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季節はゆっくりと進んで行き、朝晩が少し冷えるようになってきたとある日の昼下がり。


私は久しぶりに魔術協会の本館へ来ていた。診察と、もう一つの目的の為。


はじめて入った師長室はとても広くて、壁いっぱいの書棚には沢山の書籍が収まっており、執務机のすぐそばのサイドチェストには難しそうな本が積まれている。

書類は部屋の奥の会議用テーブルにも積まれており、普段見れないアレクシアさんの師長としての一面を知れたような心地になる。


虫眼鏡のような医療用魔道具を翳し終わったノルクスさんが、カルテに結果を書き写していく。アレクシアさんはその間執務机で書類をさばいており、壁際ではメアリさんが書棚の整理をしていた。


「ふむ、身体の方は完全に回復したな。これからも適度な食事と運動を続けると良い。それから視力も問題なし。少しでも違和感を覚えたらすぐに言ってくれ」


「はい、今日もありがとうございました」


定期健診のお礼を言うと、ノルクスさんはふっと表情を緩めた。


「お前さんは本当に見違えたな。初めて見たときは痩せぎすで酷い顔をしてた。それと比べりゃ今は別人だ」


「嬉しいです。自分でも驚くほどで、皆さんのおかげでここまで回復できました」


「そうか、良かったな…師長、診察終わったぞ。俺は部屋に戻るから、何かあれば鳥でも飛ばしてくれ」


「あぁ、助かるよ」


ノルクスさんが部屋を出ていった後、入れ替わるようにエドワードさんが扉を勢いよく開けて入ってきた。



「師長~!!一課のやつら別件ばっかり興味持ってウチの持ち込み進めてくんないんですけど!師長からなんとか言ってやってくださいよ~!」


「静かに入ってこい。そうだな、三日で片付ければ北の国で出土した魔道具の閲覧許可を与えると言っておけ」


「えっ、いいんですか!?」

「やる気にさせたら早いだろう。私の名前で管理課に許可取りしておけ」

「っそれ…結果俺の仕事増えてる…!」

「嫌なら自力で解決しろ」

「…いえ、やります、俺が頑張って走ります」


がっくりと頭を下げたエドワードさんと、書類から視線を上げずに声だけ掛けるアレクシアさん。普段とは違い近寄りがたい雰囲気があるけれど、凛としていて格好良い。


いつもエドワードさんが走り回っているというのはこういう事か、と苦笑いしてしまう。


顔を上げたエドワードさんが奥のソファーに座っている私に気が付くと、ぱっと笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。麗しい美男子がまるで子犬のようである。


「スミレちゃんっ、俺に優しさをちょうだい!一言でいいから!」

「えっ、えっと…、頑張ってください!要領がよくて仕事のできるエドワードさんなら出来ます!応援しています!」


力を込めて労いの言葉を掛けると、瞳をうるうるさせたエドワードさんは私の手をがっしりと握る。


「スミレちゃん!!なんていい子!優しい子!元気出たよ、ありがとうっ!」

「元気が出たなら良かったです!」


コロコロ変わる表情が面白くて笑っていると、ぱきっと何かが割れる音が執務机から響いてきた。振り返ったエドワードさんが音の方向を見て身体をびくりと動かす。


「エドワード?」

「ひいっ!今すぐ行ってきます!ありがとうスミレちゃん、またねーっ!」


ぱっと手を放して、脱兎のごとく飛び出していく。嵐のような人だなぁと思っていると、アレクシアさんがペンを置いて書類を纏めはじめた。どうやら一段落ついたようで、最後の書類を束の上に重ねると、顔を上げて私を見る。


