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08. Day7

 日曜日の朝が来た。催眠術が始まってから一週間が経過した事になる。


 目覚めてまずはスマホを確認する。見るのはメッセージアプリだ。

 やっぱりと言うか、予想通りに新着メッセージはない。そんな予感はしていた。最新メッセージは昨晩に俺から送ったものだけだった。


<<おはよう、昨日は楽しかったな。また行こうぜ!>>


 ポチポチと文字を打ち込んで少し考える。

 俺から立て続けにメッセージを送るのはどう思われるだろう。返信を催促してる感じになっていないだろうか。送るにしても、心配している雰囲気を出す方が返信する気になるかな。いや、逆に気にしてない風にすべきか。悩んでも答えは出ない。


 えい、もうどうにでもなれ。思い切ってそのまま送信してみる。意外なことにメッセージはすぐに既読が付いた。どうやら彼女も見てはいるらしい。スマホ片手にちょっと待ってみる。


 五分。十分。返信を知らせる通知音はまだ鳴らない。


 二十分。三十分。手元の液晶画面に変化はない。


 しばらく待つが、やはり高崎から返信が返ってくることはなかった。完全にスルーされてるな、これは。


 ◇


 昼近くなり、適当な食事で腹を満たすと再び自室へ籠る。

 共働きの両親は揃って休日出勤で不在だ。二人とも仕事が忙しいらしい。ご苦労様である。


 チラリ。机の上に放置していたスマホへ視線を向けた。手元にあると気になって触っちゃうからね。

 それにしても我ながら、女々しいなあ、そう思う。朝から比喩抜きで、一時間おきにスマホを確認しては落ち込む作業を繰り返している。今何をしてるんだろう。昨日のことでまだ凹んるのかな。頭の中は彼女の事で一杯だ。どうしちゃったんだろうね、俺は。


 気分を変えるため、部屋の窓に目を向けた。

 窓の外には高崎家があり正面に見えるのは、昔と配置が変わっていなければ、彼女の部屋だ。


 子供の頃、この窓は簡単に開けることが出来た。窓を開けると、その音に気付いた彼女も部屋の窓を開く。そうやって昔はよく話をしていた。あまりにも長々と喋るものだからお互いの両親に怒られた記憶がある。それでも懲りずにまた窓を開けるのだ。

 成長するに従い、その光景は少なくなる。そりゃそうだ。思春期で、周囲の目も気になるわけで。今となっては換気以外の目的で開くことはない。今の俺たちにそんなことはもう出来ない。


