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日が完全に落ちた頃に、アレクシアさんが帰ってきた。
勇気を出して、アレクシアさんと夕食を共にしたいと伝えてもらった。
寝込んでいた時、アレクシアさんが私を心配してくれていたのも、何度も様子をよく見に来てくれたことも覚えている。その優しさのおかげで不安になることもなかった。そのお礼を、ちゃんとお伝えしたかったのだ。
メアリさんとも約束したから。
少しずつでも前を向こう。私はアレクシアさんの事が知りたい。
先に席に着いて待っていると、水色のシンプルなドレスに着替えたアレクシアさんが入ってきた。
「おかえりなさい、アレクシアさん。お仕事お疲れ様です」
「ただいま、スミレ。もう体は大丈夫?」
「もうすっかり元気です。アレクシアさんが傍に居てくれたおかげです、本当にありがとうございました」
「ふふ、どういたしまして。来た時より顔色も良くなって安心したよ」
優しく笑ってアレクシアさんが対面に腰かける。
いっぺんに出してもらって構わない、とアレクシアさんが給仕の男性に声を掛けると、サラダ、スープ、メインディッシュがテーブルに並べられていく。アレクシアさんのメインはステーキ、私のメインは魚のムニエルだ。
給仕の人たちは配膳が終わるとベルをテーブルに置いて退室した。私がこちらの生活に慣れるまで、緊張しないようにと配慮してくれている。
晩御飯はとても美味しかった。レストランのフルコースは年一度、接待で食べる機会があったけれど、それと比べるまでもない。これは気持ち的な部分も大きいけれど、やっぱり今日が一番おいしい。
アレクシアさんに今日はどう過ごしていたのかと聞かれて、私は一つずつ思い出しながら答えた。魔術と魔道具について興味があることを伝えると、アレクシアさんは魔術協会のこと、自身の役職について改めて教えてくれて、やっぱりすごいなぁと改めて思った。
あっという間に時間が過ぎ去り、食事も綺麗に食べ終えると、アレクシアさんがお茶をしようと誘ってくれる。場所はリラックスできるようにと私の部屋だ。
部屋へ戻って、マグカップに淹れてもらったミルクティーを頂く。
アレクシアさんは何故か対面ではなく私の隣へ座ってきたので、私は驚いて声を上げてしまう。
「ふぇっ」
「スミレ?」
澄んだ瞳で首を傾げるアレクシアさんに、私が言えることなど何もなくて。
「あ、いえその…何でもないです」
前回までは私の情緒が不安定だったのもあって、そこまで気にしていなかった。というか、自分から縋りついて泣いてしまっているのだけれど。
でも…何となくは感じていたけれど、アレクシアさんは人との距離感が近い気がする。多分私が権力とか身分に関係ないからだとは思うけれど、それにしても近いような。
絶世の美女が間近にいることに慣れる日はくるのだろうか、なんて思っていると、アレクシアさんが口を開いた。
「そうだ、この世界からスミレを視ていたと話した時のことを覚えている?」
「前に教えてくれた、異世界を視ることのできる魔道具ですよね」
「そう。スミレは魔道具に興味があるようだからね、それなら見てもらおうと思って。けれど…ニホンを思い出すものになるから、スミレの心が落ち着いた頃の方が良いかと考えていたんだ。スミレはどうしたい?」
「私、は…」
浮かんでくるのは、住んでいた場所、馴染んだ景色、それに付随する思い出たち。
それから、父の姿。辛い出来事の数々。
反射的にぐっと奥歯を噛み締めた。まだ私の心は万全じゃないし、父を失った悲しみからも立ち直れていない。
それでも今、苦しみから解放してくれる場所にいて、一人じゃないことが私を後押ししてくれる。久しぶりに何かに興味を持った、この感情を大切にしたい。
好転するタイミングを逃したくない、そんな思いが私に芽生えていた。
「大丈夫です。見てみたいです、魔道具」
ぱっと顔を上げて、アレクシアさんへ向き直る。
アレクシアさんは綺麗な青い瞳を丸くした。
「良いのかい?」
「はい…その、ダメでしょうか」
「いや、ただ驚いて…無理はしていない?」
「はい、まだ完全に気持ちの整理が出来ているわけではないんですけど…。でも、それよりもこの世界のことに気持ちが向いているんです。この気持ちを大切に、したくて、その…」
言ってて急に自信がなくなってきて、ごにょごにょと尻すぼみしてしまう。まだ自分の意見を言うことに慣れない。昔の自分を取り戻すのには時間が掛かりそうだ。
