第八章 十常侍の暗躍
漢は高祖劉邦によって作られた統一国家。
約四百年続く漢王朝も、今や落日の兆しが見えている。
その原因の一つが、ほんの一握りの宦官によるものだとは、劉邦も予期出来なかっただろう。
2010年5月2日更新開始。
2010年7月11日最終更新。
自陣を出て約半刻後、涼は洛陽の城壁を見上げていた。
古代中国の街はその殆どが城壁都市だったと言われており、「三国志」の世界と似たこの世界もまた、殆どの街が城壁に囲まれている。
少なくとも、桃香の故郷である楼桑村を始めとして、涼が今迄訪れた街は全て城壁都市だった。
勿論それは漢王朝の首都である洛陽も例外では無く、寧ろ最大規模の大きさの城壁に囲まれていた。
「どうしたの?」
「いや……本当にでっかいなあと思ってさ。」
初めて見た訳でもないのに、そんな感想しか出てこない。
現代ではもっと大きな建造物が在るし、見た事もある。
それでも目の前の城壁を驚いて見上げてしまうのは、この世界でもこんな建造物が造れるという驚きと、その迫力によるものだろう。
「確かに大きいわね。……でも、大きいだけじゃ意味は無いわ。」
「まあな。」
雪蓮はそう言って馬を洛陽の入口である正門に進める。
城壁が大きいだけに門もそれなりに大きい。横に三十人並んでも余裕があるくらいだ。
「これから先は何があるか判らないわ。……覚悟は良い?」
「ああ、大丈夫だよ雪蓮。」
そう答えて涼は馬を進め、分厚い門を潜っていった。
洛陽の街は静けさに包まれていた。
十常侍の一人が殺された事が住人に伝わっているのか、涼達を見る人々の目には警戒心が強く表れていた。
「巻き添えにならないか不安なんでしょ。」
そんな住人達を見ていた涼に、雪蓮はそう言った。
言われてみれば、力を持たない住人にとって、兵を引き連れている自分達は争いの種である事は間違い無い、と涼は認識した。
「……巻き込まない様にしないとな。」
「ええ。」
二人はそう言って目的地へと急いだ。
目的地は、洛陽中心部にほど近い場所に在る大きな屋敷。
以前洛陽に来た際にも滞在した屋敷に、今回も向かう。
「義兄上、どこに十常侍の刺客が居るか判りません。充分に御注意下さい。」
「お前に何かあったら桃香が悲しむからな。取り敢えず守ってやるよ。」
愛紗と時雨がそう言いながら涼の隣に並び、辺りに目を光らせる。
その雰囲気は、何人たりとも涼に近寄らせないという感じだ。
「あら、泉莱が居るわ。」
そんな中、雪蓮が進行方向に居る泉莱――程普を見つけ、馬を進めた。
すると程普もゆっくりと雪蓮達に近付いてこう言った。
「若君様、総大将、お待ちしていました。」
雪蓮達を出迎えた程普は、以前連合軍に参加していた時と同じ漆黒のコートの様な長袖の衣服を身に纏っていた。
その為、紅く長い髪がより映えて見える。因みに、雪蓮や孫権、周瑜達と同じ褐色の肌なので、尚更強調されていた。
「御久し振りです、程普さん。……未だ“総大将”って呼び方なんですね。」
「連合軍での活躍を見た者なら、皆そう呼ぶかと存じます。」
「そ、そうかなあ……?」
涼は戸惑いながら答え、程普の案内通りに馬を進めた。勿論、その隣には愛紗と時雨が並んでいる。
暫く進むと、見覚えのある屋敷が視界に入ってきた。
「こちらで、殿や盧植様がお待ちです。」
「案内有難う、泉莱。そう言えば、何進も居るの?」
「何進様は先程迄居られましたが、一度御自宅へ戻られました。」
「十常侍の恨みを買っている時に単独行動なんて、大丈夫なの?」
「まあ、念の為、護衛は付けている様ですし問題無いかと存じます。」
「だと良いんだけど……。」
不安な表情になる雪蓮達だったが、大将軍である何進に意見出来る立場では無いので、気持ちを切り替える事にした。
目の前に在る屋敷で、早急に話をしなければならないのだから。
屋敷に入った涼達を真っ先に出迎えたのは、この屋敷の主人だった。
「清宮様、御久し振りです。」
「御久し振りです、翡翠さん。お元気そうで何よりです。」
涼が翡翠と呼んだ屋敷の主人は、名を盧植という。
後漢末期を代表する学者であり文官であり武将でもある盧植――翡翠は、柔らかな表情で涼達を見つめている。
「玄徳と伯珪は一緒じゃないのですね。」
「桃香と白蓮には、洛陽の外で万一に備えて貰ってます。」
「この状況ですから、それが良いでしょうね。」
翡翠はそう言って涼達を屋敷の奥へと招き入れた。
以前来た事があるので、屋敷の構造は大体覚えていた。
入口から真っ直ぐ進み、突き当たりを右に。そのまま真っ直ぐ行くと、沢山の人数が集まる事が出来る広い部屋に着く。
現代で言うなら「リビング」にあたるだろう。
その「リビング」には、先程程普が言った様に、先客が居た。
「久し振りね、涼。」
部屋に入ってきた涼を見ながら、最初にそう言ったのは金髪の巻き毛の少女。
見かけは小さいながらも、彼女が持つ雰囲気は限り無く大きな感じがする。
そんな少女に涼は挨拶を返した。
「久し振りだな、華琳。元気だったか?」
「ええ、病気になる暇が無い程忙しかったからかしら、元気に過ごせたわ。」
「それは良かった。」
華琳は笑みを浮かべながらそう応え、涼もまた微笑みながらそう言った。
因みに華琳とは真名であり、彼女の名は曹操と言う。
「三国志」における三英雄の一人、もしくは最大の敵である人物と同じ名を持つ少女も、今は未だ名が売れてきた武将の一人でしかなかった。
そして、そんな彼女の傍らにはネコミミフードの少女――荀彧が居る。
華琳の軍師である彼女の真名は桂花と言い、華琳は勿論ながら涼もその名を呼ぶ事を許されている。
「桂花も久し振りだな。」
「ふん、馴れ馴れしく真名を呼ばないでくれる? 孕んじゃうじゃない。」
「呼んだだけで孕むか!」
……許されているのだが、どうやら彼女は極度の男嫌いらしく、涼に対していつもこんな感じだったりする。
それなのに何故真名を許されているかというと、華琳が自身の真名を涼に預けた後、半ば強制的に桂花も自身の真名を涼に預けさせられたのだ。
勿論、桂花は物凄く嫌がっていたが、華琳が真名を預けている事もあって結局は預けた。
……一番の理由は、華琳が「命令したから」だったりするのだが。
「華琳様、只今戻りました。」
と、そこに、右目が水色の髪で隠れている少女と、長い黒髪をオールバックにした少女がそう言いながら現れた。
二人は殆ど同じデザインだが色違いの、チャイナ服の様な肩出し袖有りの服を着ており、その上には主に体の左側を、または体の右側を守る紫色の胸当てをそれぞれ着けていた。
因みに、水色の髪の少女の服は青色、黒髪の少女の服は赤色で、色以外の違いは服の留め具が前者は右肩の位置に、後者は左肩の位置に有る事だ。
また、細長い髑髏の腕当てをそれぞれ左腕と右腕に付け、足には黒いニーソックスと黒い靴を履いている。
とまあ、二人はこの様に対称的な姿形をしていた。
そんな二人に対して、華琳は真剣な表情で尋ねる。
「お帰りなさい、秋蘭、春蘭。……それで、どうだったの?」
すると、秋蘭と呼ばれた水色の髪の少女と、春蘭と呼ばれた黒髪の少女はそれぞれこう報告した。
「はい、今の所は十常侍達に動きはありません。」
「何進も今は自宅で休んでいる様です。」
報告を受けた華琳は暫く考えてから二人に指示を出す。
「そう……なら、二人は何か起きた時の為に、暫くの間休んでいて。」
「はっ。……ですが、我々は華琳様の護衛をしなくても良いのでしょうか?」
「心配しなくても大丈夫よ。ここには孫堅や孫策といった名だたる武将が居るし、勿論私も戦える。それに……涼も居るわ。」
「えっ?」
華琳の言葉に驚いたのか、春蘭と呼ばれた少女はそう言って振り返り、涼を見た。すると、何故か瞬時に嫌な顔になった。
「なんだ貴様、居たのか。」
「ご挨拶だな、春蘭。俺は最初から居たぞ。」
「嘘をつくな。私は気付かなかったぞ、なあ秋蘭?」
「いや、私は気付いていたぞ姉者。」
「しゅ〜ら〜んっ。」
秋蘭と呼ばれた少女が同意しなかったからか、春蘭と呼ばれた少女は、それ迄の威勢の良さが全く無い声を出した。
涼はそんな二人を苦笑しながら見つめ、声をかける。
「二人共相変わらずだね。まあ、あれから三ヶ月しか経ってないから仕方ないか。」
「ええ、仕方ないわね。」
涼の言葉に華琳が同意すると、春蘭と呼ばれた少女は更にヘコんでいく。
一方、秋蘭と呼ばれた少女はそんな光景を見て微笑んでいた。何故だろう?
「フフ……春蘭、いつまでもヘコんでないで早く秋蘭と一緒に休んできなさい。」
「は、は〜い……。」
春蘭と呼ばれた少女は未だヘコんでいたが、やがて秋蘭と呼ばれた少女と共に部屋を出て行った。
「夏侯惇と夏侯淵、共にまた強くなった様ですね。」
それを見ていた愛紗は、春蘭と呼ばれた少女を夏侯惇、秋蘭と呼ばれた少女を夏侯淵と呼んだ。どうやらそれが彼女達の名前であり、春蘭や秋蘭とはやはり真名だった様だ。
「流石は関羽、見ただけで相手の実力を見極められるのね。」
「これくらい、武人として当然です。それが出来なければ、戦いで命を落としかねませんからね。」
愛紗がそう言うと、華琳は何故か満足した様に微笑んだ。
「良いわね……益々欲しくなったわ。」
「……それについては既に返答した筈ですが。」
「そうね。……けど、私は簡単に諦める様な人間じゃないのよ。」
華琳はそう言いながら、愛紗と涼を見ていった。
涼はやれやれと苦笑しながら華琳に向き直る。
「華琳、義勇軍の筆頭武将であり俺の義妹である愛紗を、俺の目の前で引き抜こうとするなよ。」
「あら、貴方の目の前だからこそ、引き抜こうとしているのよ。」
「……このドSめ。」
小悪魔の様な笑みを浮かべる華琳を見ながら、涼は小さな声で感想を漏らした。
小さな声で言ったのは聞こえない様に気をつけたからだが、仮に聞こえても意味は解らないだろう。
「……涼、何か言ったかしら?」
「さてね。」
どうやら聞こえたらしいが、大して興味が無かったのか直ぐに話題を愛紗に戻した。
「……まあ良いわ。兎に角、先の黄巾党の乱で敵将の程遠志や趙弘を討ち取ったその実力を、私は認め、欲しいと思っているのよ。」
「そう仰って下さるのは有り難いのですが……私は涼様や桃香様の義妹であり臣下。お二方以外の将に仕える気は毛頭ありません。」
華琳は愛紗を褒め称え、自軍に引き入れようとするも、肝心の愛紗は全く聞き入れなかった。
流石に華琳の機嫌が悪くなるんじゃないかと涼は焦ったが、その華琳は逆に満足した様な表情を浮かべていた。
「……断られてるのにご機嫌だな?」
「それはそうよ。簡単に寝返る様な兵なら却って要らないけど、関羽の様に忠誠心に溢れる兵なら沢山欲しいもの。」
「つまり、愛紗は合格って事か。」
「その通りよ。」
涼と愛紗は殆ど同時に溜息を吐いた。
華琳の諦めの悪さは、良くも悪くも彼女の特徴である。
その事は知っていたが、改めて思い知らされた二人だった。
(この間ここで断られてるのに、ポジティブかつアクティブな奴だな。)
涼は、自信に満ち溢れた表情を浮かべる華琳を見ながら、そう思った。
三ヶ月前、洛陽で何日にも渡って戦勝祝いの祭りが繰り広げられた中で、華琳は愛紗を勧誘していた。
更に鈴々、雪里、時雨、雫と、義勇軍の主力を次々と勧誘していったのだから、涼や桃香にとっては堪らなかっただろう。
まあ、皆断ったので事なきを得たのだが。
因みに地和は、万が一の場合を考えて余り華琳と接触させなかったからか、勧誘されなかった。
「……まあ良いわ、今は退いてあげる。……けど、諦めた訳じゃ無いから覚悟しておく事ね。」
「はあ……。」
不敵な笑みを浮かべる華琳に、愛紗は溜息混じりの返答をするしか出来なかった。
「なあに、いつの間にか賑やかになっているじゃない。」
「あ、母様。」
そこに、孫堅を始めとした数人の女性が現れた。
その中には、孫堅以外にも涼が見知った人物が二人居た。
「あ、清宮様。」
「あっ、アニキ。意外と早かったじゃん。」
黒いおかっぱ頭の大人しそうな少女と、緑のツンツン頭の元気一杯そうな少女は、涼に気付くと殆ど同時に声をあげた。
「斗詩に猪々子、久し振りだな。二人がここに居るって事は、袁紹も居るのか?」
「はい、この方が……。」
涼の問い掛けに斗詩が答えようとした時、隣に居た金髪縦ロールの少女が突然叫びながら涼に詰め寄ってきた。
「ちょっとそこの貴方!」
「お、俺っ!?」
「そうですわよ! 顔良さんと文醜さんの真名を気安く呼ぶ様な世間知らずさんが、他に居ますの!?」
物凄い剣幕でまくし立てるその少女は、腰に下げている剣の柄にいつの間にか手をかけてた。
それに気付いた涼は、反射的に両手を上げながら必死に落ち着かせようとする。
「いや、気安く呼んだ訳じゃ……。」
「お黙りなさいっ! どこの馬の骨かは存じませんが、二人の神聖なる真名を勝手かつ気安く呼んだ貴方は、この袁本初が直々に手打ちにして差し上げますわっ‼」
だが、金髪の少女――袁紹は涼の言い分を聞こうともせずに抜刀し、涼に斬りかかった。
……が、近距離から急に斬りかかられたにも係わらず、涼は難無くかわせた。
(……遅っ!)
