ぼくは『英雄』と向き合う
「……ギルバート」
声が出せない僕に代わり、シャハリが名を呟いた。
彼女の視線は、夜空へと向いている。
僕も、恐る恐る空を仰いだ。
そこにいたのは、空中に浮かぶ一人の騎士――ギルバートだった。
「突如姿を消されたと、エリス姫より聞き探してみれば……こんな場所にいらっしゃるとは」
騎士ギルバート。僕のもう一人のパーティメンバー。
彼は大酒を飲んでいたと聞いていたが、酔った様子など微塵もなかった。
「魔王を倒したからと言って、まだ終わりではないのですぞ! 英雄様の活躍は、これからなのです!こんな所で遊んでいる場合ではありませんぞ!」
そう告げると、ギルバートは宙から地上へと静かに降り立った。
どうやって僕たちの居場所を突き止めたのか疑問に思っていると、ギルバートはあっさりと答えた。
「シャハリの声がしたから、すぐに分かりました」
……さっき、「痛いって」叫んだだけなのに。なんて聴力だ。
「お前な……”英雄様”って崇拝すんのは勝手だけどよ、魔王はもう倒したんだ。これ以上ヒデオに”英雄”を押し付けるな!」
僕の代弁をするように、シャハリが叫ぶ。
弓を手にし、構えながらギルバートを睨みつけた。
「シャハリ……お前こそ”英雄様”とお呼び申し上げるよう何度言えば……。私は誰よりも英雄様を案じ、理解しております。だからこそ、英雄様にはエリス姫と婚約し、ゆくゆくは王国を統治していただかねばならぬのです」
容姿端麗で、生真面目な佇まい。
誰が見ても完璧な美男子。それがギルバートだった。
月光に照らされたその姿は、まるで聖騎士のように映えていた。
――だからこそ、僕は余計に劣等感を覚えてしまう。
「生真面目バカが……やっぱ何も分かっちゃいねえよ!」
「ほう……私と一戦交えようというのですか。なるほど、英雄様を謀ったのはお前ということか、シャハリ」
互いに武器を構える二人。
「ち、違う……!」
互いに武器を構える二人。
そこで、ようやく僕は声を絞り出した。
「違います、英雄様! こやつは貴方様を騙そうとしているのです! 前々からけしからんとは思っておりましたが、いよいよ切り捨てねばならぬ時が来たようだ……!」
ギルバートは、僕の言葉をまるで聞いていない。
この異世界に来てから、ずっとそうだった。
彼は、僕をただの”英雄”としてしか見てくれなかった。
この異世界に、僕を召喚したのはギルバートだった。
魔法剣士である彼は、召喚時には既に偉大な称号を複数持っていた。
いわば、チート級の存在だった。
だから、ただの一般人レベルの僕が魔王を倒せたのは、全て彼のおかげだ。
『さすがです、英雄様』
その言葉が嬉しくなかったわけじゃない。
導いてくれた恩もある。
……でも、過保護すぎた。
『話はつけておきました。あとは秘宝を借り受けるだけですぞ、英雄様』
いや、ちょっと異常なくらいだった。
『敵襲は一掃しておきました。残るは魔王の根城を攻め落とすのみです、英雄様』
一人で千体以上の魔族を殲滅したときなんか、さすがにドン引きした。
僕は、彼に転生させられ、支えられてきた。
だからこそ、恩返しのつもりで『英雄』として魔王を倒した。
いや、正しくは――ほとんど倒してもらった。
だから、僕は”英雄”じゃない。なれないし、なりたくない。
真の英雄は、彼――ギルバートなのだから。
「僕は……”英雄”になりたくなんかない。ギルバートこそが”英雄”に相応しいよ!」
「ご謙遜を。そんなことはありません! 貴方様こそ、真の”英雄様”なのです!」
どれだけ叫んでも、彼の返事は変わらない。
むしろ、その純粋な信頼が重くて、苦しくて――。
まるで、押しつけられているようで。
だから、僕は”英雄”から逃げ出したくなった。
「ヒデオ! こいつはもう、何を言っても聞いちゃくれねえって……!」
その瞬間。
シャハリは矢を放った。
風妖精の加護を受けた彼女の矢は、目にも留まらぬ速さのはずだった。
――だが。
一瞬のうちに、その矢は剣で弾かれた。
「仕方ありません……私の英雄様を思う気持ち、身をもって理解していただくまでです!」
ギルバートは剣を構え、まるで居合のような構えを取る。
かつて遠くの魔物すら真っ二つにした一閃――その構えだった。
その気迫に、背筋が凍る。
恐らくこのまま斬りかかり、同時に僕を助け出すつもりなのだろう。
「やっぱ……こうなるのかよ……」
そう呟いたシャハリの声は、どこか予測していたような、諦めたような響きだった。
「シャハリ……」
しかし、振り返った彼女の眼差しは――決して諦めてなどいなかった。