「よし、お待たせスミレ。結界部屋へ向かおうか」



**



エドワードさんに教えて貰うようになって、私は魔法の中でも特に治癒魔法と呼ばれる魔法に適性があることが分かってきた。


そこで、アレクシアさん監督のもと、医療魔術専用のゴーレムを使って訓練することになったのだ。

特別製のゴーレムは、人に治癒魔法を使った時と同じ反応を見ることが出来る。


「このゴーレムはそれぞれ毒物、裂傷、火傷をした状態になっている。魔術式は覚えている?」

「はい」


座学で教わった内容を思い出しながら、まずは怪我人の身体を読み取る。

と言ってもノルクスさんのように詳細に検査することは出来ないので、身体が何によって害されているのか、巡りが滞っているものを探す感じだ。


手を翳しながら魔力を当てていくと、このゴーレムは体を巡る回路全体に異変が起きていることがわかった。この場合は毒を受けている可能性が高い。


指先に魔力を流して、ゴーレムの腕に解毒のための魔術陣を描いて、消えないうちに発動させた。ぱあっと陣が光って、その光がゴーレムを包み込むように広がっていく。光が消えたら終わった証拠だ。


アレクシアさんが傍に来て、ゴーレムのもう一つの腕を取って魔力を流す。きちんと解毒しているかを確認してくれているのだ。


「うん、成功だ」

「やったあ!あ…」


思わず両手を上げて喜んでしまい、ちらりとアレクシアさんを見る。先ほどのエドワードさんへの塩対応を思い出したのだ。

私たちしか居ないとはいえ、少しはしゃぎすぎてしまったかもしれない。


「ふふ、そのままでいい。そんなスミレも愛らしい」


それなのに、花が綻ぶような笑みを浮かべて熱っぽく見つめられてしまい、咄嗟に返事ができなくなってしまう。


「っ…!?え、えーっと、次もやります!」


露骨に視線を外しながら、なんとか言葉を口から出す。

不意打ちは反則です、と心の中で抗議して昂った心臓を必死に宥めた。


用意して貰ったゴーレムに次々と治癒魔法を掛けて、感覚を体で覚えていく。失敗すれば理由を見つけて改善する。

実技はとても面白く、そしてとても勉強になる。


「最後に魔力伝導率を確認させてもらうよ。この魔法陣に魔力を流して」

「はい」


魔力伝導率は、魔法の発動や規模に直結するので高ければ高いほど良いらしい。

言われた通りに大判の紙に描かれている魔法陣に手を置いて、魔力を流していく。


「スミレはかなり伝導率が高いね。時越え人の魔力は無色が多く、魔力伝導率が高いという文献があったけれど、どうやら本当らしい」


出た結果を見て、アレクシアさんがほうと感嘆するように満足気に笑った。魔術師としての血が騒ぐのか、目をキラキラさせながら結果を書き記していく姿はまさに研究者だ。


「少しでもお役に立てればよいのですが…」


「十分な結果を貰っているよ、こうしてデータを取る許可を貰えるだけで魔術師をやっていて良かったと思える。あぁ、これも検証せねば…」


ぶつぶつ言い始めたアレクシアさんはあっという間に自分の世界に入った。

すごい集中力だなぁと感心しつつ、こういう時のアレクシアさんは少しだけ幼く見えるな、なんてまじまじと見入ってしまう。


暫くしてはっと顔を上げたアレクシアさんは、慌てて表情を繕うように引き締めた。


「すまない、少し夢中になってしまった。協力してくれてありがとう」

「いえ、アレクシアさんが楽しそうにしている姿を見れて嬉しいです」


にこっと笑顔で返すと、アレクシアさんは少し口ごもって「そ、そうか…ありがとう」と返事をしてくれた。



今日の魔術協会での予定はここで終わり。

アレクシアさんに転移陣で送り届けてもらうべく、メアリさんと私の三人は魔導エレベーターを使って受付フロアに降りてきていた。


初日ほどではないけれども賑わっている受付エリア。

魔術師長が一歩進むごとに目の前の人々が自然と道を開けていく。髪色を変えた私は侍女のふりをして、アレクシアさんの斜め後ろで視線を下げて付き従う。


入館時もこの方法でやってきたら、思いのほかスムーズにこれたのだ。今日は噂好きのご令嬢が少ないというのもあるのだけれど。


けれど帰りは上手くいかなかった。もう少しで建物を出るというところで、道を塞ぐように歩み出てきた人物がいたからだ。


「アレクシア様、お久しぶりですわ!」


濃いピンクの豪奢なドレスに身を包んだご令嬢が、頬を上気させてアレクシアさんを見上げる。アーモンド形のぱっちりとした金の瞳に、アレクシアさんより暗い金髪を結い上げた姿はまるでお人形のようだ。