紙一重でかわした訳でも無く、剣先がかすめた訳でも無い。
剣を持つ武将とは思えない程、袁紹の動きが遅かっただけなのだ。
「何で避けますのっ!?」
「避けないと死ぬだろうがっ‼」
無茶苦茶な事を言う袁紹に対し、涼は少し我慢しつつ反論する。
だが、袁紹はやはり聞く耳持たずに二の太刀をあびせようと剣を振るう。
だが、遅い太刀筋を読みかわすのは今の涼にとって苦では無く、袁紹が何度斬りかかってきても簡単に避けられた。
そうして袁紹が数度剣を振るっていたが、途中でその剣は高い金属音をあげながら宙を舞い、床に転がった。
「な……っ!?」
袁紹は暫くの間何が起きたのか解らなかったが、やがて涼の隣に居た黒髪の少女が、手にしている武器を振るって自分の剣を弾き飛ばした事に気付いた。
「な、何をしますの、貴女は!?」
「主が身の危険に晒されようとしていたので、助けた迄です。」
そう言って涼を守る様に立ち、青龍偃月刀の刃先を袁紹に向ける愛紗。
袁紹はたじろぎながらも虚勢を張り、後ろに居る二人に命じる。
「顔良さん、文醜さん、二人共何をしてますの!? 早くこの人達を懲らしめてやりなさい‼」
「懲らしめろって言われても……ねえ?」
「だよなあ。」
だが、その二人――斗詩と猪々子の反応は、袁紹の予想とは対照的に鈍かった。
「二人共何でそんなに覇気が無いんですの!? 貴女達の真名を勝手に言われたんですのよ!?」
「姫ぇ……だからその前提が間違ってるんですってばあ。」
「…………えっ?」
猪々子の言葉に驚いたのか、袁紹は間の抜けた声を出した。
そんな袁紹に斗詩が説明していく。
「私達、清宮様に真名を預けてるんですよ。この間そう報告したじゃないですかぁ。」
「…………あ。」
どうやら完全に失念していたらしく、呟いたかと思うと途端に表情が焦りの色に変わっていった。
「……じゃあ、このどこの馬の骨かも解らない人が、あの清宮涼ですの?」と呼んでいた。因みに猪々子は、涼の事を「アニキ」と呼んでいた。
袁紹は暫く考えていたが、ついさっきの事なので容易に思い出す事が出来たらしい。
「ま……まあ、間違いは誰にでもありますわ。そう、名門袁家の生まれのこの私にもありますわ!」
「……何でこいつは偉そうに言ってんだ……?」
思い出した結果、勘違いしたのに開き直った袁紹の態度に、涼は只脱力するしかなかった。
「まったく、貴女は相変わらず馬鹿ね。」
一連の様子を見ていた華琳が、そう嘲笑した。
当然ながら、袁紹はその言葉に反応する。
「……あーら、華琳さん、居たんですのね。相変わらず背も胸も小さいから、私まったく気付きませんでしたわ。」
「……さっき迄会っていた私に気付かないなんて、麗羽は記憶力が無いのかしら? まあ、頭が悪いからそれも仕方無いわね。」
袁紹のあからさまな挑発に、華琳は一瞬カチンときた表情を浮かべたが、直ぐに冷静な表情になって挑発しかえした。
当然、罵り合いになる訳で、場の空気はさっきより悪くなる。
「……なあ斗詩、ひょっとしてこの二人っていつもこんななのか?」
「はい……麗羽様、あ、麗羽というのは袁紹様の真名なんですけど、その麗羽様と華琳様は長い付き合いでお互い真名で呼んでいる仲ではあるんですが、麗羽様は華琳様に並々ならぬ対抗心を抱いていて……。」
「要するに、ケンカ友達って奴だよ、アニキ。」
斗詩が詳しく説明していると、猪々子が簡潔に言い表した。
(ケンカは兎も角、友達なのかなあ……?)
目の前で繰り広げられている口喧嘩に嘆息しながら、涼はそう思っていた。
二人の口喧嘩が長くなりそうだったので、涼は他の人に話し掛けた。
「孫堅さん、お久し振りです。」
「ええ、久し振りね。……婿殿。」
「…………はい?」
孫堅が言ったとある単語に、涼は違和感と不安を覚え、絶句した。
「あら、愛娘の“初めて”を奪ったんだから、当然責任はとってくれるのですよね?」
「…………えーっ!?」
そう言った孫堅は笑顔だった。余りにも良い笑顔だったので、却って怖く見えたくらいだ。
そんな孫堅を見ていると、後ろから雪蓮が抱きついてきた。
「あら、涼はもしかして責任とらないつもりだったの?」
「……責任をとるもとらないも、そもそも何の事か解らないんだけど?」
涼が溜息を吐きながらそう言うと、雪蓮はニヤニヤしながら耳元で囁いた。
「苑城で私の“初めて”を奪ったのを忘れたの? だったら悲しいなあー。」
「わざとらしいくらい棒読みだな。てか、苑城での“初めて”って、キス……接吻の事じゃないか?」
「あ、覚えていてくれたんだ? 嬉しい♪」
「俺の記憶が確かなら、あれは“俺が奪った”んじゃなくて、“雪蓮が奪った”んじゃなかったか?」
「んー? そうだったかしら?」
雪蓮は、先程の孫堅と同じ様に良い笑顔で惚けている。
「やれやれ……。本当に責任をとらないといけない事をしたら勿論そうするけど、今はその必要は無いよな?」
そう言いながら涼は雪蓮を離した。雪蓮は離れたくなかった様だが、それでは話が先に進まないので無視する。
孫堅も同じ様に残念そうな表情をしているが、やはり対応したらキリが無いので話を変える事にした。
「ところで、後ろに居る二人はどなたなんですか?」
涼は、孫堅の後ろに居る小さな少女と、その傍らに立つ少女を見ながら訊ねた。
「ああ、この二人は袁術とその側近の張勲よ。」
「ん? なんじゃ? 妾に何か用なのかえ?」
「美羽様、どうやら噂の天の御遣いが美羽様と話したいみたいですよ。」
孫堅が二人に振り返りながら説明すると、袁術と張勲と呼ばれた二人の少女がこちらを見ながらそう言った。
どうやら、一見すると小学生の様に小さい少女が袁術で、軍服を着たバスガイドの様な姿の少女が張勲らしい。
(まさか袁術がこんな子供とは……。史実や演義だと袁紹の弟か従兄弟だったから、この世界だと妹か従姉妹かな?)
涼は袁術を見ながらそう思った。
只、よく見れば確かに袁術は袁紹と似ている所が有る。
例えば、袁紹は腰迄ある長い金髪の縦ロールで袁術は腰迄ある長い金髪のストレートだが、毛先は同じ様に縦ロールになっている。
また、瞳の色も同じ碧色だし、何だか雰囲気も似ている。
勿論、違う所だって沢山有る。
例えば、袁紹は斗詩達と似たデザインの紅い服と白いミニスカート、白い手袋と腿迄の黒いストッキングに白いロングブーツといった服装。
それ等の上に金と黒という配色の胸当てや肩当て、篭手や足当てを身に付け、腰には青と金という配色の剣を下げている。
一方の袁術はと言うと、ヒラヒラとしたドレスの様な服を着ている。
配色は黄色と白色がメインで、腰から伸びている細長い前掛けみたいな布は紫色に葉っぱの様な形の金色の刺繍、その上に薄紫色の帯を巻き、先端には前掛けと同じ様な十字と十文字型の葉っぱの刺繍がやはり金色で描かれている。
肩と胸元は露出しており、姫袖にロングスカート、僅かに見える足下には、紫と黒という配色の先端が上向いている靴。
頭には小さな銀色の王冠、頭の後ろには大きな紫色のリボン、耳には紅いイヤリング、そして首には青色のネックレスを付けている。
武将としての装いの袁紹に対し、普通のお姫様の様な格好の袁術。
更にこの年代の女子の平均身長(だと思われる)の袁紹と、小学生の様な身長の袁術。
そして、そうした身長差からくるスタイルの違い。
二人は姉妹もしくは親戚とは言え結局は他人なのだから、似た所と違う所が有るのは当然ではある。
「そなたがあの天の御遣いとやらかえ?」
その袁術が、トテトテと歩きながら涼に近付き、そう尋ねた。
「まあね。」
「……思っていたのと違うのじゃ。」
「違うって、どう違ったの?」
涼が疑問を口にすると、袁術は涼を見ながら答えた。
「黄巾党をあっと言う間に倒したと聞いていたから、もっとゴツい男かと思っていたのじゃ。」
「そ、そっか……。と言うか、別にあっと言う間に倒してはいないし。」
「そうなのかえ?」
涼の言葉に、袁術はキョトンとしながら呟いた。
一体誰がそんな風に言ったんだと思った涼だったが、袁術の傍らに居る少女が涼を見ながら微笑んだのに気付き、あっと言う間に見当がついた。
「成程、貴女が袁術に過剰な説明をしたんですね。張勲さん?」
「さあ〜、何の事でしょうか〜? 私にはちょっと解らないですね〜。」
そう答えた張勲だったが、その口調はわざとらしいくらいに棒読みっぽかった。
絶対にすっ惚けているなと確信した涼だが、下手に追及して揉めるのは避けようと判断し、何も言わなかった。
そんな涼が改めて張勲を見てみると、やっぱり軍服を着たバスガイド、もしくはスチュワーデスって感じの格好だと思っていた。
何故そう見えたかと言うと、頭に有る白と紺を基調とした小さな帽子が、いかにもそれっぽい帽子だからだ。
また、軍服っぽい服は半袖で、両肩には黒い紐が蝶結びになって付いている。因みに配色はというと、服の左右は白、真ん中や襟、袖等は青紫で構成されている。
他には、首元に薄紫色のスカーフ、白い手袋に赤紫のプリーツスカートに黒いニーソックス、白い編み上げブーツを身に着けており、左腕には黄色地に黒字で「袁」と書かれた腕章を巻き、腰には黒い鞘に納められている剣を下げていた。
紺色の短い髪は左から右に分けており、四つ葉型の髪留めで留めている。
瞳は紫色で大きく、背は袁紹と同じくらい。序でに言うと、胸も同じくらいか少し小さいくらいに大きかった。
(一見おっとりして優しそうだけど……何だろう、油断出来無い気がする。)
目の前に居る張勲は笑顔だし、物腰も柔らかい。
それなのに涼がそう思ったのは、その笑顔や口調がわざとらしく感じたからだろうか。
(まあ……取り敢えず今は注意しておくだけで良いかな。それより、今は確認しないといけない事が有るし。)
そう思った涼は一旦張勲から目を離すと、翡翠や華琳達に目を向けながら訊ねた。
「ちょっと聞きたいのですが、洛陽は昨日静かだったそうですね。……何かあったのですか?」
