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食事は給仕が控える饗宴の間、いわゆるダイニングルームで摂るのが基本だけれど、今日は私の部屋に用意してくれることになった。
なんと、アレクシアさんと一緒に食べるらしい。
王族と知ってしまった手前、恐れ多いですと遠慮したけれど、笑顔のメアリさんに一蹴されてしまった。メアリさんに私は手も足も出ない。
自室となった部屋へ戻ってくると、落ち着くはずもなく、きょろきょろと部屋中を見て回ることにした。一通り部屋中を見て浮かぶのは、本当にここを私の自室としてよいのだろうかという疑問。
あまりにも美しい部屋だった。
高い天井には淡いピンクのバラが描かれ、壁や柱にも細かな模様や石膏飾りがなされている。ソファーや調度品も同様の飾り模様が掘られており、その中には大小あれど薔薇のモチーフが刻まれていて、部屋に統一感を持たせていた。薔薇の宮と呼ぶに相応しい、調和のとれた極上の一室。
建築や様式に全く詳しくない私でも、この部屋がいかに上等なのかがわかってしまう。
一人暮らしをしていたワンルームはいくつ入るだろう。
そんな身も蓋もないことを考えていると、ノックの音が響いた。
「失礼いたします」
メアリさんが扉を開くと、その後ろからアレクシアさんが入ってくる。
「スミレ、おはよう」
ふわりと花が咲いたように笑うアレクシアさんは、昨日も思ったけれどとても綺麗で。ポニーテールに結ばれた金髪が歩くたびに背中で優雅に揺れている。着ている服は昨日と同じ白い騎士服のようなもので、金糸で飾り縫いされ、胸にはキラリと光る赤い宝石。スラックスはアレクシアさんの長い脚が際立っていた。
圧倒的な美しさに目を奪われてしまいしばし呆けてしまったけれど、はっと我に返る。
そこで思い切り頭を下げた。
「おはようございます、アレクシアさ…アレクシア様。き、昨日は申し訳ございませんでした。お世話になったうえに、多大なるご迷惑をお掛けしてしまって」
「ふふ、その様子だと少し元気になったかな。スミレに何の非も無いのだから気にしないで、まずは顔を上げてほしい」
「お、おそれ多いです…」
「…うーん。私はスミレとは対等でありたいんだ。だから「様」など付けないで欲しい。呼び捨てにして欲しいくらいだ」
「そっ、それは…」
流石にまずいのではないだろうか。
どうしたら良いかわからなくて、メアリさんを視線だけで探すが見当たらない。もう部屋から出て行ってしまっている。
どうしようかと一人で焦っていると、まずはお座り、と声を掛けられた。先に座っていいものかと更におどおどしていると、両肩をそっと掴まれて椅子に座らされてしまう。それからアレクシアさんもテーブルを挟んで対面に座った。
「私はスミレと近い関係でありたい。だから親しく呼び合えるものが良いな」
「……では、ア、アレクシアさん、で良いでしょうか」
「うん、今はそれで良いよ。いずれシーアと愛称で呼んでもらえるように頑張ろう」
くすくすと楽しそうにアレクシアさんは笑う。どうやら本当にそれで良いと思われているようだ。うう、アレクシアさんの笑顔が綺麗すぎて、直視できない。
いつの間に戻ってきていたメアリさんともう一人の侍女さんが、テーブルにカトラリーと料理を手早く並べていく。
アレクシアさんの前にはパン、サラダ、ロースト肉など数種類が並べられていくが、私の前に置かれたのは陶器でできた鍋のようなものだった。蓋を開けてもらうと、湯気を立てながら現れたのは小さく切った野菜とベーコンが入ったパン粥のようなもの。そこへ木のスプーンが添えるように置かれる。セットが終わり、テーブルの端にベルを置くと二人は部屋を出ていった。
「スミレは昨日から何も食べていないだろう?消化しやすいものをと思い、パン粥を用意させたんだ。お口にあうかな」
「あ…ありがとうございます」
「さぁ、食べよう」
「はい、いただきます」
両手を合わせてから木のスプーンを手に取って粥を掬う。ふうふうと冷ましてから口へ運ぶと、じんわりと優しいミルクの旨味が口の中いっぱいに広がった。入っている野菜やお肉も柔らかく煮てあって消化によさそうだ。
もしかしたらこの世界で採れる食料や料理は地球と近いのかもしれない。
「とっても美味しいです」
「ふふ、それは良かった。料理長も喜ぶよ」
アレクシアさんの優しさと、仕える人々の優しさ。
震えるくらいの好待遇。
もうこうして温かい感情を向けられることは無いと思っていたのに。
「昨日はゆっくり休めたようだね」
「…はい、寝すぎてしまって。すみません」
