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玄関口の横にある転移部屋の外で、私はアレクシアさんが帰ってくるのをそわそわと待っていた。
なぜなら私が一歩前に進んだ日だから、その姿をアレクシアさんに見てもらいたくて。
気恥ずかしさと前を向きたいという気持ちが綯交ぜになって、高揚している。
一瞬光が扉の隙間から漏れ出てきて、転移陣が発動したことが分かった。執事さんが絶妙なタイミングで転移部屋の扉を開くと、アレクシアさんが進み出てくる。今日も絶賛麗しい。
「お、お帰りなさい!」
私が待っていたことに少し驚いたようで、ぱっと顔を上げたアレクシアさん。
「あぁ、スミレ、ただい…」
ま、という言葉までは続かなかった。
アレクシアさんは私の顔を見てぽかん、と口を開けて固まったのだ。
気付いてほしいとは思っていたけれど、ここまで大きな反応をされるとは思ってなかったので私もびっくりしてしまう。一
瞬しんと静まり返った中で、先に我に返ったのは私だった。
化かされたかのような驚愕の表情で固まるアレクシアさん。堪えきれずに笑ってしまったのは許して欲しい。
どうしてこうなったのかは、今日を振り返っていこうと思う。
**
いつものように、アフタヌーンティーをメアリさんにご一緒してもらっていた昼下がり。
上品にティーカップに口を付けるメアリさんは、今日も麗しい。最近になって、少しずつだけれどメアリさんのことがわかってきた気がする。
メアリさんは歴史と格式のある、モメントリ伯爵家の次女だ。
学園入学前、年齢の近いアレクシアさんをサポートする側近候補として謁見したことを切っ掛けに、どんどん仲を深めていった。
学園時代には生徒会長を務めたアレクシアさんを支える副会長として、二人で学園を切り盛りしていたそう。アレクシアさんは魔術に関しては天才的であるけれど、その他については興味がないとやりたがらない。けれどやれば人並み以上に出来るので、メアリさんがあの手この手でアレクシアさんを誘導していくうちに、気が付けば影の支配者という不名誉な二つ名を冠していたらしい。
実際の二人のやり取りを見ているとメアリさんのほうが一枚上手に見えるので、これについては的を射ているといえよう。
アレクシアさんが魔術師として生きていくと決意した際、メアリさんは万全のサポートをしたいと専属の侍女になった。日常生活や公務のサポートをしつつ、人目のないときは友人として対等に言葉を交わす。
仕事からメンタルケアまでしっかりこなす、まさにキャリアウーマンである。アレクシアさんも心強いだろうな。
互いのことを認めて高めあう二人は、本当に素敵だと思った。私にはそういう友人は居なかった。いや、作ろうとしなかったんだ。機会はあったはずなのに、自ら縁を切ってしまったから。それもあって、二人が楽しげに語らっている姿は少し眩しく見えた。
「アレクシアさんとメアリさん、お二人の関係ってとても素敵ですよね」
私の言葉を受けて、何故かメアリさんは軽くせき込んだ。珍しいなと思いつつハンカチを差し出す。
「失礼しました…スミレ様、わたくしたちの関係、というのは?」
「えっと、お二人の友人関係が、です。私にはそういった友人がいなかったのでとても羨ましいと思いまして」
「あぁ、なるほど友人としてですね、安心しました」
「ええと…?」
「いいえ、こちらの話なのでお気になさらず。そうですね、スミレ様も交友関係を広げたいと思われるのであれば、薔薇の宮以外の人物とお話しする機会が増えても良いかもしれません。アレクシア様が渋らなければ、ですが」
「あ…そうですよね、私はあまりいい印象を持たれないでしょうし」
先日、魔術協会で受けた様々な視線と言葉を思い出して少し俯いてしまう。眼鏡は無くなったけれど、この世界の人たちのような華やかさは無い純日本人顔だ。私のような人間と関わりたいと思ってくれる人はいるだろうか、と気落ちしていると、メアリさんは首を振って否定した。
「そういうことではありませんよ。スミレ様が大切すぎて薔薇の宮から出したくないと言い出しそう、と考えたまでです」
