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真・恋姫†無双 ~天命之外史~  作者: 夢月葵
第四部・徐州牧・劉玄徳編
15/30

第十章 徐州の日々

義勇軍の大将から正規軍の大将へ。


図らずも州牧になった桃香――劉備は、仲間と共に政務に取り組んでいた。


だが、彼女達には様々な問題があった。


その一つは……。




2010年8月8日更新開始。

2010年10月3日最終更新。

 徐州(じょしゅう)幽州(ゆうしゅう)の南東、豫州(よしゅう)の北東、そして洛陽(らくよう)の遥か東に在る州である。

 東には海が在り、周りを他州に囲まれているものの、平原の中に丘陵が点在している為、古くから要害の地として数多の戦乱に巻き込まれてきた。

 また、漢王朝の初代皇帝、劉邦(りゅうほう)の故郷である沛県が在り、その宿敵、項羽(こうう)の本拠地、彭城(ほうじょう)は徐州のかつての名前でもあった。

 その徐州の州牧(しゅうぼく)となった劉備玄徳(りゅうび・げんとく)――桃香(とうか)は、軍師達に助けられながら慣れない州牧の仕事をこなしていた。


「桃香様、次はこの書簡に目を通して下さい。」

「桃香ちゃん、これが住民からの要望を纏めた書簡。後で見ておいてね。」

「桃香様、兵士達の調練について一つ案が有るのですが……。」

「桃香、この間討伐した賊が持っていた宝物の扱いなんだが……。」

「桃香お姉ちゃん、たまには街に行ってみるのだー。」


 だが、ひっきりなしに仕事が舞い込んでくるので、毎日目を回していたりする。


「……そう言えば、(りょう)義兄(にい)さんはどうしたの?」

清宮(きよみや)様なら、陶謙(とうけん)様からの引き継ぎの仕上げをしています。」

「そっかあ……引き継ぎって未だ終わってなかったんだよね。」


 腕と背筋を伸ばしながら、桃香は呟く様に言った。

 陶謙とは徐州の前太守の事で、自身が高齢だった事と適格な後継者が居なかった事もあり、少帝(しょうてい)(劉弁(りゅうべん))の勅書(ちょくしょ)が届けられると徐州を快く桃香に譲った男性である。

 陶謙は善政を行っていた為に民に慕われており、今も尚その引退を惜しむ声は多い。

 その為、桃香は陶謙以上の政治をしなければならないという重圧がのしかかっている。

 そんな桃香の負担を減らすべく、涼や愛紗(あいしゃ)雪里(しぇり)達は皆力を合わせて頑張っているのだ。

 その甲斐あってか、徐州に来てから未だ約二週間だが、少しずつ民達の信頼を得てきている。


「ただいま。」


 噂をすれば影とやらで、涼が桃香達の居る執務室に戻ってきた。


「涼義兄さん、お帰りなさい。陶謙さんからの引き継ぎは終わったの?」

「ああ。雪里、一応確認はしたけど念の為見ておいてくれないか。」

「解りました、では早速取り掛かります。」


 涼から引き継ぎに関する書簡を受け取った雪里は、涼と桃香に一礼してから執務室を後にした。


「お疲れ様、今お茶淹れるね。」

「有難う、桃香。」


 そう言って桃香は茶棚から茶器を取り出し、火鉢の上に置いていた薬缶のお湯を湯飲みに注いだ。

 二人はそのお茶を飲みながら話し出した。


「ふう〜最近仕事が山積みで肩が凝ってキツいから、こうして休憩しながらお茶を飲んでると、心がすっごく落ち着くんだよねえ。」

「桃香の肩が凝ってるのは、別の理由も有るんじゃないか?」

「……涼義兄さんのスケベ。」


 次の瞬間、二人は殆ど同時に笑い出した。

 仕事続きで緊張しまくっている桃香に、こんなフランクな物言いが出来るのは、桃香の義兄(あに)であり州牧補佐の任に就いている涼だからこそだろう。

 まあ、余りやり過ぎるとセクハラになるが、この世界にそんな概念が有るかは涼も知らない。


「それで、陶謙さんは何て仰ってたの?」

「自分も出来る事が有ったら力になるので、遠慮無く言って下さい、だってさ。」

「そっかあ。実際、まだまだ陶謙さんにも助けて貰わないといけないし、そう言って貰うと助かるよね。」


 桃香は飲み干した湯飲みを台に置きながらそう言った。

 陶謙は実質的に引退したものの、前述の通り影響力は大きい。

 そこで、自分達で徐州を治めきる迄は陶謙の助力を得る事にした。

 本当なら最初から自分達でやるべきだが、如何せん涼達には未だ人材が足りていない為、余り勝手な事は出来ないでいる。


「それで、これからの方針としては、人材確保が急務……なんだよね?」

「ああ。武将としては愛紗達が、軍師としては雪里達が居るけど、まだまだ足りない。義勇軍のままならまだしも、徐州軍としてだと今の人数じゃ話にならないかな。」

「そうなんだよねえ……私達、正式な軍隊なんだよねえ……。」


 桃香が徐州の州牧になった為、桃香についてきた旧義勇軍はそのまま徐州軍に編入された。

 その結果、元々居た徐州軍と合わせて兵数は五万を超えたが、元々から将や軍師の数は少なく、また質も余り高くなかったらしく、陶謙の意向もあって徐州軍の編成は旧義勇軍を中心に行われた。

 なので、現在の徐州軍は旧義勇軍の時と同じく筆頭武将を愛紗が、筆頭軍師を雪里が務めている。


「少しは良い人材が居るかと思ったんだけどな。」

「愛紗ちゃんも雪里ちゃんも、余り良い顔はしてなかったもんねー。」

「ああ。さて、どうやって人材を集めるかな……。」


 涼はそう呟きながら残ったお茶を飲み干す。

 残っていた茶渋も口に入ったので、思わず苦い表情になったが、それは図らずも現在の心境とリンクしていた。

 州牧補佐である涼にとっても、問題解決は急務なのだ。

 数分後、休憩を終えた涼は桃香に労いの言葉を掛けてから執務室を出ると、その足で人材確保について相談する為、雪里達が居る軍師室に向かった。


(まあ、そんな良策が有るならとっくにやってるだろうけどね。)


 そう考えながら涼は軍師室の扉を開く。

 中では雪里と(しずく)、二人の軍師が、先程涼から受け取った書簡の確認をしていた。


「あっ、清宮様。」

「どうかなさいましたか? 陶謙殿の書簡についてなら、只今確認中ですが……。」

「いや、その事じゃないんだ。その……人材について、ね。」

「ああ……成程。」


 雪里は涼のその言葉だけで意味を理解したらしく、読んでいた書簡を置いて涼の話を聞く事にした。


「結論から言えば、人材確保の為の有効な手段と言うのは有りません。」

「いきなり落胆する事を言うね。」

「事実ですから仕方有りません。」


 話の始めからそう言われて、涼は苦笑するしかなかった。


「勿論、出来る限りの事は全てやっています。ですが、善政をしていた陶謙殿の(もと)にさえ余り良い人材が居なかった事を考えると、楽観視は出来ないと思います。」

(だよなあ……。“本当なら居る筈の人材”も何故か居なかったし……。)


 涼が知っている三国志の通りなら、この徐州に数人は良い人材が居る筈だ。

 只、そもそもここは涼が知っている世界とは違うので、居るべき人材が居ないのも納得出来なくははない。

 ひょっとしたら、何れ見つかるかも知れないが。


(そもそも、本来なら劉備が徐州に来るのは反董卓連合はん・とうたく・れんごうの後だしな……。まあ、この世界の董卓……(ゆえ)が悪い事をする訳無いし、この流れは正しいんだろうな。)


 そう考えながら、涼は雪里と共に人材確保の為の良策が無いか話し合った。

 勿論そう簡単に見付かる訳は無く、気付けば数刻の時間が過ぎ去っていた。


「あ、いつの間にかこんな時間か。」


 涼は左手首に付けている腕時計を見ながら呟く。

 この世界に正しい時間を計る時計は無く、この腕時計に今表示されている時刻も元の世界のものだが、時間経過は判るので意外と重宝している。

 因みにこの腕時計は太陽光による充電が可能なので、電気が無いこの世界でも電池切れを起こす事は無い。(つい)でに言うと完全防水なので濡れても平気だ。


「結局、清宮殿の世界に在る“はろーわーく”の様に求人募集をするしか手は無い様ですね。」

「だな。……それしか思い付かなくてゴメンな。」

「いえ、求人募集や職の斡旋を専門とする組織を作るという“あいであ”だけで充分ですよ。」

「そうなのか?」

「ええ。これが上手くいけば人材の確保だけでなく、“はろーわーく”に勤める者が生活の糧を得る事も出来ます。また、職にあぶれる者も減りますし、それによって治安も安定するでしょう。今迄私がしてきた人材確保の策より、一石何鳥にもなる良策ですよ。」