「あぁ、レイチェル嬢か…」


対して、アレクシアさんの声は低く、声色だけで良く思っていないと伺えてしまう。

周囲の視線がこちらに集まり、喉の奥がきゅっと締め付けられたように苦しくなった私は、顔を伏せて固まった。


「まぁ、昔のようにレイとお呼びくださいませ。幼い頃からの仲ですのに」


「いい。それでレイチェル嬢、要件は?」


「これから一緒に食事はいかがかしら?この近くにとても美味しいお店がありますのよ、アレクシア様となら楽しいひと時になりますわ」


「悪いが、私は一人で食べるのが好きなんだ。やめておく」


「ふふ、照れているアレクシア様も麗しいですわ。そんなことおっしゃらずに」


これは、なんだか雲行きが怪しい。

第二王女に気軽に声を掛けられるということは、かなり高位のご令嬢だ。


「―――あら?そこの侍女、前に見たときより太っていたから誰か分からなかったわぁ」


それは突然だった。

アレクシアさんに向けていたはずの甘く高い声が、急に冷たくなって私に突き刺さる。

ひゅっと締められた喉が鳴る。私の事だ、私を見て言っている。


「あなた名は何というの?アレクシア様にお仕えするには分不相応だと思っていたのよ、顔を上げなさい」


冷や汗が背中を伝う。

明らかに高位貴族から問われた場合は名乗るのがルールだ。でも隠されている身で名乗ることも出来ないし、明らかに向けられた敵意に身体が動かない。


どうしよう――と思ったとき、私を隠すようにアレクシアさんが令嬢の視界を遮った。


「知る必要などない。レイチェル嬢、これ以上私の信頼する者を貶めるならば、正式に公爵家へ抗議する」


びりびりと威圧するような声に、今度はご令嬢が怯んだ気配が伝わる。

すぐにわかった――アレクシアさんの魔力が、漏れ出している。

この世界の人は、感情的になると魔力が滲み出ることがあると聞いた。魔力が多い王族や高位貴族は時に人を威圧することもある。

周囲に広がった魔力に、楽し気に傍観していた人々の顔色が青ざめていく。


「ご、ごめんあそばせ、アレクシア様のご気分を害すつもりは無かったのです。わたくし、アレクシア様とご一緒したいだけでしたの」


「ならもう良いか?道を開けてくれ」

「はい、またお誘い致します」


極度の緊張で動けない私の前に、アレクシアさんがすっと手を差し出す。恐る恐る顔を上げると、アレクシアさんが小さく笑った。


「歩けるかい?」

「っ、はい、申し訳ありません」


自分の手をそっと重ねて、軽くカーテシーを取る。それから重ねた手を離した。

この場でエスコートされるとまた注目を集めてしまう。


侍女らしくアレクシアさんを見つめ返して目礼すると、一瞬だけ寂しそうな表情をした。けれどそれも束の間、何事もなかったように向き直り、ご令嬢が避けた横を静かに歩き始めた。


私も付き従って歩き始めると、視界の端にご令嬢が見える。明らかにこちらを睨みつけているのを感じて、震える足を必死に動かして通り過ぎた。

アレクシアさんの背中を見つめながら、感情が心の中で絡み合っていく。


冷たくあしらわれてもめげずに向かっていくレイチェル様は、本気でアレクシアさんが好きなんだ。


その事実が、何故だか胸の中にずきりと残った。



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