佗(かだ)じゃないですか!?」

「ん? よく俺の名前を知っているな。確かに俺は華佗だが、名医じゃない。まだまだ学ぶ事の多い只の医者だよ。」


 華佗はそう言いながら麻沸散を投与し、手術器具らしき物を出して手術の準備を始めた。

 その様子を見ながら、霧雨が小声で涼に話し掛ける。


「清宮様、華佗と言えば確か以前、羽稀(うき)殿が休職中に診てもらった旅の医者の名前が華佗だったかと。」

「うん。羽稀さんからも、その話を聞いた雫からも聞いたから間違いないね。」


 徐州軍の陳珪(ちんけい)こと羽稀は、涼達が徐州に来る前に病気で一度軍を辞めている。

 その病気は治るのに時間が掛かるかと思われていたが、旅の医者に診てもらい治療を受けた所、予想より早く治り、そのまま復職出来たという。

 その旅の医者の名前が華佗であり、同じ名前の旅の医者が居ない限り、今目の前に居る男性がその時の医者と言う事になる。

 因みに、「華佗」という名前は「先生」を意味するとも言われており、三国志に「注」を付した裴松之(はい・しょうし)によれば華佗の本名は彼の(あざな)と関連していると言われている。


(それにしても、華佗は男なんだな。今迄も陶謙(とうけん)さんや丁原(ていげん)さんみたいに男性のままの人は居たけど……何か法則でもあるのかな?)


 涼は外科治療を始めようとする華佗を見ながらそう思った。三国志の登場人物の殆どが女性になっているこの世界では、華佗の様に男性のままというのは珍しい。

 それだけに涼は華佗に興味を持ったが、外科治療が始まった為にその場から離れた。人を斬る事に慣れてきているとはいえ、やはり内蔵を直接見るのは辛いらしい。

 涼と同じなのか、沙和と真桜も涼の後について行く。尚、霧雨と凪は華佗に手伝って欲しいと頼まれ、患者の体を固定したり手術器具を渡したりしている。

 涼はそのまま建物を出た。そこに、先程命じた兵士がやってきたので、彼が連れてきた軍医に建物の中に居る華佗を手伝う様命じ、兵士には自身の護衛を命じた。

 直後に、涼達が戦った辺りの賊は全て討ち取り、または捕縛したとの報告が伝令から伝えられた。同時に、鈴々率いる張飛隊も賊の殆どを討ち取っており、制圧も時間の問題だという事も伝えられた。

 その報告を受けた涼は鈴々の様子を見るのと同時に要救助者を保護する為、直ぐ様行動に移った。その際、沙和と真桜もついて行きたいと言ったので、涼は快く了承した。


「いやー、まさか同行を許されるとは思わんかったわ。」

「ホントなのー。」

「何言ってんの。部外者は俺達の方だし、少しでも早くこの戦いを終わらせる為にも、二人の……李典(りてん)于禁(うきん)の力が必要なんだよ。」

「そう言うてくれるんは嬉しいけど、うちらもこの村の人間やないから部外者やで。」

「そうなの。沙和達はこの近くの村の住人で、ここには陳留への出稼ぎに行く途中で寄っただけなの。」


 涼はそうなのか、と走りながら答え、その後も真桜こと李典、沙和こと于禁と話していった。走りながら話すとは結構器用である。

 二人とは、正確には凪を含めた三人とは先程の戦闘の時に簡単に自己紹介をしている。

 涼が徐州の州牧(しゅうぼく)補佐で「天の御遣い」だと知った時の三人は、恐縮して固まりそうになっていたが、未だ戦闘中だったのと、涼自身が固っ苦しいのが嫌だと言ったので、凪以外の二人は比較的早くに順応していった。

 尚、凪が順応出来ないのは生来の生真面目さの所為であり、二人と比べれば遅いが少しずつ順応していっている。


「それで、今も戦っているっていうあと二人はどんな子なんだ?」

「二人共この村の女の子で、沙和達は仲康(ちゅうこう)ちゃんと仲颯(ちゅうそう)ちゃんって呼んでるの。」

「……仲康? ひょっとして、その子の名前は許緒(きょちょ)って言うんじゃ?」

「そ、そうなの! 会った事も無いのに名前を当てるなんて、やっぱり御遣い様は凄いの!」

「そ、そうかな?」


 涼は照れた振りをしながら、今得た情報を整理していく。

 その間にも戦場へ近付いているので、残り時間は少ない。


(仲康が許緒の字ってのは、三国志を知っている人なら常識だから間違いはない。けど、仲颯ってのは誰だ?)


 一部、涼の認識と世間の常識がかけ離れている内容があるが、許緒の名前については確かに間違っていない。

 ……どれだけ三国志に関する知識があるのやら。

 普通の人からすれば驚き、ともすれば呆れる程の情報量だが、幼少の頃からそれらの書物を文字通り山程読み漁ってきた涼にとっては、日本人が桃太郎や浦島太郎を知っているのと同じくらいの常識なのだ。


(古代中国じゃ“仲”って字は次男に付けるって法則があるから、この世界じゃ次女、()しくは二番目に生まれた子に付けているんだろう。だとすると、仲颯って子もそれに当て嵌まるんだけど……該当する人が居ない。)


 涼は頭の中の三国志人名辞典を引っ張りだし、片っ端から検索した。だが、「仲」が付く武将や文官は居ても、「仲颯」という字を持つ武将や文官は一人も居なかった。

 そこで、涼はもう一人の「仲」の名を持つ少女、許緒から何か手掛かりは無いかと考え、その瞬間に一つの仮説に思い至った。

 何故、許緒と一緒に名前が出た時に気付かなかったのか、と自嘲したくなった程だ。

 涼はそんな気持ちを落ち着けてから、沙和に訊ねる。


「じゃあ……もう一人は典韋(てんい)、かな?」

「そ、その通りなの!」


 推測を述べた涼の言葉に対し、沙和は先程より驚きながらそれを肯定した。それはつまり、涼の推理が当たった事を意味している。

 許緒と典韋。この二人は共に曹操に仕え、共に剛勇で名を馳せた武将である。

 正史ではこの二人の組み合わせはそれ程印象にないが、演義では許緒が曹操に仕える際に一騎討ちをし、互角に戦ったとされ、曹操軍の豪傑二枚看板としての印象が強調されている。


「その二人なら、幾ら賊が多くても安心できるかな。」

「なんでや?」

「まあ……勘、かな。」

「なんやそれ。」

「なんやそれ、と言われても、そうとしか言い様がないしなあ。」


 本当の事を言う訳にいかない涼は、苦笑しながらそう言って誤魔化した。

 やがて、戦場に着いた。

 とは言え、殆ど戦闘は終わっていた。賊の大半は討ち取られ、降伏する者も相次いでいる様だ。

 涼達は辺りに敵が居ないか気を付けながら走り、途中で倒れている人が居れば応急処置を行い、賊が現れれば即座に斬り捨てた。

 やがて、半壊した建物の向こうから少女の声が二つ聞こえてきた。どちらも幼さを残した声音でありながら、発している声は平時のものではない。明らかに戦闘時に発する声だった。


「仲康ちゃんと仲颯ちゃんの声なの!」


 沙和が涼に知らせる様に叫ぶ。涼は沙和と真桜、そして兵士達と顔を見合わせると、声がした方へ駆け出した。

 そこは少し拓けた場所だった。

 もう殆ど居ないと思われた賊が、ここには未だ数十人は居る。

 だが、対する徐州軍はその数倍の人数を擁し、鈴々こと張飛が兵を鼓舞しながら賊を斬り倒している。

 最早大勢は決している。それでも戦闘が続いているのは、賊達が降伏をしないという意思表示でもしたのだろう。幾ら賊相手とはいえ、無用な戦闘は禁じている為、この状況で戦闘が続いているのはそれしか考えられない。

 涼は左右を見回し、先程の声の主を探した。

 簡単に見つかった。何故なら、この場に居る少女は沙和と真桜を除けば、鈴々を含めて三人しか居なかったから。

 只、どちらが許緒で、どちらが典韋か迄は流石に判らなかったので沙和に訊いて確認した。

 一人は、桃色の髪を特徴的なツインテール、薄紅色のヘソ出しノースリーブ、といった格好で、背丈は鈴々と同じくらい。

 もう一人は緑色の髪の少女で、その前髪に大きなリボン、先程の少女と同じ様にヘソ出しノースリーブだが、ノースリーブは袖無しジャケットっぽいデザイン。下はローライズのスパッツといった格好。やはり背丈は鈴々と同じくらいだ。

 その二人はそれぞれ特徴的な武器を使っている。桃色の髪の少女はトゲが沢山付いている鉄球をけん玉の様に、緑色の髪の少女は紐が付いた太鼓みたいな物をヨーヨーの様にそれぞれ振り回して戦っている。

 小学生くらいの背丈の少女が、自分達の頭より大きな得物を楽々と振り回し、賊をバッタバッタとなぎ倒していくという光景は何ともシュールだが、この世界に来て一年以上になる涼にとっては極々ありふれた光景だった。


「鈴々が三人居るみたいだなあ。」


 この場に居るもう一人の少女である鈴々と同じ様に活躍する少女達を見て、涼は苦笑しながらそう呟いた。

 このまま見物していても戦闘は難なく終わりそうだったが、少しでも早く戦闘を終わらせる為に涼達も加勢する事にした。

 戦況を見た結果、余裕がある鈴々の部隊には沙和が、少し疲れている様に見える桃色の髪の子には真桜が、一番疲れている様に見える緑色の髪の子には涼がそれぞれ兵士達と共に向かった。

 鈴々の部隊には加勢は必要無かったかな、と思いながら、涼は緑色の髪の少女の(もと)へと駆ける。

 涼は先程、その少女を一番疲れている様だと判断したが、それでもバテバテという程疲れてはいない。単に三人の中で一番疲れている様に見えただけであり、その証拠に少女は今もまた一人、賊を倒した。

 まるで巨大なヨーヨーを振り回しているかの様に動く少女を見て、涼は不意にヨーヨーで遊びたくなった。昔、現代的なヨーヨーが流行っていた時に涼も少しばかり遊んでいたのだ。

 勿論、今は遊んでいる暇は無く、そもそも、ヨーヨーが無い為に遊ぶ事は出来ないのだが。

 涼は緑色の髪の少女に近付くと、警戒されない様に優しい声音で訊ねた。


「君が仲颯ちゃんだね?」

「……そうですが、貴方は?」


 緑色の髪の少女――仲颯は、前方に居る賊から一瞬だけ視線を向けながら訊ね返した。

 賊が一気に間合いを詰めようとしないのは、仲颯の武器を警戒しているからだろう。更に今は涼達も加わったのだから、彼等の警戒レベルは最大と言っていい筈だ。


「俺は清宮涼。徐州の州牧補佐をしている。」

「っ!? それでは、貴方は張飛さんの……し、失礼しましたっ‼」

「気にしなくて良いよ。それより今は、彼奴等をやっつける事に集中しよう。」

「は、はいっ!」


 涼が仲颯の隣に立ちながらそう言うと、仲颯は前を向いて武器を構え直し、大きな金色の瞳で賊を睨んだ。

 族にとってはこの時が降伏、若しくは逃走の最後のチャンスだった。

 だが、賊はそのどちらも選ばず、戦う事を選んだ。自分達の目の前に居るのが、かつての黄巾党の乱で活躍した清宮涼であり、三国志演義では(いん)の時代の猛将の名をあだ名にされる程の豪傑、典韋だという事を知らなかったのが彼等の不幸だった。

