17-2
「無事に着きましたね、スミレ様」
「はい、なんだかいつもと違って緊張します」
軽食の入ったバスケットを持ちながら、魔術協会前で馬車を降りた私とメアリさんは、本館へと向かっている所だった。
見上げた空には日が高く昇っているけれど、奥から分厚く暗い雲がこちらに向かってきている。このままだと雨が降りそうだな、と思いながら入口をくぐった。
メアリさんが受付で面会依頼をしてくれるのを待ちながら、私は窓の外をぼうっと見ていた。
早くアレクシアさんに会いたい。
入口の奥には大きな窓がいくつもあって、魔術協会の広い敷地が見渡せる。大広場で魔術の練習をしている人の姿もあれば、芝生の上に布を敷いて昼食を食べている人もいた。
ここで食べるのもいいなぁ、と思っていると、視界の隅で知っている背格好の制服姿が見えた気がして。
思わず窓に駆け寄って目を凝らす。遠いけれど、あれは間違いなくアレクシアさんだ。こちらに向かって芝生の上を歩いている。
「アレクシアさん…!」
久しぶりに会えたことが嬉しくて、慌てて窓側から出られる扉を探した。けれど外へ出るには正面入り口を出てぐるっと迂回しないと行けないようだ。
メアリさんに声を掛けに行こうと思い、その前にもう一度アレクシアさんの姿を確認しようと窓を見て――窓枠に隠れて見えなかったその奥に、アレクシアさんと並び立つようにもう一人居ることに気が付いた。
その人の腕はアレクシアさんに絡んでいて、見上げながら楽し気に口を開いている。
「あ…」
嬉しそうに腕を引いていたのは、カサンドラ様だった。
アレクシアさんは浮かない表情をしているが、大人しく腕を引かれて歩いていて。
私は呆然としながら、こちらに歩いてくる二人の姿をただじっと眺める。
二人は木陰までやってくると、そこにあるテーブルセットの椅子に腰かけた。カサンドラ様が向かい合って座ると、すぐに侍女らしき人がテーブルに軽食を広げていった。
「ごはん…」
サンドイッチの入ったバスケットを持つ手に力がこもる。違う、こんな気持ちになるのは間違ってる。持ってきたことをアレクシアさんは知らないんだから。
アレクシアさんはテーブルの上の食事に興味を示さずに、練習場に視線を向けている。
そのまま手を付けようとしない姿を見て、カサンドラ様が少し怒ったような顔をして話しかけた。
それからパンを一つ手に取ると、ぐいっとアレクシアさんの口に押し付ける。
押し付けられたアレクシアさんが、仕方なさそうに口を開けて齧ると、カサンドラ様はぱっと目を輝かせて嬉しそうに笑った。
もそもそと口を動かして食べてから、アレクシアさんが何か話す。それに楽しそうに答えて、カサンドラ様はアレクシアさんの皿に料理を盛り付けていく。
そのしぐさや表情がとても可愛くてきらきらしていて。アレクシアさんは気だるそうだけれど、それが気心の知れた間柄に見えて―――私はすうっと目の前が暗くなるような心地がした。
ガラスを一枚隔ててみる二人は絵画のように美しくて。
とてもお似合いの二人に見えて。
隣にいるべきは私じゃないと見せつけられたように感じて。
ぎゅうっと苦しくなった胸に、自分の感情の答えを突き付けられる。
「…はは、こんな風に気付きたくなかったな…」
メアリさんの足音がこちらへ向かってくる。私は伏せた顔を上げられない。
「お待たせしました、アレクシア様は休憩中のようでして、今エドワード様が代わりに…」
「ごめんなさい、少し気分が悪いので馬車に戻ります。これ…っ、お願いします!」
「スミレ様!?」
ごめんなさい、私はメアリさんのご厚意を無駄にしてしまいました。
ぐいっとバスケットをメアリさんに押し付けて、私は逃げるように駆け出した。
手を伸ばしたメアリさんを振り切って、はしたなくも走って本館を飛び出す。そうしないと涙がこぼれてしまいそうだった。
