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19-2


「アレクシアさん…!」


「迎えに来た。遅れてしまってすまない」


黒の燕尾服に、片側に流れるように編まれた三つ編みが映える。初めて見るその姿に見惚れてしまうのはどうしようもなくて。


「スミレ?どうしたの?」


「あっ、すみません!あの…今日は来てくれてありがとうございます」


じわじわと身体を包むように喜びが込み上げてくる。エルモンド様もメアリさんも、アレクシアさんが迎えに来てくれる前提で話を進めていたから不安だった。

でもまさか、本当に来てくれるなんて。


「エルモンドが連れ出したと聞いて驚いたよ。まぁ…特に問題はなかったようだか」


エルモンド様が去った方を一瞥してから、正面から私のドレス姿をまじまじと見るアレクシアさん。上から下まで視線が何度も動くのを見て、さすがにいたたまれない。


「私、変でしょうか…」

「ああっ、いや!いつもと雰囲気が違うからつい!とても綺麗だよ」


似合ってないという訳ではなかったようで、ほっとする。アレクシアさんに褒められると殊更に嬉しかった。


「アレクシアさん、よければ少し飲んでいきませんか。果実水もありますよ」


「ではシャンパンを頂こう。大丈夫、少し疲れているだけだから」


仮面で目元が見えないので顔色を伺えないが、アレクシアさんの言葉を信じてシャンパングラスを差し出す。気晴らしは大切だとエルモンド様から学んだばかりなので。


ぽつぽつと会話をしつつ、アレクシアさんも食事を摘まんでくれる。けれどどこか上の空のようで、その瞳はやっぱり陰っているように感じた。

どう切り出したらよいだろう、とぐるぐる考えていたとき、ふと二階のバルコニーが視界に入る。


「アレクシアさん、少し涼みましょう」


私は勇気を出して、アレクシアさんの腕に自分の腕を絡める。それから腕を引っ張るように強引に歩き始めた。カサンドラ様は素面でもできることだけれど、私はお酒の力を借りないとできない。それでも、今は。


「スミレ?」


アレクシアさんが少し焦ったように私を呼んだけれど、私は構わず進んでいく。階段を上って、人気のないバルコニーを見つけると、扉を開けて一緒に外に出た。


大きく息を吸って、澄んだ空気を取り入れる。

涼しい空気が私たちを包んで、酔いを覚ましてくれる心地がした。


少し冷静になった私は絡めていた腕をそっと解くと、アレクシアさんに向き直る。


「アレクシアさん、戻ってこれない理由を教えて貰えませんか?」


「それは…」


「私に関わる事なんですよね?」


私の確信めいた言葉に、アレクシアさんは瞳を揺らした。

あぁ、やっぱりそうなんだ。


アレクシアさんは苦しそうに唇を噛み締めて顔を伏せた。かろうじて見える瞳が左右に動いていて、明らかに私に伝えるかを迷っている。

でも、私だけが知らないままではいたくない。


「どんな事だっていいんです。お願いします…教えてください」


ひゅうっと強い風が、二人の間を駆け抜ける。


暫くの間、アレクシアさんは沈黙したままだった。私も何も言わず、ただただ言葉を待っていると、パチンと指を鳴らす音がした。防音結界が張られた合図だ。


アレクシアさんはそっと顔を上げて、暗い瞳のまま口を開こうとしては閉じる。何度か繰り返したあとに発された声は、消えてしまいそうだった。


「スミレ…私はスミレを殺してしまうところだったのだ」


ひゅっ、と自分の喉が鳴る音がした。

まるで懺悔するように悲しみを讃えた瞳が、アレクシアさんの苦悩を映し出す。


「私が構築した召喚魔術に、欠落が見つかった。その欠落は、スミレの世界とこちらの世界を繋ぐ次元部分の魔術式だった。何度も何度も試算した、全ての試験データを取り直した、そんなことはありえない、あってはならないと。だが今日、最終結果がチームから出された」


一つ一つ、事実を述べていくように区切りながらアレクシアさんが口を動かす。

それから仮面を括りつけていた紐を解いて外すと、アレクシアさんの目元が露わになった。あぁ、濃い隈が出来ている。


ぐしゃりと前髪をかき乱しながら、アレクシアさんは絞り出すように告げた。


「結果は、重大な欠落ありだ。スミレがこちらの世界に来れたことが奇跡だと。スミレは、次元の狭間に取り残されて……死んでしまう、はずだったと」


「――そんな」


私はあの日、死ぬはずだった?

