第8話:ピコの事
イタリアのアマルフィで2053年にピコは生まれた。坂の街で荷揚げ屋の三人兄弟の末娘として生まれ、建築を学びにボローニャの学校へ行って、世界が見たくなり、車で地中海沿いを走っている。何の仕事をしようかと考えながら、アテのないたびをしていた。
2053年生まれで20歳の頃だから、当時、2073年で、イタリアは電気自動車普及率20%の後進国で、世界が普及率60%になった今でも、エタノール内燃機関の小さな車が多かった。
コートダジュールのイタリア国境でブラブラして、海水浴をしてから気の利いたレストランでパスタを食べた。
日本人の旅行者2名が隣で喋っている。今日はどこまで行こうか。ユニテダビタシオンがいいな。
ピコは日本語が理解できた。日本建築に興味があり、大学で日本語を専攻した。それ以外にも、微かな記憶で、昔、日本人として生きた記憶がある。夢なのか、現実なのか分からないが、日本語の馴染み方は半端ない。
ユニテか、マルセイユにある昔の巨匠コルビジェの建築だ。街の様な集合住宅であり、ピコも見た事が無かった。シャイなピコは話しかけなかったが、ユニテに行く事にして、愛車のフィアット500マッキナを始動した。
高速道路アウトストラーダでフランス国境の検問を通過し、エナジー不足の警告が出たので、サービスエリアで燃料補給しようと並んだら、前の車の側で2名が顔面蒼白になっている。
さっきの日本人だった。
日本語でどうしたのかと尋ねたら、エタノールをディーゼル車に入れてしまったとの事。イタリア語もフランス語も分からないので困っていると。
修理工場にレッカー車を手配してあげたら、涙ながらにありがとうとぺこぺこしながら握手された。
なぜ、貴方は日本語が喋れるのかと聞かれ、日本人の生まれ変わりだと言ったら、爆笑された。
その場を後にして、マルセイユに向かった。ピコはTマチュの生まれ変わりだった。