07. Day6②
映画館の周囲を軽く散策しつつ、高崎とファミレスに入った。
デートにファミレスはナシという話を聞く。けど姉ちゃん曰く、問題ないから気にするな、だそうだ。信じてるぞ、姉ちゃん。
店内を見渡す。辺りは人で溢れかえり、座席の大半は埋まっていた。ピーク時間帯より少し早いとはいえ、今日は休日なのだから当然か。席に座れただけでも幸運だと思う。
店員さんに案内された俺たちは向かい合わせで座る。
「ここあは何にする? ほら、メニュー表はこれ」
メニュー表を二人の中間に置き、彼女の目線に合わせてゆっくりとページを捲る。
まあ、ここはチェーン店だ。俺たちは何度か来ているからメニューは大体把握してる。俺が注文する物もすぐに決まった。後は高崎の分を待つばかり。
ふと視線を外して会計カウンターの方に向ける。
こういう店に二人で来た場合は大抵割り勘にしている。これまで高崎とは幼馴染の友人同士だった。だからどちらかが一方的に奢るような関係性はおかしい。
しかし、今回はデートである。しかも、初回と冠が付くから特別感が更に増している。どうするか迷うところだ。男が奢るべきか否かという話よりも、奢られて高崎が喜ぶか否かで考えたい。
さて、高崎は奢られて喜ぶのだろうか。
……分からないな。喜ぶ可能性も嫌がる可能性もどちらもありそうなのが本当に困る。
今まで割り勘だったのに急に奢りにされると戸惑うかもしれない。俺の金銭的な負担を彼女は負い目に感じる気もする。高校生で金がないのだから、俺が何度も奢れるわけもない。そうすると次回への可能性が下がってしまう。それは嫌だから割り勘にしたいと彼女なら言いそう。こう考えると奢られても彼女は迷惑に感じる気がする。
乙女心的にはどうなのだろう。世間ではデートは男が奢るべきという風潮がある。それなのに奢られなかったら女子として見られていないのではと考えるかもしれない。乙女心が傷付かないようにも配慮が必要だ。
あと、高崎は恋人あるあるなシチュエーションに憧れを抱いている節がある。夢見がちでぽわぽわしてるからなあ。ならデートの会計シーンはド定番だから憧れて期待している可能性が高い。そう考えると奢ってあげた方が喜びそうだ。
色々と考えたが結論は出ない。難しすぎるんだよなあ。数学の問題を解くよりも難解に感じるんだが。
だから今回は男心で決める事にした。よし、今回は奢るぞ!
だって、その方が格好良く見えそうだし。初デートくらいはビシッと決めたい。男の子は見栄を張りたい生き物なのだ。スマートに会計処理できる人は男からも格好良く見えて憧れちゃう。
「ねえ、亮太くん亮太くん!」
声を掛けられ意識を取り戻す。声の主は正面で一枚の紙を見せつけてきた。よく見ると手作り感のあるメニュー表だ。手書きの文字と写りの悪い写真が載っている。
ここって確かフランチャイズチェーン店だったよな。独自メニューってありなのか。知らんけど。
「これ、見て! カップル限定フェアをやってるんだって!」
「へー、そうなんだ。ところで、注文決まった? そろそろ店員さん呼ぶけど」
「……まだです。それより、これ見て。通常メニューより安いんだって」
また先ほどの紙が出てきた。既存のメニュー表の上に置かれる。これを頼みたいのかな?
