17-1
エルモンド様とあんなやり取りをした翌日の朝。血相を変えたメアリさんが私の部屋へと突撃してきた。
「スミレ様!エルモンド様に求婚されたとは本当ですか!?」
「ごふっ」
口をつけていた紅茶で盛大に噎せた私は、メアリさんに言ってなかったことを後悔する。
婚約の話が出たとき丁度メアリさんは席を外していて、ガゼボの近くには庭師さんしかいなかったのだ。
「庭師から話が広がっておりまして、それでわたくしもようやく耳にしたのです。く、わ、し、く、お聞かせ願えますか?」
「ひいっ!すみません…!考えれば考えるほどどうしていいか分からなくなって、言い出せなくなってしまいまして…」
そうなのだ、私の思考はぐるぐるとループしていた。
すぐメアリさんに話そうと思ったけれど、アレクシアさんに話が伝わって、万が一でも応援されてしまったら。
薔薇の宮を出されることになってしまったら。そう思うと胸がぎゅっと締め付けられてしまうのだ。
ちゃんと言おうとは思っていたけれど、昨日は決心がつかなかった。
「…ということで、考えるようにと」
「くっ、あの王子は…!スミレ様、あの場で席をはずしてしまい申し訳ございません」
「謝らないでください!寧ろいつも忙しいのに私に付き合って頂いてありがとうございます」
「あぁ、本当に…。他には何も言われていませんか?お体に触れて来たりなどもしていませんか?」
「いえ、特には…あ、手の甲にキスをされたくらいで…」
にっこりと笑みを深めるメアリさんが、どこか般若を彷彿とさせるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。それでも少なからず、メアリさんは婚約反対派だということはわかって安心した。
「かしこまりました。ひとまずアレクシア様に手紙をしたためます」
「あの…今日も帰ってこられないのでしょうか」
「まだかかるようなのです」
今日で三日目だ。なんだかずっと会っていないように思えてしまう。
無理をして身体を壊していないだろうか、きちんと眠れているだろうか。
「大丈夫でしょうか…会いに行きたいですが、迷惑になってしまいますよね」
私の言葉を聞いて、メアリさんは思い立ったように声をあげた。
「スミレ様、アレクシア様にランチの差し入れに行きませんか?転移陣は使えないので馬車で向かう事になりますが、三十分も掛かりません。わたくしも手紙を届けに一緒に参ります」
「メアリさん…!ありがとうございます、よろしくお願いします」
私は厨房にいるジャムズさんのところへ走って、サンドイッチを作りたいと願い出る。ジャムズさんは快く引き受けてくれて、一緒にサンドイッチを作るのを手伝ってくれた。
メアリさんはその間に手紙を書きあげ、昼食に間に合うように身支度を急いだ。
**
「師長、第二王子殿下がいらっしゃっております」
顔を上げると、心配そうに申し出る部下の姿があった。エルモンドがこちらに?怪訝に思っていると、奥で作業をしていたエドワードが駆け寄ってくる。
「師長、お会いしましょう!」
「しかしそんな余裕は」
「あります!昨日もスミレちゃんに会いに行ってるんですよ?何かあったのかもしれないじゃないですか!」
そう言われてはっとする。エルモンドはああ見えて優しい男だ、スミレに何かすることはないと思うが――良くも悪くも私と似ている部分があるから心配だった。
「それにですよ、師長が危惧していることはわかりますが、今のスミレちゃんは健康そのものです。今日は一度帰宅して、きちんとリフレッシュしてください」
エドワードがもっともらしく私に説教してくる。悔しいが言われたことに反論できる余地はない。
「ちっ、仕方ないか」
「今舌打ちしました!?」
「うるさいエドワード――待たせたな、エルモンドを通してくれるか」
「はっ!」
待っていれば、ノックの後にエルモンドが入ってきた。相変わらず元気そうで何よりだ。
「久しぶりだな、エルモンド」
「姉上も変わらず…と言いたいところだが、少し疲れているか?」
弟からも心配そうな顔をされて、少しだけ反省する。エドワードや部下にも心配をかけ、師長として示しがつかないなと自嘲した。
今日は帰って久しぶりにスミレに会いたい。
「すこし立て込んでいてね、でももう大丈夫だ。それより魔術協会まで来たんだ、何かあったのか?昨日はスミレと会っていたようだが」
エドワードが用意してくれた茶に口をつけながら訪ねると、エルモンドはきりりと表情を引き締めながら口を開いた。
「スミレに求婚してきた」
「ごふぅっ!」
「ししし師長!?」
最悪だ!危惧していたことが起こっている!!
