3-1
泣きつかれた私はアレクシアさんに促され、また眠りに落ちて、起きたときには夕方になっていた。
眠っている間、メアリさんが目元を何度も冷やしてくれていたらしい。おかげであれだけ泣いたのにあまり腫れていない。そういう細やかな心遣いが心に沁みる。
夕食は部屋で食べさせてもらい、滋養にいいという薬も頂いてからまたベッドへ。自分の意思とは関係なく身体が休養を求めているのか、襲ってくる眠気に抗えずただ眠った。
完全に眠気が晴れたのは次の日の朝。
メアリさんに慣れない身支度を手伝ってもらい赤面しつつ、今日の朝食もアレクシアさんが来てくれると教えて貰った。
昨日の醜態を思い出すと、恥ずかしくてたまらない。
どんな顔をして会えばいいかと思ったけれど、部屋にやってきたアレクシアさんは昨日と変わらない様子で声を掛けてくれた。私の事を心配してくれていたようで、体調や心を気遣う言葉を何度もくれる。
「わたし、ご迷惑を掛けてばかりで…」
「迷惑と思ったことなど無いよ。むしろスミレは勝手に異世界へ呼び出された被害者なのだから、怒っていいくらいだ」
「そんな……私、まだよく分からないことばかりですが、あの会社にもう行かなくていい、というのは判ります。助けてくれて、ありがとうございます」
私はそう言って、深く頭を下げた。今ここに居ることは現実で、アレクシアさんが私を掬ってくれたことは紛れもない事実で。
あのままだったら私はあっという間に消えていただろう。絶望したままに。
そうならなかったのは、アレクシアさんが助けてくれたから。
そっと頭を上げると、アレクシアさんは眩しそうに目を細めていた。
「そういってくれるのか…スミレは」
「アレクシアさんが私を心配してくれてこの世界に呼んでくれたことに、怒ることは無いと思います。ただ、何も返せなくて…」
「私がそうしたいだけなんだ、だから返そうなんて思わないで。スミレがこうして傍に居るだけで、私はとても嬉しいのだから」
なんだか心がむず痒くて、言葉がうまく出てこない。
俯いた私の頬に手が伸びてきて、さわさわと撫ぜられる。ちらりとアレクシアさんを見ると、目を細めて笑みを向けられた。
「甘えてほしい、沢山。それをスミレの仕事にしよう、いいね?」
「…っ」
「まずは療養期間だ、傷ついた心と身体を休めなければ、判断力も鈍ってしまうからね。だから…今は何も考えずに、ただ私に甘えてほしい」
胸のあたりがぎゅうと苦しくなる。
本当に甘えてしまっても、お世話になってしまってもよいのだろうか。
「…あの、本当に疑問なんですが、どうして私のことをそこまで気にかけてくれるんですか」
「スミレが一人で必死に頑張っている姿をずっと見ていたからね。傍に居られたのならすぐにでも抱きしめたいと思っていた」
「そ、それでも、ここまでしてもらえる程では…」
「私がしたいんだ。王族はね、時に権力を使ってでも手に入れたいものは手に入れる。スミレは、私と一緒にここに住むのは嫌?」
ぱちりとウインクしたアレクシアさんに、私は慌てて両手を上げて左右に振った。
「嫌だなんてっ…!私、まだ半信半疑ですけど、でも、アレクシアさんの気持ちがとても嬉しいです」
この気持ちを受け取ってしまって、もし突き放されたらと思うと怖い。けれど、少しだけ、アレクシアさんなら信じてみたいと思ったから。
「あの…私、本当にここでお世話になっても良いですか?」
ぎゅっと両手を握りしめながら伝えると、アレクシアさんは驚いたようにぱちりと瞬きをしてすぐに顔を綻ばせた。喜色を滲ませたその笑みに、思わず見とれてしまったのは私だけの秘密だ。
「もちろん!歓迎するよ、今日からここはスミレと私の宮だ」
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「また夜にでも話をしよう。メアリは信の置ける者だから、困った事があれば何でも聞いてごらん」
