5-2
「それで、まずは目先の問題だな」
「ええ。早いうちに気付かれる可能性があるのなら、今から警備も増やしますか」
「いや、人数は現状のままで良い。急に増やせばスミレが居ると言っているようなものだからね。結界内は問題ないだろうが、警備の内容を変更する必要はあるだろうな」
宮殿周りの警備や、貴族の動向等を互いに意見し合って認識をすり合わせる。日中はメアリが侍女長として執事と確認しなければならない部分が多くあるのだ。一通り話し終えた後、メアリは一案として、または様子伺いのために憂い顔で口を開いた。
「そういえば…スミレ様は贅沢をあまり好まないようです。遠慮しているのかもしれませんが、ニホンに居た頃も一般家庭で育ったと伺いました。もしかしたら、いつか市井で過ごされることを希望されるかもしれません。宮殿から離れて暮らす可能性も考えるべきでしょうか。うまく紛れ込ませれば、面倒な貴族との関わりも絶つことができるでしょうし」
その一案を聞いて、弾かれた様にアレクシアは顔を上げた。
「それはダメだ。最初は良くとも居場所が割れてしまえば、まるで攫ってくれと言っているようなものじゃないか。警備だって手薄になるし、城下街は治安が良いとはいえ確実に安全だとは言い切れない。どんな輩にスミレが絡まれるかわからないし、すぐに助けることも出来ないなんて悪手以外の何物でもない。それに会える頻度も減ってしまう」
「お忍びで会いに行けば良いのでは?」
「嫌だ、絶対に嫌だ。どう頑張っても会える時間が減ってしまう。それにだ、会わないうちにスミレが変な奴に誑かされてしまったらどうする?甘い言葉を吐かれれば純粋なスミレは信じてしまう」
「ですがお相手が誠実な方でしたら?」
「そ、それでもスミレが傷つく可能性があるのなら断固反対だ。少しでも何かしてみろ、魔法で消し炭にしてやる。だからメアリ、絶対に却下だ。その発想は危険だ、私が暴走してしまってもいいのか?」
メアリは据わった瞳をアレクシアへ向ける。
「スミレ様の恋愛は自由ではありませんか」
「いや、確かにそうだし否定するつもりはない。でもそれはスミレ自ら好意を持った時であって、他人が言い寄って絆そうとするのは認めない。私以上にスミレを大切にできると確信を持てなければ無理だ」
「子離れできない親のようです」
「スミレの御父上は素晴らしい人だった。並び立つことは出来ずとも、スミレを守りたい気持ちは本物なのだ。でももっと近しい距離で親愛を深めていきたいとも思っているから…親子というのは少し表現が異なる気がする。姉妹?いやでも姉様とはまた違うし…うーん、難しいな…」
親だの姉だのと言っているが、メアリから見たアレクシアの執着はそのようなものではない。その少し歪んだ愛情は、単純な言葉では収まらないかもしれないが。
(これでまだご自分の気持ちに気づいていらっしゃらないのだから、厄介だわ)
「何か言いたそうな顔だな」
「いいえ、なにも」
にっこり笑ったメアリは、いつものように主室部屋の奥に備わっているワインセラーから慣れた手つきで赤ワインを一本取り出した。
アレクシアはそれを認めると、執務椅子から立ち上がって手前のソファーへと移動する。メアリが二つのグラスへワインを注ぎ、アレクシアの向かいのソファーへ腰を下ろした。
アレクシアは口角を上げてグラスを受け取って、二人は互いのグラスを重ね合わせて音を鳴らした。学生時代から人目のないときにだけ行う、平民の飲み方だ。
「あぁ、アレクシア様の秘蔵ワイン、とっても美味しいです」
「そうだろうね、選ぶワインに容赦がない」
グラスをくるくると回して香りを楽しむメアリを見て、今度はアレクシアが肩をすくめる。旧友であり専属侍女であるメアリは、アレクシアから見てもとても優秀な人物である。全ての物事をそつなくこなし、傍から見る彼女には一分の隙もない完璧な淑女。
ではあるが、アレクシアを含む旧友の前となるとこうなる。本来の彼女は茶目っ気のある自由人。オブラートに包まない彼女の言や態度はなかなかに豪胆であるが、きちんと芯があって思いやりもある。そんな部分が友人たちには好評だったりするのだ。
「こうして上質なワインを飲むのがひそかな楽しみなのです。奪わないでくださいませ」
「奪わない、奪わない。メアリは相変わらずだな。そういえば、スミレもワインを好んで飲んでいたはず。今度誘ってみようか」
「まぁ、それは楽しみですね。そのときは最上級のワインを開けましょうか」
「それはメアリが飲みたいだけだろう」
「うふふ、バレましたか」
軽口を交わしながら、二人はワインをじっくりと味わう。他愛のないやりとりを繰り返すこの時間は、彼女たちにとって大切な時間だ。
「そういえばあの日…、魔術協会にカサンドラ家のご令嬢もいらっしゃいましたよね」
ふと思い出したのか、少し眉を顰めながらメアリが言う。
「あぁ、気付いていたのか。察しのとおり、嗅ぎまわっているのはカサンドラ公爵の派閥とみている。あの当主のことだ、未だに自分の娘を私にあてがおうと考えていたのだろう」
カサンドラ公爵家は肥沃な領地を持つ大貴族だ。けれど今代の当主に限りあまりよい話を聞かない。金と権力が好きな野心家で、あまり勤勉ではなく派手な生活を好む好色家。その娘も派手好きで苛烈な性格であり、茶会でしばしば敵対派閥を見世物にする。