慌ててエドワードが持ってきたハンカチで抑えながら、ひどく噎せた喉を落ち着かせる。その間にもエルモンドの爆弾発言がガンガンと脳内に反響する。
求婚なんて許さないと叫びたいのに喋れない。
「すまない、急なことで驚かせてしまうとは思っていた。姉上がスミレを保護したと聞いて、まずは保護者に許可を得たくてな。姉上、スミレと婚約することを許してほしい」
「ごほっ、だ、ダメに決まっているだろう!!!」
「何故だ?私より好条件の人間などいないだろう?」
目を丸くして首を傾げるエルモンドは、本当に意味が分からないといったふうで、反対されるなど露ほども思っていない。
「スミレは求婚に頷いたのか?断ったのではないか?」
「恐れ多いと断ろうとしたが、考えてくれと保留した。私が国内にいる間に通って心を開いてもらうつもりだ。昨日は親愛のキスを送ったが、スミレの腕は細かったな。もっと太ってもいい」
「なっ…き、キスだと…?」
激情がコントロールできない。あっという間に嫉妬の炎に感情を埋め尽くされて、私は無意識にエルモンドの襟元を掴んでいた。
「あ、姉上!?」
「師長!落ち着いて下さい!」
「落ち着けるかぁ!スミレは絶対に渡さない!いくら可愛い弟であろうとダメなものはだめだ!」
「なぁっ!?も、もしかして姉上、スミレに惚れているのか!?」
「当たり前だろう!!じっくり距離をつめているというのに貴様は!!」
「きっ貴様!?エドワード、本当にこの人は姉上なのか!?こんな姉上見たことが無いぞ!」
「そうなんですぅ、スミレちゃんが絡むと手に負えないんです!!」
ごめんなさい師長!という声と共に冷たい水が頭から降ってきた。
**
「―――もう一度言う。スミレとの婚約は許可できない」
「姉上…」
一旦仕切り直して、幾分か冷静になってきた私はエルモンドを見据えて告げる。
私の暴走にただ驚いたままでいたエルモンドも状況を理解してきたようで、悔しそうに唇をかんだ。
「姉上は求婚もしていないのだろう?」
「まだ早いと思っていたのだ。本当はすぐにでもしたい」
「ならば、私にもチャンスがほしい」
「ダメだ。そもそもなぜスミレにこだわる」
「少し話しただけで気が合うと感じた女性は初めてだった。私はスミレの事を気に入っているし、気持ちはこれからいくらでも育める」
「許さない。そもそもそんな半端な気持ちでスミレに近づいたことが許せない」
「姉上、貴族の婚姻とはこのように始めるものだぞ?」
「スミレはスミレだ。形に当てはめようとするな」
しばらく押し問答が続いて、痺れを切らしたエルモンドが勢いよく立ち上がる。
「わかった!ではスミレに選んで貰えばいい!姉上、それまではライバルだ!」
「エルモンド!」
啖呵を切ったエルモンドは、私の制止も聞かず意気揚々と部屋を出ていった。残された私は頭を抱える。
「厄介なことになったぞ…」
エルモンドは私と似て諦めが悪いし、変なところで頑固なのだ。
今日はスミレにエルモンドについてどう思っているか聞こう。場合によっては私もすぐに求婚することになる。せっかく色々考えていたのに台無しだ。
「師長、大丈夫ですか…?」
「大丈夫じゃない。少し頭を冷やしてくる」
外の空気を吸いに行きたくなり、私は自室を出た。
この行動が、大きな勘違いを生んでしまうことに気付かないまま―――。




