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男性職員の大きな声は、待合で座っている人たちにも届いていたらしい。
沢山の視線がアレクシアさんを含む私たちに降り注いでいた。若い男女は好奇の表情を浮かべており、一部ではきゃあっと悲鳴が上がり、そこから一気に騒めき始める。私は突然受けた大量の視線に驚いて身動きが出来なくなってしまった。
『魔術師長様だわ!いつ見ても麗しい』
『ここでお会いできるなんて』
『ねぇ、お声を掛けに行きませんこと?』
上擦った様々な声が、濁流となってフロア内を蹂躙する。
それは殆ど好意的なもので、第二王女であり天才魔術師と謳われる彼女の名声が人々に届いている証左でもあった。
「はぁ…早く上階へあがろう」
溜息をついて嫌そうな顔をしたアレクシアさんは、くるりと振り返って私とメアリさんに声をかけた。あからさまに眉を顰めて嫌な顔をしている。こうして視線を集めているのにも関わらず、不機嫌を隠していない。
私たちに声を掛けたことにより、今度は多くの視線がアレクシアさんから私たちに移ってくる。
『あれはモメントリ伯爵家の』
『メアリ様ですわ。侍女に抜擢されてもう何年かしら?まったく、まだ貰い手くらいあるのだから早く結婚なさればよろしいのに』
『モメントリ嬢の傍にいるのは誰だ?魔術協会の人間ではないようだが』
『あの眼鏡、上物じゃないか?どこの商品なんだ』
『どこかの貴族の庶子かもしれん、野暮ったいし訳ありなのでは?』
『新たな侍女にしては、少し分不相応ではなくて?』
ひゅっと喉が鳴った。
好奇の視線に混じる侮蔑の視線、それから聞こえてくる明け透けな言葉たち。自分の視界が黒く染まっていく。罵倒されて震えていた感情がフラッシュバックしてくる。人の悪意が自分に向くことがこの上なく恐ろしい。
暗い、怖い、どうしよう、息が、息が。
「スミレ」
「スミレ様」
私の背中に二人分の掌が触れて、はっとする。目の前に、大勢の人の視線を遮るように二人が立っていた。心配そうに私を見つめる。
思い出したように息を大きく吸った。心臓がバクバクとうるさい。どっと冷や汗が流れ出してきて、必死に落ち着けようと深呼吸を繰り返す。咳き込まなかっただけましかもしれない。強烈な息苦しさから解放された私は顔を上げた。
大丈夫、大丈夫。私は、一人じゃない。
「す、すみません。少し、取り乱しました」
「スミレ、そこにある昇降機まで歩けるかい?」
「はい、大丈夫です」
ぐっと拳を握りこんで前を向く。これ以上取り乱してしまえば二人に迷惑をかけることになる。乱れを感じさせないようにと気を付けて受付ホールを抜ける。そのままエレベーターのような魔道具の昇降機に乗りこみ、アレクシアさんが扉を閉めると漸く静寂が訪れた。
「すまない…混み合う日だということを失念していた。私のせいで嫌な思いをさせてしまったね」
「いえ…いいんです。よく考えれば、当たり前のことですから」
私は苦笑いを浮かべた。
王女の傍に突然現れた私に対して疑問を持つのは当たり前だし、この冴えない外見だ。王女の傍に居るのに相応しくないと思われても仕方ない。どう考えてもやっかみを受ける立ち位置なのだと、改めて自分の立場を理解した。
まだ心臓はバクバクしているけれど、気持ちは落ち着いてきたように思う。
「スミレ…」
「まったく、わたくしったら酷い言われようだと思いません?」
ふんっと鼻を鳴らすように言い放ったのはメアリさんだ。確かにメアリさんにも矛先は向けられていたが、どうやら私とは受け取り方が違うようで。
「わたくしの立場を羨んで、馬鹿の一つ覚えのように囀ってくるのです。ああいやだ、嫉妬深くて浅ましい貴族など、嘆かわしいだけですわ」
やれやれ、と大げさにため息をつく。
