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真・恋姫†無双 ~天命之外史~  作者: 夢月葵
第四部・徐州牧・劉玄徳編
16/30

第十一章 旧友と新友

徐州軍がより良い人材を得る為、単身旅に出た雪里。


時々危険な目に遭いながらも、漸く目的地に辿り着く。


そこに居る人材は、雪里が知る限り最高の人材。


何としても徐州に連れて行くと決意し、雪里は馬から下りた。




2010年10月3日更新開始。

2010年12月5日最終更新。

 荊州(けいしゅう)北部の街、襄陽(じょうよう)から西に約二十里先に、隆中(りゅうちゅう)という小さな村が在る。

 黄巾党(こうきんとう)の乱から続く戦乱とは無縁だったのか、隆中の地は豊かな大地のままであり、ここに住む人々の表情もまた穏やかなものだ。

 雪里(しぇり)は村の入り口で下馬し、そんな村の様子をゆっくり見ながら進んでいた。


「良くも悪くも変わってないわね。」


 そう呟いた雪里の表情は温かな笑みに溢れている。

 何故ならそれは、道行く村人の穏やかな表情を確認したからだ。

 戦乱の世になろうとしている今、こんなにも表情が明るい人が多い事は、それだけで充分凄い事である。


「あら元直(げんちょく)ちゃん、久し振りね。」


 と、そこに一人の中年女性が、雪里に対して気さくに声を掛けてきた。

 雪里はその女性と二言三言、言葉を交わした後、手を振って別れた。


(長い間会っていないのに、ちゃんと覚えててくれるなんて、おばさんも変わりないみたいね。)


 雪里はそう心の中で呟くと、更に笑顔になった。

 今迄の雪里の言葉等で解る様に、彼女はこの村に以前来た事がある。

 実は、今回連れて帰る予定の人物と雪里は、同じ私塾の同窓生なのだ。


「……あの子との話も、今みたいに上手くいけば良いけど。」


 そう呟くと、雪里は急に暗い表情になった。

 ここに居る人物を連れて帰ると決めてはいるが、無理矢理連れて行く訳にはいかない。

 きちんと話をし、相手に納得してもらった上で徐州(じょしゅう)に来てもらう。それが理想であり、それ以外の手は使いたくない。


「とは言っても、私も余り長くは此処に居られないし……。」


 そう呟いた時、雪里は目的地に着いた。

 雪里の目の前には、この村の中では比較的大きい屋敷が在る。


「さて……行きますか。」


 そう呟いて屋敷に入ろうとした時、後ろから声を掛けられた。


「あっ……雪里お姉ちゃん?」

「ん……? あら、久し振りね緋里(ひり)。お姉ちゃんは居る?」


 振り返って声の主を確認すると、雪里はその声の主を緋里と呼び、話し始めた。

 緋里は小さな女の子で、身長は鈴々(りんりん)より更に小さい。


「はい、居ますよ。今はきっと、最近入手した“孫子(そんし)”と“九章算術きゅうしょうさんじゅつ”を読んでいると思います。」

「あら? あの子は確か、その二冊を持っていたと思うけど……無くしたの?」

「いえ、注釈等が違う本だったので買ったみたいです。」

「……相変わらず本の虫なのね。」


 緋里の説明を聞いた雪里は、苦笑しながらそう言った。

 それから雪里は、緋里に案内されて屋敷へと入っていった。


「雪里お姉ちゃんの顔を見たら、お姉ちゃんは凄く喜びますよ。」

「だと良いけどね。」


 笑顔で話す緋里に対して、雪里は笑みを向けながら、努めて明るく答えた。

 緋里が言う「お姉ちゃん」こそが、雪里が連れて行こうとする人物だ。

 つまり、雪里は緋里から姉を奪っていこうとしている。それが判った時、緋里は今みたいに明るく雪里と接するだろうか。

 普通なら有り得ない。

 姉と引き離されるだけでなく、姉を戦地に連れて行こうとしているのだから。


「……ん? 話し声?」


 そんな事を考えながら部屋に近付いていると、聞こえてくる声が二つ有る事に気付く。

 そのもう一つの声も、雪里が知っている女の子の声だった。


「お姉ちゃん、お客様だよー。」


 緋里はそう言って扉を開けた。


「お客様……? あっ!?」

「雪里ちゃん!?」


 部屋の中に居た二人の少女は、扉の先に居る人物を見て驚きの声を上げる。

 そんな少女達に対し、雪里は笑顔を見せながら挨拶をした。


「久し振りね、朱里(しゅり)雛里(ひなり)。」


 雪里がそう言いながら部屋に入ると、朱里と雛里と呼ばれた少女が駆け寄ってきた。


「久し振りね、じゃないよっ! ずーっと音沙汰無かったから、私達がどれだけ心配したか……。」

「もしかしたら……って思って、泣いたりもしたんだよ……。」


 二人はそう言いながら雪里に抱きつく。

 二人は雪里より小さい為、二人の顔は自然と雪里の胸にうずまっている。

 その光景は、さながら姉に泣きつく妹達という感じだ。


「……ゴメンね。ここ一年、余りに忙しくて連絡出来なかったの。」


 雪里は二人の髪を撫でながらそう謝る。

 すると、雪里の右側に抱きついている、朱里と呼ばれた少女が雪里を見上げた。その拍子に、首元に有るアクセサリーの二つの鈴が、小さく鳴る。

 そんな朱里の大きく朱い瞳はどことなく潤んでいて、首迄の長さの薄い金髪と共に輝いていた。

 朱色の長袖の上着の下に白色の服を着ており、その服は青紫色のプリーツスカートに重なり、その先は花びらの様に広がっている。

 また、それ等の服は黄緑色のリボン状の帯で巻いて留めていた。

 白いオーバーニーソックスはスカートの中に隠れる他長く、素足は全く見えない。

 近くの床には上着と同じ朱色のベレー帽が置いて有り、そのベレー帽もまた、帯と同じ色と形のリボンが付いていた。


「……忙しいって、何してたの?」

「……今日はそれに関する話をしに来たのよ。」


 雛里の質問に対して、雪里は二人の髪を撫でながら、優しい口調でそう答えた。

 その言葉に、二人は若干の違和感を感じた。そして、二人がそう感じた事に気付いたのか、雪里は尚も優しく二人の髪を撫で続ける。

 雪里の左側に抱きついている、雛里と呼ばれた少女は、そんな雪里を見上げながら思案を巡らす。

 そんな雛里の瞳は大きく穏やかな緑色の瞳で、まるで見る者の庇護欲をかき立てる様だ。

 薄紫色の髪は朱里と違って長く、両耳の後ろで綿の様な髪留めを使ってツインテールにしていた。

 雛里の服装は、簡単に言うと朱里の服装と色違いのデザインになっている。具体的には、朱里の上着の色である朱色がスカートの色に、朱里のスカートの色である青紫色が上着の色になっていた。