「どれどれ。えーと、『カップル認定されたお客様には特別メニューをご提供! 料金も通常よりお得になっています!』。……ここあさん、マジっすか」
「……でもでも! こっちも見て! 二種類のメニューを選べるんだって! どっちも通常メニューより安いみたい」
「Aコースが……カップル限定ジャンボパフェ。これ結構デカく見えるぞ。二人前以上ありそうだけど食えるのか?」
写真には大きな器に入ったパフェが写っている。恋人同士で仲良く食べさせ合ってくださいと書かれた煽りのPOP付きで。
「デザートなら何とかなる……かな。多分大丈夫。きっと二人で食べ切れると思うの。……もしも注文するとしたらだけど」
「で、もう一つのBコースは……。ここあさん、どういうことかちょっと説明してもらえませんか?」
写真には大きなグラスに飲み物が注がれている様子が写っている。オレンジジュースとメロンソーダのどちらかを選ぶらしい。こちらも量は多いが問題はそこではない。
グラスに刺さっているストローは一本だけ。飲み口が二股に分かれていた。POPには二人で見つめ合いながら飲んでくださいと書かれている。ベタ過ぎって思わず笑ってしまった。
「分かってる! 亮太くんの言いたいことは分かるの。そっちは流石に私も無理……。恥ずかしいし」
鈍い俺にも流石に分かる。彼女はジャンボパフェを注文したいらしい。パフェが食べたいのか、カップル限定に惹かれたのかまでは分からないが。そもそも俺たちはカップルじゃないんだが。
そういえば、彼女はまだこれを注文したいとは言っていない。俺に言わせようとしてくるだろう。ちょっと加虐心が湧いてくる。気が付かないフリをするか。羞恥心から俺は注文したくないからね。
「そっかー。店側も色々と新サービスを考えているんだな。ところで、注文決まったか?」
「えっと。……まだ。もう少し考えたい。それよりも亮太くん、甘いもの食べたくならない?」
「俺は特には。ああ、ここあが食べたいなら二つ頼むか? シェアしてもいいぞ」
「あー、それはそれで魅力的かも……じゃなかった。どうしよう。えーと。うーん。あ、そうそう。ご褒美!」
「ご褒美?」
「そう、ご褒美! 亮太くん頑張ってたから! ご褒美と言えば甘いものだよね? だから何か甘いものを頼んだ方がいいと思う」
「そうかぁ? まあいいや。じゃあ、ここあが選んでくれない? 珈琲に合うやつで」
「……パフェがいいと思うなあ。おっきいやつ。多分珈琲にも合うと思うの」
「分かった。じゃあ、そのチョコパフェにするか。店内人気No1って書いてあるし。他に注文は?」
「あ、待って! 前に頼んだことあるけどチョコのは微妙だったかなー。量も少ないし、もっとおっきいやつにしようよ」
「量は求めてないから。それなら、こっちの季節限定にするか。ここあも好きだろ? マロンパフェだってさ」
「うぅ、それも困る。待ってて、マロンかあー。あ、よく見たらジャンボパフェにも栗が使われてるんだって。だったらこっち、ジャンボパフェにした方が絶対お得! 亮太くんが注文するなら二人でシェアしてもいいよ」
高崎は手強い。このままじゃ一生決まらない。覚悟を決めるかあ。
一応、今日は彼女を楽しませようとここまでやってきたからね。最後まで彼女の希望を汲む事にするか。
「了解。じゃあそれ頼もう。もう店員さん呼ぶぞ?」
「あ、ちょっと待って! 通常メニューのジャンボパフェを頼むより、さっきのカップル限定の方が量も値段も更にお得みたい。亮太くんはこっちにした方がいいよ」
「え、マジで言ってる?」
「ほら、こっちも見て! カップル限定を注文するとお揃いのキーホルダーも貰えるみたい。お店のロゴが入ったやつで可愛いよ。これがいいと思う」
「……もう分かったよ。それでいい。そろそろ店員さん呼ぼう」
呼び鈴を鳴らし、やって来た店員さんに対していくつか注文する。
カップル限定フェアの品を頼んだ時に、店員のお姉さんの眉毛がピクッと動いたのを俺は見逃さない。こいつら、本当に頼んじゃってるんだけどという副音声が聞こえた。ここ数日で副音声受信機の感度が上がってるので多分気のせいではない。
「ご注文は以上で宜しいですね? 一応当店の決まりとして、限定フェアをご注文いただいたお客様には、カップルであることを証明していただく必要があるのですが」
店員のお姉さんの言葉を聞き、高崎の方へ顔を向ける。目が合うと彼女はすぐに視線を逸らした。え、待って。聞いてないんだけど。
「ちなみに、何をすれば証明した事になるのでしょうか?」
「親密な関係という事が分かれば。そうですね。Aコースをご注文の場合はお互いに食べさせてる様子を見せていただくことが多いですね」
「え、店員さんに見せるんですか?」
「はい、そうです。ちなみに、写真撮影も無料で行なっておりますので、お客様のスマホをお貸しいただければ対応させていただきます」
「それは流石にちょ「是非お願いします!」……すみません、写真もお願いできますか?」
スマホを眺める高崎の顔がニヤついている。それを軽く睨みながら珈琲に口をつけた。