あぁ、メアリさんは私を励ましてくれているんだ。普段の淑女然とした姿からはかけ離れた物言いに、胸のすくような思いがした。こんな風に気丈な女性になりたい。
「ですから、あんなもの気にする必要はございませんよ」
「はい、ありがとうございます。…そういえば、メアリさんも独身だったんですね」
「あ、スミレ。それは本当に触れてはいけないところだ」
突然作り上げられたにっこり笑顔のメアリさんが、私をじいっと見つめてくる。思わずひぃっと声を上げたところで、昇降機が到着のベルをちりりんと鳴らした。
開いた扉から降りると真っ直ぐに廊下が伸びており、先程の喧騒が嘘のように静かで人が見当たらない。後で知ったけれど、この階はまるごと魔術師長専用のフロアとなっているそうで、アレクシアさんの許可がないと入れないそうだ。
「この先に人を待たせているが、スミレを傷つける様な者ではないよ。けれど、気分が優れないのならば無理に会う必要はない。またの機会でも良いんだ」
心配そうなアレクシアさんが私の顔を覗き込むけれど、私は首を振った。
「確かにさっきは、少し怖かったですけど…アレクシアさんとメアリさんが居てくれるので、大丈夫です」
「そうか…わかったよ。では行こうか」
小さく口元を緩めて、アレクシアさんに続いて廊下を進む。突き当りの部屋をノックしてから扉を開けた。
中は転移部屋と同じような作りの部屋だった。入口近くにはシンプルなテーブルセットがあって、そこで書類を広げながら一人の男性が座っている。
父と同じくらいの年齢に見える男性は、きらりと掛けた眼鏡を光らせてこちらを見やる。
「来たか」
「あぁ、今日はよろしく頼むよ。スミレ、こちらは医師のノルクスだ。医療魔道具の共同研究を行っている同志で、医者としても腕がいい」
「お前さんがスミレかい?ノルクスだ、よろしく」
「スミレ・フユツキです。よろしくお願いします」
ちょっと口調は荒々しくて目つきも鋭いけれど、不思議と怖いとは思わなかった。アレクシアさんの信用が伺えるし、なにより誠実そうに思えた。
「今日はね、スミレにサプライズがあるんだ。まずはノルクスに健康状態を診てもらって、それから本番に移ろう」
「なんだ、師長は何も言ってないのか」
「ふふ、驚く顔が見たくてね」
呆れたようにふうっと息を吐いたノルクスさんは、私を手招いて椅子へと座らせた。
テーブルの上に置いてあったカバンから聴診器と虫眼鏡のような物を出す。日本での健診と同じように心臓の音や呼吸音を聞いて、目の状態や聴覚など簡単な問診を受ける。
それが終わると「これが最後だな、じっとしててくれ」と言われて、虫眼鏡のようなものについている魔石を押し込んだ。淡い光が虫眼鏡を光らせる。ノルクスさんが空いている手を差し出してきて、片手を乗せるように言われて乗せる。
すると、身体の中を熱が回っていくような、不思議な感覚に襲われた。ぐるぐると熱が回っている中で、その虫眼鏡を通してノルクスさんは私を観察していく。これはきっと医療の魔法だ。
そうしてしばらくすると「もういいぞ」と声を掛けられて、診察が終わった。
「ふうむ、ちと痩せてるがそれくらいだな。師長のところに居るなら十分に食事も摂れるだろうし、心配ないだろう」
「ありがとうございます」
「おう。じゃぁ健診はこんなところだ。魔道具の使用も問題ない」
「ありがとう。ではここからは私が代わろう」
ノルクスさんとアレクシアさんが場所を変わる。アレクシアさんは手にしている魔道具を私に見せてくれた。
「スミレ、眼鏡を外したらこれを目元に装着してほしい。それから指示を出すから、その通りにやってみてくれる?」
「わかりました」
眼鏡を外して、VRゴーグルみたいな魔道具を目元に当てる。落ちないようにバンドで固定してもらい装着が完了した。