「そう言われると何だか照れるな。」


 雪里が笑みを浮かべながらそう言ったので、涼は思わず照れ笑いをする。

 そしてそのまま「ハローワーク」や元の世界について考えた。

 涼の世界の「ハローワーク」は雪里が言う程万能では無いだろうが、それなりに機能しているし、実際に治安は先進国の中ではダントツに良い。

 そうした事例を鑑みると、雪里の喜び様は間違っていないのだろう。


「じゃあ、“ハローワーク”については後で詳しく説明するから、施設の建築や人員については雪里と雫に任せても良い?」

「はい。」

「大丈夫です。」


 涼の問いに、雪里と雫は同時に頷きながら答えた。


「ですが、天界の名前のままでは私達は兎も角、民に解り難いでしょう。何か別の名前を付けなくては。」

「それもそうだな。この国には横文字が無い訳だし。」

「横文字……?」


 横文字という聞き慣れない言葉に二人はキョトンとした。

 だが、横文字が所謂天界の言葉だと説明されると、納得した表情になった。


「では清宮殿、“はろーわーく”の此処での名前は何にします?」

「そんな事を急に言われても、良い名前が思い付かないよ。」

「それもそうですね。……雫、貴女は何か思いついたかしら?」

「いえ、私も何も……只……。」


 話を振られた雫は申し訳なさそうに俯きながら答えたが、その口からは未だ続きが有る様だ。


「只……何かしら?」

「変に奇異を(てら)った名前にするより、先例に(なら)った名前にした方が却って良いと思うのです。」

「それもそうね。なら……“招賢館(しょうけんかん)”と言う名前はどうでしょうか?」

「“招賢館”……何だか聞いた事が有る名前だな。」

「清宮殿は“楚漢戦争(そかん・せんそう)”についての知識もお持ちでしたね。でしたら当然知っておいでの筈です。」

「“楚漢戦争”……ああ、“韓信(かんしん)”のあれか。」


 「楚漢戦争」と言われて、涼は(ようや)く思い出した。

 楚漢戦争、つまり漢王朝成立前の統一戦争で漢軍の大元帥として活躍したのが「韓信」だった。

 韓信は元は漢の敵国である楚の一軍人だったが、楚の覇王項羽はその才を正当に評価せず、更には楚の軍師・范増(はんぞう)によって殺されようとしていた。

 そこで韓信は楚の都尉(とい)である陳平(ちんぺい)や漢の軍師である張良(ちょうりょう)の助けを借りて一足早く楚を離れ、漢が当時統治していた(しょく)へと亡命する。

 その地で「招賢館」という才有る人物を求める施設を見つけた韓信は、張良から渡されていた割符(わりふ)を見せて簡単に重職に就く事を一時止め、自らの手で才を認めて貰う事にした。


「……そして、招賢館の責任者である夏侯嬰(かこう・えい)が口に出した書の文を一字一句間違えずに答えて夏侯嬰を驚かせ、翌日会った丞相(じょうしょう)蕭何(しょうか)をも感服させた。……で、良いんだよね?」

「はい。その後、漢の大元帥となった韓信は楚軍を(ことごと)く打ち破り、漢王朝成立の立役者となったのです。」


 だがその後、韓信はその戦功を認められながらも良い晩年を送れなかったらしい。


「雪里は韓信の様な逸材が来る事を願って、招賢館と名付けたいのか?」

「韓信の様な逸材中の逸材はそう現れないでしょうが、験を担ぐ意味ではその通りですね。」

「ですがその名前だと、求人は兎も角、職の斡旋もする施設とは思われないのではないですか?」

「それは、施設の入り口前に説明文を書いた立て札を立てる事で解決出来るわ。」

「成程。」

「じゃあ、決まりかな?」


 涼が確認を込めてそう言うと、雪里と雫は頷いて答えた。

 それからの二人の行動は素早かった。

 徐州軍の武器・資材調達兼土木官となっていた(よう)(けい)に命じ、「はろーわーく」こと「招賢館」の建築を始めさせる。

 勿論、施設が直ぐに出来上がる訳では無いので、暫くは今迄通りのやり方で人材を探していった。

 そして約一ヶ月後、遂に招賢館が完成した。

 木造二階建てのこの施設は、大まかに言うと一階が一般的な仕事を斡旋する場所、二階が軍の求人募集の場所になっている。

 一階には、涼が居た世界の様にパソコンで仕事を検索する等は出来ない為、街のあちこちで募集している仕事の内容を纏めて書いた竹簡を台の上に並べている。

 勿論、専門の人間を待機させて相談を受けたりアドバイスをしたりもしている。

 二階は基本的に複数の担当者を待機させて、希望者が来た場合は直ぐに面接を行っていく。

 そうして良い人材が見付かれば登用し、もし不合格だった場合には、一階で他の仕事を見つける様に促した。

 そうして、更に一ヶ月が過ぎていった。


「それじゃあ、次は人材についての報告をお願いします。」


 軍議室で各々からの報告を受けている桃香が次の報告者を指名し、その報告者――雪里がゆっくりと立ち上がる。

 雪里は手元に有る竹簡(ちくかん)を時々見ながら、ハッキリとした声で話し始めた。


「はい。私達が徐州に来て以来、軍の再編成及び新人の登用や育成を行って来ました。その甲斐あって徐州軍の兵数は七万を超え、それ等を率いる将や補佐する文官の数も順調に増えています。」

「ほう。これはやはり、招賢館が機能しているという事なのか?」

「はい。愛紗殿の仰る通り、招賢館が出来る前後で登用した人材の数が大きく違います。また、それに伴って労働者の殆どがきちんと仕事に就いている為、民の生活が安定し、結果的に治安も良くなっています。」

「お陰で鈴々(りんりん)は暇なのだ。」

「だが、俺達が暇なのは良い事だぞ。」

「それは解ってるのだ。けど、暇過ぎてお腹があんまり減らないのだ。」

「それで何であんなに食べられるのよ……。」


 鈴々の言葉に時雨(しぐれ)地和(ちいほう)がそれぞれ反応する。

 因みに、鈴々と時雨、地和の三人は徐州軍の部隊だけでなく、街の警邏(けいら)も担当している。それだけ人材が居なかったのだ。

 人材が増えてきた今は鈴々達が警邏をしなくても良いのだが、まだまだ安心出来ないのか、はたまた街のおじちゃんやおばちゃんがくれる点心が目当てなのか、鈴々は警邏を続けている。

 その為、必然的に時雨と地和も警邏を続ける事になった。


「……まあ、それは確かに良い事なのですが……。」

「何か問題が有るの?」


 桃香が訊ねると、雪里は頷きながら竹簡に目を落とし、話を再開した。


「確かに人材は集まりましたが、私は余り納得していません。」

「ふむ……何故だ?」

「将にしろ文官にしろ、最低限の能力を持った者ばかりで、飛びっきり優秀な人材は残念ながら未だ登用出来ていないからです。」


 雪里がそう言うと、愛紗を始めとした将や文官達は皆一様に表情を暗くした。

 どうやら、皆も同じ感想を抱いていた様だ。


「……まあ、こればっかりはどうしようも無いからなあ。」

「清宮殿の仰る事も解りますが、やはりもう少し優秀な人材が欲しいところです。」

「これから先の事を考えると、人材はどれだけ居ても多過ぎる事は無いですし、優秀なら尚良いですからね。」


 雫がそう言うと、やはり皆一様に頷いた。皆も同じく優秀な人材が欲しいのだ。


「涼義兄さん、何か良い方法って無いかなあ?」


 桃香は左隣に居る涼に訊ねる。すると涼は、難しい表情のまま髪を掻きながら答えた。


「有ったらとっくにやってるよ。まあ……敢えて言うなら、宣伝をする事かな。」

「宣伝?」


 涼の言葉に桃香はキョトンとしながら聞き返す。

 涼はそんな桃香と、涼に注目している愛紗達を見ながら説明を始めた。


「要するに、俺達が人材を求めているって事を徐州全体は勿論、豫州や青州(せいしゅう)といった他州に広めるんだ。そうすれば、他州に活躍の場が無い人材がこちらに流れて来る可能性が高くなる。」

「ですが、その様な人材はやはり余り優秀な人材では無いのでは? また、我々が人材を集めている事を他州の州牧達が知ったら、却って人材を穫られてしまうのではないですか?」

