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22-2


私はこの世界に来てからのことを、ぼんやりと振り返っていた。


精神状態がボロボロで、コミュニケーションを取ることが怖くて仕方がなかったあの日。

扱いにくいはずの私を、アレクシアさんは温かく迎え入れてくれた。メアリさんや薔薇の宮の人たちが、毎日の生活を全力でサポートしてくれた。


涙が枯れるくらいに泣いて、少しずつ支えてもらいながら歩きはじめて。視力を取り戻してからは、前髪を切って、少しずつオシャレも楽しめるようになって。


学ぶことを楽しいと思えるくらい回復して、また目標をもって努力することが出来るようになった。エドワードさんやエルモンド様のように、薔薇の宮以外の人たちとの交流も生まれて、話すことへの恐怖も薄れていった。


そして、人生で初めて恋と呼べるものをした。

アレクシアさんを好きなこの気持ちは、誰にも渡したくない大切なもので。


この世界での濃密な時間は、不運が続いた私への猶予期間だったのかもしれない。


「アレクシア、さん…」


私が居なくなったら、きっと悲しんでくれるだろう。それを申し訳なく思うし、嬉しくも思ってしまう。私の人生は良いものだったと言えるだろう。


ぴりっと刺すような痛みが走って、身体が強張った。

見下ろせば目に入る、自分の惨状。


切り付けられた傷跡、注射針の痕、一房切られた髪の毛。貧血で頭がぼうっとする。魔法を封じられているので治療も出来なくて、ただじっと耐える時間が続いていた。


今までに誘拐されてきたご令嬢らしき姿はなく、声も無い。理解したくない、思い出したくない。どうやって素材にしたかなんて冗談でも聞きたくなかった。


きっと私も、誘拐されてきた子たちと同じ道を辿るはずだ。


「――♪」


上機嫌な鼻歌が別の部屋から聞こえてくる。

あぁ、考えるのも嫌なのに、声の主が醜悪に笑う姿が脳裏に焼き付いてしまっている。


クロスフォルノ様は、自身の生い立ちについて武勇伝のように私に語った。

自分こそ王になるべき器だったのに、兄と年が離れていたこともあって王太子候補にもなれなかったこと。

それを当たり前のように受け入れる両親や兄に怒りと憎しみを抱いたこと。


「でも私は馬鹿のようにそれを表に出したりはしませんでした。ただ笑みを浮かべ周囲に迎合し、綻びが生まれるのを待っていた。けれど待っているだけでは駄目だったのです」


臣籍降下して侯爵となることが決定したとき、あまりの屈辱に感情を抑えることが出来なくなった。だから己の臣下であったにも関わらず、王太子である兄を慕いクロスフォルノ様をさげすむような発言をした子爵家次男を黒魔術で殺めたこと。

初めての人殺しを誰にも知られずに処理出来たとき、完全犯罪と粛清の成功に酷く興奮したこと。


「その時に気付いたのです。待っているばかりではなく、さっさと手を掛ければよかったと」


妻と子を始め、屋敷の人間を黒魔術で洗脳していること。

研究を続けた結果、珍しい魔力色を持つ人間を使えば魔術効率が飛躍的に上がることを知った。それから令嬢を誘拐して、その血や身体を使って強力な呪物を作り上げたこと。


そして、黒魔術と劇的に相性の良い時越え人の魔力色にたどり着いたこと。

幸運にも時越え人である私が現れたこと。


「喉から手が出るほど欲しかった素材が向こうからやってくるとは、私は本当に恵まれています。長らく我慢を強いられてきましたが、神は見ておられたのですね」


全ては、この国の実権を握るために。


私を材料にある呪物を完成させれば、殺人も呪いも洗脳も、所有者の気持ち一つで証拠も残さず行えるようになるらしい。

完成させた呪物をどう使うか、子供のように目を輝かせて話す姿は狂気の沙汰だ。


クロスフォルノ様はもう引き返せないくらい歪んでしまっている。


私はなるべく機嫌を損ねないように、無心で恐ろしい話を聞き続けた。

もしかしたらアレクシアさんが助けに来てくれるかもしれない。可能性は少なくとも、ただそれだけを心の支えにして、出来るだけ時間を稼ぎたかった。


でも、狂人の前ではそんな努力に意味は無いのかもしれない。


「さぁ、準備が整いました。貴女は私の最高傑作の一部になれるのです、光栄でしょう?」


攫われてどれくらい眠っていたか分からないけれど、目覚めてからの体感はまだ半日も経っていない。もう待てないとばかりにクロスフォルノ様は目を輝かせていた。

私は素材としてしか認識されていないのだ。


「儀式前に死なれては困りますからね、優しく運んであげますよ」


もう散々に手酷く扱ってきたのに、今更何を言っているんだろう。

にっこりと笑ったクロスフォルノ様が、私の身体を大切そうに抱えあげると、もったいぶるようにゆっくり歩き始めた。


隣の部屋へ入っていくと、部屋の中央にそっと降ろされる。私は横になった状態のまま視線だけを動かした。


あぁ、私は今魔法陣の中心に置かれている。


部屋中に刻まれた記号や文字は複雑な魔術式で、何の魔法かなんて全く分からないけれど良くないものに間違いない。

それから部屋の中央には供物台のような小さいテーブルの上に、ぽつんと小箱が置かれていた。


「ひっ…」


喉から引きつるような悲鳴が出る。

あれはだめだ、あれだけは本当にだめだ。


目に見えないはずなのに、禍々しいオーラを感じて全身に鳥肌が立つ。急に込み上げてきた吐き気にうっと息を詰まらせた。

考えるな。考えちゃダメなのに理解してしまう。あの箱が何で出来ているのか、何が収められているかを。


嫌だ、いやだ。


「助けて、アレクシアさん…」


迫りくる恐怖に、ぽろりと涙がこぼれる。

大切な人の名前を呼ぶ。もっと沢山話したかった。

こんな事なら想いを伝えておけばよかったと後悔しながら。


クロスフォルノ様が高揚した表情で、まるで儀式のごとく箱に向かって最上級の礼をする。それからゆっくりと手を掲げ、ついに魔法陣に魔力を流し始めた時だった。


バチィィン!!


雷のような爆音が轟き、大きく地面が揺れた。

巨大地震のような衝撃に、私の身体が跳ねて転がる。


「うぐっ!」


なすすべもなく転がって、鈍い痛みにくぐもった声が零れる。

けれどこの衝撃のせいか、全く動かせなかった身体の拘束が少し緩んだような感覚があった。芋虫のように身を捩れば、なんとか動けるみたいだ。


うつ伏せ状態からなんとか仰向けになると、頭を上げて辺りを見回す。

魔法陣の上に稲妻のような光がバチバチと走っていて、これが黒魔術なのかとクロスフォルノ様を見れば、何故か動揺したように顔をキョロキョロと動かしていた。


「なんだ!?暴走か!?」



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