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05. Day4

 翌日の木曜日。

 放課後になると今日も部室に足を運ぶ。これで四日連続だ、珍しい。


 途中の廊下を歩きながら窓の外に目を向けた。外は雨が激しく降っている。秋雨というやつだろう。

 部室への道のりが遠く感じるのは雨のせいか。それとも気が進まないからなのか。


 ◇


「もう貴方の体に力は残っていません。頭の力も抜けているので思考することもできません」


 部室に入ればいつも通りに催眠術が始まる。

 今日も定石通りの催眠誘導が進んでいる。順調だ。何も問題は発生していない。だから気落ちする必要もない。


「貴方の体は動かない。何も考えることができない。ただ、私の声にだけ従っていれば良い。耳を傾ければ良い。それがとても心地よく感じます」


 ああ、本当に良い声だと思う。心地が良い、そう感じてしまう。

 その事実が心を大きく揺さぶる。不安を掻き立てる。それでも声を聴いていたいと思ってしまう。


 彼女は軽く咳払いした。

 思考が乱れてしまったようだ。彼女の声に意識を集中しよう。


「暗い、何もない空間に貴方は居ます。段々と貴方の身体は沈んでいく。貴方の中の深いところへ落ちていく。深い深い場所へゆっくりと沈み込んでいきます」


「貴方は今、心の最奥まで辿り着きました。目の前には二つの扉があり、厳重に鍵が掛かっています。扉を開けるとそれぞれの小部屋へと繋がっています」


「右側の扉を開けて中に入れるのは、貴方が親愛を感じる大切な存在だけです。佐々木くんも中にいるようですね。貴方が心を許せる存在だけが部屋で寛いでいます」


 昨日の失敗からか、暗示に工夫が見られる。催眠術に関しては随分と勉強熱心だと感心する。

 どちらかといえば、高崎は飽きっぽい性格だったと思う。先月の部活でやった占星術は三日で飽きた。その前は二日で放り投げた。今回はあと何日で飽きるのだろうか。どのくらい続ければ諦めて投げ出してくれるのだろうか。


「左側の扉を開けて中に入れるのは、貴方が大好きだと思う特別な女性だけです。心の距離を縮めたい。恋人にしたいと願う女性だけ部屋に入ることが出来ます」


「では、左側の扉を開けてみましょう。貴方の掌には小さな鍵が握られています。可愛らしい装飾の施された小さい鍵です。その鍵で扉を解錠しましょう。貴方は扉を開けて中に入ります。部屋に入ると暖かく心地の良さを感じます。心が安らぎます。その部屋を見回してください」


「目の前には一人の女性が立っていてこちらを見ています。彼女と言葉を交わしたい。貴方は彼女に話しかけたいと考えます」


「さあ、彼女に話し掛けてみましょう。声を掛けるために彼女の名前を呼んでください」


「…………ここあ」


 口を開いて単語を発する。彼女が欲している願いを、彼女の望み通りの言葉で。

 直後、微かな呟きを聞いた。内容までは聞き取れない。ただ、喜色に染まった声だったのは分かった。


 しばらくの沈黙の後、咳払いがした。

 ここ数日で何度も聞いた音だ。心を落ち着ける際に行う彼女の癖なのかもしれない。ふと、そう思う。


「……はい。高崎ここあがこちらを見つめています。貴方がここあと呼んでくれた女子が見ています。とても喜んでいます。彼女は本当に幸せです」


「貴方も彼女を見つめ返してください。段々と貴方の中で、好きという気持ちが膨らんでいきます。どんどん大きくなって彼女のことが大好きになります」


「もっと彼女と一緒にいたい。彼女と恋仲になりたい。恋人になりたいと想いを告げたい。貴方の想いはどんどん膨らんで、強くハッキリした形になります」


「貴方は彼女に告白したい。告白するためには何回もデートする必要があります。だから貴方は彼女とデートしたい。デートに誘いたいと考えます」


「貴方は彼女をデートに誘いたい。デートして二人の時間を楽しみたい。何回もデートを重ねて、三回目か四回目くらいのデートで告白したい。告白した後はちゅーしてくれると嬉しいなあ」