「確かに愛紗の言う通りだと思う。けど、徐州内の人材だけで足りないのなら、余所からも捜すしか無いよ。」


 涼のその言葉に愛紗は勿論、雪里達も頷くしか無かった。

 結局、人材確保については招賢館と他州からの来訪に頼るという方針に決まった。

 それから数日後、桃香と涼が居る執務室に雪里が訪れた。


「実は、少しお暇を戴きたいのですが。」


 雪里がそう話を切り出したので、桃香は涙目になりながら慌てて言った。


「わ、私、何か雪里ちゃんに酷い事したかな!? もししてたなら謝るから、どこにも行かないで〜っ‼」

「えっ? ……ああ、いえ、そうではなくてですね、人材を捜しに旅に出たいと思いまして、お暇を戴きたいと申しただけで……。」


 雪里が説明すると、桃香は自分の勘違いに気付き顔を真っ赤にした。

 涼はそんな桃香を見てから、雪里に訊ねる。


「捜しに行くって言うけど、当ては有るのかい?」

「はい、荊州(けいしゅう)隆中(りゅうちゅう)に私と同じ私塾に通っていた者が居ます。その者なら、必ずや桃香様や清宮殿のお役に立てる筈です。」

「けど、荊州ってかなり遠いよ? 何人くらい兵の皆さんを連れて行くつもりなの?」

「いえ、一人旅の予定ですが。だからお暇を貰いたいと申した訳ですし。」

「ええっ!?」


 あっけらかんと言った雪里に対し、桃香は大袈裟過ぎる程に驚いた。

 だが涼は比較的冷静に雪里の言葉を受け取り、向き直って再び訊ねる。


「まあ、桃香が驚くのも解るけど、雪里の事だから無事に戻って来れる自信が有るんだよな?」

「勿論です。お忘れかも知れませんが、私は皆さんと行動を共にする前は一人旅をしていたのですよ。」

「そ、それはそうだけど、雪里ちゃんは武将じゃなくて文官だし……。」

「御安心下さい。私とて身を護る術は心得ていますし、実際に人を斬った事も一度や二度ではありませんから。」

「そ、そうなんだ……。」


 またも衝撃的な事をサラッと言う雪里に、桃香は苦笑するしか出来ないでいる。

 だが涼はやはり比較的冷静に受け止めていた。勿論、「三国志」を知っているからの冷静さなのは間違いない。


「……解った、雪里の一人旅を許可しよう。」

「涼義兄さん!?」

「大丈夫だよ、桃香。雪里は無謀な事を言い出す様な()じゃない。ちゃんと無事に帰って来るよ。」

「涼義兄さんがそう言うなら……。けど雪里ちゃん、幾ら慣れていても絶対に無茶しちゃダメですからね!」

「はい、肝に命じておきます。」


 涼と桃香の許可を貰った雪里は、恭しく平伏してから退室し、旅支度をしに自室へと戻っていった。

 そして翌日の早朝、雪里は涼達に挨拶をしてから荊州へと旅立った。

 真面目な彼女らしく、前日迄に残っていた仕事は全て片付けていた。

 一時的とは言え筆頭軍師が居ないので、その間は副軍師の雫が筆頭軍師代理となり、政務や招賢館に来る人材の面接を取り仕切った。

 そんなある日、招賢館に二人の少女が訪れてきた。


「暫く離れている内に、色々と変わっているみたいね。」

「そうね。そもそも、州牧からして違うし……。」

「まあ、善政を行ってくれるのなら、誰が州牧でも構わないけど。」

「フフ……貴女らしいわね。」


 その二人の少女は、招賢館の待合室の椅子に座りながら談笑をしている。

 前の人の面接が未だ終わらない為、空いた時間を使って喋っている様だ。

 そうしてると、面接を受けていた人物が面接室から出て来た。

 溜息を吐いている事から察するに、芳しくない結果だったらしい。


「それでは次の方、どうぞ。」


 その面接室から一人の女性が出て来て、次に面接を受ける者を呼んだ。


「あの、私達姉妹なんで出来れば一緒に面接して頂けないでしょうか?」

「……通常は一人ずつ面接をしているのですが……少々お待ち下さい、面接官に伺ってきます。」


 女性はそう言って面接室に戻り、それから一分もしない内に戻ってきた。


「二人でも大丈夫だそうです。どうぞ中へ。」


 女性がそう言うと、二人の少女はゆっくりと面接室に入っていく。

 中には面接官の雫が一人座って待っていた。


「どうぞお掛け下さい。」


 雫が目の前に在る二つの椅子に手を向けながらそう言うと、二人の少女は一礼してから着席した。


「では、先ずはお二人の名前と出身地をお聞かせ下さい。」

「はい。私の名前は糜竺(びじく)、字は子仲(しちゅう)東海郡(とうかい・ぐん)の出身です。」

「自分の名前は糜芳(びほう)、字は子方(しほう)。姉である糜竺と同じく、東海郡の生まれです。」

「糜竺さんに糜芳さんですね。……あれ、ひょっとしたらお二人は、前徐州州牧の陶謙殿に仕えていた糜姉妹ですか?」


 雫が面接用の竹簡に二人の名前を書いていると、途中で何かに気付いたらしく、二人の少女――糜竺と糜芳に尋ねた。

 すると、姉である糜竺が居住まいを正しながら答えた。


「はい、確かに私達は以前陶謙殿にお仕えしておりました。」

「やはりですか。……以前、陶謙殿が仰っていました。『糜姉妹が残って居れば、劉備殿もきっと喜ばれた事でしょう。それだけあの姉妹は優秀でしたから。』と。」

「勿体無いお言葉です。」


 雫の言葉を聞いた糜竺は恭しく平伏した。

 まるで目の前に陶謙が居るかの様だ。


「確か、黄巾党征伐後に軍を辞めて旅に出たと聞きましたが、何故また徐州軍に?」

「元々、ある程度見聞を得る事が出来たら戻るつもりでした。勿論、一度軍を辞めている訳ですから、一からやり直す覚悟は出来ています。」


 雫が尋ねると、糜竺は真っ直ぐに雫を見つめながら、淀みの無い口調でそう言い切った。

 次に雫は、糜芳の考えを知る為に向き直って尋ねてみた。


「成程……姉君はこう仰っていますが、糜芳さんはどう思っているのですか?」

「個人的には、元徐州軍の一員だったって事で、また一武将として用いて貰いたいんですが……。」

「私達は一度軍から離れた身なのですよ。それを忘れてまた武将として取り立てて貰う等、厚かましいにも程があります。」

「……と言っている姉の意見は(もっと)もだと思うので、自分も姉と同じで良いです。」


 糜芳は苦笑しながらそう答えると、頬をポリポリと掻き始めた。

 雫はそんな糜芳と糜竺を見比べながら考えを巡らす。


(……対照的な姉妹ですね。個人的には糜竺さんだけを採用したい気もしますが……今は一人でも多くの人材が欲しい時。贅沢は言っていられませんね。)


 結局、雫は糜竺と糜芳を二人共採用した。

 糜竺と糜芳が徐州軍に採用された翌日、招賢館に新たな人材が現れた。


「……陳珪(ちんけい)さんに陳登(ちんとう)さんですか。」


 雫は、目の前に居る妙齢の女性――陳珪から受け取った書簡を見ながら、確認する様に呟く。


「はい。私達は以前陶謙殿にお仕えしておりましたが、私は病気になったので療養の為に、この娘は私の看病の為にそれぞれ軍を辞めたのです。」

「成程……。それがこうして招賢館に来られたという事は、お身体の方は心配無いと考えて良いのですね?」

「はい。私は復調する迄長く掛かると思っていたのですが、華佗(かだ)という旅の医者に診て貰ったところ、直ぐに良くなりました。」

「へえ……それ程の名医ならば、我が軍で取り立てたいですね。」


 陳珪の話を聞いて興味を持った雫は何気なく、だが本気でそう思った。

 名医が一人でも多く居れば、君主や将兵の病気や怪我の治療は勿論、街で流行り病が起きた時に、いち早く対処出来るからだ。


「そうですね。……ですが恐らく、登用する事は出来ないでしょうね。」

「何故です?」

「あの医者は、出来るだけ沢山の患者を助ける為に旅をしていると仰っていましたから、一ヶ所に留まる様な事はしないと思いますよ。」


 陳珪がそう言うと、雫は残念そうな顔をしながら諦めた。

 話を聞く限り、華佗は是非とも欲しい人材だが、だからといって無理矢理登用する訳にはいかない。

 世の中には無理矢理登用する者も居るが、雫は勿論ながら桃香や涼もそんな事はしない人間だ。


「それなら仕方有りませんね。……話を戻しますが、お二人は一度辞めていますから、役職についてはこちらで決めて構いませんか?」

「勿論です。丁度良い機会ですから、これを機に心機一転頑張っていきたいと思ってます。」

「解りました。陳登さんも宜しいですか?」


 確認の為、陳珪の隣に立つ陳登に話し掛ける雫。


「はい、私も母上と同じ気持ちです。」

「成程、よく解りました。では、お二人共採用しますので、明日改めて登城して下さい。」

「はい。」

「親子共々、宜しくお願いします。では……。」


 陳珪と陳登の親子はそう言ってから一礼し、面接室を出て行った。

 それから暫くは面接者が来る予定が無い為、雫は案内役の人に休憩をとらせ、一人思案に暮れた。


(少しずつですが、人材が集まってきましたね。……けど、未だ足りない……。)


