表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

ぼくは『英雄』をやめたい

 



「―――どうしましたか、英雄様……?」


 その声が耳に届き、思わず振り返る。

 そこに立っていたのは、煌びやかなドレスに身を包み、繊細な装飾品を身につけた――それでもなお嫌味に映らぬ、気品をまとった姫君だった。


「……エリス姫」

「せっかくの魔王討伐の祝賀会ですのに、こんな場所でお一人とは。皆さま、お待ちになっておりますわ」


 彼女はそう言いながら、そっと僕の腕に手を添えてくる。

 誰もが振り返るほどの美貌に、穏やかな笑み。

 それだけで、女性慣れしていない僕の鼓動は跳ね上がりそうだった。


「ぼ、僕はその……少しだけ、夜風に当たっていたいだけなので……もう少しだけ、一人にさせてもらえると、嬉しい……です」

「まあ、そうでございますか? では、なるべく早くお戻りくださいませ。何せこの祝賀会の主役なのですから」


 僕が顔を背けて照れを隠すと、彼女はそれ以上言葉を重ねることなく、静かに広間へと戻っていった。




 あの姫君――エリス姫は、この国の第一王女であり、僕の功績を誰よりも称えてくれた人だった。

 けれどそれ以上に、彼女はこの異世界で出会った、最初の救いでもあった。

 魔王討伐という使命に戸惑い、ただ立ち尽くしていた僕に、彼女は迷いなく手を差し伸べてくれた。

 その時からだ。彼女の前では、少しだけ気を張らずにいられるようになったのは。


「ふう……」


 額をぬぐい、深く息を吐く。

 冷や汗なのか、普通の汗なのか……いや、鼻水まで出てきそうだった。

 そう苦笑しながら、僕はもう一度夜空の下に身を溶け込ませようとする―――気配を消すように。

 もしも〈気配遮断〉なんてスキルがあれば良かったんだけど、あいにく僕にはそんな便利なものはない。

 そう、僕はごく普通の人間だった。異世界に転生しても、それは変わらなかった。



***


 何の取り柄もない、ただの元・男子高校生。

 チートなんて与えられず、特別な力も持たないまま、この異世界へと召喚されてしまったのだ。



 ―――僕は、不運な事故に巻き込まれて命を落としたはずだった。

 だが、目を覚ますと、そこは“異世界”と呼ぶに相応しい場所だった。

 竜やエルフ、ドワーフが存在し、魔法が当たり前のように飛び交う、まさにファンタジーの世界。

 僕はどうやら、魔王を倒すために行われた“英雄召喚”の儀式の際、偶然にも巻き込まれてしまったらしい。

 当然ながらチート級の能力など持っておらず―――ただ、なぜかこの世界では、人並み以上のステータスだけは与えられていた。

 ……それだけでも、僕は必死に足掻こうと決めた。


『英雄様、こちらの洞窟に伝説の武具があるそうです!』


 そう言われれば、深淵のような洞窟へと踏み込んで、伝説級の竜と対峙し、武具を勝ち取った。


『さすがです、英雄様! 次はエルフの女王が所持しているという秘宝を借りに参りましょう!』


 そう言われれば、迷うことなく、人の立ち入りを拒むエルフの里へと向かい、幻と呼ばれる秘宝を手に入れた。


『英雄様、いよいよ魔王討伐です!』


 そう促されれば、躊躇う間もなく魔王の城へと進軍した。


『今です、英雄様! とどめを!』


 そうして―――僕は、魔王を討ち取った。

 “英雄”としてこの世界に呼ばれた僕は、その通りに、魔王を倒して“英雄”となってしまったのだった。


***


「―――なんだぁ? ずいぶん浮かない顔してんなぁ」


 また背後から声がして、僕は振り返る。

 けれどそこにいたのは、エリス姫ではなかった。


「うん……まあね」

「何だよ、悩みがあるなら、オレに話してみろよ」


 そう声をかけてくれたのは、魔王討伐に共に挑んだ仲間のひとり―――ダークエルフのシャハリだ。

 彼女は少し乱暴な口調ながら、いつも僕の心情を察してくれる、不思議な安心感のある存在だった。


「僕……やっぱり“英雄”をやめたいんだ」

「英雄をやめるって……そりゃ無理だろ。お前はこの世界に召喚された時点で、もう“英雄様”なんだからよ」


 そう言いながら、シャハリは手すりにもたれ掛かる。

 軽い口ぶりではあるものの、その顔にはふざけた笑みは浮かんでいなかった。

 本気で、僕の話を聞こうとしてくれている。

 それだけで、少しだけ心が軽くなる。


「でも……僕には英雄なんて、似合わない。これから先も“英雄”であり続ける自信なんて、ないし……そもそも、なりたくもないんだ」

「ふん……オレから見りゃ、十分“英雄”に相応しいと思うけどな。……ま、なりたくねぇって気持ちには、同意っつーか、同情すらするぜ」


 思わず、苦笑が漏れる。

 その時、シャハリがふと目を細めた。


「じゃあよ……いっそ、逃げちまうか?」

「……え?」


 思いもよらない言葉に、思わず目を見開く。


「アリだろ? “英雄”になりたくねぇなら、逃げるって選択肢もある。……正直な話、オレもずっと思ってたんだ。ヒデオは魔王を倒した英雄だけどよ、()()()()()に英雄崇拝されんのって、ちょっと狂ってるよなって」


 あっけらかんとした口調だった。けれど、そこには確かな温もりがあった。

 そして――彼女だけだった。僕のことを“英雄様”ではなく、“ヒデオ”と名前で呼んでくれるのは。


「……僕、本当に……逃げてもいいのかな」

「ああ。もう魔王はいねぇ。平和になったんだ。“英雄”なんて、必要ねぇ世界になったんだぜ」


 そう言って、シャハリは大きく両腕を広げる。

 「ヒデオは知らねぇだろうが、この世界はもっともっと広いんだぜ? 色んな土地があって、誰にも縛られずに生きていける場所だって、きっとあるさ」


 その笑顔に、僕も自然と笑みが浮かび――堪えきれず、涙がこぼれ落ちた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