 高崎に通話してみようか。ふと浮かんだ言葉を即座に否定する。

 追い詰める事にならないだろうか。こちらの感情を相手に強要してどうなるというのか。そもそも通話して何を喋るつもりなのか。まあ、掛ける勇気も持てないんですけどね。


 放置していたスマホを手に取る。新着メッセージはまだない。


 ◇


 陽が傾き始めた夕方。玄関先で物音がした。


 今日は二人の女性のことをずっと待ち続けていた。その内の一人がご帰宅なさったようだ。俺の姉ちゃんである。

 しばらく待ってみる。今、話しかけても相手してもらえないだろうからね。落ち着いた頃合いを見てリビングへ足を運んだ。


「姉ちゃん。おかえり」

「ん。ああ、珈琲でいいから。砂糖無しのブラックね」

「……俺はカフェ店員じゃないんだけど」

「似たようなもんでしょ。弟なんて」


 愚痴りながらもキッチンへ向かい、マグカップを用意した。


「はい、ここに置くよ」


 ソファーの前にマグカップを置いた。彼女はスマホを操作しながら寛いでいる。

 声色を聞く限り、機嫌は悪くなさそうだ。行けるか? 多分大丈夫。なら、行こう。


「姉ちゃん。相談したいことがあるんだけど、いま時間ある?」

「あ?」


 ドスのきいた低音が返ってきた。怖いんだよ、姉ちゃんは。ただ、機嫌はさほど悪くなさそう。続行だ。


「姉ちゃん、時間ありがとう。で、相談なんだが……あー、これは友達の話なんだけどさ——」


 友達の話。その枕詞で始まる相談事は自分のことである。

 誰でも知ってる。姉ちゃんも分かってる。そして、みんな知ってることを俺も知っている。それでも手続きとして俺はやる。だって、身内に恋愛相談なんて恥ずかしすぎるし。


「その友達は、とある女の子のことが気になっているんだ。異性としてね。でも、恋愛的な意味で好きなのかどうか、よく分からない。好きな気もするし、そうじゃ無い気もしてる」

「ふーん。というかその話って、どうせ亮太とここあちゃんの話でしょ。付き合えばいいじゃん」

「いや、だから好きかどうかよく分からないって話をしてるんだが?」

「そんなこと聞いてる時点で……まあいいか。それより、ここあちゃん可愛いじゃん! 何が不満なの?」

「いやいや、ここあの話は関係ないだろ」

「へー、『ここあ』ね。また名前呼びに戻したんだ。ふーん、やっと意識してる事に気がついたんだ。昔から気になってたくせにね」

「……意識し出したのは最近だよ」

「そっかー、でも残念。ちょっと遅かったね。私の勘だとあの子、近いうちに彼氏できるわよ」

「………………は? そもそも、姉ちゃんは最近あいつと会ってないだろ?」

「会ったわよ。一昨日の金曜日だったかな? ここあちゃん、高校生になってホント可愛くなったよね?」


 金曜日。デートの前日か。部活はなかったから会うことは出来たのか。知らなかった。高崎はそんな素振りを見せることもなかった。


「あれだけ可愛くて、性格もいい。押しに弱くてチョロそうじゃん。知ってる? 最近も告白されたらしいよ」


 確かに、高崎ここあは可愛い。容姿だけじゃなくて、性格や仕草、考え方も全て。狙っている男子がいるのも想像できる。


「今は断ってるらしいけどね。でもその内に断りきれなくなって、誰かと付き合うことになるんじゃない? ちょっとした切っ掛け一つで」

「それは……ないんじゃないかな」

「おやおや? まさか、俺に惚れてる筈だからそんなわけないだろうとか思ってない? 亮太、分かってないなー。まるでダメね」


 弟を揶揄って楽しんでいる姉ちゃんは本当に性格が悪いと思う。

 そんな彼女は新しいおもちゃを見つけたような表情で言葉を続ける。


「ねえ、どんな気持ち? 好きな子が別の男に取られちゃうかもしれないけど。ねえ、今どんな気分?」

「……だからさー。好きかどうか分からないって話を相談してるんだが?」

「付き合いたければ付き合えばいいじゃん。簡単な話でしょ?」

「は? 好きかどうか分からないのに付き合うって、流石にそれはおかしいだろ!」


 そんな言葉を返すと、姉ちゃんは鼻で笑った。


「ふふ。亮太って可愛いよね。うん、ホント可愛いわ。馬鹿な子ほど可愛いって言うものね」


 そう告げる姉ちゃんは口元を緩ませている。浮かんでいるのは嘲笑だ。そのくせ、目は笑っていない。見つめているとこちらが底冷えしてしまうような、冷気を帯びた眼光を放っている。


「亮太の好きにすればいいと思うよ。私には関係ないし。結末は後で教えてねー」


 そう言うと姉ちゃんはスマホに視線を落としてしまった。

 心が痛い。もうメンタルはボロボロだ。けど、今頼れるのは姉ちゃんだけ。飽きて投げ出されると本当に困ってしまう。だから折れそうな心をガムテープで補強して、姉ちゃんに再度向き合う。


「なあ、姉ちゃん。本当に分からない。本気で知りたいんだ。俺はどうしたらいい? 人を好きになるって結局なんなんだ?」


 顔を上げた姉ちゃんと見つめ合う。

 彼女の瞳は大きくて色素が濃い。黒い瞳の奥は真っ暗でなんでも吸い込まれそうに感じる。まるでブラックホールのよう。俺の想いも本心も全て吸い込んで暴いてしまう。俺の全てを見透かされる。そんな感覚すら感じる。