「そ、そこまで思われるでしょうか…」
「ええ、とても大切に思われてますよ。ところで…この薔薇の宮での生活には慣れましたか?」
メアリさんに問われて、私はしっかりと頷いた。
この宮で過ごし始めて、気が付けばひと月以上経っている。体力と気力の回復をしながら、ノルスタシア王国のこと、魔法のことを知る毎日はあっという間に過ぎていく。
「薔薇の宮の皆さんのお陰です。ありがとうございます」
「ふふ、最近は様々な使用人とお話しされていますものね」
「皆さん色々と教えて下さいますから、楽しいです」
最初はお世話されることに戸惑ったけれど、今は療養することが仕事だと思って過ごせるようになった。それはメアリさんをはじめ料理長のジャムズさん、メイドさんや執事さん達薔薇の宮の人々のおかげで。
嫌な顔せず色々と話ししてくれる皆のおかげで、私の対人関係のトラウマは徐々に顔を出さなくなっていった。
そのおかげで目を見て話せることも増えて、あの頃とは比べ物にならない充実した毎日を送れるようになっている。
「スミレ様がそう思ってくださることが、私たちにとっての喜びです。そこで一つ提案なのですが、そろそろ薔薇の宮の外へ出てみたいと思いませんか?」
「!機会を頂けるのであればぜひお出かけしてみたいです」
「ふふ、では、わたくしからもう一つの提案がございます」
さらっと提案が一つ増えて、メアリさんらしいなぁと思いながらも笑って頷いた。
「わたくし、スミレ様の愛らしいお顔をもっとはっきり見たいと思っているのです。視力も回復して眼鏡が必要なくなった今だからこそ、もう少し前髪を切ってみてはいかがでしょうか?」
「前髪、ですか」
「スミレ様の瞳は大きくて綺麗ですから、もっと見せて頂きたいと思うのです。主を美しく飾り立てるのは侍女の腕の見せ所でもありますから、最高に磨き上げたスミレ様に王都を散策して頂きたいと思ってしまうのですよ。これはわたくしの我儘ですから、聞き流してくださってもかまいません」
私はひょいっと、指先で自身の前髪を持ち上げる。
目元をすっぽり隠す前髪は、私の心を守る武器だ。だけど…。
今の私に、この前髪は必要なのだろうか。こうして素敵な人たちに囲まれて過ごしているのに、わたしはそんな人たちにも心を隠そうとしている。まだ怖いと思うけど、アレクシアさんが見えるようにしてくれたんだ。ここから変わるべきかもしれない。私を支えてくれて、傍に居てくれる人の目を、きちんと見返してお話しするために。
少しだけ、また以前のようにお洒落を楽しみたいという気持ちも芽生えた。
メアリさんが私を後押ししてくれている今、自分だけでは踏み出せない一歩を踏み出すべきなのかもしれない。
「…メアリさん、私の勝手な独り言を聞いてもらえますか?」
「はい、お聞かせください」
「…その、この前髪は私を守る盾だったんです。会社員だったころ、身の回りをする余裕が無くて伸び放題でした。最初はそれだけの理由だったんです。でも、追い詰められて自分の表情を繕えなくなって、目線や表情で上司になんだその顔はって怒鳴られるのが怖くて、その時に前髪で表情を少しは隠せることに気が付きました。眼鏡もあればなおの事です。人の視線が怖かったから、自分を守る盾でした」
顔を上げて、メアリさんをしっかりと見つめる。
「でも…今お世話になっている皆さんに、自分だけ盾を持って隠れるのは誠実じゃないと思いました。だから、その…私の前髪を、切って貰えませんか」
おしゃれも少ししたいので、と小声で付け足すと、メアリさんはとても嬉しそうに笑ってくれた。
「スミレ様の想い、しかと受け取りました。是非わたくしにお任せください、素敵に仕上げてみせましょう」
お茶の時間が終わってすぐに、私の部屋にある鏡台へ向かった。鏡の前に座ると、メアリさんにケープをかけて貰う。
少しずつ切っていきますねと前置きしてくれたメアリさんは、言葉通りに少しずつ前髪を取ってはハサミを入れてくれる。ちょきちょきとリズミカルに切る音が響いて、私の前髪はケープの上に少しずつ落ちていく。
鏡に写る自分と目が合い始めたころには、少し目に掛かるくらいの丁度良い長さになっていた。久しぶりに自分の顔をまじまじと見た気がする。学生時代の自分に戻ったような、変な心地がした。