 色以外では、白服の花びらの様な形の部分の折り目が多くなっていたり、首元のアクセサリーが髪留めと同じ様な素材で出来た、二つの丸い綿になっている、という違いが有る。

 他には、朱里が白いオーバーニーソックスを穿いているのに対し、雛里は素足に白く短い靴下といった所が目に見える違いだろうか。

 そしてやはり帽子を被っているらしく、近くには緑色のリボンが付き、上着と同じ青紫色の魔女帽が置いてある。

 勿論、「魔女」なんて言葉を知らない雪里達は、その帽子を「魔女帽」とは呼ばないだろうが。

 因みに緋里はと言うと、朱里と同じ薄い金髪を肩迄伸ばし、眼もやはり朱里と同じ朱い瞳をしている。

 服装は、朱里の服を小さく簡素にした感じだ。色も、薄めの朱色を基調としている。

 今は帽子を被っていないので帽子を持っているかは判らないが、姉である朱里の物と思われる帽子が有る事を考えると、妹である緋里も持っていると考えるのが自然だろう。


「それじゃあ、私はお茶淹れてくるね。」

「あっ、お構いなく〜。」


 緋里が笑顔でそう言って部屋を出て行くと、雪里は二人の髪を撫でながら明るく返した。

 緋里の足音が遠ざかっていき、部屋には沈黙が訪れる。

 すると、雪里はゆっくりと二人から離れて座り、正座の姿勢になった。

 突然の事に戸惑う朱里と雛里を見上げながら、雪里は静かに言葉を紡ぐ。


「朱里、雛里。……いえ。」


 一度言葉を切り、言い直す雪里。


諸葛孔明(しょかつ・こうめい)殿、そして鳳士元(ほう・しげん)殿。私、徐元直(じょ・げんちょく)は貴女達の力を借りに来ました。」


 雪里に「諸葛孔明」と呼ばれた朱里と、「鳳士元」と呼ばれた雛里は、雪里が何を言ったのか理解出来なかった。

 本来の彼女達は、先程迄の様にお互い真名(まな)で呼び合っているのに、今の雪里は二人を姓と(あざな)で呼んでいる。


「えっと……。」

「雪里ちゃん、詳しく話してくれる?」


 未だに困惑しつつも、二人は思考を巡らせながら雪里と同じ様に正座の姿勢をとりながら訊ねる。

 雪里はそんな二人から目を離さずに、ゆっくりと、だがハッキリと言葉を紡いでいく。


「さっき、私が今何してるか聞いたわよね?」

「う、うん。」

「その答えはね……“徐州軍筆頭軍師”って事よ。」

「「…………えっ!?」」


 雪里の言葉に、朱里と雛里は暫く反応出来ず、間が抜けた声を出すしか出来なかった。

 漸く思考が停止していた二人だったが、やがて無事に再開したらしく、真面目な表情になって確認する。


「雪里ちゃんが……徐州軍の筆頭軍師……?」

「す、凄いよ雪里ちゃんっ。以前朱里ちゃんが言っていたみたいに、出世してるんだねっ。」

「まあ、そうなるのかしらね。」


 目を丸くしている朱里と興奮している雛里を見ながら、雪里は苦笑しつつ言った。

 以前、雪里達が同じ私塾に通っていた時、親友同士で集まって甘味を食したりお茶を飲んだりした事があった。

 その時、朱里が親友達を見ながら、将来についてまるでそれが正解かの様に断言した。


『雛里ちゃんは、最低でも中郎将(ちゅうろうじょう)は固いね。』

『雪里ちゃんは、州刺史(しゅう・しし)か郡太守になれるよ。』


 親友達に対して次々と、余りにも堂々と言うものだから、皆驚きながらも朱里の言葉を信じていった。

 そんな中、雪里が朱里に訊ねた。


『なら朱里、貴女は?』

『さあ? ……ふふっ。』


 だが、いざ自分の事となると朱里は意味ありげな笑みを一つするだけで、何も答えなかった。


「朱里、貴女はあの時、自分の事は何も言わなかったわね。勿論今更、何故言わなかったのか訊くつもりは無いけど、その時に私が貴女の事をどう思ったのかは、教えてあげる。」

「……どう思ったの?」


 雪里が昔の事を思い出しながらそう言うと、朱里は暫くの間何かを考えてから訊ねた。


「……貴女は、私達とは比べ物にならない程大きな事を成せる人間。州刺史とか郡太守なんて生温い役職ではなく、もっともっと上の役職に就くだろう、ってね。」

「買い被り過ぎだよ、雪里ちゃん。」


 そう言った朱里は顔を紅くしながら目の前で両手を振り、口をぱくぱく動かしていった。

 先程は姓と字で朱里達を呼んでいた雪里は、今はちゃんと真名で呼んでいる。あの言い方は、ある種の意思表示みたいなものだったのだろうか。


「そんな事は無いわ。貴女は私達の中で一番優秀だったし、水鏡(すいきょう)先生も期待していらしたじゃない。」

「私も雪里ちゃんと同じ様に思ってるよ。」

「雛里ちゃんまで……。」


 雪里だけでなく、もう一人の親友である雛里にもそう言われた朱里は、思わず苦笑してしまう。


「私はそう思ったからこそ、貴女に会いに来たの。それに、雛里も一緒に居たのはラッキーだったわね。」

「「らっきぃ?」」


 聞き慣れない言葉に反応した朱里と雛里は、同時に聞き返した。

 それを見た雪里は、小さく「あっ」と声を出してから二人に説明を始める。


「ゴメンゴメン。“ラッキー”って言葉は、天の国の言葉で“幸運”とか“僥倖”って意味よ。」

「天の国……。それじゃあやっぱり、徐州州牧補佐の清宮涼(きよみや・りょう)という人物は、噂通り“天の御遣い”なの?」


 雪里の説明を聞いた雛里が、確認する様に訊ねると、雪里は小さく頷いて答えた。


「少なくとも、清宮殿がこの国の人間では無い事は確かね。私達の知らない言葉や知識を使うし、服装とか持ち物も全然違うわ。因みに、清宮殿と接してるお陰で私も時々だけど、今みたいに天の国の言葉を使う様になったわ。」


 補足する様にそう言うと、雪里は今日何度目かの苦笑をした。

 彼女の主の一人である清宮涼は、桃香(とうか)達の前では極力「天の国の言葉」を使わない様にしているが、最早日本語と化した外国語、つまり外来語を全く使わないでいるのはかなり難しい。

 何せ、扉は「ドア」、厠は「トイレ」と言う様に、外来語を使うのが普通になっている為、言葉選びに細心の注意を払ってもつい使ってしまうのは仕方ないだろう。


「それで、そんな清宮涼殿と劉玄徳(りゅう・げんとく)様が居る徐州に、貴女達を連れて行きたいのよ。」


 そんな雑談の中でサラッと今回の旅の目的を話すと、朱里と雛里の表情が瞬時に曇った。


「……私達を、徐州軍に?」

「そうよ。……今の徐州軍には優秀な人材が足りないの。勿論、そこそこやれる人材は居るけど、一軍を率いる武将や内政を任せられる文官が少ない。」

「だから、私や朱里ちゃんに徐州軍で手伝って欲しいって事なの?」

「ええ。勿論、今直ぐなんて言わないわ。出来るだけ早く来て欲しいのは確かだけど、色々と準備も必要だろうし。」


 雪里は二人に要望を述べながら、気遣っていく。

 親しき仲にも礼儀あり、という意味での気遣いだが、実際には一日でも早く来て欲しいという気持ちが強いのは丸解りだった。


「…………い。」

「え? 朱里、今何て言ったの?」


 暫くの間、部屋を沈黙が支配していたが、朱里が何かを呟いた事でその沈黙は破られた。


「……悪いけど、雪里ちゃんの要請には応えられない。」


 朱里はしっかりと雪里を見据えながら、そう断言した。

 雪里は朱里の言葉に驚いている。今の朱里の言葉が、単なる「拒否」ではなく、「拒絶」に近い言い方だったからだ。


「……理由を聞かせてくれるかしら?」


 だが、雪里はその驚きを極力隠しながら、表面的には冷静にして訊ねる。

 対する朱里も、その幼さの残る顔を引き締めながらハッキリと理由を述べる。


「一言で言えば、戦には関わりたくない。只、それだけだよ。」

「……それは解るけど、貴女が手伝ってくれたらその戦を早く終わらせられるし、そもそも戦を起こさずに済むかも知れないのよ。」


 雪里は少し苛つきながら言葉を紡いだ。

 彼女は、昔馴染みの親友に断られる確率は低いと思っていた。

 だが、実際には朱里は雪里の要請を頑なに拒否している。

 その事実に雪里は違和感を感じるが、一番の違和感は「あの朱里が何故、世の為に動こうとしないのか」という事だった。

 学生時代、朱里は同級生の中で、いや、その私塾で学んだ全ての生徒の中で一番の秀才だった。

 真綿が真水を吸い込む様に知識を得ていき、尚且つ誰も考えつかない応用を瞬時に閃く。

 雪里は朱里のその才を、周の文王(ぶんおう)に認められた古の賢者である太公望(たいこうぼう)や、高祖(こうそ)劉邦(りゅうほう)に仕えた名軍師・張良(ちょうりょう)に勝るとも劣らないと思っていた。

