11-3
一目見たその瞬間から、アレクシアにとって澄玲は特別な存在となっていた。
笑顔が印象的で、誰よりも眩しくて、目を惹いて。
あっという間に引き寄せられた。
丁度その頃、魔術の道を選ぶか、王女として王族の責務を全うするか悩んでいた時期だった。生まれ持った身分、容姿、才能、魔力。全てにおいてアレクシアは抜きんでていたし、それを自認していた。担うべき責務も正しく理解しており、そのうえで二つの道を迷っていたのだ。
王族として、他国の使者をもてなし国の顔としてふるまう日々。
魔術師として、魔術協会から依頼された仕事をこなし、分刻みのスケジュールで目まぐるしく執務をこなす日々。
羨望と嫉妬の眼差しを常に受け、持つべきものとして自分の心を律し、それに見合う努力を繰り返す日々。
そんな毎日を繰り返していくことに辟易し始めていた。
それが間の悪いことに第一王子の立太子前で、魔術の才からアレクシアが次期女王となることもあり得るのではと噂され、全く望んでいないのに派閥を作った貴族たちが争いはじめた。
王になるつもりなど到底無かったアレクシアは、すぐさま選択を迫られた。
力のある家と婚姻を結んで降嫁し王位継承権を放棄するか、魔術協会に正式に所属し距離を置くか。
感情ではどうしたいかなど決まっていた。好きでもない人間と婚姻を結ぶより、好きな魔術を極めるために協会に属して研究者の道を選び取りたい。
けれどそれで人々は納得するだろうか。魔術協会に属したところで身分は王女のままであり、公務からある程度離れるだけで貴族達は矛を収めて納得するだろうか。
王女としてではなく自らの希望を優先させた先で、はたして国へ利をもたらせるか。
そんな時、開きっぱなしのディメンションスコープからがやがやと話声が聞こえてきた。短大での講義が終わって休憩時間に入ったらしい。
耳に飛び込んできた言葉を聞いて、反射的にそこに映る映像を見た。
「頭がいいってほんと羨ましいよね。あたしなんてどんだけ努力しても成績が上がんないのに、あーいうタイプは地頭がいいからするする覚えられるんだよきっと」
「いーなぁ、私もその頭脳欲しいよ。あと容姿も半分でいいから分けてほしい!あ…知ってる?みつきちゃんの彼氏奪っちゃったらしいよ、本人は否定してるけど」
「あー、彼氏が好きになっちゃったってやつだよね?怖いわ、友達になったら彼氏取られちゃうとか」
「いっつもツンツンしてるけど、案外男には甘え上手なタイプだったりして、うわ、そう考えるとこわー…」
それらの言葉は、ある一人の人物に向けられていた。
鏡面に映る映像をスライドさせると、一人の女性が遠くに映る。長い黒髪を緩く巻いた、目鼻立ちの整った美人だ。少し釣り目気味な瞳が怜悧に見えるのだろうが、それがより美貌を引き立たせている。
アレクシアは彼女を見て、なんとなく自分と重ね合わせてしまった。どんな人物かなどは知らないけれど、言われている内容に自分も心当たりがあったからだ。
そんな数多の言葉を遮ったのは、澄玲の通った声だった。
「私は単純にすごいと思うけどなぁ。だってもしミクちゃんになれるならなりたい?」
「えっ、当たり前じゃん」
「でも、いろんな人から常に見られて、色々想像されるんだよ。行動から成績までぜんぶ見られて評価されるとか、私だったら辛くて潰れそう」
「でもあんなに美人なら顔だけでどうにでもなるじゃん。にこにこ男に愛想振りまくだけでいいのに」
「そうしないから凄いんだよ~。この前先生に書類整理頼まれてさ、図書室に何日か通ったんだけど毎日ミクちゃん居たよ。そんでちゃんと勉強してた」
「マジで?」
「勉強してたのか…」
「まじまじ。きっと沢山努力してるよ、私だったら途中で挫折しちゃうね。だからこそ尊敬するし、その努力が報われますようにって思っちゃう。神様に届けこの想い!」
澄玲が両手を組んで祈るようなポーズをする。それからにっと笑った時には、澱んでいた空気が霧散していた。
「んも~!澄玲はいっつもそうなんだから~」
「いい子ムーブしやがって~!」
「痛い痛い!ごめんって~!それにこの前の講義で隣だったんだけど、消しゴム無くて探してたら貸してくれた!めっちゃ優しかった!良い匂いした!」
きゃいきゃいとじゃれあう澄玲と友人達。
その姿を見つめながら、アレクシアは心がじんわりと温かくなるような心地を覚えた。
まるで自分を認められたような気がしたのだ。眩しい程澄み切った笑顔と冗談めいた言葉に、抱えていたものが少し軽くなったように思えた。
数日置いてまた別の日。
友人たちは飽きることなく、また同じ人物について話題に出している。
「学校側が推薦状出すって話してるけど、編入する気はないらしいよ。だけど就職もしないとかで、なんかやりたいことがあるから卒業だけ出来ればいいんだって」
「え~意外!やりたいことってなんだろ、めっちゃ気になるんだけど」
「ねー!けど勿体ないよね、選び放題なのに」
「何でも出来るからこそ、あえてやりたいこと選ぶ的な?」
「あ、わかった!きっと私の為に就職先を譲ってくれたんだわ」
「ウケんだけどその考え方!」
会話の中に澄玲の声が聞こえてこないので目をやると、どうやら席を外しているらしい。気になって講義室の周りを探していると、校舎を繋ぐ渡り廊下にいるのを見つけた。
渡り廊下は外廊下になっていて、中央には外へ降りることができる階段がある。