 徐州軍の人材不足は、完全には解決していなかった。

 更に数日後、徐州の城下町を鈴々、時雨、そして地和の三人が歩いていた。

 勿論、只歩いている訳では無く、街の警邏中である。


「今日の点心も美味しいのだ!」

「……お前は警邏と食べ歩き、どっちをしているんだ?」

「両方なのだ!」

「……頼むから、そんなに元気良く言い切らないでよね……。」


 溜息を吐く時雨と地和の気も知らず、鈴々は袋一杯に点心が入った袋を左手に抱えながら、パクパクと点心を食べ続けている。

 因みに、時雨と地和の二人は何も食べていない。三人は食べ歩きをしているのではなく警邏をしているのだから、三人共何かを食べていたら警邏中という説得力に欠けるからだ。


「まったく……何度も言うけど、ちぃ達がしっかりしないとダメね。」

「そうだな……。って、口調や態度が素に戻っているぞ、“地香(ちか)”。」

「あっ……と、いけないいけない。」


 時雨に小声で指摘され、「地和」は慌てて口調や態度を「地香」に直す。

 生きる為に「張宝(ちょうほう)」という本来の名前や性格を封印した地和は、「劉燕(りゅうえん)」という新たな名前や性格を演じている。

 だが、時々今の様に素に戻ってしまうので、その際は周りからフォローされている。

 地和自身、いつまでもそんなんじゃいけないと解っているので頑張ってはいるのだが、如何せん他人になりきるなんてそう簡単に出来る訳では無い。

 とは言え、公務や部隊を指揮している時は殆ど素に戻っていない。素になるのは地和の素性を知っている仲間だけで居る時や、自室に一人で居る時が多い。

 そう考えると、余り深く考えなくても良い気もする。

 今もまた、そんな風に思っていたのだが、その思考は突然の言葉によって遮られた。


「……地香、気を付けるのだ。」

「きゅ、急にどうしたのよ、鈴々?」


 それ迄ののんびりした雰囲気から一変し、鈴々の表情や声は真剣なものに変わっていた。


「さっきから誰か附けて来てるのだ。」

「えっ!?」


 思わず振り返って確認しようとした地和だったが、右側に居る時雨が地和と肩を組んでそれを遮る。


「馬鹿、振り向いたら感付かれる。落ち着いて前を向いたまま、歩調を変えずに歩け。」

「う、うん……。」


 時雨に言われた通り、前に向き直って歩く地和。

 附けられている、と鈴々が言い、先程の台詞から察すると恐らく時雨も気付いていた様だ。

 だが、地和はその何者かの尾行に全く気付いていなかった。


(ちぃは全然気付かなかった……そりゃ、ちぃは元々武将じゃないから、気付かなくて当然なのかも知れないけど……。)


 地和は表情を崩さずに、心の中だけで悔やんでいた。

 黄巾党(こうきんとう)では大部隊を率いていたとは言え、兵を鼓舞するくらいしかしておらず、実質的には単なるお飾りでしかなかった。

 歌を唄いながら旅をしていた三姉妹が、とある事情から人気を博し、ファンの集まりがいつしか黄巾党になった。

 単なる「ファン」の集まりが、何故「暴徒」になったのか、地和には心当たりが有った。と言うより、他に思いつかなかった。

 「それ」が有ったから自分達の歌が認められ、あれだけの人が集まった。

 だから、「それ」が無ければ、自分達に人を集める程の魅力も才能も無い。

 地和はそう思っていた。


(ひょっとしたら、お姉ちゃんや人和(れんほう)には有ったのかも知れないけど……ちぃには……。)


 考えれば考える程、地和の心は沈んでいく。

 だから、自分が曲がり角を右に曲がった事すらも気付かなかった。

 勿論、鈴々と時雨も一緒に曲がっており、尾行している何者かから、少しの間姿を消す事に成功する。

 結果、鈴々達を尾行している何者かは焦って歩を速めた。


(ちょ、ちょっと待って!)


 前方に居た三人が曲がり角を右に曲がった為、「追跡者」は慌てて駆け出した。

 とは言え、元々はこんな尾行みたいな真似をするつもりは無かったらしい。

 だが、擦れ違った人物に思わず見とれ、自然とその人物の後を附いていっていた。

 自分でも変だとは思っている。こんな気持ちになったのは、「あの方」に初めて会った時以来だ、と。

 だが、「あの方」はもう居ない。戦いに敗れ、死んだと聞いている。

 だからだろうか、「追跡者」が「あの方」と似た雰囲気を持つ「彼女」の後を附いていったのは。


「ちょっと話を……あれ?」


 曲がり角を曲がった「追跡者」は思わずキョトンとした。

 何故なら、「彼女」達が曲がった筈の道には誰一人として居なかったから。

 「追跡者」は怪訝な表情をしながら辺りを見回し、ゆっくりと前に進む。

 その時、「追跡者」目掛けて物陰から大剣が飛び出てきた。


「わっ!?」


 何とか避けるも、今度は反対側の物陰から槍が同じ様に飛び出てきた。


「ひゃっ!?」


 連続して攻撃され、「追跡者」はバランスを崩し、地面に倒れる。

 そんな「追跡者」の首筋に、大剣と槍の刃先があてがわれた。


「俺達に何の用だ?」

「コソコソするなんて、怪しい女の子なのだ。」


 大剣の持ち主である時雨と、槍の持ち主である鈴々が、「追跡者」に武器を突きつけ、睨みながらそう言った。

 鈴々が言った通り、「追跡者」は女の子だった。しかも、鈴々より少し年上くらいの外見をした女の子だった。


「……。」


 「追跡者」こと女の子は、二人を交互に見ながら黙っている。

 刃を向けられて怯えているのか、若干震えている様にも見える。黙っているのは、恐怖によるものかも知れない。


「……二人共、殺しちゃダメよ。私達に附いてきた訳を訊かないといけないんだから。」

「解っています、劉燕様。」

「鈴々達に任せるのだっ。」


 時雨が隠れていた場所から、ゆっくりと地和が現れ、毅然とした口調でそう言った。

 地和の言葉遣いは「張宝」ではなく「劉燕」を演じている為であり、時雨と鈴々もそれに合わせて対応していた。

 劉燕は劉備の従姉妹である為、必然的に劉燕である地和の立場も高くなっている。

 つまり、立場で言えば劉燕=地和は鈴々と時雨の上官になる。

 尤も、それは外交等の対外的な立場でという側面が大きく、軍では二人より下の立場になっていた。

 そんな複雑な立場の劉燕――地和は、鈴々達に武器を向けられている女の子を見据えた。


「私達に附いてきた理由を話してくれない? その理由によっては、このまま貴女を解放するわよ。」

「……。」


 女の子はやはり黙ったままだった。只、震えはいつの間にか消え、視線は地和に固定されていた。

 そんな女の子を見据えてると、地和は或る事に気付いた。

 女の子の右手首に、懐かしい巻き方をした布が巻かれていたのだ。


「貴女……。」

「……お前、黄巾党か?」


 その布や巻き方について地和が訊ねようとすると、先に時雨が訊ねた。

 しかも、地和が訊ねようとした内容より直接的な文言で。


「……元、ね。黄巾党はもう無くなったんだし、私はもう悪い事はしてないわよ。」


 それ迄黙っていた女の子が、時雨を睨み付けながら口を開いた。

 それを聞いた時雨は、一瞬だけ視線を地和に向けてから再び女の子を睨み付けながら言葉を紡ぐ。


「なら何でそんな黄色い布を巻いている? 黄色い布は黄巾党を指すから、今でも身に付ける者は少ないぞ。」


 時雨の言う通り、黄色い布を身に付けている為に黄巾党に間違われ、捕まった者は少なくない。

 徐州では居ないが、他州ではその為に殺された者も居るという。

 冤罪で殺されては堪らないので、今では民の衣服に黄色い布は殆ど使われなくなっている。

 この女の子がそれを知らないとは考え難く、知っていて尚黄色い布を身に付けているのは、未だ黄巾党として悪事を働いているのではないかと、時雨は考えた。


「そんな事は百も承知してるわ。けど……。」

「けど、なんなのだ?」


 鈴々が話を促すと、女の子は俯きながら声を絞り出した。


「……天和(てんほう)ちゃんも人和ちゃんも、そして地和ちゃんも居ない今、私一人くらいあの方達を想って黄色い布を巻いていても良いでしょ? 私にとって張三姉妹は、命を救ってくれた恩人なんだから……。」