 そんな朱里が、今の世を憂いていない筈が無い。世の中を正す為なら、絶対に力を貸してくれる筈だと思ったからこそ、断られる確率は低いと思っていたのだ。

 朱里は、学問を役立てず、学問の為に学問をする無能者達や、論議の為に論議をする曲学阿世(きょくがくあせい)の人間とは違う筈だから。


「朱里、貴女は一生その才を埋もれさせたまま、この隆中で過ごすつもり?」

「……うん、そうだよ。」


 そう訊かれた朱里は僅かの間考えたが、彼女が出した答えは雪里を落胆させるものだった。


(どうして……? どうしてあの聡明な朱里が、こんな馬鹿な判断をしているの?)


 雪里は、朱里を見つめたまま呆然としている。

 そして朱里は、そんな雪里をジッと見据えていた。いや、半ば睨んでいたと言った方が正しいだろうか。


「……朱里ちゃん、せめてちゃんとした理由を言わないと、雪里ちゃんは納得しないと思うよ。」


 そんな二人を静かに見守っていた雛里が、オドオドしながらそう言った。

 すると朱里は、それ迄の固い表情を和らげ、ふうっと一つ息を吐いた。


「……そうだよね。有難う、雛里ちゃん。」

「ううん、良いよ。」


 朱里の表情が和らいだのを見て、雪里は一体何を話すのか気になった。

 先程迄睨んでいた表情が、瞬時に穏やかな表情に変わったのだから、その戸惑いは仕方ない。

 そんな雪里の戸惑い等関係なく、朱里はその表情をやや厳しくして、真っ直ぐに雪里を見つめ直すと、ゆっくりと、だがハッキリとした口調で話し出した。


「……雪里ちゃん、私が何故雪里ちゃんの誘いを断るのか、その訳を教えるね。」

「う、うん……。」


 真剣な朱里の表情と口調に、雪里は無意識に唾を飲み込む。

 そして朱里は言葉を紡いだ。


「……実はね、黄巾党の乱が起きてた頃、叔父夫婦が亡くなったの。」

「えっ……!?」


 予想外の告白に、雪里は絶句するしか出来なかった。

 朱里の両親は、朱里が幼い頃に二人共他界しており、朱里達四姉妹は父が生前娶った後妻と共に、江東の叔父夫婦の(もと)に身を寄せていた。

 その後、朱里の姉の諸葛瑾(しょかつ・きん)は長子としての責任を全うして一家の計を立てる為、義母と末妹と共に揚州(ようしゅう)(呉)に移り住み、孫堅(そんけん)に仕官している。

 それから数年後、成長した朱里は妹の緋里と共にここ隆中に移り住み、育ててくれた叔父夫婦に恩返しをする為に書を書いて生計を立てていた。


「ま、まさか、黄巾党に……!?」

「ううん。……朱皓(しゅこう)っていう人と争いになって、戦死したの。」


 元黄巾党の人間が徐州軍に居る事もあり、雪里はもしそうだったならどうしようと気が気でなかったが、違うと判ると安心し、同時に自己嫌悪に陥った。

 朱里の話によると、何でも朱里の叔父である諸葛玄(しょかつ・げん)は、袁術(えんじゅつ)によって豫章(よしゅう)の太守を命じられたが、同時期に朝廷から豫章を治めよとの辞令を受けた朱皓がやってきた為に対立。

 その結果起きた戦争で叔父夫婦は戦死し、朱里と緋里は最近迄鬱ぎ込んでいたらしい。


(まったく……あのおチビちゃんは何をやってんのかしら。)


 朱里から話を聞いた雪里が最初に思ったのは、溜息混じりの様なそんな一言だった。

 本来、太守を任命出来るのは朝廷、つまり漢王朝だけである。

 だが、黄巾党の乱は勿論、それ以前から続く乱れた世の中では、地方の豪族は朝廷の命を待たずに勝手に決めてきた。

 今回の事件は、そうした先例に則った袁術が勝手に決めた為に起こった悲劇だった。


(……もっとも、どうせ張勲(ちょうくん)がはやし立てるとかして、袁術を(そそのか)したんだろうけど。)


 そう考えると、袁術も被害者だなと、雪里は思う。

 だが、そのお陰で朱里を連れて行く事が出来なくなりそうになってるので、同情はしなかった。


「……つまり、朱里は戦に係わりたくないから徐州に行きたくない、という訳ね?」

「うん……。」


 雪里は、朱里の話から導き出した答えを、それが正しいか確認する様に訊ねる。

 その問いに朱里は只の一言で返すと、俯いたまま口を閉じた。

 そんな朱里を見ながら、雪里は溜息を吐いて髪をかきあげた。


(……今日は駄目みたいね。)


 雪里はそう思いながら雛里にも訊ねてみたが、彼女もやはり要請を断った。

 雛里が断った理由は、朱里と同様に戦に係わりたくないという事だったが、その表情からは、今の朱里を置いていけないという理由も有る様だった。

 徐州軍の軍師としては無理矢理にでも二人を連れて行きたい雪里だったが、彼女は二人の親友でもある為、それを出来ないでいる。


「……解ったわ。」


 雪里はそう言うと、小さく息を吐きながらゆっくりと立ち上がり、入ってきた扉に向かいながら話し掛ける。


「取り敢えず、今日は帰るわね。」

「何度来たって、私の答えは変わらないよ。」


 朱里は俯いたまま即答する。雛里はオロオロし続け、雪里は振り返らずにそのまま扉を開け、部屋を出た。

 扉を閉めて歩き出すと、雛里が朱里に対して何かを言っているのが聞こえた。だが、雪里は足を止めず歩き続ける。

 廊下を歩いていると、四人分のお茶と甘味が乗ったお盆を持った緋里と出会った。


「あれ、雪里お姉ちゃんどうしたの?」

「……ちょっとね。」


 余程難しい表情をしていたのか、緋里は(いぶか)しげに訊ね、雪里ははぐらかす様に答える。

 幼いとはいえ諸葛瑾と朱里を姉にもつ緋里である。雪里のその答えだけで、二人に、若しくは三人に何かあったと察した様だ。


「……解りました。また来て下さいね。」

「ありがと、緋里。」


 二人はそう言葉を交わすと、それぞれの行く先へと向かった。


「お姉ちゃん、蒼詩(そうし)さんが……。」


 緋里は、朱里達が居る部屋の扉を開けながら何かを伝えていたが、雪里は歩き続けていたので最後迄聞こえなかった。

 雪里が玄関を出ると、そこには一人の少女が立っていた。

 紅く長い髪に健康的に焼けた肌。大きな碧眼に活発そうな表情、子供特有の八重歯が特徴的だ。

 背丈は朱里や雛里と同じくらいで、服装は白を基調としたノースリーブに黒いホットパンツ。靴下は履いておらず、素足に紅いサンダルを履いている。

 雪里が少女に一礼すると、少女も同様に返し、朱里の屋敷へと入っていった。


(……朱里の友達かしら?)


