15-2
振り返れば、優雅にカーテシーをするご令嬢の姿。
鮮やかな紺色のドレスを着こなした、お人形のような可愛さは以前と全く変わらない。結い上げた金の髪に、伏せられていた同じく金色のぱちりとした瞳がアレクシアさんを映し出す。
「…あぁ、レイチェル嬢か」
すっと私の前に出たアレクシアさんが、不快感を露わにして返答する。その対応に顔色をさっと曇らせたカサンドラ様が、瞳を潤ませながら口を開いた。
「わたくし、先日は大変失礼なことをしてしまい、とても反省しておりますの。改めてご挨拶させて下さいまし」
そう言われて、アレクシアさんは閉口すると心配そうに私を振り返った。私は大丈夫だと一つ頷く。カサンドラ様に話しかけられることは想定していたのだ。
だから私は、アレクシアさんの横に歩み出た。
「スミレ・シマエナガと申します。ご挨拶できて光栄です」
「レイチェル・カサンドラですわ。先日はごめんなさいね、まさか他国から来ていたなんて知らなかったの、わたくしったら見た目で決めつけてしまったわ」
申し訳なさそうに言っているけれど、しっかりと嫌味が込められているし、昏く輝く瞳に謝罪の意思は感じられない。
苛烈さを押し殺しているのがわかって、冷や汗が滲む。
真っ直ぐな敵意が怖い。それでも私は辺境伯令嬢だから、公爵家より家格は下でもみっともない姿をさらすことはできない。
「わたくしも、先日はご挨拶できず申し訳なく思っておりましたの。こうしてお話しできたこと嬉しく思います」
「わたくしもアレクシア様のご友人とお話しできて嬉しいわ。ご存じだとは思いますが、わたくしたちは幼馴染でしたのよ」
「まぁ、幼い頃のお二人はさぞ愛らしいのでしょうね」
「もちろんですわ。あの頃は…どちらが嫁入りするか、だなんて冗談を言い合っていたものですわ」
嫁入りするか、か…。
小さい頃はもっと距離が近かったんだと思うと、ぐっと胸が重くなる。
ずきずきと心拍に合わせて痛む胸を押し殺して、わたしは何とかほほ笑みをキープした。
カサンドラ様は僅かに目を見開いて私を見つめた後、すっとアレクシアさんに視線を移す。
「ふふ、誤解が解けて安心いたしました。でもアレクシア様をご不快にさせてしまったこと、お詫びしたいのです。一度、我が家へお越しいただけませんこと?父も是非にと申しております」
するり、とアレクシアさんの腕に自然に手を絡めたカサンドラ様が、上目遣いで懇願する。その触れられている腕を見ると、胸の苦しさが増す気がした。
「この場で充分だ、謝罪はもう必要ない」
「そんなことおっしゃらないでくださいな。そろそろ演奏も始まりますし、わたくしと踊って頂けませんか」
「今日はスミレから離れるつもりはない。貴女もパートナーと踊るといい」
夜会は原則パートナーと二人一組で参加するものだ。夫婦や婚約者、いない場合は家族や友人が務める場合もある。
「あぁ、ですがわたくしのパートナー、あの方に興味があるみたいなの…」
カサンドラ様が私をちらりと見たとき、すぐ後ろに気配を感じた。振り返れば、スタイルの良い男性が私を見つめている。
「急なお声がけをお許しください。スミレ様、貴女を一目見て心を奪われてしまいました。どうか私とお話しする機会を頂けませんか」
気障ったらしく片膝をついて手を差し伸べられて、無意識に後ずさってしまう。この人の言葉と、瞳にぞわりと嫌なものを感じたのだ。アレクシアさんとは決定的に何かが違う。
「あ…お気持ちは大変嬉しいのですが――」
「私は外交を担う家なのです。エゾリオート王国のお話しを是非お聞かせください」
ぐいっと距離を詰められて、私の手を掬い上げると強く握る。こんなに強く握られてしまえば自然に手を引き抜けない。
どう断ろうかと必死に考えていると、きゃっと小さい悲鳴がすぐ近くから聞こえてきた。
そして私たちの間に割って入ると、繋がれた手を引き離す。
見上げれば鋭い視線を男性に向けているアレクシアさんがいた。
「スミレに触れるな。嫌がっているのがわからないのか?さっさと下がれ」
明確な怒りをまとった声に、抑えきれなかった魔力が少し乗っている。膝立ちしていた男は蒼白になった顔ですぐに立ち上がって、謝りながら去っていった。
直ぐ横から強い視線を感じる。
カサンドラ様が、憎悪を込めた瞳で私を睨んでいる。
右腕をかばうようにしているのは、アレクシアさんに弾かれた衝撃があったからだ。
「スミレ、そろそろ頃合いだから、あちらへ向かおう」
「は、はい。あの、カサンドラ様は――」
私が促すと、アレクシアさんは面倒そうにため息をついて、カサンドラ様に向き直る。その頃には困惑した表情を浮かべてアレクシアさんを見つめ返していた。
「あなたのパートナーは素行が良くなさそうだ、人選はよく考えるんだな」
「……そうしますわ」
「では」
アレクシアさんにエスコートされて、私たちは広間の中心部に移動する。既に演奏隊が演奏の準備を進めていて、舞踏場として広いスペースが確保されていた。
私の頭の中はまだぐるぐるしているし、胸もズキズキと痛いままだ。
どうしてこんなに動揺しているのか、自分でもわからない。
いや、本当は分かっているのに、目を背けているだけかもしれない。
カサンドラ様の行動が私の衝動を駆り立てていく。
絡めた腕、嬉しそうに話す言葉、愛憎渦巻く金の瞳。脳内を何度も駆け巡るこの感情は―――。
「スミレ」
名前を呼ばれて顔を上げると、心配そうに私の顔を覗き込むアレクシアさんの姿。あぁ、その気持ちは、表情は、私だけのものだと思っていいの?
