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16-1


アレクシアはいつになく浮かれたまま、魔術協会の自室で研究資料を読んでいた。

昨晩の夜会は大成功だったと言えよう。


澄玲の紹介も滞りなく済ませられたし、なによりダンスの時間は夢のような時間だった。

気のせいでなければ、私と澄玲はあのとき同じ気持ちだったのではないかと、そう思える瞬間が幾度もあったのだ。

これは私たちの関係が前進したと言えるのでは…?


メアリが私の顔を見て気持ち悪そうに顔を歪めたのは頂けなかったが、そんなことは些末なことだ。


鼻歌でも歌ってしまいそうな心地で研究資料を見ていたが、ぴたり、とあるページで手が止まる。


「ん…?」


自分の口から怪訝そうな声が出て、資料をじっくりと読んだ。

日付、検証者、構築式、考察。


――おかしい、なんだこれは。


じりじりと胸が焼かれるような衝動を抑えながら、何度も書かれている検証結果を読み返す。それは何度も検証した部分、私の魔術式に間違いは無かったはずだ。

頭の中の術式と照らし合わせてみて、こめかみを冷や汗が流れ落ちた。


「嘘だろう…」


バタン!と勢いよく立ち上がると、部屋の隅に積み上げられた資料をテーブルにぶちまけるように広げていく。

突き落とされるような心地になり、アレクシアは感情を押しつぶすように研究に没頭し始めた。



**



「スミレ様、本日はアレクシア様はお戻りにならないようです」


「えっ…お仕事、ですか?」


「ええ、少々問題が発生したようで、目途が付くまでは戻れないようです」


メアリさんも困り顔だ。どうやら魔術協会で不測の事態が発生してしまったようで、暫く戻ることができないかもしれないと言われたらしい。必然的に補佐をしているエドワードさんも、暫くは来られないそうだ。


昨夜の夜会で疲れていたはずなのに、戻れなくなるほど多忙になってしまってはアレクシアさんの体調が心配だ。


「アレクシアさん、無理されないと良いのですが…」


「あのお方は丈夫なので、多少の無理は問題ありませんよ。スミレ様を寂しくさせるのは頂けませんが」


「ふふ、メアリさんが居てくれるじゃないですか。昨日の夜会の話、聞いてもらえますか?」

「もちろんです。アフタヌーンティーを飲みながら教えてくださいな」


ぱたん、とメアリさんが部屋を出た後、私はふうっと息をついた。


「アレクシアさんと、今日も話したかったな…」


目を閉じれば、昨夜のアレクシアさんとのダンスをありのままに思い出せる。

夢のような時間だった。昨日の激情の余韻に浸りつつも、少し落ち着いてきた私は、自分の感情に名前を付けるべきか悩んでいた。

またアレクシアさんと過ごしていけばきっとわかるはず。そう思っていた矢先、数日でも会えなくなるのは寂しい。


アレクシアさんは無理をしてないだろうか。きちんと食事を取って欲しいし、睡眠時間もちゃんと確保してほしい。魔術協会での連泊が続くようなら、少しだけ差し入れを持って行っても良いだろうか。


そんなことを考えながら日中過ごしていると、なにやら薔薇の宮内が慌ただしい。

何かあったのだろうかと玄関ホールに向かっている途中で、珍しく焦った様子のメアリさんに遭遇した。


「メアリさん?どうかしましたか?」


「スミレ様!申し訳ございません、理不尽がやってきたので暫くお部屋でお待ちいただけますか?」


「り、理不尽?」


「この国の第二王子です、アレクシア様の許可がないと通せないと言っているのに、スミレ様に会わせろとお帰りにならないのです」


第二王子――そういえば、もうすぐ帰国すると王妃様が言っていたのを思い出す。

でもなんで私に会いに?


