23-2
「今日はありがとうございます!」
快気祝いとして、アレクシアさんとメアリさんと私の三人で夜の女子会を開催することになった。お酒はまだ早いのでは、と渋られたけど量はセーブするからとお願いしたのは私だ。
久しく開催されていなかったけれど、わいわいと三人で話す時間が本当に好きで。怒涛の日々が過ぎたからこそ、改めてゆっくりと会話する時間が欲しかった。
ジャムズさんにも元気な姿を見せて、日ごろのお礼とワインに合うおつまみについて一緒に考えてもらった。いぶりがっこのクリームチーズ和えに近いものを作ったり、ブルスケッタやハムとオリーブなどを準備するのを手伝った。
「まぁ、美味しそうなものばかりです」
「ジャムズと一緒に作ったんだろう?ありがとう」
「お手伝い程度ですが…味は最高ですよ!」
アレクシアさんのワインコレクションの中から、メアリさんが慣れた手つきでおすすめを持ってきてコルクを空ける。
ポン、と響く音のあと、グラスに丁寧にワインが注がれていく。ふわりと芳醇な香りが広がって、思わず笑みが深くなる。
「では…スミレが元気になってくれて本当に良かった。快気祝いに、乾杯!」
アレクシアさんの掛け声に、私たちはチリンと軽快な音を鳴らしてグラス同士を合わせる。
そうして始まった女子会は、いつものようにメアリさん主導で会話が弾んでいく。ワインはもちろん美味しくて、作ってきたおつまみたちも好評だったので嬉しい。
「朝から満面の笑みでアレクシアさんを引きずっていったメアリさんの姿、今でも鮮明に思い出せます」
「ほほほ、そのようなこともありましたね」
「あれは私が悪い。悪いが…心臓が縮み上がったぞ…」
「ふふ、あの日のアレクシアさんは借りてきた猫みたいでした」
アレクシアさんが魔術協会から戻ってこなかったあの日々も、こうして三人で集まれば過去の出来事として笑い話になっていく。二人が居てくれれば、こうやって一つ一つの出来事を消化していける。
当時襲来してきたエルモンド様の話にもなって、アレクシアさんが幼い頃の思い出を話してくれた。兄弟の中でも特に仲が良かった二人の話は破天荒で面白かった。
それから以前連れて行ってくれると話していた、王族の別荘地について。
「じゃぁしばらく滞在できるんですか?」
「そうだよ。そろそろ事件処理も終わるから、来週あたりに出発できる」
犯人を特定しクロスフォルノ侯爵の魔法を無力化して拘束したアレクシアさんは褒賞が与えられるようで、その褒賞ついでに長期休みをもぎ取ってきたそうだ。
お陰で半月ほどの期間滞在できる。
王都から南に位置しているその場所は、秋めいてきたこの季節でもまだまだ夏の盛りらしい。湖や近くに海もあって泳げるし、王都以外の街も観光できる。まさにバカンスだ。
「転移魔術を使えば近くの街へ飛べるから、一日もあれば着くよ」
「本当に便利ですよね。皆喉から手が出る程ほしかったやつですよ…」
「あぁ、ニホンの通勤は本当に大変そうだったな…」
「思い出すだけで窒息しそうです」
うっと表情を歪ませて答えると、メアリさんがいい表情ですとくすくす笑う。
面白がるメアリさんの要望で、私は満員電車に揺られているときの苦痛を身振りと表情で再現する。メアリさんが声を上げて笑ってくれたので、なんだか誇らしい気持ちになってアレクシアさんを見た。
「アレクシアさん?」
「あ、あぁ」
アレクシアさんはぼうっとしていたのか、心ここにあらずといった様子。
私とメアリさんはお酒の力もあってリラックスしてきているけれど、アレクシアさんは始めた頃より緊張しているように見える。そんなに顔に出るタイプでもないけれど、あまり酔えていないようだった。
「あまりお酒が進みませんか?」
「すまない、そういう訳じゃなくて…」
しどろもどろと答えるアレクシアさんに更に首を傾げていると、メアリさんがふうっとため息をつく。それからおもむろに立ち上がってアレクシアさんの背中側にまわると、手を振り上げてアレクシアさんの背中を勢いよく叩いた。
ばちんっという音の後に、アレクシアさんが衝撃に耐えるように険しい顔になる。メアリさんは叩いた方の手を振ってすまし顔だ。
「メアリさんっ!?」
「スミレ、大丈夫だ、私がこうしろと頼んでいたから」
アレクシアさんが手を前に出して私を制止する。
「へっ…?」
頼んでいたとはどういうことなのか。ぽかんと状況がわからずに呆けている私に、メアリさんが困ったように微笑んだ。
「驚かせてしまい申し訳ございません。この主はスミレ様の前ではぽんこつですが、普段はしっかりとしているのですよ」
「は、はぁ…」
「メアリありがとう、気合が入った」
「ようございました。それではわたくし少々用事を思い出してしまったのでここで失礼させて頂きますね」
呆然としたままの私にはきはきとメアリさんが告げて、飲みかけのワイン瓶をさっと手に取り優雅に部屋を出ていった。
「え…っと…?」
突然嵐にあったような心地のまま、アレクシアさんに説明を求めるように視線を向けた。
アレクシアさんはふうっと息を吐くと、立ち上がって私の隣にやってきて座った。それから私の手を取ると、真剣な表情で私を見つめる。
「アレクシアさん…?」
「本当はもっときちんとした場で伝えようと考えていた。けれど引き延ばせば延ばす程、スミレが離れてしまう気がしたんだ」
私が離れるって、どういうこと?