「ちゅーするなら誰も居ない二人きりになれる場所で告白して欲しい。海が見える所もムードあっていいけど、私か亮太くんのお部屋でってのもいいかも。あ、普通にするんじゃなくて……その……亮太くんからの告白に返事せず焦らしてみて、亮太くんが不安そうな表情をしたところに……そっとちゅってするのもアリかな。察してくれなかったら、これが返事だよなんて言って、もう一回ちゅーするの。うん、いいかも……凄くいい」


 ……この子は何を言い出しているんだろうか。

 高崎の口から欲望が溢れている。全て高崎のやりたいことだろ、それって。


「でも逆パターン……してもらう方が好きかな。ちょっと強引な感じもいいかも。二人きりの時がいいけど、人混みの中で物陰に抱き寄せられてっていうのも……。あ、二人きりでも部室は嫌かな。そういう雰囲気じゃないし。でも亮太くんがどうしてもって言うなら……別にしてもいいけど」


 ……ところで、(キス)は昔から縁起の良い魚として知られ、人々の舌を楽しませてきた。江戸時代には、徳川将軍様の朝食にほぼ毎日上がっていたくらいだ。毎月1日・15日・28日を除いた日は塩焼きと漬け焼きの二種が並んでいたそうだ。『鱚両様』と呼ばれていたらしい。

 そんな鱚も年々漁獲高が落ちている魚の一つである。将来、高級魚として手の届かない存在になる日もくるかもしれない。フライや天ぷらが美味しいだけに残念に感じる。


 貴重な水産資源の未来を憂いていると咳払いが聞こえた。

 再び彼女の声に意識を向けてみる。


「……そうです。デートの話でした。貴方は彼女をデートに誘いたいと考えています。彼女を……高崎ここあを誘いたい。そう思っています」


「耳を傾けてみてください。どこからか噂話が聞こえてきます。最近女子の間では『王女様の告白』という恋愛映画が流行っているらしいよ。彼女も見たいと思ってるよ。彼女を映画館デートに誘ったらきっと喜ぶはずだよ。そんな噂話が聞こえます。良いアイデアだ、彼女を映画に誘おう。貴方はそう強く思います」


「この後、貴方は私の声に導かれて目を覚まします。目が覚めた貴方はこの場所で起こった出来事を忘れてしまうでしょう。しかし、催眠術に掛かったという記憶だけは貴方の頭の中に残ります」


「高崎ここあを映画館デートに誘いたい、その想いは胸の最奥にちゃんと残っています。目を覚まして彼女の顔を見た貴方はデートの申し込みをしなければならない。そのことをしっかりと思い出すのです」


「目を覚ました貴方は彼女に必ずデートを申し込みます。クラスの女子にお勧めの映画を教えてもらった。『王女様の告白』という映画を一緒に楽しみたい。その記憶を持っている貴方は彼女を必ず映画に誘います。いいですね、必ず誘ってください」


 心配しなくても大丈夫。

 その映画のタイトルは元々知ってるよ。女子の間で話題になってるってこともね。


「……そうだ、忘れてた。えー、デートの日付は今週の土曜日にしてください。別の日ではダメです。絶対に今週の土曜日の日中で約束をしてください」


「名残惜しいですが起きる準備をしましょう。貴方はこの場所をとても気に入りました。また来たい。もう一度心地の良い体験をしたい。貴方はそう考えています」


「心地の良い感覚は貴方の心の奥底に残り続けています。私が『目を閉じて』と言えば、すぐに心地の良いこの場所へ戻ってくる事ができます。再び戻ってくることを貴方も望んでいます」