「……昨日? ……ああ、多分あの事ね。」
「あの事?」
華琳と袁紹は未だ口論していたが、涼の質問に気付くと途端に二人共口論を止め、袁紹は沈黙し、華琳は神妙な面持ちでそう呟いた。
その様子に涼は勿論、愛紗や時雨、そして雪蓮も怪訝な表情を浮かべる。
そんな涼達を見ながら、華琳は重々しく告げた。
「……帝は今、病に伏せっておられるのよ。」
「えっ……?」
思い掛けない言葉に涼達は絶句する。
華琳は尚も続けた。
「……宦官共はその事を伏せていたんだけど、どこからか漏れたらしくてね。その噂が街に広まったのが昨日って訳よ。」
「……そうだったのか。」
華琳の説明を聞いた涼は静かにそう呟く。
昨夜の謎は解けたものの、涼達は重苦しい空気に包まれていた。
帝の容態によっては、民衆が混乱しかねないからだ。
「……帝の容態はそんなに悪いのか?」
そんな中、暫く俯いていた時雨が華琳に訊ねると、華琳の代わりに翡翠が答えた。
「噂ではその病状はかなり重く、明日をも知れぬ命だそうです……。」
「……っ! そんなに酷いのですか……。」
想像以上の現実を知らされ、時雨は息を詰まらせた。
約四百年続く漢王朝の帝の命の灯が、まさに今、消えようとしている。
幸い、跡を継ぐ皇子は居るが、二人の皇子はどちらも未だ幼い。
つまり、このまま帝が死ぬと、この国は間違い無く混乱する。
そして、その時に十常侍が存在していたら、その混乱は更に大きくなり、黄巾党の乱以上の大乱が起きてしまうかも知れない。
それが解ったからこそ、時雨は絶句しているのだ。
「……我々に出来る事は、天に祈る事だけか……。」
悔しそうに愛紗が呟く。
華琳達は勿論、涼や時雨もまた愛紗と同じ様に悔やみ、天に祈った。
だが、涼は天に祈りつつも、帝が助からないと思っていた。
何故なら、涼はこの世界の元というべき「三国志」を知っているからだ。
(……「三国志演義」だと、病に倒れた帝……霊帝はそのまま亡くなる。そして、十常侍はその死を隠して何進を宮中に呼び出して暗殺しようとするが、逆に何進に気取られて蹇碩等が殺された……。)
涼は神妙な面持ちのまま、自分が知っている「三国志」に関する知識を頭の中で再生していく。
(でも、この世界では帝の存命中に蹇碩が殺されている……。まあ、雪里……徐庶が既に仲間になってたり、地和……張宝が生きて俺達と一緒に居たりする訳だから、まるっきり同じって訳じゃないみたいだけど……。)
その知識とこの世界の出来事との違いを考え、涼は少し悩んだ。
それでも涼は、帝――霊帝の死は免れないだろうと確信していた。
「失礼っ!」
そこに、凛とした声の少女が豪快に扉を開き、息を切らせて入ってきた。
突然の事に涼達は驚き、その少女に目を向ける。
「何をそんなに慌てておるのじゃ、瑠衣?」
「紀霊さん、はい、お水。」
「な、七乃殿……忝ない……。」
袁術と張勲が、その少女をそれぞれ「瑠衣」「紀霊」と呼び、その少女――紀霊は張勲から渡された水を一気に飲み干していく。
そして紀霊は、深呼吸してから言った。
「……先程、帝がお亡くなりになりました。」
「っ!?」
紀霊が発した言葉に、その場に居た全員が息を飲む。
「……ま、間違いないのかえ、瑠衣?」
「残念ながら……。」
恐る恐る確認する袁術に、紀霊は俯きながら答えた。
「紀霊さん、その話は誰から聞いたんですか?」
「何進大将軍の補佐をしている張遼殿からです。」
「張遼さん……ああ〜確か、丁原さんの所に居る武将で、今回の檄に応えた丁原さんの命で、先に張遼さんが来ていたんでしたっけ。」
張勲は、両手を軽く合わせながら、まるで誰かに説明する様に言った。
涼はその説明と紀霊が告げた事を頭の中で反芻し、同時に紀霊の姿を見た。
紀霊は、短い黒髪をきちんと整えており、寝癖の様な乱れは一切無い。
衣服は左肩から服の右下を境に、右側が黄色で左側が黒のノースリーブ。黒いミニスカートを履いているが、その下には黒いスパッツらしきものも履いている。
足には白いニーソックスと、スポーツシューズの様な黒い靴。
防具の類は、銀色の肩当てと胸当て、それと足当てを付けているだけで、猪々子に近い格好をしている。
そして背中には、白銀に輝く大剣を背負っていた。
「……強そうですね。」
涼の右隣に居る愛紗が、涼にだけ聞こえる様な声量で呟く。
その視線の先には、紀霊の姿が在る。
「ああ、今は味方みたいなものだけど、いつかは敵対するかも知れない。その時は充分に気をつけてくれ。」
「解りました。」
「時雨も、良いね?」
「解っている。」
涼もまた、愛紗と同じ様な声量で愛紗と時雨に忠告する。
そう、今は未だ誰も敵では無い。
だが、いつかは敵になるかも知れない。
少なくとも、「三国志」を知っている涼は、普段の性格と違って楽観出来なかった。
「ところで紀霊殿、帝が亡くなられたと知った何進殿は、今どうしています?」
「何進殿は帝の姻戚でありますから、その死を誰よりも悼み落ち込まれている様です。」
孫堅の問いに、紀霊は背筋をピンと立て、丁寧な口調で答えていった。
何進の妹が帝の后になっていたので、何進は帝の義姉にあたり、帝は何進の義弟にあたる。
それだけに、何進が悲しむのも無理は無いだろう。
そこに突然、
「失礼するで!」
と言う少女の言葉が聞こえてきた。
声がした方を見ると、入り口の扉を豪快に開けた紫色の髪の少女が立っていた。
涼は一瞬「デジャヴ?」と思う程、その光景を遂最近見た様な気がした。
「おや、張遼殿ではないですか。どうしました?」
先程、その光景の中心だった紀霊が、入り口に居る少女を張遼と呼びながら近付いていく。
するとその少女――張遼は、神妙な面持ちのまま口を開いた。
「……何進が何太后に呼び出されたんや。」
張遼のその言葉に、紀霊は勿論ながら、その場に居た殆どの人間が驚きを隠せなかった。
そんな表情のまま、雪蓮が訊ねる。
「ちょっと、それって本当なの?」
「残念ながらホンマや。」
「……呼び出された理由は何かしら?」
「蹇碩が殺された事や、各地の兵がこの洛陽に集まってる事で何太后が不安になり、何かが起きる前に相談したいというのが理由やけど……。」
「そんなの、十常侍が作りあげた嘘に決まってるわ。」
続いて華琳が訊ね、張遼が答えると、即座に断言した。
張遼も同意見だったらしく、小さく頷くと話を続けた。
「ウチもそう思う。このままじゃ何進は間違いなく十常侍の奴等に殺されるで。」
「そこ迄解っていて、どうして止めなかったのじゃ?」
袁術がもっともな質問をぶつける。何故か張勲は驚いていた。
「勿論ウチ等は止めたで。そやけど、何進は蹇碩を殺した事で十常侍がビビってると高を括って、ウチ等の話を聞かんかったんや。」
張遼は頭を押さえながら言った。
その表情からは、何進のそうした行動が一度や二度じゃ無いと想像出来た。
「兎に角、それなら急いで何進を追い掛けた方が良いと思う。」
「涼の言う通りね。どうせ涼達が来たら何進の所に行くつもりだったし、早速行きましょう。」
涼の提案に華琳が同意し、皆もそれに倣う。
袁紹や袁術が何か言っていたが、何故か無視された。
そうして涼達は、案内役の張遼を先頭にして宮中へと向かった。
華琳や袁紹等は宮中への道筋を知っているが、話の流れから自然と張遼が先頭を走っていた。
宮中の門前に到着すると、そこには既に兵士達を引き連れた武将達が居た。武将達は皆少女であり、どうやら張遼や華琳達の知り合いらしい。
華琳達が彼女達と話している間、涼は宮中の門扉を見た。
宮中の門は鉄で出来ていて重くて厚く、そして大きい。それに伴って石造りの塀も大きくて高い為、建物がよく見えなかった。
この先にあの十常侍達が居ると思うと、涼は緊張して息を飲み、剣の柄を握っていた。
そんな涼達の動きを、宮中の高見から見下ろしている人物が居た。
「やれやれ……相変わらず騒がしい連中だね。」
まるで下界を眺める神の様に窓から下を眺めるその者は、少女の様に小さいが、少年の様な声を発した。
短い銀髪が太陽の光を浴びて輝く。
朱い眼は見える者を侮蔑し、口は嘲笑する形に歪んでいる。
前述の通り背は高くないが、その身から感じる気迫は他者を圧倒している。
袖が白い朱色の礼服を身に纏い、頭には宦官の特徴たる小さな帽子を被っていた。
「張譲!」
そこに、小さな少年もしくは少女と殆ど同じ服装の男性が慌てながらやってきた。
年齢は二十代前半くらいで、金髪をリーゼントにしているその男性は、小さな少年もしくは少女を、張譲と呼んだ。
「趙忠、そんなに慌ててどうしたんだい?」
「どうしたって……慌てるに決まっているだろう!?」
張譲は男性を趙忠と呼びながらゆっくりと体ごと振り向き、趙忠と呼ばれた男性は、リーゼントの金髪を乱しながら言葉を紡いでいく。
「蹇碩を斬った連中がまたやってきたんだぞ! 慌てない方がどうかしている‼」
「ふむ……なら僕は、どうかしてるのかな?」
「何……?」
趙忠が戸惑いながら声を出した。
そんな趙忠を見ながら、張譲は淡々と話す。
「何故かは解らないんだけどね、僕は今、不思議と慌てていないんだ。……ひょっとしたら、死を覚悟して安らかな気持ちになっているのかな?」
「……貴様はそれで良いかも知れんが、俺や郭勝達は違う! 未だ死ぬつもりは微塵も無いんだよ‼」
笑う余裕が未だ有る張譲と比べ、趙忠はリーゼントの頭をかきむしって髪型を乱す等して、余裕が全く無い。
張譲はそんな趙忠を見ながら先程とは違った笑みを浮かべ、口を開いた。
「勿論僕だって死にたくは無いさ。……だから、その為の策は既に講じているよ。」
「……策だと?」
「ああ。先ずは……何進は既に殺したよね?」
「勿論だ。今部下に首を刎ねさせている。」
「なら、その首を門前の奴等に投げつけてやると良い。それだけで、奴等は恐怖におののく筈だ。」
「……そう上手くいくだろうか? 奴等は黄巾党の乱で活躍した武将達だぞ?」