 最初に動いたのは仲颯だった。

 手にしている武器を振り回し、敵を二人吹き飛ばす。

 敵が怯んだ所に涼が斬りこみ、一人を斬り倒す。

 残った敵は当然の様に涼を狙うが、そこに仲颯の援護攻撃が入ってまた一人倒し、涼は目の前に居る敵を斬り、返す刀でもう一人を斬り倒す。

 まるで何度も練習したかの様な連携攻撃により、みるみるうちに敵の数を減らしていく。勿論、二人が練習をしていた訳は無く、寧ろ初対面なのだが。

 それでここ迄連携がとれているのは、二人の才能の成せる技か、それとも運か。なんにせよ、たかが賊程度ではこの二人を止める事は出来ない。

 それに気付いた者はここにきて漸く逃げ出したが、時既に遅し。周りに散っていた兵士達に各個撃破されていき、それは涼が降伏するなら命はとらないと発する迄続いた。

 だが、中にはそれでも降伏しない者が居り、彼等はせめて一矢でも報いろうと攻めかかる。

 そんな賊の標的は仲颯だった。涼と比べれば子供に見える彼女に狙いを定めるのは間違っていないが、それでも相手が悪いとしか言い様が無いのもまた事実だった。

 一斉に仲颯に向かう賊達。

 それに気付いた涼は仲颯の援護に向かおうとするが、残った賊が前を塞ぎ先へ進めない。

 仕方無く賊を斬り倒すが、その分だけ仲颯に近付くのが遅れる。涼は少しだけ、焦った。

 だが、焦る必要は全く無かった。

 仲颯は落ち着いて得物を引き戻しながらバックステップで間合いをとると、得物を時計回りに力一杯に振り回す。仲颯に攻めかかろうとしていた賊の大半がこれをまともに喰らい、戦闘不能に陥った。

 それでも数人の賊が残ったが、仲颯にとっては僅かな時間を作れればそれで充分だった。

 何故なら、その時間だけで「味方」の動く時間には充分だったから。

 突如、仲颯に向かっていた賊の一人が、呻き声と共に倒れた。

 他の賊が振り返ると、そこには体中に返り血を浴びている涼が右手に刀を握ったまま立っていた。

 驚いた賊が涼の後ろを見ると、そこには涼に斬られた賊達が何人も倒れている。

 絶命した者、未だ息がある者の両方が居たが、生きている者も腕や足に深い傷を負っており、最早戦う事は難しいと思われる。

 涼の姿を見た賊達は、思わず後退りした。

 彼等は賊に落ちぶれてから今迄、弱者を斬り、その財を奪う事しかしてこなかった。

 今回この村に来たのも小さくて襲い易いと思ったからで、事実そうだった。

 彼等にとっての誤算は、この村に許緒や典韋といった小さくとも強い少女が居た事、旅の終わりに立ち寄った軍師志望の戯志才と程立、出稼ぎに来ていた楽進と李典と于禁という三人の武将達。そして何より、三千を超す兵と共に徐州軍の将軍の張飛と文官の孫乾、「天の御遣い」こと清宮涼が現れたという、誤算というには余りにも大き過ぎる障害がある事を知らなかった事である。

 風の噂で知っていた「天の御遣い」という存在。どうせ眉唾物だと彼等は思っていた。

 もし本当にそんな存在が居るのなら、何故俺達は賊なんて身に落ちぶれているんだ、と自分達の境遇を嘆きながら嘲笑っていた。

 確かに、彼等の境遇には同情してしまう。

 漢王朝が十常侍を中心とした宦官達によって私物化され、政治が腐敗し、その為に民衆が虐げられていたのは事実であり、生きる為には賊にならなければならなかった者も居ただろう。

 だが、民衆の大半は賊になっていないのも事実であり、賊になる事の正当性は無い。

 時代が悪いからといって人を殺して良い訳ではなく、賊にならずに生活する方法は沢山ある。

 それでも賊になったのは個々人に様々な理由があるとは言え、結局は自身が選んだ事であり、今更責任転嫁してもそれは自分勝手過ぎる。

 だが、賊にはそれが解らない。解らないから結局は世の中が悪いと決めつけ、自分達のしてきた事を正当化する。

 間違いを認めず、正そうともしないから、彼等は再び人を襲い、物を奪い、罪を重ねていく。

 勿論、中には自分の罪を自覚し更生する者も居るが、そうした者は残念ながら少ない。殺人や強盗という重罪に対する刑が命をもって償うものが殆どなのも、更生者が少ない遠因だろう。

 賊は命を惜しむ。誰でも命は惜しいが、賊は他者の命を奪っているだけに余計に自身の命を惜しむのだ。

 そして、今、涼達の前に居る賊達も自分の命を惜しんでいる。そうでなければ心身を恐怖に囚われたりはしないだろう。

 彼等は、生きる為に目の前の障害にどう対処するか考えた。その結果、彼等は障害から逃げるのではなく、倒す事を選んだ。逃げても殺されるだけなら、その前に殺してやるという事なのだろう。

 だが、その判断は間違いだった。

 賊は、近くに居た仲颯に斬りかかった。先程の圧倒的な攻撃を見てもなお、彼女の方が倒し易いと判断したのか。

 勿論そんな筈はなく、その賊は仲颯によって倒された。また、残りの賊も仲颯や涼、兵士達によって討たれ、捕縛されていった。

 その頃には他の所でも賊の掃討が終わっており、戦いが終わった事に気付いた者は皆一様に安堵し、息を吐いていた。


「……どうやら、終わったみたいだな。」

「そう……みたいですね。」


 涼と仲颯は、周りを見ながら小さく呟いた。

 兵士達は倒した賊を一ヶ所に集め始めており、捕縛した賊に対しては別の場所に移して尋問の準備を始めていた。

 見れば、鈴々と沙和、仲康と真桜が近く迄戻って来ている。皆、顔や体に返り血を浴びているが、怪我らしい怪我はしていない様だ。

 それを見た涼と仲颯は計らずも同時にホッと息を吐いた。仲間や友が無事でいるのだから、その反応は当然だろう。

 鈴々達も涼達に気付くと手を挙げ、笑みを浮かべながら近付いてくる。涼達も顔を見合わせ、彼女達に近付こうとした。

 その時、涼達の後ろから微かに物音が聞こえた。が、丁度沙和の声が聞こえてきた為に涼達には聞こえなかった。

 それがいけなかった。物音の元は負傷していた黄巾党の賊だった。その男は一見して最早助からないであろうという程の深手を負っていたが、そんな見た目とは違ってその動きは素早かった。最後の力を振り絞ったのだろう。

 男は武器を振り上げ、大声を上げながら仲颯へと向かっていく。仲颯や涼、そして鈴々達は声に気付いて振り向く。

 仲颯は直ぐ様武器を持ち直し、迎撃態勢に移ろうとした。が、一度緊張から解き放たれた心身を再び戦闘状態にするというのは難しい。

 事実、仲颯が構えようとした時、彼女は自身の得物を落としてしまった。元々大きなヨーヨーの様な得物であり、小柄な彼女の得物にしては大き過ぎる。その為落としても不思議では無いが、そのタイミングが悪過ぎる。

 仲颯は慌てて得物を拾おうとするが、拾ってから応戦するには時間が足りなさ過ぎた。

 そこで、彼女は得物を拾わず回避行動を採る事にした。この判断は正しかった。

 何せ、相手は瀕死の重傷である。まともに動き続けられる筈が無く、ほぼ無傷の彼女なら簡単に逃げきれる。そして、その通りになった。

 男の最後の一撃は虚しく空を切った。そして次の瞬間、涼の一太刀によって致命傷を負った男はそのまま倒れ、二度と動く事は無かった。


「だ、大丈夫か、仲颯?」


 涼は剣を振って血を飛ばしてから納刀すると、そう言って彼女を見た。見たところ、怪我はしていない様だ。


「は、はい……ん……っ!」

「どうした?」


 涼に返事をしようとした仲颯の表情が一瞬歪んだ。


「……ちょっと、足を捻ったみたいです。さっきのはホントに咄嗟の事でしたから……。」

「ちょっと見せて。」


 そう言って涼はその場に仲颯を座らせ、痛めたという右足首を見た。腫れ上がってはいないが、触ってみると若干の熱を帯びている。痛めたというのは間違いないようだ。


「怪我したなら早く治療しないと。幸い、医者は何人か居るし、旅の医者も居るから直ぐ治せるよ。」

「そんな、大袈裟にしなくても大丈夫ですよ。」

「いや、捻挫を甘くみちゃダメだよ。悪化させたら日常生活に支障が出る。……また今日みたいな事があっても戦えないよ?」

「それは……困ります。ここは清宮様の言う通りにします。」

「それが良い。あと、様付けはしなくて良いよ。どうもそういった堅苦しいのは苦手でね。」


 そう言って涼は仲颯の体を抱き上げる。小柄な体躯らしく、とても軽い。それであの得物を使っているのだから、凄いなと涼は思った。


「あ、あの……そこ迄してもらわなくても大丈夫ですよ。」

「遠慮しなくて良いよ。さっきも言ったけど、捻挫は甘くみちゃいけないし。」


 涼はそう言いながら彼女を連れて行く。その格好は所謂「お姫様抱っこ」というもので、女性はある種の憧れを抱く様だが、実際にされると結構恥ずかしい。事実、今の仲颯は顔を真っ赤にしていた。

 尚、それを見ていた他の面々はというと、


「……サラッと凄い事をやっていくの。」

「流石は“天の御遣い”やな。」

「お兄ちゃんはあれが普通なのだ。」


と、沙和、真桜、鈴々の三人は。率直な感想を述べた。果たして会話が噛み合っているかは解らない。

 涼が仲颯を華佗の許に連れて行った時、既に手術は終わっていた。この短時間で重傷者の手術を終わらせ、止血その他の処理を完璧に終わらせているとは、流石は華佗と涼は思った。


「成程、捻挫か。ここ迄彼女を歩かせなかった清宮殿の判断は正しい。今診てみたが、これは意外と重症になったかも知れない。」


 手術終わりで疲れているかと思ったが、華佗は仲颯の診察をしてくれた。寧ろ、彼女が負傷したと知ると積極的に診てくれた。


「捻挫ってのは、簡単に言うと関節を損傷している事で、患部が炎症を起こしているんだ。この状態で無理をすれば、幾ら捻挫でも完治に時間がかかる。日常生活に戻りたいなら、無理はしない事をお勧めする。」


