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8-1


この世界に来てから、私は驚くほどに変わったと思う。

メアリさんに手入れしてもらった髪は艶やかになって、自分でもお手入れするのが好きになった。痩せていた身体も少しふっくらして健康的になったと思う。眼鏡も必要無くなってからは、メイクをするのが楽しくなった。


薔薇の宮ではメアリさんやジャムズさんを中心に、最近は庭師の方とも仲良くなって部屋に飾る花を一緒に選んでもらっている。

週に一度は魔術協会でノルクスさんに診てもらい、アレクシアさんがお休みの日は一緒に過ごす、そんな穏やかな日々。

アレクシアさんとの時間も、自然体でいられることが増えたように思う。共に過ごせる時間が毎日楽しい。



――ただ、時折私のベッドでアレクシアさんが一緒に眠っていることだけは、未だ慣れない!


メアリさんにはぐらかされてしまっていたけれど、実は私のためだったということを後で知った。

自分でもたまに悪夢を見たなと思う日はあったけれど、私はよく魘されているらしい。

それに気付いたメアリさんがアレクシアさんへ伝えたところ、人の温もりがあれば安心するのではないかと考えて、定期的に添い寝してくれているのだと知った。


その心遣いは本当に嬉しいのだけれど、その、朝起きた時にびっくりしてしまう。

絶世の美女に寝ぼけながら抱きしめられるのは、朝から刺激が強すぎるのである。しかも目覚めが悪いアレクシアさんは、うーんと悩まし気な色気のある声を出す。いや、というかもう色気しかない声だと訂正しよう。相手が私でなければ何か間違いが起きていてもおかしくない程に…だめだ、なんだか変な方向に向かいそう。

魘される頻度は減っていると聞いたので、アレクシアさんの荒治療は効いているみたいだ。


とにかく、私はこうして皆に支えて貰いながら、心と体を回復させることが出来た。

ほぼ完全復活したと言えるだろう。トラウマは消えないとしても、そこを刺激されなければ気にせず過ごすことが出来るくらいに。


それから、やりたいと思うことがいくつか出来た。

どこかのタイミングでアレクシアさんに相談したいと考えていたところ、丁度よくお誘いがあったのは夜のことだった。


「失礼します」

コンコン、と部屋をノックして扉を開けると、部屋の主であるアレクシアさんが出迎えてくれる。傍で立っていたメアリさんもにこりと微笑んで、私にソファーへ座るようにと促した。

いつ見ても主室であるこの部屋は広くて豪奢だ。

声を掛けてもらって何度か訪れた事はあるけれど、まだまだ慣れない。アレクシアさんの対面にあるソファーへと腰かけると、テーブルをコの字型に囲うようにメアリさんが間へと座る。メアリさんはニコニコとしながら、本日のメインであるワインボトルを手に取った。


「今日はアレクシア様のワインセラーより、とっておきのものを持って参りました」

「メアリの目利きは恐ろしいよ、本当にぴたりと当ててくる。スミレは白より赤ワインの方が好きだったよね?」

「はい、もうずっと飲んでいませんでしたが…アレクシアさんが知っていてびっくりです」


そう、今日はアレクシアさんのコレクションである、美味しいワインを飲む会なのだ。

酒豪なわけではないけれど、ワインは好きで飲んでいた。といっても手の届くお値段のものしか飲んだことはなく、高級な味はわからないけれど。


「もちろん。前はよく飲んでいただろう?」

「アレクシア様のストーキング――いえ、リサーチ力は素晴らしいですわ」

「メアリ?」

「ほほほ」

「え、えっと、覚えていてくれて嬉しいです!」


私はもう知っているのである、メアリさんが結構な毒舌で、気を許せば許す程それが増していくことを。事あるごとにアレクシアさんの反応を見て楽しんでいることを。この方はとっても悪戯好きなのである。

茶目っ気があるというか、サド気質というか、とにかく笑みを湛えたまま平然と発言するし、良い反応が見られるとそれはそれは楽しそうに目を細めるのだ。


アレクシアさんは迷惑そうな顔をするけれど、多分このやり取りを気に入っている。私も可笑しくてよく笑ってしまうので何も言えないのだけど。ちょっとだけ、実はいじられキャラなのかな、と失礼なことを考えたのは秘密である。


それはそれとして、気兼ねなく言い合える二人の関係性は素敵なのだ。

最近のメアリさんは私にも振ってくるようになったので、なんだか仲間に入れてもらったような、ちょっと怖いような。


「さぁ、場も温まりましたのでさっそく」


三つのワイングラスに、綺麗な赤色のワインがとくとくと注がれていく。果実の香りがふわりと部屋に漂った。

アレクシアさんが乾杯しようとグラスを上げて、メアリさんもグラスを持ち上げて微笑んだ。


「では、今日はグラスを合わせましょうか。スミレ様もご一緒に」


人目が無いときだけですけどね、とぱちりとメアリさんがウインクした。秘密を共有してもらった私もグラスを掲げて、かちんと三人でグラスを合わせる。


「乾杯」

涼やかな音が、女子会の開催を彩った。


ワインの正式な飲み方は知らないので、まずは一口飲んでみる。芳醇な香りが鼻を抜けて、葡萄の瑞々しさと渋みが口の中へと広がった。重たいのに飲みやすくて、何より美味しい。