その階段に座っているのはなんと件の人物で、そこから渡り廊下を通ろうとした澄玲に話しかけているようだった。
「私ね、バンドを組んでるの。大学の友達には言ってなかったけど、高校時代から音楽やってて。本格的にその道に進むつもり。どう思う?」
それは今まさに話題にされていたことだった。
こうして問いかけているのは、きっと澄玲の心の在り方を知っているのだろう。
澄玲は少し驚いたように目を瞬かせると、すぐにぱっと明るい笑みを浮かべた。
「ええっ!すごい!めっちゃかっこいいバンドな気がする!絶対応援するよ!もしCDとか出したら絶対に買うから!」
前のめりで意見を述べる澄玲に対して、彼女は嬉しそうに笑った。
「あなたならそう言うと思った。私が就職とか、編入しないことについて何も思わないの?」
「あ、まぁ確かにいろいろ選択肢はあると思うけど…音楽が一番やりたいことなんだよね?家族は知ってるの?」
「知ってる。揉めたけど、ひとまずは応援してくれることになった」
「ならもう最高じゃん!好きなことを仕事にするって大変だって聞くし、辛い事もあるだろうけど、それ以上に楽しいことも絶対あるよね!それに、ミクちゃんはやりたいことをやれる力があると思う」
「そうかな?」
「うん。うちのお父さんがよく言うんだけど、日々を丁寧に暮らせる人は、自分の人生も丁寧に生きられるんだって。それってミクちゃんみたいな人のことだなって思ってたの。だから、ミクちゃんなら大丈夫」
「…」
僅かに彼女の瞳が見開かれたが、澄玲は気付かずに言葉を続ける。
表情をくるくると変えて、次々と考えを口に出す姿が愛らしい。
「私なんてやりたいこと見つけられないから、無難に条件のいい就職先を探すしかなくって……でもその分プライベートを楽しめばいいからね!推しは推せるときに推せというので、私はミクちゃんのことを推したいと思います!」
「ふ、なにそれ。まだ曲も聴いてないのによく言うよ」
二人の笑い声にかぶせるように、アレクシアも一緒に笑っていた。
珍しくぐるぐると悩んでいたが、自分らしくなかったと気付かされて。やるならとことんやって結果を出せばいい。
自分にはそれができるというのに、何を悩む必要があるのか。
アレクシアは魔術協会に属することを決めた。好きな分野で結果を出すために努力を惜しまず、時間が掛かっても必ず結果を出して、この国に貢献すると。
その結果が今の自分である。そこに誇りこそあれ、後悔は微塵も無かった。
澄玲は凪いだ湖のようだ。透き通った清廉な湖。
私のような人間は、きっと皆彼女の事を好きになる。優しく寄り添い、綺麗な水面に触れれば心の澱みまで浄化されるような、とても心地の良い存在。
そんな彼女に、どんどんと惹かれていったのは、私だ。
コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてきて、アレクシアの思考が現実へともどってくる。そういえば今日の報告がまだだった。入室を促すとメアリが顔を出す。
いつものように一礼してからアレクシアの顔を見て、僅かに片方の眉を上げた。
相変わらず察知が良いなとアレクシアは自嘲しつつ薄く笑みを浮かべる。
「やぁメアリ。わたしはそんなにひどい顔をしているか?」
「えぇ。何か問題がございましたか」
「……わたしがスミレに抱く感情は、親愛であると思うか?」
あの時の彼女と同じく、直球で。
メアリのエメラルドに光る目をじっと見つめて、アレクシアは問う。
そのただならぬ雰囲気に、メアリは気づかれないように喉をこくりと動かした。けれど数秒の沈黙ののち、何を問われているのか考え及んだのだろう。
大きく息を吐き出し表情を崩すと、眉を下げて困ったように笑った。
「わたくしの主観でいくと、否、でございます。ようやく、ご自分のお気持ちに気付かれたのですね」
「あぁ…これが恋なのか。私はスミレに恋をしていたのか」
口に出すと、今まで宙に浮いていた感情があるべきところに落ちてくる。
何故今まで恋愛感情だと気が付かなかったのか不思議なくらいに、アレクシアの心にぴったりと嵌っていった。
「不思議だ、こんなにも他と違う感情なのに、なぜ今まで気が付かなかったのか」
納得すればするほど、胸に宿るの想いが熱く湧き上がってくる。澄玲を思う気持ちはまさに、恋焦がれるという表現が当てはまるのだと。
最早見ているだけだった自分に戻ることなど不可能だ。
共に時間を過ごして、触れ合いたいと願ってしまう。他の誰にも渡したくない。澄玲にも同じ感情を返してもらいたい。特別だと思ってほしい。ただ傍に居られるだけで十分だったはずなのに、この気持ちに気付いてしまえばもっと欲しいと思ってしまう。
「はは…恋愛とは、欲張りになってしまうものか」
「そのようですね――けれど、人生には欲張ることも必要ですわ。大切なものを手放してしまう前に、気付けたことは僥倖です」
「ふふっ、あぁ、メアリは恐ろしいな。もうお見通しだとは思うが、私はスミレを妻にしたい。無理強いはしないが、黙って待つつもりも無い」
「よろしいかと」
ふふっとメアリが楽しそうに笑う。
アレクシアはその笑み含まれている「これから面白くなりますわ」という幻聴を聞いたが、今は聞かなかったことにする。
漸く己の気持ちに名前を付けて、スタートラインに立ったところなのだから。