 真剣な表情で言う華佗の迫力に負けたのか、仲颯は彼の助言を素直に受け、安静にする事にした。適切な治療が行われた為、無理をしなければ悪化する事は無いだろう。

 それにしても、と思いながら涼は周りを見回した。

 文字通り野戦病院と化していたこの小屋には、今も負傷者が沢山居る。

 だが、その殆どは適切な治療を受けており、快方に向かっている。流石は三国志で名医と謳われた華佗と同じ名を持つだけはあると言う事か。

 涼は、仲颯と華佗にそれぞれ一言声をかけてから自分の仕事に戻った。

 比較的小規模とは言え、戦闘が行われたのだ。敵味方の死傷者数と、被害を受けた人々に対して何が出来るか、といった事を今直ぐに把握しておかねばならない。補佐とは言え、涼は徐州の重職に就いており、何よりも彼は「天の御遣い」という肩書きを持っており、ある意味今の皇帝である劉弁(りゅうべん)(少帝(しょうてい))よりも民衆に知られているかも知れない。

 小屋から少し離れた所で、霧雨が各部隊長からの報告を受けていた。涼が彼女達に近付くと霧雨達も涼に気付き、上官に対する仕草をして彼に向き直った。

 開口一番、霧雨が先程の戦闘の詳細を告げてきた。聞く前から答える所が、彼女の優秀さを表している。


「戦死者は出ていませんが、負傷者が数十名程出ています。ですが、華佗殿の治療のお陰でその者達も命に別状はありません。」


 涼は、戦死者が居ない事と負傷者も大事ない事を聞いて安堵した。

 まあ、普通に考えれば農民上がりの賊に正規兵が負ける訳は無いのだが。

 涼は各々に食料支援等の指示を出すと、周りを見渡した。

 賊が襲ってきただけあって、民家は壊され燃やされ、そこかしこから煙が上がっている。

 壁や地面には沢山の血の跡があり、壊れた武具の残骸が落ちている。

 負傷者の救助を優先している為、未だ遺体の回収は済んでいない。この集落の住人だった遺体も、賊の遺体もその無残な姿を晒していた。

 涼はその場を離れた。

 暫く行くと小さな川が流れていた。子供が水遊びをするには最適な、小さな川だが、ここでも戦闘が行われたらしく、辺りで血の跡が散見された。

 涼は黙って川の中に手を入れた。ゴシゴシと手を洗う。手に付いていた血が流れていき、いつもの手に戻ってからも、涼は手を洗い続けた。


「そんな事をしても、その汚れは落ちないわよ。」


 凛とした、懐かしい声が涼の耳に届く。

 声のした方を振り向くと、そこにはやはり見知った顔があった。以前と同じく、いや、以前よりも凛々しく、強く、美しくなっているその少女の名を、涼は口にする。


「そんな事は解っているよ、華琳。」


 それは強がりなのかも知れない、出任せなのかも知れない。

 だが、涼の瞳には確かな意志の光が灯っていた。

 その少女――華琳は、満足そうに微笑んだ。

 黒系を基調とした衣服と甲冑を身に纏った少女は、涼がハンカチで手を拭いているのを見ながら近付いて来た。


「華琳は何故ここに?」

「貴方達を迎えに来ていたのよ。まあ、本来は別の目的があって出ていたのだけど、途中で貴方の先触れと会って、今日はこの辺りに来るって聞いたから、進路を変えて来てみたらこの有り様で驚いたわ。」

「そういや、先触れを出していたっけ。」


 涼は先日の孫軍との会談に際しても先触れを出しており、それによって会談の日程がスムーズにいっている。現代の様に電話やメールで気軽に連絡する事が出来ない為、この様な場合は先触れと呼ばれる者を先に派遣して大まかな目的を伝えるのがここでは一般的になっている。急に来られても困るしね。


「まあ、私達が来る前に賊の討伐は終わっているみたいだけど……この賊は黄巾党の残党かしら?」

「どうだろう? 確かに、中には黄巾党の目印である黄色い布を巻いている奴も居たけど、全員じゃないし、混成部隊とみた方が良いかもな。」

「私の統治下で未だこんな賊が未だ居たなんて。……一度、桂花(けいふぁ)と賊対策を練り直す必要があるわね。」


 そう言って華琳は暫し呟き続けた。

 華琳の沈思黙考が終わるのを待って、涼は彼女と共に皆の所に戻っていった。途中、桂花の乱入でうるさくなったりもしたが、華琳と居ればいつもの事だと割りきっていた涼は意に介さず華琳と話をしていった。


「青州の黄巾党を討伐するという話だったけど、上手くいきそうなのかしら? こちらが得た情報では、青州黄巾党はかなりの大軍だそうだけど。」

「まあ、正直言って数的不利は否めないかな。だからこそ華琳には、余計な邪魔が入らない様に協力してほしいんだけど。」

「この集落の惨状を見れば、余計に貴方の提案に乗ってあげたい所だけど……。」

「見返りがほしい、という事かな?」

「ハッキリ言うとそうなるわね。いくら私でも、何の見返りも保証も無しに軍を動かす事は出来ないわよ。それが解っているから、貴方自身が出て来たのでしょう?」

「流石、華琳には何でもお見通しか。」


 涼は苦笑しながら見返りについて話す。

 基本的には孫軍との会談での内容と変わらない。金銭、食料、同盟維持等、今回の青州遠征を成功させる為には必要な事を提示していく。

 それに対し華琳は一つ一つ質問をし、答えを得ると隣の桂花に意見を訊き、その結果了承していく、という流れとなった。

 その桂花は涼の提案を聞いて何か文句を言おうと思ったが、その提案が文句をつけられない内容だったので、内心悔しがっていた様だ。相変わらず彼女の華琳様愛は凄まじい。

 華琳は涼の提案を全て了承したが、一つだけ、彼女の方からの提案があった。


「陛下への奏上(そうじょう)?」

「ええ、貴方の実績と桃香の立場を考えれば簡単でしょ?」

「簡単かなあ……?」


 涼はそう言いながら思案に耽る。

 華琳が言う涼の実績とは、先の十常侍誅殺における皇太子救出の事だというのは、涼も理解していた。実際、あの日の皇太子、現在の劉弁皇帝と陳留王(ちんりゅうおう)劉協(りゅうきょう)は涼に感謝し、暗殺された何進(かしん)に替わって大将軍にしようか、いやいや、新設予定の部隊の指揮官にしようか、等と言って感謝の意を示していた。

 流石にそれは断ったが、代わりに桃香を州牧にするという事で謝意を受け取った。だが、この兄弟はそれでも感謝し足りなかった様で、他にも欲しいものは無いか? と訊ねてきた。

 然程(さほど)物欲も権力欲も無い涼は丁重に断り、かつ二人の顔を潰さない為に、何かあったらその時お願いします、と言っておいた。

 華琳にはその事を詳しく話していないが、涼が二人を助けた事実から多少の無茶は通るだろうと踏んでいる様だ。

 一方、桃香もその立場では涼と同じかそれ以上と言える。

 桃香の先祖は前漢(ぜんかん)の皇族である中山精王(ちゅうざんせいおう)劉勝(りゅうしょう)であり、その為、同じく前漢の皇族の末裔である光武帝(こうぶてい)劉秀(りゅうしゅう)を先祖に持つ二人とは血縁関係となる。

 勿論、皇帝一族と没落した皇族の末裔ではその立場は比べるべくもないが、この漢大陸では「劉」姓は特別な一族として認識されており、現代においても中国の五大姓の一つとされている。尚、五大姓の他の四つは「李」「王」「張」「趙」である。

 そうした理由もあって、劉氏である桃香は漢王朝でも一目置かれる存在となっている。(むしろ)を売っていたという彼女の出自を気にしている者も居るが、黄巾党征伐や十常侍誅殺などで副将、総大将として活躍した事もあって邪険に扱う訳にもいかず、彼女を徐州の州牧にするという劉弁の決定に異を唱える事が出来なかった。

 以上の事から、華琳が涼に奏上を頼むというのはある意味当然であり、恐らく効果はあるだろう。

 涼は思案の末、彼女の頼みを引き受ける事にした。

 同盟または不可侵条約の締結の為には必要な事であり、涼としては本来華琳の手柄になる筈だった青州黄巾党征伐を涼達がしている、という負い目も多少ある。

 本来なら、曹操が青州黄巾党を討伐し、その残党約百三十万を降伏させ、その中から選抜した者達を自軍に組み入れ、精強な「青州兵」が誕生する。

 その結果、曹操軍の実力は飛躍的に上がり、大国「()」の礎になったと言っても過言では無い。

 つまり、涼達が青州黄巾党を討つ事で、この世界の曹操こと華琳が名を上げる機会を奪っている訳で、涼としては心苦しいところがある。そうした気持ちを少しでも緩和する為に、奏上を引き受けるという訳だ。

 そんな大事な話を、小さな集落、しかも賊の襲撃を受けた所の単なる道を歩きながら行っているというのは中々にシュールだ。


「おー。お兄さん、どこに行ったかと思えば、曹操様とご一緒でしたか。」


 外に出ていた仲徳が涼の姿を捉え、華琳と桂花を見ながらそう言った。


「ああ、そこで会ってな。程立は二人と会ったのか?」

「はいー。風も何かお手伝いが出来ないか外に出た時に、丁度曹操様の一団が現れたのですよー。」

「そっか。戯志才達は?」

「稟ちゃんは華佗さんのお手伝いを、文謙ちゃん達は残党が居ないか確認しに、公祐さんと翼徳(よくとく)ちゃんはお兄さんの部隊に指示を出しに、仲康ちゃんは仲颯ちゃんの傍に、それぞれ行ってます。」

「そっか。そう言えば、華琳の部隊はどうしてるんだ?」

「私の部隊はここに着いてから、貴方の部隊と共同でこの集落の警邏(けいら)や救助をしているわ。公祐が上手く部隊を振り分けてくれたから、来たばかりの私達でも円滑に動けている。……欲しいわね。」

「華琳様!?」

「だから、うちの人材を欲しがらないでくれ。」


 桂花は本気で驚き、涼は苦笑しながらそう言った。華琳が人材を求めるのは最早彼女の癖の様なもので、余り本気にしなくても良さそうだが、目の前で引き抜かれるかもと思うとやはり気が気でならないものだ。

 事実、桂花は「ぐぬぬ」と言いながらも華琳に反対出来ずにいる。彼女は華琳に心酔しており、可能ならば華琳の側近は自分一人で良いと思っている。だが、実際問題としてそんな事が出来る筈は無く、諦めてはいるのだが、それでも華琳が人材を求めるとこの様な反応を示してしまうのだ。