趙忠はもっともな疑問を口にした。歴然の武将達が、生首を見ただけで驚く筈が無い。
「大丈夫だよ。何進はあれでも一応大将軍、門前の雑兵達とは位が違うんだからね。」
「……つまり、大将軍である何進の命を俺達が奪う事で、奴等の生殺与奪を俺達が握っていると認識させる訳か。」
「その通り。後は、士気が落ちて退却する奴等を追撃すれば……。」
「簡単に倒せる……か。よし、早速やってみるぜ!」
趙忠は、入ってきた時とは真逆の表情になって部屋を出ていった。
足音があっと言う間に遠ざかり、部屋には静寂が訪れる。
「……馬鹿だね。今の奴等にそんな事が通じる訳無いのに。」
張譲は静かに笑いながら、再び窓から下を眺めた。
そこには一人の男性が居た。服装から察するに十常侍の誰かの様で、何かを持って門に向かっている。
「何進の首を投げる役は郭勝か。ふん……気弱なくせに時々目立ちたがる彼にはピッタリの役だな。」
そう言ってカーテンを閉め、ゆっくりと部屋を見回した後、机の下に置いていたバッグの様な物を持ち上げ、肩にかけた。
何が入っているのか解らないが、かなりの大きさだ。
「趙忠……君は良い手駒だったけど、君が馬鹿だったのがいけないんだよ。」
張譲はそう嘲笑しながら懐から一冊の本を取り出し、部屋を後にする。
その後、他の十常侍達が張譲の姿を見る事は二度と無かった。
誰かが門の上に立ち、何かを言った。
服装から察するに十常侍の一人らしいその男は、まるでゴミでも投げ捨てるかの様に、手にしていた物を涼達に向かって投げた。
「ひっ!」
「ひゃあぁっ! な、七乃ーっ‼」
袁紹と袁術がその正体に気付いて後退りする。
「な……っ!」
「あれは……!」
「チッ……マジかよ……!」
涼達もその正体に気付き、絶句した。
数度だけしか見た事は無いが、それは間違いなく何進の生首だった。
転がっているその生首は、長い銀髪に整った顔をしているが、眼はまるで鬼の様にカッと見開いてこちらを見ていた。
黄巾党の乱の最中、広宗に現れた何進によって南陽に向かう事になった涼達。
その時は地和の事もあって多少恨みもしたが、その何進が既にこの世のもので無い現実にぶつかり、涼の心情は憐れみと虚しさに変わっていく。
「……遅かった、ですね。」
「……ああ。」
帽子を摘んで俯く雪里が静かに呟き、涼もまた小さく呟いた。
門の上では、何進の首を投げた男がまた何か言っている。
「これに懲りたらさっさと帰れ!」や、「帝に弓引く逆賊等、直ぐに成敗してくれる‼」と、随分と好き勝手言っている。
当然ながら涼達が懲りる筈は無く、また、逆賊は紛れもなく十常侍達の方である。
「……随分と五月蝿い蠅ね。秋蘭!」
「はっ!」
「目の前に居る蠅を撃ち落として頂戴。」
「御意!」
華琳が秋蘭にそう命じると、秋蘭は流れる様な動きで矢をつがえ、放った。
「ぐふっ……!」
秋蘭が放った矢は、門の上の十常侍らしき男の喉を貫き、その命を瞬時に奪った。
門の向こうに男が落ちていく。宮中に居る兵達は、それによって混乱し騒然となった。
「流石だな、秋蘭。」
「なに、止まっている的を射抜いただけだ、大した事はないさ。」
涼が褒め称えても、秋蘭はいつもの様に涼しい顔で謙遜した。
その間に、何とか冷静を取り戻した袁紹が猪々子と斗詩に指示を出す。
「……ぶ、文醜さん、顔良さん、あの門を壊しなさいっ!」
「わっかりましたーっ!」
「了解です!」
袁紹の指示に応えた猪々子と斗詩が、それぞれの得物を構える。
(何度見てもでっかい武器だなあ……。)
涼は二人の武器を見ながらそう思う。
猪々子は自身の背丈と余り変わらぬ長さの大剣を、斗詩は人間の胴体を遥かに上回る太さの先端部を持つ巨大槌を武器にしている。
先に動いたのは猪々子だった。
「あたいの斬山刀の一撃、喰らいやがれっ‼」
猪々子はそう叫びながら門に向かって大剣を振り下ろす。
すると、鉄で出来ている筈の門に大きな亀裂が走った。
「ちぇーっ、一発じゃ壊せなかったかあ。」
(いやいや、鉄の門をあんなに斬り裂いただけでも凄いだろ。)
悔しがる猪々子を見ながら、涼は心の中でツッコミを入れた。
「まあ良いや。斗詩ー、あとお願いー。」
「解ったよ、文ちゃん。」
猪々子が下がると、入れ替わりに斗詩が門の前に立つ。
そして、自身の得物を軽々と振り上げながら、口を開く。
「右手に天国、左手に地獄! 光になりなさぁぁぁぁーいっ‼」
「どこの勇者王だっ!?」
今度は思わず口に出してツッコミを入れたが、そのツッコミは門が粉砕された時の轟音にかき消された。
まあ、聞こえても誰も意味を理解出来なかっただろうが。
轟音が鳴り終わっても、辺りには門の崩壊によって生じた粉塵が舞っていたが、それもやがて消えていく。
攻撃後も武器を構えている斗詩は、目の前の門が無くなり、敵兵の反撃も無いのを確認してから振り向いて言った。
「麗羽様、終わりました!」
「二人共お見事ですわ! ならこのまま、全軍をもって何進さんの仇を取りに参りますわよ‼」
「「はいっ‼」」
袁紹の号令に斗詩と猪々子は同時に応え、また、袁紹軍の兵士達も同様に応えていく。
斗詩と猪々子が先頭に立ち、袁紹軍の兵士達が雄叫びを上げながら宮中へ突撃する。
「袁紹達に遅れをとるな! 我等曹操軍も進むのだ‼」
「孫家も行くぞ! 総員、我に続けーっ‼」
「れ、麗羽姉様の軍に遅れてはならぬ! 七乃、瑠衣、総員を引き連れて十常侍共をやっつけてまいれ‼」
また、華琳、孫堅、袁術も同様に自軍を鼓舞し、宮中に向かった。
「それじゃ、俺達も行こうか。」
「……やはり義兄上も行かれるのですね。」
雌雄一対の剣の一振り、「紅星」をゆっくりと抜刀した涼に向かって、愛紗が不安そうな顔で呟く。
「心配してくれて有難う。けど、桃香が洛陽の外に居る以上、俺迄この場に留まる事は出来ない。」
「はあ……義兄上も義姉上と同じで、意外と頑固ですよね。」
「愛紗にだけは言われたくないなあ。」
「まったくだ。」
「なっ!?」
涼と時雨にそう言われ、戸惑う愛紗。
何故かここだけ緊迫感が無い感じになっていた。
「あっ、義兄上!? 私は義兄上の為を思ってですねっ‼」
「解ってるよ、愛紗。」
顔を真っ赤にして怒る愛紗に、涼は笑みを浮かべながら応える。
「愛紗が俺達の事を思って苦言を呈してくれてるのは、皆知ってるから。」
涼がそう言うと、時雨や雪里、そして、近くで涼達を見守っていた翡翠も笑みを浮かべながら頷いた。
それを見た愛紗も自然と笑みが零れる。
「知っててそう言うなんて、意地悪ですね?」
「まあ、たまには良いじゃん。」
涼がそう言うと、愛紗達は勿論、義勇軍の兵士達や盧植軍の兵士達も声を出して笑った。
そうして一頻り笑った後、涼達全員が顔を引き締め、得物を構える。
「それじゃ……改めて行こうか。」
「はい!」
「ああ!」
その顔には、先程迄の穏やかな雰囲気は微塵も無い。
「雪里、百人程残しておくから、十常侍達が逃げてきたら対応しといて。」
「御意です。」
雪里にそう命じると、涼は息を整えて叫んだ。
「全ての民の為に義勇軍は戦う! 突入部隊、俺達に続けーっ‼」
「「「「「おおおおおーーーーーっ!!!!!」」」」」
洛陽全域に轟く様な雄叫びと共に、涼達は宮中に突撃していった。
涼達が突撃して半刻後、宮中は怒号と悲鳴がそこかしこから聞こえていた。
「十常侍の一人である孫璋は、曹操軍の武将であるこの夏侯惇が討ち取ったぞ!」
「十常侍の畢嵐は、孫堅軍の副将である私、孫策符が討ち取った!」
「十常侍の段珪は、袁紹軍武将の文醜が討ち取ったぜ!」
「十常侍が一人である栗嵩、袁術軍の武将である紀霊が討ち取ったり!」
それに伴うかの様に、至る所で武勲を誇る声が上がっていく。
涼はそれ等を聞きながら敵兵を倒しつつ、呑気な声を出した。
「やっぱり、皆凄いね。」
「感心してる場合ですか!」
「宮中に居る部隊で十常侍を討ってないのは、うちと盧植軍だけの様だぞ。」
涼と同じ様に敵兵を倒しながら、愛紗と時雨が言った。
「うーん……十常侍を倒せるなら、俺は誰が討ち取っても構わないんだけど……。」
「義勇軍全体を考えると、そうもいきません。」
「だよねー。」
愛紗が冷静に窘めると、涼は再認識しながら苦笑した。
皆が十常侍を倒しているのは、世の中を正す為だけでなく、そうする事で名声を得る為でもある。
名声が有れば志願兵や支援者が増えて楽になるが、名声が無ければ何も増える事は無い。
その為にも、涼達自身で十常侍を討つ必要が有るのだった。
「どうやら、残る十常侍は後僅か。ここは別々に行動した方が良いと思うが?」
「それはそうだが……しかし、義兄上を一人にする訳には……!」
時雨は剣を振って付着した血を飛ばしながら、そう提案する。
どうやら愛紗も同意見の様だが、涼を護れなくなる事が心配らしい。
「俺なら大丈夫。戦ってみて解ったけど、ここの兵士達は弱い。黄巾党の奴等の方がよっぽど強かったよ。」
「それは……確かに。」
「乱を起こして日々戦っていた黄巾党の奴等と、乱の最中も都でぬくぬくと過ごしていた連中とでは、実力が違うのは当然だな。」
三人の意見は一致している。
ここ迄涼達は何人もの兵士達を斬ってきたが、その殆どが打ち合う事無く斬り捨てる事が出来た。
ハッキリ言って、義勇軍を立ち上げて以来黄巾党と戦い続けてきた涼達にとって、宮中の兵士達は相手にならなかった。
「ああ。それに愛紗達に鍛えて貰ってるから、尚更そんな相手に負けないよ。だから、愛紗達は安心して他の場所に行ってくれ。」
「……解りました。でも、充分気をつけて下さいね。」
「解ってるって。……それじゃ、二人も気をつけて。」
「はい!」
「ああ!」
三人はそう言ってそれぞれの兵士達を引き連れ、別々の方向に走っていった。
それから暫くの間、涼と兵士達は敵兵を倒し続けた。
だが、肝心の十常侍は見つけられないでいる。
(見付からないなあ……ひょっとして、皆が全員討ったのかな?)