 そう思いながら、乗ってきた馬に騎乗し、ゆっくりと走らせる。

 段々と遠ざかる朱里の屋敷を一瞥し、これからの事を考えた。


(さて……大見得をきったのに手ぶらで帰るのも何だし、取り敢えず兵だけでも集めてこないとね。)


 雪里はそう思いつつ、気持ちを切り替えて徐州へと帰って行った。

 因みに、帰還時に雪里が集めてきた兵数は、軽く二万を超えていたらしい。

 朱里の勧誘に失敗した雪里は、徐州に帰還すると直ぐに桃香と涼に事の次第を報告し、朱里の代わりに得た二万を超える兵達を徐州軍に組み入れる了承を得た。

 そしてその兵達の調練を、調練場に居る愛紗(あいしゃ)に頼もうとすると、そこで思い掛けない人物と出会った。


「……貴女が来ていたとは。いつ此処に?」

「三週間程前に。今ではこうして兵の調練を任されている。」


 その人物は白を基調とした振り袖の様な衣服を身に纏い、頭には両端に紅い飾り紐が付いた白いナースキャップの様なものを付けている。

 衣服について詳しく言うと、帯の色は濃紺、袖には黄色い蝶の羽根が大きく描かれている。

 また、胸元はその豊満な胸を強調するかの様に開いており、長く伸びてミニスカートの役割も兼ねている衣服の下から覗く太股と共に、妖しい色気を漂わせている。

 その太股には白のニーソックスを履いており、上部には紫色の三角形が連なる様に幾つも付いている。

 靴は、薄紫色の厚底下駄になっていて、全体的に和装っぽい服装だ。

 水色の髪は左右が長く、他は首に掛かる程度。但し真後ろの髪だけは細く長く伸ばしている。

 朱い瞳を持つその人物の名前は趙雲(ちょううん)、真名を(せい)と言う。


「そうでしたか。星殿なら安心して調練を任せられます。」

「ふふ、世辞でも嬉しいものだな。しかし、私が徐州軍に参加した事を筆頭軍師殿が知らなかったのは少し拙いのではないか?」

「私は先程帰還し、桃香様と清宮殿に今回の旅の報告をしただけで、(しずく)達からの報告は未だ受けていませんから。何せ一刻も早く、あの者達の調練を始めてもらいたかったので。」


 雪里はそう言いながら、調練場に並ぶ二万以上の兵達に目をやる。

 星も其方に目をやり、雪里が集めてきた兵達を吟味するかの様に見ていった。


「とは言え、知らなかったのは事実ですから。どう言われても仕方がないのですけどね。」

「ふっ……知らなかったのなら、知れば良いだけではないか。」


 冗談めかして雪里が言うと、星もまた、口元に指を置き、妖しい笑みを浮かべながら返した。


「……それもそうですね。では、兵の調練は星殿に任せて私は報告書を読んでくるとしますか。」

「ああ、それが良いだろう。武官は調練に、文官は報告書に、正に適材適所だ。」

「まったくです。」


 雪里はそう言って星に一礼すると、同じく調練場に居た愛紗と鈴々にも挨拶をしてから、自室へと戻っていった。

 雪里が自室に入ると、そこには大量の書簡が有った。

 旅に出る前に、残っていた仕事は全て片付けていたものの、二ヶ月程留守にしていたので、当然ながらその間の仕事が溜まっていた。

 勿論、急を要する案件は雫達が処理しているので、此処に置いてあるのはそれ程急がなくても良い案件ばかりだ。


「覚悟はしてましたが……これは骨が折れますね。」


 机の上は勿論、食卓や寝台の上に迄置かれている書簡を見ながら、雪里は溜息を吐いた。

 それから暫く目をつぶると、意を決した様に表情を引き締め、書簡の山に取り掛かった。

 筆頭軍師を務めているだけあって、雪里の処理能力は高い。一刻も経たない内に、机の上に山の様に積まれてあった書簡は無くなった。


「取り敢えず、これで良しとしますか。」


 そう呟くと、書簡の山とは離して机の上に置いてあった報告書を手に取る。報告書と言っても、竹の板を使った竹簡だが。


「……糜竺(びじく)糜芳(びほう)の姉妹に陳珪(ちんけい)陳登(ちんとう)の母娘。元黄巾党の廖淳(りょうじゅん)に、文武両道の孫乾(そんかん)。そして、恐らく愛紗殿や鈴々殿と同じくらいの実力の持ち主である趙雲殿。ふむ……私が居ない間に、随分と色んな人材が集まったものですね。」


 報告書には、雪里が不在の間に徐州軍の一員になった者達の一覧が書かれており、その中でも比較的優秀な者達については、別の書簡に名前と詳細なプロフィールが書かれていた。

 その数は十や二十では足りない程だった。


「人材の質は兎も角、数は揃ってきましたね。」


 それが、報告書を読み終えた雪里の感想だった。

 正直に言えば、もっと色んな人材が欲しいと思っているが、桃香が州牧になって数ヶ月でこれなら充分だとも思っていた。

 雪里はプロフィールが書かれている書簡を懐に入れると、ゆっくりと立ち上がり部屋を出た。


「先ずは、直接会ってみますか。」


 そう呟きながら、雪里は城内を歩き始めた。

 帰還した時は、報告を済ませようという気持ちが強かった為に気付かなかったが、改めて城内を見渡すと見慣れぬ顔が増えているのに気付かされる。

 女性が多いのはこの世界では普通だから気にする事ではないが、器量が良い女性が多いのはちょっと気になった。


「早くも英雄の片鱗……という訳では無いでしょうけど、ね。」


 苦笑しながら辺りを見渡すと、目的の人物達を見つけた。


「歓談中申し訳ありませんが、少し宜しいですか?」

「はい、何ですか?」


 その中の一人が応えると、雪里は先ず自己紹介を始めた。


「私は、徐州軍筆頭軍師の徐元直と申します。失礼を承知で訊ねますが、貴女方は糜竺将軍と糜芳将軍、それと廖淳将軍と陳登将軍ではありませんか?」

「はい。ああ、貴女が噂に聞く筆頭軍師殿なのですね。」


 四人の中で一番年長者っぽい落ち着きさをはらった少女が応対すると、他の三人も雪里を見つめ始めた。


「ええ。私はつい先程帰還したばかりなので、貴女方についてよく知らないのです。それで、宜しければ少しお話をさせて戴ければと思いまして。」

「それは勿論構いませんが、私達に対してその様にへりくだる必要はございません。どうか、いつも通りにして下さい。」

「これがいつも通りなのですが……解りました、善処しましょう。」


 雪里がそう応えると、五人は話をする為に場所を移した。

 その途中で、雪里以外の四人もそれぞれ簡単な自己紹介をした。

 落ち着きはらった年長者の少女は「糜竺」、その糜竺にどことなく外見が似ている少女は「糜芳」、明るい雰囲気で栗色の髪と瞳を持つ少女は「廖淳」、四人の中で一番背が小さな少女は「陳登」と名乗った。