でもこうして生きている、私はこの世界に迷わずこれた――


刹那、あの日の光景がフラッシュバックした。


真っ白な空間。

溢れ出す光の奔流。

金色の美しく眩い、どこまでも続く道。


そして、私に語り掛けてくれた父。


見開いた視界の中に蘇った光景は、今でも鮮明に思い出せる。

うねる様に輝く光の中に現れて、私の道だと示してくれたのは父だった。


あれは夢でも幻想でもない、現実だったのだ。

引きずり込まれた世界の狭間で、亡くなったはずの父に再会できたのだ。


そして父は、アレクシアさんに私を託した。


「あ…」


気が付けば涙が頬を伝っていた。


「っ、スミレ、すまないっ…私はスミレを、助けるどころか殺めてしまうところで…っ」


ぐしゃりと顔を歪めて謝るアレクシアさんに、無意識で抱き着いていた。久しぶりに感じるアレクシアさんの花の香りが、私の視界を更に潤ませる。


「いいんです、謝らなくていいんです。もう大丈夫です、アレクシアさん」


「だが私は、自分が許せない…っ」


「あの日、私は登ろうとした階段を踏み外すようにして、真っ白な空間に落ちていきました」


私の告白に、アレクシアさんがはっと息を呑む。

そっと背中に回した腕であやすようにさすりながら、私は続けた。


「その空間に入ってすぐ、足元から金色の光が溢れてきたんです。そしてあっという間に一つの道になりました。道の上に立って綺麗な光を眺めていると、後ろに気配を感じたんです」


あの時、人生で一番の後悔を消し去ってくれたのは。

人生で一番の願いを叶えてくれたのは。



「そこには亡くなったはずの父が立っていました。私と父はそこで、少しだけ話すことができました。言われたんです、光の道を歩いていけば、澄玲を大切にしてくれる人が待っていると。澄玲と会えた感謝を、その人へ伝えてくれと」


「あぁ…そんな…」


私の肩の上に、ぽとりと温かい水滴が落ちる。


「思い返せば、アレクシアさんの魔力色と同じ光の道でした。魔術式には欠落があったのかもしれませんが、私はあの立派な道があったからこの世界に来られたんです。父に背中を押されて光の道を駆け抜けたとき、不思議と身体が軽かったことも覚えています」


それを奇跡と呼べるのなら、私はとんでもない幸運を引き当ててしまった。


「私からもアレクシアさんに言わせてください。あの時、もう一度父に会わせてくれてありがとうございます。夢じゃ、なかっ、たっ…!」


涙が溢れてうまく言葉に出来なくて、ぎゅうっと抱きしめる腕に力を籠める。弱い力で抱きしめ返してくれたアレクシアさんが声を震わせた。


「あぁ…スミレの御父上が、見守っていてくれたのだな…」


その声にはもう、苛むような自責の念は無くなっていて。欠落を発見してから、アレクシアさんがどんな思いで過ごしていたかと思うと胸が痛かった。でももう大丈夫だ。


「もう自分を責めないでください。アレクシアさん、私はここにいます…だからもう、一人で悩まないで…」


返事の代わりに抱きしめる腕の力が強くなる。この温もりが私をずっと導いてくれていたからここまでこれた。


「…わたし、アレクシアさんに出会えてよかった」


心の傷を癒してくれて、新しい感情を教えて貰って。こんなに大切な人の心を、私のせいで曇らせたくない。


「…スミレには、かなわないなぁ」


ふっと笑う気配がした。

それからしばらくの間、私たちは互いの気持ちを確かめあうように抱きしめあった。



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