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「アレクシア様は特別なのです。この国は半世紀以上戦争もなく、国内情勢も安定しているため恋愛結婚も増えました。けれど今でも、王侯貴族には政略結婚が必要な場合が多くあります。ですがアレクシア様と第二王子であるエルモンド様は、婚姻せずとも国に繁栄を齎す偉大な御方。特にアレクシア様については、陛下は国内に留まるだけで良いと仰せなのです」
「国を富ませ、発展させる…」
「はい。アレクシア様は王女でありながら、天才魔術師として名高いのです。どちらかといえば、民には魔術師長としての印象のほうが強いように思います」
アレクシアさんは魔術協会という組織に属しているのだそう。いつも着ている白金の制服は魔術協会のものだった。
「各国の優れた魔術師達が所属する協会です。厳しい試験をクリアした者のみが一員となれる、皆が憧れ、尊ばれる職業なのですよ」
魔術に関する情報を管理し、世界の発展を促し、濫用を防ぐ。世界各国に存在する国境なき巨大機構。
各国に配置された協会は国の名前に支部と付けられ、その代表となるものは支部長、国内においては魔術師長と呼ばれるそうだ。
ちなみに私の召喚の舵取りをしたのは魔術協会で、召喚場所は魔術協会の大広間だったそう。薔薇の宮と建物の構造や景観が違ったことを今になって思い出した。
「アレクシア様は魔術師として数々の魔道具や術式を生み出し、その功績からノルスタシア王国支部の支部長、魔術師長に選任されたのです」
王女様で魔術の天才。
制服の胸に光っていた赤い勲章は、アレクシアさんだけが身につけられる魔術師長の証。
「アレクシアさんは、本当にすごい人なんですね。あまりに凄すぎて、その、何と言ったらいいか…」
「ええ、それに人格者でもあらせられます。そんな方にお仕えできるわたくしは幸せ者です」
メアリさんはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。それから紅茶を一口飲んで喉を潤わせると再び口を開く。
「スミレ様、今お話ししたのは、今までのアレクシア様の経歴と国からの評価です。これをきいて、気後れしてしまう、と思いましたか?」
「それはその、その通りに思っていますが…」
そう思わないことのほうが難しいのでは?
私のような凡人とは天と地の差があることに違いはないだろう。
「では、今お話ししたことは一度忘れてしまいましょう」
「ち、ちょっと忘れるのは難しいです…」
首を左右に振った私を見て、何故かメアリさんは楽しそうに目を煌めかせた。
「あぁ、わたくし、スミレ様に余計なことを言ったとあの御方から罰を受けてしまいますわ…最悪、暇を出されて露頭に迷うでしょうね…」
頬に手を添えて憂いているような仕草をしているけれど、楽しそうな表情と全く合っていない。
「ええっと!?メアリさん、あの…?」
動揺してしまった私を見て、メアリさんは声を出して笑った。いつもとは違い、ちょっと幼く見える笑顔に、私はぽかんとしてしまう。
「ふふっ、すみません、冗談です。スミレ様が真摯に話を聞いて下さるものですからつい…わたくし、スミレ様とお話ししていて思ったのです。侍女として御支えすることとは別に、メアリという個人としてスミレ様と仲良くなりたいと。その気持ちが大きくなって、つい本性を出してしまいましたね、お許しください」
「い、いえ…あの、そう思ってもらえて嬉しい、です…」
メアリさんはたぶん、小悪魔タイプの美女だ。
そんなメアリさんに仲良くなりたいと思って貰えたことが嬉しい。友人になれたら視野が広がりそうだし、元気を貰えそうだなぁと思う。きっと楽しいに違いない。
「ふふっ、わたくしも嬉しいです。スミレ様もかしこまらず、ありのままで良いのですよ。もちろん、アレクシア様に対しても」
「そ、それは流石に無理かと…」
メアリさんは、首をゆっくりと横に振った。
「どうかお願いします。アレクシア様はそのお立場ゆえ、人間関係に苦労されてきました。そのため忌憚なき意見を言える、親しい関係の人間がほとんどおりません。欲していても、身分や肩書の為に手に入らないのです」
「それは…息苦しくなってしまうのでは」
