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8-2


コホン、とメアリさんの咳払いが聞こえて、アレクシアさんはぱっと身体を離した。


「すまない、感極まってしまった」

「いえ、アレクシアさんが私のことを大切に思ってくれているの、本当に嬉しいんです」


ふにゃりとした締まりのない笑顔で答えてしまい、ちょっと恥ずかしいなと思っていると、アレクシアさんはぐっと何かを堪えるような顔をしてから、私の頭を撫でた。


「さてと」

少しは落ち着いてきましたねと、メアリさんが新しいワインを手にした。

いつの間にか二本目のワインを空けていたメアリさんは、三本目のワインを持ってきていたのだ。ちらりとアレクシアさんを見て満足げに口角を上げると、私へと向き直る。


「さ、この際ですからスミレ様。この世界でやりたいことや行ってみたい所などあれば、アレクシア様へお伝えしてみてはいかがでしょう」

「…!」


もしかしたらメアリさんは気が付いていて、なかなか言い出せずにいた私を誘ってくれたのかもしれない。メアリさんへの感謝を込めて一つ頷くと、隣に座るアレクシアさんへ向き直った。


「私、この世界の文字や言葉を覚えたいんです。翻訳魔法があれば問題なく話せるし文字も読めるんですが、やっぱりちゃんと覚えたくて。いずれ魔法がなくても話せるようになりたいと思っています」


「そうか…嬉しいよ。スミレがこの世界で不自由なく過ごせるように、全力で答えないとね」


ふむ、と口元に手を当てて考えるアレクシアさん。


「魔法についても続けるのであればいずれ文字を覚える必要があるし…そうなると…メアリには侍女の仕事もあるから…よし、教師となる人物を一人入れよう」


そこで初めて知ったのは、私の存在が極秘情報として扱われているということ。

異世界人である私が薔薇の宮に住むことは、一部の上位貴族と魔術協会の人間しか知らない。いずれ体裁が整えば何かしらの形で公表する可能性があるが、現状が落ち着くまでは秘密だそうで。


「教師を付けるからといって、無理に覚える必要もない。続けられる範囲で教えてもらえるよう手配するし、多分その人物は私の部下になるから融通が利く」


こうした事情からも、知らない人間が薔薇の宮へ入って面倒事になるよりは、事情を知るアレクシアさんの部下に教えてもらうのが手っ取り早いらしい。


「けれど手の空きそうなのが、あの男しか居ないからなぁ…」

「あの御方でしたら、心配いらないのでは?」

「うーん、なんか嫌なんだよ」

「ですが、緊急時にスミレ様をお守りすることも出来ます」

「はぁ…言う通りだな。仕方ない」


緊急時なんてあるのだろうか。そもそも王族の住まう区画の中にある薔薇の宮は、滅多なことが無い限り外部の人は入れない。そんなに心配する必要が無いように思えて首を傾げていると、アレクシアさん私に気が付いて手を振った。


「あぁ、今の話は気にしなくていいよ。数日以内に手配するから、楽しみに待っていて欲しい。さぁ、他にやりたいことはある?全部教えておくれ」


「あ…はい。実はマナーについても…」


ノルスタシア王国のマナーについては、空き時間に少しずつメアリさんが教えてくれることになった。日本のマナーが基礎としてあるので、さして苦労なく習得できるだろうとのこと。


「先が楽しみだね」

ほろ酔いらしいアレクシアさんは、少し赤みを帯びた顔で笑った。


「はいっ!ありがとうございます」

「ふふっ、スミレ様が貴族のマナーを覚えたら、晩餐会や舞踏会にも参加出来ますね。きっと婚約の申し出をいくつも受けてしまいますわ」

「それはまだハードルが高いですし、ありえません…」

「そうだぞ、スミレに変な虫はつけない」

「はいはい、さようでございますね」


この世界で生きていく為に、一生懸命勉強しよう。

浮ついていた両足が、ようやくこの世界についた気がした。



**



女子会がお開きとなり、部屋へと戻ってきた私は窓辺のスタンドライトを付ける。最低限の明かりを確保してからカーテンを開けると、大きな窓から月明かりが差し込んできた。日本で見るより少し大きいけれど、この世界にも月があるのだ。