そう思いながら、目の前の敵兵の攻撃を避け、薙ぎ払う。
つい数ヶ月前迄、武器すら持った事が無かった少年が、今三振りの剣を携えて人を斬っている。
(……ホント、人って慣れるものだなあ……。)
涼は自分の適応能力に驚きながら剣を振るう。
自分がしている事が、現代では決してしてはいけない事なのは忘れていない。それは決して忘れてはいけない事だから。
だが、この世界ではそれをしなければ生きていけない事も解っていた。
自分がしている事が恐ろしくなり、震え、涙を流したのは一度や二度では無い。
その度に愛紗達に支えられて何とかやってきている。
仲間が居る素晴らしさを感じながら、涼は剣を振るい続ける。
そして、皆の期待に応える為に人一倍頑張っていく。
清宮涼とは、そんな少年なのだ。
そんな涼の視界に、見知った顔が入ってきた。
すると、瞬時に涼の足はその人物の方に向かう。
何故なら、その人物は一人で複数の敵を相手にしていたから。
「でやあああっ‼」
涼は雄叫びと共に剣を振るった。
その人物の周りに居た敵兵達は、突然の乱入者に驚き戸惑い、為す術も無く倒れていく。
そうして敵兵を全て倒した後、涼は仲間の兵士達に指示を出しながらその人物に声をかける。
「大丈夫、華琳?」
「……ええ、大丈夫よ。」
その人物――華琳は、左手に持っている鎌を下ろし、乱れた呼吸を整えながら応えた。
見た所怪我はしてないらしく、涼はホッと胸をなで下ろす。
「……何故助けてくれたの?」
「華琳は仲間なんだし、助けるのは当然だろ?」
そっぽを向いたまま尋ねる華琳に対し、涼はサラッと応えた。
「仲間……ね。」
「ああ。それに、前にこの洛陽で言っただろ? 何か遭ったら助けてやるって。」
「そう言えばそうね……。けど……。」
「けど?」
何を言おうとしているのか解らない涼に対し、華琳は語気を強めて言った。
「……貴方はどうして上から目線な物言いなのかしら? 流石は天の御遣い様って事かしらね?」
「えっ? ええっ!?」
思い掛けない皮肉混じりの言葉と迫力に涼は戸惑い、少し後ずさる。
「いや、そんなつもりは無かったんだけど……そう聞こえた?」
「ええ。“助けてやる”って、どう聞いても上から目線だと思うのだけど……?」
「確かに……。けど、他意は無かったんだよ。」
「ふーん……。」
「えっと……その……ゴメン。」
「解れば良いのよ。」
華琳の迫力に圧され、結局涼は謝った。
下手に言い訳を続けるより、謝った方が良いと判断したからだ。
と、そこで、涼は気付いた事を訊ねる。
「そう言えば、華琳は何故一人で居るんだ?」
本来なら、夏侯惇か夏侯淵のどちらかは必ず側に居る筈だと涼は思った。
少なくとも、以前洛陽で会った時は殆どいつも二人が側についていた。
「春蘭と秋蘭は別々に行動してるわ。その方が十常侍を倒す確率が高くなるからね。」
「けど、それで華琳が危機に陥っていたら本末転倒だな。」
「う、うるさいわねっ。」
華琳は顔を紅くしながら再びそっぽを向いた。自身の失策を余り認めたくないのかも知れない。
「まあ、俺も来たし少しは安心しろよ。」
「……やっぱり上から目線ね。」
華琳はジトッとした眼をして涼を見る。
先程の事もあるので、涼は苦笑いをしたが、今度は先程と違って追及されなかった。
「……まあ良いわ。十常侍配下の兵士達の実力を見誤って、護衛の兵士達を沢山失ってしまったのは事実だし、ここは貴方の力を借りるしか無い様ね。」
どうやら、自身の失策を素直に認め、状況の打開に乗り出そうとしている様だ。
「じゃあ……取り敢えず、春蘭達との合流を目指しつつ十常侍を捜すってのでどうだ?」
「ええ、それで構わないわ。」
涼の提案を華琳が承諾すると、涼は兵士達にもそう指示を出してから華琳と共に十常侍探索を再開した。
それから数分後、涼達の行く先々には沢山の死体が転がっていた。
殆どは十常侍の兵士達の死体だが、涼達、所謂「諸侯連合」の兵士達の死体も多々あった。
「結構苦戦してる様だな。」
「十常侍の事だから、兵士の数だけは多く揃えていた様ね。」
華琳は表情を暗くしながらそう言った。未だ先程の事を気にしている様だ。
「華琳……ん?」
何か声を掛けようとした涼だったが、進行方向から聞こえてきた音と声に気付き、注意をそちらに向けた。
「誰か戦っている様ね。」
華琳もそれに気付き、同様に注意を向ける。
音は武器と武器がぶつかり合う金属音で、声は打ち合う時の気合いが入った声だ。
涼達の進行方向には二つの道が在る。
一つはこのまま直進する道。もう一つは右に曲がる道。その音と声は右に曲がる道から聞こえてくる。
「戦っているって事は友軍が居るって事だよな。」
「そうね。どうやら春蘭達じゃないみたいだけど、流石に見過ごす訳にはいかないわね。」
涼と華琳は互いに顔を見合わせて意思を確認すると、兵士達と共に右へと進んだ。
するとそこには、偃月刀を振るいながら沢山の敵兵と戦っている一人の少女の姿があった。
「ん……? なんや、誰かと思うたら、曹軍と義勇軍それぞれの大将やない……かっ!」
少女は後ろから来た涼達をチラリと確認しながら、偃月刀を振るって敵兵を一撃で薙ぎ倒した。
よく見れば、少女の周りには敵兵の死体だけが山の様に転がっている。
「……どうやら、助太刀の必要は無さそうね。」
「そういうこっちゃ!」
少女は華琳の呟きにそう答えながら、またも敵兵を一撃で仕留めた。
敵兵は未だ十人以上残っているが、少女との実力差があり過ぎる上に士気も低い様だ。
(そりゃま、たった一人にこれだけやられたら士気を保っていられないよなあ……。)
涼はそう思いながら床に転がっている敵兵を数える。
簡単に数えたから正確ではないが、五十人くらいは転がっている様だ。
最初から一人で戦っているのか、途中で味方と交代したのかは解らないが、敵兵の怯え方から察すると恐らく最初から一人で戦っているのだろう。
そんな相手を前にして、敵兵達が平静を保てる筈は無い。
「う、うわああーーっ‼」
「た、助けてくれーーっ‼」
そんな悲鳴と共に、十人以上残っていた兵士達は蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。
只一人残ったのは、矢でも受けたのか足を怪我している礼服の人物。
「十常侍……!」
「どうやら、敵兵がここに居たのはあの動けない十常侍を護っていた様ね。でも……。」
「その護衛ももう居ない。」
戦う事も、逃げる事もままならない十常侍に、涼は少しだけ同情した。
その十常侍に、少女はゆっくりと歩み寄る。
右手には偃月刀がしっかりと握られ、その刃先からは血が滴り落ちていた。
「やあっと捕まえたで……覚悟せい、高望!」
「ま、待てっ! 話せば解る……!」
「問答無用やっ‼」
少女はそう叫ぶと同時に偃月刀を左上に振り上げ、十常侍の首を斬り落とした。
首から上を無くした十常侍の体は、真っ赤な噴水を撒き散らしながらゆっくりと床に転がっていく。
少女はその噴水の勢いが無くなってから十常侍の首を拾い、偃月刀を掲げながら叫ぶ。
「十常侍の高望は、丁原の武将にして何進の補佐であるこの張遼が討ち取ったで!」
その声はとてもよく通り、宮中全体に轟いたのではないかと思える程だった。
「良かったわね、張遼。これで少しは楽になったのではないかしら?」
少女――張遼に近付きながら、華琳が話しかけた。
張遼は難しい顔のまま答える。
「……どうやろな? コイツ等を殺しても、何進を殺された失態は消えへん。」
「確かにそうね。でも、十常侍を討つ事でその失態も帳消しとはいかなくても、少しは雪げた筈よ。違うかしら?」
華琳は張遼に対して穏やかな眼差しを向けながら話していく。
だが、張遼は尚も難しい顔をしたまま俯いている。
そんな張遼を見た涼は、無意識の内に口を開いていた。
「張遼、俺も華琳と同意見だ。」
「……え?」
そのまま張遼に近付くと、真っ直ぐに彼女の眼を見ながら語り掛けた。
「確かに失態が完全に消える事は無いし、殺された何進は生き返らない。だけど張遼、君は生きているんだからこれから幾らでもやり直せるだろ?」
「やり直せる……。」
張遼は涼の言葉を反芻しながら、ジッと涼の眼を見返した。
因みにその間の華琳は、黙って二人を交互に見ている。
やがて、張遼は一度眼を閉じてからゆっくりと口を開いた。
「……そやな。確かに後悔ばかりしても、それで何進が生き返る訳でも、丁原の旦那が許してくれる訳や無い。それに、いつ迄もウジウジすんのはウチの性に合わんしな。」
そう言った張遼が自然に笑みを浮かべてると、涼もつられて微笑んでいた。
「どうやら、問題は解決したみたいね。……私達は引き続き十常侍達を捜すけど、貴女はどうする? 一緒に来るなら大歓迎だけど。」
「そやなあ……確かにアイツ等をもっと叩きのめしたいところやけど、この首を持ってって何進の部下達に詫びてこなあかんし、遠慮するわ。」
「そう……残念だわ。もう少し貴女の武を見ていたかったのだけど。」
「その内、そんな機会も有るやろ。ほなな!」
張遼はそう言って偃月刀を持つ手を振りながら、出入り口が在る方へ去っていった。
張遼と別れた後、涼と華琳は兵士達を引き連れて十常侍探索を再開した。
だがその間、涼は張遼の事を考えていた。
(張遼……史実通りなら、何れは戦う事になるんだよな……。)
涼は隣に居る華琳を横目で見ながら、そう思う。
(さっきの戦いを見る限り、史実通りに強いみたいだし、手強そうだな……出来れば戦いたくないや。)
心の中で溜息をつく涼。
恐らくだが、さっきの敵兵の死体の山は張遼一人で作り上げている。
幾ら敵兵の練度が低いといっても、何十人もの相手をたった一人で倒すなど、普通は出来ない。
だが、彼女は涼の世界の「三国志」に登場する名将、張遼と同じ名前を持ち、その名に恥じない実力を敵兵と涼達に見せつけた。
(けど、今の所基本的には史実通りに話が進んでる……なら、やっぱり避けられないのかな……。)
なまじ「三国志」に詳しいだけに、涼は頭を抱えている。
因みに、張遼については強さ以外でも頭を抱えそうだが。
(……何でサラシに羽織袴なんだろう?)
張遼の外見を思い出しながら、涼は顔を紅くする。
張遼は胸にサラシを巻いて青い羽織を肩から羽織り、黒い袴に下駄を履いていた。
そんな服装なので、肌の露出度はかなり高い。
涼と同年代らしい彼女は胸も結構大きいので、思春期真っ只中の涼は目のやり場に困っていた。
(出来るだけ意識しない様にしてたけど、居なくなってから余計に意識するなんて……何やってんだ、俺。)
そう自己嫌悪しながらも、涼は表面上は平静を保っていた。
因みに、張遼の外見について補足すると、腕に朱色のベルトの様な物を交叉状に巻き、手には同色の篭手型指抜き手袋をはめ、紫の長髪は前髪の真ん中を逆立て、後ろ髪はトゲ付きの大きな輪っかで逆立てる様に留めていた。
何だか任侠映画に出てきそうな格好だった。
(あと、何故張遼は関西弁を話してたんだ? ……まあ、それを言ったら文章は漢文なのに日本語が通じてるのも変だけど……。)
涼は今更ながらの疑問を思い浮かべ、口元に手を当てながら考え込む。
基本的には楽天家な分、一度気になるととことん気になる様だ。
だがそれも、元気が良過ぎる声が聞こえた事で強制終了となった。
「あ、おーい、アニキーっ!」
「文ちゃん、緊張感無さ過ぎだよう……。」
声がする方を見ると、豪快に手を振る猪々子と溜息をつく斗詩の姿があった。
袁紹の部下である二人を見た華琳は余り良い顔をしなかったが、涼が二人の許へと歩を進めた為に仕方無くついていった。
涼と華琳もそうだが、猪々子と斗詩の二人もまた衣服に血が付いていた。
だがそれは怪我をしたからではなく、敵兵の返り血を浴びたからである。
「猪々子、斗詩、こんな所で突っ立ってて何してんだ?」
涼がそう訊ねると、猪々子は先程とは対照的な表情になり、いつの間にか斗詩も真剣な表情になっていた。
「それが……。」
「見つからないんです。」
「見つからないって、十常侍が?」
涼がそう答えると、斗詩は「それもありますが……。」と言うと暫く俯いてから話を続けた。
「何太后とその御子息であらせられる弁皇子、そして亡き王美人の遺児であらせられる協皇子。この御三方の御姿が見えないんです。」
「……それ、本当なの?」
涼達の会話を静かに聞いていた華琳が、驚いた表情のまま斗詩に訊ねる。
その問いに斗詩はコクンと頷いて答えると、真剣な表情のまま二人に向かい、話を続けた。
「猪々子が十常侍を討ちに行っている間、私は御三方を捜していたのですが、宮中のどこにもいらっしゃらないんですよ。」
「宮中の全てを調べたの?」
「流石に全部って訳じゃないですけど……予め麗羽様から聞いていた場所は、全て調べました。」
司隷校尉という役職に就いている袁紹は、それなりに宮中の事に詳しい。
因みに司隷校尉とは、元々は皇帝の親族を含めた朝廷内の大臣を監察する役職の事であり、現在ではそれに加えて帝都(現在は洛陽を指す)周辺の守備及び行政を担当する様になっている。
「麗羽が伝え忘れている場所が在ったりしないわよね?」
「無い……と思いますけど……多分。」
華琳の質問に苦笑しながら答える斗詩。
涼は「多分じゃダメだろう」とツッコミたい気持ちを抑えながら、斗詩に提案する。
「なら、袁紹本人に訊くのが良いと思うけど? ……袁紹は未だ正門前に?」
「麗羽様なら……。」
「私がどうかしまして?」
涼の問いに斗詩が答えようとすると、涼達の後ろから袁紹の声が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、そこには兵士達を引き連れた袁紹の姿があった。
よく見ると、近くには寡黙そうな雰囲気を漂わせる長身の少女を伴った袁術の姿も見える。
「……二人共、何故ここに?」
正門前に留まっていた筈の二人を見ながら涼は訊ねた。
「そんなの決まってますわ。顔良さんからの伝令が、火急の用が出来たので直ぐに来て下さいと伝えてきたので、部下想いの私が飛んできましたのよ。おーーほっほっほっ!」
「妾は七乃達が心配なので来たのじゃ!」
自慢げに高笑いをする袁紹と、訊かれる前に明るく答える袁術に、涼は軽い頭痛を覚えていた。
因みに、隣に居る華琳も同様に頭を押さえている。
「ま、まあ……来てくれたのは助かるよ。……斗詩、あとお願い。」
「あはは……お疲れ様です。」
涼は匙を投げて斗詩に託す。
斗詩もまた苦笑していたので悪いとは思ったが、慣れない自分が対応するよりは、いつも側に居る斗詩の方がスムーズに話が進むと思っていたのも事実である。
そしてその期待通りに、斗詩は袁紹に事の次第を説明し、袁紹の協力を得る事に難無く成功する。