 歓談室に着いた五人は、小さな円卓を中心にして座り、話を始めた。

 話していくにつれて、雪里は四人の人柄について把握していった。

 先ず、四人の中で最年長――と言っても未だ十八歳なのだが――の糜竺は兎に角礼儀正しい。

 凜として尚且つ透き通る声で紡がれる口調は丁寧だし、所作は貴族のそれと変わらないのではないかと思う程だ。

 聞いてみると、糜家は代々裕福な家系らしく、それに伴って礼儀作法も身に付いたらしい。

 外見を詳しく見ると、胸の辺り迄伸びている黒髪は艶やかで、窓から差し込む陽の光を受けてキラキラと輝いている。

 髪の色と同じ黒い瞳は見る者の心を捉える様だし、白を基調としたワンピースタイプのゆったりとした服の上からも判る胸の膨らみも相俟って、清楚ながらに少なからず妖艶さも持ち合わせている。

 スカートの丈は膝下迄の長さで、短めの青い靴下と茶色のブーツタイプの靴を履いている。

 装飾品は余り付けておらず、緑色の宝石がはめ込まれたブレスレットを右手首にしているくらいだ。

 武器は背中に大型の弓矢を背負っており、左腰には短剣も所持している。こっちは恐らく護身用だろう。


「得物は弓矢なんですね。」

「ええ。(もっと)も、妹と違って私は将として部隊を率いた事は、未だ一度も無いのですが。」

「けど、姉の弓矢の腕は確かですよー。軍師殿もビックリするかも知れませんねー。」


 糜竺が困った様に答えると、右隣に座っている少女が明るくそう話す。

 その口調がどこか軽かった所為か、糜竺はその少女を窘める。

 窘められた少女の名前は糜芳。糜竺を「姉」と呼んだ事から解る様に、彼女は糜竺の妹である。

 確かに外見はどことなく似ている。髪や瞳の色は同じだし、身長も同じくらいだ。

 だが、その口調や所作は姉とは対照的に軽く、雑だ。

 服装にしても、基本的に白だけで構成している糜竺と違い、糜芳の服装は黒やら赤やら青やらと、カラフルな色合いになっている。

 スカートも、糜竺がロングなのに対してミニスカート。色は前述の黒。

 白のオーバーニーソックスにスニーカーの様な黄色い靴を履いており、姉と比べたら活発的な格好だ。

 装飾品も、ブレスレット一つだった糜竺とは違い、ブレスレットにネックレス、アンクレットと沢山身に着けている。

 只、それだけ着けても派手さが抑えられているのは、糜芳の顔立ちや体型がボーイッシュだからかも知れない。

 豊満な胸を持つ姉と違い、彼女の胸は同年代の平均より少し小さい。勿論、大きければ良い訳では無いが。

 髪は首迄のショートヘア、ラフなTシャツタイプの服、武器は腰に下げている剣。年齢は十六歳。

 それが糜芳という少女である。


椿(つばき)お姉ちゃんは、いつも山茶花(さざんか)お姉ちゃんに怒られてるよねー。」


 ケラケラと笑いながら、子供特有の甲高い声でそう言うのは、雪里の左隣に座っている小さな少女だった。

 名前は陳登、年齢は十三歳で、この場に居る五人の中では最年少だ。

 年齢の割には小柄なその少女は、顔つきも体型も幼く、十歳やそれ以下の年齢と言ってもおかしくはない。

 栗色のショートの髪はふんわりとしており、丸顔によく合っている。

 丸く大きな碧色の瞳に薄い唇、短い手足に僅かに膨らんだ胸と、いかにも子供らしい体型だ。

 頭には赤いワンポイントが有る白いベレー帽。Tシャツっぽい赤い服の上には白いジャケットを羽織り、プリーツスカートも白と、服装は殆ど白で構成されている。勿論、靴下も靴も白だ。

 武器は腰の真後ろで横一文字に下げている長剣の様だ。下手したら身長と余り変わらない長さに見えるが、ちゃんと扱えるのだろうか。


「まあ、椿さんだから仕方ないですね。」

「そうだねー♪」

「残念ですが……。」

「お姉ちゃんも皆も酷いーっ。」


 栗色の髪と瞳を持つ少女――廖淳が言ったのを皮切りに、陳登や糜竺が椿――恐らく糜芳の真名だろう――をからかう様に言葉を紡ぐ。

 からかわれた糜芳はそんな三人を見ながら怒っているが、その表情は笑っていた。どうやら本気で怒ってはいない様だ。

 廖淳は地和の副官として街の警邏をしているらしく、今では街の事を知り尽くしているらしい。

 年齢は十四歳で、背は雪里と同じか少し大きいくらい。胸もそんなに変わらない大きさの様だ。

 栗色の髪には黄緑色のバンダナを巻いて、ポニーテールにしている。本当は黄色いバンダナを巻きたいのだが、勿論、雪里達はそれを知らない。

 服装は黄緑色を基調としたノースリーブに黒いホットパンツと、運動に最適な格好をしている。

 本来は黄色い布を巻いていた右手首には、空の様に澄みきった青い布が巻いてあり、ポニーテールのバンダナと共に装飾品代わりになっていた。

 靴下やニーソックスは履かず、素足に青いスニーカータイプの靴を履いている。

 武器は黄緑色の鞘に納められた剣で、左腰に下げている。

 見た所真新しい様なので、最近手に入れた剣なのかも知れない。

 それから半刻の間、五人は軍について政治について、更には雪里と四人は初対面だというのに、プライベートについても大いに語り合った。

 それは雪里の真面目な人柄が、四人に安心感を与えたからかも知れない。

 その雪里が四人と話してみて解った事は、彼女達は少なくとも悪い人間では無いという事だった。

 性格的に気になる人間は居たが、それは軍に悪影響を与える程では無い。

 話しただけなので実力については解らないが、調練や政務の様子を見て判断すれば良いので後回しにする事にした。


「それでは皆さん、これから宜しくお願いしますね。」


 話の最後に雪里がそう言うと、四人もまた同じ様に応え、平伏しながら雪里を見送った。

 因みに、雪里は四人から真名を預けてもらい、自分の真名も預けている。

 四人の真名はそれぞれ、糜竺が「山茶花」、糜芳が「椿」、陳登が「羅深(らしん)」、廖淳が「飛陽(ひよう)」といった。

 四人と分かれた雪里は、その足で残りの二人――陳珪と孫乾に会いに行った。


(陳珪殿は羅深殿の母親ですし、孫乾殿については雫からの手紙も有りましたし、楽しみですね。)