「はい…ありがとうございます」
「うん。名残惜しいけれど、そろそろ行かねばね」
アレクシアさんはこれから夕方まで、仕事のために宮を離れると教えてくれた。去り際に頭を撫ぜられて、気恥ずかしくて目を逸らしてしまったけれど。
アレクシアさんはいつも良い香りがする。ふわりと香る花の香り。甘い花の蜜のような女性的な香りなのに、ラストノートは抜けるように瑞々しく爽やかで。凛とした雰囲気を持つアレクシアさんにぴったりだな、なんて。
アレクシアさんが部屋を出て少しすると、ノック音と共にメアリさんがやってくる。
「あの、メアリさん。改めて、ここでお世話になりたいです。ご迷惑を掛けてしまうことも多いと思いますが、よろしくお願いします」
立ち上がってぺこりと頭を下げると、メアリさんはふふっと笑って頷いた。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。スミレ様が元気になれるよう全力でサポート致しますね」
食後のミルクティーを淹れて貰って、メアリさんと少しずつ会話を重ねていく。
私は気になっている魔法の事を聞いてみた。
「目元を冷やした魔法ですね。あれはハンカチの中に砕いた水魔石が縫い付けられておりまして、魔力を流すと低温をキープしてくれるのです。暫くの間は冷たさが持続するのですよ」
「そうなんですね…。魔法って本当に便利ですごいです」
「魔法に興味がございますか?」
「はい。私の世界にはなかったもので、皆一度は憧れたんじゃないかな…そういうものでしたから」
幼いころ、誰もが未知の力に憧れただろう。私もその一人で、幼いころのワクワクした気持ちが首をもたげる。こんな気持ちは久しく感じていなかった。
「それでしたら…午後からは薔薇の宮の案内をと思っていたのですが、合わせて宮内で使用されている魔道具もご覧になりますか?」
「本当ですか?お邪魔じゃなければ是非見てみたいです」
メアリさんは快く案内を引き受けてくれた。
そうして午後からいろいろと回る予定だったけれど、悲しいことに叶わなかった。
なんだか足元が覚束なくて、熱が身体に回っていくようにぽかぽかする。何やらおかしいと気付いたのか、メアリさんは私の額を触ると酷く驚いた顔をした。どうやら発熱していたらしい。
ベッドへ移動するのにも目の前がぐらぐらと揺れて歩くのもおぼつかない。そのまま高熱を出した私は更に数日寝込むことになってしまった。
お医者様の見立てでは疲労からくるもので、十分に休養すれば回復するとのこと。
張りつめていた緊張が途切れたようで、身体は正直だ。
熱に浮かされている間、何度も父との出来事を思い出した。思い出すたびに寂しくなって、勝手に涙が頬を伝っていく。
ある時ふと目を覚ますと、部屋にアレクシアさんが訪れていた。眼鏡をしていないからぼんやりとしたシルエットしか見えないけれど、金髪ですぐにわかる。目元を指で拭われて、自分が泣いていたことに気が付く。
「スミレ、手を繋いでも?」
こくりと一つ頷くと、アレクシアさんは布団から出した私の手を握ってくれる。そこから伝わってくる体温にひどく安心した。それからすぐに眠ってしまったのがもったいないと思うくらいに。
目を覚ました時に誰も居なくても、アレクシアさんの纏う花の香りが部屋に残っているとそれだけでほっとする。ひとりぼっちじゃないと思えて、身体は辛いのに心は少し軽くなった。沢山の夢をみて、起きて、メアリさんに果物や具材を柔らかく煮込んだスープを食べさせてもらい、後は滾々と眠り続ける。
丸三日ベッドの上の住人となり、ようやく動けるようになったのは四日目の朝になってからだった。しっかりと栄養を取って休めたお陰でだるさも感じない。
メアリさんからも許可がおりて、ようやく薔薇の宮を歩いて回れることになった。