「宮中には、万が一に備えての抜け道が在りますわ。全ての出入り口に兵士を配置しているのに発見報告が無いのでしたら、十常侍達は何太后達を連れてそこを通ったに違いありませんわね。」
というのが、斗詩の説明を受けた袁紹の言葉だった。
先程高笑いをしていた人物とは思えない程、今は真剣な表情になっている。
(そんな顔が出来るなら、最初っからやれば良いのに……。)
涼は袁紹を見ながらそう思った。
因みに袁術はよく解っていないのか、長身の少女が事細かに説明しているのを黙って聞いていた。
「けど、何太后達を連れて逃げるとなれば馬車が必要でしょう? その抜け道はそんなに広いの?」
「帝や皇族の為の抜け道ですもの、馬車が通れるくらい大きいのは当然ですわ。」
華琳の疑問に袁紹がふんぞり返って答える。「何故お前が威張る?」と言うツッコミをしたくなった涼だが、何とか我慢して話の先を促した。
「なら、急いだ方が良いんじゃないか?」
「そうね。……麗羽、その抜け道は何処に在って何処に通じているの?」
「抜け道の入り口は裏庭の一角に在って、洛陽の外……確か北西の山中に通じていた筈ですわ。」
華琳の再びの質問に、袁紹は記憶を探りながら答えた。
この時代に馬車で通り抜けられる程の大規模な抜け道が在る事に、涼は内心驚いている。
(けどまあ、ここは俺が居た世界とは違う世界だし、元の世界と同じ様に考えるのは間違ってるのかもな。)
そう結論付けた涼は伝令に馬を連れてくる様に命じ、追跡開始迄暫く休む事にした。
数分後、伝令を受けた雪里が涼達の馬を連れてやってきた。
涼は雪里から馬を受け取ると直ぐに騎乗し、華琳達も残りの馬に跨っていった。
「有難う、助かるよ。」
「いえ。それよりも早く追撃に向かって下さい。宮中の探索は私が引き継ぎます。」
「なら、秋蘭を置いておくから好きに使ってちょうだい。」
雪里が馬上の涼と話していると、やはり馬上の華琳が雪里にそう提案する。
驚いた雪里は暫く考えてから尋ねる。
「……良いのですか、曹操殿?」
「ええ。貴女の実力は知っているけど、優秀な人材が居なければその才を十二分に発揮出来ないでしょう?」
「……解りました。では、序でに荀彧殿もお借りして宜しいでしょうか?」
「勿論構わないわ。私の右腕であるあの子を驚かせるくらいに、その実力を発揮してちょうだい。」
「解りました。」
雪里はそう言うと華琳に向かって平伏して正門へと戻ろうとし、華琳は伝令に今決まった事を秋蘭と桂花に伝える様指示を出した。
これで何太后達と十常侍達の探索に移れる、と、誰もが思っていた。
「なら、芽依も一緒に連れて行くと良いのじゃ!」
袁術が脳天気な声でそう言う迄は。
「……えっと……誰を連れて行けと仰ったのでしょうか、袁術殿?」
雪里は小さく溜息をついてから振り返り、出来るだけ笑顔で袁術に訊ねた。
「じゃから芽依を連れて行けと言っておるじゃろ?」
「あの……真名で言われても私には誰の事か解らないのですが。」
「おお、それもそうじゃな。では芽依、自己紹介をせい。」
「はい……。」
袁術に促されて、芽依と呼ばれた長身の少女がゆっくりと前に出る。
その後、雪里にだけ聞こえる声量で「済みません。」と言ってから、少女は自己紹介を始めた。
「私が“芽依”こと橋蕤、字は士保です。袁術軍では張勲と共に袁術様の補佐をしています。」
「……御丁寧にどうも。私は徐庶、字は元直。劉備・清宮軍で軍師を務めています。」
長身の少女――橋蕤が自己紹介をしたので、雪里も簡単に自己紹介をした。
その際に雪里が橋蕤の顔を見てみると、何だか申し訳無さそうな表情をしていた。
自身より遥かに背が高いのに、全く威圧感が無いなと雪里は思った。
(……唯一迫力が有るのは胸だけですか。)
表情には覇気が無く、体格は細身だが、胸は存在感を示すかの様に高くそびえていた。
(桃香様より少し小さいけど……これは。)
雪里は目の前の少女と自身の胸を見比べ、色々と思う。
因みに、橋蕤の外見を更に詳しく言うと、紅く長い髪は膝迄伸びており、左耳には蒼いピアス。
眼の色は茶色で、少し伏せ眼がち。
ちゃんと運動しているのか疑問に思う程、肌は白く、腕も足も腰も細い。
服装は肌の色と対照的な黒一色のツーピース。スカートの下にはやはり黒のガーターベルトとニーソックス。靴は張勲と同じ白いブーツを履いていた。
左腰にはやはり張勲と同じデザインの剣を下げているが、少し長い様だ。
(武器を持っているという事は武官なんでしょうか? ……全然武官っぽく見えませんが。)
観察を終えた雪里は、橋蕤についての感想を心の中でそう述べた。
その後、袁術に「芽依は役にたつぞよ。」と太鼓判を押された橋蕤を連れながら、雪里は正門へ戻っていった。
「……じゃあ、そろそろ行こうか。」
雪里達が戻っていくのを確認しながら、涼は誰に向けるでもなくそう言った。
溜息をつきながら華琳達がそれに同意し、馬を進める。
いつの間にか、宮中は静かになっている。
一部を除き、それに気付いた者は皆、再び溜息をついた。
左右に斗詩と猪々子を連れた袁紹が先頭を進む。この中で抜け道を知っているのは袁紹だけなので、当然ではあるが。
だが、斗詩を除いた袁紹達や袁術達以外は、半ば諦めた表情になっていた。
「時間がかかり過ぎたな……。」
「そうね……馬を連れてくるのにかかった時間は兎も角、その後の橋蕤の件は要らなかったわ。」
袁紹達の後方を走る涼がそう呟くと、併走している華琳も同意する。
その後ろでは、袁術を前に乗せた張勲が馬を走らせている。何だか御機嫌そうである。
「ほん……っと、袁家の人間は碌な事しないわね。」
「アハハ……まあ、今更言っても仕方無いよ。今は兎に角急ごう。」
「……そうね。」
華琳はそう言うと、馬の速度を速めようとして手綱を握り直した。
その時、進行方向の物陰から武器と武器がぶつかり合う金属音と、それに伴う戦士達の咆哮が聞こえてきた。
「この声は……愛紗達!?」
「春蘭の声もするわ!」
仲間の声を聞いた涼と華琳は、直ぐ様馬を走らせ、前を行く袁紹達を追い抜いていく。
そのままの勢いで角を曲がると、そこには十常侍の兵達と戦っている時雨、翡翠、春蘭、そして愛紗の姿があった。
涼達が着いた場所は広くて緑が多い庭で、愛紗達の兵士と十常侍達の兵士が入り乱れて戦っていた。
時雨は四方から斬りかかってきた敵兵を大剣の一振りで薙ぎ倒し、春蘭もまた、片刃の大剣を振り下ろして周りに居る敵兵を次々と一刀両断にしている。
愛紗は愛紗で、自身の身長を超える長さの偃月刀を片手で軽々と扱いながら右へ左へと動き回り、次々と敵兵を斬り捨てていった。
「皆、大丈夫か!?」
聞かなくても解るが、涼はそう言いながら馬を進め、敵兵を斬り倒す。
「あ、義兄上!?」
「遅いぞ! ……って、何故曹操が一緒に居るんだ!?」
「何、華琳様だと!? 華琳様、ここは危険ですからお下がり下さい‼」
涼達に気付いた愛紗達は、皆一様に驚きながらも、目の前や周りに居る敵兵を確実に倒していく。
「気遣いは無用よ春蘭。これしきの相手を倒せなくて、曹家を継ぐ者と言えようか!」
(……さっき苦戦してたのはどこのどいつだよ?)
春蘭にそう言いながら敵兵を斬り倒す華琳に、涼は心の中で突っ込んだ。
わざわざ言う事では無かったから口に出さなかったのだが、本当に言ったら華琳に斬られそうな気がしていたというのも理由ではある。
その証拠に、殺意がこもった華琳の視線が涼の背中に突き刺さっている。
更に、今は春蘭も居るのだから、下手したら大怪我じゃ済まないかも知れない。
十常侍を倒すのが先決なのに、味方同士で争う訳にはいかないので、涼の判断は正しいだろう。
「覚悟っ!」
そう思っていると、進行方向奥から翡翠の声が聞こえてきた。いつもの穏和な声とは違う、どこか凄みのある声だが、間違いなく翡翠の声だった。
涼が目を向けると、そこには大きな斧を振り上げた翡翠の姿がある。
「ひいっ!」
悲鳴をあげたのは十常侍だった。あれから大分時間が経っているのに、未だ宮中に残っていた事に涼は驚いている。
だがそれ以上に、あの翡翠が自身の上半身と同じ大きさの刃を持つ斧を軽々と扱っている事に、一番驚いた。
ズシャッ。
その斧で十常侍の首が斬り落とされる。肉が切り裂かれる音が聞こえた。首の骨が砕ける音が聞こえなかったのは、首の関節を綺麗に斬ったからか、斧が地面に着いた時の衝撃音が打ち消したからだろうか。
いずれにしても、十常侍の一人はたった今討ち取られた。
「十常侍の一人、張恭は盧植軍の大将である私、盧植が討ち取りましたわ!」
翡翠は斬った十常侍の首を掴んで近くに居た部下に渡すと、涼達に向かって叫んだ。
「清宮様、華琳さん、残りの十常侍は二人の皇子と共に、この先の抜け道を通って行きました! ここは私達に任せて、急いで追い掛けて下さい‼」
「解りました! 行くよ、華琳‼」
「ええ‼」
そう言って涼と華琳は共に馬を走らせ、翡翠の前方に在る抜け道と思われる地下道へと向かって行った。
「ちょっと、清宮さんに華琳さん! ここ迄案内した私達を置いていくなんて許しませんわよ! 顔良さん、文醜さん、私達も行きますわよ‼」
「あ、麗羽さん達はここに残ってくれませんか?」
「えっ!? な、何故ですの、翡翠様!?」
涼達を追いかけようとして馬の手綱を握り直した袁紹だったが、翡翠の思い掛けない要請に戸惑い、危うく落馬しそうになった。
「麗羽さんは司隷校尉という役職に就いていますよね? ですから、ここに残って私と共に今回の事後処理を手伝って下さい。」
「で、ですが、黄巾党の乱で北中郎将として活躍し、現在は尚書という役職にある翡翠様なら、私が手伝わなくとも……。」
「けど、今は少しでも人手が欲しいんですよ。……駄目でしょうか?」
翡翠は温かい笑顔を袁紹に向けながら頼み込む。
数多く居る官軍の将の中でも、実績・名声共に抜きん出ている盧植――翡翠に懇願されて、断れる者はそう居ない。
「翡翠」という盧植の真名を呼ぶ事を許されている袁紹なら、尚更断れないだろう。
更に翡翠は、切り札というべき言葉を投げ掛ける。
「それに、先程保護した何太后は帝に続いて姉を失った事で憔悴しておられます。そんな何太后を元気付けてあげられるのは、何進大将軍の友人であった麗羽さんだけなんです。」
「何太后は御無事なんですの!? ……解りました、ならば私、袁本初は盧植将軍の要請を受けさせて貰いますわ。」
「頼りにしてますよ、袁紹殿。」
翡翠がそう言うと、袁紹は下馬して翡翠に対して恭しく平伏し、斗詩と猪々子もそれに倣った。
それから、翡翠の指揮の下、盧植軍と袁紹軍の兵士達は共闘して十常侍の兵士達を倒した。
また、その間に袁紹達が乗ってきた馬は愛紗、時雨、春蘭が乗る事になり、三人は直ぐ様涼達の後を追い掛けて行った。
因みに、袁術は敵味方の死体を沢山見た為に卒倒し、張勲によって宮中へと戻されていた。
彼女達は一体何をしに来ていたんだろうか。
袁術達がそんな状態の頃、涼と華琳の二人は必死に馬を走らせ、抜け道を駆けていた。
抜け道は、上下左右が石畳や石垣になっており、長い間使われていなかったからか、空気は湿っていた。
只、壁に付けてある松明には火が灯っており、暗い抜け道を朧気に照らしていた。
逃げている十常侍達に火を灯す暇があったのか疑問だが、どうやら松明の一つに火を点けると全ての松明に火が点く仕掛けになっている様だ。
もっとも、涼達がそれを知るのは暫く後の事になるのだが。
「……あれだっ!」
「思ったより離れていなかったわね。きっと、翡翠様達が足止めしてくれたお陰ね。」
前方を行く馬車と護衛の騎馬兵達の姿を確認し、涼と華琳は馬の速度を更に速める。
馬車は馬に車を引かせる乗り物だから、馬に直接乗っている涼達と比べたら明らかに速度が落ちる。
その分、二頭で一台の馬車を引いているが、それでも複数の人間が乗っている分どうしても遅くなってしまうのだ。
そんな中、護衛の騎馬兵達がこぞって反転し、涼達に向かって突進してきた。
「……! こっちに来るぞ!?」
「どうやら足止めと始末に来た様ね。気をつけなさい、涼!」
「お前もな、華琳!」
二人はそう言いながら、自身の武器を構える。
それから暫くの間、辺りに金属音が響き渡った。
実力で勝る涼達によって、敵兵は次々と倒されていく。
それでも涼達の表情は曇っていた。
「ちぃ……っ! 未だ居るのかよ‼」
「本当に兵の数だけは多いわね……。」
共に馬上で武器を構え、目の前の敵と対峙する涼と華琳。
その二人の周りには、物言わぬ敵兵達が無造作に転がっている。その数は十や二十では足りない。
だが、目の前に迫ってくる敵兵はそれよりも多かった。
「でええいっ‼」
それでも涼は剣を振るって敵に向かい、
「はああっ‼」
華琳は鎌を振るって敵に立ち向かう。
敵の返り血で顔や服が汚れても気にせず、只敵を倒し続けた。
だが、数的不利の状況では疲労が溜まっていき、段々と動きが鈍くなっていく。
「くっ……! 華琳、一端下がるぞっ! このままじゃやられちまうっ‼」
「馬鹿を言わないで! ここで退いたら私達は逆賊に仕立て上げられるのよ‼」
涼の提案を一蹴しながら武器を振り続ける華琳だが、その額からは汗が流れ落ち、呼吸も乱れている。
それは涼も同じで、流れる汗は拭っても拭っても乾く事は無い。
「そんな事は解ってる! けど、死んだら何にもならないだろ‼」
「ならば貴方一人で逃げなさい! 私は、敵に後ろを見せるくらいなら誇り有る死を選ぶわ‼」
敵兵を斬りながら華琳はそう言い切った。
涼はそんな華琳の決意を聞きながら、複雑な表情を浮かべる。
確かに、惨めに生きるより志に殉じる方が良いという考え方もあるだろう。例えば、日本も武士や侍が居た時代は、まさにそんな考え方が普通だった。
だが、涼は武士や侍が居た時代の人間ではなく、平和な、そして自由な時代の人間だ。
だから、華琳の意志を理解する事は出来ても、同意する事は出来ない。
「……きゃっ!」
そう思いながら敵を倒していた涼に、華琳の悲鳴が聞こえてきた。
見ると、華琳は落馬している。
彼女が乗っていた馬は顔や首に矢を受けており、よろめきながらゆっくりと倒れた。
どうやら、馬が矢を受けた事で暴れた為にバランスを崩し、落馬してしまった様だ。
だが、流石は華琳と言うべきか、落馬による負傷はしていない。
もっとも、確実に着地する為に武器を手放してしまったらしく、今の華琳は丸腰だった。
そんな状態の華琳を、敵兵が見逃す筈も無かった。
敵兵の刃が華琳に迫る。
着地したばかりな上に丸腰の華琳には、防ぐ事も避ける事も出来ない。
迫り来る死に、華琳は思わず目を閉じた。
(ここ迄、か……無様ね……。)
華琳は自嘲しながら死を受け入れようとする。
(…………?)