「すごく美味しいです。上手く言えませんが、樽の香りなのかな?がすごく良くて、葡萄のフルーティーさも感じます。重たいのに飲みやすくて、今まで飲んだワインの中で一番美味しいです」


「ふふっ、しっかりと感想を言えるじゃないか」


「スミレ様は本当にワインがお好きなのですね、もっと早くお誘いすれば良かったわ」


アレクシアさんがくすくすと笑い、メアリさんの口調も少し砕けたものになる。

ワインに使用されている葡萄の産地や、つまみにと供されたチーズを食べ比べて感想などを話しながら、穏やかな時間は過ぎていく。


高級なワインなのだから大切に飲まなければ、と頭では思っているのに、美味しさに抗えずあっという間にグラスが空になる。二杯目を飲み干したところで、しっかりと酔っぱらっているのがわかった。多幸感に包まれてふわふわ心地よくなっていると、アレクシアさんがおや、と私の顔を覗きこむ。


「少し顔が赤くなっている、具合は悪くない?」

「大丈夫です。少しふわふわしてますが、気持ちよく酔っぱらってます」


「それならよかった。ではほろ酔いついでに色々と聞いてみようかな。スミレ、こちらの世界に来てから二か月ほど経ったけれど、ここでの生活はどうだい?」


「そうですね…」


言いにくいことでも構わないから、なんでも言ってごらんとアレクシアさんが微笑む。私は頷きつつも、ここへ来てからのことをぼんやりと思い返した。


「私は…ここの生活が好きです。皆さん良くしてくれますし、毎日が楽しいです」


「そうか。ニホンへ帰りたいとは思わないのかい?」


「んー…。薄情かもしれませんが、帰りたいと思いません。故郷なので懐かしい気持ちもありますけど、帰っても一人ぼっちですし。一人だったらきっと、辛い事ばかり思い出して悲しくなると思うから…」


「スミレ…」


「あっ、でも行って帰ってこれるなら、一度は戻ってみたいですね。その時はアレクシアさんとメアリさんも一緒に来てもらって、日本を楽しんでもらいたいです!私が案内するので、小旅行という形で行けたら楽しそうですよね。お二人が傍にいてくれるなら、日本に帰るのも楽しいだろうなって」


日本に興味を持ってくれているなら観光して欲しいし、色々と案内して回りたい。アレクシアさんなら科学を魔法に変えて使えるアイディアを沢山得るだろうし、メアリさんにも日本の文化に触れてみて欲しい。


名案を思い付いたと人差し指を上げて二人を見る。

メアリさんは優しく微笑んで、アレクシアさんは何故か瞳を潤ませて感極まったように口元を引き結んでいた。


「とても素敵ですわ。いつか実現するときが来れば、是非わたくしにスミレ様の世界を教えてください」

「はい!日本は観光地としても有名なので、きっと楽しんで貰えるかと…!」


「スミレ…君という人は…」


「アレクシアさん?えっ…えっ!?」


アレクシアさんはふらりと立ち上がって私の隣に座ると、突然私をぎゅうっと抱きしめた。

もしや気付かないうちに泥酔していたのかと慌ててメアリさんを見ると、メアリさんはゆっくりと首を横に振るだけだった。

訳がわからないまま固まっていると、ようやくアレクシアさんが口を開く。


「私のわがままで、こちらの世界に呼んだのに…」


その言葉を聞いて、私の酔いが回った頭でも気が付いた。

アレクシアさんは、私をこの世界に呼んだことに責任を感じているんだ。


「アレクシアさん、私がもし日本に帰りたいって言いだしたら、帰そうとしましたか?」

「…あぁ」


やっぱり――私の気持ちを尊重しようとしてくれる。その温かさに胸がぎゅうっと苦しくなった。アレクシアさんがこうして傍に居てくれたら、私は帰ろうなんて思わない、思えるはずがない。


心にぽっかり空いていたはずの空虚は、アレクシアさんとメアリさん、そしてこの薔薇の宮の皆が埋めてくれたから。


「スミレ、私たちと一緒に居たいと、思ってくれる?」

「はい、一緒に居たいです」

アレクシアさんの背中に両腕を回して、ぎゅっと抱きしめ返す。


「この世界にきて、皆のお陰で私は前を向くことができました。全部、アレクシアさんが私をこの世界へ呼んでくれたからです」


私のこの感謝の気持ちが届くように、伝わるようにと想いを込める。

アレクシアさんの腕に力がこもって、私は嬉しくてふふっと笑みがこぼれた。


「アレクシアさん、私をこの世界に連れてきてくれてありがとうございます。これからも一緒に居られるのなら…居させてもらえるのなら、私の方からお願いしたいです。よろしくお願いします」


「あぁ、もちろん。嬉しい、嬉しいよスミレ。ずっと一緒にいてほしい」


頬ずりするように顔を寄せられて、優しい花の香りに包まれる。アレクシアさんらしい、華やかで心地よい香り。

大切に思ってくれることへの喜びが胸を高鳴らせる。だけど、うまく言えないふわふわとした甘い気持ちも湧きあがってきて、なんだか胸がいっぱいだ。



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