「優秀な人材を得ようとするのは統治者として当然の行為よ。獲られたくないのなら、部下が離れたくないと思う程の行動を見せ、実績を作る事ね。」

「御忠告、感謝するよ。」


 涼はやはり苦笑したままそう答えた。確かに、統治者の行動としては、彼女が言っている事は基本的に正しい。

 現に涼も徐州に来てから「招賢館(しょうけんかん)」といった人材獲得の為の施設を造ったりしているので、彼女の言っている事は理解出来ている。

 だが、だからと言って涼は「引き抜き」をやろうとは思わなかった。それは、彼が「三国志」を知っている事も少なからず関係しているだろう。

 例えば、劉備には関羽(かんう)、張飛、諸葛亮(しょかつ・りょう)が居るのが普通であり、孫策には周瑜や太史慈(たいし・じ)が居なければならないという固定観念がある。その例でいけば、曹操には夏侯惇(かこう・とん)夏侯淵(かこう・えん)荀彧(じゅんいく)が居るのが絵になる。もし、この中から一人でも居なくなれば、「曹操軍」の絵は評価が下がってしまうだろう。

 涼は、心のどこかでそう思っている。だからこそ、史実や演義に沿った人材確保は積極的にするが、それ以外の事は余りしないでいた。まあ、本来なら歴史の表舞台から去っている筈の張宝(ちょうほう)が自軍に居る時点で、その気遣いは余り意味が無いのだが。

 だが、「三国志」を知らない、というか当事者である曹操こと華琳はそんな事お構いなしに人材確保に動く。当たり前の行為であるそれを涼が非難する事は出来ないし、もしすれば華琳は間違いなく涼も引き抜きをすれば良いと言うだろう。

 そこには、部下が引き抜かれない自信が表れているし、仮に引き抜かれてもそれは自分の信望がまだまだだという事であり、何れ引き抜き返すと息巻くかも知れない。

 曹操という人物は、現代に於いて評価が大きく変わってきた人物である。

 かつては、「主人公」の劉備陣営に立ちはだかる「悪役」の曹操陣営というのが一般的であり、日本において演義を下敷きにした物語が多く作られた事からもそれは伺える。

 だが、曹操が行った様々な改革、実力主義は歴史の再評価によって賞賛され、後の魏王朝の礎になった事は最早周知の事実となった。

 そもそも、正史において魏王朝は後漢王朝の後継王朝として認められており、その点を考えれば再評価は遅過ぎたといえるだろう。

 日本の英雄で曹操と似た評価がされているのが織田信長(おだ・のぶなが)だ。

 彼は、戦国乱世にあって徹底した改革、実力主義を貫いており、農民出身の木下藤吉郎きのした・とうちきろう(後の豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし))等を抜擢しており、信長がした事は後の豊臣政権、そして徳川政権の下敷きになっている。悪役が似合う人物で、後に再評価されているというのも曹操と似ている。

 涼は三国志が好きな日本人で、日中双方の歴史に詳しい分、その構図に手を加える事に迷ってしまう。

 それを克服しなければ、何れ自分達が苦境に立たされると解っているのに。

 涼達が戻ると、稟達と話していた華佗がそちらに気付いた。


「あ、清宮殿。丁度良い所に。」

「どうかしましたか?」

「いや、大した事じゃないんだが、賊の治療をしたくてな。」

「はあっ!? 何言ってんのよアンタ! 賊の治療なんてしたら、ここの住民の反感を買うわよ!」


 華佗の発言に真っ先に反応したのは桂花だった。

 確かに、沢山の死傷者を出した要因である賊の治療をここの住民が受け入れるとは思えない。彼等が居なければ、住民達が死ぬ事は無かったのだから。

 だが、華佗は医者である。現代において医者には敵味方の区別は無い。この時代は医者の数が少なく、地位も低いので華佗の様な考えの人間は少ないだろうが、現代出身の涼は彼の気持ちがよく解った。


「……許可します。但し、名目として彼等が何故ここを襲ったのか調べる為に治療をする、という事にしておきます。」

「……解った。寛大な判断に感謝する。」


 華佗は涼に一礼すると、直ぐ様治療の為にその場を離れ、華琳はそんな華陀と涼を交互に見ながら呟いた。


「……まあ、妥協点としては今のが正解ね。」

「……そうですね。」


 先程華陀の言動に噛み付こうとした桂花も華琳に同意を示した。

 本来なら、賊を治療するという事は桂花が言った様に住民の反発を招きかねない為、許可するべきではないだろう。

 だが、華陀には住民や自軍の兵士の治療をしてもらったという経緯がある。そんな彼の申し出を無碍(むげ)に断るのは双方にとって良くない。

 そうした事情を考えれば、先の涼の返答になるのは必然であった。そうする事で、華陀は負傷者の治療を行う事が出来、ひいては彼への感謝にもなる。住民の反発は多少あるだろうが、名目上、今回の事件の詳細を知る為となっている為、大きく非難は出来ない。何より今は、住民達は支援が無ければ何も出来ない。わざわざ支援者の機嫌を損ねる行為はしないだろう。

 涼は住民達が自分達を恐れるかも、という事迄は考えが回らなかった。幾らこの世界に適応してきているとはいえ、彼は現在の一般的な日本人の性格をしている。

 だが、華琳は違った。涼がそこ迄思案が及んでいない事迄は流石に解らなかったが、彼女は前述の様に考え、納得していた。

 恐らくそれが、清宮涼と曹孟徳の決定的な違いなのだろう。

 勿論そんな事は、当人達も気付いていないが。

 その後、涼達は曹操軍と協力して集落の再建の為に助力した。とは言え、集落の再建には時間がかかり、涼達はいつ迄もここに居られない為、彼は可能な限りの資金、食料、医薬品の提供をする事を軍議で提案し、了承された。

 その日は清宮、曹操軍共に集落に残り、治安維持に努めた。流石に軍が駐留している集落に襲いかかる賊は居らず、住人は亡くなった人々を想いながらも、それ以上の悲しみや不安に苛まれる事無く、一夜を過ごしていった。

 翌日、華琳は自軍から百名程を選抜して治安維持等の任務を与え、自身は涼達と共に本拠地である陳留への帰還を決定する。

 同日夕刻、涼達は陳留へと到着した。

 その日は涼達の到着を歓迎する為の祝宴(しゅくえん)が開かれた。先の賊の一件があったのでそれ程乗り気にはなれなかったが、断るのは失礼になる為、可能な限り楽しんだ。

 尤も、それ以外にも理由はあるのだが。


「あの……私達がこの場に居て良いのでしょうか?」

「華琳が良いって言ってるし、良いんじゃない?」

「随分と曖昧なの~。」

「せやかて、御遣い様の言うてる事も一理あるで。孟徳(もうとく)様が許可してるんやし、堂々としとこうや。」

「真桜ちゃんは呑気なの~。」

「沙和にだけは言われとうないわ。」

「二人共、少しは緊張感を持て。」


 真桜こと李典と沙和こと于禁が漫才の様なやりとりをし、凪こと楽進が呆れて溜息を吐いている。

 彼女達が居るのは陳留の曹操の屋敷である。陳留を治めているだけあってそれなりに壮麗かつ華美な建物であるが、大きさは孫家のものと比べれば少し小さい。これは、両者の立場が現時点では孫家が上だという事に起因しているだろう。

 だが、それでも庭に植えてある木々や花々のセンスはこちらの方が高く、また、家具、調度品の質や実用性も上の様だ。


「文謙ちゃん達は仲が良いですねえ。」

「それは認めますが、もう少し現状把握をしてもらいたいですね。」


 凪達の様子を見ながら、風と稟はその様に感想を口にする。


「ね、ね。ボク達はこれから何をすればいいのかな?」

「わたしに聞かれても困るわよ。……兄様、どうしたら良いでしょうか?」


 年少組とも言える許緒と仲颯もまた、先の凪達と同じ様に困惑している。

 だがそれも当然だろう。彼女達は涼と違って無官の、言わば平民である。そんな人物が曹操の屋敷に連れて来られて緊張しない方がおかしいだろう。

 一見、何の変化も無い風でさえ、頭の上の人形が項垂(うなだ)れている所を見ると、それなりに緊張している様だ。……人形の仕組みについては言及しない方が良さそうだ。

 涼は、ここに集められた面々が皆、ここに居て当然の人物だと知っている為、彼女達と比べて驚いてはいない。

 彼女達……凪、沙和、真桜、風、稟、仲康、仲颯はそれぞれ、楽進、于禁、李典、程立、戯志才、許緒、典韋という名前を持つ。それは皆、正史において曹操の旗の許に集った勇士達の名前である。

 曹操の旗揚げ時から居る者、曹操の頭脳となって神算鬼謀を張り巡らす者、武器を持たずとも大軍を相手に曹操を守った者、等々、その名は「三国志」にしっかりと刻みこまれている。

 この世界の曹操である華琳が彼女達を屋敷に招いたのは、先日起きた賊の集落襲撃の際に抵抗し、被害を最小限に抑えた功績を称えるという名目によるものだ。

 だが、華琳の性格を知っている涼は、その際に彼女達をスカウトするだろう。他陣営に所属している者に対して積極的に引き抜きを行う彼女が、無所属の者に対して勧誘しない訳が無い。

 そして彼女達は皆、華琳こと曹操が得て当然の人材ばかりなのだから、これは歴史の必然とも言える。

 勿論、華琳も凪達も、そんな事は知らない。だから、彼女達は彼女達の日常を続けているだけに過ぎない。

 暫くして、涼達が居る一室の扉が開かれた。入ってきたのは、左右に夏侯姉妹を従えた華琳だった。


「待たせたわね。」


 華琳はそう言いながら自身の座るべき席に座り、その左右やや後方にはやはり夏侯姉妹が護衛として立っている。


「始めに、涼。悪いけど先にこの娘達の要件を済ませたいの。良いかしら?」

「構わないよ。」


 華琳の申し出を涼はあっさりと認めた。何人かはその事に驚いていたが、文官である霧雨や、文官希望の風や稟、そして他ならぬ華琳自身は驚いていなかった。

 既に前日の会話で今回の会談の目的の大半は達成されている。あくまで口約束の為、正式には決まっていないが、彼女にも涼に頼み事をしている以上、正式な取り決めも直ぐ済むと思われる。


「では、早速だけど……。」


 華琳は自身の視界に居る少女達を見る。彼女の希望した面々が殆ど居る事を確認し、納得と残念さを併せ持った表情で呟く。


「出来れば、この場に華侘も居て欲しかったのだけどね。」


 その一言は何気ないが、彼女の後ろに居る夏侯姉妹には衝撃的だったのか、驚きながら互いに顔を見合わせた。

 凪達は何故夏侯姉妹が驚いているのか解らないが、短い間とはいえ華琳と一緒に過ごした涼にはよく解った。

 華琳は人材コレクターではあるが、基本的にその対象は女性、それも美人が多く選ばれている。その為、今の様に男性を選ぶのは稀有であると言って良い。

 因みに、女性が多く選ばれているとはいえ、男性が全く居ない訳では無い。尤も、割合としては九対一といったところであり、一般兵になって漸く数が逆転するという具合だ。


「まあ、華侘の考えも解るし、仕方無いわね。」


 華琳はそう言うと改めて一同を見渡した。

 涼と鈴々、霧雨以外は皆先日の集落に居た在野の者達だ。つまり、登用の誘いをすれば麾下に加える事が出来る可能性が高い面々という事である。

 彼女達の才は先日の賊との戦いで十二分に解っている。華琳自身は戦闘時の彼女達の働きぶりを見ていないが、戦闘後の処理を見るだけで文官希望の風達の力量は解るし、武官と言える凪達の強さは、夏侯惇こと春蘭が彼女達の姿を見るだけで把握出来る為問題はない。