だが、彼女がいつ迄待っても死は訪れない。
代わりに聞こえてくるのは、剣と剣がぶつかる音と敵兵達の断末魔。
華琳は恐る恐る目を開ける。
そこには、馬上で剣を振るって敵兵を薙ぎ倒す涼の姿が在った。
「……じゃないか。」
「え……?」
涼が不意に呟いた言葉を聞き取れず、華琳は聞き返す。
すると涼は、一瞬だけ華琳を見てから迫り来る敵兵を斬り倒しながら答える。
「誇り有る死を選ぶとか言っても、本当は死にたく無いんじゃないか?」
「そんな事は……!」
「なら、何で今お前は目を閉じていたんだよ? 死ぬのが嫌だから、直視出来なかったんじゃないか?」
「……っ!」
涼は敵兵を倒しながら、後ろに居る華琳に対して段々と語気を強めながら訊ねる。
そんな涼に華琳は何も言い返せず、只目を逸らす事しか出来なかった。
その時、華琳の遥か後方から、複数の馬が走ってくる音が聞こえてきた。
「後ろから!? 一体誰が……っ!?」
「少しは落ち着けよ、華琳。」
指摘されて動揺しているのか、華琳は振り返りながら慌てて武器を拾う。
そんな華琳に苦笑しながら、涼は冷静に言った。
「後ろから来るって事は……味方って事さ。」
笑みを浮かべながらそう言うと、それを証明するかの様に声が届く。
「義兄上、御無事ですか!?」
「桃香が悲しむから、死んでても死ぬな‼」
「華琳様ーーーっ‼」
声の主である愛紗、時雨、春蘭の三人がそれぞれ馬に乗って駆けながら二人に近付いてくる。
そしてそのまま、涼と華琳に襲いかかっている敵兵達に向かって叫んだ。
「我が義兄にして我が主に刃を向けるとは言語道断! 我が青龍偃月刀で、その罪ごと叩き斬ってくれようぞ‼」
「コイツに何かあったら桃香が悲しむんだ。だから、間接的とは言え桃香を悲しませようとしたお前達は、俺がぶっ倒してやるぜ‼」
「華琳様の敵は全てこの私、夏侯元譲が地獄に叩き落としてくれるわ! 貴様等全員、そこになおれいっ‼」
愛紗達の叫びが抜け道中に響き渡り、敵兵達を萎縮させていく。
たった三人の増援だが、敵兵達の勢いを削ぐには充分だった。
結果的には、勢いを削ぐどころか殆ど全滅させていた。
「華琳様、御無事ですか!?」
「ええ、涼のお陰で命拾いしたわ。」
そんな彼女達は今、短い休息を兼ねて互いの無事を確認している。
「そうでしたか……。清宮、よく華琳様を助けてくれた。礼を言わせてくれ。」
「そんな、大した事じゃないよ。仲間を助けるのは当然だしさ。」
「だが、当然の事が出来ない者も居るのにそれを出来るのは、充分に大した事だと思うぞ。」
春蘭が真面目な顔でそう言ったので、涼は素直にその礼を受けた。
「義兄上、そろそろ追撃を再開しないと逃げられます。」
会話が一通り終わると、愛紗が急かす様に言ってきた。
実際、皇子達と共に逃げた十常侍の馬車が視界から消えて久しい。
急がなければ逃げられてしまうのは明白だった。
「関羽の言う通りね。涼、貴方は関羽、田豫と共に先に行って頂戴。」
「それは構わないけど……華琳達はどうするんだ?」
「私も行きたいけど……。」
涼が尋ねると、華琳は表情を曇らせながら右足首を見せた。
見ると、右足首は真っ赤に腫れ上がっていた。
「着地の際に挫いていた様ね……。今頃になって痛んできたわ。」
華琳はそう言うと、腫れている右足首を優しく撫でた。
因みに春蘭はそんな華琳を心配してオロオロしている。
「……解った。俺達は先に行くよ。」
「頼むわ。私も手当てをして動ける様なら直ぐに追いつくから。」
「ああ。けど、無理をするのは良くないぞ。」
「心配してくれるのなら、無理しないといけない状況にはしないでほしいわね。」
「そうするよ。……それじゃ、愛紗、時雨、行くよ!」
「「はっ‼」」
笑顔で華琳に応えた涼は、瞬時に表情を引き締めて乗馬すると、愛紗と時雨――田豫を引き連れて駆け出していった。
華琳と春蘭は、そんな涼達の姿が見えなくなる迄見送った。
「……大丈夫ですか?」
暫くして、春蘭が心配そうな表情で尋ねた。
「ええ、痛むけど何とか歩く事は出来るわ。」
「いえ、勿論足の具合も心配ですが、今のはそちらではなく……。」
「?」
華琳は春蘭が何を言いたいのか解らず、キョトンとした表情でその顔を見返す。
「……清宮達に手柄を譲らなければならなくなった事です。」
「ああ……。」
華琳は春蘭が言いたい事を漸く理解した。
ここで手柄を立てると立てないでは、大きく意味が違うからだ。
「もし華琳様が残りの十常侍を倒し、二人の皇子を助けだしたなら、今回集まった諸侯の中で一番の評価を受けていた筈です。」
「そうね……それについては確かに残念だわ。……でもね。」
春蘭の言葉を肯定しつつも、華琳の声や表情は毅然としており、足を痛めているのに立ち居振る舞いも崩れていない。
「これはたかが一度の好機を逃しただけ。未だ私の……私達の名を上げる機会は何れ必ず来るわ。」
「華琳様……。」
華琳は涼達が進んだ暗闇の先を見据えながらそう言い、春蘭はそんな華琳をウットリとした目で見ている。
「それにしても……まさか春蘭に指摘されるとは思わなかったわ。」
「わ、私だって曹軍の武将ですから、それくらいは出来ますっ。」
「フフ……解ってるわよ、春蘭。」
妖しい笑みを浮かべながら、華琳は春蘭の頬を撫でる。
その結果、既に紅潮していた春蘭の頬は、更に赤味を増した。
「……そう言えば、私が乗ってきた馬は死んでしまったのよね。春蘭が乗ってきた馬に乗せてくれるかしら?」
「も、勿論です華琳様!」
その後、華琳は春蘭が乗ってきた馬に乗せてもらい、来た道を戻っていった。
その頃、涼達は漸く十常侍が乗っている馬車を捉えた。
「やっと追い付いた……このまま一気に行くぞ!」
「「はっ‼」」
涼は併走する愛紗と時雨に声を掛けると同時に、手綱を上手く捌いて馬を速め、馬車との距離を詰める。
馬車の周りに居る兵の数は余り多くなく、こちらに向かってくる者も居ない。
そんな中、馬車の前方から突然光が漏れてきた。
「……出口か!?」
「どうやらその様です。……まずい!」
「彼奴等、出口を塞ぐ気か!?」
馬車が光の先へ進むと、残った二人の敵兵が出口を閉じ始めた。
このままでは閉じ込められて、追撃出来なくなるのは確実だ。
「そうは……させねーぜ!」
時雨はそう叫びながら、自身の大剣を前に向かって思いっきり投げ飛ばした。
「ぐわっ!」
その大剣は残っている敵兵の一人の体に突き刺さり、命を奪った。
「やるな時雨! ……ならばっ‼」
時雨に刺激されたらしい愛紗もまた、もう一人の敵兵に向かって偃月刀を投げ飛ばす。
「がは……っ!」
そして、その偃月刀もまた、もう一人の敵兵の喉笛を貫き、その命を絶つ。
これにより、涼達は閉じ込められる危機を脱する事が出来た。
「先に行ってるよ!」
倒した敵兵に刺さったままの武器を回収する愛紗と時雨を横目に、涼は出口に飛び込んでいく。
「……っ。」
出口はどこかの山道に通じていた様だが、暗闇から急に明るい場所に出た為に眩しく感じた涼は、思わず目を閉じる。
それでも馬を走らせ続けられたのは訓練の賜物であり、十常侍を逃がさないという意思の表れだった。
そのお陰か、涼の目が光に慣れてきたのとほぼ同時に、十常侍の馬車を再び視界に捉えた。
そんな涼に気付いた敵兵達は、慌てながら馬車の中に居る十常侍に報告をしている。
「趙忠様、未だ追っ手が来ています!」
「くっ……しつこい奴等だ! 今来ているのはどんな奴だ!?」
「頭巾が付いた白き衣を身に纏った、黒髪の少年です!」
「何っ!?」
兵からの報告を受けた十常侍――趙忠は驚きを隠せないらしく、慌てながら再び確認する。
「そ、そいつはもしや、噂に聞く“天の御遣い”とやらか!?」
「お、恐らくそうかと……。」
「お、終わった……。」
再確認の末、趙忠は絶望した。
十常侍の一人である趙忠は、「天の御遣い」である清宮涼が、黄巾党の乱を鎮めた立役者の一人である事を知っている。
また、只強いだけでなく公明正大で、不正は絶対に許さないらしい。
約三ヶ月前、黄巾党の乱鎮圧における各武将達の戦功を讃え、恩賞を与える際に、十常侍達は涼達を過小評価していた。
その為、恩賞を与える役目の高官達に命じて、恩賞を与える順番を後回しにしていたのだが、その事に曹操や董卓、更には盧植迄もが異を唱えた為に、慌てて恩賞を与え、その際に恩賞も良いものに変更しようとした。
だが、涼はそんな高官達の態度が気に入らなかったのか、恩賞の交換には頑として応えなかった。
また、個人の武力だけでなく統率力も有るらしく、義勇軍はその殆どが農民の集まりであるにも拘わらず、兵の損耗率は低く、また実力も兼ね備えていた。
勿論それは、関羽、張飛、田豫といった武将、徐庶、簡雍といった軍師を、劉備、劉燕といった劉勝の末裔と共に纏めているからではあるが、裏を返せばそれだけ人望が有るという事だ。
そんな人物が今、自分達を追撃している。
仮に涼を倒せても、彼の部下である関羽達が黙っていないだろう。
その為、趙忠に出来る事は、只ひたすらに逃げる事しか残されていない。
だが、事態はそれすらも出来ない状況になっていた。
「に、逃げろーっ!」
「た、助けてくれーっ!」
突然、護衛の兵士達が悲鳴を上げながら逃げていく。
それにつられてか、馬車を動かしていた兵士も逃げる兵士の馬に飛び乗って一緒に逃げだす。
「ま、待てっ! 貴様等戻らんかっ‼」
趙忠は慌てながらそう叫ぶが、護衛の兵士達は止まる事も振り返る事もせず一目散に逃げていった。
馬を操る者が居なくなった馬車は、暴走するしかない。
悪い事は続くもので、二頭の内の一頭を繋いでいた縄が切れ、そのまま逃走。今迄二頭で動かしていた馬車を一頭だけで走らせられる訳もなく、また慣性の法則も加わって馬車は更に暴走。
遂には馬車の車輪の一つが脱輪し、馬車は横転した。