アレクシアさんの漠然とした言葉に、召喚魔術の欠落が頭を過った。
もしやまた別の問題が発覚したのかと、私も気を引き締めてアレクシアさんを見返す。
「ずっと胸に抱いたこの気持ちを、もう抑えたくないんだ」
「はい。どんなことでも聞かせてください」
きゅっと繋がれた手を握って頷くと、アレクシアさんが少し驚いたように目を瞬いた。
藍色の瞳がきらりと輝いて、その目じりが赤くなっているのに気付いた時―――。
「好きだ、スミレ。愛している」
「え…?」
アレクシアさんが発した言葉に、頭が真っ白になる。
いま、なんて。
「この想いが恋愛感情だと気が付いたとき、もう手放すことなど出来なかった。スミレへの恋情が日に日に増して抑えられなくなった。どんな姿にも心が惹かれていくんだ。全てが可愛らしくて愛おしい。スミレの笑顔が私を幸せにしてくれる。私だけに見せて欲しいと思ってしまうし、腕の中に閉じ込めてしまいたいとも思ってしまう。誰にもスミレを渡したくない。この世界の誰よりもスミレを愛すると誓える」
頬に朱色を浮かべながら、アレクシアさんは必死に言葉を伝えてくれる。少し上擦った声が飾らない本心のように感じて。それに、私が抱いていた感情と一緒で。
「どうか、私と婚約してくれないだろうか」
切実に問うその姿が私の胸を打つ。
こんなに幸せなことなどあっていいのだろうか。同じ気持ちだったと自惚れていいんだろうか。
ぶわっと全身が熱くなって、込み上げてくるのは狂おしいくらいの思慕の情。
「――私も、アレクシアさんが好きです。大好きなんです」
弾かれたように肩を揺らしたアレクシアさんに向けて、続けるように口を開く。
「わたし、アレクシアさんとずっと一緒にいたくて。この気持ちが叶わなくても、傍にさえいれればいいって…」
私は、アレクシアさんに出会えたことで変わることができた。
「こんなに人を好きになったことがなくて、自分の感情に振り回されて、分不相応じゃないかと悩んで。それでも私、アレクシアさんを好きな自分が好きだと思えたんです」
「スミレ…」
「私はアレクシアさんと比べるまでもなく色々と劣っているし、出来ることも少ないです。でも、少しでも望みがあるなら努力だけは惜しみません。わたしには、社畜の才能がありますから」
へへっと情けなく笑って、ふうっと息を吐いて、呼吸をととのえて。
「――こんな私でもよければ、よろしくお願いします」
上手く笑えていただろうか。きちんと伝わっただろうか。
そんなことを思う間もなく私はぎゅうっと抱きしめられていて。大好きな花の香りと伝わってくる温もり。目を閉じれば五感でより強く感じられる。
「嬉しい…!!好きだ、スミレがずっと好きだった。」
「ふふっ!私もです。アレクシアさんが大好きです」
ぎゅうぎゅうとお互いに抱きしめあって、ずっと秘めていた想いを伝えあって。
これ以上ないくらいに抱きしめあってから身体を離すと、そのまま頬に手が添えられた。
あぁ、心臓が痛いくらいに高鳴っている。羞恥心が込み上げてきて目を逸らしてしまうと、頬に手を添えられた手で顔の角度を変えられた。
私とアレクシアさんの鼻がくっついてしまいそうな距離で見つめあう。
その瞳は変わらず美しい瑠璃色なのに、その奥に秘めた熱を感じてぞくりと身体が震えた。
「あ…」
少し唇を開いたのと、アレクシアさんが視線をすっと落として近づいたのは同じタイミングだった。
唇に柔らかい感触があって、互いの呼吸が混じるのを感じて。
初めてのキスは振れるだけの優しいものだった。
目を開いたまま固まってしまった私を見て、アレクシアさんがくすりと艶やかに笑う。