「ご令嬢のレイチェル様は、義務ではなく本気でアレクシア様に好意を寄せているようですけれど、ね。レイチェル様にはっきりと申し上げれば諦めもつくのでは?公爵は娘に甘いと聞きますから」
「言葉を交わすだけで噂をばら撒くのだ、あの公爵は。どうせ本人へ断りを入れても捻じ曲げて無かったことにされる。それに、毎年打診してくる婚約も釣書も丁重に断って返しているのだ。彼女には悪いが、ここまでくると対応手段は限られる」
「まぁ、他の令嬢や令息も同じようなものでしょう。天才魔術師の王女ですからね、これ以上の肩書を持つ者はおりませんわ」
「エルモンドがいるだろう」
「外遊がほとんどですから、滅多に国に戻らないとあれば貴族側も画策しにくいでしょう」
メアリは、ボトルに残ったワインを全て自身のグラスへと注いだ。
もうそろそろこの会もお開きだ。酔いも回っていい気分になってきたメアリは、最後にむくむくと膨らんだ悪戯心を開放することにした。
わざとらしく微笑んでアレクシアを見る。その顔を見て、若干アレクシアの表情が引きつった。
「スミレ様はニホンにいたころ、お付き合いされていた方はいらしたのでしょうか?」
「そっ、れは…学生時代は居たようだけれど、何事もなく自然消滅していたようだ」
「さようですか。ではキスもなさらなかったのかしら」
「それは…キス程度ならばニホンでは挨拶程度だときく」
小さくなった声でアレクシアは答えたが、嘘だとメアリは看破する。顔が赤くなったのは酒のせいではないだろう。それにしてもこの御方は、恋人同士の語らいまで覗き見していたのか。
「アレクシア様、まさかスミレ様の逢瀬を覗き見していたのですか?」
「へっ!?い、いや私は覗いてなど!ただその、スミレがその男に悪いようにされないか心配で、たまたま見た時に偶然…」
「それを覗き見というのでは?」
「うっ…!!」
言い返せずがっくりと肩を落とすアレクシア。メアリは悪戯が成功したとくすくす笑うが、流石に直球すぎたかしらと、ひとしきり笑った後に慰めることにした。
「アレクシア様、過去は過去です。ストーキングをしていたアレクシア様だからこそ、スミレ様に手を差し伸べることが出来たのですから」
「はっきり言葉にするのはやめてほしいし、それは慰めになっているのか、いないのか…。まぁいい、今はスミレの笑顔が見られるようになったことが一番だ」
「ふふ、そうですわね。スミレ様がこの世界で初めての笑みを見せてくれたのはガゼボでしたわ、あのスミレ様の慎ましい微笑みを貴女様にもお見せしたかった」
「…私は大笑いを取ったぞ」
メアリは瞼を閉じて思い出すような仕草をする。悔しいけれど、それも見たかったと思うアレクシアは負け惜しみのように言葉を返した。
最近のスミレは笑顔が増えて、外見にも変化が出てきた。長い黒髪は手入れをされて艶やかに輝き、肌もきめ細かく整い、こけていた頬もふっくらとし始めたのだ。それは本来スミレが持つ魅力であり、あるべき姿に戻ってきているということ。短期間でここまで変化したのはメアリの手腕が大きいだろう。
「この短期間でスミレは健康的な美しさを取り戻した。メアリのお陰だよ。凄腕すぎて恐ろしいくらいだ」
「ふふふ、スミレ様は磨き甲斐がありますもの。まだまだ美しくなりますわ。その姿を見れば、この国の子息子女はこぞって求婚をしてしまうかもしれませんね」
「……美しすぎるのも問題か」
「問題あるものですか。スミレ様は皆に好かれたいと思っているかもしれませんよ」
アレクシアの胸に、もやもやと霧がかった感情が生まれる。
学生時代、スミレが恋人と過ごす時間を見ていた時と同じ心地だ。メアリや家族に対する親愛とは少し違う何かに、それ以外の感情を知らないアレクシアは心の中で首を傾げる。
「…まだスミレには早いだろう。あまり宮内以外の人間に顔を見せないほうがいいな」
「はぁ、前途多難ですねぇ」
「何がだ…っと、そろそろ解散だな」
メアリのグラスが空になっているのを確認して、今日はここで区切ることにする。
トレイに空のグラスとワインを乗せて、アレクシアに開けて貰った扉から出たメアリは、振り返って就寝の挨拶をする。
「おやすみ。あぁ、すまないが就寝前にスミレの様子を見に行ってもらえるだろうか。私はもう少しだけ書類を片付ける」
「かしこまりました。今晩は魘されていないと良いのですが…」
「…添い寝するのは、許されるだろうか」
「どうでしょう?きっとスミレ様は気恥ずかしさに遠慮されてしまうので、サプライズで添い寝してしまうのはいかがでしょう。スミレ様は驚かれると思いますが、人の温もりがあれば魘されずに眠れるようになるかもしれません」
「ほう、荒治療ということか。いいかもしれない、考えておこう」
冗談を本気で受け取ったアレクシアに、言い過ぎたかしらと思案する。けれどもすでに閉まった部屋の扉を見て、酔っているメアリは意外とうまくいくのではと楽観視した。そんなことより様子を見に行きましょうと、スミレの部屋へと歩き出す。
スミレが目覚めと共に卒倒しそうになるのは、数日先の話である。