「さあ、そろそろ意識を呼び戻しましょう。この後、十の数字を数えます。カウントが進むにつれてゆっくりと意識が浮上します」


「十、九、八——脱力していた身体に力が戻ってきます。……ちゃんとデートに誘ってください」


「七、六、五、四——靄のかかっていた頭の中がスッキリし、意識が徐々に戻ります。……彼女は必ず受け入れてくれます。望んでいます。だから迷わないで」


「三、二、一——間もなく意識が完全に戻ります。気持ちを整えて目覚める用意をしましょう」


 ◇


「亮太くん、起きて! もうすぐ下校する時間だよ」


 高崎に揺すり起こされて顔を上げる。


「おはよう、ここあ」

「うん。おはよう、亮太くん」


 高崎の顔には期待と不安の入り混じったような色が浮かんでいる。目はキラキラ輝いていて、瞳の奥は透き通った純粋な感情で染まっていた。

 彼女の顔から目を背けると、時計を見ながら言葉を探す。


「そういえば、ここあ。『王女様の告白』って映画知ってる? クラスで流行ってるらしいんだけど」

「え、うん。名前くらいは聞いたことある……かな。どうして?」

「あ、いやー。流行ってるくらいだし、面白いのかなーって思ってさ」

「どうなんだろう。実際に見てみないと分からないと思う。……亮太くんは気になるの?」

「うーん、少しだけ」


 高崎は大根役者だが、俺も大概演技ヘタクソだよな。苦笑が漏れそうになり口元を手で隠す。

 しばらくすると、ちょっと待っててと言いながら高崎はスマホを取り出し操作し始めた。


「あ、今週の土曜日は隣町の映画館が記念日らしいよ。……へー、その日は割引キャンペーンやってるんだって。すごい偶然!」


 なるほど。土曜日に拘っていたのはこれが理由か。


「そうなんだ。安く見れるんだな。ここあは興味あるのか?」

「え、私? うーん、どうしようかなー」

「なんだ、興味ないのか。じゃあ別のやつを誘うわ」

「ま、待って! 行きたくないなんて言ってない! ……どちらかといえば興味はあるかも」

「なら、今週末は一緒に映画でも見に行くか? ほら、記念日じゃないと割引してないんだし」

「う、うん。そうだよね。行かないと勿体無いもんね。なら行ってもいい……かも」


 はぁ。なんか精神的にすごい疲れた。


「はい、決まり。明日の部活はなしでいいか?」

「うん、そうだね。色々とやりたいことあるし」

「了解。じゃあ、土曜日はデートしよう。隣駅の改札で待ち合わせな!」

「ふぇ? なんで? 家から一緒に行けばいいのに」


 一度でいいから亮太くんと待ち合わせしてみたいの。昔、そうお願いされた事があった。申し訳なさそうに。出来ればで良いんだけどという空気を匂わせながら。

 出発地点は同じなんだからわざわざ別の場所で待ち合わせる意味ないだろ。当時の俺はそう否定した気がする。その後、彼女からの同じお願いは聞いていない。彼女はこの先もしないと思う。


「たまには良いじゃん! ほら、そろそろ下校するから部室の片付けするぞ!」

「うん。………………ありがとう」


 ふと、スマホを取り出しニュースサイトを開いた。

 天気予報を見ると土曜日は晴れらしい。空には雲一つない快晴だそうだ。いっそ、大雨でも降ってくれれば良かったのに。


 ◇


 入浴後の自室。今日もスマホと睨めっこ。

 部活して高崎とメッセージのやり取りをする、そんな流れがいつの間にか日課となっていた。


 液晶画面に表示されているものは文字とイラストだけ。無機質なものだと思っていた。

 けれど、手元の画面には感情で満ちている。彼女の喜びと興奮が今も踊り続けている。また一つ、画面に表示されるメッセージが増えた。


 二人で出掛けること自体は珍しいことではない。何度も経験している。しかし、デートという装飾を付けた約束は今回が初めてだと思う。最初で最後になるかもしれない。

 だから、大人になって振り返った時に。大切な思い出だったと言ってもらえるように。そういう土曜日にしなくてはならない。そんな風に思う。


 視線を上げて部屋の壁をぼんやりと眺める。


 ——歪んでしまっている。


 歪みを作ったのは俺だ。生じた歪みは日々大きくなっている。今では軋む音さえ聞こえる気がする。いずれ限界を迎えて壊れてしまうだろう。いや、必ず壊さなければならない。

 期限は週明け、来週の月曜日の部活だ。そこでちゃんと壊して新しい関係性を彼女と作ろう。


 通知音が聞こえ、手元に視線を戻す。

 新しいメッセージとスタンプが届いていた。いつもよりスタンプの数が多い。それが彼女の機嫌の良さを伝えていた。

 返事を返すとすぐに既読が付き返信がきた。楽しげな様子が表現されている。本当に幸せそうだ。彼女のはにかむ笑顔が頭をよぎる。


 就寝の意を表すスタンプを送ると、返事も見ずにスマホの電源を落とした。

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