「恩人?」


 時雨が気になった言葉を繰り返す様に呟くと、女の子は俯いたまま話し始めた。


「……漢王朝が腐敗していた為に、私が住んでいた(むら)は重税を課せられ、その日食べる物にすら困っていたわ。けど、そんな窮状から助けてくれたのが、張三姉妹率いる黄巾党だったの。」

「黄巾党がお前の村を助けただと!?」


 時雨は驚いて聞き返した。

 彼女にとっての黄巾党は倒すべき敵だったのだから、この反応は当然だろう。


「おかしい? 元々黄巾党は、腐敗した漢王朝から民を救う為に出来た組織なんだから、私達を助けてもおかしくは無い筈よ。」

「それはそうだが……。」


 確かに、女の子が言う様に黄巾党は元々義によって作られた組織だった。


「蒼天已死 黄天富立 歳在甲子 天下大吉」


 これは、黄巾党が使っていた旗に記されていた文字であり、また、彼等のスローガンであった。

 訳すれば、「蒼天(そうてん)(すで)に死す、黄天(こうてん)富に立つべし。歳は甲子にありて、天下大吉。」となる。

 「蒼天」は漢王朝を指し、「黄天」は黄巾党を指していると思われる。「|甲子《きのえね、こうし、かっし》」とは干支の組み合わせの一番目であり、その年に黄巾党が天下を治めるという意味合いになる。

 この文は陰陽五行思想に基づいており、その思想の「木火土金水」の順に当てはめると黄色は「土」を表し、「火」の王朝である漢王朝に代わるという意味が有り、先の文とも符号している。

 只、それだと「蒼天」が漢王朝を指すのは合わない気がするが、理由を知っている地和からすれば何の問題も無かった。


(“赤天”より“蒼天”の方が言い易いし格好良いから、なんて誰も思わないわよね……。)


 地和は、スローガンを決める時にそう言った姉の姿と声を頭の中で再生した。

 その姉の隣には、苦笑する末妹の姿も在る。

 だが、二人共もうこの世に居ない。

 その事実を初めて知った時、涼の胸で散々泣き尽くした。

 それからも、二人の事を忘れた事は一度も無いし、忘れるつもりも無い。

 だが、今の地和は「張宝」ではなく「劉燕」だから悲しむ訳にはいかない。

 地和は泣きそうになるのを堪えて、言葉を紡いだ。


「……話を続けて。」

「あ、はい。……そんな時でした。邑を含めた辺り一帯を統治していた官軍が黄巾党に討たれ、その黄巾党が邑に食料を分け与えてくれたのは。」

(あっ……。)


 それを聞いた地和の脳裏に、一つの光景が映し出される。

 あれは未だ黄巾党が逆賊ではなく、義勇軍の様に扱われていた時だった。

 末妹である人和――張梁(ちょうりょう)から、近くの邑や街が飢えに苦しんでいるらしいと聞いた長姉であり黄巾党の首領、天和――張角(ちょうかく)は直ぐ様行動を開始した。

 すると、呆気ないくらいに官軍は敗れ、彼等が違法裏に貯め込んでいた沢山の食糧を手に入れた。

 すると張角は、そこから黄巾党の分を差し引いた食糧の残り全てを、辺りの邑や街に配っていった。


「……そのお陰で、私達は誰一人として飢える事無く過ごせました。私は、その恩に報いる為に黄巾党の一員になったんです。」


 女の子の話はそこで終わった。

 地和は女の子の眼をジッと見た。

 栗色の髪とお揃いの色の眼は、黄巾党で「悪い事」をしていたとは思えない程澄んでいて、今迄の話が嘘でない事を物語っている。

 何より、彼女は正体を知らないとはいえ張飛(ちょうひ)田豫(でんよ)の二人に武器を突きつけられた状態で嘘を言える程、この女の子の肝が座っているとは思えない。

 先程の時雨に対する強気な弁は、嘘偽りが無いと自負しているからだろう。


「……貴女、名前は?」


 「劉燕」らしく厳かな口調で地和が訊ねる。


「……廖淳(りょうじゅん)、字は元倹(げんけん)。」


 女の子もまた、地和の眼を見ながら廖淳と名乗った。

 地和はその名前を、記憶している黄巾党の人間の名前に当てはめる。

 黄巾党は殆どが男性で構成されていたので、廖淳の様な女性は少なかった。だから、地和の脳内検索の結果は直ぐに出た。


「では廖淳、詳しい話を訊く為に貴女を連行するわ。一応言っておくが、逃げようとしたら命は無いと思いなさい。」


 地和は、黄巾党第二部隊に居た廖淳を連れていく事にした。


「元・黄巾党の女の子?」

「ええ、以前ちぃの部隊に所属していた娘よ。」


 城の執務室で、先程連れてきた女の子――廖淳について涼に報告する地和。

 室内に居るのは地和の事を知っている者だけなので、地和は「劉燕」ではなく「張宝」の口調で喋っていた。


「その者は強いのか?」

「うーん……どうだったかしら? 目立った戦功が有るならちぃの所に報告に来てただろうけど、覚えが無いわね。」

「単に忘れてるだけじゃないのかー?」


 愛紗の質問に記憶を探りながら答えると、鈴々がケラケラ笑いながら言った。


「それは無いわね。黄巾党に居たのは殆どが男性だったから、女性が戦功の報告に来てたら記憶に残ってるわよ。」

「実力は未知数……か。如何致します、桃香様?」


 暫しの思案の後、結論を桃香に託す愛紗。

 託された桃香は、常の笑顔で皆を見ながら答えた。


「今は少しでも人材が欲しい時だし、地和ちゃんが薦めてくれたんだもの、断る理由は無いよ。勿論、本人の意思次第だけどね。」

「……解りました。では地和、廖淳の勧誘についてはお前に一任する。頼んだぞ。」

「まっかせといて♪ じゃあ、早速行ってくるねー♪」


 涼が教えたピースサインをしながら、笑顔で執務室を出て行く地和。

 執務室を出た瞬間に表情が「劉燕」になって瞬時に公私の切り替えをしたのは、流石としか言い様がない。


「……納得出来ないって顔だね、愛紗ちゃん。」


 地和が出て行ってから暫くして、桃香はそう言った。

 愛紗は直ぐに応えなかったが、やがてゆっくりと振り返り、険しい表情のまま言葉を紡いだ。


「個人的な事を言わせて頂けるならば……私は廖淳の勧誘に反対です。」

「元とは言え、黄巾党の一員だったから?」

「はい。」


 桃香の質問に、即座に答える愛紗。その口調には迷いも澱みも無い。


「けど、それを言ったら地和ちゃんだってそうだよ? しかも指揮官だったし。」

「地和については、義兄上(あにうえ)が保護すると決められたので、私から言う事はありません。」

(……確かに、愛紗はあの時も反対してたなあ。)


 地和は黄巾党の中心人物の一人であり、匿ったのがバレたら涼達も逆賊として処断されていただろう。

 だからこそ、愛紗を始めとした当時の義勇軍の武将や軍師達は保護に反対していたのだが、涼の意志が固いと知ると諦め、「張宝」を「劉燕」にするという手段をとったのだ。


「ですが、地和はあれから自分自身を押し殺して生きています。我々と一緒の時だけは素に戻りますが、それがどれだけ大変な事か……。そこに新たに元・黄巾党の人間である廖淳が加わって、地和の正体がバレないとも限りませぬ。また、廖淳自身にもその出自によって周りから疎まれる危険性が……。」