飛び出した勢いのまま必死に足を動かしていると、あっという間に追いかけてきた足音が私の腕を掴みとった。
「スミレ嬢!待ってください!」
聞き馴染みのない男性の声に勢いよく振り返れば、そこには夜会で挨拶したクロスフォルノ侯爵が息を切らして立っていた。
「クロスフォルノ、さま…?」
「はぁっ、間に合ってよかった。モメントリ嬢がひどく心配していたからね、一人歩きは危ないよ」
「はい…」
足が自然と止まっても、上がった息は収まらなくて。
侯爵様に迷惑を掛けてしまったというのに、動揺して何も言葉が出てこない。
ただ涙が滲みそうなのを我慢していると、クロスフォルノ様はジャケットの内ポケットから何かを取り出した。
「これを貴女に」
「これ、は…?」
小さく魔力が動くような感覚がして、手渡されたのは綺麗な栞だった。
薄い金属板に幾何学模様が描かれていて、そのうえにピンクの花が押し花になってくっついている。
「私は貴女の悲しんでいる原因を存じませんが、綺麗なものを見れば人の心は鎮まることもある。娘へのプレゼントにと、先ほど雑貨屋で購入したのです」
「あ…いえ、娘さんを思って買ったものでしたら、お渡ししてあげてください」
お返ししようとすると、懐から似たような栞をいくつか取り出した。
「実はまだ沢山あるんです。一つくらい大丈夫ですよ」
肩をすくめてクロスフォルノ様が笑った。
そんなクロスフォルノ様の優しさに、私も少しだけ肩の力が抜ける。
「…ありがとうございます。それに、ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」
「いえいえ、姪の大切な友人ですから。困った時は頼って頂いて構いませんよ」
その時、魔術協会からぱたぱたと走ってくる音が聞こえてきた。
メアリさんが走って探しに来てくれたのだ。
「クロスフォルノ様!申し訳ございませんでした」
「少しはお役にたてたかな?ではお嬢様方、お気をつけて」
にこっと笑みを浮かべると、クロスフォルノ様は魔術協会へ戻っていった。
私は栞をぎゅっと握りしめて無理矢理笑顔を作ると、不安そうに私を伺うメアリさんを見た。
「ごめんなさいメアリさん、今日はもう宮に戻りたいです」
「スミレ様…何があったのです?」
「何でも、ないんです。ただ、今日はもう部屋で過ごしたくて」
困惑させてごめんなさい。そう告げると、メアリさんは私の気持ちを汲んでくれて、そのまま薔薇の宮へ戻ることになった。
馬車の中でも、何も言えずに座っているだけで苦しくてたまらなかった。
一人になりたいと告げて、私はすぐに部屋に籠る。
自室に入った途端涙が溢れ出して、どうしてこんなタイミングで気付いてしまったんだろうと苦しくなった。
「っ…こんなに、好きになっちゃってたんだ…っ」
私がアレクシアさんの傍にいたいこの気持ちは、父への親愛でもなく、メアリさんへの友愛でもない。純然たる恋心。
――アレクシアさんが好き。
気付いてしまったら止められない。私はなんて分不相応な恋をしてしまったんだ。
カサンドラ様を見て気付くなんて、どこまで鈍感なんだろう。それに、あの二人は誰がどう見てもお似合いで。
この胸の痛みが嫉妬心だと気付いたら、平気な顔をしていられなかった。
アレクシアさんが私を大切にしてくれているその気持ちは、家族に向けるような親愛?先日の夜会で三曲目を踊った時、アレクシアさんはどんな気持ちだったの?
分からない、でも期待なんてしちゃだめだ、きっと今日みたいに何度も打ちのめされて、立ち上がれなくなってしまう。
溢れ出した感情を止められなくて、私は自問自答を繰り返す。
日付が変わる頃、アレクシアさんが部屋の前に来てノックをしたけれど、私は返事をしなかった。あれだけ会いたかったのに、矛盾する心が返事を拒む。
薔薇の宮に来て、はじめて使った部屋の鍵。気付けば眠りに落ちていた。