酷い体験だった。写真撮影の間、明らかに周囲から注目を集めていた。恥ずかしくてもうこの店には来れない。そう思いながら空になったパフェの容器を軽く指で弾いた。
◇
先ほどの熱はある程度は冷めてきて、俺たちもようやく落ち着いてきた。そんなこんなで、高崎と雑談に花を咲かせている。
ファミレスを選んだのは正解だった。慣れた空間に口も滑らかになってきた。格式のある店を選んでいたらまだ緊張していたかもしれない。
思えば、今日は朝からお互いおかしかった。ぎこちない空気感だった。多分熱に当てられていたせいだ。それがようやく緩み、普段通りのやり取りができるようになった。そのことに少しホッとする。
俺たちの話題は映画館に移る。出会った老夫婦の話だ。
「あのご夫婦、今日が初デートの記念日でもあったんだって。場所も同じ映画館! あの映画館が二人の始まりなの。素敵だと思わない?」
「映画館のオープン記念日に初デート記念日、そして結婚記念日。全部一緒か、すごい偶然だな。いや、狙って合わせたのか」
「映画館の記念日を口実に、デートに誘ったんじゃないのかな。誘う口実がないと踏み出せない人もいると思うし」
そうだね。どこかで聞いた話だ。
「なるほど。そして順調に進み結婚する事になったから、初デートした日に籍を入れたと」
「そんな感じだと思う。あ、そうそう。お婆さんから聞いたんだけどあのご夫婦、初デートがほぼ初対面だったんだって」
「初対面でデート? そんなことあるのか?」
「お見合い結婚だったんだって。お互いを知るためにデートしましょうってなったみたい」
昔は見合いによる結婚も珍しくなかったと聞く。あの年代ならそうなのかもしれない。
「好きでもないのにデートするってどうなんだろう。…………良い事なのか、俺にはよく分からない」
「違うよ、亮太くん。好きになる予定の人とデートしたんだよ。それって素敵な事だと思う」
「違いが分からん。結局、その時点では好きじゃないって事だろ?」
「違う、全然違うよ! 好きになってもらう努力をするの。好きになるために相手を知るの。想いを育ててもっと大好きになるの。そのためにデートするんだよ」
高崎の話は正直よく分からん。けれど心の琴線に触れた。何かの核心に迫る、大事な話に感じる。そんな風に思う。
「好きな人のことを知りたい。相手にも自分を知ってもらいたい。それで好きになってもらいたい。もちろん、嫌な部分、知りたくなかった事はあると思う。それでもお互いが想い続けられる関係になれたら素敵だな。……それを続けているあのご夫婦は…………私には羨ましく感じるの」
「……そうかもな」
口を湿らすために口元へ珈琲を運ぶ。すっかり冷めてしまったそれは苦味を強く感じた。
◇
話題は移り変わる。今日の映画の話だ。見てないけど。
「これ買っちゃった! 亮太くんも見て見て!」
二人の間には映画のパンフレットらしい冊子が置かれた。今日見る予定だった『王女様の告白』というタイトルだ。
「こういうの、普通は見た記念に買うんじゃないのか?」
「いいの! 何か残るものが欲しかっただけだし。次来る時は別のグッズ買うからいいもん!」
「ちょっと見せて。どれどれ」
冊子をこちらに引き寄せると中身を軽く開いた。
映画の簡単なあらすじやキャスティング。それから名場面と思われるシーンの写真が添えられていた。
「映画の内容は……えー、『婚約関係を結んだ王女様と隣国の王子様。二人は形だけではなく心も通じ合った関係であり、きっと幸せな夫婦になるだろうと誰もが思っていた。だがしかし、悪い魔女によって王子様には魔法が掛けられ、彼は王女様ではなく魔女を愛するよう操られた状態にされてしまう』。なるほど?」
「そうそう。そこで王女様の出番なの。彼女の恋の力で王子様の魔法を解き、愛の力で悪い魔女をやっつける。そして愛する二人は結ばれて幸せになりましたってお話」
「うーん……これ、面白いか?」
「……でもクラスの女子の間では人気だよ? あと、キャスティングがいいんだよね」
先ほどの冊子を見返す。
人気のアイドルや、売れっ子の若手俳優の名前が並んでいた。脇役には実力派と言われるベテラン俳優たちが囲っている。なるほど、確かに豪華で人気は出そうだ。
「ちなみに、一番人気のキャラは?」
「悪い魔女。意外でしょ? でも人気ある役なんだって。演技も好評だし」
高崎は随分詳しい。映画見る必要あるのかな。
冊子に目を戻す。魔女役は最近人気の若手女優の名前があった。若手実力派女優と言われ、同世代では演技力No1との呼び声も高い。
「まあ人気出るのは分かる気がする。この人、綺麗で演技上手いからな。スタイルも良いから見ていて絵になるし。悪役も出来るなら今後ハネるかもね」
「……むぅ。でもでも。この人、恋人いるんだって。しかもイケメンの俳優さん。普通の人は相手してもらえないと思うの。期待しても無駄だからね」
「そりゃ、これだけ美人なら恋人くらい居るだろ。というか何の話?」
「……魔女が人気なのはキャスティングだけじゃないよ。役がすごく魅力的なの」
