3-5
雷が落ちたような叫びは、私は驚きで飛び上がらせた。
アレクシアさん信じられない発言を前に、私の羞恥心は軽々しく吹っ飛んで消える。
「へっ、あ、あの…?」
「なんてことだ、私は、へんた…変質者なのか?よく聞く令嬢への付きまとい行為をスミレに…?確かに乙女の部屋を覗くなど言語道断だが…!いやでも覗き見ていたのは事実か…私は本当に…そんな、変態…へんたい…」
と変態を連呼しながら嘆く美女。
呆けていた思考がようやく戻ってきたとき、込み上げてきたのは堪えきれない面白さ。だって、いつも穏やかで優しいアレクシアさんがこんなに取り乱すなんて。
ど、どうしよう、これって笑ったらいけないよね?
そう、笑うなんてできない、でも表情筋がひくひくと限界を訴えてくる。
笑うな…、だめだ、無理、我慢出来ない!
「ふっ、ふふっ、あははは…っ!」
「へんたっ…、スミレ?」
「ふはっ、アレクシアさんっ、やめっ、連呼しないでくださ…ひっ、ふふっ…無理です、面白すぎ…!」
申し訳ないとは思いつつも、笑いのツボに入ってしまった私はもう堪えることが出来なかった。ひぃひぃ言いながら笑う私を見たアレクシアさんは、今度は目も口もぽっかり開いて、とんでもない物を見たような顔をする。
な、なんで今そんな顔をするんですか!無理!無理!
笑いの沸点が低くなっている私に更にクリーンヒットして、苦しいくらいに笑いが止まらなくなってしまった。
「あはははっ、ダメです、そんっ…!そんな、顔、しないでくださ、っふふ!」
両手を胸の前に掲げて悪意はないんだとアピールしつつ、なんとか笑いを止めようと深呼吸を繰り返す。たまらない、こんなふうにお腹が痛くなるまで笑ったのはいつ振りだろう。
そんな無礼にも爆笑する私に、アレクシアさんは少し赤くなった顔で閉じた口を僅かにへの字に曲げた。
「その、笑ってくれるのはとても嬉しいが、少し笑いすぎではないか、スミレ」
「ご、ごめんなさい。普段のアレクシアさんとのギャップがすごくて、つい。でも久しぶりに、こんなに笑っちゃいました」
ほぐれた表情筋は、口角を自然に上げて笑みを作る。違和感なく久しぶりに笑えている気がした。
才色兼備なアレクシアさんの意外なギャップを知ってしまった。これがメアリさんの言っていた素の部分なのかもしれない。もっとアレクシアさんのことを知りたい、他にどんな表情を持っているのだろう。
そんなアレクシアさんは一度呼吸を整えると、きりりと表情を引き締めて口を開いた。
「スミレ、どんな事情であれ勝手に部屋を見ていたことは事実だ。だから謝罪させてほしい、本当に申し訳ないことをした。ただ、誓って破廉恥なところは見ていない!着替えの時などは映らないように調整していたし、その、バスルームに居るときも覗いたことはない!」
「はれんっ…?!ええと、配慮して頂きありがとうございます。ただ、家ではだらだらしてたし、本当に酷い生活だったので…恥ずかしいんです。見ていて嫌な気分になったかと…自分で振返っても酷いとしか言えなかったので」
「あぁ、心配になりはしたが、嫌な気分になったことなどないよ。スミレに害を為す人間に憎悪を覚えたことはあるが…これはよそう。ともかく、あの状況で規則正しく生活をするのは難しかったろう。何度、栄養のあるものを食べさせたいと思ったことか」
ううむと唸るアレクシアさんは、きっと本当に考えてくれたんだろうなと思う。それを知れたことは嬉しい。
「心配してくれて、ありがとうございます。幻滅されてないなら良いです、できれば忘れて欲しくはありますが…」
「どんな状態でも愛らしいのだから、幻滅などしない。そんなことを心配する必要はない」
「えっと…」
なんだかアレクシアさんの言動が分からなくなってきた。
先程から極端なことばかり言っている気がする。
「あぁ、気付いていないのか」
両肩を掴んで、アレクシアさんは私の顔を覗き込む。ぐっと顔が近づいてきて、目と鼻の先に綺麗な顔が迫ってきた。分厚い眼鏡も簾のような前髪も役に立たない超近距離。突然のことに戸惑っていると、タイミングを見計らったように勢いよく部屋の扉が開いた。
現れたのはメアリさんだ。
アレクシアさんも気づいたようで私から視線を外すと、少し眉を寄せてメアリさんを見た。
「メアリ、ノックをしてほしい」
「何度もノックしましたしお声掛け致しました。アレクシア様の狼狽したお声が廊下まで響き渡っておりましたので、かき消されてしまったのでは?」
満面の笑みを湛えたメアリさんがそう言うと、アレクシアさんは分が悪いと思ったのかうっと声を詰まらせる。二人が会話をしているところを初めてみたけれど、どうやらメアリさんの方が上手のようだ。
