何も知らないのなら、口を閉じればいいものを。
侯爵令嬢のローナはよく眠る。
彼女は一国の未来を背負う王太子、アリスターの婚約者。
だがそんな肩書きの事など知らないとでもいうように彼女はとにかく様々な場面で船を漕いでは転寝を繰り返していた。
「いい加減にしてはいかがですか? ローナ様」
ある日の事。
王立魔法学園の中庭のベンチでローナが一人うとうととしていると、公爵令嬢のスージーが厳しい口調でそう言った。
ローナは寝ぼけ眼でスージーを見る。
彼女は取り巻きを引き連れたままローナを睨みつけていた。
「一体何がですか?」
「何が、ですって? アリスター殿下の婚約者でありながら、彼をぞんざいに扱う事よ! 一人の時ならともかく、殿下と一緒に居ながら彼を放って眠るなんて……っ、そんな身の程知らずが殿下の婚約者に相応しい訳がないでしょう!」
「不快な思いをさせてしまったのなら申し訳ありません。けれど、私は何もアリスター様を軽んじている訳ではございません」
「そんな言葉で今更納得できるとでも? ただでさえ貴女のような人間――」
淡々と話すローナの態度は、逆にスージーの気を悪くさせたようだった。
スージーは声を荒げ、ローナを罵倒しようとする。
しかしその時。
「ローナ」
金髪碧眼の見目麗しい青年――アリスターがやって来る。
「一体何の騒ぎだ?」
「あ、アリスター殿下……ッ」
スージーは僅かに狼狽えを見せた。
ローナの態度には付け入る隙があれど、アリスター殿下が何故かローナを慕っているという事実は確かに存在している。
その事を知っていたのだ。
アリスターはローナの隣に腰を下ろす。
すると自分の方に寄り掛かるようにローナを促した。
こてんと頭を預けるローナ。
「な……っ」
スージーの顔が歪む。
「スージー嬢」
ローナはうつらうつらとし、やがてすぐに眠りへと落ちていった。
そんな彼女の顔を撫でながら、アリスターは冷たくスージーを見据える。
「彼女の態度がどうだろうとか……君に発言する資格がない事は理解しているな?」
「で、ですが殿下……ッ」
忠告しようとも食い下がるスージーの様子に、アリスターは深くため息を吐いた。
そして……
「聖女の逸話を知っているか」
「聖女……? 勿論」
アリスターは突然、国の英雄について話を振った。
「古の時に魔王を倒した英雄の一人。人を癒す力を持って生まれた少女……彼女の子孫は今も尚、その血を受け継いでいる。聖女が持っていた力がどれだけ薄れようとも」
アリスターはスージーを睨みつける。
「貴女には、国を任せられる重圧に苦しみ、毎晩悪夢にうなされる者を救えるか」
「え?」
「悪夢を消し、温かな手で触れ、安堵をくれる者がいる――それがどれだけありがたいことか、貴女には分かるか」
「で、殿下、もしかして」
「――彼女だけが、それをできる。俺を救い、守ってくれる」
ローナに触れるアリスターの手はとても優しい。
アリスターの言わんとしている事を悟り、唖然としているスージーへ彼は言い放った。
「お引き取り願えるか? 俺と彼女の事を微塵も理解せず高説垂れるような女――二度と目の前には現れて欲しくないものだ」
泣きながら走り去っていったスージーとそれを追いかける取り巻きの背中をアリスターは見送る。
それから長い睫毛を伏せてあどけない顔で眠るローナを見て、彼はフッと笑った。
ローナは聖女の子孫だ。
ただし、聖女を祖先として持つ有名な家門ではなく、長い年月の間で僅かに血が混ざったに過ぎない家柄。
故に、スージーや他の者がこの事実を知らなかったのも仕方のないことではあった。
ローナには聖女が持っていたとされる悪夢を取り除く力が備わっていた。
幼い頃、悪夢にうなされていたアリスターはローナに出会い、彼女と触れ合う事で自分が悪夢に悩まされなくなること、そして力を使う度に彼女は強い眠気に襲われることを知った。
それから父である国王に事情を話し、彼女を婚約者へ選んだ。
他の聖女の末裔が残せなかった力を、ローナだけが受け継いでいたというのが大きかった。
初めは確かに、彼女の体質目当てだった。
けれど、今は……
「……アリスター様?」
不意に、ローナが目を開く。
そしてアリスターの頬に手を伸ばした。
「夢は……」
「大丈夫、見ていないよ。……君のお陰でね」
「…………よかった」
アリスターは彼女の手にすり寄る。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
寝ぼけている彼女は、昔の夢でも見ていたのかもしれない。
且つて悪夢に苛まれた幼い少年を落ち着かせる時と同じ呪文を繰り返していた。
彼女の黄緑色の瞳とアリスターの碧い瞳が見つめ合う。
それから彼女は……ふにゃりと気の抜けたような笑みを浮かべた。
「まだ授業までは時間があるから、眠っていると良い」
「ありがとう、ございます……」
再び規則正しい寝息を立て始めるローナ。
その寝顔を見つめながら、アリスターは先程のローナの笑顔を思い出していた。
「全く……本当に愛らしい人だな」
長い時をローナと過ごす内、アリスターは彼女に惹かれていった。
そして今、彼にとってローナは何よりも大切な存在となっていた。
……鈍感なローナは、その事に気付いていないかもしれないが。
「愛しているよ、ローナ」
アリスターはローナの額にそっとキスを落とす。
それから、麗らかな日差しとローナの温もりに包まれ、満たされた心地になりながら――
――彼もまた、そっと瞼を閉じたのだった。
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