「どうでしょう、綺麗な瞳が見えるようになりましたよ」
「…視界が明るいし、なんだか恥ずかしいです」
「とても可愛らしいです」
「うぅ…ありがとうございます」
メアリさんは美容師顔負けの手さばきで上手に切ってくれたので、とても自然な前髪になった。見た目も視界もひらけてすっきりとした気持ちになって、なんだか生まれ変わったみたいだ。こんなことなら、もっと早くから切ってしまっても良かったかもしれない。
そう思えるのも、ここで過ごした時間のおかげだと思う。
「折角見えるようになりましたから、目元にもお化粧させて頂けますか?」
「…はい、お願いしします」
鏡に映った自分の口元が緩んでいるのを見て、私は自分の笑顔を久しぶりに見た気がした。
**
そんな昼間のやりとりがあって、アレクシアさんを驚かそうとお出迎えをすることになったのだ。
私の顔を見て固まるアレクシアさん、それを見てにんまりと笑うメアリさん、ほほえましく見ている執事さん、そして声を上げて笑ってしまう私。
アレクシアさんに「そんなに笑う必要はないのでは…」と言われたけれど、こればかりはなかなか止められない。
アレクシアさんの驚く顔は私のツボにはまってしまうのだ。こればっかりは過剰に反応するアレクシアさんがずるいと思う。
拗ねたように口を尖らせるアレクシアさんもとても可愛くて、それを間近で見られる私は贅沢者だ。
こほん、とひとつ咳ばらいをしたアレクシアさんは、両手を広げて満面の笑みを浮かべる。
「スミレ、とても似合っているよ!」
そう言いながら私との距離を詰めると、ぎゅうっと抱きしめられた。頬にかかるアレクシアさんの髪がくすぐったい。花の香りにしばらく包まれて、そっと開放される。伸びてきた手が私の目元に触れた。のぞき込むようにして瞳を見つめられて少し気恥ずかしい。
「あぁ、スミレの綺麗な顔がしっかりと見られて、私は嬉しいよ」
まるで口説き文句のような言葉と蕩けるような微笑みに、どきどきして顔が熱くなってしまう。アレクシアさんが私にくれる言葉はいつも壮大すぎて、反応に困ってしまうのだ。
「あ、ありがとうございます…」
「本当に似合っているよ。あぁ、このまま閉じ込めてしまいたいくらい」
頬に触れられた指がするりと動いてくすぐったい。ラピスラズリのような綺麗な瞳が間近にあると、心音がより五月蠅いのだ。
「は、恥ずかしいです、から」
「はぁ、可愛い。嬉しい。もう一度抱きしめてもいい?」
そう言い終わらないうちに、私はアレクシアさんの腕の中にすっぽりと収まってしまう。子供を抱きしめるようにぎゅうぎゅうと力を込められて、私はキャパオーバーにより心の中で悲鳴を上げる。
「アレクシア様、そろそろ離してあげてくださいませ。ここは玄関です」
メアリさんが絶妙なタイミングで制止してくれたので、私はぎりぎり悲鳴を上げずに済んだ。アレクシアさんは「すまない」と名残惜しそうに腕の中から解放してくれるけれど、とても嬉しそうなのは変わらない。
「ふふふ、メアリには報奨金を出さねばな」
「あらあら、ではしっかり頂いてしまいましょうかね」
くすくすと笑いあう二人。
アレクシアさんは本当に大げさなくらい喜んでくれた。きっと、私の伸ばした前髪の意図に気が付いていたんだと思う。私からのちょっとしたサプライズは成功だった。
それから一緒に夕食を食べて、食後のティータイムの時間。
私から切り出そうと思っていたのに、アレクシアさんから城下街へ行ってみようと提案してくれた。
「一緒に王都の城下街を散策してみたい。ニホンでいうオマツリのような屋台通りもあるんだ。きっとスミレは好きだと思う」
「わぁ…!是非行ってみたいです!」
「では決まりだね。日程は調整するからもう少し待っていてほしい。ちなみに私はこのままだと目立ってしまうから、少々変装させてもらうよ」
確かに、王女様がそのまま歩いていたら人垣が出来てしまいそうだ。どのような変装をするのか尋ねてみると、当日のお楽しみだと秘密にされた。
アレクシアさんと初めての王都観光、今からとっても楽しみだ。




