11-2
食後、昨日の慰労会をしようということになって、私はアレクシアさんの部屋にお邪魔することになった。
メアリさんは外しているので二人会となっていて、恐れ多くもアレクシアさんがサーブしてくれたものを、ちりんとグラスを合わせて乾杯した。
美味しいワインが身体をリラックスさせてくれるようで、じんわり沁みる。
「はぁ、とっても美味しいです」
「いつでも飲みにおいで、今日の菓子のお礼もしなくてはね」
「それだと私、一生かかっても恩返しができなくなってしまいます」
くすくすと笑い合って、グラスを傾けあう。
リラックスしてきたところで、私は改めて部屋中を見まわした。
今日の主室はいつもと違って、明かりが絞られていて薄暗かった。小さい明かりがシャンデリアにぽつぽつと灯っていて、それがスポットライトのようにシャンデリアをきらきらと光らせていて幻想的だ。
足元やテーブルの上にも薔薇の花の形をしたオブジェがあって、暖色が部屋を彩っている。
高級ホテルのラウンジのようなリッチで大人な空間だ。
「アレクシアさんのお部屋も、明かりを絞るとまた違う雰囲気になるんですね」
「あぁ、前にペンダントを渡しにいったとき、スミレの部屋を見て良いなと思ったんだ。夜は薄暗い方が落ち着くし、寝つきも良くなる気がしてね」
「確かにそうかもしれません。アレクシアさんのお部屋を暗くすると、より大人な雰囲気になりますね。こうしてみると、まるで一枚絵のようです」
私は両手の指で写真の枠を作るようにしてみせた。絶世の美女がラグジュアリーな空間でワインを飲む姿は美しい絵画になりそうだ。スマホがあれば、絶対にお願いして写真を撮ったのに。
「…こうしてみると、現実味が無さすぎますね」
「現実味?」
「アレクシアさんのような素敵な人と、一緒の時間を過ごしていることが奇跡だなぁと思いまして。まるで美しい絵画の中に入り込んでしまった気分です。VR世界にいるような現実味の無さを感じて」
そう言ってから、実際にそのようなものだったと思って苦笑いを浮かべる。仮想現実ではなく実在している異世界に飛び込んだのだから、まさに事実は小説より奇なりだ。
一人で考えてから納得していると、私の枠内に収まったアレクシアさんがむうっと口を尖らせてこちらを見ていた。私はあわてて手を下ろした。
「すみません、失礼なことをしてしまいました」
「いや、それは良いんだ。そこじゃない」
「え…?」
「スミレ、こっちに来て」
ポンポン、とアレクシアさんがソファーを叩いた。
私は言われるがままに立ち上がると、アレクシアさんの横へと移動して腰を下ろす。ぽふっと気の抜けた音がしたあと、私はあっという間にアレクシアさんに抱きしめられていた。嗅ぎなれた香りをより強く感じる。
「私とスミレの距離はそんなに遠い?こうして抱きしめることができるのに」
困惑している私をよそに、抱きしめる腕の力が強くなる。
「私たちは今同じ場所に存在しているんだよ。お互いが影響しあえる場所に、対等に。だから私を、スミレから切り離そうとしないで」
「すみません、そんなつもりじゃなくて。ただ、アレクシアさんが綺麗だなってことを伝えたかったんです」
思わぬ誤解をさせてしまっていたらしく、慌てて訂正する。ただ私はアレクシアさんが綺麗すぎて、それをどうにか言葉で表現してみたかっただけなのだから。
しばらくして、抱きしめられていた腕が緩んで離れていくと、私は少しの不安を纏いつつアレクシアさんの顔を覗きこんだ。けれど、伏せた顔に長いまつげが瞳を隠してしまっているので表情を伺えない。
怒らせてしまっただろうか、それとも、悲しませて――
とたん、アレクシアさんの両手が私の顔に伸びてきて、頬を包んで掬い上げた。目を瞬かせれば、覗きこんでいたはずの私は逆に覗きこまれている。
アレクシアさんの瞳の中に小さな光が沢山反射していて、まるで夜空のようで。
仄暗い部屋の中で、私とアレクシアさんの間に生まれた空気に、私の心臓がどくりと音を立てた。