 後は、自分自身が彼女達を説得すれば良いだけである。そして華琳には絶対の自信がある。


「単刀直入に言うわ。貴女達……私の部下になりなさい。」

「「「「「「「!!??」」」」」」」


 三者三様ならぬ、七者七様の反応を示す凪達。

 だがそれも仕方無いだろう。彼女達の中には、風や稟の様にどこかの勢力に仕官したいと志している者も居るが、凪や仲颯等はそんな事を考えずに日々を過ごして来たのである。それなのに急に、曹操に部下にならないかと誘われたのだ。驚かない方がおかしいだろう。

 そうした動揺の中で一番最初に我に返り、言葉を発したのは仲颯だった。


「あの、孟徳様。何故私達を召し抱えようとなさるのですか?」

「それは当然、昨日の賊に対する皆の働きを知ったからよ。」

「ですが、私達は皆平民です。」

「それがどうかして? 私は才能、実力があれば平民でも取り立てるし、逆に才能も実力も無ければ、例え王侯貴族でも要らないわ。」


 仲颯の言葉に華琳はそう答え、自身の考えを述べた。その内容は、才能を重視し、家柄や過去にこだわらず、身分の低い専門職の人々も厚く用いる、という、涼の世界の曹操も行った所謂「唯材是挙(ゆいざいぜきょ)」の事だった。

 現代の考えからすれば普通過ぎて何て事は無いのだが、この世界は階級社会であり、王侯貴族による支配が成り立っている。尤も、先の黄巾党の乱等で若干揺らいではいるが。

 そんな世の中でありながら、曹操や華琳がこの様な方針を執ろうとしているのは、曹操や華琳が置かれた環境が関係している。

 ここからは華琳に統一する。

 彼女は自身の勢力を拡大したいと考えていた。だが、この時既に袁紹や袁術といった大勢力が居り、名門曹家の人間である彼女でもそう簡単にはいかない。それぞれの袁家には人材が豊富に揃っており、本来なら是非とも麾下に加えたい者も居るが、今の華琳の権力、財力では強大な袁家に太刀打ち出来ない。

 華琳の従姉妹である春蘭・秋蘭の夏侯姉妹や、彼女の実力に惚れぬいている桂花等は率先して華琳の許に居るが、まだまだ知名度が低い華琳には先に挙げた二つの袁家に人材での質は兎も角、数で負けている。その現状を打破する為に、今回の事件で解決に尽力した人物を加える事、更には広く人材を求める事で戦力強化を計りたいのだ。

 どの世界、時代もそうだが、一国における王侯貴族の割合は一般人より少ない。将来を見据えるなら、そうした特権階級だけに縛られずに将兵を集め、鍛える事が得策なのは、人類の歴史が証明している。

 劉邦しかり、劉秀しかり、織田信長しかり。

 日本の戦国時代の武将である織田信長を、華琳が知る術は勿論無いが、劉邦、劉秀といった漢の皇帝については博識な彼女はよく知っている筈で、それに倣った可能性は高い。

 何にせよ、華琳はなりふり構わず、と迄はいかずとも、選り好み出来る状況では無いのである。

 華琳の発言から暫くの間、凪達はその真意を図るかの様にざわめき、稟が発言する迄それは続いた。


「孟徳様が身分に拘らないというのは解りました。ですが、私達は殆どが実績もありません。その様な者を登用するのは、流石に無謀かと……。」

「あら、実績なら昨日の件があるじゃない。」

「しかしそれは、清宮殿が来られた僥倖によるものが大きく……。」

「それに、あなたと仲徳は鉄門峡の戦いの後、連合軍に加わっていたでしょ。それも立派な実績よ。」

「……覚えておいででしたか。」

「当然よ。尤も、私はあの後連合軍を離れたから、貴女達がいつ迄残り、どんな活躍をしたのか迄は知らないけどね。」


 そう言うと、華琳は目線を涼に向けた。彼女がどの様に凪達を口説くのか興味があった涼は華琳を見ていた為、図らずも視線が合う。

 華琳の紺色の瞳は美しく、そして鋭かった。

 瞬間、涼は萎縮した。

 現時点での涼と華琳、二人の立場は若干ながら涼が上である。それは前述の十常侍誅殺の恩賞によるものであり、華琳もまた恩賞を得ている。

 そうした立場の差はあるものの、やはり生まれながらの武将である華琳と、平和な現代日本の高校生だった涼とは、どうしても迫力や威厳に差が生まれる。

 涼自身はそれをよく理解しており、当然だと思っているが、そうした事を知らない人間が見たら、「曹孟徳は“天の御遣い”の清宮涼をも圧倒する」と思われるだろう。

 事実、この場に居る者達のうち、数名は二人の行動、反応に気付いており、両者の格や質を見極めようとしていた。

 その一人、程仲徳こと風が場にそぐわないのんびりした口調で声をあげる。


「成程~。孟徳様は風達を高く評価しているのですね、ありがたい事です。稟ちゃん、折角ですからこのお話をお受けしたらどうでしょう?」

「風、そんな簡単に決めるものでは無いでしょう。これは私達の将来に関わる事よ。」

「そうですねえ~。でも、今迄各地を回ってきて、仕官先の候補は片手で数えられるだけになりました。そろそろ決める頃ね、と稟ちゃんも言っていたではないですか~。」

「それはそうだけど……。」

「なら、うちに決めなさい。それとも……。」


 華琳はそう言うと、先程と同じ様に涼を一瞥し、


「涼の方が良いのかしら?」


と稟に問い掛けた。

 問い掛け、とはいうが、実質的には踏み絵を踏ませているに等しい。今この場でどちらに付くか決めさせ、間接的に他の者にも踏み絵を促しているのである。

 もしここで稟が華琳に付くと言えば、他の者もそれに倣う可能性が高まる。逆に涼に付くと言えば、やはりそれに倣って涼に付く可能性が高くなるかも知れない。

 だが、華琳はその可能性を低く見ている。

 今、涼達が居るのは陳留の華琳の屋敷である。つまりは華琳の本拠地であり、この場でハッキリと涼に味方する事は難しい。

 仮に涼に味方したとしても、華琳はそれを咎めないだろう。仕官するのはその者の自由であり、断るのもまた自由である。

 だが、華琳の本拠地であるここ陳留で、しかも華琳本人からの誘いである。これを断る事が出来るだろうか? そして、仮に受けるにしてもその際は涼に気を遣うのは必然である。

 事実、稟は返答に困っていた。

 先程、華琳が言った様に、稟は以前連合軍に居た。居たと言ってもほんの数日だが、居た事には変わりない。

 その間の衣食住、身の安全を保証してくれたのは間違いなく涼であり、その時の連合軍諸将である。華琳も居たが、前述の通り連合を離れたので、その点ではやや弱い。

 だが、今、稟達を保護しているのは涼達徐州軍であり、華琳達陳留軍、ひいては兗州軍である。そしてここは兗州・陳留。現時点では華琳に分がある。

 だからこそ稟は悩んでいた。風にはああ言ったものの、個人的には今この場で決めても良いと思っている。だが、即答しては涼の顔を潰してしまう。両者に恩義を感じている為、それも出来ない。

 それは、稟以外の者も同じだった。

 この場に居る者達は皆、少なからず涼と華琳に恩義がある。

 黄巾党から守ってくれたり、賊を倒してくれたりと理由は様々だが、恩義があるのは変わらない。だからこそ、即答は避けたい。

 そして稟は、即答を避けた。


「此度のお招き、光栄にして恐悦至極。しかしながら、この様な大事を即決するのは私の主義ではありません。暫くの間、思案させていただきとうございます。」


 稟がその言葉を紡いだ時、彼女は緊張していた。その時の彼女の心臓の鼓動が驚くべき速さだった事に、稟自身ですら後になって気付いた程だ。

 だが、肝心の華琳はと言えば、微笑を浮かべながら「それもそうね。」と一言言っただけで、特に反応は無かった。だが、


(まあ、それが最善の答えよね。けど、それで良いのよ、戯志才。貴女はよくやってくれたわ。)


 彼女の心の中では、表情以上の笑みを浮かべて稟を見詰めていた。

 華琳が稟に期待していた事。それは、この場に居る在野の者達に曹孟徳のプレッシャーを感じさせる事。それは稟が何かをするというのではなく、只、華琳の誘いに応えるだけで良かった。それも、彼女が即答しないと計算しての事だ。

 稟がこの場で華琳を選べばそれで良し、仮に選ばなくても、拒否では無く保留を選ぶ可能性が高い。しかも、その際は思案の為に時間がかかるだろうから、その間に華琳は稟をジッと見詰めるだけで良い。それだけで、華琳は自身の「格」というものを見せつける事が出来る。

 事実、この場に居る在野の者、凪達は皆華琳から目を離せないでいる。それが華琳の狙い通りかは兎も角、彼女の策は成功したと見て良いだろう。

 そして、この事態を目の当たりにしながら何も出来ない事に歯痒い思いをしている人物が居る。

 徐州軍の文官、孫乾こと霧雨である。

 彼女は、報告の為に先に徐州へと戻った簡雍こと雫の分迄、任務を果たす必要がある。

 幸いにも主目的は果たせそうだが、だからと言ってこの状況を良しとはしていない。


(マズいですね……これでは、清宮殿の格が低く見られてしまうかも知れません。)


 そう思い、隣に座っている当人をチラリと見る。目の前の光景を興味深そうに見ている涼の姿が映り、心中で嘆息する。


(まあ、清宮殿ならこの反応も致し方なし、ですが、少しは危機感を持っていただきたいですね。)


 霧雨は涼の事を理解しているつもりであり、それはある意味で正しい。だが、当然ながら他人である彼女が涼の全てを理解している訳では無く、涼が今何を考えているかは判らない。

 勿論、全てを理解する必要は無く、また、全てを理解しないといけないのなら人間社会は成り立たない。ましてや、霧雨は涼の許に来て未だ日が浅い方である。この反応は当然で、仕方ない。

 涼のこうした反応が、三国志を知るが故という事等、知らないのだから。

 結果として、この勧誘は皆保留という事でお開きとなった。

 稟の様に暫く考えたいという者、自分はそんな柄じゃないと謙遜する者、事態をよく飲み込めていない者等、その理由は様々だ。

 だが、唯一全員に共通している事がある。それは、華琳こと曹操の存在の大きさである。

 皆一様にその器の大きさを感じ、同時に恐怖した。涼に対しても器の大きさを感じているが、恐怖してはいない。それはそれで良いのだが、時として恐怖心は人を纏める力にもなる。特にこの時代はそうして一団を率いる事も珍しくない。

