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7ー1


―…うしよう、どうしよう、あぁ、仕事が終わらない。


アプリの納期は明後日なのに仕様変更なんてどう考えても無理がある。コードがごちゃごちゃで全体像が見えにくいから、肝心の修正箇所に手を付けられない。

なんで別の班なのに私がやらなきゃいけないんだっけ。あぁ、押し付けられたんだった…他にもタスクが沢山あるのに…寝不足で頭が回らない。カフェインのとり過ぎで吐き気がする。でもやらなきゃ、これを終わらせたら……って私、今寝てた?まずい、まずい!


「…起きなきゃ!」


がばっと起き上って、片手で顔を覆いつつもう片方の手で眼鏡を探す。

あれ、そういえば見えるようになったんだっけ。

夢と現実の狭間をうろうろしていると、身体に温かくて柔らかいものに触れた。なんだろう、と感触を確かめるように触っていると、いきなり手を掴まれて布団の中へと引きずり込まれる。


「ひぇっ」


そこではっきり見えたのは、金髪美女が私の横で眠そうに呟く姿だった。

ようやく夢から醒めて我に返った私は、今度は別の意味で焦り始める。


「ええっ!?あっ、アレクシアさんっ、なんでっ」

「んー…いいから…まだねむい…」


ネグリジェを着たアレクシアさんが、むにゃむにゃと眠そうにしながら一緒に寝ている。

そう、なぜか一緒のベッドで、寝ているのだ。


どうしてここで寝ているのか今すぐにでも問いたいけれど、とても気持ちよさそうに眠っている手前起こすことも憚られる。

それにこんなに無防備で気の抜けているアレクシアさんは見たことが無くて、なんだかいけないものを見てしまった気がしてどきどきする。

どうしようともぞもぞ動いていると、私の頭に腕が伸びてきて、抱きしめるようにしてがっしりと抱え込まれてしまった。


「んんっ」


ぎゅうっと私の顔がアレクシアさんの胸に押し付けられている。アレクシアさんは硬直した私を置き去りにして、すうすうと寝息を立て始めた。


「嘘でしょう…!」


この姿勢でなんて絶対に眠れない。自分の心臓の音がわんわんと脳内に木霊して途方に暮れていると、救世主のごとくノックの音が聞こえて、メアリさんが部屋の中に入ってくる音がする。もう起床時間だったようで、私は必死になってメアリさんに助けを求めた。


「あらあら、すぐに引き剥がして差し上げますね」


そう言うや否や、メアリさんはアレクシアさんの腕を掴むと言葉通りにべりっと引き剥がす。拘束が解かれた私は弾かれたようにベッドから飛び出して距離をとった。

メアリさんは寝室のカーテンを開け放っていき、全てのカーテンを開け終わるとベッドへ戻ってアレクシアさんを揺さぶり始めた。


「アレクシア様、朝です。起きてくださいませ」


淡々とした声掛けとは裏腹に、揺さぶる勢いはどんどん増していく。

あわあわしながら見ていると、漸く目が覚めたのかアレクシアさんが身を捩った。それからゆっくりと上体を起こして目をこすると、顔を上げてメアリさんの後ろで立ちすくんでいる私に気が付いた。

そうして金糸のような髪をふわりと日の光に透かして、女神の如く微笑んだ。


「おはよう、スミレ」

「お、はようございます」


朝一に浴びるには過ぎた神々しさに、私の思考は吹き飛んでしまう。


「今日は待ちに待った日だろう?」

「はっ…!?そ、そうでした」

「ふふ、私は自室に戻るから、スミレも身支度を整えるといい」


そう言って私の頭をなでなですると、アレクシアさんは満足気に部屋を出ていった。

ぽかんとしながら見送ってから、ようやく頭が動き出す。


メアリさんが何時ものようにテーブルに飲み物を用意してくれていて、そのまま部屋を出ようとするところを慌てて引き留めると、ソファーに座ってもらった。


「すみません、ちょっと状況がつかめなくて」

「では少しの間だけ、ご一緒させて頂きますね」

「あー…っと、その、アレクシアさんは、朝が弱いんですか?」


そうなのですよ、とメアリさんは少し唇を尖らせる。


「夜更かしは得意なのですが、朝はめっぽう弱いのです。他の侍女が起こしてもまったく起きてくれませんので、今も朝はわたくしが起こして差し上げております」

「それは…大変ですね」


にこりとほほ笑むその裏側に、さっさと起きろという幻聴が聞こえてきて、私は苦笑いを浮かべた。


「それで、その、なぜアレクシアさんは私のベッドで寝ていらっしゃったのでしょうか」


メアリさんはティーカップへ手を伸ばしたままぴたりと止まった。おや?と思ったけれど私の気のせいだったようで、すぐに美しい所作でカップを持ち上げる。それから困ったように微笑んだ。


