初めての感情
美優に導かれ、彩花は剣道の稽古を行った。
彩花も学生時代剣道を嗜んでいたが、レベルが違った。
僅かの稽古だったが、彩花にとっては教場で主席の美優からの指導は貴重なものだった。
「…一回だけだ。無駄な時間を割く気はない」
美優に導かれ、彩花は緊張しながら竹刀を構えた。彩花も学生時代に剣道を嗜んでいたが、レベルが違った。美優の構え、打突の鋭さ、そして何よりも的確な指導は、彩花の曖昧な剣道を鮮やかに削ぎ落としていく。
美優は、ただ合理的に、彩花の動作の無駄を指摘し、効率的な身体の使い方を教えた。
「打突の軌道がブレている。手首の返しを意識しろ」
「一歩目が遅い。相手の動きを待つな、誘え」
わずか数分の稽古だったが、彩花にとっては、教場で常に主席を維持する美優からの指導は、どれほど価値のある教科書よりも貴重なものだった。美優の言葉一つ一つが、彼女の長年の悩みを打ち砕いていく。
稽古を終えると、彩花は深く、一際丁寧な礼をした。
「あ、ありがとうございました…し、失礼します!」
しかし、緊張した面持ちで、彩花は道場を飛び出すように後にしてしまった。その背中には、まるで高熱を出したかのような熱気が残されていた。
美優は、ただ一人、静寂を取り戻した道場で立ち尽くした。
「…そんなに緊張しなくても…。すぐに帰っちゃったし…」
わずかに、そう思った。
彩花の退出は、普段の美優なら歓迎するはずの「無駄な時間の終わり」だった。
だが、胸に残ったのは、冷たい解放感ではなく、微かな空虚感だった。
彼女の指導は、あくまで合理的で効率的な行為だ。彩花のスキル向上は、組織全体のレベルアップという点において、わずかではあるが意味を持つ。そう、理屈ではそう説明できる。
しかし、美優の心の中には、今まで経験したことのない感覚が生まれていた。
――達成感、ではない。これは、一体何だ?
誰かのために、「自分の時間」という貴重なリソースを割いた。
それは、美優の「個人戦応用戦略」からすれば、最大のタブーのはずだった。だが、彩花のあの真剣な眼差し、そして「ありがとうございました」という真っ直ぐな言葉が、美優の冷たい胸の奥を、ほんの僅かだが、温めたように感じられたのだ。
美優は、自分の竹刀を握り直した。
(この感覚は、危険だ…)
「友情」や「仲間」という、かつて自分が遠ざけてきた、非合理的な感情の萌芽かもしれない。
・・・
翌日からの警察学校での訓練は、美優にとって、彩花との距離を測り直す新たな戦場となった。