 涼は生来の性格上、そうした事には恵まれていない。勿論、それが間違っているという訳でも無いが。

 果たして、彼女達がどの様な判断を下すのか、それは誰にも判らない。

 只一人、三国志を知る涼だけがそれを知っている。だからこそ、この勧誘劇をゆったりと見ていたのであり、それが霧雨には危機感が無い様に見えていた。

 その後、凪達を別室に移してから華琳との会談が始まった。

 と言っても、大体の事は既に昨日の内に話し合っており、今回はその確認と少しの補足と調整、そして調印とスムーズに進み、比較的短時間で終わった。

 これで涼は外交遠征という役目を終えた事になる。だが、だからといって直ぐに帰る事は出来ない。

 先の戦いで負傷した者が居り、そうでなくても揚州から兗州への移動で皆の疲労が溜まっている。その回復の為、数日は滞在する必要がある。

 幸い、華琳がその為の援助をしてくれるというので涼はその言葉に甘える事にした。

 陳留に滞在中、宴会やら引き抜きやら色々あったが、基本的には親交を深める事が出来たと言って良いだろう。

 先の集落襲撃の際は余りゆっくり話せなかった稟と風の二人、凪、真桜、沙和の三人、仲康と仲颯の二人とも色々な事を話し、自然と真名を呼ぶ事も許された。

 その間も、彼女達はそれぞれ考えていた。勿論それは、華琳の誘いを受けるかどうかである。

 彼女達は皆、自分にそれなりの自信を持っているが、かといってあの曹操の許に居るのが当然と思う程自惚れてはいない。

 曹操は今現在でこそその勢力はまだまだ小規模だが、彼女自身が持つ独特の雰囲気、高貴な家柄、それでいてそれを鼻にかけない性格等から高い評価を受けており、少しずつだがその勢力は大きくなっている。

 その総大将自ら誘われたのだから、即答しても良いくらいだが、前述の通り即答は出来ない。尤も、お陰で考える時間が出来たとも言える。

 だがそれも、あと一日となった。涼達が約一週間の滞在を終え、明日の午前中に徐州へ戻る事が決まったのだ。

 そして今、涼達の送別会という名の宴会が行われている。

 華琳の屋敷で行われている為、余計なゴマすりや何かは無く、純粋に彼等の送別会となっている。

 まあ、華琳の引き抜きはあるのだが。


「しつこいのだ。鈴々はお兄ちゃんと桃香お姉ちゃんとずっと一緒なのだ。」

「それは残念ね。」


 今も鈴々を勧誘していた。それも、鈴々が好きそうな食べ物を山程持ってきて。

 鈴々はその食べ物の山を、ヨダレを垂らしながら見ていたが、華琳の誘いには断固として乗らなかった。

 華琳は言葉では残念がっていたが、この結果は想定内だったらしく、表情はそれ程残念がってはいない。その証拠というか、彼女は断られても食べ物を持って帰る事は無く、そのまま鈴々に渡した。

 流石は華琳様、という声が夏侯惇こと春蘭、荀彧こと桂花から聞こえてきたが、元々この宴会は涼達の送別会であり、そう考えれば当然の事であり大した事ではない。それに、華琳自身も断られたからといって、人にあげる筈だった食べ物を取り上げる様な狭量ではない。

 そんな光景を見ながら、涼は稟達と話していた。


「成程、今の青州はその様な状況なのですか。」

「お兄さんが自ら外交に来ているのも納得なのです。」


 尤も、その内容は至って真面目なものだが。

 文官として仕官するのが目標である稟と風は、この国の政治や経済、更には戦争について詳しく、興味がある。

 涼は彼女達と話すにあたって、機密以外は包み隠さず話した。機密でない事は、いくらこの世界でも遅かれ早かれ彼女達に伝わるので、隠さないのは当然と言える。


「まあね。けど、青州黄巾党との戦いが終われば、恐らく民衆蜂起は一先ず終わると見ているから、ここが踏ん張りどころなんだ。」

「確かに、先の戦いで張三姉妹が討たれて以降、黄巾党は鳴りを潜めていましたからね。青州黄巾党が、最後の抵抗と見て宜しいかと。」

「ですが、それだけに対応を誤ると被害が拡大してしまうかも知れないのです。果たして、十万の軍勢で数十万と言われる大軍に勝てるのでしょうか。」


 風はそう言って懸念を示すが、声のトーンや表情からは不安がっている様子は全く無い。

 だが、それも当然の事だろう。

 黄巾党は先の戦いで旗頭であった張三姉妹を失い、瓦解している。例え残党と言えども、最早、往時の勢いは無いと考えられ、どれだけ数を集めても烏合の衆では統制はとれず、正規兵である徐州軍の敵ではない。

 その例がこの国の歴史の中にある。「昆陽(こんよう)の戦い」と呼ばれる戦いがそれだ。

 約二百年前、当時は前漢(ぜんかん)が滅び「(しん)」の時代になっていた。

 だが、新が行った政策は当時においても遥か昔の王朝である「(しゅう)」に倣ったものであり、当然ながら時代にそぐわないものだった。現代日本で例えれば、平安時代の政策を平成時代にする様なもので、その不合理性がよく解るだろう。

 当然ながら民衆は反発し、各地で反乱が起こった。

 その反乱軍の中に、後に「光武帝」と呼ばれる事になる武将が居た。劉秀という名の、武将にしては小柄な人物だったという。

 その劉秀は高祖・劉邦の子孫と言われており、劉邦の様に人を惹き付け、劉邦とは違いとてつもなく武勇に優れ、皇帝になってからは政治もそつなくこなす完璧な人物である。

 その劉秀と新軍が昆陽で激突した。進軍は号数百万、それに対し、劉秀が所属していた更始軍(こうし・ぐん)は数千から一万五千という数。数の上では話にならないくらい差があった。新軍の実数は四十万という説もあるが、それでも戦力差はまだまだ開いている。

 だが、結果は更始軍の圧勝に終わっている。

 確かに新軍は大軍だった。数百人の兵法家全てを軍師とし、輜重隊の隊列は千里を越え、精鋭の兵士に猛獣使い迄居た。

 一方、更始軍はその大軍を見て戦意喪失していた。

 だがそれも無理は無い。百倍の戦力にどうやって立ち向かえるというのか。現代と違い、戦争は兵の数によってその勝敗がほぼ決まっていた時代である。

 だが、そんな中で劉秀は諦めてはいなかった。昆陽城を脱出し、その周辺に居た将兵を集め、昆陽に戻って決戦に望んだ。

 それでも、集まった数は数千。とても勝ち目は無い。それが普通だった。

 だが、劉秀はその勝ち目がない戦いで勝利を収めたのである。

 敵が寡兵と知って油断した新軍の大将、王邑(おうゆう)王尋(おうじん)はこの時、約一万の兵を送った。それだけで事足りると踏んだのだろう。だが、これが致命的な失敗だった。

 大軍故の油断で接敵に時間をかけた新軍に対し、劉秀達は電光石火の如く斬りかかり、瞬く間に千を超える敵を討った。そして、その後数度行われた戦闘でも同様に敵を討っていった。

 寡兵である筈の劉秀達の強さを大いに恐れた新軍には、いつの間にか厭戦気分が漂っていた。そこに、「劉縯(りゅうえん)(えん)を落とし、そのまま昆陽に向かっている」との報せが舞い込んできた。

 劉縯とは劉秀の兄で、更始軍の将の一人である。

 劉秀同様、彼も名の知れた武将である。寧ろ、当時は彼の方が武勇に優れていると認識されていただろう。

 その劉縯が昆陽に向かっているという。

 依然として大軍を擁している新軍だが、劉秀隊との戦闘は連戦連敗。その為に士気が大いに低下しており、新軍は混乱した。

 実はその報せは劉秀による偽報であり、劉秀は敵が混乱している間に別働隊約三千を率いて城を迂回し、それ迄とは違う方向から攻め始める。

 偽報によって混乱していた新軍はその別働隊を「劉縯の部隊」と勘違いし、大混乱に陥った。劉秀はその隙を突いて新軍総大将、王尋を討ち取る。

 昆陽城に立て籠もっていた更始軍はこうした敵の混乱、味方の活躍に気付き、王常(おうじょう)王鳳(おうほう)等が出撃。新軍を挟撃した。

 これだけでも新軍は甚大な被害を被ったが、更に悪天候による暴風雷雨で川が氾濫。また、連れて来ていた猛獣が逃げ出した為に混乱に拍車がかかり、新軍は潰走した。

 新軍の戦死者は数万にのぼった。百万の大軍の割には少ない戦死者だが、それは新軍に戦意が無く、皆敗走した為と考えられる。王邑が洛陽に戻った時、連れていた兵は数千だけだったという。

 この戦いに勝った劉秀の名は一躍有名になり、後に沢山の将がその名声を頼って劉秀の許に集い、漢王室を再興し、天下を統一するのである。

 この様に、数的不利であっても勝てない訳では無い。

 しかも、今の徐州軍は黄巾党の乱、十常侍誅殺といった戦いを潜り抜けてきた名将達の集まりである。余程の事が無い限り、負けはしない。


「大丈夫さ。」


 涼は只一言、そう言って風に答えた。

 風はそんな涼をジッと見詰める。

 彼女が涼と過ごした日々は、今回を合わせても二週間程である。当然ながらその様な短期間では人となりを知る事は難しい。

 その為、風は完全に涼の真意を計りかねていた。確かに、徐州軍が黄巾党に遅れをとる事は無いだろう。だが、それにしても、彼の安心の具合はとても少し前迄、戦争とは無縁の世界に生きていたとは思えない。

 風の疑問はそれだけではない。華琳が積極的に行っている引き抜きや勧誘を見て、焦らないのだろうか。

 引き抜かれないという絶対の自信があるのなら、この反応は当然だろう。だが、目の前で戦力補強が行われているのに、何も反応しないのは少々のんびりとしてはいないか。

 勿論、反応したからといって華琳に文句を言う事は出来ないし、仮にしても華琳がそれらの行為を止める筈は無い。

 そう考えれば、涼が何もしないのは普通だが、それでもこの危機感の無さには驚くばかりだろう。

 風と同じ事は、やはり文官志望の稟も思っていた。同時に、自分の目に自信を無くしかけた。

 彼女が涼と出会ったのは、風と同じく鉄門峡である。

 旅をしていた彼女達が、当時同行していた田豫(でんよ)こと時雨(しぐれ)、簡雍こと雫の要請もあって連合軍に合流する事になり、やはり当時同行していた趙雲(ちょううん)こと星の助けも借りて、連合軍の進軍先である鉄門峡へと向かい、そこで出会った。

 彼女もまた、風と同じ期間しか涼と接していない。その為、彼女が持つ涼についての情報もほぼ同じである。

 情報が同じなら、推測や感想も似通ってしまう。結果として、彼女も風と似た疑問を持った。


(清宮殿は、曹操殿や噂に聞く孫策殿と同じ様に才能があると思っていましたが……私の見込み違いだったのでしょうか?)


