5-1
「ミア、この方なのね」
「はい。スミレといいます」
アレクシアが持ってきたディメンションスコープを興味深く覗くのは、壮年の男女二人だ。女性のほうは興味津々といった様子で美しい琥珀の瞳をきらきらと輝かせ、男性は為政者の顔をして映し出された映像を注視している。
『お父さん…』
映し出されているのは、葬儀会場に一人ぽつんと座って、大きな祭壇の上に飾られた実父の写真の前で涙を流している女性の姿。
年齢より幾分か幼く見える顔立ちは、この種族特有のものなのだろうか。
男性は思考しながらも、映し出される女性の痛ましい姿に眉をひそめた。同じく映像を見ていた女性も状況が分かったのか、悲痛な表情を浮かべる。
「…とても鮮明に映るのだな。それに、言葉もわかる」
「はい、映像は何度か改良しました。言葉については翻訳機能を後付けしております」
アレクシアはさらりと告げるが、それが途方もない技術だということは魔術を専攻していなくともわかる。それ程までにアレクシアはこの女性を大切に思い、本気で欲しているのだ。当初は研究者ゆえの酔狂めいた発言かと一蹴しそうになったが、これを見れば召喚魔術というものが一気に現実味を帯びてくる。
「父上、母上。わたくしはスミレをこの世界へ招きたいのです。そのためならば、彼女と共に過ごせるのならば、わたくしはどんな事でも成す覚悟です」
国王、王妃と呼ばないのは、今は私的な場であるためだ。
既に正式な謁見にて召喚魔術の行使許可を請願されている。提出された書類は宰相を含むごく少数名のみ目を通しており、そこにはこの女性の生い立ちや性格、召喚後の要望などが記されていた。ニホン国はとても発展した国であるらしく、こちらの貴族と同等かそれ以上の教育を国民全員が受けており、勤勉で礼儀正しい国民性。なおかつこの女性の性格上、召喚後に問題を起こすような人物ではない。
国王と王妃は改めて考える。アレクシアにこれほど想う相手がいたことに衝撃を覚えつつも、真摯な想いを打ち明けてくれた娘の願いを叶えてやりたい気持ちは強かった。
政治的背景、魔術協会との取り決め等具体的なものはこれから詰めていくが、魔術協会はきっと是と言うだろう。前代未聞の大魔術に立ち会える歴史的瞬間をみすみす逃すような真似はしない。厳重なかん口令と魔術契約が必至なのでそこを詰めるはずだ。
こちらとしても、時越え人の後ろ盾となる貴族の選定を誤らなければどうにかなる。既に調査させているが、国内情勢を脅かさずに進めることは可能だと考えていた。
ふうと息を吐き出して、国王は必死に訴えてくる娘を穏やかな表情で見据えた。隣に座る王妃が、テーブルの下で国王の手をそっと握る。
「アレクシア、おまえの気持ちはよくわかった。魔術師の道を進むと決意したとき以来か…そのように必死に訴えてきたのは。父としても、大切な娘の願いを叶えてやりたいと思う。貢献し続ける魔術師への褒賞とするに相応しいだろう。宰相よりのちに通達を出す。提示された条件に納得する理由を出せば、既定事項として話を進める。それまでに魔術協会の正式な許可を取ってこい」
「…!はい!ありがとう、ございます…!」
沸き上がる喜びが抑えきれない様子を見て、王妃も頬を緩めた。
アレクシアは今まで必要最低限の社交のみで、魔術の道をひたすらに突き進んできた。
大きな原因は、アレクシアは魔力がオーラとして見える、王族に稀に発現する力を持っていたことだ。甘い汁を吸おうとする者、陥れようとする者の負のオーラを沢山見てしまい、そのせいで学院時代に人間不信に陥った。今は封印しているが、あれは酷いものだった。
けれどアレクシアは、王女としての公務が霞む程の豊かさを国へ齎してくれた。
本来は叙勲や領地を与えるべきなのだが、彼女は魔術以外の望みがなく、迷惑とさえ言ってのけたため褒賞も出せずじまい。このままだと更に俗世とかけ離れていってしまうのでは、と危惧して婚約者をあてがおうとしたこともある。けれどそういった色恋にも一切感心を持たず、挙句婚約するくらいなら国を出ると言われた時には胆が冷えたものだ。
そんなアレクシアが、魔術と同等に求める人が出来たことを、王妃は素直に嬉しいと思った。
「アレクシア、わたくしはあなたが真に笑顔を絶やさぬ日々を送れるよう、願っております」
いずれわたくしにも紹介して下さいね、と微笑みながら告げた。
**
薔薇の宮の主室にて。
