19-1
あの時感じた私の不安は、日に日に大きくなっていく。
あと少しで終わると言ったアレクシアさんは、結局薔薇の宮に一度も帰ってきていない。
戻らなくなって三日目を迎えた昼下がり、エルモンド様がいつものようにやってきた。
「はぁ…事情は分かるがこれでは本末転倒だな」
「エルモンド様、アレクシアさんが戻れない理由を知っているんですか?」
「エドワードから少し聞いたが、姉上の行動はもはや執着だ。メアリもわかっているのだろう」
「…その理由、私にも教えて貰えませんか」
メアリさんは言葉を濁して教えてくれないのだ。その様子を見て、もしかしたら私に関わる事なのかもしれないと思い始めている。
エルモンド様は少し考えるように目を伏せたが、すぐに頭を振った。
「本人から直接聞くべきだ――が、戻ってこないなら聞きようもないな」
どうしたものかとソファーに背中を預ける姿を見て、やっぱりだめかと肩を落とす。
アレクシアさんは一体何を抱えているのだろう。私には考えても答えが出ないのだ。
すると唐突にエルモンド様は「良いことを思い付いた」と言い放つと、面白いおもちゃを見つけたように私を見る。
「よしスミレ、今宵は仮面舞踏会に行くぞ」
「仮面舞踏会?」
「そうだ、貴族が顔を隠して楽しむ夜会のようなものだ。身分を隠せるから気晴らしに丁度いい」
「あの…そういう場はちょっと苦手で」
「行ってみないとわからんだろう。そなたは引きこもりすぎだ、これ以上ウジウジされるとかなわぬ」
「うっ、すみません」
「メアリ、少し良いか」
部屋の隅に控えていたメアリさんが、すすっとこちらへやってくる。美しい所作で腰を落として一礼したところで、エルモンド様は口を開いた。
「スミレを仮面舞踏会に連れていく。日が落ちる頃に迎えにくるから、それまでに支度を頼む。護衛は私の影が付くから心配はいらん。それから姉上への報告は時間を置け。そうだな、最低でもスミレが宮を出た後だ」
「仮面舞踏会への参加は承知いたしました。ですが、アレクシア様への報告については」
「メアリ、そなたも姉上に思うところはあるはずだ。侍女としての手腕は認めているが、本人が戻ってこなければ話にならない」
「それは…その通りにございます」
エルモンド様がメアリさんを諭すように告げると、メアリさんは僅かに表情を崩す。どうやらメアリさんも今の状況は良くないと思っているらしかった。
「スミレも少々羽を伸ばしたほうが良いのだ。手が空いたら迎えを頼むと伝えてやれば十分であろう。私に指示されたと言えばいい」
「――かしこまりました」
メアリさんが深く一礼したのを見て、私は内心驚いていた。影の支配者と言われていたメアリさんでさえ、今のアレクシアさんを止められないのか。
「よし、そうと決まれば話は早い。私も一度城に戻る。スミレ、また夜にな」
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仮面舞踏会なんてファンタジーの世界にしか存在しないと思っていたのに、まさか自分が行くことになるなんて。
あれよあれよと決まった後、私はメアリさん達に全身を磨かれていった。
仮面舞踏会では、いつも着ているような淡い清楚なドレスだと浮いてしまうらしい。というわけで、あまり露出のないものから選ばれたのは深紅のドレスだ。
ホルターネックなので胸元の露出がなく、けれどぴったりとフィットするので体のラインが出るようになっている。上からレースのストールを羽織れば、今までで一番大人びて見えた。
夜会では目元を隠すので、仮面に負けないようにリップも普段付けない艶やかな赤だ。
「なんだか、自分じゃないみたいです…」
「ふふ、とても綺麗ですわ。ダンスを始められてから背筋が伸びて、このようなドレスも着こなせるようになったのです。スミレ様が努力した結果です」
「そっか…こんな風に実感できることもあるんですね。嬉しいです」
鏡に映る私の姿は、この世界にやってきた時とは雲泥の差だ。
こうして努力したことが形になって、それを褒めてくれる人がいる。今の私なら、ちょっぴり自信が持てる気がした。
そうか、自分の頑張りを自分で認めてあげることって大切なんだ。
「さぁ、参りましょうか」
薔薇の宮の前に停めた馬車からエルモンド様が降りてくる。エルモンド様も暗い赤の紳士服に身を包んでいて、掻き上げた前髪とおでこが色気を醸し出している。
本物の王子様の舞踏会ファッションは目に痛いぐらい麗しい。
「エルモンド様、いつもと全然雰囲気が違ってびっくりしました。とても大人っぽくて素敵です」
「なんだ、惚れたか?」
「あはは、とても素敵です」
「上手くかわしたな。まあいい、そなたも大人びてみえる。似合うではないか」
「お褒めに預かり光栄です」
そのまま馬車に乗って、私たちは仮面舞踏会の会場まで向かった。
会場に着いたら馬車の中で仮面をつける。私たちは目元を隠す派手な仮面をつけて、会場内へ入ることにした。
会場内は薄暗く、間接照明と淡く光るシャンデリアが大人の空間を作っていた。しっとりとした曲が絶えず演奏されていて、色とりどりの仮面をつけた男女がこの空間を楽しんでいる。ブッフェスタイルらしく、近くのテーブルセットを指定して座ると、まずはシャンパンを頂くことにした。
エルモンド様と互いにグラスを上げて乾杯し、口へ運ぶ。
「久しぶりのお酒、おいしいです」
「それは良かったな。この席ならば人も少ないし、あの話を聞かせろ」
さっそくアニメの話を聞かれたので、私はエルモンド様に語り聞かせる。毎回飽きるどころか楽しみにされるので、私もどう話せば楽しんで貰えるかと力が入るのだ。
お酒も入って徐々に饒舌になった私は、今までで一番臨場感溢れる喋りが出来たと思う。
「良い!今までで一番上手い語りだったぞ、面白かった」
「やりました!お酒を飲んでるからか、いつもより上手く話せた気がします」
「上手く酔えるタイプか。さて、そろそろ会場内を散策するか」
それから私たちは立食でつまみながらワインを頂いたり、踊っている人々を見たりと会場内を歩いてまわった。何度か声を掛けられたものの、カップル参加と思われているようで強引な人は居ない。
それから二人で壁の花になると、エルモンド様は楽しそうに人間観察を始めた。いい雰囲気になっているカップルもいたり、それから修羅場っぽい人もいたりして中々楽しい。
「スミレ見てみろ、あれは不倫だな。自分の顔に自信があるのだろう、片目しか隠しておらんから奥方にバレたのだ。奥方の嗅覚を侮ったな」
一つ一つ解説していくので、私は面白くて声を上げて笑ってしまう。
「エルモンド様って悪友みたいです。本当に悪いって意味じゃなくて、こういう事を楽しめる友人といいますか」
「ほう、スミレと私は悪友か。悪くない」
お酒も進み、エルモンド様も私も普段より感情が乗ってやいのやいのとくだらない事を話す。居酒屋で友人とこんなふうに飲んでいたなぁと思い出して、懐かしくも楽しい。
「さ、大分気晴らしになったのではないか?」
「はい!ありがとうございます」
満足気にエルモンド様が笑うと、私のすぐ後ろに視線を向けた。
「迎えが来たな。では私は別で楽しむとするよ」
「はい…って、え?」
エルモンド様がそのまま背中を見せて去っていく。迎えという言葉に慌てて振り返ると、そこには。