「ありがとう、スミレ。楽しい事を楽しいと、そして興味を持てるのは前を向いている証拠だ」
アレクシアさんが、私の気持ちを優しく包んでくれる。
じわじわと痺れるような、なんともいえない気持ちになった。
「では早速」
アレクシアさんは右手をあげると空中でパチンと指を鳴らした。
すると空中に何かが現れて、アレクシアさんの手元に落ちる。それを私に差し出すように見せてくれた。
化粧品のコンパクトのようなもので、赤と金の蔓のようなデザインが蓋部分に施されている。蓋を開くと中には鏡が付いていて、台座部分には大きな魔石とそれを囲むように金文字がびっしり書き込まれていた。これが異世界を覗ける魔道具なのだろうか。
「これはね、ディメンションスコープと言って、作成時に一度だけ異世界にチャンネルを合わせることが出来るんだ。一度合わせたチャンネルは変更することが出来ないから、これはニホン、もっと大きく言うとチキュウがある世界しか映らない」
アレクシアさんが魔石部分に手を置くと、魔石と金文字が浮かび上がるように光った。その光が収まると、鏡部分に映る景色が変化する。先ほどまで覗き込む私が映っていたのに、まったく違う景色が映っているのを見て、わたしはあっと声を上げた。
「これ!私の家の近くの公園です!」
映ったのは一人暮らしをしていたアパート近くの小さな公園だ。残業帰り、たまにこの公園のブランコに座ってコンビニご飯を食べていたのですぐに分かった。
「そうだね、ここでスミレがご飯を食べていたのを何度か見たよ」
指を滑らせる度に景色が移動していって、最寄りの地下鉄の駅にたどり着く。壁などの障害物は通り抜けられるようで、建物内に簡単に移動も出来た。
「すごいです…こんなに鮮明に映るなんて…」
「私も初めて作ったディメンションスコープで、生体のいる、しかも同じ人間で発展した文明をもつ世界に繋がった時はとても興奮した。時越え人が存在する以上、別世界はあると確信していたが、本当にこの目で見て知ることができるとは思ってもみなかったから。スミレを見ているうちに声が聞きたくなって、後付けで音声を拾う機能も付け加えたよ。そのおかげで文字の読み方も覚えることができたんだ」
ぱぱっと魔石を何度かタップすると、聞き慣れた駅構内のアナウンスがコンパクトから流れてきて驚く。なるほど、これで私の名前や日本のことを知ったんだ。
「そういえば初めて来た日の朝、メッセージカードのおかげで混乱せずに済んだんです。あの時はありがとうございました」
「それはよかった。ニホンの言葉は書き文字が難しいね、カンジは中々覚えられない」
少し操作してみるかい?と言われて、早速触らせてもらうことになった。
自宅アパートまで何気なく移動させると、部屋の真っ暗な窓が映る。この家を離れてそれほど経っていないのに、もう懐かしく感じた。
戻りたいとは思わないのに、不思議な感覚だった。苦しい場所から完全に離れた今だからこんな風に思えるのだろうか。
くるくると操作しながら、こうやってアレクシアさんは私を見ていたのか…と改めて思った所で、私はカッと顔が熱くなる。
あれ?私のひどい姿を散々見られていたってこと?そう思うと物凄く恥ずかしい!
しかもこんな高貴な美女に!?
しかもこれ…壁も通り抜けられるし声も聴けるということは…
家の中での荒れた生活とか、独り言やあらゆる粗相も、全てまるっとみられている…のでは…?
「あ、あの…アレクシアさん……これって、その、どんなところでも見ることが出来るんですよね」
「うん、長距離移動は時間が掛かってしまうけど、行けない場所はなかったよ」
「も、もしかして私が、その、部屋でだらけている時なんかも…?」
「うん、スミレは休みの日は家から出てこないだろう?床で寝ていることも多くて心配だったよ、だからよく見て……よく…」
さらりと恐ろしい返事をしたあと、私の顔色を見て何か変だと気づいたのだろう。アレクシアさんは数秒固まった。それからかっと目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、その次に真っ青になり、わなわなと口元を手で覆った。
「ス、スミレ…決して悪気があった訳では!…その、心配で…いや違うな、今のような状態になる前も…あぁ!なんてことだ、違うんだ……これではまるで」
ばっと立ち上がったアレクシアさんが、頭を抱えて叫ぶ。
「ただの変態ではないか!」