 と、愛紗が反対理由を述べていると、桃香がクスクスと笑い出した。


「……桃香様、私が真剣に話しているのに何故笑われるのですか?」

「ご、ごめんなさい愛紗ちゃん。でも、それだけ可笑しいんだもの。」

「何が可笑しいのですか?」


 不謹慎な、と思いながら愛紗が桃香に訊ねると、桃香は笑い声こそ押し殺すも笑顔を保ったまま言葉を紡いだ。


「だって愛紗ちゃん、何だかんだ言っても、地和ちゃんと廖淳ちゃんの事心配してるんだもの。」

「なっ!?」


 桃香がそう言うと、愛紗は途端に顔を紅くして口ごもる。

 それを見ていた涼も笑いを堪えながら言葉を紡いだ。


「俺も、愛紗は元・黄巾党の人間が入る事による軍の風評より、彼女達個人に対する風評を気にしている様に見えたな。」

「そ、それは……。」


 反論出来ないのか、愛紗は俯いてしまった。

 暫くの間その状態が続いたが、やがて意を決した様に愛紗が顔を上げると、顔を真っ赤にして言った。


「そうですよ! 義兄上達の仰る通りですっ‼ 私が彼女達の心配をして悪いのですかっ!?」

「逆ギレ!?」


 愛紗の剣幕に涼は思わずそう突っ込むが、逆ギレというには余りにも可愛らしい怒り方だった。


「悪くないと思うよー。愛紗ちゃんって、いつも厳しい事言うけど本当はすっごく優しいもん。」

「〜〜〜〜っ!」

「……あんまりフォローになってない気がするぞ、桃香。」


 変わらずのニコニコ顔でそう言葉を紡ぐ桃香に、愛紗は顔を更に真っ赤にして言葉すら出せなくなった。

 義妹(いもうと)二人のやりとりに、涼は苦笑しながらそう言ったが、桃香達はフォローの意味が解らないのでポカンとしている。

 涼がフォローの意味を二人に教えると、桃香達は納得と尊敬の眼差しと声をあげた。

 それから、コホンと咳払いをした愛紗が相変わらず顔を赤らめたまま二人に忠告する。


「と、兎に角、義姉上(あねうえ)達は徐州の州牧になられたのですから、もう少し危機感を持って物事に接して下さい!」

「はーいっ。」

「りょーかい♪」


 危機感の欠片(かけら)も無い返事をする二人であった。


「私を、徐州軍にですか?」


 一方その頃、徐州城の一室に連れて来られた廖淳は、椅子に座ったまま間の抜けた声でそう言った。


「ええ。桃香……劉備様と清宮様の許可は得たから、後は貴女の意思次第ね。」


 そう言ったのは、廖淳と机を挟んで対面している地和。

 因みにこの部屋には他に鈴々と時雨も居り、地和が来る迄は二人が廖淳と話していた。

 つまりは「取り調べ」をしていた訳だ。

 だからこそ廖淳の反応は当然だ。今迄「敵」扱いしていた人間を勧誘する等、普通は考えられない。

 しかも廖淳は元とは言え黄巾党の一員だ。疎まれるのが普通であり、味方に引き入れて得が有るとは思えなかった。


「本気、ですか?」

「本気よ。ああ、劉備様も清宮様も出自は問わない方だから、黄巾党の一員だった事は気にしないで良いわよ。」

「はあ……。」


 そう言われても、廖淳は簡単には信じられなかった。

 今迄経験した事を考えれば、何か裏があるのではと思い、思案する為に視線を下げた。

 そんな廖淳の視界に、良く見知った物が映る。


「それって……。」


 廖淳は、地和の右手首に巻かれている黄色い布を見ながら、机越しに立っている地和を見つめた。


「私も、貴女と同じで元は黄巾党の一員だったの。」


 さっきは巻いていなかった黄色い布を見ながら、地和はそう言って笑みを浮かべ、ゆっくりと座る。

 当然ながら、地和は「劉燕」になって以来、黄巾党時代の服は着ていない。

 今着ている服は、桃香が着ている服を基にして地和なりにアレンジしたもの。

 何故桃香の服を基にしたかというと、劉燕は桃香――劉備の従姉妹なので、服も似た服にした方が良いという桃香の提案によるものだ。

 桃香の服は長袖にフリル付きスカートだが、地和はそれを肩出しヘソ出しルックにし、プリーツスカートの上に白い布を巻いている。

 服の基調となる色は白と薄緑で、スカートは本来の髪の色である水色にした。

 本来の髪の色と言う様に、今の地和の髪は茶色に染めており、髪型もサイドテールからストレートに変えていた。

 黄色は服にも装飾にも使っていないが、実は一人の時には今みたいに黄色い布を巻いていたりする。

 それは、別に黄巾党に未練が有るからという訳ではなく、単に黄色が好きな色であり、亡き姉と妹を忘れない為の行為だった。


「そんな私でも、ここでは将として認められてる。だから、貴女も心配しなくて良いわよ。」


 地和が廖淳を見つめながら優しい口調でそう言うと、廖淳は目を離せずに只地和を見つめるしか出来なかった。


「……地和ちゃん…………。」


 暫くして廖淳が口にしたのは、劉燕になっている張宝の本当の真名(まな)だった。

 それを聞いた鈴々と時雨は、表情は変わらぬものの内心で驚いていた。

 二人は、劉燕の正体がバレたのかと焦り、また、地和が動揺していないかと思い、それとなく彼女を見る。

 だが、その地和は、


「……地和ちゃんと離れ離れにした事、許してね。」


と、返していた。

 その言葉に一番驚いたのは廖淳だった。

 目の前に居る「劉燕」という少女が元は黄巾党の一員だと言われて、思わず口に出た言葉が「地和ちゃん」だった。

 劉燕の姿は、廖淳が知る地和とは全く違う。だが、瞳は地和と同じ碧眼だ。

 勿論、碧眼の持ち主は他にも沢山居る。有名な人物としては、黄巾党の乱や十常侍(じゅうじょうじ)誅殺(ちゅうさつ)で活躍した孫堅(そんけん)とその娘の孫策(そんさく)が居るし、噂では孫策の二人の妹もそうらしい。

 だから、目の前の「劉燕」が「張宝」と似た瞳をしているからといって、同一人物とは限らない。

 それでも、劉燕の笑顔は限り無く張宝――地和ちゃんとそっくりだと、廖淳は思った。


「いえ……地和ちゃんは黄巾党の中心人物の一人でしたから……貴女方に非は有りません。」

「……有難う。」


 廖淳が俯きながらそう言うと、地和は複雑な表情をしながらも廖淳の髪を撫でる。


「え……。」

「悲しい事を思い出させてゴメン。黄巾党と戦った私達と居たら、もっと貴女を悲しませちゃうわね。」


 そう言いながら、今度は廖淳の頬を親指で撫でる地和。

 廖淳の眼からはいつの間にか涙が流れ落ちており、地和はそれを拭っていた。

 それに気付いた廖淳は慌てて自らも涙を拭う。


「……これ以上、貴女を悲しませるつもりは無いわ。さっきも言ったけど、うちの州牧様は出自を気にしないし、貴女は悪い事をするつもりが無いみたいだからこのまま帰れるわ。落ち着いたら、この二人に門迄送らせるわね。」


 そう言って地和は立ち上がり、扉へと向かう。

 そうして扉を開けようと手を掛けた時、後ろからガタッという音と共に廖淳の声が聞こえてきた。


「あ、あの……っ! ……私を徐州軍に入れて下さいっ‼」


 地和が振り返ると、そこには再び涙を流しながらも、しっかりと地和を見つめる廖淳の姿があった。

 地和は姿勢を正してから、廖淳に訊ねる。


「……良いの? さっきも言ったけど、貴女を疎んじる者が居るかも知れないわよ? ……まあ、私みたいに出自を劉備様達だけに打ち明ける様にすれば、大丈夫だとは思うけど……。」

