第2話:先生の事
Fチリタバコ氏とA先生の手がかりが掴めないまま、帰国後の仕事を探して、上野のクラブの前に働いていた、青山のジャズクラブへ行ってみた。
クラブ違いの本格ジャズクラブで、海外のミュージシャンも多数、出演していた。
最近はコロナ後、希望者が多くて採用には至らなかった。
当時の支配人は経営で裏方をやっていて、雑談で人探しの事を話してみた。
A先生は常連だから名前は知っているとの事。そういえば、住宅建てようと思って、建築雑誌を見ていたら、A先生の記事が出ていたと、雑誌を事務室から持ってきてくれた。
A先生の訃報の記事だった。現役最高齢の建築家86歳との事だった。
やっと辿り着けるかと思ったら、行き詰まった。
A先生はいつも、彼女と来ていたという情報しか得られなかった。
ジャズクラブを後にし、ダメ元でA先生の事務所に電話してみたが、閉鎖されたとの事。
シンガポールのFチリタバコ氏の友人も電話しか知らないとの事だったが、Fチリタバコ氏が、東京大井町のオカマバーで夜働いていた時に出会ったと聞いた。
今度、大井町へ行ってみようかと思ったが、そのオカマバーはもう無かった。
気を取り直して、山ガールが流行った時に、山へ行っていた山梨の仲間に会いに行く事にした。
特急あずさで甲府に向かう途中で、情報を整理した。
Fチリタバコ氏はA先生と何の知り合いか?
原爆病院に電話したが、プライバシー保護で遺族を教えられないとの事。
甲府に到着すると、出迎えたM山氏が悲痛な表情で切り出した。もう一人の山友達Tマチュ氏が昨年夏に滑落して亡くなったと言う。
特に難しい所では無かったが、別ルートから登り、山頂で待合せをしていたが、待てど暮らせど登って来ないので、降りて行ったら、山岳救助ヘリが飛び立ち、近くの人に聞いたら、Tマチュ氏に似た背丈。遺物を見せてもらったら本人と判明した。
お墓参りに行こうと連れて行かれ、花を手向けた。
Tマチュ氏は独身で母と二人暮らしで、最近、結婚した姪を一人で育てた。兄妹の複雑な理由らしい。
地元の工業高校を出て、大工の父の勧めで、神奈川の大学で学び、東京の設計事務所で働いていたらしい。
亡くなったA先生が建築家であり、建築やっている人は世の中に案外、居るんだなと話した。
仕事を探している事やM山氏の現状を話した。M山氏も設計事務所で働いていたそうだが、体を悪くして奥さんの実家の山梨に来て、細々と地元の設計図面のバイトをしているとの事。
富士山で初めて出会った時、山の上でチタンの鍋を背負って上がり、スパゲッティを二人で作っていた。目を丸くしていると、食べる?と誘ってくれた。
山の上で待合せというのが、この人達のルールで、私生活はよく知らないでいた。
最後にFチリタバコ氏の話をしたが、A先生の会社名を聞いた事があると言い出したが、有名だからなのか、別な所で知っていたのかM山氏は思い出せなかった。
ひとまず、東京に戻った。