青白い光によって縁取られていくと、この美しい部屋は雰囲気が変わる。まるで絵画のような静謐な空間は、最近のお気に入りの時間だった。


窓辺のソファーに座って空を見上げると、東京とは比べ物にならない沢山の星々が空に浮かんでいる。そこへ、空中へ絵を描くように指を滑らせた。以前教えて貰った魔力遊びで、オーロラみたいにゆらゆら輝く光の線を作っていく。下から見上げれば、それは夜空に浮かぶ本物のオーロラのように見えるのだ。


まだ眠れそうになかったので、ぼんやりとオーロラを作りつつ月明りに照らされた空と中庭を見ていると、コンコンと控えめなノックの音が部屋に響いた。


「どうぞ」と返事をすると、中へ入ってきたのはアレクシアさんだった。


「よかった、まだ起きていたんだね」

「はい、なんだか眠れなくて」

「では少しだけ」


窓辺のソファーに二人で座る。月明りに照らされたアレクシアさんの髪は、銀色に輝いて見える。あぁ、どんな時も綺麗だなぁとぼんやり見つめていると、アレクシアさんは手に持っていたハンカチをテーブルの上に置いて、そっと広げていく。


「なんとなく、二人きりの時に渡したいと思ってね。待たせてしまったけれど、その分納得のいくものに仕上がったんだ。受け取ってほしい」


「あ、これ…」


広げられた中にあったのは、濃青と黄色の糸が寄り集まった飾り紐。その紐に通されているのは、陣模様が彫られた綺麗な半透明の青い石。月明りに照らされたそれは、うっすらと光っているようにも見える。


「とても綺麗です…」

まるでアレクシアさんの瞳みたいだ。


「この石には、スミレの身を守るための魔法を込めてある。だから外出するときはペンダントとして身に着けてもらえると嬉しい」


「…っ!ありがとうございます、すごく嬉しいです。」


付けてあげるね、とアレクシアさんの腕が私の首元に掛かる。胸元へ感じた重さをそっと持ち上げて月明りに翳すと、月の光を透過してより石が輝いて見えた。うっとりとその石を見つめていると、横から視線を感じてはっと我に返る。


アレクシアさんのラピスラズリの瞳と目が合う。その瞬間、心臓がどくりと音を立てた。

いつもと違う、気がする。瞳や表情が、いつも私に向けてくれるものと。まるで別の色が入って見えて。


「す、すみません、うれしくてつい…見入ってしまいました」

「…あぁ、いいんだ。喜んでもらえて嬉しいよ」


そういって笑った時には、もういつものアレクシアさんに戻っていた。

声も心も上擦ったままの私はまだドキドキしていて、この幻想的な空間に魅入られてしまったみたいに収まらない。気のせいかもしれないのに。

あの熱の籠るような瞳を向けられると、どうしていいのか分からなくなる。


「宝物にします、ね」


きゅっと石を握りしめながら、絞り出すように声を出す。


「ありがとう、作った甲斐があったよ。じゃぁもう眠ろうか」

「はい」

「眠れないのならば、一緒に眠ろうか?」

「へっ?あ、いやその、ちゃんと寝ます!眠れますっ」

「ふふっ、遠慮しなくてもいいのに」


アレクシアさんはくすくすと笑って私をからかうと、それじゃあ早く休むんだよ、と言って部屋を出ていった。

脱力してソファーにぽふりと横になる。


「アレクシアさんの魅力、破壊力高すぎ…」


昂った感情を落ち着かせるために、お行儀悪くソファーの上に転がった。

それからしばらくの間、魔法石を翳して透ける月を見つめていた。



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