02. VS『手を繋ぎたい高崎さん』
学校から程近く、通学路から少し外れた場所に小さな公園がある。
低層マンションや閑静な住宅群の隙間を埋めるように作られたその公園は、いつも通りに誰もおらずとても静かだ。差し込む夕陽に哀愁を感じさせる、そんな場所でスマホを弄りながら人を待っていた。
しばらくすると制服姿の高崎が現れたので、彼女に向かって右手を上げた。その合図に気づいた彼女は、嬉しそうにこちらへ小走りで近づく。彼女のカバンには以前ファミレスでもらったお揃いのキーフォルダーが揺れていた。
「亮太くん! 遅くなってごめんね!」
「ああ。囲まれたのか?」
「うん、ちょっとね。だから抜け出すのが大変だった」
「まあ、自業自得だけどな」
「あはは……」
高崎と言葉を交わしながら先ほどの教室での出来事を思い出す。
彼女の『交際宣言』を皮切りに、周囲は大騒ぎになっていた。男友達からは冷やかしと妬みの混じった呪詛の言葉を投げつけられたし、女子からは根掘り葉掘りの質問攻めにあった。特にさほど交流のない女子からプライペートを詮索されるのは苦手だから本当に勘弁して欲しかった。
俺がそんな状況だったので、隣のクラスの高崎も大変だったと推測する。先に教室から撤退したはずの彼女が俺よりも遅くまで解放されなかったのがその証拠だ。
「亮太くんのところは大変じゃなかった?」
「そこそこ。健介と溝口が色々とフォローしてくれたからかなり助かったわ。二人には感謝しないとな」
「そっかー。凛ちゃんには謝ってスイーツ奢る約束したんだけど、佐々木くんにも何かしたほうがいいかな?」
「健介の方は俺から言っておくからいいよ。溝口の方はよろしくな」
「うん、わかってる。あと、亮太くんにも迷惑かけちゃってごめんね。本当はあの場で言うつもりなんてなかったんだけど……」
高崎の言葉に対して首を横に振って否定を返した。
俺たちは二日前の土曜日に恋人同士となった。想いが結ばれて嬉しかったし、何より浮かれていた。あまりにも浮かれすぎていて、その後のことを全く考えていなかった。告白はゴールではないことにようやく気づいたわけだ。
改めて考えれば、付き合い始めたことを周囲に告げるかどうかは一つの課題だったと思う。どちらも一長一短だしね。公表すれば周囲が煩わしくなるし、秘密にすればコソコソと行動しなければならない。男女交際はやましいことではないので堂々としていたいのだが、俺も高崎も目立つのは好きではない性格だから悩ましい。
「二人の問題だろ? だから迷惑だなんて思ってないよ。それに結果オーライだったかもな」
「結果オーライ?」
「そう。隠してたってどうせいつかはバレるんだし、開き直って堂々としていればいいさ」
「そうかな?」
「そうそう。これからは公園で待ち合わせずとも、校内で待ち合わせて一緒に帰れるわけだし」
「うん、そうだね。学校でも一緒の時間が増えるなら嬉しいかな」
そんな会話をしながら、先ほどの続きに思考が向かう。
俺と高崎の関係性は幼馴染から恋人へと名前が変化した。今後は関わり合い方も変わっていくだろう。しかし、現時点でその実感はまるでない。
そもそも俺たちは刹那的に『点』で生きているわけじゃない。昨日があって今日があるように。今日の過ごし方が明日に繋がるように。日々が連続する『線』の上で生きている。だから、付き合い始めたからといって急に彼氏らしい振る舞いができるわけじゃない。
その一方で、恋人らしさと言うものを求めたい気持ちも俺の中にはある。もっと高崎との心の距離を縮めたいし、接し方も変えていきたい。そのためには今まで通りではダメなんだろう。これまでとは違う一歩を踏み出さなければならない。そんな風に思っている。
◇
傾く夕陽を背に受けながら俺たちは帰路を並んで進む。
先ほどから、どこかフワフワした心持ちで足を動かしている。いつも通りの帰宅風景といえばそうだけれど、付き合い始めて一緒に帰る初日と思えばどこか落ち着かない気分だ。こういうの、放課後デートと言うんだろうか。いや、家に帰るだけだからちょっと違うのかな。
「亮太くん。今日はなんだか寒いね」
「そうだな。もうすぐ12月だしな」
真っ赤に染まった空を見上げながら、そう答えた。そのまま大きく息を吐くと微かに白く色づく。高崎の言う通り、確かに寒い。冬の始まりを実感させられる。
「やっぱり寒いよね。特に指先が凄く冷たい気がする」
少し歩くと、また高崎が寒さを訴えた。視線を向けると、掌を合わせて擦る彼女と目が合う。その瞳には何かへの期待で満ちていた。はて、なんだろうか。
「ここあ、冷え性ってやつか? 生姜湯がいいらしいぞ」
「……うん、知ってる」
親切心でアドバイスしてみたが、高崎の反応は今ひとつ。どうやら彼女の期待には答えられなかったらしい。
「なんか手が温かくなることないかなぁ。亮太くんも寒いの嫌だよね?」
「そう言われてもだな……。あ、ちょっと待ってな」