「ええ、アレクシア様は偉大な御方ですが、わたくしたちと同じ一人の人間ですから。実は少々お転婆ですし、完璧と見えて抜けている部分もあるのですよ。思わず茶化してしまいたくなるようなお可愛らしい部分もあります」
メアリさんはいたずらっぽく微笑んだ。実はアレクシアさんとは幼馴染なのだそう。私的な場では友人として語らい、よくお酒も酌み交わすのだとか。
「公でない、一個人としてのお姿でいられる場所は、アレクシア様にとって大切な時間なのです。勝手なお願いだということは承知しております。それでも、スミレ様はありのまま、アレクシア様に向き合って頂けたらと存じます。」
無理です、とは言えなかった。
私とアレクシアさんには隔絶した差がある。カーストの最上位と最下位の人間だ。
メアリさんだって形式的には主と侍女の関係。けれどそんな前提は分かった上なのだ。
社畜時代の自分の姿を思い出す。
激務に明け暮れる生活は妙な焦燥感に追われ、勝手に追い詰められていく。もし私にも気兼ねなく話せる友人がいれば、状況は違っていたかもしれない。そもそも深い話をする友人を作れずに、仲良くしてくれた友人の手も自ら離してしまった。もう後の祭りだけれど、それは少なからず私の心に影を落としていて。
――こんな私でも、少しでもアレクシアさんの力になれるのならば向き合いたい。
もう後悔はしたくなかった。
「……あの、恐れ多いですが、私がお役に立てるのであれば、出来る限り…頑張ります」
もごもごとはっきりしない返事になってしまって、言ってしまってから、やっぱり恐れ多いから訂正しようとか、図々しかったかとぐるぐる逡巡する。
けれどメアリさんは嬉しそうに笑ってくれて。
「ありがとうございます、スミレ様」
その言葉でさらに背中を押してもらえて、私は少し許されたような気持になってほっと息をついた。
そのうちに足音が聞こえてきて、私達はそちらへ視線を向ける。どうやらお菓子が焼きあがったようで、ジャムズさんがトレイを持って来てくれた。
「お待たせいたしました、美味しく焼きあがりましたよ」
ジャムズさんに付き添ってきた給仕の女性が、テーブルに菓子を並べてくれる。バターの香りがふわりと鼻腔をくすぐり、思わず喉が鳴る。
「沢山あるのでいくつでも食べてくださいね」
「ありがとうございます。美味しそう…!」
「早速頂きましょうか」
食べてみたらすぐにわかる、これはマドレーヌだ。
出来立てでほんのり温かくて、ふわふわでとても美味しい。ベリーや柑橘のジャムを乗せて食べるのもハマりそうだ。あっという間に一つ食べ終えてしまうと、すぐに別の菓子をサーブしてくれた。勢いよく食べてしまったようで恥ずかしい。
ジャムズさんに感想を伝えると、今後も色々な焼き菓子をお持ちしましょう、と笑ってくれた。
「なんだか、とても幸せな気分です」
ジャムズさんが離宮へ戻っていったあと、ぽろりと気持ちがこぼれ出た。
表情が綻ぶ。固まっていた頬の筋肉が柔らかくなった気がした。
メアリさんがそんな私を見て一瞬目を見張ったことには気が付かなかった。
「そういえば、以前ベルの傍にあったメッセージカード、日本語で書かれていましたよね。もしかしてアレクシアさんが書いてくれたのでしょうか」
「ふふ、お気づきになりましたか。昨夜アレクシア様が何枚も書いていたのですよ。ニホンの文字はとても複雑で難しいと仰っておりました」
「やっぱり…!とても上手に書かれていまして、すぐに読めました。確かに日本の文字は種類が多くて、向こうの世界でも難しいと言われていた気がします」
この世界は翻訳魔法があるから、会話には困らない。それなのに日本の文字を使って私が困らないようにメッセージカードを書いてくれた。その気遣いがとても嬉しかったのだ。
「ちなみにマグカップやドナベ、でしたっけ。あれらの食器類も、アレクシア様が職人に作らせたのですよ」
平民の間では似たようなものが使われているが、上流階級で使用することは無いらしい。アレクシアさんの顔を思い浮かべて、気にかけて貰えていることを改めて実感する。なんだか心が浮ついてしまう気がした。
一つ一つに感謝しながら、焼き菓子を口に運ぶ。
バター香り、花の香り、鳥のさえずり。
長閑で優雅な時間だな、と快晴の空を見上げた。日本にいたままじゃ、きっと感じられなかった穏やかさ。
こっそりジャムズさんの事を、某国民的アニメのおじさんに名前も見た目も似ているなぁと思い、心の中でふふっと笑った。