いつも飄々としているメアリさんがこの様子ということは、厄介なひとなのかもしれない。嫌な予感がひしひしと湧き上がってきて、急いで戻ろうとしたときだった。


「おや、そなたではないか?」


男性の楽し気な声が廊下に響く。

メアリさんが諦めたように「申し訳ございません」と小声で呟いたのを聞いて、私は慌てて王族に対する最上位の礼をする。


コツ、コツともったいぶるようにゆっくりと近づいてきた足跡が、少し先でぴたりと止まった。


「顔を上げよ、名を申せ」


声色は優しいのに、有無を言わせない圧力を感じながら、私は少しだけ顔を上げて、口を開いた。


「スミレ・シマエナガと申します。この国の礎を担う第二王子殿下にご挨拶がかなったこと、光栄に存じます」


「……ふむ。元の名は何という」


いきなりしゃがみ込んだ第二王子とばっちり目が合ってしまう。

ブルーの瞳と一つに束ねた長い金髪は、アレクシアさんの色彩に似ている。そしてこの御方も、恐ろしいくらいの美形だった。


「…スミレ・フユツキです」


「フユ、ツキ、か。あまり馴染みのない響きだな。私はエルモンド・ルイ・ノルスタシアだ。よろしく頼む」


まじまじと私の顔を覗き込んでそう告げて、にいっと目を細めて笑った。



**



あれよあれよとセッティングされ、私たちはガゼボにてお茶をすることになってしまった。心の準備など出来ないままの私は、ただ置物のように配膳されていく菓子やお茶を見つめる。かろうじてほほ笑みだけは絶やしていない。


「さて、そなたは時越え人らしいな。しかもアレクシア姉上が召喚したと」


王族のなかでは情報共有されているのだろう、私は素直に頷いた。


「さようでございます。ですが、他の時越え人とは違い、わたくしには国を栄えさせるような技術や知識がございません。ですので、第二王子殿下のお役には立てないかと―ー」


「エルモンドで良い。今は私用で来ているのだからそう呼べ」


「は、はい、エルモンド様」


お名前を呼ぶと、少し嬉しそうに口角が上がった。高圧的なのか優しいのか、よく分からないお人だ。


「それから、そなたが役に立つかどうかなどどうでも良い。私は世界を回っているが、時越え人に会ったことが無いのだ。そなたの世界の事、何でもいいから私に聞かせろ」


どうやらお目当ては私の世界の話だったようだ。

どこから話そうかと必死に頭を回転させながら、この御方が寛大なひとでありますようにと願った。


「そ、それでは私のいた日本という国についてお話ししますね――」



**



一時間後。

エルモンド様はお堅い話が好みかと思っていたのに、食い付いたのはまさかの娯楽についてだった。


「なんということだ…兄弟はそんなにも辛い思いをしたのに身体を取り戻すための旅をするのか!!それに魔法とは違う技術も気になる!」


日本産アニメは、世界を越えても人を魅了するらしい。

どういう状況なんだろう、これ…とずっと思っているのだけれど、エルモンド様が楽しそうに次々と聞いてくるため話を区切ることができずにいる。

きらきらと目を輝かせる姿はまるで少年のようで、どうやらこの手の物語に目が無いらしい。


「あぁ、ニホンはとても豊かな国なのだな!なにより果てしない娯楽の数々がそれを物語っている。スミレ、そなた中々やるではないか」


「過分なお言葉、痛み入ります」


そしてアニメの話をしただけなのに、高い評価を頂いてしまった。これで本当に良いのだろうか、後から怒られたり不敬だとか言われないだろうか。

問われるままに日本のことを話しただけなので、私は何も偉くもないし中々やるわけでもないのだ。

悶々としていると、メアリさんがさっと横から現れて膝をつく。


「ご歓談中のところ申し訳ございませんが、発言を許可頂けますか」


「許す。メアリ、そなたはアレクシアの言を頑なに守りすぎだ。みてみろ、私はスミレと和やかに会話しているだろう?」


「わたくしはアレクシア様の専属侍女でございますから。スミレ様についてですが、昨夜遅くまで夜会に出ており、まだ休息が必要なのです。本日はここまでとして頂けませんか」


「そうか、昨夜は夜会だったな。ならばしかたない」


そのまま立ち上がったので、私たちもすぐに立ち上がると、エルモンド様はよい、と片手をひらひらした。


「見送りは良い、また明日来る」


その発言にぎょっとしたのは私だけではない。

メアリさんも目を見開いているのを私は見た。そのままさっさとガゼボを出ていく後ろ姿を、私たちは固まったまま見送ってしまった。


「今、また明日来ると…」


「はぁ、これだから第二王子は厄介なんです…。急いでアレクシア様に報告いたしますね」


頭を抱えるメアリさん。

エルモンド様はまるで嵐のような人だった。



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