「そういや、悪役か。悪役を魅力的にみせる映画はなんかいいな」
「そうなの。この魔女はね、王子様のことが好きだったの。その理由とかも同情できて憎めないキャラなんだって」
これ、軽いネタバレなんじゃないのかな。気にしないから良いんだけどさ。
しかし、高崎は本当によく調べている。映画は口実だとして、映画自体も楽しみにしていたんだろうなとは思う。
「それからね。魔女が魔法を掛ける場面の葛藤もいいの。好きな人が幸せなら、別の女性と結ばれてもいい。そう考えても、やっぱり自分の心に嘘を付けない。そういう想いが巧く演じられてたって映画見た子が言ってた」
「なるほど。あらすじ見る感じ、シンプルな話かと思ったけどもう少し深みもありそうだな」
「そうなの。だから見たいなあ。また映画に行きたいな」
一度、お代わりした珈琲に口を付けて舌を湿らす。
「そうだな。ただ、俺は悪役の魔女。あんまり好きじゃないかも」
「どうして?」
「どんな理由であれ、魔法で人の心を操ったわけじゃん。王女様を好きだっていう、王子様の心を捻じ曲げようとしたんだからさ」
「……あ、確かに」
「心には誰にも触れてほしくない、触れさせちゃいけない大事なものがあると思うんだ」
「……うん、そうだね」
「その一つが好意だと思う。それを土足で踏みにじるのはちょっと……な」
「………………やっぱりダメよね。やっちゃいけない、悪いことだったよね」
失言した。顔を曇らせた高崎の反応を見て、自分が間違えたことに気付いた。
悪い魔女の名前は高崎ここあだ。彼女は催眠術という魔法で俺の心を捻じ曲げようとしている。
実際には違う。俺に催眠術は掛かっていない。彼女が催眠術を掛けようとした事にも悪印象を持っていない。だが、彼女の中ではそうなっている。
違うぞ、高崎ここあ。そう言ってあげたかった。否定してあげたい。
けれど、今ネタバラシして良いのか。ダメだろう。それをしたら彼女の中で全てが偽りになってしまう。今日の一日が全て嘘になる。それだけは違う。今日のデートは本物だ。そう言葉にしても彼女には届かないだろう。感情なんてそんなもんだ。一度信頼を失えば言葉は相手に届かない。催眠術と一緒だ。
「いや、でも。そう。最終的には魔法が解けて王子様は幸せになれたわけじゃん。結果が良ければそれでいいと思うよ」
「……ダメだよ、それじゃ。…………ごめんなさい」
そう呟くと彼女は沈黙した。
かける言葉が見つからない。フォローしなきゃ。どうにか言葉を絞り出す。
「でもまあ、話を聞くと面白そうな映画だな。ここあ、今度また見に行こうな?」
顔を上げた高崎は何も答えずに笑みを返してきた。明らかに作ったとわかる酷い笑顔だった。
◇
帰り道を高崎と並んで歩いていた。
陽は落ち、辺りを暗闇と冷気が覆っていた。風の冷たさに晩秋を感じさせる。おかげで頭と心はすっかり冷えた。右手は冷え切っている。
隣の高崎は先ほどから沈黙を守ったままだ。気まずさを感じる。午前中とは異なる居心地の悪さだ。行きの道では暖かさがあった。気分が上向いていた。今は寒々しい。そう思う。
冷えた頭で少し考える。
催眠術はもうすぐ終わりを迎えるだろう。着地点もなんとなく見えた。だから近いうちに全てが終わる。
幼馴染という関係性は既に終わっている。催眠術が終わった後、元の関係には戻れないだろう。戻りたいとも思わない。
だって、高崎ここあを仲の良い友人とはもう見れない。一人の女の子として見てしまっている。彼女との新しい関係性を構築していかなければならないと思う。
俺たちの将来のことだって考えなければならない。
高崎とは学力に差がある。彼女の方が成績が良い。それでも高校までは一緒でいることが出来た。そうなるように努力した。けれどこの先は必ず別れるだろう。地方の大学へ進学すれば物理的に離れ離れになる。
いずれ、お互いに恋人ができた時。彼女の隣に俺ではなく、別の男性が立つ事になったとして。俺はそれを許容することができるのだろうか。笑って祝福できるだろうか。
今まで甘えて考えてこなかったことを、幼馴染という言い訳で見てこなかった彼女をちゃんと見なければならない。
◇
帰宅後、夕食を済ませて自室に籠る。
手の中には鳴らないスマホが握られていた。
そう、鳴らないのだ。いくら待ってもスマホは鳴らない。聞き慣れた通知音が聞こえない。いつも彼女からメッセージが送られてくる時間帯だというのに。
今日何度目だろうか、再度メッセージアプリを起動する。最後のメッセージは俺が送ったもの。帰宅してすぐだったと思う。
デートは余韻も楽しみたい。今日は良かったね。また行きたいね。そんな感情を、一人になった時に相手と共有するのだ。そこまでがデート。うん、姉ちゃんならそう言うだろうね。
そんなわけで、彼女にメッセージを送っている。
当たり障りのない内容だ。既読も付いている。しかし、彼女からの返信はない。
色々と用事を済ませればもう就寝の時間だ。
寝る前にスマホを確認したが最新のメッセージはやはり見つからなかった。