 雪里はそう思いながら二人を捜し続けた。

 その二人は中庭に居た。書簡に書かれたプロフィール通りの外見の二人は、何やら立ったまま話しており、口調には熱がこもっている。

 とは言え口論している訳では無い様なので、雪里は普通に近付いて声を掛けた。


「随分と白熱していますね。」


 雪里がそう声を掛けると二人は話すのを止め、雪里に向かって振り返った。

 だが、二人はそこに居たのが見慣れない少女だった為、その少女が誰かと考えている間、言葉を失った。


「えっと……貴女は?」


 やがて、妙齢の女性が訊ねると、雪里は恭しく居住まいを正しながら自己紹介を始めた。


「申し遅れました。私は徐州軍筆頭軍師、徐元直と申します。」

「ああ、貴女が噂の軍師さんなのね。私は陳漢瑜(ちん・かんゆ)、兵糧管理を担当しています。」

「お噂はかねがね聞いておりますよ。私は孫公祐(そん・こうゆう)、書簡整理等を担当しています。」


 二人は雪里を見ながらそう返す。

 すると、雪里は先程から感じていた疑問を口にした。


「……先程、陳登殿達と話していた時も私の噂を聞いていると言っていました。一体、どんな噂を聞いているのですか?」

「あら、噂の当人は知らないのですね。」


 そう言ったのは、陳漢瑜こと陳珪。

 娘の陳登と同じく白を基調とした服装だが、ジャケットでは無く、和服とドレスを足して二で割った様な、袖とスカートの丈が長い服を身に纏っている。

 娘と同じ栗色の髪は首の後ろで紅い布を巻いて纏めており、髪の長さは背中迄ある。

 左耳には翡翠色の宝石が付いたピアス、首にはやはり翡翠色の宝石が付いたネックレスといった装飾品を身に付けていた。

 身長は雪里より頭一つ分高く、胸はこの歳の女性の平均より明らかに大きい。勿論、全体のスタイルも良い。

 殆どスカートに隠れているが、靴は黒いロングブーツを履いている。

 文官だからか城の中だからかは判らないが、武器は何も携帯していない。


「噂とはそんなものでしょう。」


 そう言ったのは、孫公祐こと孫乾。

 何か可笑しいのか、微笑みながら雪里を見ている。

 薄紅色の髪は短く、前髪は目にかかっていない。

 服は、紺色のノースリーブの上にデニムの様な生地だが赤い長袖の上着、紺色のホットパンツの上に白いミニスカートといった格好。

 素足にやはり紺色のスニーカーを履いており、見た感じは余り文官らしくない。

 因みに装飾品は無く、武器も持っていなかった。

 雪里はそんな孫乾を見ながら、雫の書簡には自信家だとあったなと思い出し、どれくらい自信家なのかより注意を払いながら訊ねた。


「それで、その噂とはどの様な内容なのですか?」


 雪里は孫乾をじっと見据える。

 その孫乾は相変わらず笑みを浮かべながら、まるでありきたりな話をするかの様に、噂について説明し始めた。


「なに、特に面白くも何ともない事です。“徐元直は公私共に厳しく、桃香様は勿論、清宮様も頭が上がらない。”と。」

「なっ!?」


 思わず驚きの声をあげる雪里。

 そんな風に思われては不本意だと、雪里は二人に反論するが、


「ですが、厳しい軍律を作ったのは事実ですよね?」

「それは、まあ……。」


 そう孫乾に指摘されると、不服ながらも肯定した。

 確かに、涼達が徐州に来てから、雪里が軍律を改めたのは事実だった。

 だが、雪里だけでなく雫や地和、桃香に涼も加わって話し合い、決めていたので、決して雪里一人で決めた訳ではない。

 尤も、涼達の意見を取り纏めたのは雪里なので、雪里が責任者という事にはなるだろうが。


「だからと言って、私が清宮殿達を言いくるめているかの様に言われるのは心外です。」

「まあまあ。確かに嫌な噂ですが、真に受けている者は殆ど居ませんから御安心下さい。」

「少しでも居る事が問題なのですが……まあ、極力気にしない事にするわ。」


 孫乾に宥められた雪里は、渋々ながら身を引く事にした。ここで二人に文句を言っても、問題が解決する訳では無いのだから。

 それから雪里は、先程の四人と同じ様にこの二人とも色々話していった。

 そうして話した感じでは、陳珪は穏和で常識人。いかにもあの無邪気な羅深の母親らしいなと、雪里は思う。

 只、話を聞いていると時々否応無しに背筋がピンと張り詰めていくのを感じたのは、少なからず疑問に思った。


(何なんでしょう……このそこはかとない不安は。)


 雪里は頭を振って不安を振り払った。

 一方の孫乾はと言うと、雫の手紙に書いてあった通りの自信家だった。

 初めは只の自信過剰な人間かと思ったが、どうやらそうではなく、きちんとした理由が有る様だ。


(まあ……自信の無い人間よりはマシですしね。)


 それが孫乾に対する雪里の感想である。

 因みに、雪里はこの二人とも真名を預け合った。

 陳珪の真名は「羽稀(うき)」、孫乾の真名は「霧雨(きりゅう)」と言った。

 雪里は二人との話を終えると、残った仕事を片付ける為に自室へと戻った。

 不在の間、自分の代理として頑張ってくれた雫に助けて貰ったりしながら、少しずつ片付けていく。

 そうして数日かけて全ての仕事を片付けたある日、雪里の部屋を桃香が訪れた。


「これは桃香様、わざわざお越しになられたという事は、何か急用ですか?」


 寝台で横になって休んでいた雪里は、君主の来訪と同時に気を引き締め直しながら、部屋に入った桃香に椅子を勧める。


「ううん、別に急用じゃないんだけど、聞きたい事があって。」

「聞きたい事、ですか?」


 椅子に座りながら桃香がそう言うと、雪里は円卓を挟んで対面に座りながら再び訊ねる。


「うん。諸葛亮(しょかつ・りょう)さんと鳳統(ほうとう)さんについて詳しく教えて欲しいんだ。」

「朱里と雛里について、ですか。」


 雪里が確認すると、桃香は笑みを浮かべながら頷いた。

 それを見た雪里は疑問に思った。

 二人については帰還した時にも説明している。それなのに今また話を聞きたいとは、どういった意図が有るのだろうか。

 とは言え、君主が訊ねてきたのに答えない訳にはいかず、きちんと答えていった。

 翌日、その桃香が居なくなっていた。


『ちょっと諸葛亮さんと鳳統さんの所に行ってきます。護衛には愛紗ちゃんと鈴々ちゃんを連れて行くから心配しないでね。 桃香』


 そう書かれた手紙を読んだ雪里は、目の前に居る人物に目を向けながら訊ねた。


「……これが、桃香様の部屋に置かれていたのですか?」

「……ああ。因みにこれは、愛紗と鈴々の部屋に有った置き手紙だ。」


 雪里の目の前に居る人物――涼は、そう言いながら机の上に二枚の手紙を並べる。

 因みに此処は執務室であり、この場には他に地和(ちいほう)時雨(しぐれ)、雫、星が居る。


『義兄上、済みませんが暫くの間留守にします。理由は……もうお分かりでしょうが、荊州へ行かれる桃香様の護衛です。徐州軍筆頭という大任を任されていながら、その徐州から離れる事は心苦しいのですが、私には桃香様の熱意に抗う術を持ちませんでした……。もし、軍の事に関して何かあった場合には、星や時雨に聞いて下さい。ああ、桃香様が呼んでいるので文はここ迄にします。……では、行ってきます。 愛紗』

