21-1
召喚魔術の欠落について、澄玲は私を少しも責めなかった。
それどころか澄玲は「ありがとう」と言ってくれた。夢にも思わなかった言葉に、暗闇の中にいた私の心はあっという間に掬い上げられた。
澄玲の御父上が召喚魔術の綻びを紡いでくれていたことも知った。しかも御父上まで私に感謝を伝えてくれたのだ。湧き上がった想いが雫となって、久しぶりに零れ落ちた。
あの時改めて誓ったのだ。他の誰でもない、私が必ず澄玲を幸せにしてみせると。
私は澄玲を、心から愛している。
それなのに、厄介ごとは立て続けにやってくる。
カサンドラ公爵には手を焼いていた。火のない所に煙は立たぬと周りも噂に流され始め、その貴族らしい手腕に感動すらしてしまいそうだ。
最近は茶会や夜会の度に私の色のドレスやアクセサリーで着飾って、私から贈られたと誤解を与えるような発言を繰り返しているらしい。
薔薇の宮に何度も偵察に来ていたようだが、まさかレイチェル嬢本人が現れるとは思わなかった。
だが、どうにも腑に落ちない。
増員した警備員に、魔法鳩の使用も許可した厳戒態勢。それなのに警備員は誰もレイチェル嬢に気付いていない。
その手の行動に長けた従者を雇ったのかと思ったが、共に来た従者はがたいの良い大男で、俊敏さや隠密行動にはどう見ても不向きだ。
公爵を呼び出して待っている間、魔力察知が出来る者に侵入経路に残滓が無いか確認に行かせると、闇魔法らしき魔力の残滓があったと報告してきた。警備の人間が全く気付いていないことから、おそらく幻影魔法で侵入してきたと推測される。
闇魔法は適性のある者が少なく、それでいて他の属性よりも扱いが難しい。
「……違和感しかない」
ノルクスを襲った破落戸共の経歴を調べていけば、全員カサンドラ公爵の商いに関わっていたことが判明している。
それから未だ解決していない誘拐事件についても、誘拐が起こるタイミングは近くで公爵夫妻か娘、それに関わる上位の従者が目撃されている。
念のためにと、クロスフォルノ侯爵家の闇魔法使いが公爵家へ潜入捜査を開始した。結果、黒魔術の痕跡をいくつか見つけたという報告が上がっている。
手札は全て揃っている。しかし、肝心の公爵や妻娘は何かを起こす以前に、起きていることに気付いていないのだ。
一体どういうことなのか。もしや、公爵家を陥れるための大それた計画なのでは――
「アレクシア様、公爵が参られました」
思考が中断される。仕方ない、今日で全てに決着をつけるまでだ。それによって問題が起きようとも、澄玲に害が及ばなければそれで良い。
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自室に戻ってきた私は高ぶった感情が収まらず、部屋をうろうろと歩き回っていた。
付き添ってくれていた侍女さんが、今は一人の方が気楽でしょうとお茶のセットを用意してくれて下がっていく。
その心遣いに感謝して、いつもの配分でミルクティーを作って一口飲んだ。
少しだけ気が紛れたけれど、それでも落ち着かない心を持て余した私は立ち上がって寝室の扉を開け放った。
「わぶっ」
勢いよく走ってベッドの上にダイブすると、ふわふわの羽毛布団にぼふっと包み込まれる。
しんと静まり返った部屋の中では、心臓がどくどくと大きな音を鳴らしているのが良く聞こえる。
自分でも身体が強張っているのがわかるくらいに、気を張っていた。真っすぐに向けられた敵意を思い出せばぶるりと身体が震える。
目を閉じてしまえばカサンドラ様の憎悪に満ちた瞳が蘇ってきて慌てて目を開く。怖かった、本当に怖かった。激情が向けられた時、もしアレクシアさんの御守りが無かったらと思うとぞっとした。
「ふぅ、大丈夫、だいじょうぶ…」
それでも逃げ出さずになんとか持ちこたえられたんだ。偉いよ私、頑張ったんだよ、と何度も心の中で自分を慰めた。
火傷の治療は私がするべきじゃなかっただろう、でもどうしても気持ちが収まらなかった。気付いてしまったら何もしないままでいられなかった。あの時に戻れないからどうしようもないけれど、上手く治せたから大丈夫、だと…思う。
深呼吸を何度も繰り返して、少しだけ気持ちが落ち着いてきて。なんとか感情の波を越えられたと思った時だった。
ちかちかと視界の端で何かが光っていることに気付いて、顔を上げる。
「え…?なんだろ」
寝室から開け放ったままの扉を覗くと、ローテーブルに置いてあるジュエリーボックスが光っている。
以前アレクシアさんに買ってもらった、夜空がモチーフの綺麗な宝石箱だ。
首を傾げながら近づいていくと、中から赤黒い光が漏れだしている。
どうやらジュエリーボックスではなく、中に入れているものが発光しているらしかった。
そっと箱のふたを開けると、中で光るプレートを見つけて更に眉を寄せる。
恐る恐る触ってみるが、熱を帯びているわけでもない。
「これ…クロスフォルノ様がくれた栞だ」
光っていて判りにくいけれど、よく見れば薄い金属板に幾何学模様が描かれている。
貰った時には何も言われなかったけれど、この模様は魔術式なのかもしれない。でも突然光った意味が解らず、くるくると栞をひっくり返して見つめていると。
「あれ…?この花ってこんな色だったっけ」
ピンクの押し花だったはず、と思った時だった。
赤黒い光が一層強くなって、私の視界を焼くように輝いた。あまりの眩しさに目を瞑ると同時に、肌が粟立つような魔力を感じる。ぐにゃりと平衡感覚が揺らいだ。
ひゅっと息を呑んで、どうにか倒れないようにと足に力を入れる。
そこで気付く、上手く呼吸が出来ない。
なにこれ、ぐらぐらして、気持ち悪い―――
そこで、私の記憶は途切れた。
カシャン、と音を立てて落ちた栞は黒炎を上げて燃え尽きるように消えていく。傍に一枚の花弁がひらりと落ちて、部屋が静寂に包まれた。




