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ノルスタシア王国の北方、アストノーム帝国から大河を挟んだ先に位置する北国、エゾリオート王国。
その国境を守るシマエナガ辺境伯のご婦人は、学生時代ノルスタシア王国に留学しており、当時同学年だったノルスタシア王国の王妃リアンヌ様と懇意にしていて、今も交流は続いている。
そんなシマエナガ辺境伯の養子となった女性がいる。
それがスミレ・シマエナガ令嬢だ。
――というわけで、私はエゾリオート王国の辺境伯家ご令嬢となることが決まった。
既に先方は了承しており、シマエナガ辺境伯夫妻は歓迎してくれているそうだ。
顔合わせはまだだけれど、雪が降る前に一度ノルスタシア王国へ来てくれることになっている。
日本人の顔立ちに近く、髪色も黒やこげ茶色が多いので出身国とするには一番違和感がないらしい。
参加する夜会も決まって、ダンスはもちろん、エゾリオート王国について詰め込めるだけ頭に詰め込んだ。会話のきっかけとして触れられそうな話題はなんとかなる、それ以上はアレクシアさんに仲裁してもらうか、困ったら貴族らしく微笑んで返すかだ。
ダンスはアレクシアさんが参加してくれたおかげか、無意識でも基礎の動きは出来るようになった。頭じゃなくて身体で覚えるということを久しぶりにやった気がする。
「さぁ、準備が整いましたよ。とても美しいですわ」
「ありがとうございます、メアリさん」
メアリさんの自信に満ち溢れた笑みが、お披露目に向かう気持ちをさらに引き締めてくれる。
私は金糸の刺繍がはいった淡いグリーンのドレスを身にまとっていた。
グリーンはエゾリオート国章に描かれる鳥の色だ。アクセサリーも全て金と緑に統一したけれど、アレクシアさんが作ってくれた藍色のペンダントトップは別のネックレスに付け替えて身につけている。私の心の御守りなので、こうして胸元にあると安心した。
アレクシアさんは魔術協会の制服に近いパンツスタイルだ。
藍色の生地に金刺繍なので、制服とは雰囲気ががらっと変わり、アレクシアさんの妖艶さがいつもより増している。首元や耳を飾る宝石が美貌をさらに輝かせていて眩しいくらいだ。
あまりに素敵で、いつもの調子でアレクシアさんとダンスが出来るか不安になるくらい。
王城の夜会会場は、扉の外にまで楽し気な声や弦楽器の奏でる音楽が響いている。
入場は身分の低いものから順に会場入りするため、アレクシアさんと私は必然的に一番最後の入場となる。
王族の控室まで聞こえてくるざわめきに、足元を掬われるように緊張が降りかかってきた。震えてきた手を握ったり開いたりとせわしなく動かしていると、アレクシアさんの手が伸びてきて包まれる。
「スミレ、緊張しているね」
「はい、あの、ここにきて一番の緊張が」
「大丈夫、ゆっくり深呼吸してごらん」
言われるがまま、すーはーと呼吸を深く繰り返す。
少しだけ落ち着いてくると、アレクシアさんは私の手を強く握った。
「私は絶対にスミレの傍から離れないよ。全力で守るから、頼って欲しい」
繋がった手から伝わる温かさと、真摯な言葉が私の緊張をほぐしてくれる。私はもう一度だけ深呼吸して、顔を上げた。
「ありがとうございます。アレクシアさんが居てくれるから、頑張れます」
「ふふ、少し顔色が戻ったね。さぁ私の姫よ、エスコートの誉れをこの手に」
片膝を地につけて、アレクシアさんがいたずらっぽく笑って手を差し出した。初めて魔術協会に行ったときもこうして緊張を解いてくれたのを思い出して、頬が緩む。
「はい、よろしくお願いします」
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会場に足を踏み入れると、真っ先に目に入ってきたのは煌びやかなシャンデリアだった。魔導ライトの幻想的な光が反射してきらきらと輝いている。
そして会話に花を咲かせる沢山の貴族。
私たちに気が付いた人たちが驚いたようにまわりに声を掛け、あっという間に大量の視線が私たちを突き刺した。