「やっぱり、劉燕様も隠されているんですね。」

「ええ。劉備様達が、その方が私の為だって仰って下さったから。」


 実際には少し違うのだが、それを話す訳にはいかないので話を合わせる地和。


「桃香達が気にしなくても、兵達は気にするかも知れないしな。」

「隠し事するのは気が引けるかも知れないけど、皆で仲良くするには仕方ないのだ。」


 そこに、それ迄沈黙していた時雨と鈴々が、地和をフォローする様に言葉を紡いでいく。

 彼女達が何度も言う様に、黄巾党に居たという事でトラブルになる危険性は否定出来ない。

 幾ら桃香や涼が出自を問わないと言っても、兵の中には家族や友人を黄巾党に殺された者も居る。

 だからこそ、出自を隠すのはトラブルを避ける為に必要なのだ。

 もっとも、桃香も涼も、いつまでもそれで良いとは思っていないが。


「……それは解ります。だから私も、皆さんに迷惑を掛けるつもりは有りません。」

「……つまり、貴女も出自を隠すという事ね?」

「はい。」

「……出自を隠しても、貴女の想像以上の事が有るかも知れないわよ?」

「解っています。」


 廖淳は、確認する地和を真っ直ぐ見つめながら答える。

 その眼に迷いは無く、真水の様に澄みきっていた。


「……どうやら、本当に覚悟したみたいね。なら、私達は貴女を歓迎するわ。」


 地和はそう言いながら右手を差し出し、言葉を紡ぐ。


「私の名前は劉燕、字は徳然(とくぜん)、真名は地香よ。これから宜しくね、廖淳。」

「ふむ、地香が真名を預けたのなら俺も預けよう。俺の名前は田豫、字は国譲(こくじょう)、真名は時雨だ。宜しく頼む。」

「鈴々の名前は張飛、字は翼徳(よくとく)、真名は鈴々なのだ。宜しくなのだっ。」


 地和が自己紹介をすると、時雨と鈴々もそれに続いた。

 三人が自己紹介でいきなり真名を預けてきた事に、廖淳は驚きを隠せないでいた。


「わ、私なんかに真名を預けて頂けるなんて……。」

「仲間なんだから、当然でしょ?」


 地和が微笑みながらそう言うと、廖淳はそんな地和の右手を両手で包みながら、自己紹介の言葉を紡ぐ。


「姓は“廖”、名は“淳”、字は“元倹”、真名は“飛陽(ひよう)”です!」


 こうして、廖淳は徐州軍の一員となった。

 そうして廖淳が徐州軍の一員になった頃、招賢館に一人の少女が現れた。

 少女は笑顔のまま軽く会釈すると、懐から一通の手紙を取り出した。

 少女はその手紙を雫に手渡すと後ろに一歩下がり、雫は受け取った手紙を見ながら少女に訊ねた。


「これは……紹介状ですか?」

「はい。それは前徐州州牧、陶謙様からの紹介状です。」


 陶謙の名前が出たので、雫はその手紙を隅々迄読んだ。

 そこには、鄭玄(ていげん)という学者が一人の文官を推挙してきたのだが、自分の所より劉備の所に居た方がその文官にも劉備にも良いと判断し、こちらに寄越したと書かれていた。


「……成程、解りました。陶謙様の紹介となれば安心して採用出来ます。」

「有難うございます。」

「ですが一応、改めて自己紹介をして貰いましょうか。ここは本来、面接する場ですからね。」


 雫がそう言うと、少女は先程と変わらぬ笑顔のまま自己紹介を始めた。


「解りました。私の名前は孫乾(そんかん)、字は公祐(こうゆう)と申します。」

「紹介状には文官と書かれていましたが、どういった分野が得意ですか?」

「どういった分野というより、文官の仕事、つまり政治全般に通じていると自負しています。」


 笑顔のままそう断言した少女――孫乾を見ながら、雫は再び訊ねる。


「……随分と自身の才能に自信が有る様ですね。」

「自分に自信を持たずに生きていける程、今の世は優しく有りませんからね。勿論、自身の力を過信する気はありませんよ。」


 やはり変わらず笑顔のまま喋る孫乾は、放っておいたら鼻歌を歌いそうなくらい明るい表情だった。

 雫は、そんな孫乾を見ても不思議と嫌悪感を抱かなかった。

 雫は本来、自分の才能を過剰にひけらかす人物は余り好きではない。

 自身が余り積極的な性格でない事もあって、そうした人物とは出来るだけ関わりたくないと思っている。

 勿論、だからといって他人の才能や実績を認めないという事はない。

 雫が本当に嫌いな人間は、才能が有るのに何もしない怠惰な人間だ。

 実際、単なる怠惰な人間より、才能が有るのに怠惰な人間の方が質が悪い。

 何故なら、単なる怠惰な人間は何も成せないので有る意味諦めがつくが、才能が有るのに怠惰な人間は、何かを成せるのに何もしないのだから。

 勿論これは極論ではあるが、雫としてはそんな人間は登用したくない。

 そして幸いにも、目の前に居る孫乾はそんな人物ではなかった。

 勿論、雫は孫乾について、紹介状の記述と今の会話でしか知らない。初対面なのだから当然だ。

 それなのに、雫は何故か目の前に居る少女を信頼していた。

 何故かはよく解らない。只の勘、としか言い様が無い。

 軍師が勘に頼るのはどうかと雫も思うが、たまには良いかとも思っていた。


「……解りました。紹介状はちゃんとしてますし、何より貴女の自信の持ちようが良い。徐州軍はそんな貴女を歓迎します。」

「有難うございます。……ですが、一つ良いですか?」

「なんですか?」


 任命の木簡(もっかん)を渡しながら、配属先の希望かと思いつつ、雫は応える。

 結果的に、孫乾の言葉は、ある意味で配属先に関わる事だった。


「私は今回文官として紹介されましたが、少しは武官としても働けます。どうかその事を心に留め置いて下さい。」

「成程、武官としても働けるのですか。解りました、しっかりと覚えておきましょう。」

「お願いします。」


 雫の答えを聞いた孫乾は、一礼してから面接室を出て行った。

 一人残った雫は天井を見ながら呟く。


「これは……良い人材がやってきましたね。」


 そんな雫の表情は、子供の様に無邪気な笑顔だった。

 この様に、着々と戦力を増強していく徐州軍だったが、愛紗や鈴々の様な強者は中々現れなかった。

 まあ、あの二人と肩を並べられる様な武将がそうそう居る訳も無く、勿論涼達もそれは解っているのだが、それでも無い物ねだりをしてしまうのだった。

 そんなある日、招賢館に一人の人物が訪ねてきた。


「まさか貴女が此処に来るとは思っていませんでした。」


 雫は、目の前に立っている人物を見ながらそう言った。

 雪里は未だ旅から帰っておらず、招賢館の責任者は引き続き雫が担っている。


「そうか? 噂の州牧様の治世がどうなっているか気になるのは、至極当然であろう?」


 雫と話しているその人物は、朱い瞳を細め、口許を不敵に緩めながら言葉を紡ぐ。


「相変わらずですね。……それにしても、よく白蓮(ぱいれん)さんが貴女を手放しましたね。」

「元々、伯珪(はくけい)殿の所には客将として身を置いていただけ。時機が来れば別の場所に行くというのは、(かね)てより取り決めていたのだ。まあ、伯珪殿が未練タラタラなのは丸判りだったがな。」

(……それが判っていて出て行くのはどうなんでしょうか。)


 雫はそう思いながら、目の前の人物――(せい)こと趙雲(ちょううん)を見つめた。

 加えて、今頃、白蓮さんは星さんの抜けた穴を埋める為に大変な苦労をしてるんだろうなあ、と思いながら、雫は確認の為に訊ねる。


「それで、ここに来たという事はうちに仕官しに来たととって宜しいのですか?」

「うむ、そろそろ私も腰を落ち着けようと思ってな。」

「それはつまり、貴女が桃香様と清宮様を真に仕えるべき主と認めたという事ですか?」

「そうだ。……まあ、そもそも、今の世の中で英雄と呼べる人物は五指も居ない。」


 星はそう言いながら右手の指を、一つずつゆっくりと立てていく。

 そうして言葉通り、親指以外の四指を立てた所で、星は雫を見た。


「……群雄割拠の時代になりかけている今、早々に判断するのはどうかと思いますが?」

「ふむ……経験は不足しているとは言え、流石は軍師。自身の心情とは真逆の言葉で私を試しますか。」

「それが私の仕事ですので。」


 雫は星の指摘に「相変わらず鋭い方だ。」と思いながら、表情を全く変えずに答える。

 そんな雫を何故か満足そうに見ながら、星は再び言葉を紡ぐ。


「確かに、漢王朝が力を失いかけている今、大陸各地に力を持った諸侯が現れている。その事実に関しては異存は無い。」


 そう話し始めた星に、雫は首肯して先を促す。


「だが、その中で大陸に平穏を齎し、維持する事が出来る者が何人居るだろうか。残念ながら、殆どの者は私利私欲に塗れた愚者でしかない。自覚しているか、無自覚かは別にしてな。」

「そうですね。」


 雫は星が言う愚者が誰かは訊かなかった。

 訊かなくても大体は判るし、何より、他者の評価を鵜呑みにするつもりが無かったからだ。

 とは言え、誰を英雄と評しているのかに関しては興味があった。

 これも恐らくは自分と同じだろうと思いながら訊ねる。


「では、貴女が思う英雄とは誰なのですか?」


 すると星は、真面目な表情になって答えた。


「先ずは曹操(そうそう)だな。あの者の持つ覇気は誰よりも大きい。また、人を使う事に長け、尚且つ信賞必罰をきちんとしている事も、人の上に立つ者に相応しい行いだろう。」


