千夏ルート 十七
―千夏side―
『八月十四日』
夏休みと言っても、部活動は存在する。アタシたち選手は自由参加だが、今日は結翔と共に参加していた。
「まあまあ仕上がってきたって感じだけど、どうにも勝率が安定しないな」
「大抵のデッキには勝ち越してるけど、ミッドレンジ寄りのデッキタイプがちょっと厳しいな」
コントロール対面はまず落とさなくなっていたし、ミラーマッチだって今のアタシに勝てるプレイヤーはそう多くないだろう。
問題なのは、中速でそれなりなサイズのガーディアンを並べてくるミッドレンジだ。
桂木のミッドレンジを相手に、勝率は六割弱といったところ。白栞のオガビと戦ったら、きっとまだ勝てない。
「もっかいやろうぜ結翔、次こそ何か掴める気がする」
「さっきも同じこと言ってたぞ」
♢♢♢
少し喉が渇いたので、廊下の自販機まで一人で向かった。
コーラのボタンを押して、缶を取り出す。
プルタブを引くと、炭酸の抜ける音と共に独特な甘い香りが漂った。
「またコーラ?好きだね、昔から」
振り向くと、白栞が壁に背中を預けて立っていた。
いつの間に来てたんだ。
「たまたまだよ」
「そうかなあ」
白栞は自販機のラインナップをのんびり眺めながら、いちごオレを買った。
二人並んで廊下に立つ。窓から差し込む夏の日差しが眩しい。
「練習、順調そうじゃん」
「まあな。結翔のおかげで、だいぶ手応えはある」
「もう。本番まで結翔を独占したかったのになー」
白栞はいちごオレを飲みながら、ふふっと笑った。
アタシはコーラを一口飲むと、押し黙る。
沈黙が続いた。白栞も何も言わない。
「……アタシは、ずっと逃げてきた。白栞との決着から、ずっと」
自分でも、なぜこのタイミングで言ったのか分からなかった。
白栞は特に驚いた様子もなく、ストローを口から離した。
「知ってるよ。あの日も来てくれなかったし」
「……悪かったな」
「寒かったんだよー、あの公園」
おどけた声で言いながら、でも白栞は笑っていなかった。
アタシはもう一口コーラを飲む。
「……私と、戦えるの?」
白栞の声から、いつものふわっとした感じが消えていた。
「ああ」
白栞はそれを聞いて、また柔らかく笑った。さっきとは違う笑い方だった。
「ふうん。楽しみにしてるよ」
それから少し間があって、白栞は続けた。
「そうそう。直接対決できるかも分からないじゃない。もし当たらなかったら、順位の高かった方が勝ちってことでどう?」
白栞の目はまっすぐアタシを見ている。
いつもの冗談とは違う。こいつが本気の時の目だ。
「そろそろちゃんと結翔を手に入れたいの。あんな感じじゃ全然伝わってないかもしれないし。本気でやるから、千夏も本気でやってよね」
あの日、アタシが逃げて宙に浮いた約束は、まだ生きているのだ。
結翔へは充分にアプローチしているようにも見えたが、どうやら白栞なりに遠慮があったらしい。
「今度は逃がさないからね」
そう言って、白栞は廊下を戻っていった。
歩き方もいつも通りで、自信に満ちた姿勢で真っ直ぐに立ち去る白栞は、こちらを振り返りもしない。
アタシは一人廊下に立ったまま、残りのコーラを飲み干した。
「分かってる。もう逃げないさ」
♢♢♢
部室に戻ると、白栞の姿は無かった。
どうやら帰ったらしい。
結翔はスマホをぼんやり眺めてアタシを待っている様子だった。
「結翔、荷物持ってこっち来てくれ」
部室ではイマイチ集中しきれない。
煩雑な部室より静かな場所の方がデッキにも向き合いやすい。
「なんだよ急に。どこ行くんだ」
「いいから来い」
フロアを一つ上がると、手頃な空き教室のひとつに入り、机を二つ向かい合わせる。
「やるぞ。追い込みだ」
「まだやるのかよ。まあ、いいけど……」
何か言いたそうな様子だったが取り合わずにデッキを机に置く。
既に賽は投げられた以上、今は少しの時間も惜しかった。
対戦を始めてすぐ、自分でも分かるミスが出た。
「……今のは悪手だったな」
「千夏にしてはらしくないな。それに目のクマ、ひどいぞ」
言われてから気づく。ここ数日、睡眠時間はいつもより削っていた。
誤差かと思っていたが、どうやら隠せるほどじゃなかったようだ。
「ちょっとは休めよ」