好奇と見定めるような言葉があちこちから聞こえてくる中、エスコートするアレクシアさんが私の手をきゅっと小さく握った。私も小さく握り返して答えると、歩調を合わせて会場の奥へと歩き始める。あらゆる反応が飛び交う中、私たちは時折顔を合わせてほほ笑みながら檀上前まで進んだ。
それからすぐに国王夫妻と王太子夫妻が檀上より姿を現し、貴族たちは臣下の礼を取る。
アレクシアさんは王女、私は他国から招かれた賓客という立場なのでそれぞれ違う礼儀作法だ。
「本日、我が娘アレクシアと懇意にしているスミレ・シマエナガ辺境伯令嬢を、エゾリオート王国より招いている。今後もエゾリオート王国との友和が、揺るぎなきものとなることを期待してやまぬ」
私は壇上の階段を一段だけ登り、貴族へ向けてエゾリオート王国式のカーテシーを披露した。これで私は国王に認知されている賓客として、アレクシア王女の庇護下にあることを公表できたのだ。
軽やかな拍手が注がれて、私は淑女らしくほほ笑みを浮かべてそれを受ける。
そうして第一関門を突破すると、国王の開催の言葉と共に夜会がスタートした。
私たちは早速国王夫妻にご挨拶に行き、それから王太子夫妻へご挨拶に伺う。
初めてお会いするルイフォード王太子殿下は、精悍で凛とした国王と同じ雰囲気を纏った人だった。王太子妃様は可憐でとても綺麗な人で。
お二人からは歓迎の言葉を頂き、王太子妃様からはアレクシアさんと三人でお茶会をしましょうとお誘い頂いて。
アレクシアさんから聞いていた通り、とても素敵なお二人だ。
そこからは怒涛の挨拶合戦だ。
次々に声を掛けられては、アレクシアさんが私を紹介していく。簡単な挨拶のあと、軽く言葉を交わしてはまた次の挨拶へ。
「いやまさか、エゾリオート王国のご令嬢だったとは!」
「あの時はご挨拶できずに申し訳ございません。正式訪問の前に来てしまっていたものですから」
話しかけてきたのは、以前王城でアレクシアさんと話していた王宮騎士団のマルク団長だ。堂々たる騎士服に身を包み、豪快に笑う姿はまさしく武人だ。
「いいのだ、楽にしてくれ。王都では貴族令嬢の誘拐事件が発生していてな、身を守るには徹底したほうが良い」
「誘拐事件、ですか?」
「うむ、全力で捜索しているがまだ見つかっておらぬ。そなたも街を歩くときは気を付けるのだよ」
「ご忠告頂き感謝します」
「スミレのことは私がついているから心配ない。あまり怖がらせないでくれ」
「わはは!これはすまなかったな。では堅物の爺は退散するとしよう」
片手をひらりと振って去っていくマルク団長に軽く膝を曲げてカーテシーを返す。以前アレクシアさんから聞いていた誘拐事件はまだ解決していないらしい。騎士団も手を焼いているようで、誘拐された少女の安否が気になった。
次に声を掛けられたのは同じく以前マルク団長と共にいたクロスフォルノ侯爵だった。確か黒魔術に長けた侯爵家の、アレクシアさんの叔父様だ。
「クロスフォルノ卿、私の大切な友人を紹介する」
「今日は王女としての出席でしょう、叔父と呼んでください。以前お会いしてから気にかかっていたので、紹介して頂き光栄ですよ」
「スミレ・シマエナガでございます。このような素晴らしき夜に、お話しできることを光栄に存じます」
「これはご丁寧に。フレデリック・クロスフォルノです、以後お見知りおきを。アレクシアのような堅物に、こんなに素敵な友人がいたとは」
柔らかく微笑む姿は国王陛下に似ているけれど、アレクシアさんを少しからかうようにウインクする姿はそれよりずっと親しみやすく感じる。
「叔父上、やめてください。マルク団長はあちらに行きましたよ」
ふう、とため息を吐いて口調を変えたアレクシアさんが、面倒そうに視線を奥へ向ける。そんなアレクシアさんを見て更に面白そうに青い瞳を細めると、私に向き直って胸に手を当てた。
「やれやれ、ここでも仕事の話なんて気が滅入りますね。ではまた、お話しできることを楽しみにしております」
「ありがとうございます」
アレクシアさんが言っていたとおり、飄々とした掴みどころのない人だなぁと思いつつ見送っていると。
――何度か聞いたことのある声を聴いて、身体が無意識にぴくりと動いた。
「アレクシア様、御久しゅうございます」