 それは雫も同感だった。彼女は桃香達と比べれば、曹操――華琳(かりん)とは短い時間しか会った事は無い。

 だが、その短い時間でも、華琳が持つ覇気や言動の端々に強さが込められている事は十二分に判った。

 ……序でに、常に人材を求めているという事も。


「……では、他には誰が居るのですか?」


 更に訊ねる雫に対し、星は一瞬だけ視線を中空に彷徨わせてから口を開く。


「他にはそう……孫策だな。」

「孫堅ではなく、その娘ですか。」

「意外か?」

「いいえ。」


 星の問いに雫は即答した。

 確かに、今の孫軍は孫堅が指揮しているが、何れは娘達の誰かが継ぐだろう。

 勿論、孫堅は未だ若く実力も衰えていないので、それはまだまだ先の事だろうが、曹操と同年代――正確には孫策の方が少し年上――という事を考えれば、英雄と呼ぶのは孫策の方が合っているかも知れない。


「母親譲りの武に、部下を統率する力、どちらも英雄と呼ぶに相応しい。一時は若さ故の血気盛んさが目に付いていた様だが、今ではそれも少し落ち着いている様だしな。」

「ええ……。」


 星の言葉に、何故か雫は力無い声を漏らす。

 それは、孫策が落ち着きを得た理由を知っているが故の声だった。

 その理由を知らない、もしくは察している星は、妖しげな微笑を浮かべて雫を見やる。

 その視線が何となく嫌だったので、雫は話の先を促した。


「そ、それで、他には誰が居るのですか?」

「……雫なら、言わずとも解るであろう?」


 星は変わらずの表情のままそう言った。


「……確かに。ですが私は、星さん自身の口から聞きたいのです。」

「ふむ……まあ良かろう。残りの人物は、ここの州牧である劉備殿と、その補佐を努める清宮殿だ。」


 星がそう言うと、雫は内心満足しながらも、表情は冷静さを保ったまま更に訊ねる。


「その理由は?」

「先ずは二人の肩書きが万民を惹き付ける。片や“劉勝(りゅうしょう)の末裔”、片や“天の御遣い”。肩書きの真偽は兎も角、これを聞いて興味を持たぬ者等、この国には居りませぬ。」


 星が言った事に間違いは無い。

 劉勝は漢王朝の初代皇帝・劉邦の子孫の一人である。つまり、現皇帝である少帝と桃香は血縁関係になる訳だ。

 天の御遣いという言葉も、下手をしたら占いで政治を決める者も居るこの世界では、敬意と畏怖のどちらか、若しくは両方の感情を込めて注目を集めているだろう。

 事実、桃香も涼も、十常侍誅殺後の宴で高官達から引っ張りだこにされかけた。

 その度に華琳や美羽(みう)が話し掛けてきて、その場から連れ出してくれたのだが、それがなかったらどんな話を聞かされていたかは、想像に難くない。


「それでいて名声にかまけず、きちんと善政を敷いている。それはまさしく英雄の証だ。」

「善政を敷いていると、何故判るのです?」


 雫は答えが解っている疑問をぶつける。

 すると星は、やはり妖しげな笑みを見せながら答えた。


「私を見くびってもらっては困る。ここに来たばかりとは言え、街の人々の表情を見れば善政を敷いているか否かは一目瞭然。前任者である陶謙が善政を敷いていたのだから、それより悪い政治を行っていれば、街の人々の表情は暗くなっているのが自然だからな。」


 星の答えは雫の予想通りであり、事実だった。

 初めの内は前任者である陶謙の治世を懐かしんでいた住人達も、桃香達の政治やその人柄に触れていく内に段々と桃香達を認めていった。

 そして、軍備拡張だけでなく、一部の税の緩和と治安の安定等の政策が上手くいくと、最早桃香達を受け入れない住人は一人も居なかった。


「成程。では何故、星さんは曹操や孫策ではなく、我等が主たる劉玄徳(りゅう・げんとく)と清宮涼を選んだのですか?」


 華琳達は勿論、自らの主君の敬称すらも略して訊ねる。

 それは、この場で星の結論を聞く為にした事だった。


「曹操の所は百合百合しくて適わぬし、孫策の所は身内意識が強い。そして残ったのはここだと言うだけだ。」

「……それは、消去法で止む無しに、という事ですか?」

「止む無しに、という訳では無いが、消去法なのは確かだな。勿論、それ以外にも理由は有るが。」

「私としては、それ以外の理由について知りたいのですが……まあ、良しとします。」


 雫は、ふうと溜息を吐きながらそう言うと、一度目を閉じてから暫く考え、再び星を見ながら言葉を紡いだ。


趙子龍(ちょう・しりゅう)殿、貴女を徐州軍の一員として迎え入れます。これからは劉玄徳様と清宮涼様、そして民の為にその力を奮って下さい。」

「はっ。この趙子龍、我が命有る限り、主と共に戦う事を誓います。」


 雫が仰々しく任命すると、星もまた恭しく左手を右手で包み、平伏して拝命した。

 そうして暫くの間、真面目な表情でいた二人だったが、やがて殆ど同時に笑い出した。


「では、早速行ってくるとしよう。」


 暫く話した後、星はそう言って招賢館を出て行った。

 その手には、招賢館の仕事が残っている雫から受け取った任命の木簡が有る。


(さて……二人が私が思った通りの人物かどうか、見極めさせて貰うとするか。……ふふっ。)


 星こと趙雲は、今迄感じた事が無い程の高揚感のまま城へと向かって行った。

 その頃、徐州から遠く離れた荊州に徐庶――雪里は居た。


「……はあ。」


 周りを見ながら溜息を一つ。

 この旅に出てから何度同じ溜息を吐いたか解らない。

 再び周りを見る雪里。

 何度見ても、そこには賊しか居なかった。因みに全て男だ。


「……面倒ですね。」


 賊には聞こえない声量で呟く。

 別に聞こえても構わないが、賊を必要以上に刺激するつもりは無い。

 只でさえ賊は、女である雪里を見ながらニヤニヤと笑い、誰が最初に行くかと話している。

 勿論それが、二つの意味を持つ言葉だという事は雪里にも解っている。

 この世界で女の一人旅をしていれば、こうなるのはよくある事だ。大して珍しくもない。

 だからこそ、雪里の溜息は止まらなかった。


「はあ……。」


 その溜息を、観念したという意味にとったのか、賊の一人がやはりニヤニヤしながら近付いてくる。

 その手には剣を持っており、脅しの意味が有るのは明白だった。

 雪里はその賊にゆっくりと近付く。賊の男は、雪里が観念したとみている為、全く警戒していない。


「……邪魔です。」


 雪里がそう言った次の瞬間、賊は体から紅い液体を撒き散らしながら地面に倒れた。

 賊の男は地面に倒れると、そのまま息絶えた。

 突然の事に賊達は暫くの間呆気にとられていたが、やがて雪里が武器を手にしているのに気付くと、賊達は慌てて抜刀した。

 雪里が手にしている武器は、剣と言うには短く、かといって短剣と言うには長いという長さの両刃刀だった。

 雪里はそれを逆手に持ち、正面に構えると周りを軽く見回し、走り出した。

 雪里は先ず、近くに居た賊に斬りかかった。勿論賊も防御しようと剣を動かすが、それより早く雪里の剣が賊の喉笛を切り裂いた。

 更に雪里はそのまま体を回転させ、たった今倒した賊の左側に居る賊を一刀両断に斬り倒した。

 この時、他の賊達は雪里に向かって斬りかかってきていたが、連携も何も無い只の突撃をかわして反撃に転じるのは、雪里にとって何の苦にもならなかった。

 数分後。

 辺りには物言わぬ屍と化した賊達の死体が転がっている。

 全員が一撃で倒されており、その傷口からは(おびただ)しい量の血液が流れ出し、土や草を朱に染め上げていた。


「……さて、行きますか。」


 顔や服に付いた返り血を拭い、連れている馬に騎乗した雪里はそう言って馬を走らせる。

 彼女の目的地迄は、あと一日という距離だった。

第十章「徐州の日々」をお読みいただき、有難うございます。


今回は、徐州組のオリジナル武将の登場がメインでした。後は、次章に繋がる雪里の旅立ちですね。要するにコーエーの「三国志」シリーズだxと内政のターンですね。やった事無いけど←

あと、名前だけですが久々に登場した葉と景にも注目←

「招賢館」の件については、横山光輝版「項羽と劉邦」を参考にしています。この時代の資料が他にはやはり横山光輝版「史記」しかないという←


雪里の強さは、演義等に記されている事柄からイメージしてみました。とはいえ、愛紗達に比べたら弱い方ですが。


この章から、涼に対する桃香の呼称が「義兄さん」になりました。今迄「御主人様」「兄さん」とバラバラでしたが、今回からきちんと統一する様にしました。「御主人様」は場合によっては使うでしょうけどね。


次章はいよいよあのキャラの登場です。お楽しみに。

ではまた。



2012年11月29日更新。

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