『ちょっと荊州へ行ってくるのだー♪ 鈴々』


 何ともまあ、二人の性格が如実に表れた手紙である。

 雪里は二人の手紙を読み終えると、盛大な溜息を吐いた。


「何故昨日、朱里と雛里の事を聞いてこられたかと思えば……こういった理由でしたか。」


 雪里は額を押さえながらそう呟いた。どうやら今回の件に関して責任を感じている様だ。


「桃香ちゃんって、普段はのんびり屋さんだけど、時々大胆な行動をとるんだよね〜。」

「そうだな。俺達も子供の頃から何度驚かされたか。」


 一方、雫と時雨の二人はこの状況に慣れているのか、言葉の割には余り驚きもせず、(むし)ろ笑みを浮かべながらそんな事を話している。


「何ともはや……どうやらここでは、思ったより楽しい日々が過ごせそうですな。」


 そう言ったのは星。君主が突然旅に出るというハプニングに戸惑う涼達を、心底楽しそうに眺めている。


「はあ……ある意味、天和(てんほう)姉さんより自由人だわ。」


 溜息を吐きながらそう呟いたのは地和。どうやら姉である張角(ちょうかく)を思い出している様だ。


「……取り敢えず、桃香達の事は今更どうしようもないから、これからの事を考えようか。」


 涼は皆を見ながらそう言った。

 城門の警備兵の話によると、桃香達は昨夜の内に荊州へ向かったらしく、今から追い掛けても追い付けず、下手に騒げば要らぬ混乱を招く事になってしまう。

 桃香達は城門の警備兵達に「急用が出来たので私達は荊州へ向かいます。後の事は御遣い様に任せてあるので、ご安心下さい。」と言って出て行ったらしい。

 警備兵達は、天の御遣いが残るなら心配無いと思ったらしく、今朝方涼達が桃香達の不在に気付いて警備兵達に訊きに来る迄何もしていなかった。


「いくらなんでも、たった三人で徐州から荊州に行くのがおかしいと思わないのかなあ。」

「……まあ、私が先日迄一人旅をしていましたからね。」


 涼が疑問を口にすると、雪里が苦笑しながらそう言った。

 確かに、雪里はたった一人でここ徐州から荊州に行き、無事に戻ってきている。しかも沢山の兵を手土産にして。

 警備兵達はそういった事実を知っていたからこそ、たった三人で徐州へ向かうという桃香達を止めなかったのだろう。


「先程清宮殿も仰られた様に、過ぎた事を言っても仕方ありません。取り敢えず、州牧代理は清宮殿に、その補佐は地和さんに任せます。」

「えっ? 涼は解るけど、何でちぃがその補佐なの?」

「桃香様が居ない今、その代わりが出来るのは二人しか居ません。“天の御遣い”である清宮殿と、“劉玄徳の従姉妹”である地香(ちか)さんだけです。」

「ああ、成程ね。」


 雪里の説明を受けて、自分が対外的には「劉玄徳の従姉妹」として名が通っている事を思い出し、納得する地和。

 ここに居る者達は皆、地和が黄巾党の「張宝(ちょうほう)」だと知っているが、他の者達、つまりは徐州に来てからの者達は皆、地和を桃香の従姉妹である「劉徳然(りゅう・とくぜん)」と認識している。

 星は仲間になったのは徐州に来てからだが、地和の処遇について話し合ったあの場に居た為、地和の事を知っていた。

 そうした事情もあり、地和は今回の人選には欠かせない人材なのだ。


「はい、そういう事です。」

「だが、桃香様の不在を羽稀殿達にはどう伝えるつもりだ?」


 頷く雪里に対してそう訊ねたのは星。付き合いが長く、桃香達の人格や性格を知っている彼女達と違い、羽稀達は知り合ってから未だ日が浅い。

 そんな彼女達がこの事を知ったらどんな反応をするか。大混乱に陥ったり、下手をしたら反発を招くかも知れない。

 それを承知の上の涼は、雪里が星に答える前に決断した。


「……どう取り繕ったって、何れは本当の事が知られるだろう。人の口に戸は立てられないからね。」

「……それはつまり、初めから本当の事を知らせるべきという事ですか?」


 涼の言葉を先回りするかの様に、結論を確認する雪里。

 涼はそれに頷いて答えると、皆の顔を見ながら自分の考えを述べ始めた。


「勿論、混乱や反発は考えられるけど、桃香が徐州の州牧である限り、こんな事がまた起きないとは限らない。なら、ここで隠すよりは話した方がマシかと思うんだ。」

「確かに、桃香ちゃんならまた何かしそうだよね。」

「あいつは何に関しても一途だからな。それが良い事と判断したら、間違いなくまたやるだろう。」


 涼の説明を聞いていた雫と時雨が、納得した様に首を縦に振りながら言葉を紡ぐ。


「幼馴染みである時雨達がそう言うのであれば、間違いなかろう。地和はどう考える?」

「ちぃも、涼や雫達と同意見かな。桃香って、自分の事より他人が優先って考えだから、多分またこんな事をしそうだもんね。」


 星に話を振られた地和は、義理の従姉妹でもある桃香をそう評した。

 その答えに星は苦笑するも、決して否定的ではなかった。

 漢王朝が衰退し、黄巾党の乱や十常侍(じゅうじょうじ)誅殺(ちゅうさつ)等により、世の中は乱れ始めている。

 そんな世の中において、自分より他人を思いやる事が出来る桃香を、星はとても好ましく思っていた。

 だからこそ、ともすれば無責任かつ無謀な今回の桃香の行動も、余り大した事ではないとさえ思っている。

 確かに、桃香は一時的とは言え州牧という職務を放棄している。だが、それは部下、いや、桃香の言い方で言えば仲間や友達である雪里の失敗を補おうとしての行動だ。

 一時的に放棄している州牧の仕事も、事後報告とは言えちゃんと託している。まあ、了承を得る事はしていないが。

 護衛に関しても、義妹(いもうと)である愛紗や鈴々の武はよく知っているので問題は無い。

 大軍に包囲されては流石に危険だろうが、野党くらいなら例え百人居ても二人には勝てないだろう。

 そうした事を考えた末に、星もまた涼の考えに同意した。

 残る雪里はと言うと、皆の発言に耳を傾けながら、事実を隠した場合と明らかにした場合の損得勘定を頭の中で考えていた。

 どちらの場合でも損得は有る。実際、世の中の物事は損しかない、得しかないという方が少ないだろう。

 そうして考えた結果、雪里もまた涼達と同じ答えに辿り着いていた。


「……どうやら、皆は清宮殿に賛成の様ですね。」

「おや、軍師殿は反対なのか?」


 自分とは違う意見を口にした雪里を、意外そうに見ながら星は訊ねた。

 だが雪里は、単に反対する為にそう言ったのでは無かった。

 全員が何の不満も言わずに安易に賛成しては、いざという時に誰かから反対意見が出た場合に、ちゃんとした判断を下せない危険性がある。

 そうならない為に、一応は意見を述べ、判断能力を養っておこうと思っていたのだ。


「反対と言う訳ではありませんが、皆さんが余りにも楽観的な様でしたのが少し気になりましてね。」


 そして、その為に直接的な物言いはしない雪里。


「うっ……。」

「……そう見えた?」

「ええ。」


 また、その為には少しくらい意地悪な役目も進んでやるのが、徐元直こと雪里という少女だった。

 そうして話し合った結果、涼達は羽稀達を呼ぶ事にした。

 主要メンバーが揃うと、涼は桃香達が急用の為に荊州へ向かった事、その間の代理を涼、補佐に地香、軍部筆頭代理と補佐はそれぞれ星と時雨が務める事を伝えた。

 突然の事に皆、多少は動揺していたものの、涼達が危惧していた混乱や反発は起きなかった。

 皮肉にも、警備兵達が思っていた「天の御遣いが居れば大丈夫」という考えを、どうやら羽稀達も持っていた様だ。

 なんだかんだで、徐州は平和である。

 そんな平和な徐州から遠く西方に在る都、洛陽(らくよう)