「あ…」
いつの日か、ああそうだ、あの夜に見たときと同じだ。
いつもと違う、胸がざわざわとする、不思議な色を纏った瞳。
至近距離で見つめられていることに気が付いた時には、全身が絡めとられたように動けなくなっていた。
「本当に?私から離れていかない?」
「は、い」
頬を撫でる指がくすぐったい、でも身を捩ることが出来ない。
金縛りにあったように動けない私に、更にアレクシアさんは身を寄せる。鼻先がくっついてしまいそうなくらいの距離で、アレクシアさんは私を捉えて離さない。
「どうしてだろうね。こんな気持ちは初めてで、まったく自制がきかない。スミレをこのまま薔薇の宮に閉じ込めてしまいたい。どこにも行かないように、誰にも攫われないように」
「そ、れは、私が至らないからで」
「違う、そうではない。これはきっと私の問題なのだ。私の心が、おかしいのだ」
どう、しよう。
顔が近くて、頭が働かない。
アレクシアさんの顔がもっと近づいてきて、あ、触れて、しまう。
その時、ことん、と廊下から物音が聞こえてきた。何かが落ちたような、小さいけれど響く音。
その音にアレクシアさんは目を見開いた。
それから我に返ったようにいつもの表情に戻ったあと、ばっと勢いよく顔を背けて、私の顔から手を放す。
「っすまない!、少し酔ってしまったみたいだ」
「…っはい、だいじょうぶ、です」
上手く受け答えが出来なくてしどろもどろになってしまう。
びっくりした、びっくりした!
あのままだとその、キスをしてしまうのではないかと思うくらい近かったから!
ばくばくと高鳴る心臓をなだめるように何度も深呼吸する。
一気に顔が熱くなって、思わず手で仰いで冷静さを取り戻そうとしていると、少し暑いなとアレクシアさんが呟いた。
口元を手で覆っているので目元しか見えないけれど、少し赤くなっているような気がする。そっか、アレクシアさんは酔っていたのか。
そうか、そうだよね、なるほど。
「っわたしも、酔いが回ってしまったみたいです」
「そうか、ではもう眠らないとな。ゆっくり休むといい」
「はいっ!それではまた明日、おやすみなさい!」
「あぁ、良い夢を」
バタバタとお行儀悪く音を立てながら、私は慌てて部屋を出る。ぱたんと扉を閉めてから、へたり込んでしまいそうな足を叱咤して何とか自室へ飛び込んだ。
自室の扉を閉めると、限界がきたようでずるずるとしゃがみ込んでしまう。
あぁ、本当にびっくりした。どういうことなんだろう、考えたくても脳みそが働いてくれない。完全にキャパオーバーだ。
「はぁ、大丈夫、アレクシアさんは酔ってただけ、特に意味なんてない。大切にしてくれている気持ちを、教えてくれた、ただそれだけ」
自分に何度も言い聞かせる。感情の処理が追い付かない。
「とにかく、寝よう。今日はちょっとした事故。よし、寝よう」
布団に潜り込んだけれど、先程の出来事を思い出してはぐぬぬと身を捩るのを繰り返してしまい、暫くの間は眠れなかった。
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一方その頃。
アレクシアは自室にて自問自答を繰り返していた。
澄玲にしようとした行為を自覚して、自らの無意識の行動がどんな意味を持つのかをまざまざと突き付けられたのだ。
「私はスミレをどうしたいのだ…」
アレクシアは、一人の人間にこれ程感情を揺さぶられたことは無かった。
澄玲だけが、アレクシアを狂わせるのだ。
傷ついていれば、傷つけた相手を殺してやりたい程に憎悪し。
悲しんでいれば、守ってあげたいと強く願い。
苦しんでいれば、その苦しみから逃れる術を創り出した。
笑っていれば、もっと見たいと願い、あわよくば独り占めしたいとさえ思う。
喜んでいれば、誰よりも一番に喜ばせたいと思う。
この感情は、果たして親愛の枠なのだろうか。
「親愛ならば、なぜ私はあのようなことを…したいと、思った、のか?」
口元に指先を添えて、茫然とした。