 稟はそう思いつつ、涼の横顔を見る。

 外交という目的を達成したからだろうか、その表情には緊張というものが殆ど無く、皆と談笑し緩みきっている。見方を変えれば、美少女に囲まれて鼻の下を伸ばしているともとれる。

 果たして、自分は間違っているのか? その答えは、稟ですら簡単に見つけられそうにない。

 そこへ、華琳がやってきた。例によって春蘭・秋蘭の夏侯姉妹と桂花を伴っている。


「お楽しみの所、邪魔するわね。」


 彼女はそう言って涼の前に立つ。周りに居た風達は恐縮しつつ、二人に一礼してからその場を離れる。


「少し話があるの、良いかしら?」

「もちろん。」


 短く言葉を交わすと、二人は庭へと出る。涼の護衛である鈴々、華琳の護衛である夏侯姉妹は同行しない様それぞれ告げる。

 池や草木が適度に主張している庭は広く、現代ならバーベキューが出来そうな程だ。

 二人は庭の奥に在る池の前迄移動すると、そこで話し始めた。


「話ってのは同盟の事……だけじゃ無さそうだね。」

「その通りよ。」


 そう言って始まった二人だけの話は、同盟についての話や、互いのプライベートな事を話していった。

 そうして暫しの時間を過ごした後、華琳が本題をきりだした。


「涼。貴方、私と共に歩む気は無いかしら?」

「……えっ。」


 涼は華琳が紡いだ言葉を一瞬理解出来なかったが、やがてその意味を知るとコホンと咳払いをしてから訊ねた。


「それって、どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。私と共に、これから来るであろう乱世を乗り越えようとは思わないかしら?」

「乱世、ね……。」


 涼は華琳の蒼い双眸(そうぼう)を見詰めながら、小さく呟く。

 黄巾党の乱、十常侍誅殺と続いた世の乱れは、今の所落ち着いている。だが、一度乱れたもの、起こった流れが止まる事は無い。

 歴史を紐解けば、()が乱れれば殷が建ち、殷が乱れた時には周が興って天下を成し、その周が力を失えば戦国乱世の末に秦が建ち、秦が乱れれば後に雌雄を決した漢が治めてきた。

 その漢も一度新によって滅ばされ、漢の血を引く新たな漢、所謂後漢が成立し今に至る。

 そして、後漢も成立して約二百年が経とうとしている。前漢を合わせれば約四百年の長きに渡ってこの国は漢が支配しており、この国の歴史を見れば、そろそろ新しい統治者が現れてもおかしくはない。

 実際、今この国にはその可能性を秘めた者が乱立している。

 名門貴族の袁紹とその従姉妹の袁術。江東を拠点とする孫家。そして、徐州を治める劉備とその義兄、清宮涼と、兗州を治める曹操が有力候補と言って良い。

 とは言え、総合的な面では袁紹が頭一つ二つ抜けている。袁家の財力・権力はそれ程強大だと言う事だ。

 その袁家に勝つ、少なくとも互角になる為には、優秀な将を増やし、兵の練度を上げ、大衆の支持を得る事が必要だ。

 そして、その為に手っ取り早い方法が、今華琳が言った事である。


「俺を味方につければ、間接的とはいえ愛紗達を部下に出来る、って事か。」

「その通りよ。」


 涼が華琳の考えを読むと、彼女は穏やかに微笑みながら肯定した。


「貴方達の部下を手に入れる事が困難な事は以前から解っていたけど、今回改めて思い知ったわ。旗揚げ時から居る張飛だけでなく、貴方達が徐州に移ってからの部下である公祐でさえ、私の誘いを断ったわ。……自慢では無いけど、貴方の部下以外には殆ど断られていないのよ、私は。」


 自慢に聞こえるが、それはスルーしつつ涼は華琳の言葉に耳を傾け続ける。


「貴方の部下は皆、貴方と桃香を信頼してついてきている。そして、それは桃香も同じ。だったら、貴方をこちらに引き込めば良い。……清宮涼、私のものになりなさい。」

「……断ったら?」

「同盟の話は無しにさせてもらうわ。」


 涼の問いに対し、華琳は即座に、それ迄とは真逆の冷たい口調と表情で断言した。

 その表情からは、彼女の真意は全く読めない。そもそも、この世界の人間では無い涼が、こうした腹の探り合いに長けている訳では無いのだが。

 だからだろうか、涼は軽く息を吐いた後、軽い口調で言った。


「それは嘘だな。」

「……どうしてそう思うのかしら?」

「それは君が曹孟徳だからさ。曹孟徳はこんな事はしない。」

「……随分と私を買ってくれているのね。」


 そう言いながらも、華琳の表情は先程から変わらない。僅かに頬が紅を差している様に見えなくもないが、彼女は涼と違って酒を飲んでいたので、これが酒によるものか否かは判らない。


「これでも一緒に戦った仲だからな。華琳がどんな人間かはそれなりに理解しているつもりだ。」

「一緒に居たのはほんの数日じゃない。」

「けど、その数日の内容が濃かったから、それだけで華琳を知るには充分だったよ。」

「……なら、貴方は私をどう理解しているのかしら?」


 やはり変わらずに涼を見つめ続け、彼の答えを待つ。涼はそんな華琳を一度見詰めてから夜空を見上げ、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「そうだな……先ず、大将だから当たり前だけど、策を重要視する。けど、その際も決して卑怯な手は使わない。それで勝っても多分華琳は喜ばない。ひょっとしたら、怒ったり悲しんだりするんじゃないかな。」

「……そう。」

「そして、人々の事をちゃんと考えている。だから、華琳が同盟の話を無しにするとは思えない。無しにすればそれは、青州の人々を見捨てる事だから。」

「……続けて。」


 華琳も涼の視線の先を見詰め、その蒼い双眸に星々を映す。


「あとは……そうだな、これは俺の勘だけど、華琳は結構虚勢を張っている気がするな。」

「……へえ? 貴方には私が弱い人間に見えるの。」


 妖しい笑みを浮かべ、華琳は涼を睨め上げながらそう言った。正史の曹操は背が低い事で有名だが、この世界の曹操である華琳もまた背が低い。華琳が少女というのもあるだろうが。


「何となく、ね。華琳は名門曹家の出だけど、色々あったみたいだから虚勢を張るしかなかったんじゃないかなあ、と。」

「……それ、貴方に話した覚えは無いのだけど。」


 華琳は怪訝な表情をしてそう言ったが、直ぐに表情を戻した。特に隠していない自分の出自など、調べれば簡単に解ると思ったからだ。現に、それを理由に彼女を馬鹿にするものが今だに居る。

 華琳の母の名は曹嵩(そうすう)、祖父の名は曹騰(そうとう)。それぞれ、太尉(たいい)大長秋(だいちょうしゅう)といった高位の役職に就いていた。

 それで何故華琳が馬鹿にされるかと言うと、それは祖父・曹騰が宦官だからである。

 宦官とは、去勢を施された官吏の事で、皇帝や後宮に仕える事が多い。その為、権力と結びつく事も多い。

 歴史を見れば、強盛を誇った秦が滅んだきっかけは宦官の趙高(ちょうこう)の増長であり、後漢でも十常侍の専横があったばかりである。宦官が良く思われないのは当然かも知れない。

 そして、華琳の祖父はその宦官の曹騰であり、夏侯氏である曹嵩を養子にしている。曹嵩は夏侯惇、夏侯淵の叔母でもある。その為、華琳と春蘭・秋蘭の姉妹は従姉妹という訳だ。

 宦官とはいえ、曹騰は大長秋という宦官の最高位に就いていた。大長秋は皇后府を取り仕切る事が出来、皇帝や皇后の信用が厚くなければ務まらない。それを曹騰はやりとげ、現在は隠居している。

 曹嵩もまた、司隷校尉(しれいこうい)大司農(だいしのう)大鴻臚(だいこうろ)などを経て、最終的に太尉に上り詰めている。太尉とは三公の一つで軍事担当の最高位であり、現代なら国防大臣の様なものと考えて良いだろう。主に文官から選ばれており、曹嵩の来歴を見る限り彼女は優秀で、この昇進は当然と言って良いだろう。

 そんな優秀な家族を持っていても、陰口を叩く人が居るというのだから、狭量の輩は何時の世も同じ様に居る様だ。

 尤も、華琳はそうした雑音を意に介していない様だが。


「まあ、そこら辺は色々とね。兎に角、そんな訳で俺は華琳を信頼している。……ってのじゃ、理由にならないかな?」

「…………。」


 涼は理由を言い切った。理由としては些か弱い気もするが、これは彼の偽らざる本心であり、彼に出来る精一杯の行動だった。

 幾ら周りから鍛えられているとはいえ、先日の孫家との交渉に続く交渉は色々とキツい。しかも相手はあの曹操である。三国志の登場人物の中でもトップクラスの実力を持つ相手に、只の高校生だった少年が太刀打ち出来るとは思えない。

 孫家の時は、以前からの友好関係や様々な思惑が合致した為に上手くいったのであり、その事を涼はよく解っていた。

 華琳とは雪蓮ほど親密では無いとはいえ、涼は前述の理由からこの交渉は上手くいくと思っている。その自信は今も変わらないが、真っ直ぐに自分を見据える華琳を見ていると、その自信が消え去りそうな錯覚に陥ってしまう様だ。

 長い沈黙と静寂が涼を包む。未だ宴は続いている筈だが、その喧騒は全く聞こえてこない。少し離れているとはいえ、ここは宴が開かれている場所の庭だ。聞こえない筈は無いのに、全く聞こえてこない。

 周りの音が聞こえない程、涼が緊張しているのだろうか。


「……良いわ。貴方達との同盟、結びましょう。」


 だからだろうか、華琳がそう言ってからも、涼は暫く言葉を返せなかった。

 宴はその夜遅く迄続いた。

 酔いつぶれる者も多数居たが、全員自力で寝室へと戻る事が出来た。程立こと風もその一人である。

 尤も、彼女は一滴も酒を飲んでいない。飲めない訳では無い様だが、飲んでいない。


「やれやれ、稟ちゃんはよく寝ているです。」


 隣ですやすやと寝息をたてている親友を横目に、風は寝間着に着替え、床につく。


「……明日は、とうとう風達の未来を決める日です。長かった様な、短かった様な……。」


 就寝中の親友に向けてか、只の独り言か判らないが、風はそう呟いてから目を閉じ、間もなく深い眠りについた。

 彼女は夢を見始めた。幼い頃より何度も見ている夢だった。


(ああ……。またこれですか……。)


 夢の中の風は苦笑した。もう何回も何回も、この夢を見ている。内容は、泰山に登り両手で太陽を掲げるという夢である。

 「西漢演義(せいかんえんぎ)」という楚漢戦争を題材とした物語に、赤い服を着た少年が太陽を掲げるという場面があるが、風が見ている夢はそれと内容が酷似している。

 それは日本の漫画「項羽と劉邦」にも採用されており、秦の始皇帝や項羽がその夢を見ている。

 尤も、「西漢演義」は(そう)(げん)の時代に作成されたと言われており、後漢時代を生きる風が知っている筈は無い。


(太陽を頂く夢……風はこれを天下を獲る人物を支える事と思っています。そしてその太陽は……。)


 曹孟徳。風の結論はそうだった。

 母に太尉の曹嵩、祖父に大長秋の曹騰という名門曹家の後継者であり、未だ未だ実力を発揮しているとは言い難いものの、少しずつ力をつけており、その名声は日に日に高まっている。

 そしてそれは、この数日で確信に近付いていった。容姿も立ち居振る舞いも、人を惹きつける魅力も、風が今迄出会った名のある人物の中で最上位と言って過言ではない。

 だから、風はこの夢の指し示す様に誰かを支え、つまりは曹操を支えていくのだと、思っていた。今、夢の中の風もこの夢を見ながら確信しようとしていた。

 そんな風の心を知ってか知らずか、夢は「いつも通り」に進んでいく。間もなく、夢の中の風が太陽を掲げる場面になる。

 だが、ここで夢の中の風はその動きを止めた。

 夢を見ている風は、その様子を見て首を傾げる。


(……? 何かあったのでしょうか。……変ですね、今迄はこんな事は無かったのですが。)


 怪訝に思いながら夢の中の風を見ている風。やがて、夢の中の風が驚きながら空を見上げた。


(えっ……?)