 言わずとしれた漢王朝の首都。そこに在る屋敷の一つでは、今まさに事件が起きていた。


「……義父上(ちちうえ)、何故!?」


 紅い髪の少女は、目の前に居る初老の男性を戸惑いの眼で見ながら、そう叫んだ。

 紅い髪の少女が「義父上」と呼ぶ初老の男性は、紅い髪の少女の問いに答えながら抜き身の剣を振り上げた。


「お前は生きていてはいけないのじゃ……呂布(りょふ)!」


 初老の男性は呂布と呼んだ紅い髪の少女に向かって、手にした剣を振り下ろす。

 呂布はそれを難なくかわすが、初老の男性は二撃三撃と追撃してくる。

 その太刀筋はどれも呂布にとってはかわすのに何の苦も無いのだが、相手が義父なだけに反撃が出来ないでいた。


(れん)が……生きていちゃいけない……?」

「そうじゃ! じゃから、お主の義父であるこの儂、丁原(ていげん)自らが殺してやろう‼」


 初老の男性――丁原はそう叫びながら、呂布――恋に向かって容赦なく剣を振り続ける。

 勿論恋にその攻撃は当たらないが、反撃出来ない恋に対して攻撃が止む事は無い。

 そうして暫くの間同じ事の繰り返しになっていたが、突然恋は何かに足をとられて転んでしまった。


「……っ!」


 だが、そんな不意の出来事にも瞬時に受け身をとり、床への直撃を避ける恋。

 それと同時に周りを見ると、空の酒瓶がコロコロと恋の足下を転がっている。どうやらこれに足を乗っけてしまった為に、倒れてしまった様だ。

 丁原の攻撃を避けている内にいつの間にか厨房に来ていたらしく、周りには転倒の衝撃で落ちたのか割れた皿の破片や包丁が散乱している。

 と、呑気に観察している時間は恋には無かった。


「死ねええっ‼」


 受け身をとっているとはいえ、床に倒れている事に変わりがない恋を見据えながら、丁原は剣を振り上げる。

 だが、その剣が振り下ろされる事は無かった。


「ぐっ……っ!」


 丁原が剣を振り下ろすより速く、恋は近くに落ちていた包丁を手に取ると、それを丁原の腹部に突き刺した。


「あ……っ!?」


 恋は包丁を手にしたまま小さく呟き、だが表情は常と違って大きく変化した。

 どうやら、自分がした事に驚いている様だ。

 先に攻撃を仕掛けたのは丁原だ。だが、だからと言って恋は義父に刃を向ける事が出来ない。

 涼の世界に伝わる呂布なら兎も角、ここに居る呂布――は本来、心優しい少女なのだから。

 それなのに今、恋は丁原を刺している。何故か?

 丁原が恋に向かって剣を振り下ろそうとする直前、恋はその意識とは無関係に体が動いていた。

 それは戦いの中で鍛え上げられた、類い希なる反射神経が自分の身を守ろうとした結果によるもので、そこに恋の意思は無い。

 だからこそ、恋は現状を把握するにつれて包丁を持つ手が震えていった。

 戦場では、初陣の時でさえ武器を持つ手が震えなかったというのに。


「ち……義父上…………っ!」


 恋は手だけでなく声も震わせながら反射的に包丁を抜き、床に放り投げると、丁原から目を逸らさずにゆっくりと後ずさった。


「……この、親……殺しめ…………ぐふっ!」

「……っ‼」


 丁原は恋を睨みながらそう言葉を絞り出すと吐血し、呆然とする恋の前にドサッと倒れた。

 恋が恐る恐る近付いて確認すると、丁原はカッと目を見開いたまま、ピクリとも動かない。既に事切れているのだ。

 腹部から流れ出る血は瞬く間に床を朱に染めていき、辺りを血の海に変えた。

 恋は呆然としたまま、座り込んでしまっていた。


「一体何の騒ぎやっ! ……っ!?」


 と、そこへ、騒ぎに気付いた少女が厨房へと駆け込んできた。

 少女の髪は紫色で所々逆立っており、その瞳は鋭く力強い。


「…………(しあ)。」


 恋はその紫色の髪の少女を霞と呼んだ。だがその言葉には力が無く、視線も安定していない。


「旦那っ! ……恋、一体何があったんや!?」


 霞は丁原の死を確認すると、その傍で呆けている恋の肩を揺さぶりながら訊ねる。

 恋は目の前に居る霞にすら焦点を合わせられないまま、まるで独り言の様に呟いていった。


「義父上が……急に斬りかかってきて……恋は生きていちゃいけないから……転んだら斬られそうになって…………刺した…………。」


 そこ迄言うと、恋は俯いたまま黙り込んでしまった。

 霞はそんな恋と丁原の死体を見ながら、心の中で叫んだ。


(何でや!)


 それは疑問。


(何で丁原の旦那が恋を殺そうとするんや‼)


 それは有り得ない事が起きた事に対する、疑問と怒り。


(あんなに仲が良かったやないか……。血が繋がってるとか繋がってないとか関係なく、“親子”しとったやないかっ‼)


 在りし日の丁原の姿と、その隣で表情は余り変わらなくても楽しそうに過ごしている恋の姿を思い出しながら、その疑問は絶叫となって心の中に轟いていった。

 そうして心の中で絶叫と思考を終えた霞は、未だに放心状態の恋へと向き直った。


「……恋、しっかりするんや。」

「…………。」

「受け入れ難いんはよう解る。せやけど、今はそないのんびりされては困るんや。」

「…………。」


 恋が反応しないのも構わず、霞は話し続ける。


「事情はどうあれ、丁原の旦那は死んだ。なら、今のウチ等には旦那の跡を継ぐ人間が必要や。」

「…………。」

「そしてそれは、旦那の娘である恋、アンタしか居らんのや。」

「…………でも、恋は義父上を殺した。……恋にそんな資格は無い……。」


 漸く恋は口を開いた。その口調は弱々しく、相変わらず眼に力は無かったが、さっきよりは一歩前進したと見た霞は更に話を続ける。


「自分の欲の為に旦那を斬ったのなら兎も角、乱心した旦那を斬ったのやから資格が無い訳や無い。」

「でも……。」

「さっきも言うたけど、今の丁原軍を纏められる人間は恋以外に居らへん。選択肢は無いのや。」

「霞が居る……。」

「アカンアカン。確かにウチは部隊の指揮は出来るし旦那への恩義も有る。けど、恋を差し置いて跡を継ぐ事は出来へんのや。それこそ、資格が無いんやからな。」


 霞がそう言って断ると、恋は今迄とは別の意味を持つ悲しい表情で霞を見つめた。

 そんな顔が出来る程落ち着いたんか、と思いながら霞は気を引き締め、言葉を紡ぐ。


「……覚悟を決めとき。勿論、ウチも力を貸すし、恋は恋らしくしとるだけでええんや。」

「恋、らしく……。」

「そうや。旦那の娘として、今迄通りに、な。」

「……………………解った。」


 逡巡の末、恋は決意し、ゆっくりと立ち上がった。


「なら、得物を持って中庭に来てや。そこで恋が跡を継いだ事を兵士達に知らせるんやから。」

「うん……。」


 霞にそう言われた恋は、未だ少しフラフラしながら厨房を出て行った。

 その後ろ姿を見送ると、霞は一つ息を吐く。


「誰か()るか!」


 それから大声で呼ぶと、兵士が一人やってきた。

 その兵士は丁原の死体を見て驚いていたが、霞の説明を受けて幾分か落ち着きを取り戻した。

 霞の指示を受けた兵士が走り去るのを見てから、霞は改めて床に倒れている「主」に語り掛ける。


「……本当に、何があったんや。」


 勿論、その答えが得られる事は無かった。

 丁原軍の大将が恋になり、「呂布軍」と生まれ変わるのはその一刻後の事である。

第十一章「旧友と新友」をお読みいただき、有難うございます。


初めに言いますと、タイトルの「新友」は誤字ではありません。「旧友」との対比に使った言葉です。まあ、普通に「しんゆう」と打っても変換はされないですが。


今回は「横山光輝三国志」の、徐庶が劉備軍を離れて諸葛亮の家に行く話を元にして、この様な勧誘シーンを書いてみました。恋姫の諸葛亮が勧誘を断るには、何か理由が必要だなと思い書いたのですが、予想以上に重い話になってしまいましたね。

で、桃香自身が荊州に行くという話になっちゃいました。果たしてどうなる事やら。


最後のシーンは言うまでもなくフラグですが、これの回収は未だ先ですので、のんびりと御待ち下さい。


次はいよいよあのエピソードです。ごゆっくりお楽しみ下さい。

ではまた。



2012年11月30日更新。

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