皆が寝静まる時間ではあったが、メアリに手渡された王家からの書類に目を通し終わったアレクシアは、眉間をぐりぐりと指で押しながらソファーへと背中を預けていた。
「お疲れ様です」
「あぁ、ありがとう」
アレクシアはこれまでの道のりを思い返す。スミレを召喚するにあたって一番骨を折ったのは、魔術の使用許可よりもスミレの保護権利を取ることだった。
召喚魔術は、この世界を揺るがす危うさを秘めている。
時越え人は豊富な知識を悪用されるのを防ぐために、見つかり次第各国で手厚く保護される。そして世界で取り決められたルールに乗っ取り、国又は個人に悪用されることを防がねばならない。落ち度があれば各国からの厳しい制裁が待っている。
幸いにも時越え人が現れる頻度は少ないうえ、善政を敷いている国に現れることが多い。だからこそ神の使いとも言われているが。
果たして好き勝手に召喚が出来ると知れば、必ず知識を手に入れようと暗躍する国が現れるだろう。今回の召喚を知るのはこの国の数名、後は魔術協会の上層部のみ。召喚の魔術式については、魔術師長全員の承認がないと開示できないよう封印処理をしてある。召喚に関わった者には強力な契約魔術でかん口令を敷いているが、いずれどこかから漏れることも視野に入れるべきか。
スミレについて公表するかは、本人の希望に沿って決める。現段階ではまだ未定だ。
けれど先日の魔術協会で受けた好奇の視線を思い出し、アレクシアは眉を顰める。あれは失態だった。
「やはりスミレの存在を調べ始めた貴族がいるな。魔術協会で目を付けられたらしい。すぐに事を起こすことは無いだろうが、薔薇の宮周辺を嗅ぎまわっている者がいれば知らせてくれ」
「承知いたしました。宮内の者に周知しておきます」
「…はぁ。私のせいで、スミレに嫌な思いをさせてしまった」
目元を覆いながら弱音を零すアレクシアに、メアリは聞こえるように溜息をついた。
まったく、この言葉を聞くのは何回目だろうかと。スミレの事となれば聞いたことも無い弱音を吐き、喜んだり落ち込んだりと感情の落差がすごい。
スミレを召喚する前からこうであったが、召喚後となれば言わずもがなだ。
それを好ましく思う反面、少々相手をするのが面倒だと思っているメアリである。けれど仕える者として、友人として、大事な局面で見誤ってほしくないために口を開いた。
「こうなることは遅かれ早かれ分かっていたはずです。むしろこれからが本番ですわ」
「わかっているよ…全力で守って見せる。ただ、そうだな、私はスミレのことになるとどうも我儘になるらしい」
あらあら、とメアリは思う。アレクシアにしては珍しいお悩み相談だ。
「私はスミレの気持ちを第一に考えたい。まだ送還魔法は魔術協会の調査待ちだが、いつか帰りたくなっても叶えられるように用意するつもりだ。でもその時に、私は…彼女を手放せるだろうか。スミレに私を認識してもらい、共に暮らすという夢が叶ってしまった今、あの頃の見ているだけの私に戻れるのだろうか」
「はぁ…」
「それほどまでに彼女に執着してしまっていることに、今更ながら気づいたよ。今は雛を守る親の気持ちだ。きっとこんな思いなのだ、誰にも傷つけられないように、大切に囲ってしまいたくなるのだ。できることならば、ずっと私と共に、この世界で生きて欲しいと願ってしまう」
自分の傲慢さに呆れてしまうよ、と力なく笑うアレクシアを見て、メアリは呆れたように肩を揺らした。色々と言いたいことはあるが、スミレと離れたくないという気持ちはメアリにも理解できる。
共に過ごした期間が短くとも、スミレの気質や性格を知ったメアリは好感を覚えていた。アレクシアはそんな彼女を何年も見守っていたのだから、辛くない訳がない。
「スミレ様を近くで見守りたいという気持ちは、わたくしも同じです。薔薇の宮で関わった者も同じ思いでしょう。だからこそ、わたくし達は焦らず、これまで通りスミレ様との関係を築いていけば良いのではないでしょうか」
「これまで通り、か」
「ええ、アレクシア様のお気持ちはスミレ様に伝わっていると思います。まずはゆっくりと距離を詰めていき、信頼を得ることが重要です。きっと互いにとって良い選択が出来ると思いますわ」
「…そうだな、先のことを憂いていても仕方ない。切り替えるよ」
ふうっと息を吐き出して、アレクシアが天を見上げた。感情の整理をするときによくやる仕草だ。少ししてから姿勢を戻した顔を見て、どうやら先程よりはマシになったようだとメアリは思う。