 夢を見ている風もまた驚き、視線を動かす。

 夢の中の風と夢を見ている風。その二人が見ているものは同じ、空に浮かぶ太陽。ただ、今迄と違うのは、その太陽が「二つ」有るという事だ。


(ど、どういう事でしょう? 太陽が二つ現れたという事は、何か意味があると思うのですが……。)


 二人の風が考えている間、二つの太陽はゆっくりと夢の中の風の前に降りてきた。そこで風は、初めて太陽を直視する事が出来た。太陽を直視する等、普通なら危険だが、夢だから問題ない。


(おや……この太陽、大きさや明るさが微妙に違いますね。)


 二つの太陽は、風が心の中で言った様に少し違っていた。

 向かって右の太陽は小さいが、時々明るさが左の太陽より輝いている。

 一方、その左の太陽は大きさも輝きも右の太陽よりも勝っている。


(……どうやら、私がいつも見ていた太陽は左の太陽の様ですね。)


 軍師志望なだけあって、記憶力は自信がある風である。

 二つの太陽の微妙な違いに気付き、改めて二つの太陽を交互に見る二人の風。

 そうして暫くの間考えた末、夢を見ている風は一つの結論に達した。


(……恐らく、二つの太陽の内一つは孟徳殿を表しているのでしょう。では、このもう一つの太陽は……。)


 誰なのか? とは考える迄もなかった。風がここ陳留に来てこの夢を見るのは今回が初めてで、前にこの夢を見た時から今日迄で変わった事といえば、曹操こと華琳と再会した事。そして、


(お兄さん、ですか……。)


 「お兄さん」こと、清宮涼と再会した事である。


(という事は、お兄さんは孟徳殿と同じ様に天下を穫れる、という事なのでしょうか。……そうは思えませんが。)


 中々厳しい風である。

 とは言え、彼女も涼の実力は認めている。つい先日その戦いぶりを見たばかりだし、部下である張飛こと鈴々や孫乾こと霧雨に慕われているのもよく見た。そうした事を考えれば、確かに有力候補ではあるだろう。涼自身がどう思っているかは別にして。


(他に候補者は居ませんし……。敢えて挙げるなら、お兄さんと一緒に居る玄徳さんや、仲が良いと噂されている伯符さんくらいですか。)


 そう思い、風は暫く思案に耽る。

 だが、その思案は比較的短く済んだ。風は既にその二人について得た情報を精査し、結論を出していた。だからこそ、徐州や揚州ではなく、ここ兗州に来ているのだ。

 二人への評価は悪くなく、寧ろ良い方だ。だが、それでも彼女にとっては曹操こと華琳以下なのである。

 では、涼は華琳以上か以下か同等か。結論を言えば、以上ではないし同等とも言えない。以下というのが妥当だろう。

 世間の評判は、「天の御遣い」という呼び名もあって涼の方が現時点では上だが、風の評価はそうした事は余り考慮せず、あくまで実力と将来性に比重を傾けての評価だ。その為に世間との齟齬が生じるが、風にとっては何の意味も無い。

 だからこそ、風は今のこの状況がどういった意味を持つのか考えている。たかが夢じゃないか、と一笑に付す事も出来るが、こうした事例が今迄無い以上、夢だからといって楽観は出来ない。

 既に風の決意は九分九厘固まっていた。そこにこの夢である。何かの予兆や忠告と捉えてもおかしくない。


(この夢は、お兄さんと一緒に行くべきという事なのでしょうか? それとも、只の夢なのでしょうか?)


 そう思いながらも、只の夢という考えは捨てた。

 今迄ずーっと同じ内容だったのに、今回だけ違うのだ。なら、それが意味する事は一つしかない。


(お兄さんと一緒、ですか……。それはそれで面白いでしょうが、ならば何故、以前は夢に変化が起きなかったのでしょう?)


 風は疑問に思い、その理由を考えてみた。幾つか考えられたが、結論としては以前と比べ、涼が成長したから、と考えられる。だとすれば、これは凄い事だ。以前は全くの対象外だった涼が、僅かな期間で対象内になる程成長したのだ。ならば、風が重視する実力と将来性は未だ伸びしろがあるかも知れない。


(風が、そのお手伝いをしろ、という天啓なのでしょうか。)


 疑問形で思いつつ、その心境には最早疑問符は無い。周の文王(ぶんおう)の様におまじないや占いを重視する(たち)ではないが、この太陽の夢を何度も見てきた彼女にとって、この変化は見過ごす事が出来ない。

 夢の中の風が動いた。いつもの様に太陽を掲げる。いつもと違うのは、その太陽がいつもの「大きく輝く太陽」ではなく、「小さいが時々物凄く輝く太陽」だった事。

 そこで風は目を覚ました。


「……これが、風の運命なのでしょうね。」


 そう言った彼女の表情は、常と変わらない眠そうな表情だった。

 この日は、涼達が帰るという事で朝からバタバタしていた。

 徐州迄の食料等を補充し、華琳達と挨拶を交わし、一番肝心である同盟締結の書類を確認する。これを忘れてはこの旅の意味が無い。

 結局、一連の準備が終わり、出発するのは昼食をとってからという事になり、その昼食も華琳が提供し、華琳の屋敷で皆と一緒に食事をとった。

 食後、暫しの休息の後、涼達は徐州への帰路についた。華琳を始めとした大勢の者達が見送りに来た。

 別れと感謝の挨拶を交わし、涼達はそれぞれの馬に騎乗しようとする。


「ん?」


 涼の視界に、小さな少女の姿が見える。程立こと風だ。

 何かな? と思いつつ視線を向けると、その小さな体躯に似合わない程の大きさの荷物を背負っており、明らかに旅支度という感じだ。

 風も旅に出るのかな? けど、風は華琳についていく筈だし、等と考えていると、風はペコリと頭を下げながら次の言葉を言った。


「お兄さん、これからヨロシクなのです。」


 風はそう言うと、近くに居た徐州兵に自分の荷物を渡した。徐州兵は何の疑問も持たずその荷物を涼達専用馬車に積み込んだ。

 そこで漸く、涼は言葉を発した。


「えっと……どういう事?」

「どういう事も何も、これから風はお兄さんと一緒に徐州軍の一員になるのですよ。別に文句は無いでしょう?」


 文句なんか有る訳が無い。程立が正史において、または演義においてどれだけの活躍をしてきたか、三国志に詳しい涼はよく知っている。今は未だそれだけの実績は無いものの、その程立が徐州に来る。断る方がどうかしているだろう。

 だが、涼は三国志を知っているだけに悩み、確認する様に訊ねた。


「……良いのか?」

「風は良いと言っているのですから、良いのです。」


 風はそう言うと、真っ直ぐに涼を見た。涼もまた風を見詰め、やがて頷いた。

 その後、風は華琳達に向き直り、簡潔に感謝の弁を述べた。またその際、華琳には誘いを断る事になって申し訳ないという言葉を付け加えた。


「確かに残念だけど、貴女が決めた事に口出しする程狭量では無いつもりよ。貴女の活躍を祈っているわ。」

「ありがとうございます。」


 深々と頭を下げると、次いで稟に向き直り、こちらにも謝罪を述べた。


「孟徳殿も仰っていたけど、貴女が決めた事に私が文句を言う事は出来ないわよ。」

「……もし、風が稟ちゃんを誘っていたらどうしましたか?また、今誘ったら?」

「……どうかしら。一緒に行く事にしたかも知れないし、そうでないかも知れない。けど、今ではもう遅い事は確かね。」

「……そうですか。」


 風が決断した様に、稟も決断していた。その事に風は嬉しさと寂しさを感じつつ、表情には出さない。代わりに、常の眠そうな笑顔を見せて言葉を紡いだ。


「それじゃあ、稟ちゃん。またね、なのです。」

「ええ。またね、風。」


 別れの会話を交わし、風はゆっくりと涼の許へと歩き出した。

 長い間、一緒に居た親友との別れが悲しくない訳ではない。寧ろ、離れたくないと思っていた。その為に稟も誘おうと何度も思った。

 だが、彼女が誰に仕えたいか解っていた風はそれを言い出す事をしなかった。自分の我が儘に付き合わせる事はしたくなかったのだ。

 これから先、世の中は乱れるだろう。その際、二人が敵同士になる危険性は高い。それでも、互いの夢の為にそれぞれ決断した。

 悲しい別れになるかも知れない。そうなった時、自分はどうするのだろう?相手は?

 そうした悲壮感を心の内に仕舞い、風は涼に言った。


「さあ、お兄さん。徐州へ帰りましょう。」


 この日、風は名前を程立から程昱(ていいく)へと改めた。

 その文字通り、「日輪を支える」者になる為に。

皆さんこんにちは。若しくはこんばんは。それともおはようでしょうか?


漸く第十五章が終わりました。

色々と書きながら変更した部分もあり、最後のあの部分は特に悩んだのですが、結局こうなりました。


今回のパロディネタ。

「そんな事をしても、その汚れは落ちないわよ。」→「その汚れは洗ったって落ちない。」

「必殺仕事人2009」にて、経師屋の涼次がからくり屋の源太に言った台詞より。

現代人の涼と乱世を生きる華琳との対比になる台詞です。未だ慣れてなかったのか!?という声が聞こえてきそうですが。


次は青州決戦です。

大体の流れは決めてますが、幾つか迷っていたりします。

いつも通り、気長にお待ち頂けると嬉しいです。ではまた。


2014年2月5日更新。

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