それから愛おしそうに眼を細めて、ついばむようにもう一度優しくキスされる。甘い痺れが唇から全身にまわっていくみたいで、じわじわと熱い。
さらにもう一度、とそれから何度もキスを落とされて、私は緊張と興奮で顔が真っ赤になってしまう。
ちゅ、と音が鳴るたびに飛び上がってしまいそうになって、制止しようとアレクシアさんの胸を押した。
「あ、アレクシアさん、もういっぱいっぱいですっ」
「もう?ようやく始まったばかりなのに?」
手首を掴まれてそのまま引かれて、バランスを崩した私はアレクシアさんに寄り掛かってしまう。慌てて離れようと身体を離したところで、のぞき込むようにしているアレクシアさんと目が合った。
「スミレ、もう少しだけしたい」
そう言ったアレクシアさんが据わった目で私を見つめている。先ほどまでの甘い笑みが消え、飢えた獣のように爛々と輝く目だけが熱情を訴えていて。
ごくりと無意識に喉を鳴らした私は、これは非常にまずいのでは…と焼き切れそうな理性と闘いながら悟った。
「ち、ちょっと待って、アレクシアさんっ…!」
逃げ腰になったところで、アレクシアさんの腕がするりと私の腰に絡まる。
あ、このままじゃ倒れ――
コン、コン
ドアを叩く音に、二人とも大げさに身体が跳ねた。
アレクシアさんもはっと我に返ったようで、私と数秒見つめあったかと思うと勢いよく離れていく。
「すっ、すまない!私としたことが!」
「あ、えっと、いえ…」
びっくりした!びっくりしたびっくりした!!!
バクバクと鳴り響く心臓を抑えて、動揺のあまりきょろきょろと意味もなく視線をさまよわせる。
あ、あああのままだったらアレクシアさんと、私―――!!
アレクシアさんをちらりと見ると、アレクシアさんも同じくあわあわと手を彷徨わせたり、口を開いては閉じたりを繰り返している。
コンコンコン、と先程より控えめなノックの音が鳴って、アレクシアさんが「少し待ってくれ!」と叫んだ。
ちょっとだけ冷静になった私たちは互いに顔を見合わせる。
じわじわと笑いが込み上げてきて、ぷっと吹き出すように笑った。アレクシアさんも同じように笑い出す。
「なんかお互い動揺しすぎてて、面白くなっちゃいますね」
「ふふっ、メアリに見られたらからかわれるな」
二人で笑い合って、またじわじわと実感してきて。
どちらからともなく繋がれた手に、遠慮なく触れ合うことができる関係になれたことを噛み締める。
「あらためてよろしく、スミレ」
「はい!」
両想いってこんなに満ち足りた気持ちなんだ。
こんなに大切な気持ちを教えてくれて、私の人生に輝きを与えてくれたアレクシアさを大好きな気持ちが抑えきれない。
「わっ!」
私は勢いに任せて、アレクシアさんの腕にぎゅっとくっついた。
頭上から笑う気配がして、私は許されたとばかりにぎゅむぎゅむとくっつく。
それから先程のキスについてちょっとだけお願いをした。
「あの、さっきの――キス、なんですけど、心臓が持たないのでちょっとずつしてほしいです」
アレクシアさんはすっと目元を抑えて天を仰いだ。
「あーダメだスミレ、逆に我慢できなくなりそう」
「えっっ」
そんな不穏な台詞に合わせ、タイミングを見計らったようにメアリさんが部屋に入ってきたのだった。最近のメアリさんは以前にも増して研ぎ澄まされている気がする。
ちなみに今のままでは「スミレ様が危険です!」とのことで共寝は禁止となった。私が魘されてしまうことについては、皆で見守ってくれることになったので少々照れくさい。
アレクシアさんが本気で抗議したのはここだけの話。
少し寂しいけれど、今の私ならもう大丈夫。溢れんばかりの幸福が、悪夢を追い返してしまうだろうから。
大好きなアレクシアさんが隣に居てくれるなら、私はもっと強くなれる。