「とても疲れていたんだよ。それなのに気丈にふるまっていたのだから、スミレは我慢強いね。それもスミレの魅力だけれど、たまには自分を甘やかして欲しい」
「我慢強いなんて…言われたことないです」
野菜の優しい甘みが口の中へ広がっていく。まるでアレクシアさんの言葉みたいに、私を絆して甘やかすように。
本当にこのままお世話になって良いのだろうか。
もしかして、私にできる何かが存在するのだろうか…と考えて、はたと気付く。アレクシアさんは日本の技術について知りたいのかもしれない。
保護する代わりに知識や技術を提供してもらう、これはよくある話だ。
そう考えた時に更に困惑した。
私は国益になるような知識や技術もないし、ちょっとプログラミングが出来るだけの社会人だ。でもそれはアレクシアさんも知っているはず。
ならば解ったうえで、別の目的があるのだろうか。
だってそれじゃないと、一国の王女様に庇護してもらうなんて割に合わない。
「…ミレ…スミレ、どうしたの?」
声を掛けられていることに気が付いてぱっと顔を上げると、心配そうなブルーの瞳と視線が合った。私はどう答えたら良いかわからなくて、手に持っていたスプーンをテーブルへ置く。パン粥は無意識のうちに殆ど食べ終えていた。
「あ…その…」
もう、しどろもどろになってしまう自分が嫌だ。膝に乗せた両手をぎゅっと握りしめると、アレクシアさんがカトラリーをことりと置いた音がして、その音に引っ張られるようして私は顔を上げた。
「私、なんの取り柄もありませんし、アレクシアさんに提供できるような知識も技術もないんです。それに見た目だってこんなで、性格だって良いとは言えません」
「スミレ…」
「ごめんなさい…私は要領も悪く仕事も遅くて…お役に立てそうにないです。それなのに優しくして頂き、感謝しています」
そう言いながら、役に立てない自分の情けなさに視界が潤む。ぽたりと落ちた涙は分厚い眼鏡を伝って握りしめた手の甲へと落ちた。
「どうしたらスミレを安心させられるかな」
「っ!?」
後ろから伸びてきた腕に包まれて、私は情けない声を上げた。訳が分からずに顔を上げると、間近には綺麗な横顔が見えて。いつの間にか向かいに座っていたアレクシアさんが移動してきていた。
「こちらへおいで」
手を取られて、流されるままソファーへと導かれて、座ったとたんまた抱きしめられた。どうしたらいいか分からなくて、ひとまず状況を脱しようと押し返したけれど、がっしりと抱え込まれていてびくともしない。
「あ、あの、アレクシアさん…?」
「ノルスタシア王国は、時越え人であるスミレを保護し、本人の意に添わぬことを強要しない。これは国王陛下と魔術協会が承諾し締結した取り決めだから、何よりも優先される。だからスミレ、そのような不安を抱える必要は無いんだ」
優しくなだめる様な声が、耳元で言葉を紡ぐ。
「でも…そしたら私は…」
「いいんだ。今はゆっくり心を休めてほしい。それから先は、私と共に考えていこう」
ぽんぽん、とあやすように背中を撫ぜられて、すり、と耳元に頬ずりされる。
じんわりと感じる体温がひどく甘い。あぁ、いつぶりだろう、人の体温を感じて、温かいと思えたのは。そう思ったとき、心が酷く震えた。
「…う、っ…」
口から堪えきれなかった嗚咽が漏れ出る。
涙がとめどなく溢れてきて、アレクシアさんにぎゅっとしがみ付いてしまう。アレクシアさんはそんな私の頭を優しく撫でてくれた。
「今までよく頑張ったね。けれどもう大丈夫、スミレは一人じゃないよ」
「うぅ…っ、あぁ…っ!」
抑え込んでいた感情が爆発する。
ぼろぼろと溢れてくる涙はもう止まらない。
気が付いたら眼鏡は無くなっていて、アレクシアさんが流れ落ちる涙を何度もハンカチで拭ってくれる。あやすようにトントンと背中も叩いてくれて、その一つ一つに感極まってまた泣いてしまう。
寂しかった、悲しかった、苦しかった、誰かに甘えたかった、倒れてしまいたかった、でもできなかった。ずっとしまい込んできた感情が物凄い波になって押し寄せてきて、私は正体を無くしてひたすらに泣いた。
父の姿が何度も脳裏に蘇る。優しく、私を無償の愛で包み込んでくれていた父を。
アレクシアさんのくれる温もりと優しさは、父と似ている気がした。
夢の中の父との会話を激情の最中に思い出す。大切にしてくれる人が待っている、という言葉が頭の中で反響する。あの夢は本物で、もし、本当にそんな人がいるのだとしたら。
時間の経過も分からなくなって、涙が徐々に落ち着いてきて、呼吸が楽になってきたころ。ずしりと重かったはずの心が、少しだけ軽くなっていることに気が付いた。