「そうですねぇ、一緒に眠りたかったのではないでしょうか」

「一緒にですか?えっと、この世界では家族や友人は一緒に寝るのが一般的なんでしょうか」

「ふふ、答えは本人に直接伺ってみるのが一番ですよ」

「はぁ…」



**



「とにかく、今日は王都を観光できる日…!」


まだ朝の件については消化しきれないものの、今日という日を私は待ちに待っていたのだ。

薔薇の宮と魔術協会の往復(しかも転移陣で)のみで、外の世界を知らなかった私にとって大きな一歩になるだろう。


魔術協会の本館にも、あれから一度も入っていない。

ノルクスさんには週に一度経過を診てもらっているが、本館ではなく別館で対応してくれている。あの日と同じことが無いようにと、皆が調整してくれているのだ。


昨日の診察でノルクスさんに城下街へ遊びに行くことを伝えると、美味しいパン屋さんを教えてくれた。なんでもノルクスさんの親戚が営んでいるパン屋さんだそうで、街での評判も上々とのこと。行くのが楽しみだ。


今日の私は「王都に住んでいる商家の娘」という設定でメアリさんに着飾ってもらっている。

鮮やかな水色の生地に、向日葵の花をモチーフにしたコサージュが胸元についているワンピースは爽やかで夏らしく、動いたときに揺れるスカートのシルエットがとても綺麗だ。髪は編み込みのハーフアップにしてもらい、毛先は纏まるように内巻きにワンカール。前髪が短くなったことにも随分慣れた。


久しぶりのおめかしに浮き足立っている自分がいる。恥ずかしいとか、私なんてって思うこともまだあるけれど、前髪を切ったあの日に改めて気が付いた。私はやっぱりお洒落をするのが好きだ。


「とっても可愛いです、スミレ様」

「ありがとうございます!メアリさんのおかげです」


姿見の前で思わずくるくると回って自身の姿を眺めてしまう。メアリさんが満足げに微笑んでいると、コンコン、と扉がノックされた。


「どうぞ」


アレクシアさんかな、と思って声を掛けたのに、入ってきたのが男性だったのでぎょっとした。目深にかぶった帽子で顔も見えない。

戸惑っている私に向かって、その男性はツカツカとこちらに真っ直ぐ歩いてくる。マリンキャップの下から私を見下ろした瞳をみて、あっと声を上げると、その瑠璃色の瞳が楽しそうに弧を描いた。


「あっ、え…?ええっ!?アレクシアさん!?」


「そうだよ、驚いた?あぁ、今日のスミレはとても可愛いね!ワンピースも髪型も良く似合っている。それに…ふふっ、これは確かに、たまらないな、ははっ、驚きすぎだよスミレ」


私の驚いた顔が面白かったのか、してやったりと笑うアレクシアさんに私は口を尖らせてしまう。まさか男装をするなんて思ってもみなかったのだ。けれど、過去に二度も同じように笑ってしまった手前、何も言えないのがもどかしい。


「ちょっと、格好良すぎでは…?」


ぼそりと呟いた声は誰にも拾われなかった。

アレクシアさんは綺麗な金髪を帽子の中にしまい込み、上下揃いのベージュのジャケットパンツに白いシャツ。少し着崩している感じがこなれ感を出している。ものすごく似合っている。

美しすぎるのでこれはこれで目立つのではないかと思うけれど、王女と見抜かれなければ良いとのことで。

本当に、アレクシアさんはどんな格好をしても魅力的すぎる。


「すまないスミレ、気を悪くしてしまった?」

「い、いえ!今日は朝から驚かされっぱなしだなって…それよりもその、格好いいです、アレクシアさん」

「っ…!」

「イケメンすぎて、隣を歩くのに緊張しちゃいそうです」


照れつつも思ってたことを伝えたら、ふにゃりと締まりのない笑みを浮かべていた。


「しっかりとエスコートするから安心して。スミレに近寄るやつがいれば撃退してみせるから」


凛々しく返事をしてくれたアレクシアさんは、さっと帽子の鍔を掴んで顔を背けた。その視線の先にいつの間に移動したのかメアリさんが立っていて、満面の笑みでアレクシアさんに微笑んでいる。


「あらあら、うふふ。羽目を外して王都で問題を起こすのはおやめくださいね、アレクシア様」

「メアリ!」


二人のいつものやり取りが行われたのち、こほん、とアレクシアさんが咳払いをした。


「よし、二人とも準備は整った。ここからは最後の仕上げだよ」


念のためにと、アレクシアさんが私に魔法を掛ける。金の光がきらきらと舞うと、私の黒髪がみるみるうちに明るい茶色へと変化した。


「わぁ…」

「一度私と一緒にいる所を大勢に見られているからね。あの時とは雰囲気も変わったけれど、念のためだ。それに学生時代の茶髪も似合っていたから、また見たいと思っていた」

「ふふ、なんだか懐かしい気持ちになりました」


鏡に映る自分の姿は、以前とは見違えるように明るく笑っている。一歩ずつ進めていると感じるのは、きっと気のせいなんかじゃない。


「では早速出かけよう」



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