20-3
「良いですかスミレ様、言質を取られるようなことは極力避けねばなりません。返答に困ったら、アレクシア様の判断を仰ぐと言って明確な回答は避けるのです」
「わかりました、が、頑張ります…」
「先程アレクシア様へ魔法鳩を飛ばしましたから、少しの辛抱です。どうか落ち着いて」
メアリさんに気合いを入れられて、私はふうっと息を吐くと応接間へ向かう。
緊急時しか使えない魔法鳩を飛ばしてくれたので、きっとアレクシアさんは戻ってきてくれるはず。そう信じて始まったお茶会は、初手からカサンドラ様の独壇場だった。
アレクシアさんの瞳のような深い青のドレスに、金のアクセサリーを沢山身につけているカサンドラ様は、優雅に紅茶に口をつける。
「あら、この茶葉はどちらのもの?」
「エゾリオート王国産の茶葉です。すっきりとした味わいが特徴で…」
「ふうん、どうりで寒々しい味ね。わたくし東南の茶葉しか口に合いませんの、取り替えて頂戴」
そこから茶葉を東南産に変え、茶菓子も気に食わないとバタークリームたっぷりのケーキに変え。ソファーの座り心地が悪いとクッションを要求され。メアリさんが私に協力的なことに気付くと、部屋の外まで下がらせた。
そうして部屋に二人きりになった途端、カサンドラ様はあくまで上品に微笑みながら、私がここにいること自体が場違いだと告げた。それから私の存在がいかに不愉快か、一つ一つあげつらうように語り始めた。
マナーしかり、言葉しかり。私のマナーは及第点を貰ってはいるが、上流貴族のご令嬢には付け焼刃だと見抜かれてしまう。
「御見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
「見苦しいと思うなら早くご自分の国へ帰ったらいかが?あなたがいるとアレクシア様もわたくしも婚期が遅れてしまうもの」
きつい言葉をずっと投げかけられるのは、正直とても辛い。今すぐにでも逃げ出したかった。それでもなんとか座って微笑んでいられるのは、あの日見たカサンドラ様が脳裏に焼き付いて離れないから。
素っ気なくされても、めげずに立ち向かっていくカサンドラ様は輝いていて、その笑顔が眩しかった。
対して私はアレクシアさんに何の見返りもなく可愛がってもらって、ようやく自分の気持ちに気付いて。恵まれた環境に胡坐をかいている自分の弱さが如実に浮かび上がってくる気がして。
だからこそ、私もきちんと言葉にしなきゃいけない。
ぐっと奥歯を噛み締めて、私はカサンドラ様の瞳を見つめる。
カサンドラ様は少し怪訝そうに眉をひそめた。
「あら、国に帰る気になったかしら?」
「いえ…。わたくしはこれからも、アレクシアさんのお傍にいるつもりです」
「なっ…!」
「この想いを告げるかはまだ決めておりません。ですが、どのような形であれお傍にいたいと思っております」
「想い、ですって…?どういうことかしら、わたくしには分不相応にもおまえがアレクシア様を慕っていると聞こえるのだけれど?」
釣りあがった眉と目尻が、怒りを如実に伝えてくる。
「はい…っ、おっしゃるとおりです」
「……」
沸々と湧き上がるようにカサンドラ様からじわりと魔力が溢れ出ていて、激高しているのだとすぐにわかった。
まずい、直球すぎたかもしれないと内心冷や汗をかいていると、急にカタカタとティーカップが揺れだす。
驚いて中を見ると、紅茶がぐつぐつと沸騰している。驚いて息を呑むと、そのカップがひとりでに浮き上がり始めた。ゆらゆらと浮かぶカップは安定しておらず、いつ落ちてもおかしくない。
「許さない…許さないわ、お前が憎くて仕方ない…」
「か、カサンドラ様、紅茶が」
情けなくも自分の声が震えているのがわかった。
憎悪を込めた瞳が私を射抜く。口の端を持ち上げたカサンドラ様が、すっと立ち上がって私を見下ろした。
「お前のような顔が好みなのかしら?こんな冴えない顔が。いけないわ、そんなの、正して差し上げなければ…!」
その瞬間、沸騰した紅茶が私の顔に向かって放たれた。