「いや、大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ、見てみろよ」
結翔がアタシの顔の前に手鏡を出してきた。
なんで持ってんだそんなもん。
しかし、鏡に映る自分の目元は、確かにひどいものだった。
「少し寝ろ。横になれ」
「はあ?」
「いいから」
結翔は椅子を二つ並べ、有無を言わさない様子で手招きしてくる。
アタシは渋々椅子に横になった。
「少し寝ろ」
「寝れるかよ。首も頭もいてえ。ったく……」
せめて鞄でも枕代わりにしようと目をやると、結翔が並んだ椅子の一つに腰掛けた。
「ほら。こっちこい」
「はいはい」
意図を理解すると、結翔の膝の上に頭を乗せた。
「これなら良いだろ」
「……ん。ちょっとマシかも」
正直に言うと、かなりマシだった。でもそれ以上は言わない。
しばらく天井を眺めていた。グラウンドからは運動部の声が聞こえてくる。
「なあ結翔。アタシ、勝てるかな」
白栞の言葉が、頭の中でまだ繰り返されていた。
覚悟は決めているつもりだが、長年逃げてきたものと向き合うのには勇気がいる。
「さあな」
なんて事のないように言う幼馴染は、人の気も知らず呑気なものだった。
「バカ。そこはお前なら勝てるって言う場面だろ」
「そんな慰め言ったってキレるじゃんか」
「はっ。よくお分かりで」
結翔の手が、ゆっくりアタシの頭の上に乗った。
そのままゆっくり動く。
「やめろ。眠くなる」
「ちょっとは寝ろ。しっかり寝るのも練習のうちだぞ」
反論しようとした。ちゃんと言葉も浮かんだ。
だが、それは口から出ることは無かった。
気づいたら、目が閉じていた。
♢♢♢
ー結翔sideー
何と返事が返ってくるかと思ったが、一向に何も言わない。
ちらっと見ると、規則正しく寝息を立てていた。
こいつ、もう寝てやがる。
随分と即落ちだな。
それだけ疲れてたってことなんだろうが……。
普段は鋭い目つきも、眠っていると当然ながら穏やかになっている。
寝てると、かわいげもあるのにな。
一緒に河原や公園を駆け回って木に登って。一番近くで張り合って競い合っていた相手は、いつの間にか俺の手の届かない先まで進んでいて。何より、立派な女性になっていた。
このまま下校時間まで寝かせておくか。
俺は動かないようにしながら、スマホでデッキレシピを眺め始めた。
♢♢♢
下校のチャイムが鳴ると同時に、千夏が目を開けた。
「……っ、何時だ」
「下校時間ギリギリ」
「なんで起こさなかったんだよ!」
「こんな状況で爆睡してたんだ。身体には必要な睡眠だったんだろ」
起こさなかった事は怒られたが、予想通りだったので問題は無い。
千夏は起き上がって髪を直しながら、少しだけ間を置いた。
「……ありがとな。ちょっと頭冴えてる」
「それは良かった」
素直なお礼は珍しい。よほど眠れていなかったんだろう。
「んじゃ、場所変えて続きやるぞ。駅前の店で良いよな」
「えっ、まだやるのか?」
「当たり前だろ。寝たから頭もスッキリしたし、ちょっと試したいことができた」
千夏の顔が切り替わっていた。さっきまでのぼんやりした様子はもう無かった。
「試したいこと?」
「ああ。ちょっと構築を変える。それで……」
教室から出て玄関まで歩く傍ら、千夏の話を一通り聞いてみる。
なるほど、確かにロジックは分かる。分かるのだが。
「なんとかなるかもしれないけど、ちょっと無茶じゃないか?いくら何でも三日でその構築をモノにするって……。それに、いつ何のデッキと当たるかも分からないんだぜ?博打すぎる」
現実的に勝ち上がれるのかと聞かれれば、かなり難しいのではないだろうか。
少なくとも俺では無理だ。
だが、それでも。
「それについては任せとけ。秘策がある」
言いながら、にやりと笑う千夏。
今日の今日まで頭を抱えていたくせに、切り替えの速さだけは昔から変わらない。
そして、こいつが任せとけとまで言い切ったのだ。ならば、無理じゃないのだろう。
「しゃーない。最後まで付き合うよ」
こいつの努力の行く末を、俺も見届けるとしよう。
誤字報告をいただきました。ありがとうございました。
どんなに目を通してもなぜか発生する。不思議だ……。