「病み上がりのスミレ様に何やら詰め寄っていると聞き、急いでまいりましたが…ふふふ。スミレ様、表情が柔らかくなりましたね」
メアリさんが労わるような言葉を掛けてくれて、私は頷いた。自然と笑顔になってしまう。
「詰め寄ってなど…いや、すまないスミレ、怖かったか」
「いっいえ!私こそ大きな声で笑ってしまい、すみませんでした」
「いや、久しぶりに笑顔が見れて嬉しいよ」
アレクシアさんは眉を下げてほほ笑んだ。どうやらこの話は丸く収まりそうだ。
それから思い出したように手をぽんと叩く。
「そうだ、近いうちに魔術協会へ来てほしい。一つ用事に付き合ってほしいのだけど、今回のことの埋め合わせになれば。スミレ、自分で魔法を使ってみたくはないか?」
「使ってみたいです!」
「じゃぁ決まりだ。スミレが良ければ、その日いくつかの魔法を教えるよ」
嬉しい提案に、私の心は躍る。
「あ…でも、異世界から来た私にも使えるのでしょうか?元の世界では魔法は存在していませんでした」
「スミレは魔道具を操作できるだろう?ならば魔力を持っているはずだよ」
魔道具は自分の魔力に反応して起動するようになっているので、魔道具が使えるということは魔力を持っているという証左になるらしい。メアリさんが日中に私がオーブンを稼働させたことに言及し、アレクシアさんはさらに確信を得たようだった。
「魔法を使えるなんて…夢みたいで。とても楽しみです」
「ふふっ、それはようございました。そういえば、時越え人はみな後天的に魔力を得るのでしょうか」
「どうだろう、興味があるね。魔術として発現しなかっただけで素養は既に持っていたかもしれないし、時越え人の全てが魔力の存在しない世界から渡ってきている訳ではないはずだ」
メアリさんとアレクシアさんがあれこれと推論をし始める。会話が途切れたところで思わず聞いてしまった。
「あの、時越え人というのは?」
「スミレのように、別の世界からこの世界にやってくる異世界人の総称だよ」
なんと時越え人は、予兆なく突然この世界に現れるらしい。
老若男女バラバラで、この世界に馴染みのない服を着ている。不思議なことにこの世界の言語を初めから話すことができ、異世界の知識を語る。何故この世界に来てしまったのかは不明で、時空の歪みに呑まれてこの世界に落ちてくるのではないかと言われている。
発見次第、各国で手厚く保護する取り決めとなっているらしい。過去にその知識を使って戦争が起こったことがあるそうだ。知識を乞えば国の発展に繋がり、また悪用されれば国が脅かされる危険があるから。恩恵を与える時越え人は、一部の国では神の使いとも呼ばれているらしい。
「こちらから召喚魔術を使って人を喚んだのは、スミレ様が初めてなのですよ」
「わぁ…」
「アレクシア様がその執念により前代未聞の偉業を成したのです。スミレ様に会いたいと願うばかりに、持ちうる全ての知識と技術を終結して…」
身振り手振りで急に語り始めたメアリさんに、アレクシアさんはぎろりと視線を向けた。
「それは私を褒めているのか?」
「もちろんでございます。映像のみの異世界から音声を引き出し、翻訳し、最後には召喚という大魔術をたったの数か月で成功させたのです。アレクシア様のお気持ちの大きさがわかるというものです」
「まったく…スミレ、メアリに何もされていないか?」
唇を少し尖らせてメアリさんを諫める姿はなんだか可愛らしく見える。二人の売り言葉に買い言葉なやりとりに、信頼という繋がりが見えた。
面白いやりとりに締まりのない笑みを浮かべていると、アレクシアさんが私を見て首を傾げた。
「スミレ?…なんだか顔が…赤いような」
「?」
「あらあら、少し疲れてしまったようですね。病み上がりですし、今日はもう就寝致しましょうか」
「うん、もう休んだ方がいいね」
自分でもわからないけれど、病み上がりの身体は早く休みたいらしい。
また明日、と声を掛けられて、ふわふわしたまま部屋からアレクシアさんを見送る。メアリさんがあっという間に就寝準備をしてくれて、私は直ぐにベッドの中だ。
もぞもぞと身体を動かしながら今日の事を振り返る。色々とあったけれど、久しぶりに感じたのはワクワクする好奇心。
こんな気持ちになれたことが嬉しくて、誰かに報告したいと思えて、思い浮かぶのは大好きな父の姿。
お父さん、まだまだ寂しい気持ちは消えないけど、見守っていてくれるかな。
この世界に送り出してくれたから、優しい人たちに囲まれて、少しずつ前向きに頑張りたいって思えたよ。
あの時会えたのは、きっと夢じゃない。私がこの世界にいることのほうがよっぽど夢のようだから。
胸に手を当てながら、私は穏やかなまどろみに意識を手放した。