「仕方がないなあ。可愛い弟のために美人で優しいお姉ちゃんがヒントをあげよう」

「……お願いします、お姉さま」

「ふむ、よろしい。言葉なんてものは曖昧で不完全な道具だ。前に教えたよね?」


 ああ、確かに教わった。だから想いを言葉という形にすることは完全には出来ない。


「亮太の言う『好き』という言葉にもグラデーションがある。これも覚えてる?」


 好きにもグラデーションがある。これも知っている。

 青色が好き。ラーメンが好き。数学が好き。母さんが、姉ちゃんが好き。親友の健介が好き。


 そして、高崎ここあが好き。


 どれも、同じ『好き』だがニュアンスは違う。全く同じものはないかもしれない。


「じゃあ、次。私の彼氏は私のことが大好き。そして、亮太はここあちゃんのことが大好き。どちらも恋人を好きっていう同じ気持ちよね?」

「……まあ、そうなるのかな」

「本当にそう思う? 私たちと貴方たちって、関係性や背景。性格に熱量。全て違うのに? それでも全く同じ『好き』なの? どうしてそう言えるの?」

「それは……」

「ねえ、亮太。そもそも『好き』って何? 人を好きになるってどういうこと?」

「……だから、それを俺が姉ちゃんに相談してるんだが?」

「ブブー。残念でした。それ、間違いだから」


 ダメだ。姉ちゃんの話はさっぱり分からん。


「不満そうな顔ね。少しは自分で考えろ! 姉に頼るな! 以上、ヒント終了」


 ヒドい。本気で相談したのにこんな助言ってあるのだろうか。

 一通り言い終えた姉ちゃんだが、顔はこちらに向けたままだ。だから彼女の瞳を見つめ続ける。助言がまだ残っている。そう思って。


「付き合いたければ付き合えば良い。割と真理だと私は思うけどね。世の中って意外と単純なんだよ?」


 そう呟くと姉ちゃんはスマホに視線を戻してしまう。今度は、彼女を見つめ続けても顔を上げることはなかった。


 ◇


 夜も更けていき、就寝準備を整えて自室に篭る。


 今は、ベッドに身を預けて天井を見上げていた。出歩いてはいない筈だが、今日は本当に疲れたと思う。


 枕元にあるスマホに視線を向ける。

 結局、高崎からの返事はなかった。もう今日は来ないだろう。幸い、明日は月曜日で登校の際に彼女に会える。そこでちゃんと向き合って話をしよう。


 視線を再び天井へ向けた。ふと夕方の姉ちゃんの瞳を思い出す。

 姉ちゃんの話は難しい。半分も理解出来ていない。基本上から目線で、分かっている風を装って話しているようにも見えるし、本当に全てお見通しで助言してくれてるようにも感じる。

 それにしても、もう少し言い方ってものがあると思うんだけどなあ。言葉のラッシュで心を抉られた。弟にも感情がある事にそろそろ配慮してほしいものだ。


 ——付き合いたければ付き合えば良い。


 姉ちゃんが最後に呟いた言葉である。そんな馬鹿なと思う。出来ればそうしている。でも、もしも彼女の言う通りなのであれば。

 思っているよりも単純なことなのかもしれない。感情に身を任せて突っ走ってしまうのが、案外正解なのかもしれない。ならば動いてしまえば良い。一歩前に踏み出してやる。そんな決意と勇気を持てる。

 現金なもので、そう考えるとなんとかなる気がしてきた。


 耳元から通知音がした。何事、と思ったら枕元のスマホからのようだ。

 手に取り、慣れた手つきでアプリを起動する。表示されたのは高崎からのメッセージだった。


<<明日は部活に来てください。大事な話があります。だから必ず来て>>


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