真っ暗になった視界が、起動音のような音と共に淡く光った。ぼんやりと光を見ていると、何かが遠くに見えてくる。でもぼんやりとしていて、何かは判別できない。
「今何が見えているかわかる?」
「いえ、ただ何かあるのはわかります」
「なるほど。じゃぁ…これは?」
「少し輪郭が見えるようになりました」
何度かそんなやり取りを繰り返すと、次第に映し出されたものがはっきりと見えてきた。薄紫色の一輪の花だ。
「スミレの花…はっきり見えました」
「よし、ではそのまま、ゆっくり瞬きをしていてくれる?」
言われた通りに瞬きしつつ、スミレの花を見つめる。
すると目の奥に熱を感じて思わず目を瞑ってしまった。幸い熱は一瞬で引いた為、恐る恐る目を開くと、ぷしゅうと気が抜けるような音が鳴って、視界が真っ暗になってしまう。
「成功だ。スミレ、魔道具を外すね」
「は、はい」
少し焦りながらも大人しくバンドを解いてもらって、私は目の前にいるアレクシアさんに聞こうと口を開いた。
「あ、あのすみません、最後に熱さを感じて目をつぶってしまったんですが…あれ…?なんか…」
なんだろう、なにか違和感がある。アレクシアさんはにこにこと話を聞きつつ、テーブルに置いてあった眼鏡を手にとって私に渡してくれた。
「あ、ありがとうございま……え?…あれ?」
何か変だ。
眼鏡をかけたらひどく歪んで何も見えない。眼鏡を取り違えたのかと焦って顔を上げると、アレクシアさんが楽しそうに笑っているのがはっきりと見えた。あれ、私裸眼なのに…
「えっ!?見えるようになってる!」
眼鏡とは違うクリアな世界が、裸眼ではっきりと見えている!
ぐるりと見渡した部屋の隅まで鮮明だ。アレクシアさんも、ノルクスさんも、その奥でメアリさんも微笑んでいるのがはっきり見える。一番遠い壁の飾り模様や、眼鏡だと見えない視界の端の景色まで、しっかりと見える。見える、見えてる!
「すごい、すごいです…嘘みたい…!」
「見えにくいところや、何か違和感などはないかい?」
「ええと、今のところ全くありません。眼鏡よりもクリアに見えています」
きょろきょろと忙しなく視線を動かしてしまう。
コンタクトを付けたときの違和感のようなものもなく、裸眼でこんな風にみえるのなんて幼少期以来だ。
「これだけ驚いて喜んでもらえたなら、サプライズの甲斐があったかな」
「ありがとうございます!すごく嬉しいです…!これは視力矯正の魔道具なんですね」
アレクシアさんがひょいと手に持った、先程装着したVR機器のような魔道具。
「これはニホンの技術から着想を得て作った視力矯正魔道具だよ。ニホンではコンタクトという透明なレンズを使っていただろう?こちらでは眼鏡は普及しているが目に直接装着するような精密なレンズは作れない、そこまでの技術がないからね。だから魔法で代用できないかと考えた。ニホンの病院での知識を拝借させてもらってね。うまくいって良かったよ」
なんと、アレクシアさんは数年前から構想を練っていて、ノルクスさんたち医師を巻き込み様々な意見を取り入れて完成させたらしい。
この魔道具は、現段階では技術も作成コストも高いため、流通させるのはまだ難しい。けれど改良を重ねて、いずれは民間の治療院にも普及させる計画なのだそうだ。画期的な発明に、また功績が増えたな、とノルクスさんはにやりと笑った。
「また裸眼で生活が送れるなんて、本当に夢見たいです。治してくださって、ありがとうございます」
深く頭を下げて二人に感謝の気持ちを伝える。
「まぁ、暫くは経過を診せてもらうから通ってもらうことになるがな。何度か重ね掛けが必要になるかもしれんし、データはしっかり取らせてもらうぞ」
「はい、よろしくお願いします!」
「んじゃ早速診せてもらうか」
ノルクスさんに治療後の目の状態を確認してもらった。
問題なさそうだとカルテにいくつか書き込んでまとめ終わると、またな、といってノルクスさんは部屋を出ていった。