そう答えると、見つけた自販機で紅茶を二つ買った。小型のペットボトルに入った温かい飲み物だ。これを飲めば身体を内側から温める事ができるし、手にしていれば簡易カイロ代りにもなるだろう。
「……うーん。でもありがとうね」
そう思って購入した飲み物を手渡す。先ほどよりは反応が良いものの、彼女は微妙そうな表情を浮かべていた。今回も期待していたものとは違ったらしい。高崎の意図を読むのは難しいな。
◇
難しい顔をして考え込んでしまった高崎を横目に、俺たちはまた帰り道を歩き出した。
住宅街を歩いているせいか、辺りは静かだ。その中で、クリスマス用の電飾が施された住宅を見つけた。ツリーこそ無いものの、家の玄関や庭先が明るく照らされている。まだ12月になっていないのに随分と気が早い。
あまり意識してなかったけど、もう1ヶ月後にはクリスマスなんだよなぁ。そのことを改めて実感する。
「ここあ。今年のイブの予定って空いてるか?」
相変わらず考え事をしている彼女に予定を尋ねてみた。
恋愛という観点で見たときに、クリスマスイブである24日は外せない一大イベントな感じがある。世間的には、クリスマスである25日よりもメインイベント扱いだ。本来、前夜祭のはずのイブで盛り上がるのはどうなのという声や、旧ユダヤ暦で考えるとイブは旧暦の25日に該当するものなのだから間違っていない説など諸々あるらしいが、そんな話はどうでも良い。
なぜなら、このクリスマスイブは付き合い始めて最初のイベントだからだ。こういう機会を大事にして二人の関係を少しでも進めたい。なのでその日には特別な何かをしたいと思ってしまう。
「……えっと。私、イベント委員に選ばれちゃったんだ……」
「それってクリスマス会の?」
「うん、そうだよ」
「どうせ他薦を断れなかったんだろ? やりたくない事はちゃんと断った方がいいぞ」
「……うん、次からはそうするね」
期待を込めての質問だったが、高崎は残念そうに答える。うーん、俺も残念だ。
彼女は真面目で勉強もできる優等生タイプだ。しかも本人は押しに弱くて断れない性格だから、昔からそういう役割を押し付けられる傾向にあった。今回もそうらしい。
しかし、クリスマス会のイベント委員かぁ。確か、学校主催のクリスマス会はイブに行われる予定のはずだ。一日掛かりのイベントと聞いているので、その日にデートするのは難しそう。
「そういえば、うちのクラスはまだイベント委員決まってなかったな」
「え、そうなの?」
「ああ。今日のLHRじゃ決まらなかったんだよ。明日のHRでまた決めるんじゃないかな」
「そ、そうなんだ……」
隣に顔を向けると、目があった高崎の瞳がキラキラと輝いていた。彼女の視線に込められた想いにピンときた。期待していたものとは違うけれど、そういうイブの過ごし方もありなのかもしれない。
「ここあ。俺もやってみようかなっと思うんだけど、どう思う?」
「うそ、本当にいいの?」
「ここあもイベント委員なんだろ? 共同作業みたいで面白そうじゃん」
「うん、私もそうだったらいいなぁって思ってた。それに、イブも一緒に過ごせるし……すごくいいと思う」
「じゃあ、立候補してみるわ」
笑顔を取り戻した高崎の様子を見て、一つの案を思いつく。
イブにデート出来ないのであれば、代わりにプレゼントを贈ろう。どうせなら当日まで内緒にしておいて、サプライズで驚かせたい。彼女は喜んでくれるだろうか。
贈るものはお揃いの装飾品がいいだろうか。ピンキーリングとかなら学生でも手が届くかもしれない。いや、装飾品のデザインには好みがあるからサプライズで贈るのならやめた方がいいのだろうか。すぐにはこれという贈り物を思いつけないなぁ。
◇
彼女に贈るプレゼントを悩みながら歩いていると、右手に衝撃を感じた。
「痛っ!」
「亮太くん、ごめんね! 痛くなかった?」
どうやら高崎の左手がぶつかったらしい。慌てた様子で彼女に謝罪された。結構勢いがついていたから、少し痛かったです。
「手を動かしてたらぶつかっちゃったみたいで。本当にごめんね」
「ああ、いいよ。というか子供じゃないんだから手を振り回して歩かないように!」
「はーい」
彼女を注意して足を進めるが、しばらくするとまた右手が衝撃を受ける。ただし、今回は力加減がされていたため全く痛くはない。ソフトタッチだったからね。
「亮太くん、ごめんね。また手が勝手に動いちゃって」
「あ、うん。大丈夫だけどさ……何かあるのか?」
「ううん。何にもないよ。亮太くんは気にしないでいいからね!」
「そうですか……」
もしかしたら彼女に近づきすぎていたのかも。そう思って、半歩分の距離を開けると、すぐさま彼女は距離を詰めてきた。そして、また右手に彼女の左手が軽く触れる。
今回も何でもないと言われたが、彼女の表情には期待の色が浮かんでいた。恐らくさっきから何かのアピールをされているのだろう。だが、全く分からない。
「今日は寒いなぁー」
掌を擦り合いながら呟く彼女の視線を受けながら、彼女の望む答えに思いを馳せていた。