24-2
ずぶ濡れになった私たちは、帰ってきてすぐにお風呂に詰め込まれた。海水を流して身体を温めた後、簡単に身なりを整えて貰う。
ふと窓から見上げた赤紫の夕日がとても綺麗で、今日という素敵な日が過ぎることに切なさを覚えてしまう。
バルコニーで涼んでいると、アレクシアさんが早めの夕食にしようと声を掛けてくれた。
「スミレは気に入ってくれるかな」
「わぁ…!」
湖畔が見渡せるガゼボがライトアップされていて、あまりの美しさに歓声が漏れる。
アロマキャンドルと魔導ランプの淡い光が、純白のテーブルクロスに載せられた事を彩っている。足元やガゼボの屋根部分にも設置されたランプが、夕暮れに溶け込んで幻想的な空間を作っていた。
「素敵です、とても」
「喜んでくれて良かった」
それから、と目を細めてほほ笑んだアレクシアさんは胸元から一通の書状を取り出した。筒状にまとめられた紐を解くと、開いた状態でそれを私に差し出した。
「これって…婚約の」
難しい言葉も多いけれど、確かに婚約と書かれている。
王家の紋章に、認めるという一文。真ん中にはアレクシアさんと私の名前が記されていた。ついこの前婚約誓書を書いたけれど、もしかしてこれは。
「そう、私たちの婚約を認めるという国王からの書状だよ。婚約誓書が受理されて、私たちは正式な婚約者になった」
正式な婚約者――その言葉に喜びが胸に湧き上がってきて、私は噛み締めるように笑みを浮かべる。
国王夫妻に認めていただくのは、正直難しいのではと思っていたから。そのために何をすべきかと考えていたのに、まさかこんなに早く婚約を許して頂けるなんて。
「言っただろう?すぐに認めてくれると。婚約誓書を直接持って行ったら二人とも大喜びでね、結婚式はいつにするのかと急かされたよ」
「あぁ…夢みたいです、どうしよう、すごく嬉しい…!こんなに早くアレクシアさんの婚約者になれるなんて、本当に嬉しくて。アレクシアさんのご両親にも、まさか喜んでいただけるなんて何と言ったらいいのか――」
感情がまとめられずに口から零れ出ていく。そんな私を優しく見守っていたアレクシアさんが、突然私の前に片膝をついた。
「あ、アレクシアさん?」
「もう一度、きちんと伝えさせてほしい」
そう言って取り出したのは、ドラマで見たことのある四角い箱。
すっと差し出されたそれに、私は驚きで目を見開く。
これって、もしかして。
どくどくと鳴り響く心音が鼓膜を揺らす。
アレクシアさんの長くて綺麗な指がその箱をゆっくりと開く。中から現れたのは、星々を閉じ込めたような輝きを放つ美しい指輪だった。
「スミレ、愛しています。私と結婚してください」
真っすぐに伝えてくれる言葉に、慈しむような笑みに、私の心は歓喜に押しつぶされそうだ。アレクシアさんと共に生きていけるのなら、私はそれ以上の幸せを見つけられないだろう。それほどに恋焦がれて、愛しくて、大切な人。
「はいっ…!よろしくお願いします」
真っすぐに瑠璃色の瞳を見つめ返して、私は笑顔で答えた。アレクシアさんは嬉しそうに頬を緩めて頷くと、箱から指輪を取り出す。
差し出した私の薬指に、アレクシアさんが指輪をつけてくれる。
ぴったりとはまった指輪を見て、私は感嘆の息を漏らした。
「きれい…すごく…」
思わずそう口にして、目を輝かせて指輪をまじまじと見つめる。綺麗にカットされた大粒のダイヤのような宝石、その周りを瑠璃色の宝石が縁取っている。
あまりの綺麗さに私は語彙力をなくして見入っていると、アレクシアさんが手を取って指輪にキスをした。それから片目を閉じてほほ笑む。
「ニホン式のプロポーズがしたかったんだ」
そう言われて、確かにこの世界には無い文化だったと気付いた私は目じりを下げた。
「ふふっ、私は世界一の幸せ者です!」
「そう言ってくれて嬉しいよ、これからもスミレを幸せにするから」
「はい、ずっと一緒にいてください」
きっと今の私は、人生で一番の笑顔を浮かべているはずだ。
二人で気持ちを確かめるように笑い合うと、頬を滑るようにアレクシアさんの手が私に触れた。
そのまま近づく距離に、私はそっと目を閉じる。
ちゅっと唇を食むようなキスに、じわじわと幸せが体の中へ広がっていく。
初めて自分からアレクシアさんの唇をはむっと食べると、その柔らかさに驚いて心臓が跳ねた。どうしよう、気持ちよくて、たまらない。
「ん…はぁ…っ」
呼吸が上手く出来なくて口を開けば、見計らったように深く口づけをされて。
口内に滑り込んでくる舌が熱くて、必死になってその熱を享受していると、耳を撫でるように触られて身体が震えた。
「ふ…っ、ぁ…」
「スミレ…」
少しだけ離れた唇で、熱っぽくアレクシアさんが私の名前を呼んだ。その声に私は立っていられなくなって、膝から力が抜けてしまう。
アレクシアさんがしっかりと支えてくれていたから倒れなかったものの、ようやく離れた時には私は息絶え絶えになっていた。
「あ、アレクシアさん、もすこし加減を……」
「ごめん…スミレが可愛すぎて我慢できなくなりそう」
ぎゅうっと抱きしめられて、私は必死に呼吸を整える。
「結婚するまでは色々と我慢するから…キスだけは毎日したい」
「うっ………が、頑張ります」
アレクシアさんは自分の破壊力を分かっているのだろうか。というか私はこういうことに慣れる日は来るのだろうか。いや――愚問だった、そんな日はきっと訪れないでしょう。
真っ赤になった顔が冷めるまで、アレクシアさんは幸せそうに私にくっ付いていて。アレクシアさんの顔を見ると先程のキスを思い出してしまいそうで、私は必死に顔を背けながら深呼吸を繰り返した。
そうしてようやく落ち着いたころ。
「実はね、もう一つサプライズがあるんだ」
そう言ったアレクシアさんは、手元にあったベルをりりりんと大きく鳴らし始めた。暫くならしていると、城の方からバタバタと扉の開閉音と足音が聞こえて、誰かがこちらに向かってやってくる。
「えっ…?」
ガゼボの中に駆けこむように入ってきたのは、メアリさんとエドワードさん、それから薔薇の宮の人々で。皆が楽しそうにわちゃわちゃとやってくると、エドワードさんが代表するように一歩前へ出てきた。
それから口元に手を当てて、すうっと大きく息を吸うと。
「師長!スミレちゃん!!婚約おめでとう~~!!」
「おめでとうございます!」
わあっと歓声が上がって、私たちは温かい拍手に包まれる。
私が驚いて固まっていると、アレクシアさんが優しく私の背中を撫でた。
「私たちを祝福しようと集まってくれたんだ」
「みんなが…」
皆の温かい拍手と祝福の言葉が、じんわりと沁みていく。メアリさんを筆頭とした侍女さんたち、メイドさん、執事長と執務室メンバー、ジャムズさんたち厨房チーム、庭師さん、それからノルクスさんまでいるではないか。
今まで沢山お世話になった人たちが、こうして私たちを祝福してくれていることに涙腺が緩みそうだった。
「スミレ、今日は皆で婚約パーティーをしない?」
「はいっ!皆さん、本当にありがとうございます!」
私の叫ぶような喜びの声に、ひと際大きい歓声が上がった。