「スミレ、大丈夫?」
「っ!すみません、ちょっと、ぼうっとしてしまって…」
ぱちんと弾ける様に我に返って、思わず声が上ずってしまう。
いけない、まだ夜会の最中だ。考え込んでいる場合じゃなかった。
「疲れただろう、無理をさせてしまってごめんね」
「大丈夫です。今日のために今まで頑張ってきたんですから」
ひっそりと、会場の空気に花を添えるように音楽隊がメロディーを奏で始める。
軽やかで優雅な音はあっという間に会場を包み込んでいき、人々が舞踏場へと集まってきた。
「スミレがこの世界で、私と一緒に過ごしてくれていることを、今も奇跡のように思ってしまうよ」
ぽつりと、アレクシアさんが舞踏場を見つめながら呟いた。
今までも同じ意味合いの言葉をくれて、その度ぽかぽかとした胸の温かさを感じていた。でも今は、全く違う熱い何かが心に流れ込んでくる。
感じたことのない強烈な感情。火傷しそうな何かが胸の内で燃えている。
「アレクシアさん…」
「スミレ、私と踊っていただけますか?」
私を誘ってくれる声は力強いのに優しくて。アレクシアさんのラピスラズリみたいに綺麗な青い瞳を、私は熱のこもった瞳で見つめてしまう。
私は淑女としての笑みではなく、ただ陶酔したような顔で口を動かした。
「――はい、喜んで」
手を取り合って、私たちはホールの中心へと足を進める。
あれだけさっきまで緊張していたはずなのに、なぜかアレクシアさんしか見えなくて。周囲の騒めきや視線も全く気にならない。
腕を互いに添えあって、呼吸を合わせて一歩踏み出す。いつもより体が軽い感い。軽快にステップを踏んでいく。
「スミレ、随分うまくなったね」
ふふっと笑われて、私は少しだけ見栄を張る。
「沢山練習しましたから。それにとっても楽しいです」
消化不良の感情たちが、一歩踏み出すごとに霧散していき、楽しいという感情だけが脳内を占めていく。運動すると頭がすっきりするあの感覚。
ダンスってこんなに楽しいものなんだ、練習しているときは余裕が無くて気付けなかった。アレクシアさんとの息もあって、いつもより滑らかに踊れている。
満喫していればあっという間に一曲が終わってしまった。
次の曲の演奏が始まって、私は物足りなさを感じつつも終わりの挨拶をする。
「もっと踊りたかった?」
そう問われて、思わずぎゅっと口元を結んで頷いた。アレクシアさんは何故か顔を隠すように逸らしたけれど、すぐにこちらに向き直った。
「私もだよ、もっとスミレと踊りたい。ではもう一曲お付き合い頂けますか?」
「はい、よろしくお願いします!」
次は少しだけアップテンポの曲だ。
浮足立った心にぴったりで、アレクシアさんの導きによっていつもより少し多めにターンを入れる。重心がブレそうになっても力強く支えてくれるから、怖くない。
互いの瞳がシャンデリアの光を受けてきらきらと輝く。身につけている宝石たちも楽しそうに輝いていた。何度も視線が交差して、言葉を発していなくても通じているような心地になる。
そうして訪れた曲の終わり。
上がった息を整えながら、アレクシアさんと距離を取って終わりの礼をする。人々の歓声が耳に入ってくるようになって、夜会がピークに盛り上がっていることに気が付いた。
ふうっと息を吐き出した時、また目の前に手が差し出される。見上げれば、肌が上気しているアレクシアさんが楽しそうに笑っている。
「最後にもう一曲、スミレと踊りたい」
私は驚いて目を瞬いてしまう。メアリさんに教えて貰ったのだ。
三曲連続で踊って良いのは、夫婦または婚約者だけ。
アレクシアさんももちろん知っているはずなのに、驚く私の顔を楽しそうに見つめたまま、差し出した手を引っ込めない。
良いのだろうか、誘いに乗ってしまって。
理性ではだめだとわかっている。今夜の私たちは注目されているはずだから、三曲目を踊れば余計な詮索や噂を呼んでしまうのは明らかだった。
それでも…私は、アレクシアさんの差し出した手を拒めない。
こんなに強い感情に揺さぶられるのが初めてて、コントロールができない。差し出された手に触れた指先から、胸の奥に甘い痺れが伝っていく。
「私と…踊ってくださいますか」
きゅっと手が握られて、背中に手が回された。
「もちろん、私のスミレ」
耳元でささやかれて、残っていた理性がどろりと溶け出していく心地がした。
私は熱に浮かされたように、まるで幼子のように感情に翻弄されたまま三曲目を踊りだす。あぁ、このまま時が止まってしまえばいいのに。
輝く世界がまるで幻のようで、終わってしまう事への寂しさばかり募るのだった。