避ける暇など無く、ただぎゅっと目を瞑って襲い来る衝撃を受け止める―――はずだった。
ガチャンと割れるカップに、ぱしゃんと跳ねる水の音、それから小さいカサンドラ様の悲鳴。それなのに熱湯をかぶった衝撃がこない。
恐る恐る目を開くと、私の前には金色に光る壁があった。
「え…?」
その光は私の胸元にあるペンダントから出ていて、壁の外側で割れたカップと水たまりが床に広がっている。そうだ、このペンダントにはアレクシアさんが守りの魔法を込めてくれていたんだ。
「なによ…どういう…」
カサンドラ様が困惑したように呟いた。
メアリさんが血相を変えて私の元へ走ってくる。その後ろから、綺麗な金の髪を揺らしながらもう一人の姿が現れた。
あぁ、来てくれたんだ――そう気づいた瞬間、張りつめていた息が漏れる。
「スミレ!」
アレクシアさんは真っすぐに私の元へ駆け寄ってきて、私の両腕を掴んで怪我をしていないかを確認する。
「大丈夫です…この石が守ってくれました」
「そうか、よかった…」
きゅっと握り込んだペンダントを差し出すように見せると、アレクシアさんはほっとしたように微笑んだ。守り石が光っているのを確認し、それから足元の惨状に目をやる。
ぶわっと感情と共に魔力が溢れたアレクシアさんが、そろそろと後退しているカサンドラ様に鋭い視線を向けた。
「これはどういうことだ」
絶対零度のような冷たい言葉が放たれ、カサンドラ様がたじろぐ。
「事故ですわ、手元がくるってしまって」
「魔力の残滓がある。ごまかせると思うなよ」
「わ、わたくしが先にアレクシア様のことを!それなのにこの女がっ」
「それ以上話すな、後は公爵を呼び出してから聞いてやる。連れていけ」
カサンドラ様が言い返そうと目を潤ませて叫ぶが、アレクシアさんがぴしゃりと言葉を投げ捨てる。その時にふと、カサンドラ様が腕を抑えていることに気が付いた。
先程の小さい悲鳴を思い出して、自然と声を掛けていた。
「カサンドラ様、火傷されていませんか」
「っ、煩いわねっ…」
「見せてください」
ソファーから立ち上がって、カサンドラ様が隠すようにしている腕を見ながら近づいていく。アレクシアさんの制止する声が聞こえるけれど、私には隠された腕しか見えていなかった。
カサンドラ様は気持ち悪いものを見るように顔を歪めて、近づく私を追い払おうと手を上げる。ようやく隠していた部分が見えて、勢いよくその腕を取って引いた。
「ちょっ、やめなさい!」
「火傷していますね、かなり痛いはずです。治療させてください」
沸騰した紅茶は魔法で弾かれてかなりの量が跳ね返ったはずだ。赤く腫れていて、水膨れが生まれようとしていた。
「はぁ?嫌よ、お前なんかに…!」
「早い方がいいです、お願いします」
肩を叩かれたり押されたりしたが、傷口に集中し始めれば気にならない。
指先に魔力を込めて魔術式を書いていく。よし、上手く描けた。患部が治る様にイメージを繰り返しながら魔法を発動させれば、ようやくカサンドラ様の抵抗が弱まった。
これでもっと集中できる。元のきめ細やかな腕を想像して魔力を注いでいけば、徐々に傷が薄くなっていき、光が収束していく。
完全に光が消えたときには、火傷の痕跡は跡形もなく消え去っていた。
「ふぅっ、上手くいきました…!」
そうやって声を上げたときに、ようやく自分が何をしたのかを俯瞰することができた。どうしよう、後先なんて気にせずに火傷を治すことしか考えていなかった。
「うそ…」と驚いたように声を上げたカサンドラ様も我に返ったのか、さっと腕をひっこめる。
「あ、その…」
「レイチェル嬢、別室へ」
何も言えずにもたつく私の前に、アレクシアさんが割って入る。カサンドラ様も先程までの勢いが消えて、従者と共に部屋を出た。
ふわ、と頭を撫でられて顔を上げると、アレクシアさんが困ったように笑っている。
「スミレ、少し部屋で休んでおいで」
「…はい…」
こくりと一つ頷いたときに、じわりと肩が鈍く痛んだ。
促されるままに、少々放心したまま私も部屋を出るのだった。