「し、死んでたまるか……!」
趙忠は倒れた馬車から這い出て必死に逃げようとする。
だが、そんな趙忠の前に、馬に乗って武器を構える少年が立ち塞がる。
「……どこに行くつもりかな?」
「げえっ、御遣い!?」
趙忠はそう叫びながら、尻餅をついて後退りする。その表情は絶望感に支配されていた。
涼は「関羽相手みたいに言うなよ」と思ったが、多分言っても意味が無いだろうから言わなかった。
「漢王朝を腐敗させ、国を乱し、沢山の人々を苦しめ、更には皇子達をも連れ去ろうとしたその罪、お前の命一つで償える程軽くは無いが、かと言って見逃す訳にはいかない。……悪いが、ここで死んでもらう。」
涼は相手を威圧する為に凄んでみせる。
涼を知っている人間なら思わず吹き出しそうな台詞回しだが、涼の名前と風評しか知らない趙忠には効果覿面だった。
「ひいいっ! た、頼むっ、殺さないでくれっ‼」
「……そうやって命乞いをした人達を、貴様等は何人殺してきた? 随分と都合が良い物言いだな。」
趙忠はとても情けなく、保身にしか考えが回っていない。
十常侍として権力をほしいままにしてきた人間が、いざ我が身の危険に苛まれるとこの有り様だ。
そんな趙忠は涼が一番嫌いなタイプであり、見ていると段々と腹が立ち、演技をしなくても自然と言葉や態度に凄みが出る様になった。
「そ、それは全部張譲の指図だったんだ! 俺は悪くねえ‼」
「悪くない? 張譲に荷担して人を苦しめ、殺めた人間が全く悪くないだって? ……ふざけるなっ‼」
「ひっ‼」
「張譲の指示に何の疑問も持たず、人々を苦しめ続けた貴様は罰せられるべきだ‼」
余りにも自己中心的な趙忠の態度を見た涼は、最早我慢の限界だった。
下馬して剣を向けながら近付き、その剣を喉元に突き付ける。
「……殺す前に聞いておく。殺した人達に詫びろ。」
「な、何故俺がそんな事をしなければならな……。」
趙忠がそう言いかけると、涼は黙ったまま剣を少し前に突き出した。
「わ、解った! 悪かったと思ってる、本当だっ‼」
「……良いだろう。なら次は、張譲の居場所を教えろ。」
「し、知らんっ!」
趙忠がそう言うと、涼は更に剣を前に突き出した。
「ほ、本当に知らないんだっ! 彼奴、俺達に何進の首を投げれば諸侯は逃げるとかデタラメ言ったかと思ったら、そのまま居なくなりやがったんだよっ‼」
「……何だって?」
張譲が居ない。その事に涼は途轍もない違和感を感じた。
(張譲が居ないだって……? “三国志演義”だと十常侍の筆頭で、二人の皇子を連れて逃げた筈。ひょっとしてこの世界じゃ違うのか……?)
涼は暫く考え込んだ。考え込み過ぎて、趙忠がゆっくりと後退りしているのに気付かない程に。
そうして一定距離をとると、趙忠はあっという間に逃げ出し、涼から離れていった。
「……あっ!」
涼が気付いた時には、趙忠はかなり離れた場所を走っていた。
慌てて後を追いかけようとするが、馬に乗ってからのほうが良い事に気付き、騎乗してから追い掛ける。
人の速度と馬の速度、速いのはどちらかと考える迄も無い訳で、その距離はみるみる縮まっていく。
それでも趙忠は必死に逃げていたが、突然その走りを止め、立ち尽くした。
「あっ……。」
涼は思わず声を出した。
よく見ると、趙忠の体には見知った武器が突き刺さっている。
その武器は偃月刀。涼の義妹にして大切な仲間の武器だった。
「義兄上、止めを!」
涼を「義兄上」と呼ぶ少女――愛紗。その隣にはやはり仲間の少女である時雨が居る。
涼は愛紗達に頷き返すと、剣を構えながら趙忠に近付く。
趙忠は、体に青龍偃月刀が刺さったままにも拘わらず、倒れず立っていた。
もっとも、傷口からは大量失血しており、致命傷なのは間違い無い。放っておいても何れ死ぬだろう。
「た、助け……っ。」
趙忠は首だけ動かして涼に助けを求めた。
その姿は余りにも哀れで、とても今迄権力を握っていた人物とは思えない。
涼はそんな哀れな男に対し、無言で剣を振り抜いた。
次の瞬間、趙忠の首が飛び、それによって出来た新たな傷口から勢い良く血が飛び出る。
趙忠の体はゆっくりと倒れ、二つの傷口から血溜まりを作っていく。
やがて、体内の血液の殆どを出し終えた趙忠の体は完全に生き物としての活動を停止した。
それを確認した愛紗は、未だに趙忠の体に刺さったままの青龍偃月刀を引き抜き、刃に付いた血を振り落とす。
それから時雨と共に下馬し、揃って涼の前に来ると跪いて平伏し、涼に向かって恭しく言った。
「逆賊の討伐達成、おめでとうございます。これで義兄上の評判、ひいては劉備・清宮軍全体の評判が上がる事でしょう。」
「どうなる事かと思ったが、よくやったじゃねえか。流石は桃香の義兄だな。」
「……ああ。けど、これも二人の、そして宮中や洛陽の外で頑張っている皆のお陰だよ。本当に有難う。」
愛紗に続いて時雨が誉めた後、涼は一瞬反応が遅れたものの直ぐに表情を正し、二人に向かって微笑みながらそう答える。
だが、愛紗はそんな涼の態度を見逃さなかった。
「……どうかなされましたか、義兄上? 何だか不安そうなお顔をなされていますが……。」
「……実は。」
涼は張譲の事を二人に話した。
「……つまり、張譲を見付けないとこの戦いは終わらない、と、義兄上は思っているのですね?」
説明を聞いた愛紗が真剣な表情で確認し、涼は静かに頷いた。
因みに、元の世界での張譲については話していない。混乱する事を避ける為と、何よりここ迄展開が違うと却って話さない方が良い気もしている様だ。
その後、二人の皇子を助ける為に時雨を馬車に向かわせた。
数分後、帰ってきた時雨の両隣には、未だ幼い二人の男の子が居た。
一人は泣きべそをかいていたが、もう一人は毅然とした態度を保っていた。
見たところ、二人共怪我はしていない様だ。
趙忠の死体や首を見た時は流石に二人共驚いていたが、涼達が経緯を話している内に落ち着きを取り戻していった。
因みに、泣きべそをかいていたのが弁皇子で、毅然とした態度を保っていたのが協皇子だ。
霊帝が崩御した今、次の帝は兄である弁皇子がなるのだが、風格等は弟である協皇子の方が上だ。
「三国志」についての知識が豊富な涼は複雑な思いで二人を見つめ、だが何も言わずに二人を連れて洛陽への帰路についた。
張譲の行方は気掛かりなままだが、今は皇子達を洛陽に戻す事が先決だと判断した結果だった。
その頃、その張譲はとある山の中に居た。
そこには、張譲以外にも一人、怪しげな雰囲気を漂わせた人物が一緒だった。
「……そうですか、趙忠が死にましたか。」
「ええ、これで十常侍は貴方を除いて全員が死亡し、邪魔者が居なくなった訳です。これからの貴方の働きに期待してますよ。」
「御期待に応えられる様、尽力します。于吉様。」
張譲は、隣に居る眼鏡を掛けた導師服の男――于吉に対して恭しく平伏する。どうやら張譲の仲間、それも上司にあたる人物の様だ。
「それで、これからどうするつもりです?」
「僕としては、こちらの兵をなるべく損耗したくないので、“新しい兵”を使う予定です。」
「ほう……そしてそれがあの部隊と言う訳ですか。」
于吉は張譲の視線の先に目を向ける。
そこは張譲達が居る山の麓の街道であり、そこには洛陽に向かって悠然と進む大部隊が在った。
「ですが……果たしてそう上手くいきますかね?」
「御心配無く。既に準備を進めていますから問題有りませんよ。」
張譲は自信たっぷりにそう言うと、再び麓を進む大部隊に目を向ける。
その大部隊が掲げている旗には、「董」の文字が記されていた。
第八章「十常字の暗躍」、お読みいただき、有難うございます。
という訳で十常侍の誅殺は成功したのですが、何やら不穏な動きがありますねえ。
既に大まかなプロットは出来ているのですが、筆者が遅筆なもので中々そこ迄進みません。申し訳ないです。
張譲については、外見はアニメ版を踏襲していますが、最後の会話で解る様に、立場は逆です。まあ、アニメ版も結局は同じでしたが。
断章に登場したキャラの一人の名前を今回明かしました。多分、皆さんの予想通りだったと思います。
原作未登場で無印とアニメに出ている珍しい立場のキャラ(他には大喬、小喬等。)ですが、今作ではどういった動きをするでしょうね。
十常侍についてですが、今回確認しててちょとしたミスに気付きました。涼達に次々と討たれる十常侍ですが、何人かは「三国志演義」に登場していないのです。栗嵩や孫璋が該当します。
ホントにちょっとしたミスですが、一応、演義ベースの世界ですから
気をつけたいと思います。
今回のパロディネタ。修正していて気付きましたが、何だか今回は多かったです。
「趙忠……君は良い手駒だったけど、君が馬鹿だったのがいけないんだよ。」→「ガルマ……君は良い友人だったが、君のお父上がいけないのだよ。」
再び赤い人の台詞から。ちょっと苦しいかな?
「右手に天国、左手に地獄! 光になりなさぁぁぁぁーいっ!!」→「ヘルアンドヘブン、光になれえええええっ!」
戦う勇者王の必殺技台詞であり、原作での斗詩の必殺技台詞より。原作に勇者王の中の人が居るのは確信犯なんだろうなあ。
「ま、待てっ! 話せば解る……!」→「話せば解る。」
日本の総理大臣を務め、五・一五事件で暗殺された犬養毅氏の言葉より。実際には落ち着いたまま言ったそうです。
「げえっ、御遣い!?」→「げえっ、関羽!?」
御存じ「横山光輝三国志」から、関羽登場に驚く曹操の台詞。やはり三国志ものにはこのパロディがないとね。
「俺は悪くねえ!!」→「俺は悪くねぇっ!」
テイルズシリーズ10周年記念作品の主人公の台詞より。因みに筆者は3DS版を買いましたが、いまだにこの台詞の所には進んでいません(笑)
次回は今回のエピローグです。比較的短いですが、お楽しみ下さい。
ではまた。
2012年11月29日更新。